(身体ちゃん、起きてる?元気かな?かな〜?お〜い、おいおい〜っ!やっほ〜!)
聖女ちゃんがヒセンちゃんにドナドナされてから、一体どれほどの時間が経過したのだろうか。
この世界には、いわゆる"時刻を見る"ことを目的とした時計が無いので、具体的なところは分からない。ただ、大聖堂の鐘…あれは、聖職者に祈りの時間を知らせるため、日に六度鳴らされる。
その鐘の音を、目覚めてから一度も聞いていないということは、あれからまだ半日も経っていないということなのだろう。
それはワイにとって、にわかには信じがたい事実であった。
端的に言って、もう限界だったのだ。
ワイは今、完全に暇を持て余している。
(そこに居るんやろ〜??ワイは知っとるんやで!?ホラホラホラホラ、観念して返事しちゃいなよYOU!)
そもそもこの部屋には、娯楽がまるで無いのだ。
中身が空っぽのキャビネットに、ベッドと椅子。本当にそれだけ。病室だし、必要最低限で良いとは言っても、こんな何も無いことが有り得ていいのだろうか?
花瓶とか絵画とか、飾るべきものは幾らでもあっただろうに。
例えば姿見でもあれば、イケイケポーズを決める可愛いワイを眺めるなりして暇を潰せたはずなのだ。…しかし、何処にもそれらしいものは見当たらない。
あの人たちに言わせてみれば、身嗜みを整えるなら奇跡で十分ということなのだろう。
理解できぬ。理解できぬ。理解できぬ。
もっとも、見るものが無いとは言ったが、本当に何もないと言えばそれはそれで嘘になる。
一応大きめの窓は設置されていたのだ。ただし、景色が面白くない。
四年前から全く変わっていない聖都の風景は、正直もう見飽きているのだ。
ただ見栄えはするし、つまらない訳では無いのだろう。
どこかヨーロッパの宮殿めいた造形をしていながら、スケール的には高層建築に片足突っ込んでいる大規模な建物。それが所狭しと詰め込まれた街並みは、まさに圧倒的だ。
それらの隙間から覗く城壁は、シンプルな石製ながら尋常ではなく巨大であり、幾度となく魔王の襲撃を凌いできた年季と力強さを感じることができる。
その魔法ありきの現実離れした世界観は、ワイの顔立ちほどじゃないにせよ、間違いなく美しい。とても惹きつけるものがあるのだ。
最大の問題は、聖都が今生における生まれ故郷であるということだ。
元より娯楽の少ない国だ。暇さえあれば景色を眺めていたので、こんなものは親の顔より見たと言っても過言ではない。
まぁ、親の顔を一度も見たことが無いので、初めて見るものでも「親の顔より見た」と言えるけども、それはそれとして親の顔より見た景色だ。
……というか、そもそもワイに親っているのだろうか?
おそらく一番それらしい関係性にあったのは、ハモンさん。大司教であった彼女だろう。
ただあの堅物幼女が子供を産むなんて想像できんし、もしそうだったら興奮するけど、きっとハモンさんはワイの本当のマッマでは無いと思う。
ワンチャン聖女ちゃんがマッマだったりしないかなぁ。母性すごいしアリだと思うんですよね。
(ねえ、お〜い、返事してくれよなぁ。聞いてるんやろ〜??ワイのパッパとマッマはどこにおるんや〜?なぁなぁ…おじさんとお話しようや…)
まぁ、この世界で分からないことに思いを馳せても、だいたい闇深そうなことしか思いつかないので、いつも途中で考えるのをやめてしまうのだ。
結局こんな部屋の中では何をすることもできないので、最終的にはべッドに転がってぼんやりダラダラすることに落ち着いてしまった。
暇を潰せる"何か"を探すだけ、無駄であると悟ったのだ。
そもそも教会の人たちは、真面目ちゃんが多かった。こうなるのも、道理と言えば道理なのだろう。
この世界で聖職者と言えば、基本的には仕事漬けの人間ばかりである。それも誰かに強要されてとかではなく、自ら進んで仕事の沼に落ちているワーカーホリックだ。
暇さえあれば働いているか、人の手伝いをしている。
本当に何もない場合は延々と祈りを捧げているし、おそらく彼等は"理由無く休む"ということに息苦しさを感じるタイプであろう。
聖女ちゃんは、他の聖職者と比べたら大分マトモな方だが、それでもワイから見れば過度なくらい勤勉だった。
そんな奉仕精神が服を着て歩いているような集団の総本山が聖都だ。…しかも、この診療棟は聖都の中枢に程近い場所であるように見える。
そんな場所に娯楽や嗜好品の類を嗜む人間なんて、いるわけがない。遊び心なんて期待するだけ無駄であったのだ。無念。
(身体ちゃん?ちゃ〜ん?今からワイと遊ばなぁい?へへっ付き合ってよ~、素敵なおねぇさ〜ん)
そうして暇な時間を持て余した結果がこれである。
しばらく前から自らの身体…ほぼ間違いなく自意識を持っているはずの彼女に向かって、延々と語り掛けているのだ。
寝転んで、天井を眺めながら、もうかれこれ一時間はこうしている気がする。
今のところ、特にこれといった成果はなかった。
あれか?見せかけで超ビビッてるな?
(お話について、お話します。フェイリアちゃん、お話って、知ってるかな?お話というのはね、お話するところをお話すると、気持ちがいいとか…)
そんなことをしていた折、静けさを打ち破るように扉をノックする音が響いた。
「失礼します」
ノックの主は聖女ちゃんだったらしい。…聖女ちゃん、また病室抜け出してきたの?
「
「すみません、おまたせしまし、た…?」
訝しみながらも返答をする。
その後、扉を開けて入ってきた彼女の姿は、つい数時間前とは見違えるほどの健康体となっていた。…いや、左手はないけれど、少なくとも痩せ細ってガリガリになっている状態からは回復している。
超スピード!?
怪我でも呪いでもない以上、聖女ちゃんが健康を取り戻すには時間を掛けるしかないと思ってたんやけど、ヒセンちゃんは一体どんな治療を施したんだ…?
「その、ヒセンから退院できると聞いたのですが…」
そのぶっ飛んだ超回復に驚いていると、ふと聖女ちゃんの心配そうな目線に気がついた。
彼女は若干言い淀むように…あるいは、どこか探り探りといった様子で、ゆっくりと言葉を続ける。
「まだ少し、お休みになられますか?何というか、酷く…疲れているように見えます」
「
勇者様を病室から連れ出してしばらく。現在は診療棟の長い廊下を歩いて、正面出入り口へと向かっているところであった。
2人分の足音が、静かな空間に響いている。
ふと、隣を歩く勇者様を見下ろした。
あれほど酷い状態であったというのに、今の彼女からは呪いの気配を感じない。何でもなさそうに歩いている様子を見ると、やはり勇者様の回復力は凄まじいと思う。
ただ、気掛かりなこともある。
過度な呪いは魂の在り方、その根源を歪めてしまう。たとえ呪いが解けたとしても、根深い後遺症が残るのだ。
勇者様は、一見すると健康だ。
呪いの影響から脱して、完全に元通りになっている。…しかし、本当にそうなのだろうか?
勇者様が目を覚まされた直後の様子を思い出す。
とてつもなく思い詰めた表情をしていたのだ。
普段の勇者様からは想像もつかないほどに取り乱し、かと思えば力無く床にへたり込んで、さめざめと泣いていた。
今でこそ普段通りだが、つい先程もそうだった。
眉間にしわを寄せて目を細めた、まるで耐え兼ねると言わんばかりの渋い顔をしていたのだ。
恐ろしい体験によるトラウマ…その症状であるとも考えられるが、それはあまりにも楽観的だろう。
勇者様の身に、一体何が起こっているのだろうか。
身体を調べても異常はなく、呪い自体も完全に解かれているように見える。
問いかけても勇者様が答えることはない。
何でも無いと言い張るか、適当にはぐらかされてしまうのだ。
勇者様は何かを隠している。あんなに呪われていたのに、無事で済むはずが無いのだから。
ただ、勇者様を苛むものが分かったところで、私に何ができるというのだろうか?
歪められた魂の原型は、例え『聖別』を使っても治せない。ひとえに、奇跡に魂そのものを操るような悍ましい物語は存在しない故に。
呪いの後遺症によって、人ではない"そういう生命"へと成り果てたものは、聖女が二度と純粋な人間に戻らないように、決して救うことが出来ないのだ。
救えないくせに探りを入れる。…それは、無責任なことだろう。
「………ぃ女さま、聖女さま?」
「あ…す、すみません!聞いておりませんでした…何かありましたか?」
「んん、何も無いけど…。さっきから、私を見てぼーっとしてたから…」
そんなに呆けていただろうか…?
考え事をしていたのは確かなのだが。…そう思って周りを見れば、もう出入り口に程近い場所まで来ていた。
「余所見しながら歩くと、危ないよ?」
「はい、返す言葉もありません…」
我ながら呆れたことだと思う。上の空が過ぎるだろう。
気掛かりなことが多くて、気付かない内に焦っていたのかもしれない。
その何もかもが、私にはどうすることも出来ないことなのに。
小さく嘆息する。
気を取り直すように前を向いた所で、ふと、勇者様に伝え忘れていたことを思い出した。
「勇者様、この後のことなのですが…大聖堂に向かいたいと考えています。よろしいでしょうか?」
「大聖堂…?」
「はい。そこで、教皇様に会う必要があります。オルクス様のご指示もありますので…」
「そっか。それなら、しょうがないね」
「ありがとうございます。それと聖都から出るための申請も併せて済ませてしまいましょう。どうやら聖都から出るためには、教皇様の許可が必要らしいのです」
「…なんで?」
「正直、私にもよくわからないのです…」
ヒセンから聞いた話によると、どうやら私達が旅に出ている間に、そのような規律が作られたらしい。
聖都を取り囲むように構築された大結界、その構造が大きく手直しされたのだ。今は教皇様の許可がなければ、結界に阻まれて出られない仕組みになっている。
なんでも聖都の市民が誘拐されるという事件があったようで、犯人が確保されるまでは"連れ去り"を防げるようにしたいのだと。
それ自体は、聖都の作りを知るものなら、すぐに気が付けるほどの出来の悪いカバーストーリーである。
きっと重要なことではないだろう。
そもそも聖都市民を連れ去るなど尋常ではないのだ。
まず城壁を飛び越えたならば、犯人はとっくに特定されているはずだ。なにせ聖都上空は、城壁という物理的な障害がない代わり、厳重な監視網が敷かれているのだから。
そうなると通常の出口…関所から逃走したことになるわけだが、そもそも聖職者以外が聖都を出ること自体が不自然な行いである。訝しまれる中で人間をまるごと隠し通して誘拐を成し遂げた、というのは些か考えづらい。
そして、もし仮に私の思い付かない誘拐の方法があり、しかも大きな苦労を惜しまず人攫いをするような人間が居たとしてもだ。
その対処として"大結界の構造を作り変える"という手段を取るのは、余りにも回りくどいだろう。
手間が掛かりすぎる割にリターンが少ない…犯人がまた聖都の中に戻って来るということが大前提になっている作戦だ。
……では、なぜ教会はこのような滅茶苦茶な話をでっち上げるに至ったのだろうか?
教会の秘匿主義は歴史深いものであり、そのための技術は洗練されている。どのような事情があったとしても、もっと辻褄の合うシナリオを考えることはできただろう。
一体何の意図があってのことなのだろうか。
そんなことをグルグルと考えながら歩いている内に、いつのまにか診療棟の正面扉まで辿り着いていた。
何気無くドアノブに触れた。開ける意図はなかったので、本当に触れるだけ。そうすると、不意に背後から声を投げ掛けられる。
若干気怠げな声調で「姉さん」と。
ドアノブから手を離して振り向くと…確か、物置だったか。壁に馴染むような意匠のこじんまりとした扉から、身体を覗かせているヒセンの姿があった。
「行くんスね」
「…えぇ」
私の返事を聞くと、彼女は病室のそれより一回りは小さい扉を、窮屈そうに身を屈めて潜り抜けてくる。
酷く懐かしい光景だった。
いつか、私が勇者様と旅に出ることが決まったとき。
孤児院にそのことを告げに言った際も、ヒセンは今のように隠れていた。出発の直前まで出入り口そばの部屋で、見送りをする準備をしていたのだ。
彼女は昔からそうだった。
別れ際…本当に去る直前になってからの、引き留めるような見送りを好むのだ。
やがて廊下に出た彼女は、足元の埃を払うように服を叩き、一息着いてから私を見つめる。
「もう…ここには帰ってこないんスよね?」
「気付いていたのですか…?」
「んまぁ、そうッスね。正直、聖都から出る方法を聞いてきた時点で察してたッス」
「そうだったのですね…」
聖職者以外が聖都を出ることは不自然な行いである。それは確かにそうだが、聖職者も使命を背負っているだけで、自ら望んで聖都を出ているわけではない。
確かにまだ何の使命も受けていないのに、聖都から出る方法を聞くのは不自然であっただろう。何か企んでいることを悟られるのも道理である。
「姉さん、隠し事をするならもっとちゃんと隠さないと駄目ッスよ」
「…正直、隠し事は苦手なのです」
「いや、そんな開き直られても駄目ッスからね…?」
まったくもう、と呟きながら仕方無げに肩を竦める。
そのどこかコミカルな振舞いは、アビゲイル。あの子の振舞いを彷彿とさせるものだ。
「姉さん、そんなんでこの先やっていけるんスか?」
「だめかもしれません」
「えぇ…?こんな別れ際に不安になるようなこと言わないでほしいッス!」
ヒセンは本当に賢い子だ。
きっと私が何をしようとしているのか。それを、察しているのだろう。
私は勇者様を唆して、聖都から。あるいは使命そのものから逃れようとしている。
まだ伝えていなかった、これから伝えようと思っていたことだった。決心がついて居なかったが、ここまで悟られてしまっているのなら、黙っていることに意味はないだろう。
「ねぇ、だからヒセン。…私たちと一緒に、逃げてしまいませんか?」
思い切って伝えると、彼女は目を大きく見開いて驚いた。
驚いた後、一瞬だけ酷く悲しげな表情を浮かべて、困ったように眉尻を下げた笑みを作る。
「姉さん、それは…駄目なんスよ」
悲痛な声だった。
まるで食いしばるような、堪えるような、そんな大きな感情が込められていたのだ。
その一声で、十分だった。
彼女の意思は覆ることはないのだと、理解してしまったのだ。
「姉さん。アタシは、皆を置いてはいけません。まだ、皆が…ここにいる気がするんです。だから、姉さん。ヒセンは、アタシは――――――
その瞬きの間に消えてしまいそうな儚い表情は、ある種の…優しい拒絶であったのだろう。
言葉と言葉の間、微かな空白の時間。そこには、私の無責任な発言が彼女を傷つけてしまったのだと、それを確信させるだけの痛々しさが生々しく横たわっていた。
――――――アタシは、ここに残るッス」
「そう、ですか…。すみません、無理を言ってしまいましたね…」
「いえ、とても…嬉しかったッスよ。でも、アタシは…どうにも駄目みたいで」
「…」
結局のところ、私は彼女の絶望を知らない。
そばにいてあげられなかったのだ。…だからこそ、それは彼女達を見捨てた私が言ってはならない恥知らずな言葉だった。
何もかもが手遅れなのに、今更何を取り戻そうとしているのか。
「もう、姉さん…」
ヒセンが呆れたような声を漏らすと、おもむろに近付いてくる。
次の瞬間、私は強く抱きしめられていた。
「そんな顔されたら、気持ちよく見送れないじゃないッスか」
「…すみません」
「またそうやって謝ってばかり」
私をぎゅうと掴んだ大きな腕が、微かに震えているのを感じる。
たった四年。それは私たちにとって、あまりにも長い時間だった。気付けば大きく成長していたヒセンの身体は、しかしあの頃と変わりなく、とても温かい。
もしかすると他の妹たちも、こんなに立派に成長していたのだろうか。
今となっては、分かりようもないことだ。
「…もう、大丈夫です」
「そうッスか?」
心変わりしない内に、ヒセンに伝える。
離れてゆく温もりが名残惜しいけれど、これ以上彼女の腕の中にいると、決意が揺らいでしまいそうだ。
「本当に、何から何まで…ありがとうございます」
「良いんスよ、これくらい。皆だってそうしてたはずです」
「そうでしょうか…?」
「そうッスよ!…だって姉さんが知るよりも、アタシたちは悪い子だったし、姉さんが好きだったんス」
こんな風に強く断言されてしまうと、まるでそれが事実であるような気がしてくるものだ。
本当にそうであったのならば、嬉しいと思う。
それを願うことは、きっと傲慢だろう。
「さようなら、ヒセン。…また会うときは、皆でお話しましょうね」
「ふふ、楽しみッスね。さようなら、姉さん」
扉の方に向き直し、今度はこの診療棟から出るために、ノブに手を掛けた。
木製の重厚な戸を押し開くと、薄暗い廊下に光が差し込み、少しだけ目が眩む。
「どうぞ、お先に」
勇者様を外へ案内する。…しかし、彼女が動くことはなかった。
その場でじっと留まって、物言いたげな表情でこちらを見上げている。
「…本当にいいの?」
その問い掛けは、とても曖昧だった。
ただ、発言の意図については、考えるまでもなく理解できる。
彼女は無邪気なようでいて、非常に聡いお方だ。もっとも、それに対して私が返せる答えは一つしかなかった。
「えぇ、私たちはこれで。…これで、良いのです」
「…そっか」
含みのある端的な返事。勇者様は、それ以上は何も聞かず、軽快な足取りで外へと出て行った。
私も勇者様に続くように扉を潜り抜け、診療棟を後にする。
そこでふと、後ろを振り返ってみた。
ドアが閉じる直前、微かに見えた廊下には、もうヒセンの姿は見えなかった。
勇者様は幸せ者だ。姉さんをあんな…独り占めにしていて、羨ましい。…でも、私たちは姉妹だ。こんな状況で抜け駆けしようだなんて考えられない。
姉さんは本当に、罪な人だ。私たちは皆、姉さんに狂ってしまっていた。
「置いていかないで、アタシも姉さんと一緒に…」なんて、言えるわけないじゃないですか。
……でも、もし何も気負わずに「行く」と言えたら、どれだけ良かっただろうか?
あぁ、そんな事ばかり考えているから、取り残されてしまうのかな。
生きている内は、もう会うこともないだろう。
そんな確信だけが、胸に強く刻まれていた。
・訂正
前回の後書きで、聖女ちゃんの体重減少率について触れましたが、流石に「60%OFF」は無茶があって、「体重30%OFF」が妥当だったように思えたので修正しておきました。