コントラクト・ガーディアン─Over the World─ 作:tea4
「お待ちしておりました───ルガレド殿下、リゼラ様」
昼下がりにサヴァルさんの商館を訪れると、すぐに応接室へと通され、サヴァルさんに出迎えられた。
挨拶を交わして、勧められるまま座り心地の良いソファにレド様と並んで座る。すかさず、ディンド卿とミュリアがそれぞれの後ろに立つ。勿論、姿をくらませたジグとレナスもだ。
ディンド卿もミュリアも、すでに紹介済みなので、二人の存在には特に触れることなく、本題に入る。
「こちらが、試作品となります」
サヴァルさんはそう言って、目の前のローテーブルに並べられている品々を掌で示した。
“
そして、蓋の裏に鏡を嵌め込み、時計を埋め込む場所にはファンデーションもしくはチーク、それらを塗るための“パフ”が収められている。
懐中時計の売り上げが落ち着いてきたので、何か新しいアイデアはないかとサヴァルさんに相談されて、前世の記憶を参考に提案したものだ。
シェリアに渡した通信用魔導機構をコンパクト型にしたのは、これが頭にあったからだった。
これなら、懐中時計のケースを応用できるだけでなく────懐中時計の特許はケースに施されている技術を対象としているので、新たに特許をとる必要がない。
当然、これは女性向けで────蓋に施された装飾も、シンプルながら女性が好みそうな花や小鳥などをモチーフにしている。
現在この周辺諸国で出回っている化粧品は、ドレッサーとセットになっているもののみで────脚のついていない箱のような比較的小さめなものでも大型のトランクほどの大きさがあり、化粧品だけでなく化粧道具一式込みなので価格も結構な額となる。
ドレッサーの購入者が詰め替え分や替えの道具を注文することはできるが、単品での販売はしていない。
まずは、仕事の合間や出先で化粧直しするための持ち歩き用として、貴族家出身の女性騎士、化粧をしなければならないような貴族家の侍女、商家の夫人や息女に売り出して────ゆくゆくはラインナップも充実させ、金銭的な理由あるいは住宅の事情などでドレッサーを持つことのできない、貴族家のメイドや雑役婦、商会の女性従業員などにターゲット層を広げることを考えている。
グレードを設けるなりして、価格も相応にするつもりだ。
使い切ってもケースを再利用できるよう、購入者には低価格での詰め替え、交換用のパフの別売りを予定している。
「いいですね…、私が想像していたよりも、ずっと素敵です」
「お眼鏡に適ったようで、何よりです。リゼラ様のお気に召したと聞けば、職人たちも喜ぶでしょう」
「最近、工房の方には顔を出せていませんが────皆さん、お元気ですか?」
懐中時計を開発するに当たってお世話になった職人たちを思い浮かべながら、訊ねる。
「元気過ぎるくらいです。お時間が空いたら、また顔を見せてやってください。リゼラ様にお会いできなくて、かなり寂しがっているようですから」
「ええ、そうします。とりあえずは、サヴァルさんの方からよろしく伝えていただけますか?」
「リゼラ様にお褒めの言葉を戴いたと伝えておきますよ」
「お願いします」
私はコンパクトの一つを手に取って、そっと開けてみる。
私が成人祝いに貰って愛用している懐中時計よりも二回りほど大きいものの、掌に収まるサイズだ。パフの持ち手も、元来の木製の摘まみではなく、前世であったような指に引っかけて固定する細いリボンになっていて、蓋を閉じるのに支障はない。
これなら、持ち歩いて、出先で化粧を直すこともできるだろう。
「そうだ───これ、劇団に売り出してもいいかもしれませんね。女優だけでなく俳優も化粧をしますし、公演の合間につけ直すのに良さそう」
動きの激しい役柄だと汗だくになるから、出番が終わって引っ込むたびに化粧台に戻って塗り直さなければならなかったことを思い出して、そう提案する。
エルの話だと、地方の町や村々を巡って庶民向けに“お芝居”をする場合、舞台と背景となる壁だけしか設けられていない“野外劇場”であることが多く、楽屋どころか舞台袖すらないみたいだから────舞台裏で簡単に化粧直しができるなら、便利かもしれない。
「いいですね。今なら多くの劇団が逗留しておりますから、早速、打診してみます」
「口紅はやはり難しいですか?」
「そうですね。うちの従業員たちに試してもらいましたが────家で使用する分には良くても、持ち歩くとなると、やはり筆を別に持ち歩かないといけないのが不便なようでした。
これに収まる筆を作ってみたものの、パフと違い、使いにくい上に持ち手に口紅がついてしまうので、あまり実用的ではないかと。
職人や従業員たちにアイデアを募ったものの、今のところ、それを解決するような良い案は出ていません」
この大陸で広く使われている口紅は、前世のような“スティックタイプ”ではなく、筆で掬いとって塗るしかないため、筆は必須だ。指を使う人もいるけど、それだと指を拭うなりしないとならなくなる。
「それなら…、いっそケースの形を変えてしまうというのはどうでしょう?もう少し細長く────短い筆が収まる大きさの楕円形にするとか」
私が挙げるまでもなく、いずれ行き着くアイデアだろうし、素人の分際でちょっと差し出がましいかなと思いつつも口にする。
「蓋が開く仕掛けを応用すれば、今持っている特許が適用されますよね?
真ん中で仕切って────いえ、それより、口紅と筆を収める窪みをつけたケースのようなものを嵌め込んだ方がいいでしょうか。とにかく、別々に収めるようにすれば、筆が汚れることもないかと」
「……それは、いいですね。すぐに職人たちと検討してみます」
「今提案したケースを作るなら、ファンデーションとチークの両方を入れたものも、バリエーションに加えてもいいかもしれませんね」
「それも考えてみます」
それなら、持ち歩くコンパクトは二つで済む。
ふと、前世の“クラスメイト”の姿が頭を過る。
あまり交流のない子だったが────学校帰りに彼氏と待ち合わせをしているとかで、トイレに“化粧ポーチ”を持ち込んで、“放課後”に化粧しているところを何度か見かけたっけ。すごく手際が良くて、感心したのを覚えている。
化粧が済んだら、シャツを第二ボタンまで外して彼氏にプレゼントされたらしいネックレスもつけてたな。
「……装身具とセットにして売り出してもいいかもしれませんね」
「装身具と?」
「ええ。これに収まるような───小ぶりのイヤリングやネックレスなどとセットにするんです。チャームと蓋の装飾の意匠をお揃いにしたら、そんなに高級なものでなくとも、何だかちょっとだけ特別な感じになりますし」
前世で、幼い頃買ってもらった玩具にそういうのがあったな。
コンパクトケースもチャームも“プラスチック”で、値段相応のちゃちな造りだったけど、デザインがすごく可愛くて────身に着けたら、少し大人に近づけたみたいで嬉しくなったことも思い出す。
「化粧をするような女性なら、装身具を身に着けることもありますよね。
鏡がついているから、休日だけでなく、出先で付け替えたり仕事終わりにつけたりできるので────化粧品と併せて売り出せば、ドルマでなら需要がありそう。首元を出しているとは限らないから、ブローチでもいいかも」
ドルマ連邦は、もう長いこと景気が安定していて、その恩恵が広く行き渡っている。
特権階級や富裕層は勿論、庶民でも化粧を軽く施して小ぶりのアクセサリーを身に着けている女性をよく見かける。
レーウェンエルダでも通いで勤める貴族家のメイドや大きな商会の売り子をする女性なら需要があるかもしれないけど、割合としては少ないし────皇妃一派の専横による不景気で、貴族ですら娯楽にお金を惜しむ傾向にあるから、そう利益にはならないだろう。
アルドネ王国は────まだ難しいかな。
聡明な女王とやり手の宰相の下、4年弱という短期間で景気はかなり良くなっていて、レーウェンエルダとは反対に庶民の生活も向上してきてはいる。
つい半年前に訪れたときには、政変以前はあんなにいた浮浪者も何らかの職と住処を得て路上から消え、廃墟となっていた多くの店舗跡に新たな商店が入って商店街を成し、住宅や街路も手入れがなされ────地方の村から王都に至るまで様相が大きく変わって、道行く人々の表情や交わされる声は明るかった。
庶民でも娯楽やお洒落を楽しむ余裕も出て来たようで、店先には生活必需品以外のものも意外と並んでいたものの、まだまだ“ささやかな贅沢”のように感じた。
私が見た限りでは、木片を加工したチャームを革紐で吊るすような、低価格の装身具が数を占めていたから、売り出すとしたら、もう少し後の方がいいだろう。
ミアトリディニア帝国に至っては、8年前の敗戦の影響で平和主義に傾いているとはいえ、身分至上主義は健在で、貧しい生活を余儀なくされている庶民には娯楽や装飾に手を出す余裕などない。
王侯貴族や特権階級の女性は、持ち運び用のドレッサーを使用人に運ばせて、化粧直しは侍女に任せるだけなので────そもそも、コンパクト自体の売り出しを想定していなかった。
「なるほど…。それは、いいかもしれませんね」
サヴァルさんはそう言ってくれたが、素人の思い付きだ。
まあ、商品にはならなくても、【創造】で創り上げて、職を得た子供たちに贈るのもいいかもしれない。
冒険者になる子には装備一式、商会などの従業員となる子には懐中時計と硝子ペン、ミナのようにお針子となる子には裁縫道具一式を贈っていたけれど────貴族家や商家の雑役婦になる子にはハンカチや髪留めくらいしか贈るものが思いつかなくて、ちょっと不公平に感じていたんだよね。
あ───でも、他の子も欲しがるかな。
それなら、就職時には手荒れを抑えるクリームなどを入れたコンパクトを贈って、装身具は独立する女の子全員に贈ることにしたらどうだろう。
似合う傾向や好みもあるだろうから、可愛い系とかシンプルで大人っぽいのとか、いくつかパターンを作って────
「成人のお祝いにしてもいいかもしれないな…」
「それはいいですね。チャームとケースのデザインを凝ったものにして、貴石は使ってもアクセント程度で…、庶民でも頑張れば出せるくらいの価格にすれば────合わせて男性には懐中時計を贈ることを定着させることができれば、客層も広がる」
私の独り言にサヴァルさんが食いつき、真剣な表情で考え込む。
懐中時計は貴族や官吏、商人、高ランカー冒険者には普及しつつあるが、庶民にはそれほど広まっていない。
皇妃一派を一掃し景気が回復すれば、いずれ庶民にも娯楽や服飾品にお金をかける余裕ができるはずだ。行事や習わしに結び付けて定着させられたら、安定して利益を得られる。
「貴重なご意見をありがとうございます、リゼラ様。
先程仰られていたような───普段使いにできるグレードのものを売り出せるかも、職人や従業員たちと検討してみます」
サヴァルさんはにっこり微笑んでそう言った後、満足げに付け足す。
「貴女が皇都を出立なさる前にと、職人を急がせた甲斐がありました」
やけに早く試作品ができたと思ったら、急がせてたんだ。
「私の都合で無理をさせてしまったようで────本当にすみません。皆さんにも申し訳ないと伝えてください」
「いえ───ご意見を伺いたくて、私が勝手にしたことですので、リゼラ様に謝っていただく必要はございません。この機を逃すと、数ヵ月───下手をすれば一年はお会いできなくなりますから」
「懐中時計や今回の化粧ケースの件に関してはサヴァル商会に一任しておりますし、私の意見を伺わなくとも進めてくださって構いませんよ」
「ありがとうございます。ですが───私がリゼラ様にお会いしたかったのは、特許の持ち主としてのご意向を伺うためではなく、純粋にご意見を伺いたかっただけなのです。
この大陸とは系統の違う異文化を参考にするだけでなく、各地の情勢や風習を踏まえてのリゼラ様のご意見は、私のような者にとって貴重なものなのですよ」
「各地の情勢や風習については、各国に支店を持つサヴァル商会の方が詳しいのではないですか?」
「勿論、企画に係わるような従業員には、広い視野を持たせるために各地の支店に転勤させてはいますが────ひとつの支店に少なくとも数ヵ月は勤続させねばならないので、各地を巡るには数年がかりとなります。
風習はともかく、情勢は移り変わるものです。滞在期間を最小限にして情報収集だけをするにしても、それなりの時間を要するのに────短期間で各地を渡り歩くことのできるリゼラ様には、到底、敵いません」
サヴァルさんの言葉に興味を惹かれたようで、レド様が口を挟んだ。
「その言い方だと、リゼの移動速度がかなり突出しているように聞こえるが」
「お聞きの通りです、殿下。通常───別の街や村あるいは他国へと渡る際は、魔物や魔獣、盗賊を警戒して、商隊や“旅団”を結成して集団で移動するものです。
何らかの事情で移住する者や行商人などは、お金を支払ってそれらに参加させてもらうか、護衛として冒険者パーティーを雇って移動するしかありません。
冒険者も同じです。冒険者は馬を扱える者は限られるので、移動中の旅具や食糧を運ぶための馬車や馬を調達するだけでなく、馭者を雇うしかないのですが────そうすると馭者や馬の旅費も負担せねばならず、その分だけお金が嵩みますし、小型の馬車はあまり需要がないため手に入りにくいといった事情もあります。
大抵の場合、商隊や行商人の護衛依頼を受けるか────もしくは他の冒険者たちと“旅団”を結成することになります」
複数のパーティーでお金を出し合って大型か中型の馬車と馬を買い、メンバーの中に馬を扱える者がいれば任せられるし────たとえ馭者を雇うことになっても、単独で負担するよりは安く済む。
馬を所持している馭者を雇えば、その分賃金が高くとも、場合によっては馬を購入するよりもお金はかからない。
他国に渡るなど長距離移動を予定している旅団は、さらに解体師も雇うことになるが、それでも安上がりなのだ。
これは、小さな商会や行商人が寄り集まって、商隊を結成する場合にも当て嵌まる。
ちなみに、購入した馬車と馬は、解散する際に現地の業者に買い取ってもらうことになる。勿論、売上金は参加者に分配される。
「乗客が定数に達すれば出発する“乗合馬車”というものもありますが────それは一部地域間に限られ、該当地域でも行き先によっては、やはり先に述べた方法をとるしかありません。
いずれにしても、同じ方向に向かう商隊や商人、あるいは冒険者パーティーがいなければ、現れるまで待機するしかなく────半月以上足止めを食らうのも珍しいことではないのです」
サヴァルさんは一息ついて、続ける。
「ですが───リゼラ様は違います。単独で盗賊団や魔物の群れの殲滅、魔獣の討伐が可能であるため、必ずしも集団で移動する必要はありません。
また、解体もお手の物で食材を現地調達できるため、食糧を大量に持ち歩かずとも良いのです。最低限の旅具を携帯すれば事足りる上に、馬術にも長けているから、馬を1頭調達するだけで済みます。
現在は【収納袋】もお持ちですから、旅具や食糧も容易に持ち運びできるようになっただけでなく────討伐した魔獣や魔物の素材を一部だけでも持ち帰って売れば、馬にかかった費用の補填どころか利益になります。
同じ方角に向かう商隊や冒険者パーティーが現れるのを待つだけの無為な時間を過ごすことなく、ご自分の都合で出発することが可能である上────身軽な単騎であるために、動きの鈍い商隊や旅団よりも遥かに速く移動することができるのです」
「………」
サヴァルさんの説明を聴いたレド様は、何故か無言になった。
あれ、これは────お、お怒りでいらっしゃる…?
「……リゼ」
「は、はい」
「そんな────危険なことをしていたのか…?」
「い、いえ、無謀なことはしていませんよ?確かに、一人で移動することもありましたが────それは、商隊や旅団に同行させてもらった際に通過したことのある…、ちゃんと状況を把握している径路だけです。
魔獣や盗賊に限らず、何か異変がないか、出立前に情報収集するのも怠らないように心がけていましたし────大雨の後に崖の側を通ったり橋を渡るような径路は避けるなど、天候や環境も考慮するようにしていましたし…!」
必死に弁明する私を見かねたのか、サヴァルさんが口を挟む。
「お気持ちは解りますが、殿下────今は殿下がお傍におられますし、常に従者をつけられているようですから、今後はリゼラ様がお一人で移動するようなことにはならないでしょう」
「……そうだな」
サヴァルさんの言葉に冷静になったらしく、レド様は溜息を
サヴァルさんの言う通り、私が一人旅をすることは二度となさそうだ。というか───させてもらえないだろう。
ああ、もう一人ではないんだ、と────これからは…、レド様だけじゃない、仲間たちが共にいてくれるんだと、そう思い当たって────何だか、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「殿下は本当にリゼラ様を大事に思っていらっしゃるのですね」
「当然だ」
間髪入れずに答えてくれたレド様は、それにしても───と続ける。
「リゼの行動範囲が広過ぎる気はしていたが────まさか、そんな危険なことをしていたとはな…」
そして───最後にまたもや溜息を一つ
※商隊や旅団が使用するのは複数の大型や中型の馬車、行商人が使用するのは中型の馬車となります。ちなみに農家が野菜の出荷に使用するのも中型の馬車です。