コントラクト・ガーディアン─Over the World─ 作:tea4
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「それでは、わたくしは邸に戻ることにいたしますわ」
ようやく出たジェミナ皇妃のその一言に、大袈裟に残念がる貴族たちに隠れて、マデク=アン・ダラリスは秘かに歓喜した。
「エスコートなさい、シェラド」
皇妃は、ろくに使わないくせに入念に手入れさせている右手を、最近の“お気に入り”であるシェラドと呼んだ金髪の優男に向かって差し出す。
「かしこまりました───皇妃殿下」
シェラドは、恭しく皇妃の右手をとる。
その柔らかい笑みは終始崩れることはなかったが、ふとした折に双眸が翳ることに、マデクは気づいていた。それがただの嫌悪なのか憎悪なのかまでは解らない。
しかし、シェラドが皇妃に侍る理由が、単なる権力欲ではないことだけは確かだ。だからといって、皇妃に対して忠義など持ち合わせていないマデクは、それを暴くつもりはなかった。
ゆっくりと退場していく二人の後ろ姿を、マデクは冷めた眼で見送る。
(今回の“お気に入り”は、いつまでもつことやら…)
マデクとしては、そのまま皇妃を繋ぎとめていて欲しいところだ。
肩を越す艶やかな金髪を緩く括り、瞳はありふれた緑色であるものの、切れ長の下がった目尻と緩い曲線を描く柳眉に、細面の中性的な美貌を持つマデクは、こうして夜会や行事に参加する度に皇妃の相手をさせられていた。
どうにか深い関係になることだけは避けられているが────皇妃の機嫌を損ねないよう注意を払って断らなければならないので、かなりフラストレーションが溜まる。
感情のままに、あの馴れ馴れしく腕や背に触れてくる無遠慮な手を振り払って、あの気色悪い笑みを浮かべる白塗りの顔を思いきり張り倒してやれたら、どんなに気持ちがいいか────
(堪えろ───せっかく手に入れた、優雅な暮らしを失くすわけにはいかない)
今にも噴き出しそうな感情を押し殺すべく、マデクは自分にそう言い聞かせる。
それに、今日は“お気に入り”がいた分だけ、マシだった。ダンスの相手を強要されることもなく、自邸までのエスコートを命じられずに済んだ。
(それにしても、あの女は相変わらず同じような男を侍らせているな)
皇妃の気に入る男は、自分を含め、いつも似たような───明るい髪色の表情の柔らかい優男ばかりだ。
皇妃は、この国の宰相で筆頭公爵家の当主である、シュロム=アン・ロウェルダにつきまとっていたこともあるという。
確かに、いかにも皇妃が好みそうな優男ではあるが────先代ベイラリオ侯爵の威光に阿るような、あるいは権力で押さえつけられるような男ではない。屈服させられるはずもないことは判りきっているのに、本当に愚かな女だ。
殉職した自分の親衛騎士、ウォルス=セス・オ・ガラマゼラを忘れられないのではないかと推測する者もいるようだが、調べた限りでは、後宮に上がる以前から───いや、ベイラリオ侯爵家に引き取られたときには、すでに同じような男を好む傾向があった。
皇妃の実母が愛人だった現ベイラリオ侯爵に捨てられて、母子共々貧民街で暮らしていた頃、家に出入りしていた実母の恋人の中で一番長く付き合っていた男が、そんな風貌だったらしく────おそらく、それが要因となっているのではないかと、マデクは睨んでいる。
どちらにしろ────皇妃の愛人になどなるつもりのないマデクには、いい迷惑でしかない。
(さて、いい加減、私も帰りたいところだが────)
視線を回らせて、周囲に気づかれないように小さく溜息を漏らす。
ようやく皇妃が退いても、まだジェスレム皇子が残っている。一応、皇妃一派に所属する身としては、ジェスレム皇子を差し置いて帰るわけにはいかない。
当のジェスレムは、荒んだ様子だ。自分の側近や護衛、パートナーを務める同門の令嬢に留まらず、ご機嫌を取りにきた貴族たちにまで口汚い罵声を浴びせていたが────それだけでは気分が晴れないようで、ひっきりなしに酒を煽っている。
自信過剰なジェスレム皇子は、ルガレド皇子の親衛騎士ににべもなくダンスを断られたことが、よほど癇に障ったらしい。
ルガレド皇子の親衛騎士────リゼラ=アン・ファルリエム。
白皙の肌に漆黒の髪が映える、蒼い双眸が印象的な美しい少女だ。ジェスレム皇子が目を付けたのも理解できる。
(だが────あれを見つけたのは、私が先だ)
ジェスレム皇子よりも、そう───ルガレド皇子よりも。
(まさか、こんな所で会えるとは……)
リゼラを初めて目にしたのは、旅先の劇場でだ。
あの娘が舞台に立った瞬間、総毛立ったのを今でも覚えている。そこらの女とは一線を画す、あの美貌────そして、誰よりも軽快な、あの切れのある動き。
今日の夜会で披露したファーストダンスでも、他の皇子のパートナーなど───いや、夜会に出席していたどの女とも比べ物にならないくらい際立っていた。
あれを────あの少女を、是非ともマデクの“人形”にしたい。
見初めたときは、同行者がいた上にまだ旅程も残っていたため、
後から劇団に手駒を差し向けたものの、それらしい女優は見当たらなかったとのことだった。それでも諦めきれなくて、劇団やその周辺を探らせたけれど何も掴めず、どうしたものかと思っていたのだが────
ファミラ=アス・ネ・イルノラドが腕を欠損して、ジェスレム皇子の親衛騎士を続けられなくなったと聞き及び、“人形”に加えるつもりで意気揚々と上京したが、欠損したのが両腕と知って断念したところだったので────夜会でリゼラが現れたときには、興奮を抑えるのが大変だった。
(あの娘が、イルノラド公爵家の“出来損ない”と噂の次女だったとはな)
それも、次に狙っていた───美貌を謳われる“双剣のリゼラ”と同一人物だったとは。
同じ黒髪に蒼い双眸とは知っていたが、“双剣のリゼラ”はその立ち振る舞いから貴族令嬢である確率が高いとの情報を得ていたため、劇団で女優をするとは考えられず、ただの偶然の一致だと思っていたのだ。
魔物の集落騒ぎが収束してから皇都に到着したマデクは、ルガレド皇子の親衛騎士が“双剣のリゼラ”だと知って、この夜会でその姿を目にするのを楽しみにはしていた。
それが、マデクが探し求めていた存在だったなんて────運命を感じずにいられなかった。
姉のファミラも苛烈な印象の美人で悪くはなかったが、リゼラの清冽さを感じさせる美貌には及ばない。
加えて───魔獣や魔物の群れ、凶悪な盗賊団ですら単独で退けるほどの実力を誇ると聞いている。ますます、マデクの“人形”に相応しい。
(さて…、問題は、どうやって手に入れるか───だ)
リゼラは生家であるイルノラド公爵家の籍を外されているから、その点に関しては問題ない。
嫡子である兄との関係性は悪くはないみたいだが、実父には見放されているとのことなので、イルノラド公爵家の庇護はないものと見做していいだろう。
リゼラの主となった、あの底辺皇子───ルガレド自身も問題ない。
叙爵して公爵になったとはいえ、未だ後ろ盾もなく、権威などないに等しい存在だ。リゼラを溺愛しているらしいのは少々厄介ではあるけれど、そんなことは、やりようでどうとでもなる。
ただ、一つだけ懸念点があった。それは────ルガレドには“闇兵”を返り討ちできる配下がいるということだ。
皇城内に潜ませていた“闇兵”は、いずれも精鋭だった。それを全滅させるなど、相当な手練れに違いない。おそらく、祖父であるファルリエム辺境伯が生前に遣わしたのだと思うが────リゼラを手に入れるに当たっては障害となり得る。
給仕役の侍従が持つトレイから、グラスを乱暴にひったくって仰ぐジェスレム皇子を、マデクはちらりと見遣る。
(あの馬鹿皇子を使うか?────いや…、あれは役には立たないな)
リゼラに執着しているらしいジェスレムを利用することを考えたものの、すぐに切り捨てる。
ジェスレムは、母の皇妃ほどではないにしても、気まぐれなところがある。それに、皇妃と同じくらい愚かだ。想定通りに動かないどころか、足を引っ張るであろうことは、容易に予想できる。
(では、どうするか……)
考えを回らせつつ、マデクは視界に入った侍従に合図して招き寄せて、差し出されたトレイから色鮮やかなカクテルが入ったグラスを手に取る。
ふと、リゼラの出自が頭を過った。
イルノラド公爵家の次女であるということは、実母はレミラ=アス・ル・イルノラドということになる。アミラの実姉である───レミラの娘ということに。
(それならば─────“あれ”が使えるかもしれないな……)
ルガレド皇子は、これから“特務騎士”として皇国各地を渡り歩くような生活を余儀なくされる。当然、親衛騎士であるリゼラも、それに随従するはずだ。
だとしたら、いくらでも攫う機会は作れるだろう─────
マデクは、口元に浮かんだ