コントラクト・ガーディアン─Over the World─ 作:tea4
日が傾き、空の色合いが濃くなり始めた頃、現場を任せていた仲間たちが戻ってきた。ネイロさんも一緒だ。
変異種の運び出しだけでなく、こっそり姿をくらませたヴァイスをディンド卿につけ、変異種の餌場だったと思われる例の泉にも案内してもらったため、思っていたよりも時間がかかった。
「それでは────どちらの依頼も、確かに承りました」
ネイロさんは手渡した2枚の依頼書に眼を通して、用意しておいたお金を確認すると、そう告げた。
「変異種討伐の報酬については、“大掃討”を終えて再び来訪した際にお渡しするということでよろしいのですね?」
「ああ。警戒任務において、もし不足が発生した場合には、その報酬から一時的に立て替えておいてくれ」
「承知しました」
ネイロさんは、金貨を詰めた布袋を入れてある小さな木箱に依頼書を入れて蓋をする。そして、再び、私たちに向き直った。
「今夜は街に入らずにこのまま野営し、明日の早朝発つということですので────次にお会いするのは、“大掃討”の後になりますね」
「そうですね」
「変異種の件もマイコニドの件も…、貴女がたが通りかかってくれて助かりました。本当にありがとうございます」
「いや。こちらこそ、冒険者だけでなく、街や村のために心を砕いてくれて感謝する」
頭を下げたネイロさんに、レド様は表情を緩めて返す。
「リゼラさん───言うのが遅くなってしまいましたが…、成人と婚約、おめでとうございます」
「ありがとうございます、ネイロさん」
「貴女が冷遇されている第二皇子の親衛騎士に任じられ、婚約したと聞いたときは心配しましたが────杞憂だったようで、安心しました」
心から安堵したような表情で告げられ、ネイロさんがそこまで心配してくれたことに少し驚きつつ、私は笑みを零す。
ノイル兄さんの妹分である私のことも、妹のように思ってくれているのかもしれない。
「心配してくださって、ありがとうございます。仰る通り、ご心配は無用です。親衛騎士を引き受けたのも婚約も、自分の意思で選んだことですから」
「ええ、貴女が意に染まぬことに唯々諾々と従うような女性ではないことは判っています。ですが、あまり公には出ることのないお相手でしたので、心配になってしまったのです。しかし…、貴女に並び立つに相応しい為人、実力、人望を兼ね備えた人物だと判り────本当に安心しました」
………あれ?ネイロさんのこの表情、この口調────何だか、私を熱烈に褒め称えるときのミュリアを彷彿とさせるような────
「ところで───この支道を辿ってきたということは、モルやナリム、ロンナとはお会いしましたか?」
「え、ぁ、はい。少しですが、言葉も交わせました」
唐突に話題を変えられて戸惑いながらも、私は答える。
「では、ノイルが“大掃討”に参加していることも?」
「はい、聞いています」
「そうですか。ノイルが“大掃討”に参加するのは、これが初めてですからね。かなり、はりきっていましたよ。貴女と会えるのも楽しみにしているようでした」
「私も、ノイル兄さんに会うのは久しぶりですし、楽しみです」
レド様とノイル兄さんの対面は気がかりであるけど、数年ぶりの再会が楽しみなのは確かだった。
そういえば、ノイル兄さんも今期で成人したんだよね。会えるのなら、お祝いしたいな。
「貴女のことですから大丈夫だとは思いますが…、どうかお気を付けて」
「ありがとうございます。────警戒任務やダルの村の件、よろしくお願いします」
ネイロさんは改めて笑みを浮かべ、頷いた。
「それでは、私はこれで失礼します」
「…ああ。後は頼んだ」
「はい、お任せください」
ネイロさんは再び頷くと、足元に置いた木箱を持ち上げる。
木箱は小さいものの、硬貨の詰まった袋が二つも入っているせいか、意外と重量がある。持ち上げたネイロさんの腕に力が入っているのが、眼に見えて解った。
「ギルドマスター、よければ俺が運ぼう」
ディンド卿がそう申し出て、レド様の方を振り向く。
「よろしいですか、ルガレド様」
「ああ、運んでやってくれ」
「ガイラムの街に入るついでに、アノラ様にご挨拶をしてきても、よろしいでしょうか」
「ああ、勿論だ。夕食や野営の準備も粗方できているし、こちらは気にせず歓談してくるといい」
「ありがとうございます」
ディンド卿が再びネイロさんに向き直って手を差し出し、ネイロさんがお礼を言いながら木箱を渡す。
二人が踵を返して城門に向かい、この場を離れると、レド様がおもむろに口を開いた。
「さて────リゼ、ネイロとの間に何があったか…、聴かせてもらおうか」
「いえ、その…、そこまで大層なことでは」
「だったら、何故、あんなにリゼに対する思い入れが強いんだ?」
「ええっと…、多分、魔獣討伐で全滅しかけたところを助けたことがあるからではないか、と…」
「………魔獣討伐で全滅しかけたところを助けた?」
「はい。ある街に向かっている途中で、異変を感じて街道近くの森に入ったら、冒険者による魔獣討伐の最中だったんです。相手は四足型の魔獣だったんですが、それが巨大化している上に魔法を使う強敵で────私が駆け付けたときには、すでに死傷者が出ていて、参加していた5つのパーティーのうち3つのパーティーが瓦解していました。撤退しようにもできずにいたところに私が割って入り、残っていた2つのパーティーと共に何とか討伐した、という経緯です」
「ネイロも討伐に参加していた、ということか?」
「はい。瓦解してしまったパーティーのメンバーでした。ネイロさんは、それを機に現役を引退したんです」
そこまで話して、私は思い出す。
「あ───もしかしたら…、ネイロさんは、私がギルドに口利きをしたのだと勘違いしているのかもしれません」
「どういうことだ?」
「当時…、メンバーに死傷者が出てしまったことで、パーティーの解散を余儀なくされて────現役を退くことを決めたものの、行く当てもなく、ネイロさんは途方に暮れていました。だから、冒険者ギルドの職員になるのはどうかと提案したんです。ネイロさんは貴族令息だっただけあって、文字の読み書きもできますし、計算も得意でしたから。
そこで、ギルドに掛け合ったところ、ギルドの方も声をかけるつもりだったようで────ネイロさんは、すぐにギルド職員として採用され、しばらくしてガイラム支部のギルドマスターに抜擢されました。それを私のおかげだと勘違いして、恩に着ているのかもしれません」
「…………ギルドに採用されたのが、リゼのおかげではなかったとしても、ネイロが恩を感じるには十分だと思うが」
「オレもそう思います」
「信者になるのも当然か、と」
レド様、レナス、ジグが、呆れの混じった声音で口々に言う。その後ろで、ミュリアとセレナさん、アーシャの三人が興奮しているのが眼に入る。
あれ?それじゃ、やっぱり、私の自惚れではない?え、もしかして、モル兄さんとナリム兄さんの言っていた“崇拝者”って────ネイロさんのこと?
「まあ…、ネイロがリゼに入れ込むのも、冒険者の育成に力を入れるのも納得はできるな……」
レド様の仰る通り────ネイロさんは、ギルドマスターという立場だけでなく、仲間を亡くしているからこそ、冒険者たちに経験を積ませて、少しでも死ぬ危険性を減らしてあげたいのかもしれないな。
※※※
冒険者ギルドまで付き添い、受付カウンターの奥にあるらしい執務室にネイロが木箱を抱えて入っていくのを見届けたディンドは、踵を返した。
そして、カウンター前の待合スペースに隣接する食堂へと向かう。
ギルド内に踏み入った際、お目当ての人物が食堂の隅でお茶しているのを目の端に捉らえていたので、迷わずに進む。
「ご無沙汰しております、アノラ様」
「久しぶりだね、ディンド」
アノラの方も、ディンドが入ってきたことに気づいていたようで────変わらない笑顔を浮かべ、右手に掴んだマグカップを下ろして応える。
「まあ、座りなよ」
アノラの座る円テーブルの向かい側に置かれたイスを指し示され、ディンドは腰を下ろした。
この食堂の利用客は、大半が冒険者だ。
この街に滞在する冒険者は、先程まで行っていた変異種の遺体の運搬の報酬を受け取るためにカウンターに殺到していて、食堂には数えるほどしか客はなく────アノラとディンドが囲うテーブルの近くには、誰も座っていない。
「この国に戻ってきていたんだね」
「はい」
「坊やに仕えているんだって?」
“坊や”とはルガレドのことだろうと判断し、ディンドは肯く。
「叙爵されたそうじゃないか」
「はい。今は“ファリエ男爵”という立場をいただいております」
「そうか。────おめでとう」
「ありがとうございます」
「エルは呼び寄せないのかい?」
こうして近況を報告するのは初めてのはずだが────さすがというべきか、アノラは諸々の事情を把握しているようだ。
「あの子にはあの子の立場がありますから」
エルの生存を確信しているところを見ると、ウォイドが主宰する劇団で女優を務めていることも把握しているに違いない。
「────アンタにはすまないことをしたね、ディンド」
唐突の謝罪に、何に対して謝られているのか判らなくて、ディンドは困惑した表情でアノラを見返す。
「何を謝られることがあるのですか?」
アノラの表情が崩れることはなかったが、心なしか、その双眸が陰っている。
「………アンタが辺境伯の地位を継承するところまで見届けてから、出ていくべきだった。そうしたら────アンタもエルも追われることはなかったかもしれない。坊やが後ろ盾を失くすことも」
アノラの表情が一瞬、後悔に歪む。
「本当にすまない……」
「いえ、謝らないでください───アノラ様。あれは、俺の力不足が招いた事態です。アノラ様が責任を感じる必要はありません。それに────」
あのとき、ディンドとティエラを命に替えて逃がしてくれた者たちのことを思えば、これで良かったのだとは、口が裂けても言えないが────
「ルガレド様は、命を賭して従うに相応しいお方です。俺は…、今の立場を誇りに思っています」
かつて夢見た、辺境伯という大役に就く道は潰えてしまったけれど────ルガレドとリゼラの配下として、共に歩み、持てる力で以て支え、その背中を護れることを、ディンドは誇りに思っている。
「………そうか」
ディンドの言葉が本心からのものだと判ったのだろう。アノラの声音には、僅かに安堵の色が滲んでいた。そして、一拍置いて、アノラは表情を改めた。
「ディンド───アンタに頼みがある」
「頼み、ですか?」
「ああ。出来ればでいい────坊やだけでなく、リゼのことも気にかけてやって欲しいんだ」
「それは────勿論、リゼラ様はいずれ主の伴侶となるお方ですから、出来る限り、お護りする所存ですが……」
ディンドが叙爵したことを知っていたアノラが、ルガレドとリゼラが婚約していることを知らないわけがない。
二人の耳につけられた、婚約の証である揃いのイヤーカフだって目にしているはずだ。
ディンドにとって、リゼラが護るべき女主人であることは、当然判っているだろうに────改めて頼まれたことに、ディンドは違和感を覚えた。
「アンタ…、あの子といて何か感じないかい?」
「……何か、とは?」
「例えば────あの子の妙な運の強さ、とかさ」
アノラはそこで言葉を切って、ディンドの表情を窺う。ディンドが言葉にせずとも、答えを察したらしいアノラは、続ける。
「あの子は、どうも、強大な何かに護られているようでね。何だか厄介なものを背負わされているように思えてならないんだ」
「…………」
ディンドがどう返すべきか迷っていると、アノラは笑みを刷いた。
「その様子だと、アンタたちも同じことを考えているようだね。────坊やもかい?」
「……はい」
「そうか。なら、心配はいらないね」
アノラはそう言って、いつもの飄々とした表情に戻った。
「実を言うとね…、私はセアラ嬢ちゃんにも同じことを感じていたんだ。だから…、亡くなったと聞いたときは、本当に驚いた。坊やがその業を引き継いだのではないかと思っていたんだが────リゼと出逢って、解ったよ。ああ、この子が引き継いだんだ───って」
その声音からは、リゼラを案じているのが覗えた。
アノラが短期間を過ごしただけのリゼラを案じることには、何ら驚きはなかった。
だが────
「アノラ様は…、義姉上のことも気づいておられたのですね」
伯父は、アノラにセアラの事情は打ち明けていなかった。それでも、アノラは、セアラが抱えるものを感じ取っていたらしい。
だからこそ────セアラが亡くなったと伝え聞いて伯父の許に駆け付け、ファルリエム辺境伯領の留守を預かってくれたのだろう。
「────アノラ様」
「何だい」
アノラは、相変わらず、飄々と応える。
「どうか────ルガレド様のために、貴女のお力を貸してはいただけませんか?」
ディンドがガイラムの街にわざわざ入ったのは、アノラに挨拶するだけでなく、これをお願いするためだった。
いずれ、ルガレドが“護国の将軍”となったときの為にも、是非とも、アノラを引き入れておきたい。
ルガレドの意向は確かめていないが────ルガレドは、アノラには感謝の念だけでなく、信頼を寄せているように感じた。
「悪いけど、断るよ」
アノラは、にべもなく首を横に振る。
「もう、私のような老いぼれの出る幕ではないからね」
「そんなこと────」
否定しようとしたディンドの言葉を遮って、アノラは続けた。
「少し前にね…、弟のところに三人目の孫が生まれたんだ」
アノラの表情が、穏やかな───柔らかなものに変わる。
「だから、もう私が無理することはないと、弟に言われてね。血が途絶える心配はなくなった、これからは甥っ子も動けるから、私が出張る必要はない───とね」
(────血が途絶える心配?)
アノラの両親は皇宮の使用人という立場で、どちらにも貴族籍はなかったと聞いている。
アノラはレディナ皇姉殿下の親衛騎士となるにあたって子爵位をいただいていたようだが、それもレディナ殿下が亡くなった際に返上している。
継承するような身分もないはずだ。
血統に拘ることに疑問を感じて、ディンドは首を傾げた。
「レディナもロアドも、そして、セアラ嬢ちゃんも────護るべき者たちは、皆…、先に逝ってしまった。坊やとアンタ、エルの行く末だけが気がかりだったけど、それも、もう心配はいらないようだからね。後はアンタたちに任せるよ」
アノラは寂し気にそう告げながらも、どこか晴れやかだった。
「それに…、リゼに若造どもの指導を任されているからね。引き受けたからには、投げ出すわけにはいかない」
アノラのその言葉に、ディンドは、はっとした。
アノラがダルの村に赴くことは、リゼラの采配だ。妨げるべきではない────
「そうですね…、残念ですが────諦めます」
「そうしておくれ」
マグカップを持ち上げ口をつけるアノラを見て、ディンドは何も注文していないことに気づいた。
何か飲み物でも注文してこようと腰を浮かせたとき、アノラが思い出したように口を開いた。
「あ…、そうだ。坊やに言い忘れたことがあるんだ。アンタから伝えてくれないか」
「解りました。どういったことですか?」
「もし、“バルバドラ”の血筋が必要になったら、私の弟…、お父上の専属侍従であるジルトに申し付けてくれ───と。まあ、既に聞いているかもしれないけどね」
(────“バルバドラの血筋”……?)
「それは、どういう────」
ディンドが、その言葉の意味を問い質そうとしたとき────
「あ、いたいた。────アノラさん!」
ギルドに入ってきた商人らしき男が、アノラの名を呼びながら寄ってくるのが眼に入り、ディンドは口を噤んだ。