コントラクト・ガーディアン─Over the World─   作:tea4

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第二十八章―邂逅の果て―#14

 

「それでは───旦那様、リゼラ様。私どもは、一足先に邸へ帰ると致します」

「ああ。今日はご苦労だった」

 

 レド様の労いにラムルが一礼すると、ラナ姉さん、アーシャ、セレナさん、ハルド、バレスが倣って頭を下げた。

 

 6人が腕時計の【往還】を発動して消え失せ────この場にいるのは、レド様、私、ディンド卿、おじ様、シェリアだけとなった。

 

 

 慰労パーティーは、私がファルお兄様以外の参加者と個人的に言葉を交わすことはなく、特に心配したような事態にはならずに恙なく終了した。

 

 けれど────私にはまだイルノラド公爵と面会する予定が残っている。

 

 本当は、レド様とディンド卿にも、皆と共に先に帰っていて欲しかったが────レド様が同席することを譲らず、結局、レド様とディンド卿も立ち会うことになってしまった。

 

 私一人で会うつもりならば、面会は絶対に許可できないと言われては断れなかった。

 

 本音を言えば、イルノラド公爵に会いたくはない。だけど────今ここで決着をつけておくべきだと思ったのだ。

 

 今回のように協力せざるを得ないとき、わだかまりを抱えていては、大事な局面で支障を来たすこともあり得る。おじ様もそう考えたからこそ、私とイルノラド公爵を引き合わせることにしたのだろう。

 

 正直────イルノラド公爵と会話をして、両腕を失った公女の詳細や行く末を聞いて…、冷静でいられるか自信がない。口汚く罵り、嘲笑う───レド様の前で、そんな醜態を曝してしまうのではないかと思うと、怖かった。

 

「リゼ───ファルロ公子から、面会に同席したいという申し出があったんだけど、どうする?」

 

 暗い思考に囚われそうになったところで、おじ様の問いかけが耳に入って我に返る。

 

「……ファルお兄様が?」

「何でも、リゼに話があるようだよ」

 

 レド様はちょっと眉根を寄せたが、口は挟まなかった。私の判断に任せてくれるようだ。

 

 私もファルお兄様に訊きたいことがあるから、ちょうどいい。

 

「了承した旨を伝えてください」

「解った、伝えておくよ」

 

 おじ様は、私からレド様に視線を移した。

 

「殿下、お食事はどうされますか?ご希望なら、面会前に用意させますが」

「リゼ、ディンド───どうする?」

 

 慰労パーティーは日が傾いた頃に始まり、2時間ほどで終わった。今は午後7時半を過ぎたところだ。

 

 歓談の合間合間に少しずつ摘んではいたため、私としてはそれほど空腹ではないけど────レド様とディンド卿はどうだろう。

 

「レド様は、お腹が空いてはいませんか?」

「俺は大丈夫だ」

「ディンド卿はどうですか?」

「俺も大丈夫です」

「それなら、お邸に帰ってからにしませんか?」

「そうだな。────ロウェルダ公爵、気遣ってくれたところ悪いが、食事は不要だ。すぐに面会を始めたい」

「かしこまりました」

 

 おじ様が目配せをして、ロドムさんが場を調えるべく応接間を出て行く。同時に、シェリアが立ち上がる。

 

「それでは、わたくしは席を外します。────お父様、後をお任せ致しますわ」

「ああ、任せておきなさい。イルノラド公爵がふざけたことを言い出すようなら容赦はしないから、安心していていい」

 

 おじ様のその返答に、私は苦笑した。何とも心強い言葉だ。

 

 

◇◇◇

 

 

 ロドムさんに案内されて現れたのは────イルノラド公爵、その側近であるノラディス子爵、それからファルお兄様とノラディス子爵子息の4人だ。

 

 二人掛けのソファにレド様と私が並んで座り、その向かいのソファにイルノラド公爵とファルお兄様が座る。

 

 ディンド卿はレド様の、ノラディス子爵はイルノラド公爵の、ノラディス子爵子息はファルお兄様の背後に控えた。

 

 中立をとるように、一人掛けのソファにおじ様が座り直す。

 

「お時間をとらせてしまい、申し訳ございません───ルガレド殿下」

「俺のことはいい」

 

 頭を下げたイルノラド公爵に、レド様はそっけなく応える。

 

「その…、会ってくれてありがとう────ファルリエム子爵」

「……いえ。それで、私にお話とは?」

 

 普通にしようと務めるものの、声が低くなる。

 

「この十数年の我が公爵家の実情を調べ上げた。お前が、何故────冒険者とならざるを得なかったかを」

「………」

 

 イルノラド公爵は、その“調べ上げた実情”を話し出した。

 

 それは────すでに知っている事柄もあれば、初めて聞く事実もあった。

 

 そして、夫人と公女に留まらず、バセドを始めとした使用人たちに至るまで対処済みであることも語った。

 

 新年度まで時間もないし、公女が両腕を失ったこともあるから、精々、夫人と公女を謹慎させる程度だろうと思っていたので、これは少し意外だった。

 

 

 私に食事を出さないよう命じたのは、公爵夫人ではなくバセドだったという事実には、別に驚きはなかった。

 

 あの男が、私に充てられていた予算だけでなく、公爵家の資産を横領していたこともだ。秘かに所有する豪邸の存在や愛人の成金ぶりからすると、あの男の給金だけでは収支が合わないから、何となく予想はしていた。

 

 あの男が、その罪によって過酷なことで有名なドラテニワの鉱山に送られると────残りの人生を償いに費やすことになると聞いて、私は暗い喜びを覚えずにいられなかった。

 

 自分で考えていたよりも、ずっと────あの男を恨んでいたのだと自覚する。

 

 

 公爵夫人のことは────あの人が自分の妹を私に重ね合わせ、私自身を見てはいなかったのだと知っても、特にショックはなかった。

 

 むしろ────だから、この10年、私に会おうとしなかったのかと納得した。会えば、私が自分の妹とは別人だという事実を思い知ることになる。

 

 それに────あの人は、妹を重ねる以前から、私自身のことなど見ていなかったように思える。いや、私だけじゃない────ファルお兄様のことも公女のことも、誰一人としてだ。

 

 幼い頃、私たちが何かすれば、ちゃんと褒めてくれたし(いさ)めてはくれたが────いつも、どこか違和感があった。

 

 先代イルノラド公爵がバララニ伯爵家から公爵夫人を救い出したと聞いて、その違和感の正体がはっきりと判った。

 

 思い返してみれば────褒めてくれる、あるいは諫める際の夫人の口調と表情は、先代イルノラド公爵───私が2歳のときに亡くなったお祖父様の口調と表情にそっくりだった。

 

 実の両親から愛情をもらえなかったために、我が子との接し方が解らなくて、表面だけお祖父様の真似をしていたということなのかもしれない。

 

 そこに愛情があったかどうかは、もう本人に確認することはできないが、少なくとも私は愛情を感じていなかったように思う。

 

 だからこそ、私はあの人に“記憶持ち”であることを打ち明ける気にはならなかったし────公女は、あの人に特別扱いされることに舞い上がってしまったのだろう。

 

 そのせいか、公爵夫人が療養院に送られると聞いても────それが意味するのは死だと判っていても…、私は何も感じなかった。

 

 籍を抜かれ、互いに母娘だと認めていなくとも、血の繋がりは消えたわけではないのに────何の感慨も湧かない。

 

 

 公女のことだってそうだ。

 

 私なら、失った両腕を再生することができるが────そのつもりはない。

 

 【起死回生】を使えば、【神聖術】の存在を知られてしまうというリスクがあるし、バレスのときのように【魂魄の位階】が昇格してしまうのではないかという恐れもある。

 

 だけど────それらの問題がなかったとしても、私は【起死回生】を施すつもりはない。私が公女のために【起死回生】を使う気にはなれないからだ。

 

 バレスほどではないにしても、公女がこれから生きていくのも難儀となることが解っているのに────どうしても、公女を助けようという思いが微塵も湧いてこないのだ。

 

 

 私は、心の狭い───冷たい人間なんだろう。

 

 公女の性分は公爵夫人による偏った教育の影響が大きく、被害者だと言える。

 

 ましてや、私は“記憶持ち”だ。

 

 16歳で前世を終え、生まれ変わって16年になる。この国では誕生日を祝う習慣がなく、歳をとる実感が乏しいので、明確に自分が32歳だと認識しているわけではないが────それでも16歳という実年齢よりは長く生きている自覚があった。

 

 全ての事情を踏まえて俯瞰すれば────公女やファルお兄様の言葉に傷ついていた私は、幼気(いたいけ)な子供の憎まれ口を受け流せない度量の狭い人間として映るはずだ。

 

 公女やファルお兄様が幼いうちは、ちゃんと受け流せていた。公爵夫人の言葉をたどたどしく真似ているだけの戯言にしか思えなかったし────ただ、子供にそんな言葉を聞かせる公爵夫人に怒りを感じただけだった。

 

 けれど、ボキャブラリーも増え、内容が受け売りだとしても、会話にアドリブが利くようになってくると、次第に受け流すのが難しくなってきた。

 

 常に存在を否定され続け、どんなに反論しても聞く耳すら持ってもらえないというのは、かなりのストレスだった。

 

 考え方の狭い人間が勝手に決めつけているだけだと、取り合わなければいいと自分に言い聞かせても────負の感情は(おり)のように溜まっていった。

 

 特に、公女の嘲る表情と口調、笑い声は脳裏に焼き付いて、何度も甦っては私を苛んだ。

 

 

 加えて────社交界に蔓延する、私が我が儘で傲慢だという噂のこともある。

 

 冒険者ギルドの会議室で見たオルア様の強張った顔が浮かぶ。そして、皇宮での緊急会議で受けた───噂を真に受けたビゲラブナによる、あの侮辱。

 

 公爵夫人と公女が撒き散らした虚言のせいで、これからも、ああいう状況に直面するのだと───レド様や親しい人たちに迷惑をかけるかもしれないと考えると、到底、あの二人を赦すことなどできなかった。

 

「…っ」

 

 込み上げる怒りを押さえ込むべく、私は膝の上で固く握り締める。隣に座るレド様が、握った手をその大きな掌で、あの夜会のときのように包んでくれた。

 

 少しだけひんやりとした温もりに、昂っていた感情が静まっていく。

 

 視線を上げた、そのとき────イルノラド公爵の放った言葉が耳に届いた。

 

「……すまなかった」

「!」

「レミラとファミラ、バセドや使用人たちの様子にも、お前が置かれていた状況にも気づかず────何よりも…、6歳にしかならないお前に心無いことを言い捨て、虐げられる切っ掛けを作ってしまったこと────聴かされたことを鵜呑みにして、確認もせずに除籍してしまったこと────本当に…、すまなかった」

 

 それは、不意打ちだった。

 

 自己満足のための謝罪はしたくないと伝え聞いていたし、そのつもりなら開口一番にするはずだと考えていたから────何となく、今日は謝罪されることはないと思っていた。ただ結果を報せるためだけに面会を望んだのだろう、と。

 

 ファルお兄様のときと同じで、不快感はなかった。

 

 先に明らかになった事情を聴かされて────公爵がすべてを知った上で後悔していると思えたからかもしれない。きっと────最初に謝罪されていたら突っぱねていた。

 

「……一つお尋ねしてもいいですか?」

「何だ?」

「貴方は…、自分の神託が気に入らなくて拗ねた私が、部屋に引き籠っていると───勉強も修行もしないと聴かされ、それを信じてしまったと仰っていましたけど────簡単に信じてしまったということは…、私がそういうことをしそうな子供だと思っていたのですか?」

 

 イルノラド公爵は、言いよどむことなく答える。

 

「いや、他人を気遣える聡明な子だと思っていた」

 

 ファルお兄様や公女に玩具やお菓子を譲ったり、幼子にしては受け答えがしっかりしていたから、そう見えたのだろう。

 

 ちゃんと見ていてくれた───という安堵とも喜びともつかない思いと、だったら何故───という疑問とも怒りともつかない思いが交錯する。

 

 

 【記憶想起(アナムネシス)】の件で、自分の記憶も検証していて、思い出したことがある。それは、この世界に生まれ落ちて間もないときの記憶で────思い出さないよう、無意識に押し込めていた記憶だ。

 

 あのときの私は────起き上がろうとしても身体に力が入らないことに焦燥感を覚え、さらには“日本人”とは似つかない巨大な人間が現れては視界を塞ぎ、顔を近づけられると覆い被さられるような圧迫感に恐怖を感じていた。

 

 理解できない話し声も拍車をかけ、とにかく怖くて仕方がなかった。

 

 すぐに自分が赤ん坊になっていることに気づいたものの、何でそんな状況になっているのかが解らなくて────どんなに記憶を辿っても、夜の神事での剣舞を終えたところで途切れていて、後は微睡んでいるときのような感覚が微かに残っているだけだった。

 

 眼の端に映る大きなベッドに横たわった母親らしき女性は、疲れているからか一度も私に触れようとはせず、もしかしたら自分は歓迎されていないのかもしれない、と────不安まで芽生えていた。

 

 そんな状況の中、私は不意に覗き込んできた人間に抱え上げられ、大きな腕で抱き込まれた。再び私を覗き込んだその人は、嬉しそうに破顔した。

 

 その笑顔と私を大事そうに抱える腕の温もりに安堵して、私は強張っていた力が抜け────思わず声を上げて泣いた。

 

 泣く私に焦るその人の表情を涙越しに見ているうちに、いつの間にか恐怖心も不安も消え失せていた。

 

 

 公爵夫人とは違い、この人を完全に見限ることができなかったのは────この記憶が根底にあったからだ。

 

 私の誕生をあんなに喜んでくれていたこの人を────父を…、私は心の底から嫌うことができなかった。

 

 だけど────

 

「私────私は…、今はまだ、貴方を赦すことはできません…」

 

 10年は長い。その間───いくら邸を空けていることが多かったとしても、気づく機会が全くなかったとは思えない。

 

 この人が気づいてくれていたら、こんな結果にはならなかったはずだ。私たち兄妹が道を違えることもなかった。

 

 レド様やシェリア、仲間たちや孤児院の皆に出逢えて幸せだと思ってはいるけれど────それでも、この人が気づいて止めてくれていたらと、どうしても思わずにはいられない。

 

「……いや、赦せないのは当然だ。こんな言葉一つで赦されるとは思っていない。すまない────やはり言うべきではなかった。どうか、赦せないからといって気に病まないでくれ」

 

 イルノラド公爵は弱々しく首を横に振った後、再び口を開いた。

 

「レミラは…、おそらく、自分を虐げていた両親と妹と決着をつけられなかったために、妄執を抱え続けることになり、最後には囚われてしまった」

 

 そこで言葉を切って────そして、また躊躇いがちに続ける。

 

「レミラとファミラは近いうちに、この皇都を離れることになる。ファミラはともかく…、レミラとは今生の別れとなるだろう。その前に────あの二人に会うか?」

 

 イルノラド公爵の表情を見るに、私が公爵夫人と同じ轍を踏まないか心配しているようだ。

 

「いいえ、その必要はありません」

 

 だって────私は、公爵夫人とは違う。

 

 自分を出来損ないだなんて思っていないし────たとえあの二人のせいで無自覚にトラウマを抱えていたとしても、きっと道を誤ることはない。

 

 こうして手を握ってくれるレド様が、私のどんな小さな悩みも見逃してくれない親友が、共に歩むことを誓った仲間たちが────私が道を誤ることを許すはずがない。

 

「────そうか」

 

 イルノラド公爵は、安堵したように表情を緩めた。

 

 私はレド様の手から自分の手をそっと引き抜くと、内ポケットからマジックバッグを取り出した。さらに、その中から布袋を取り出す。

 

 硬貨が詰まった見るからに上質な布地でできた、その布袋は────契約の儀のために皇城へと向かう馬車の中で、ノラディス子爵より渡されたものだ。

 

「こちらをお返しします」

 

「……それは」

「“勉強も修行もしなかった出来損ないの次女”への援助金────でしょう?あのときはレド様の状況が判らなかったので、最悪の場合を考え、貰い受けましたが────このお金に頼らずとも、状況を改善することができました。ですから、お返しします」

 

 勿論、レド様に許可はいただいている。むしろ、絶対に返すよう言付かっていた。

 

「私は、“勉強も修行もしなかった出来損ない”ではなく────Sランクまで昇り詰めた冒険者です。そして、今は子爵に叙されています。

ですから────お金を援助していただく必要はありません。これは、イルノラド公爵家の再建の足しにしてください」

「だが、それでは」

 

 イルノラド公爵の反論を、私は遮った。

 

「貴方が、もし───もしも、本当に私のことを娘だと思っていて…、私の行く末を案じてくれるのなら────」

 

 私の言葉に驚いたイルノラド公爵が、改めて視線を向けてくる。

 

「私の伴侶となるレド様に仇なすようなことだけはしないと────そう、約束してください。お金など援助してくれなくても、それだけで十分です」

 

「っ勿論だ!約束する───いや、誓おう。娘婿となるルガレド殿下に、決して仇なすようなことはしないと────イルノラド公爵家の…、いや、我が祖イルネラドリエの名に懸けて誓う」

 

「え?」

 

 ────イルネラドリエ?

 

 私が聞き返そうとするよりも早く、ファルお兄様が口を開いた。

 

「俺も、公爵家次期当主として誓う。妹の夫となるルガレド殿下に決して仇なすようなことはしないと」

「我がノラディス子爵家も、主家のご息女たるリゼラ様のご夫君に仇なすことは決してしないと誓いましょう」

「俺も、子爵家次期当主として────ルガレド殿下に仇なすようなことは決してしないと誓います」

 

 続けて、ノラディス子爵とその子息が宣言する。

 

 ファルお兄様はともかく、まさかノラディス子爵たちまで誓ってくれるとは思わなくて、私は眼を瞬かせた。

 

「ノラディス子爵家だけでなく────我が家門の末端、傘下の貴族家に至るまで、決してルガレド殿下に仇なすことはさせないと誓おう」

 

 先程よりも落ち着いた声音で、イルノラド公爵が新たに宣言する。

 

「宣誓書こそないが────これは、我が祖の名に懸けた正式な誓いだ。破ることは恥ずべき非となる。ロウェルダ公爵、どうか立会人となっていただきたい」

 

「いいでしょう。────我、シュロム=アン・ロウェルダ立会いの下、宣誓は成された。これより、イルノラド公爵家、及び、ノラディス子爵家以下イルノラド公爵家に与する貴族家が、レーウェンエルダ皇国第二皇子ルガレド殿下に剣先を向けることは道義に反することとなる。

貴殿らが確かに宣誓されたことを────このシュロム=アン・ロウェルダが存ずるを、努々(ゆめゆめ)お忘れなきよう」

 

 イルノラド公爵、ファルお兄様、ノラディス子爵、ノラディス子爵子息が神妙に頷く。

 

「よかったね、リゼ。これで、イルノラド公爵家門と傘下の貴族家が殿下の敵に回ることはないよ」

 

 おじ様は明るい声でそう言い、いつもの微笑を湛えた。

 

 ………あ、これ、多分、おじ様の狙い通りの展開だ。表向きは私がイルノラド公爵家から除籍されたまま、秘かにイルノラド公爵家門と傘下の貴族家をレド様の味方につけるという…。

 

「イルノラド公爵の話というのは、これで終わりでよろしいかな?」

「ああ。このような場を設けてくれたこと、まことに感謝する───ロウェルダ公爵」

 

 考えていたよりも早く終わったな。

 

 やっぱり冷静なままではいられなかったけれど────危惧したような醜態を曝すことにはならなくて、心から安堵する。

 

 それに、イルノラド公爵との関係を完全に修復することはできなくても、話せたことは良かったと思う。気持ちに区切りがつけられた気がする。あの人たちや使用人たちの結末を知れたこともだ。

 

 レド様の手が私の手に触れ────私は自分から指を絡めて、レド様に肩を寄せる。

 

 

「さて───ファルロ公子も、リゼに用があるんだったね」

 

 そうだった。まだファルお兄様との話が済んでいない。私は慌てて、レド様の方に傾いていた肩を起こして、繋いでいた手を放した。

 

「それで…?リゼに何の用だ───イルノラド公子」

 

 レド様が、不機嫌そうに訊く。ファルお兄様は、苦笑を浮かべる。

 

「その…、リゼに会って欲しい人がおりまして」

「リゼに会って欲しい人物───だと?」

「あー…、いや、リゼに会って欲しい“女性”───です」

「私に会って欲しい女性───ですか?」

 

 もしかして、ファルお兄様の婚約者とか?

 

 ロドムさんが応接間を出て行った直後に、ノックの音が響いた。ファルお兄様の紹介したいという女性は、廊下で待機していたようだ。

 

 おじ様が許可を出すと、扉が静かに開いて応接間の中へと入って来る。

 

 女性にしてはすらりとした長身の凛々しい印象のその人は、慰労パーティーには出席しなかったためか───準礼服ではなく、乗馬服のような細身のショートジャケットとベストをアスコットタイが締められたシャツに重ね、やはり細身のスラックスにロングブーツを履いている。

 

 髪型は顎に届く程度のボブカットで、よく見ると後頭部にいくにつれ短くなるよう斜めにカットされていた。

 

 その人は、ファルお兄様ではなく、私の傍まで歩み寄り片膝をついた。そして、一度頭を深く下げた後、濃紫色の髪を揺らして、私を見上げる。

 

「……ユリアさん?」

 

 見知った顔に────私の唇からその名が零れた。

 

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