辺境の地…焼け野原の野営にて、夜も明け、そろそろ空も青く染まってきた頃合い。
まだ目を覚ましたばかりで眠たげな勇者様と、結局最後まで夜番に付き合わせてしまったアウロラ様が、簡単な朝食を取っている様子を眺めている最中のことであった。
普段より身に付けていた指輪が、私の魔力を急速に吸い上げたのである。
それは教皇様より賜った指輪であり、教会における聖女の地位を証明するものだ。
一方で聖都の有事に際しては、振動を発生させる魔道具としても働き、遠方で活動する聖女への連絡手段となる。
つまり指輪に反応があったということは、聖都に何かがあったということと同義なのだ。…しかし、軽く振動するためだけなら、消費する魔力などたかが知れている。
こうも"吸われている"ことを実感するほどの消耗など、本来有り得ないはずだった。
そして、不意の事象に対してまともに反応することすらままならない内に、未知の魔法が発動する。
指輪に刻まれた教会のシンボルが青白く輝いたかと思えば、そこから半透明の糸めいたものが大量に飛び出してきたのだ。
それは恐ろしい程に速く、精密であり、気付いた時には完全に手遅れであった。
目の前で起こった出来事について、かろうじて認識することはできたが、到底反応できる速度ではなかったのだ。
こちらへと差し向けられた無数にうごめく糸達は、瞬く間に広がって私の身体を覆い尽くした。かと思えば、次の瞬間には全て嘘であったかのように消え去っていたのである。…いや、違う。
あの糸は消え去ったのではない。
凄まじい速度で私の身体に沈み込んでいったために、そのように見えたのだ。
アレは間違いなく、
その状況に思考が追いつく前に、異常事態がまた1つ発生する。
私の身体が自らの意思とは無関係に動き出し、空に向かって人差し指を突き出して、自らの魔力を用いて、描いたことも無いような魔法陣の構築を始めたのだ。
「…聖女さま、どうしたの?」
勇者様が問いかける。
突然、何の説明もなく魔法陣を描き始める。それは訝しまれるには十分な奇行だろう。
「…ぁ、」
身体の制御を奪われているとはいえ、完全に掌握されているわけではないようだ。多少頑張れば、話すことは可能であるらしい。
頭が上手く働かず、舌がもつれるような感覚もあるため、いつものように発声することは難しいが、それでも現状を伝えることは出来そうだ。
「すみま…ません、私…わからないです。身体、勝手にうご、動いて…」
この言葉を聞いた勇者様は、私の身体をじっと見つめると「その指輪…?」と呟き、直後に動き出す。
「すぐ、助けるよ…っ」
勇者様の姿が一瞬ブレる。…かと思えば、次の瞬間には立ち上がっていて、自らの腰付近。彼女がいつも剣を佩いている位置に手を当て、困惑の表情を浮かべていた。
あからさまに剣を抜こうとする振る舞いをしていながら、しかしそれを達することができなかったのは…
「知ってはいたけど、まぁそうなるよね」
そう言って肩を竦めるアウロラ様の仕業であった。
いつの間に奪っていたのか、勇者様が愛用している鉄剣。抜き身のそれをこれ見よがしに手に持っていたのだ。
「どうして…?」
心做しか勇者様が殺気立つ。彼女が人間を相手に敵意を露わにするなんて、これまでに見たことが無かった。
その今にも飛びかかってしまいそうな様子に、私は己の無思慮を悟る。あんな言い方では、いたずらに焦らせるだけだろう。
未知の事象とはいえ、教会由来。きっと害意ある何かではないはずだ。
「そりゃね?聖女の指輪なんて斬っちゃだめだよ…これは別に攻撃じゃない、教会の公示さ」
「…詳しく教えて。聖女さまは大丈夫なの?」
「神に誓って、もちろんだよ。心配しなくてもいい。教会は本当に大変なことが起こった時、聖女を使って世界中に方針を示すのさ」
勇者様が訝しげにしながらも、アウロラ様から目を逸らした。そして私に視線を合わせたかと思えば、ゆっくりと近付いてくる。
ほとんど触れているような近距離によって、じっと私を見上げていた。
「聖女さま、大丈夫…?痛かったり、苦しかったりしない?」
「は、はい…特に、そのようなことはありま、ません…」
私の言葉を聞いてもなお、彼女はかなり不安そうな表情をしていた。そんな様子を見かねてか、勇者様に呆れたような言葉が投げかけられる。
「君、人の痛みはそんなに気にするんだね…。それと同じくらい自分の身体も大切にできないのかい?」
「私は強いから…」
「えぇ…」
勇者様の即答に困惑するアウロラ様。それからしばらく悩ましげな唸り声を上げてから、項垂れつつ「まぁ、無理かぁ」と呟く。
「英雄ってやつは、どいつも変わらないね…」
「…?」
「まぁ…モリオルちゃんのことは、本当に安心しても大丈夫さ。聖女は巡礼の旅によって平和を造り、教会の威光を示す英雄だ。そう無体にはされないだろう」
「そう、なの…?」
「ああ、そうなんだよ。…それに聖女ってのはね、限りある教会の切り札なのさ」
待て、アウロラ様は一体何を話そうとしている…?
「ただ人が少ないから生き残れているだけの辺鄙な村で切るような…」
「アウロラ様、いけません」
「…今は頭回らないだろうに、目敏いんだね?」
「聖女さま…?」
「…すみ、ません。勇者さま、それ…お話できない、です」
勇者様が私を見つめ、首を傾げていた。
そういえば私が彼女の前でこのような…ある種、教会らしい振る舞いというものを見せるのは、初めてのことだったかもしれない。
実際、それが教会の悪い習慣ということは自覚していたので、何も隠さないよう意識していたのだ。…しかし、
私如きが勇者様に隠し事など、傲慢にも程があるだろうが、それでも聖女の存在理由を伝えてはならない。
少なくとも、勇者様が優しいお方である内は。
「モリオルちゃん、自分の使い方を知ってる聖女だったんだね。…でも、隠したって後が辛いだけなんじゃない?」
「わかっ、て…います」
「どっちも大概拗らせてるよね、君等…」
勇者様に剣を返しながらも、私の言葉に「ホントに分かってるのかなぁ」と疑わしげに呟くアウロラ様。今の頑なな振る舞いを見れば、そう思うのも仕方がないだろう。
……私は、分かっているから隠しているのだ。
もしこの先、どこかで
そうこうしている内に、気付けば魔法陣は完成間際となっていた。
その幾何学模様は、かろうじて伝言の魔法が原型であろうと読み解くことができるもの。…しかし、狂気的なほどに緻密な魔力制御によって、私の知らない技術や理論が膨大に組み込まれており、もはや全く異なる魔法として作り上げられている。
緻密な魔法陣とは、時折芸術と評されることもあると聞くが、これは芸術と言うには余りにも人間離れしていた。
それが完成すると同時に、一気に魔力が注ぎ込まれる。
普通であれば、本人の技量を遥かに超えた魔法の行使は自殺行為だ。きっと制御しきれない、暴発して酷い目に遭う行動である。…しかし、その魔法は成功裏に発動された。
直後に私たちの頭上、遥か上空に巨大な教会のシンボルが浮かび上がる。
それによって、どうやら私を対象とした未知の魔法も解除されたようで、身体の自由が戻ってきた。
『巡礼者よ、私の声が聞こえているだろうか』
シンボルを由来として、威厳ある老人の声が響き渡った。
勇者様は、様々なことが錯綜していたやり取り。そして突然に響いた大音量に、状況を理解できず困惑するような素振りを見せている。
一方アウロラ様は、やけにうんざりとした表情で音源を見上げていた。
『この言葉は身の安全が確保された聖職者へ宛てて送ったものだ。繰り返す。巡礼者よ、私の声が聞こえているだろうか』
この力強い声は、聖都に生きたものならば誰もが知る人物のものであった。
それは教会の最高位司教にして、聖都の実質的指導者…
『私は教皇ゼペット。端的に言おう。今、聖都は陥落の危機に瀕している』
教皇ゼペット様の御言葉だ。
最終的に伝えられた内容は、大きく分けて三つあった。
まず、聖都が未確認の魔王による侵略を受けており、このままでは崩壊も時間の問題であるということ。そして、それに伴う防衛戦に向けた、全ての巡礼者への早急な帰還命令。最後に私と勇者様を指名した魔王討伐の指示である。
「…ねぇ、モリオルちゃん」
アウロラ様が口を開いたのは、教皇様の御言葉を最後まで聞き届け、教会のシンボルが消えた直後のことだ。
表情こそ微笑んでいるようにも見えるが、放つ気配はひどく殺伐としていた。最初のほうこそ苦手な相手を前にした程度の空気感であったというのに、話が進むにつれて少しずつ怒りを滲ませていったのだ。
「教皇のヤツが一体何を考えているか分かるかな?」
「分かりません…教皇様は、何故あのようなことを仰られたのでしょうか…」
そうは言われても、教皇様の考えが分からないのは私にとっても同じこと。アウロラ様が分からなければ、私に分かろうはずもなかった。
何せ、先ほどの言葉は聖都。…引いては、教会の敗北宣言に他ならない。そして、私たちは自分たち以外の全てを見捨てるよう命じられたのだ。
巡礼者とは、聖都を離れて活動する教会の信徒だ。
特に私を含めた聖女と呼ばれる存在は、特別に調整された魔王への対抗手段であり、各地に赴いては魔王の"人が多い場所を察知する能力"を遮る防御結界『ウテルス』を張っている。
それはある範囲を薄い膜によって断絶し、内側にある全ての生命を隠し通す特別な奇跡。…しかし、その効能は詠唱者がいなければ、長くは保たない。
未だ国として成立しているような列強は、聖女が無くとも問題はないだろう。
今回の魔王討伐に際して宿泊したような、人口が二桁もいないような農村も、たとえ聖女が居なくとも魔王に気取られることはないはずだ。
致命的なのは、人の増えすぎた村である。
聖女の存在が定着した今、それ故に栄えた場所も相当にあるという。勇者様との旅路においても、街と言って相違無い規模となった所を数多く見てきた。
それらは間違いなく滅ぶ。
すぐにでも魔王に襲撃されて、戦いとして成立することもないままに凄惨な蹂躙を受けて、ひどい苦痛の中で一掃されるだろう。
それでも私達は、教皇様の指示には逆らうことが出来ないし、仮にその発想が生まれたとして逆らわない。
そうあれかしと生きてきた私達の多くは、その殆どが教会に対し盲目的であるからだ。
きっと驚きこそすれど、全く疑問に思うこともせず、まっすぐ聖都に帰るはずだ。それによって、残された街に何が起こるのかも考えないままに。あるいは、気付いた上で許容して。
「…一体何人が死ぬことになるのでしょうか」
きっと万では利かないだろう。
勇者様が命を賭して護ってきた生命が、どれほど無駄に消えてしまうのか想像も付かない。
教会の信徒として、それは許されないことではないのか。
「教皇様は…錯乱為されたのでしょうか」
「君、やっぱり自分が聖女っていうこと忘れてない?錯乱て…」
「…ですが、どうしても理屈が通らない気がするのです」
「まぁ、そうだろうけどさ…」
「そうでなければ、何かの間違いとかでは…」
私の推測に対して「それはない」と食い気味に答えが返ってくる。
「あんな高度な魔法を間違えて撃つなんて、農民が手を滑らして魔王を殺すより有り得ないことだよ」
「…そこまでの魔法だったのですか?」
「魔法でモノを操るのは難しいんだよ?木の人形でも高度な曲芸扱いなのに、アレは聖女を操って魔法を発動させたんだ。しかも一人や二人じゃないだろうね。まるで人間業じゃない」
彼女はコップを持っていない方の手で顔を覆って「本当、意味不明だよ」と、酷く忌々しげに、絞り出すようにして呟いた。
「今の魔法は、大司教オクルスの仕業だ。教皇はあいつ越しに話している。旧聖都が滅んだときも同じようなことをしていたからね。…こんな事する余裕があるなら、自慢の魔法で魔王を殺してしまえばいいのにさ」
「旧聖都…?いや、そもそも大司教様に戦う力はないのでは?」
「それは嘘だ。まぁ、戦いを極端に避けている事は確かだけどね。あいつらは手段を選ばなければ…まぁ、今の勇者程では無いにせよ、かなり強いよ。どいつもこいつも人外だ。」
言い切ったアウロラ様は、しばらく俯いた姿勢のまま沈黙していた。
そしてある瞬間、大きく息を吸い込んで、鬱憤を体内の空気ごと全て吐き出すような巨大な溜息に変える。
「君達、どうせ聖都に行くんだろ?魔王を倒しにさ」
「行くよ」
即答したのは勇者様だ。
アウロラ様にじっと視線を合わせて、力強く返答をした。私は勇者様の言葉を聞き、表情を見たあと、一足遅れて返答をする。
「私も勇者様が行くところなら、どこまでもお供いたします」
勇者様が行くと決め、迷いも無いというのなら、私が行かない理由もなかった。
「あは、今代の勇者パーティは優秀だね。私も…っ。いや、私が転移の魔法で送ってあげる。きっと速いほうがいいだろ?」
「良いのですか?ここから聖都ともなると、相当な魔力を使うのでは…」
「気にしないでくれよ、これでも元は勇者だったんだ。君達みたいな子供二人程度なら、何百回送っても全く負担にならないからさ」
「それは…凄まじいですね…。本当に、ありがとうございます」
私の言葉を聞いたアウロラ様が、昨日の晩のように自嘲的に笑った。
「凄くなんてないさ、感謝も要らない。だって君達は英雄だろ?…ほら、言えばいつでも飛ばしてあげるからさ、用意しなよ」
「なぁ、ルーク。子供達がこんなにも頑張っているというのに、私はまるで無能だよ」
「昨日は動けたんだ。…でももうだめだ。やっぱり、剣を抜くことは恐ろしい」
「…ひどく惨めな気分だよ」
「私は…一体、どうすれば良いのかなぁ」
・身体が操られて勝手に色々させられる女の子
・頑張ったけどやっぱりトラウマ克服できないやつ
こういうの大好き。