コントラクト・ガーディアン─Over the World─ 作:tea4
夕食は、テントの外で焚火台を囲んで全員で摂ることになった。
「うわぁ、いい匂い…!」
「すっげぇ美味そう…!」
「このスープ、前に食べさせてもらったことがあるけど、すっごく美味しいよ!」
オーク肉をふんだんに使った、具沢山の“豚汁”が並々と入った大鍋を覗き込んで、ヴィドとラギとアーシャが何やら興奮気味に話している。
大鍋が置かれているのは、クロスを被せた大型トランクだ。
「姉上───これは、スープマグよりもスープ皿の方がいいですよね?」
「そうね。大きい具も入っているから、スープ皿の方がよさそうだわ。きっと、沢山いただきたいでしょうし…」
「それなら、スプーンも用意しないと…」
アーシャたちのすぐ側では、バレスとセレナさんは配膳のことで何やら相談していて、ハルドはその横で二人を見守っている感じだ。
そんな微笑ましい光景とは一転────こちらの一団には、重苦しい雰囲気が漂っていた。
「あの…、ルガレド様?どうされましたか?」
不機嫌オーラを全身に纏うレド様に、ディンド卿が躊躇いがちに訊ねる。
「………別に何でもない」
「いえ、何でもないという感じでは…」
「放っておいても大丈夫ですよ、ディンド様」
「ルガレド様は、思い通りにいかなくて拗ねているだけですから」
「………おい、子供扱いするな」
レド様は、レナスとジグをじろりと睨む。
「何だ何だ、何かあったのか?」
ヴァルトが明らかにワクワクしている表情で、ジグとレナスに訊く。
「カデアとラムルがいないのをいいことに、リゼラ様との共寝を目論んでオレたちに阻止された────それだけだ」
「え、別に共寝くらい良くないか?主殿とリゼラ様は婚約されているんだし」
ちょ───何言い出すの…?!
「そうだろう?!そう思うよな?!」
「ヴァルト、無責任なことを言うな。ルガレド様が勢いづいてしまったじゃないか」
「ディンド様────貴方はどう思われますか?」
ジグが、ディンド卿に水を向ける。
「確かにルガレド様とリゼラ様は婚約しておられますが…、リゼラ様は“記憶持ち”と言えど、まだ16歳────ティエラ様と2歳しか違わないのです」
「エルと2歳しか違わない…」
「そうです。まだ異性との共寝は早いとお思いになりませんか?」
「それは────ジグの言う通りだ…。エルと2歳しか違わない年齢で共寝なんて早過ぎる…!」
ディンド卿は低い声で呟くと、勢いよくレド様に振り向いた。
「ルガレド様、リゼラ様に異性との共寝は早過ぎます。そのような無体は、どうかおやめください」
「っく、ジグの奴…!」
…………ジグは側近も務まりそうだよね。
◇◇◇
細い三本足の“五徳”に取っ手のない大きな“中華鍋”を載せたような───焚火台に積み上げた薪が、パチパチと音を立てて小さく爆ぜ、炎を閃かせて燃え盛るのを眺めながら、皆で温かい豚汁をいただく。
こういう雰囲気で食べる豚汁は格別だ。お椀とお箸ではなく、深めのスープ皿とスプーンなので、ちょっと違和感があるけれども。
「これは…、すごく美味しいですね。初めていただきましたが、何のスープですか?」
私の左隣に座るミュリアが、ほぅ、と一息ついてから誰にともなく訊ねる。応じたのは、ミュリアの左隣に座るセレナさんだ。
「ミュリアさんは、“お味噌汁”は初めてでしたか」
「オミソシル?」
「何でも、リゼラさんの前世の故郷の…、“お味噌”という調味料を使ったお料理だそうです」
「そうなのですか。では、この白い───“塩むすび”でしたか。これも?」
「ええ。これは主食だったらしいですよ」
ミュリアとセレナさんは弾んだ声音で、また豚汁に話題を戻して話し続ける。
熱血気味なミュリアと物静かなセレナさんとでは気性が合わないように思えるが、意外と話しやすいようだ。
最近、アーシャはラギとヴィドと一緒にいることが多いし────今回、ラナ姉さんは随行していない。
ヴァルトや私、ハルドとバレスがいるとはいえ、セレナさんが寂しい思いをするのではないかと心配していたけれど、杞憂だったみたいだ。
ミュリアも、今のところ仲間たちと旨くやっているようで────私は小さく安堵の息をついた。
隣り合って座るバレスとハルドは、豚汁や塩むすびを食べる合間に、ぽつぽつと言葉を交わしている。
談笑とまではいかないようではあるが、表情を見るに、どちらにも歩み寄る意思があるように思えた。
親友とはいかないまでも、同じレド様の侍従同士、何かあればフォローし合えるような間柄になってくれたらいいな。
アーシャ、ラギ、ヴィドは、スープ皿とスプーンまたは塩むすびを手に、はしゃいでいる。
ちょっとお行儀が悪いかなとは思うものの、三人揃ってする初めての野営だ。はしゃいでしまうのも無理はない。レド様とは離れた位置だし、今日のところは大目に見て、次は注意することにしよう。
ディンド卿とヴァルトは、大人の男同士、二人で何やら談笑していて────私の右隣に座るレド様は、相変わらずジグとレナスとじゃれ合っている。
私の足元に伏せたヴァイスの背中には、ぐっすりと眠るネロが未だに貼り付いている。
馬車の向こう側では、ノワールを始めとした馬型の精霊獣たちが、ブランとグレナと共に寛いでいるはずだ。
「ふふ…」
仲間たちの様子を眺めているうちに、じんわりと胸に込み上げるものがあって────私は、思わず笑みを零した。
それに気づいたレド様が、問いかける。
「リゼ、どうした?」
「いえ…、何だか楽しいな───と思いまして」
笑みで緩んだ表情のまま答えると、レド様の私に向ける眼差しが優しい色を帯びる。
「リゼは野営が好きなんだな。馬車の構造やテントの仕掛けを考えていたときのリゼは、本当に生き生きとしていた」
「そうですね…、あのときは本当に楽しかったです。それに────レド様の仰る通り、こうやって皆で火を囲んで食事を摂ったりするのも好きです」
“林間学校”での“キャンプファイアー”を彷彿させるからかな。
友達とお泊まりすることは勿論、いつもとは全く違う特別な“授業”や、“旅館”などとは違う“宿泊施設”の独特な雰囲気、いつもより不便な環境が、とても楽しかった記憶がある。
「だけど、それだけではなくて────これまで経験した、どの野営よりもずっと…、楽しい気がします。レド様や信頼する仲間たちとの野営だからでしょうか」
「俺も…、これまで行かされた遠征での野営や、記憶に残る“一度目の人生”での野営とは比べ物にならないくらい、とても楽しく感じている。
本来、これは任務の一環なのだから、もっと気を引き締めるべきで────仲間たちに流れ者のような生活をさせることを、主として不甲斐なく思わなければならないところなのだろうが…」
正直、この待遇は皇妃のせいであって、レド様には何の責任もないとは思うけど────仲間たちの中には、もしかしたら、各地を点々とする落ち着かない生活を苦にする者もいるかもしれない。
「レド様────少なくとも私に関しては、不甲斐なく思われる必要なんてないですよ。私が旅暮らしを苦に感じることはありませんから。古代魔術帝国の超技術や魔術のおかげで、通常よりも快適に過ごせますしね。
そもそも、レド様と一緒なら…、どんな生活だってきっと楽しいし────幸せです」
「ありがとう…、リゼ」
その笑みに胸を締め付けられる感覚に陥りながらも、レド様に笑みを返していると、私たちの会話を聴いていたらしいミュリアが、おずおずと口を挟んだ。
「あの…、私もです。私も────今まで経験したどの野営よりも楽しく感じています。
それに、リゼラ様と出逢う前の何もかもを失くしたと思っていた日々に比べたら…、仕えるべき主がいて、協力し合える仲間たちがいるこの生活は、本当に夢のようで────私に関しましても、殿下が引け目に思われる必要などございません。
大体、諸悪の根源は皇妃たちです!殿下は何も悪くありません!」
「私もミュリアさんと同意見です。悪いのは────皇妃やベイラリオ侯爵家、それに阿る輩です。殿下が不甲斐なく感じる必要など、何処にもないと思います。
それから…、この野営をこれまでの野営よりも楽しく感じているという点でも、同感です」
ミュリアの向こうから、セレナさんが朗らかに言う。
「そうか────ありがとう、二人とも」
レド様は柔らかな笑みを湛えて、お礼を述べる。
ディンド卿とヴァルト、ジグとレナスは、黙ってこちらの会話に耳を傾けていた。私たちを見守る、その眼差しは温かい。
「………就寝もリゼと共にできたら、もっと幸せになれるんだがな」
「まだ諦めていなかったんですか」
「いい加減しつこいですよ、ルガレド様」
レド様の呟きに、私より早くジグとレナスが反応する。
「しばらくは、二人きりで過ごすことができないんだぞ。共寝をするくらいいいだろう」
レド様は拗ねたように返した。
確かに───これまで、夕食後は必ずと言っていいほど、サンルームか自室の脇にあるテラス代わりのガゼボで、二人だけで過ごしていた。
この状況や防犯面から鑑みて、私たちが二人きりになるのは難しいだろう。
折を見て、お邸で休息をとることを予定してはいるものの、いつになるか判らない。
だから、当分の間、二人きりで過ごすことは諦めるしかないと、ちょっと寂しく思っていたのだけれど────レド様も同じ気持ちでいてくれたんだ。
レド様は、早く国を安定させるためにも、この任務に力を入れられているようだったから────食後の習慣を続けられないことについては、割り切られているのだと勝手に思い込んでいた。
「それでは────食事を終えたら馬車の屋上に上って…、少しの間、二人で月を眺めませんか?」
「馬車の屋上で月を?」
「ええ。今夜は雲一つなくて、遮られることのない月は、満月でなくとも見応えがありますから────レド様と眺めたいです」
「それはいいな。俺も、リゼと眺めたい」
嬉しそうに表情を崩したレド様に、私も嬉しくなりながら、ジグとレナスに許可をもらうべく視線を向ける。
「ジグ、レナス───いい?」
「仕方がないですね。ルガレド様の鬱憤が溜まっても面倒なことになりそうですし」
「まあ…、【結界】も張っていますし、下から見守ることができますから、それくらいは」
レナスもジグも、渋々といった感じだが許してくれた。
◇◇◇
「思ったよりも高いな。結構、遠くまで見渡せる」
屋上に上がると、レド様は周囲を見回して感嘆したように呟いた。
「それに、月が近く感じる」
「ふふ…、そうですね」
レド様の言葉に空を見上げれば、辞令式の日から少しずつ欠けてきた、
私は、この旅で使うために創っておいた大きな円いクッションを二つ取り寄せた。適度に柔らかく、軽く押し潰したような形状なので、座りやすい。
「お座りになりませんか、レド様」
「ああ、そうだな」
レド様がクッションにお座りになったのを見計らって、ハーブティーが入ったマグカップを取り寄せる。
「どうぞ」
「ありがとう、リゼ」
食後のお茶を差し出すと、笑みを零してレド様はそれを受け取った。
後方は街道や草原、緩く下っている前方には森が果てしなく広がっていて────遥か向こうに山の稜線が走っている。
視線を遮るものが何もなく、眼下で
そして────天には、皓々と輝く二つの月。
月を眺めながら、温かいマグカップを両手で握って、口元へ運ぶ。仄かに香るハーブティを一口含むと、また、じんわりと込み上げるものがあった。
さっきは“楽しい”と表現したけれど、これは“楽しい”というより────
「幸せだな…」
レド様がぽつりと口にする。何だか私の気持ちを代弁されたようで驚くと共に、レド様が同じように感じてくれたことに嬉しくなる。
「本当に」
私は、心から同意して頷く。レド様が嬉しそうに笑みを深めた。
「寒くはないか?」
「私は大丈夫です。レド様は?」
「俺も大丈夫だ」
もう秋も半ばだ。あと一月もすれば、冬に入る。私たちが出逢った3ヵ月前よりは、少しだけ気温が低くなった。
ただ───この国には四季があって、紅葉が見られるくらいには季節による気温差もあるものの、極端に寒い、あるいは暑いということはない。
冬になれば防寒はするけど、肌を出さないよう着込んで、厚手のマントを羽織るだけで事足りる。
雪が降ることもあるが、建物の1階部分が埋まってしまうほどの大雪にはならない。
私が知る限り、大国で領土も広大であるにも関わらず、特に地域差もないようだ。
以前は『異世界だから』と流していたけれど────改めて考えてみれば、ここまで気候が安定しているのは不自然に感じる。
でも、古代魔術帝国が関係していたのならば、それも納得できる気がした。
「月光が煌いて、とても美しいな」
「そうですね」
レド様の仰る通り、夜の闇や色が深く沈んだ森に降り注ぐ月光が瞬くように煌き、まるで現実とは思えない光景だ。
「リゼとレナスの前世の世界では、月が一つしかなかったんだったか?」
「はい。それに、ここまで大きくはなかったので、夜もこんなに明るくはありませんでした」
「そうなのか?」
「前世の私が暮らしていた場所は、ですが。大きな都市では夜が暗くならないと聞いた記憶がありますから、ひょっとしたら、他の地域では同じくらい明るかったのかもしれません」
「つまり、リゼとレナスの前世の故郷では満月だとしても、欠けた月が一つしか昇らない夜───あるいは二つの月のどちらも細くなる夜のような暗さだった、ということか?」
「あ、いえ───もっと暗くなります。“無明の夜”に近いです」
“無明の夜”とは、何年かに一度だけ訪れる月が一つも昇らない夜のことだ。
そう考えると、この世界の夜空が明るいのは、月が三つあることだけが原因ではないのかもしれない。
もしかして、大気中の魔素が月光に反応しているとか?
「……もっと?」
「はい。その代わり、星の輝きが強くて────夜になると、空には月とたくさんの星々が散りばめられたような光景になるんです」
今見上げている空には、煌く月光に紛れて、幾つかの星がぽつぽつと見られる程度だ。
「リゼの前世の世界には、星がそんなに存在しているのか?」
「はい」
レド様は驚いて、目を
まあ、月光が強すぎて肉眼で捉えられないだけで、この世界にももっと星が存在していそうだけど。
「星空は綺麗なだけでなく、季節や地域によって様相が変わるので、星を眺めるのを趣味としていた人もいたくらいです」
「……本当に、別世界なんだな。聴けば聴くほど、こことはかけ離れていて───想像もできない」
「そこまでかけ離れているということもないですよ。たとえば、人間や動物などは似た姿ですし、植物も共通しているものも多いです。それに、一年や一日の長さ、日数の区切りなども同じです」
この共通点も、よくよく考えてみれば、不思議なことだ。
今私たちが存在する大地は“惑星”で、大きさだけでなく“自転”や“公転”まで、“地球”と同じであり────動植物も、同じような進化を辿ったということになる。
十進法が同じように浸透しているのは、人間の指が両手合わせて十本なので計算しやすいといった理由から偶然そうなったとしても、それほど不自然ではないが────時間が60進法なのは、とても偶然とは思えない。
それから、前世の世界に、“冒険者”やその在り方についての似たような観念、エルフや一部の魔物の似通ったイメージ、魔物や鉱石などにも同じ名称が“空想”とされながらも存在していたこともだ。
尤も、時間の概念とエルフや魔物、冒険者の観念、同じ名称などは、“記憶持ち”の存在が関係しているのではないかと思っている。
私とレナスのように、過去に世界を越えて転生した事例があってもおかしくはない。その中に、もし“記憶持ち”がいたとしたら────
「そうか…、リゼの馬術は前世の記憶を辿って身につけたと言っていたな。それなら、“馬”がいたということだよな」
「はい。ただ───私が知る限りでは、この世界の馬ほど大きくはなかったですけど」
「そうなのか?」
「ええ、ノワールたちくらいの大きさでした。多分、前世の馬だと、2頭だけでこの馬車を牽くことはできないと思います。人間においても、この世界の人間ほど身体能力は高くありませんでした」
「まあ…、魔物がいないのなら、屈強である必要はないだろうしな」
「必要性もそうですが、魔素も関係していそうです。前世の世界は魔素が少なかったから、魔物も生まれることなく、人間や馬なども影響を受けることがなかった────そういうことなのではないかと」
「なるほど。植物にも共通のものがあると言っていたな。
ということは────相違がある、もしくはこの世界にしか存在しないものは、魔素の影響を受けたものだということか?」
「すべての植物を調べたわけではないので、確実なことは答えられないのですが────おそらくは。
ただ、マーデュの実やミグレ茸、それにレド様が援助してくださった“輝く薔薇”については、前世の世界に存在していなかった理由は判明しています」
「それは?」
「前世の世界で、あれらが存在していなかったのは────古代魔術帝国が生み出したものだからです」
「………古代魔術帝国が生み出した?」
「そうです。現在では同系統のものを交配するなどして改良していくところを、古代魔術帝国では魔術や魔導機構で改造したり別種の植物を合成したりして、都合の良い植物を創り出していたらしく────“マーデュ”や“ミグレ”というのは、どちらも開発者に因んだ古代魔術帝国時代の名称が、“デファルの森”のように変化したものみたいです」
“輝く薔薇”においては、【
その意味合いだけが残ったのか、あるいは特徴から改めて同様の名称がつけられただけなのか────どちらもあり得る。
“マーデュの実”は、皮は林檎のように紅く艶やかで、果肉は桃のように適度に柔らかく、味は“蜜柑”のように甘さの中に程よく酸味があるという────色々な果物を混ぜ合わせたような実だと思っていたら、本当に色々な果実を魔術で合成して創り出されたものらしい。
しかも、魔素がある環境下なら、一年を通して安定した味の実をつけるよう施されているとのことだ。
「“ヴァムの森”に繁殖している薬草────あれも、どうやら古代魔術帝国に生み出されたようですよ。ポーションにも使われているのだそうです。
現在は単に“薬草”と呼ばれていますが、古代魔術帝国では“ミグラリエウス草”という名称だったみたいです」
「…“ミグレ茸”と似ているな。もしかして、開発したのは同じ者か?」
レド様の言葉に、私は笑みを零す。さすが、レド様だ。
「レド様のお察しの通りです。“ミグレ茸”の正式名称は“ミグラリエウス茸”といい、魔素さえあればどのような状況下でも育つらしいです」
ミグラリエウス草───薬草の方も、魔素がある限りどんな状況下でも繁殖するようになっているみたいだ。
もしかしたら、“ヴァムの森”にはディルカリダ側妃が意図的に植えさせたのかもしれない。
「やはりか。それにしても…、ミグ、ラリ…エウス?────“ディルカリダ”といい、“イルネラドリエ”といい、古代魔術帝国の人名は覚えにくそうなものばかりだな」
「ふふ…、確かに」
「名称といえば────“ブラン”と“グレナ”はどういう謂れなんだ?エルディアナ語ではないのだろう?」
「はい。前世の世界の言葉で────“ブラン”は“焦げ茶色”と“白”を意味する二つの同音異義語、“グレナ”の方は“赤茶色”を指す色名です。どちらも毛色に因んでいます。
ちなみに、ネロと、ノワールを始めとした馬型の精霊獣たちの名は、すべて“黒”の意味で────“ヴァイス”は“白”を意味します」
「そうだったのか。では、“ナハト”や“ノーチェ”たちは?」
「そちらは、すべて“夜”を意味する言葉です」
「なるほど────前世の世界の“暗い夜”に因んだというわけか」
「その通りです」
レド様が察してくれたことが嬉しくて、私はまた笑みを零す。
「リゼはちゃんと考えて名付けているんだな」
「いえ───見た目から単純に名付けただけなので」
そんな風に感心されてしまうと、いたたまれない…。
「単純だとしても、ちゃんと個性を考慮して名付けている。俺なんか、何も考えずに名付けたからな」
「そうなんですか?」
「ああ。俺の愛馬は、10歳のとき爺様が連れて来てくれた、軍用に改良された大柄な白馬だったんだが────俺は、単に“レニ”と呼んでいた」
「エルディアナ語の名詞ではありませんよね。何かの略語ですか?」
「いや───ただ“レド”という自分の愛称に響きを似せただけで、意味はないんだ」
「そうなんですか」
白馬を“レニ”と呼ぶ小さなレド様────想像するだけで可愛い…。
「レニはどんな馬だったんですか?」
「気難しいが、辛抱強い────とても賢い馬だった。染み一つない純白の毛色をした
そこで言葉を切ったレド様は、ふと淡紫の瞳を陰らせる。
レド様の愛馬は、ファルリエム辺境伯家が解体された直後、皇妃に命じられた使用人が放逐してしまったとされている。
ラムルが詳しく調べ上げたところ────その使用人は野に放ったように見せかけて、商人に高値で売り払い、代金を懐に収めたようだ。
勿論、この使用人には、ラムルが秘かに相応の制裁を下している。
馬はどの界隈でも需要がある。
最初に買った商人が売却した後、レニが何度か転売されたところまでは突き止めたものの、そこで手掛かりが途切れて────現在は行方知れずとなっていた。
私は、レド様にそっと肩を寄せる。
「大丈夫ですよ───レド様。とても賢い馬だったんでしょう?きっと、レニは何処かで生きていてくれるはずです」
「そうだな…。ディンドやエルも無事でいてくれたんだ。リゼの言う通り────レニも、きっと無事でいる」
「ええ、きっと」
「ありがとう───リゼ」
レド様も私に肩を寄せ、私はレド様の肩に寄りかかる。
そして────ジグとレナスが呼びに来るまで、私たちは肩を寄せ合ってお互いの温もりを感じながら、空を見上げて皓々と夜を照らす二つの月を眺めていた。