女の子が苦しんでいるのを肩代わりしてしまう少年の話 作:二本角
「あ、おはよう、綾地さん!」
「おはようございます」
「おはよう綾地さん!!突然でゴメンなんだけど、今日の数学の宿題のところ教えてもらっていい?私、今日当てられるっぽいんだけど解けなくて・・・」
「はい、大丈夫ですよ」
綾地寧々は人望が厚い少女である。
その整ったルックスも勿論だが、明晰な頭脳とそれらをひけらかさない穏やかな心を持ち、およそ他人に疎まれる要素が少ない。
無論、なんのやっかみも持たれないワケではなく、例えば同性からの恋愛相談では牽制されたりすることもあるが、寧々自身に特に気になる異性がいないこともあって、本格的に険悪な関係になった相手というのは未だいない。
そういうワケで、寧々の周りには常に誰かがいることがほとんどだ。
今日も、朝から寧々の席の周りには寧々と話がしたかったり、勉強の相談をしたがっている生徒が輪を作っていた。
寧々はまるで歴史に語られる聖徳太子のように、周囲から投げかけられる言葉に如才なく応えている。
もっとも・・・
(保科君は、今日はまだ来ていないのかな・・・)
周囲の生徒たちと話しながらも、その視線は時折人垣の隙間を縫ってある方向に飛んでいた。
視線の先にある席は未だに空席であり、その主である保科柊史はいない。
昨日、呪術師と魔女として縛りを結んだ柊史と交流を深めるべく、朝と昼に話しかけた寧々であったが、昼休みは用事があるということで断られてしまっていた。
放課後も、寧々はオカ研での活動。柊史は呪術師としてのバイトがあるということで早々に帰ってしまっており、結局朝の一時を除いてほとんど会話ができていなかったのだ。
昨日は一昨日と違って強烈な代償は発生しなかったため、寧々も肩代わりを頼むことはなかったが、それでも姿が見えないとなると心配な気持ちになるのは避けられなかった。
(もうすぐ、朝礼が始まるのに・・・まさか、例のバイトで?)
これはついこの間まで続けていた柊史観察によって判明したことであるが、術式の影響なのか、柊史はあまり目立つ時間に登校することを避ける傾向がある。
早すぎてもダメ、遅すぎてもダメ。
ほどほどの時間よりも若干早いくらいが柊史にとってベストタイミングらしく、規則正しい生活によって登校時間が基本的に早い寧々からすると柊史を待っていることがよくあった。
それを考えると、もうすぐ遅刻扱いになる時間になっても来ないというのはだいぶ珍しい。
寧々は柊史が放課後にやっているという呪術師としてのバイトのことをまったく知らない。
それどころか、呪術師というモノがどういう存在なのかさえ、柊史から聞いた最低限度のことしか知識にない。
故に、柊史の呪術師としての活動というモノがどれほど危険なモノなのかもわからない。
ならば・・・
(『また』、何かあったんでしょうか・・・?)
寧々は、一気に沈み込んだような気分になった。
「・・・?綾地さん?どうかした?」
「っ!?い、いえっ!!なんでもないですよ?」
「そ、そう?」
陰鬱な気持ちになったのが表情に出たのか、周りにいた生徒が訝しそうな顔をしていた。
咄嗟に取り繕ったおかげでそれ以上追求されることはなかったが、寧々の心中が晴れることはない。
なにせ、寧々は、寧々だけは知っているのだ。
(保科君の『心の穴』・・・もし、それが広がるようなことが起きていたら・・・)
契約したアルプである相馬七緒から耳にした柊史の心の穴という存在。
心が深い傷を負ったときに発生するモノであり、最悪の場合心が壊れ、廃人となる可能性すらあるという。
柊史の場合は、どういうわけか普通なら廃人になっているレベルの穴でありながら心は壊れていないらしいが、それでも穴が空いている状態が健全であるハズがない。
もしも、柊史のバイトとやらで危険な目に遭い、精神にもダメージを負ったら、ますます穴は広がってしまうのではないだろうか。
いや、そのことだけではない。
(一昨日のこと・・・あのことも、保科君の穴を大きくしてしまったんじゃ・・・)
一昨日、寧々は強烈な代償を柊史に肩代わりしてもらったのだが、そのことが尾を引いているのではないかと思わずにはいられなかったのだ。
柊史の反応からして、『何か』があったのは確実だったのだから。
今柊史が来れていないのも、もしかしたら・・・
(もしも、もしも保科君に何かあったのなら・・・私が何とかしなきゃ!!でも、私に何が・・・)
客観的に見れば、たかが登校時間が少々遅れているだけだ。
『体調悪いのかな?』とか、『道が混んでいたのかな?』と思うのが普通だろう。
しかし、寧々はとてもそんなようには思えなかった。
もしも柊史に何かがあれば、自分は責任を取らなければならない。
だが、責任と言っても、いざその時に自分に何ができるのか。
そんな風に、寧々が負の思考に囚われているときだった。
「ふぅ~、なんとか間に合った!!」
「そこまで焦る必要なかったな・・・海道もまだいないし」
(あ・・・)
教室のドアが開き、2人の生徒が入ってきた。
その片方を見て、寧々は心の中で安堵のため息をついた。
(よかった、保科君・・・)
時計を見て軽くぼやいているのは、寧々がさきほどから心配していた保科柊史であった。
見る限りではとくに変わった様子はなく、寧々が危惧していたようなことは起きていないようだ。
しかし、柊史の隣にいる少女を見て、眉間に無意識ではあるがわずかにシワが寄った。
(あれは、仮屋さん?保科君と一緒に来たんでしょうか?)
柊史と共に教室に入ってきた小柄な少女は、仮屋和奏。
実を言うと、寧々が最近気にしているクラスメイトだ。
柊史とは逆の意味で。
「まったく・・・バイトの話は後でもよかっただろ?」
「べ、別にいーじゃん!!後でも先でも同じだし、結局間に合ったんだからさ」
「まあ、それはそうだけど・・・それじゃあ、今日の昼休みに・・・」
教室は朝の喧噪に満ちているが、間に合った安堵からか、2人は少し大きめの声で話しており、会話の内容は聞き耳を立てている寧々にまで届いた。
(っ!?バイトっ!?)
バイト。
その単語が聞こえた瞬間、寧々はビクリと身を震わせ、さらに2人の会話に集中する。
(保科君と仮屋さんのバイトの話ということは、呪術師に関わること・・・一体どんなことを)
寧々が和奏に注目しているのは、和奏がどういう経緯を辿ったのか、柊史の呪術師としてのバイトに関わったことを知ったからだ。
寧々は、柊史が勤しんでいるという呪術師としてのバイトに興味がある。
柊史に対して大恩があると言える寧々であるが、柊史のことについては知らないことが多い。
恩を少しずつ返すためにも、柊史の事情は可能な限り知るべき・・・否、知らなくてはならないとも思っており、件のバイトのことはその中でもとくに気がかりな部分だ。
しかし、寧々が前に柊史に直接聞いたときには、『話せない』と断られてしまった。
柊史の師匠である夏油傑という人物と関わったことのある七緒も知っているようなのだが、『保科君が話せないというのなら、私が教えるワケにはいかないな』と、こちらも口をつぐんでしまっている。
だというのに、仮屋和奏という少女は柊史からバイトの手伝いを依頼されたと言うのだ。
魔女である自分にも明かせないことを、どうして和奏が知っているのか。
そういう意味で、寧々は和奏のことを気にしているのである。
いっそ、警戒していると言っていいかもしれないが、その自覚は寧々にはなかった。
そのまま、寧々はさらなる情報を得るべく意識を2人に・・・
「あ、綾地さん?」
「ど、どうしたの?なんか、さっきからちょっと変だよ?」
「え?」
意識を向けようとしたところで、またも声をかけられた。
見れば、周りのクラスメイトたちが心配そうな顔で寧々を見つめている。
「えっと、綾地さん、本当に何かあった?」
「さっきまでもそうだけど、なんか上の空というか・・・保健室行く?」
「あ、いえ・・・その、なんでもないです」
周囲のクラスメイトたちは本当に寧々のことを気遣っているというのはその表情から明らかだ。
だが、今の寧々にとっては無用な気遣いである。
しかし、人のいい寧々にそんなことを正直に言えるワケもなく、またも笑みを浮かべて取り繕うことしかできなかった。
そして。
「よしっ!!間に合った!!しかも、佳苗ちゃんと一緒に来れるなんてツいてるぜっ!!」
「海道・・・お前、今回は大目に見てやるけど次は遅刻扱いにするからな?・・・ほらほらお前ら席付け。このバカと一緒に遅刻ってことにするぞ~」
「あ、久島先生来た」
「綾地さん、宿題のところ教えてくれてありがとうね」
「い、いえ・・・どういたしまして」
ガラッとドアが開き、海道が飛び込んできたすぐ後に担任の久島が呆れたような顔で続いてきたことで、寧々の周りにいた生徒たちも自分の席に戻っていく。
そんな彼女たちを見送りつつ、視線を向けると柊史と和奏もまた席に付いていた。
どうやら、2人の会話も少し前に終わっていたようである。
(今日の昼休みって保科君は言っていたけど、何をするつもりなんでしょう?)
昼休みという時間帯なのはわかったが、どこで何をするのかという大事なところを聞き逃してしまった。
(いえ、昼休みに何かあるのなら、そこを狙ってまた2人に着いていけばいい・・・気をつけなきゃ)
それを残念に思うも、時間はわかっているのだから、その時間に2人を追いかければいいだけだと思い直す。
・・・思考がやや危ない方向に向かっているのだが、やはり、寧々にその自覚はなかったのであった。
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「よし、じゃあ始めるぞ」
「う、うん・・・でも、保科」
昼休み。
オレと仮屋は特別棟の一室にいた。
普段因幡さんとゲームする部屋ではない。
ここはオレが1人飯するとき用に見繕っていたセーフハウスの一つである。
今日は因幡さんからは何の連絡もないのでいつもの部屋でもいいかもしれないが、今からやることを因幡さんに見られたら色々と面倒くさいことになりそうなので万一の場合に備えてこの部屋にしたのだ。
(昨日、因幡さんのパンツ見ちゃったしなぁ・・・めっちゃ怒ってたし、その上で今からやること見られたらなんかとんでもない罵倒をもらいそうな気がする。っていうか、昨日の感じだとしばらくはこっちから連絡するのは止めておいた方がよさそうだな)
昨日、オレは偶然・・・あくまで偶然因幡さんの下着を見てしまっている。
当然、因幡さんはひどくお冠であり、後日甘い物を奢ることで手打ちにしてもらったが、機嫌を損ねるようなことは絶対に避けるべきだ。
こちらから不用意に連絡するのもそうだが、今から仮屋とすることを見られればオレがどうしようもない変態だと誤解されかねない。
しかし、オレのことを訝しく思っているのは因幡さんだけでなく、目の前の相手もそうみたいだ。
「保科・・・なんで、こんな人気のない場所に呼んだワケ?ま、まさか・・・」
「ちょっ!?誤解だ誤解!!変なことをする気は何も・・・あ、いや、少し変なことかも」
「変なことなの!?」
人気のない教室に呼び出されたこともあってか、仮屋はどこか警戒しているようだった。
今もじっとりとした目でこちらに胡乱なモノを視線を投げつけており、地味にチクチクと痛い。
本気で拒絶しているワケではないようだが、オレが率直にこれからやろうとしていることを言おうとすると、バッと距離を取り、自分の肩をかき抱いて軽く睨んできた。
「も、もし変なこと本気でする気なら後で海道とか久島先生に言いふらしてやるからね!!」
「いやいや!!マジでそういう目的じゃないから!!海道はともかく久島先生はやめてくれ!!」
海道はアレで中々義理堅い性格なので事情があることなら黙っていてくれると思うが、さすがに久島先生は先生だけあってシャレにならない。
今からやることは、他の人間に見られると中々言い訳が難しいのだ。
オレのバイトの手伝いになぜだかやたらと熱心な仮屋でも、もしかしたら断るかもしれない。
だが、心の欠片を溜めておくためにも、ここまで来て引くわけにいかない。
「あ~、とにかく、仮屋に手伝って欲しいことなんだけど・・・」
「・・・な、なに?」
相変わらず警戒はしている。
だが、それでいて逃げる気はないようで、仮屋はジリジリと距離を詰めてきた。
そんな仮屋に、オレは手を差し出した。
「あ~、その・・・話し相手になって欲しいんだ」
「へ?話し相手?」
差し出された手を見て、仮屋は気の抜けたような声を上げた。
一体、どんなことを言われると思っていたのだろう。
だが、仮屋の頭の中で想像されていたことよりはマシだと信じたい。
(ここからは、相馬さんの受け売りだな・・・)
オレは、昨日の夜に相馬さんから提案されたことをそのまま口に出す。
「いや、オレのバイト先はなんていうか・・・企業コンサルタントって感じのところなんだ。社会人を相手にすることが多くて、オレは先生・・・いや、バイト先の社長について回ってるんだけど、とにかく色んな人に会う仕事でさ。経験は積ませてもらってるけど、まだまだ足りないから自分でも人と話す練習をしたいんだ」
これは嘘ではない。
相馬さんはアルプとして先生に依頼したことがあるためにオレのバイトのことを知っているが、カバーストーリーとして、『零細コンサルタント企業の社長とその見習い』という設定を勧められたのだ。
実際、先生が立ち上げた会社の実働員は先生とオレの2人だけなので、零細というのは間違っていない。
それに、色んな大人と会うのも本当だ。
まあ、その依頼人たちが社会に疎いオレでも知っているような大物ばかりではあるけど。
「コンサルタント?保科が?・・・え?なんで?」
(やっぱ信じられないよな・・・)
オレがカバーストーリー・・・とは言っても限りなく嘘ではない内容を説明したが、仮屋は信じられないようだ。
疑っている・・・というよりは驚いているという感じだろうか。
まあ、仕方がないと言えば仕方がない。
自分で言うのもなんだが、オレは術式のこともあって他人とコミュニケーションを取るのが苦手だ。
先生にくっついて色んな依頼人に会うことはあっても、会話はほぼ先生が担当しており、オレがやっているのは術式で読み取った内容を呪霊を介して先生に伝えるだけ。
コミュ障が改善されるような経験は積んでいないし、オレは口下手なままだ。
そんなオレがコンサル関係のバイトをしていると言っても信じられないのも無理はない。
(さて、ここからが本物のカバーストーリーだな・・・カバーストーリーなのに本物なんておかしな話だけど)
今まで語ったことは嘘ではない。
だが、それだけで信じられるワケがない。
だから、ここからが嘘に少しの真実を混ぜた言い訳だ。
「実は、その社長がオレが小さい頃からお世話になってる人でさ。会社を本格的に立ち上げる前に今は実績を作りたいって思ってるみたいで、正社員の人が見つかるまで、信頼できるバイトがオレしかいなかったんだって。昔からお世話になってる人だから、どうしてもって言われたら断れなくて。コンサルのバイトって言っても、今のところメインは事務作業で、実際のコンサルはこれからもっと経験を積むって段階なんだよ」
オレが務めているのは立ち上がったばかりの零細企業。
正社員を雇う実績もない状態だが人手が欲しいということで、昔から縁のある信頼できる学生をバイトとして雇った。
今はまだ実務は見習いだが、ゆくゆくは多くの人と話す必要がある。
お世話になってる人からの頼みであるし、バイト代もきちんともらっているのだから、その期待に応えたい。
・・・色々突っ込みどころのある設定も混じっているが、真実も含まれており、まったく現実性がないとまでは言えないレベルだ。
さて、相馬さんの考えてくれたことをどうにかこうにか話しただけだが、仮屋の反応は・・・
「・・・・・」
(?なんだ、この感じ?)
オレのカバーストーリーに対して、どんな反応が返ってくるかと戦々恐々としていたオレであるが、仮屋は実に神妙な顔をしていた。
(疑ってるワケじゃないのか?何か、悩んでる?)
仮屋から伝わってくる感情は、実に複雑だった。
疑念もあるが、それだけではない。
不安、恐怖、納得、安堵・・・様々な感情が混ざっているように思える。
「ねぇ、保科。ちょっと聞いてもいい?」
「あ、ああ」
ややあって、仮屋は真剣な様子で切り出した。
「今の話がどれだけ本当のことかはわからないけど、全部が嘘じゃないよね?バイトしてるのが本当なら、バイト先の名前くらいは教えてくれる?」
「ああ。それくらいなら全然いいぞ。オレのバイト先は『盤星コンサルタント』って会社だ。って言っても、さっき言った通りいるのはせん・・社長とオレだけだから、事務所は小さいし、ホームページもしょぼいけどな」
「盤星コンサルタント・・・」
今仮屋に教えた会社名も本当のことだ。
これを仮屋に教えるのは、それくらい教えなければ引き受けてくれないだろうというのもあるが、教えても別に構わないからだ。
オレたちの仕事はそのほとんどが社会的な有力者たちどうしの口コミで広がっており、一般人にまで会社の情報が伝わることはまずない。
先生が適当に作ったというホームページは丁寧ではあるが当たり障りのないことしか書いておらず、手に入る情報は会社名と先生の名前くらいだ。
それにしたって、その名前が価値を持つのは社会の上流階級の一部か魔女、アルプといった魔法に関わる界隈の者だけであり、やはり一般人の仮屋が知ったところで意味はない。
あと、どうでもいい話ではあるが、会社名が『夏油コンサルタント』ではなくどうして『盤星』なのかの理由はオレも知らない。
先生に聞いてみたが、『昔似たようなことをしていたときに適当に付けた名前をもう一度使ってるだけさ。所詮はただの暇つぶしだからね。大した思い入れもないよ』とどうでもよさそうに言っていたから、本当に大した理由はないと思うけど。
「わかった。それは信じるよ。あと一つ聞かせて。その社長さんと保科が昔から付き合いがあるのは本当なんだよね?だったら・・・保科はそのバイト、辛いとか辞めたいって思ったことはないの?」
「え?」
仮屋の様子は、いたく真剣であった。
今回の一連のことはオレからすれば欠片が手に入れば儲けものといった軽い気持ちで始めたことである。
それが、どうして仮屋がここまで真面目になっているのかまったくわからない。
だが、その質問に答えるのは簡単だ。
「いや、全然。せ・・社長はいい人だし、すごく良くしてくれてるから、むしろ期待に応えたいくらいだよ。オレも少しは役に立ててるみたいだから、やりがいもあるしね」
答えはノーだ。
例え辛いと思っていてもここはノーと答えるのが正解だが、そもそもとくに嘘を考える必要はない。
オレは思った通りのことを口に出した。
(普通の人間に冷たいところはあるけど、オレには優しいし、同じ呪術師だからなぁ・・・期待に応えたいっていうのは本心だよな)
オレの先生である夏油傑さんは、オレからすれば尊敬する大人だ。
同じ呪術師であり、魔女である椎葉さんや綾地さんよりも遙かにオレに近い、いや、同じ場所にいる人。
まだまだ教わることが多いが、ともに呪術を高める道を歩んでいる。
正直、オレは自分の術式は代償のこともあって好きではないが、それでも呪術を鍛えるモチベーションがあるのは尊敬する先生から才能と実力を認められているからだ。
先生からの期待には、恩返しの意味も込めてしっかり応えたいと本気で思っている。
まあ、そんな先生にも欠点というか、一般人を疎ましく思っており、ときにかなりキツイ対応をすることもあって、やりすぎじゃないかと思うときもあるが、それも同類として理解できないワケじゃない。
そういった短所を含めても、オレは先生を心から慕っていると胸を張って言える。
だから、仮屋への答えもすんなりと出てきた。
「ふ~ん、そっか」
「・・・?」
真剣な眼差しでオレを見ていた仮屋であったが、どういうわけか、フッと表情を緩めた。
伝わってくるのは・・・これは、安堵か?
「仮屋?どうかしたか?」
「なんでもないよ・・・ただ、保科がいい場所で働いてるのがいいなって思っただけだから。それで?話し相手になって欲しいんでしょ?どんなこと話すのさ?」
「え?いいのか?」
「まあ、ちょっと怪しい話だとは思うけど、保科相手にお喋りするだけでしょ?それなら別にいいよ。ってゆーか、普段とあんまり変わらなくない?」
「あ、いや、それだけじゃなくて・・・」
「?」
なんというか、仮屋が意外と乗り気になっているのが不思議だ。
さっきまで怪訝な顔をしていたのに、オレの話のどこに安心したりやる気になるような要素があったのだろう。
しかし、そんな仮屋には悪いが実を言うとここからが本当に言いにくいところなのだ。
「その、手を、見せてもらえないか?じっくりと。あと、しっかり触らせても欲しい」
「・・・はぁ?」
仮屋の視線の温度が一気に下がった。
台所に出る不快害虫を見るような視線がオレに向けられ、グサグサと突き刺さる。
「保科・・・そんなマニアックな趣味持ってたの?連続殺人とかしてないよね?」
「どこのスタンド使いだよ!?そういうのじゃなくて!!これもコンサルの勉強だよ!!ほら、よく言うだろ?人の手を見ればその人がどんな人間かわかるって。そういう観察眼を磨きたいんだよ!!」
「ええ~・・・」
我ながら苦しいとは思うが、これこそが相馬さんが授けてくれた「他人と違和感なく接触する方法」である。
これを聞いたときは『なるほど』と思ったが・・・今の仮屋は相変わらず引いた目をしており、効果はいまいちのようだ。
(くっ!!考えてみれば、そういうのは同性かつ美人な相馬さんだからいけるのであって、オレがやっても下心があるとしか思われないじゃないか!!どうして昨日のオレはこれで行けると思ったんだ)
オカ研に名前を貸しているのだから手相を見るでもよかったんじゃないかとも思っていたのだが、仮屋にはバイトの手伝いであるとすでに言ってしまっており、その手は使えない。
バイトの練習で手相を見るって、綾地さんも関わっていることになっているのに何のバイトをしているんだということになってしまう。
いろいろな整合性を取ろうとして、仮屋のことを知っている限り相馬さんに教えたときに『これならいけるだろう』と伝授してもらったのがこれなワケだが・・・昨日も昨日で椎葉さん関係でいろいろショッキングなことがあったから、オレも混乱していたのかもしれない※。
そうやって、内心後悔していると・・・
「はぁ・・・まあ、いいけど。本当に手を触るだけなんだよね?それ以上のことしようとしたらすぐ通報できるようにするから」
「・・・え?マジでいいの?」
「保科に妙なことする度胸なんてないでしょ?」
「ぐっ!!反論したいけどできない・・・」
呆れたような顔をしつつも、『仕方がないなぁ』と言った感じで仮屋はOKを出した。
オレとしてはありがたいが、驚くべきことだ。
片手にスマホを握っており、本当にいつでも通報できるようにしているが・・・それで異性に触られるのを了承するとは。
「それで?ほら、触るんでしょ?やるならさっさとしなよ」
「お、おう・・・」
許しを得ても動かないオレにしびれを切らしたのか、仮屋の方から手を差し出してくる。
オレは、おっかなびっくりといった感じでその手を握った。
「っ!!」
「おお・・・」
(なんかピリピリした感じもするけど、なかなか質がいいな)
オレが手を握ると、少し赤らんだ顔をした仮屋はビクリと一瞬震えた。
しかし、握った手からは温かい何かが伝わってくる。
携帯を構えているくらいだし、そこまでプラスの感情はないだろうと思ったが、なかなかどうしてそこそこの質だ。
「仮屋。本当に助かる。ありがとう」
「お、お礼を言うのはいいけどさ・・・これ、保科のバイトの練習なんだよね?本当にこんなことが練習になるの?」
「なるなる!!めっちゃなるから!!えっと・・・なんか柔らかいな!!」
「・・・台詞が変態っぽいよ、保科」
こんな状況でありながらもプラスの感情を持っていてくれたことに思わず感謝すると、仮屋は微妙な表情をしていた。
しかし、それでも温かな感情は途切れることはなかったのであった。
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「へ~、ギター弾いてると指の方にタコができるんだ」
「んっ・・・くすぐったいからあんま動かすな」
「あ、悪い」
なんとも微妙な空気で始まった柊史のバイトの練習だが、意外とその後の雰囲気は悪くなかった。
「仮屋、お前本当にギター好きなんだな。こういうのって、よく練習する人じゃないとできないものなんじゃないのか?」
「そうでもないよ。タコができるかどうかって、その人の皮膚の質とかで個人差あるらしいし。まあ、アタシがギター好きなのはその通りだけどさ」
最初はぎこちなかったが、もとより和奏と柊史の仲は良好な方だ。
柊史が和奏の手に触れているうちにギター練習によるタコに気づき、そこからギターの話になってからは和奏も気分が乗ってきたようで、普段と変わらないくらいに自然な会話ができていた。
だが、やはり一番大きいのは和奏の長年の懸念が解消したことにあるだろう。
(・・・よかった。保科がひどい目に遭ってなくて)
手を握る少し前に柊史が語った、自身の境遇。
柊史は術式のせいか嘘をつくことが苦手なのもあるが、あのときの言葉に嘘はないと、柊史を観察してきた和奏には確信ができたのだ。
小学生のときに柊史と別れて以来、ずっとそのことで悩んでいた和奏にとって、柊史の語った事実は救いであった。
それが、今も柊史に良質なプラスの感情を伝えていられることに繋がっている。
(この部屋に呼び出されたときはちょっと不安だったけど・・・まあ、結果的には良かったかな)
和奏は柊史に対する贖罪の念から、柊史になら大抵のことはされても仕方がないと思っている。
もしも自身が柊史の抱えるなんらかの秘密に近づいたと思われ、『あの男』がやったように不思議な『何か』で攻撃されるようなことがあったとしても、受け入れるつもりであったくらいには。
しかし、いざ2人きりになったとき、『あれ?今もしかして乙女の危機だったりする?』と、ふと思い至ったときはさすがに警戒した。
なんというか、その方面に対しては柊史のなんだかんだ優しい性格もあってまったく警戒していなかったため、覚悟ができていなかったのである。
手を触らせて欲しいと言われたときは、いきなり何を言い出すのかと思ったものだ。
その前に自分の悩みが解消されていなかったら、踵を返していたかもしれない。
だが、今のところ柊史にそういうことをする気はまったくないようだし、杞憂だったと言えるだろう。
・・・年頃の乙女として、『全然眼中にないけど?』というような態度を取られるのはそれはそれで複雑な気分になるが。
ともかく、自分の長年の悩みがなくなったことは、この場所に来たことの大きな収穫と言えることであるし、ここに来て正解であったのは間違いない。
そして、収穫はそれだけではない。
これまでの自分が知りたくてたまらなかった情報もまた手に入れることができていた。
その情報が載ったスマホを、和奏は柊史に突き付ける。
「ねぇ保科。この社長の夏油って人、すごく若くない?大丈夫なの、この会社?従業員も全然いないみたいだし」
「大丈夫だって。せ・・社長はすごい人だから」
『盤星コンサルタント』。
そのホームページが、和奏のスマホに表示されていた。
柊史が言っていたように、そのサイトには大したことは書いていなかったが、さすがに社長の名前と顔写真は載っていて、その顔は和奏のトラウマとなったあのときの男と完全に一致していた。
(アタシが会ったときより結構経ってるから少し顔つきが変わってるけど、間違いない。あのときの男は、この夏油って人だった)
これまで、和奏はずっとあの得体の知れない男のことを『あの男』と呼んでいたが、やっと名前を知ることができた。
そして、現在の夏油傑の社会的な立ち位置も。
それは、和奏にとってある種の『飢え』を引き起こした。
いや、その衝動そのものは、トラウマを抱えたあのときからあったのだ。
(知りたい・・・保科が、一体何に関わってるのか。保科や、この夏油って人が何者なのか)
和奏は、ずっと柊史への罪悪感を抱えていた。
しかし、同時に疑問に思い続けてもいた。
『自分が見捨ててしまった柊史は一体何に巻き込まれていたのか?』、『あの男は何なのか?』
罪悪感は消えたとしても、その疑問はそのままだ。
なにより、新しい懸念も生まれている。
(確かに、思い返してみると夏油って人は保科を大事に思っているみたいだった。保科から見て夏油がいい人だっていうのは間違いないんだと思うけど・・・でも、だからって保科を放っておいていいの?また、見捨てることになるんじゃないの?)
--困るんだよねぇ・・・せっかく見つけた同類なんだ
--あの子は優しいから、下手に猿に手を差し伸べるようなことをして・・・浅ましい連中に集られるとか、普通にありそうで怖いんだよね
和奏が初めて夏油と遭遇した際、夏油は柊史のことを『同類』と呼び、守ろうとする意志を見せた。
柊史が和奏と別れてから、夏油と関わっても辛い目には遭わなかった、それどころかむしろ充足感を得ていたのも本当のことなのだろう。
だが、夏油はどこまで本気で柊史に接していたのだろうか。
例え柊史に対して好意的であっても、夏油の近くにいて悪い影響を受けたりしないだろうか。
--社長はいい人だし、すごく良くしてくれてるから、むしろ期待に応えたいくらいだよ
(さっきの保科・・・なんか、危ない感じがした。まるで、変な宗教に嵌まった人みたいな)
和奏は、夏油の危険性を知っている。
しかし、柊史はそれを知らないのではないだろうか。
和奏から見て、柊史は善人だ。
そんな柊史が、人を殺すことに何のためらいもなさそうなあの男の一面を知っていて尚慕うようなことをするだろうか。
さきほど、柊史が夏油のことを語る際に見せた熱意ある表情・・・大げさな言い方をするならば心酔したかのようなあの顔からは、どこか危険な雰囲気を感じた。
ネットやテレビでたまに見かける、新興宗教にはまった信者を彷彿とさせる気配。
(これは勘。あくまで勘だけど、保科と夏油を関わらせちゃいけないような気がする。やっぱり、確かめなきゃダメだ。それには、保科のことや、夏油のことを知らないと!!)
柊史が今までひどい目には遭っていなかったのは喜ばしい。
だが、この先どうなるかはわからない。
もしかしたら、自分は『今度こそ』柊史を見捨ててしまうことになるかもしれない。
本当の意味で、柊史を救う必要があるのかもしれない。
そのためには、今まで通り柊史や夏油、そして2人が行っていることについて知らなければならない。
その上で・・・
「ほら保科。バイトのために人と話す練習するなら、もっと仕事のこと話しなって。ちゃんと聞いてあげるからさ」
「あ~、そうだな。バイトのことを少しも話さないなんて不自然か・・・けど、あ~、守秘義務みたいな感じのがあって・・・」
「そこはほら・・・曖昧にぼかすとかしなよ。そういうのも練習だって」
(その上で、このバイトの手伝いは絶対に手放しちゃダメなヤツだ!!)
どういう理由か知らないが、柊史の方からくれた糸口。
それも、おあつらえ向きに柊史の話し相手になるという極めて和奏にとって都合のいいものだ。
これを利用しない手はない。
「社長の仕事は・・・あ~、そうだな。お悩み相談みたいな感じかな」
「コンサルなんだからそりゃそうでしょ。どんな相談事に乗ってんの?」
「う~ん・・・ちょっと待って。なんか言えそうなヤツ考えるから」
柊史は守秘義務があるとかであまり話せることはないようだったが、それでもこれまでに比べれば成果は雲泥の差だ。
結局、和奏は昼休みが終わるまで、柊史に食らいついていた。
(・・・なんか、仮屋からすごい熱気が伝わってくる。オレとしてはありがたいけど、本当になんでだ?)
その熱意が柊史にとって質のいいプラスの感情となって伝わっているのだが、それは柊史にしかわからないこと。
だが、『思ったよりも長くこの関係は続きそうだな』と、思わぬ臨時収入がそれなりに継続的に得られそうで、柊史は大いに満足したのだった。
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(はぁ・・・保科君と仮屋さん、追いかけられませんでした)
昼休みの柊史のクラスで、寧々は周りに悟られぬよう、密かにため息をついていた。
それというのも、寧々は四限目が終わる間際まで柊史たちから目を離さないように気を張っていたのだが、昼休みになってから動きを封じられてしまい、追いかけることができなかったのだ。
「綾地さん!!一緒にお昼どうかな?」
「綾地さん、こっち来ない?」
「綾地さん!!午後の授業の小テスト範囲教えて!!」
「あ、はい・・・」
朝と同じように、寧々を囲むクラスメイトの壁。
本人に自覚はないが、人気者である寧々にとってよくあることだ。
そして、心優しい寧々は自分の都合を優先してまで他人の申し出を蹴ることは『よほどのこと』がなければできない。
だから、寧々はクラスメイトたちの声を無視できずその場に留まらざるを得なかった。
寧々にとってはいつものこと。当然のことであり、それに対してどうということもない・・・はずだった。
しかし。
(保科君は、一昨日のことが原因で心の穴が広がってるかもしれない。ううん、もしかしたら、もっと前から。私の代償を初めて肩代わりしてくれたときから、心に負荷がかかってるかもしれません)
その心中は穏やかではなかった。
寧々にとって、恩人たる柊史のことは『よほどのこと』だ。
だが、動けなかった。
いつものことだと、オカ研でのお悩み相談のように、自分を頼ってくれる人のことを放っておいていいのかと迷った瞬間、人の壁によって道を塞がれてしまったのだ。
無理矢理通り抜けたところで、柊史と、そして仮屋和奏はもう目の届かないところまで進んでしまっている。
(私は、保科君のことを知らなきゃいけないのに・・・保科君に、少しでもお返しをしなきゃいけないのに・・・)
寧々の心の中に、後悔と罪悪感がじわりじわりと滲んでいく。
(今頃、保科君と仮屋さんは、どんなことを話しているんでしょうか・・・どうして)
--どうして、仮屋和奏は柊史の事情を知ることが許されるのか
--それに引き換え、どうして自分はこんなところにいるのか。
「・・・・・」
「綾地さん?」
「どうかした?」
「・・・いえ」
具体的に、その輪郭がわかったワケではない。
己の心の中で何が生まれようとしているのか、その自覚はまったくない。
「なんでもないですよ」
その場に、『心喰呪法』を持つ柊史はいない。
故に、寧々の心に黒い何かが宿りつつあることに、誰も気づきはしなかったのであった。
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※ 七緒は柊史からの話を聞き、和奏が割と好意的であること、柊史の特異性に気付いていることを察し、『よほどのことがなければ断らないだろう。人間観察の方法としても嘘ではないし』と思って提案した。
和奏の反応が塩だったのは柊史の聞き方が変態的だったから。
職場でもプライベートでもいろいろあって微妙な状況ですが、なんとかエタらず続けたい・・・
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