コントラクト・ガーディアン─Over the World─ 作:tea4
「やった、ミルク入りシチューだ!」
「ホントだ!」
大鍋を覗き込んだラギとヴィドが、歓声を上げる。
ミルクの入ったホワイトシチューは、孤児院ではそう頻繁には作れないため、子供たちにとっては偶にしか味わえない───ささやかなご馳走だ。
嬉しそうな二人に、笑みが零れる。
このシチューに使ったミルクは、マイコニドの件を報告するために寄った村で購入したものだ。せっかくだし、時間的に余裕もあったので、今日の夕食はホワイトシチューにした。
勿論、私の作るホワイトシチューに思い入れのあるレド様は、それを知った時点で、ラギとヴィドと同じく喜びを露にしている。
ミルクは、街に卸すタイミングでなければ、集落内で消費するしかないため過剰気味になる。
魔物の減少に伴って村の収入も減るだろうから、村にお金を落としがてら、購入することにしたのだ。
ついでに、鶏卵も同じ事情で、ミルクと共に購入している。それと、生活に支障のない範囲で、バターやチーズも譲ってもらった。
通過した二つの村と一つの町それぞれから購入したので、どれも結構な量になった。
私個人で購入したものは共通のアイテムボックスに入れ、ラムルとカデアに頼んで、孤児院に持って行ってもらうつもりだ。
はしゃぐラギとヴィドを微笑ましく思いながら、籠に入った円いパンを一つ手に取り、食べやすいサイズに切り分けていく。
「このパン、木の実が入っているのか?」
「ええ。ナッツが練り込んであるんです」
レド様に訊かれて、私は笑みを零して答える。
これは、ダルの村でいただいたもので、ドライフルーツに並ぶ私の好物だ。
外側はパリパリで中はふわふわしたパンの食感と、歯応えのあるナッツの食感────それに、時折ふわりと鼻を掠める炒ったナッツの香りを想像するだけで、食欲をそそる。
「こっちのパンには、入っていないようだな」
「はい。シチューに浸して食べたいという人には、こちらのパンを食べてもらおうかと」
「………どちらも食べたい、というのは駄目か?」
「勿論、両方を食べたい人はそうしてくれて構いませんよ。私もそうするつもりですし」
私は、もう一度笑みを零した。
◇◇◇
スープ皿やカトラリーの準備も終わって寛いでいると、ディンド卿がガイラムの街から戻ってきた。
「お待たせしてしまったようで、申し訳ありません」
「いや。アノラ女史とは、ちゃんと話せたか?」
「はい、おかげさまで」
「それなら、良かった。────では、夕食にするとしよう」
スープ皿にシチューを注ぎ、カトラリーと共に全員に配り終えると、夕食が始まった。
滞りなく夕食を終えて、皆で食後のお茶を味わう。
カップの中のお茶がなくなりかけた頃、機を窺っていたのか、レド様の向こう側に座るディンド卿が口を開いた。
「ルガレド様、アノラ様より伝言を預かっているのですが……」
「何だ?」
「“バルバドラの血筋”が必要になったら、皇帝陛下の専属侍従であるジルトに申し付けるように───と」
「ああ…、そういえば、ジルトはアノラ女史の弟だったな」
「え、そうなんですか?」
知らなかった事実に、私は思わず口を挟んでしまった。
「ああ。あまり似ていないが、そうらしい」
あの豪放磊落なアノラさんと、四角四面で繊細そうなジルトさんが姉弟だなんて、すごく意外だ。
「────ルガレド様は、この伝言の意味を理解しておられるのですね」
「ああ」
「お聞きしても?」
レド様は、少しだけ考える素振りを見せた後、口を開いた。
「アルゲイド侯爵家が、この国の始祖であるガルド=レーウェンの側近が興した貴族家であることは?」
「存じております」
「では────ガルド=レーウェンの側近は他にも二人いて、アルゲイド侯爵家と同じく貴族家を立ち上げていたことは?」
「聞いたことがあります」
「その二家は、デュランダム侯爵家、バルバドラ侯爵家と言い────どちらも、時を経る中で没落している。現在はアルゲイド侯爵家が残るのみだ」
「では…、アノラ様は、そのバルバドラ侯爵家の血筋ということですか?」
「そうだ。デュランダム侯爵家とバルバドラ侯爵家は、家門は解体され、家名も残されていないが────その血筋は名を変えただけで途切れることなく続いている。アノラ女史の家系が皇宮に保護され、役職を与えられて留め置かれているのは、そのためだ」
────保護して留め置いてまで?
「何のために、その血筋が必要なのですか?」
私と同じ疑問を持ったらしく、ディンド卿がレド様に訊ねる。
「俺も、詳しくは聞かされていない。ただ────始祖に
前の人生での俺はいずれ“護国の将軍”となることが定められていたから、アルゲイド侯爵家の次男とデュランダムの血筋である貴族家の子息が、俺の側近として取り立てられた。バルバドラの血筋には俺の側近を務められる者がいなかったため、アノラ女史が引き続き、俺の補佐官も担うことになったんだ」
「だから、アノラ様はレディナ皇姉殿下が亡くなられた後も退くことなく、国軍に身を置かれていたのですね」
「ああ。騎士団に所属していた叔父上を差し置いて伯母上が“護国の将軍”に就かれたのも、バルバドラの血筋であるアノラ女史が親衛騎士だったからだとも聞いている」
「……そうなのですか?」
「知っての通り────俺の父…、現皇王陛下は先代の第二皇子だった。第一皇子であった伯父上が亡くなられ、将軍職を継ぐはずだった父上が立太子することになって────将軍職には別の者が宛がわれることになった。
第三皇子であった叔父上が候補に挙がったものの、当時、バルバドラの血筋で側付きを担える者はアノラ女史とジルトしかいなかったんだ。しかし、アノラ女史はすでに伯母上の親衛騎士となっていた。
ジルトが父上の許を離れ叔父上の側付きとなることも検討されたが────ちょうどジルトには息子が生まれたばかりだったこともあって、ジルトは血統を繋ぐ役目を担い、アノラ女史が“護国の将軍”の補佐を担うことになったのだそうだ」
「アノラ様を補佐とするために、レディナ皇姉殿下が“護国の将軍”になられた───ということですか?」
ディンド卿の声音には、唖然とした響きがあった。
「………“始祖に肖って”というには、そこまでいくと何だか尋常ではありませんね」
私の言葉に、レド様は眉を寄せて頷いた。
「今となっては、俺もそう思う」
「レド様は、正式に“護国の将軍”に就任されていたんですよね?その際に、何か伝えられていないのですか?」
「いや、何も。あの当時の俺は…、座学を修め、騎士団の遠征などに参加し、団長補佐を経験させてもらったりしていたが────将軍としては未熟もいいところだったからな。5年間、とにかく経験を積むことに必死だった。
血族に受け継がれるものといったら、やはり真っ先に思い浮かぶのは────
「……皇城に張り巡らされた【障壁】や聖堂に施された【契約魔術】以外にも、何かが残されていたとしてもおかしくはないな」
ぽつりと、レド様が呟いた。
「そうですね」
まあ、どちらにしろ、それに関してはいずれ明らかになるはずだ。そう考え────私は、それ以上は話題を膨らませることはせず、ふと浮かんだ疑問を口にする。
「三人の側近と言えば────ジェスレム皇子には辞令を賜る前から側近が三人ついていましたよね。役職もないのに何故三人も、と疑問だったのですが…、もしかして、あれも始祖に肖ってなのでしょうか」
「おそらく、そうだろうな。前の人生では俺も、それで三人目の側近を選ぶことに────」
レド様ははっとしたような表情を浮かべ、そこで言葉を切って口を噤んだ。淡紫色の瞳が揺らぐ。
「レド様?」
私が呼びかけると、レド様は我に返って再び口を開いた。
「あ…、いや────何でもない…」
その声音には、動揺がはっきりと表れていた。
◇◇◇
「リゼラさん、後片付けは私たちがします」
「こちらはお任せください、リゼラ様」
食後のお茶を終わらせ、私が空になったマグカップを手に立ち上がると、セレナさんとミュリアがそう言って、未だ深く座り込むレド様をちらりと一瞥した。
ディンド卿を始めとした、他の仲間たちも頷く。皆、先程から明らかに様子のおかしいレド様を心配してくれている。
「……それでは、お願いします」
私は、差し出されたセレナさんの手に自分のマグカップを預けた。そして、レド様へと向き直った。
「レド様───今夜は人目がありませんし、久しぶりにサンルームで過ごしませんか?」
「あ、いや、俺は────いや…、そうだな…、そうするか」
レド様は一度断りかけたものの、観念したように力なく応じた。
数日振りに訪れたサンルームは、カデアがサンルームの片隅にある畑の収穫をしたのか、昼仕様になっていた。
何となく、いつものように夜仕様にして、レド様と二人、お気に入りのソファまで歩く。
共に転移してきたジグとレナスは、いつの間にか姿を消している。例のごとく隠し部屋に身を潜めて、私たちを見守ってくれているのだろう。
レド様は何事かに気を囚われているようで、心ここにあらずだ。
ノイル兄さんが側近だったという“アルス”さんかもしれないと思い至ってから、レド様が、普段通りに振る舞いながらも、ふとした瞬間に瞳を陰らせることには気づいていた。
私たちに心配をかけまいとしてか、平静を装っていたのに────今は、そんな余裕もないようだった。
ソファに二人で腰を下ろしたとき、レド様が口を開いた。
「すまない…、リゼ」
「何がですか?」
「ここに誘ってくれたのは、俺の様子がおかしかったからだろう…?心配をかけてしまって、本当にすまない…」
レド様は俯き加減で、私とは眼を合わせない。
「確かに…、ここに誘ったのはレド様の様子がおかしかったからというのが主な理由ですが────レド様が謝られることではないですよ。ただ、私がレド様を心配せずにはいられないだけなんですから」
私が何てこともないようにそう言うと、レド様はこちらに眼を向け弱々しく口元を緩めたものの、すぐにまた目線を落とした。
「────アルスさんのこと、ですか?」
私が切り出すと、レド様はぴくりと肩を小さく震わせた。
「………アルスは、俺が選んだんだ」
「側近に、ということですか?」
「そうだ。先に取り立てられた二人の側近は、アルゲイドとデュランダムの血筋の中で俺と近い年代という条件の下に選ばれたが────最後の一人は、候補とされる中から俺の気に入った者を選ぶよう言われて……、調練場に赴いて自分で選んだ」
「それが、アルスさんだったんですね?」
「ああ。すでに側近となってくれていた二人は誠実な人柄で、部下としてとても信頼していたものの────俺よりも年上だったこともあって、どちらも立場を弁えていて、軽口を叩ける間柄ではなかった。だから、俺は────同じ年頃で、俺の身分や神眼に臆することのない…、気安く軽口を言い合えるような側近が欲しかったんだ……」
レド様はそこで言葉を切って、少しだけ目線を上げる。
「アルスは、何と言うか…、不思議な奴だった。視野が狭いようでいて目敏くて、単純なようでいて決して頭は悪くない。惚れっぽいくせに一途で、振られても相手からは一目置かれるような────本当に変な奴だった」
アルスさんと過ごしたときのことを思い出しているのだろう。レド様の声音が僅かに明るい響きを帯びる。
しかし、話を続けようとして、レド様は唇を
レド様が意を決したように再び口を開いて、震える声で語り出す。
「………ミアトリディニア帝国と通じて戦争を起こした罪に問われたとき────俺は貴族牢に入れられ何度か尋問されただけで、皇族という立場上、拷問はされなかった。だが……、俺の────俺の代わりに…っ」
それ以上は言葉にできないようで、レド様の震えた声は途切れた。だけど────聞かなくても判る。
レド様の代わりに、三人の側近たちが拷問にかけられた────
「拷問に処せられた者は、その責め苦に堪えかね、犯してもいない罪を認めてしまうこともあると聞く。でも…、どんなに拷問にかけられても、誰も奴らが望む発言をすることはなかったそうだ…。
それで…、俺がその場に呼ばれ────その様子を────俺は、その様子を見せられて……、自白を促された」
声だけでなく、膝の上で握り締めたレド様の拳も震えている。私が身を寄せ、その拳を掌で包むと、レド様は拳を開いて私の手を握った。
「俺が罪を認めさえすれば、三人は解放すると言われたが────“敵国に通じた重罪人の側近”が無罪放免になるわけがない。だから…、だから、俺は────」
確かに、それでレド様が冤罪を受け入れたところで、今度は共犯としてその罪に問われることになる。
取引をして解放させたとしても、後々禍根となりそうな人物を生かしておくとも思えない。
「結局、証言や自白は得られなくても、後から湧いて出た証拠によって俺は有罪とされ────アルスたちも、爺様も…、皆、毒刑に処された。俺も斬首刑となった。どうせ…、どうせ有罪となって処刑されるのなら────あのとき認めていればよかった…っ。そうしたら、少なくとも、拷問による苦痛はあれで終わっていた…っ」
私の手に絡められたレド様の手に力が入る。
「あの一連の出来事は、もう…、なかったことになったのだと、頭では判っているんだ。だけど────っ」
レド様は顔を俯かせて、瞼を閉じる。
「騎士となったからには、戦場に駆り出されることは免れなかっただろう…。だが、俺に選ばれることさえなかったら、アルスは────拷問にかけられた挙句、毒刑に処されることなどなかったはずだ…。俺に────俺に選ばれさえしなかったら────」
レド様はそこで言葉を切って、弱々しく頭を振る。
「いや…、アルスだけじゃない。ゼレクとラエルだってそうだ。皆、俺の側近となったばかりに────俺の…、俺のせいで……っ」
「…っ」
これ以上、レド様に過去を思い出させては────考えさせては駄目だ。
私はソファから立ち上がり、レド様の正面に跪いた。
「レド様」
俯くレド様を覗き込んで、その意識をこちらに向けるべく、はっきりと呼びかける。続けて、強い口調で問いかけた。
「私が地下遺跡の【
レド様は私の突然の質問に驚いたらしく、弾かれたように顔を上げた。
「いや、本心に決まっている。俺が記憶を取り戻してしまったことが、リゼのせいであるわけがない…!」
「ですが────私の選択とレド様が記憶を取り戻したあの一連の流れには、明らかに因果関係がありました。それでも、あれが私のせいではないというのなら────側近であった三人が冤罪に巻き込まれたことは、もっと、レド様のせいであるはずがない、ということになりますよね?」
「だが、俺の場合は────」
「私の場合と、どう違うと言うのですか?」
「それは……」
言葉を詰まらせたレド様は、そのまま口を噤んだ。
「レド様───どんな事情があろうと、悪いのはレド様に冤罪を着せた先代ベイラリオ侯爵です。そして、先代ベイラリオ侯爵の
もし…、レド様に省みなければならない点があるとすれば────それは、ミアトリディニア帝国の侵攻を防ぐことはできなかったのか、という一点のみです」
私が言い切ると、レド様は右眼を見開いた後、苦笑を浮かべた。
そして────
「ああ…、そうだな。俺がしなければならないのは、残影に囚われることではなく────因果を省みて、あのような惨劇を二度と起こさないようにすることだよな…」
震えることのない確りとした声でそう呟き、私の背に両腕を回し抱き寄せた。私はレド様の膝の上に載せられ、その大きな胸板に抱き込まれる。
「すまなかった。レニのことで煩わせたばかりなのに、また煩わせて────」
レド様の言い回しに引っ掛かって、私は口を挟む。
「レド様は、生家のことで思い悩んでいた私を煩わしく感じていたのですか?」
「…っそんなわけないだろう!悩みの原因を取り除いてやりたいと思いこそすれ、煩わしく思うわけがない!」
「私だって同じです。レド様の望みを叶えるべく行動することが───悩みを解決するべく行動することが、煩わしいわけないじゃないですか」
「……そうだな。すまない」
「まったく、もう…」
私はレド様の胸元に頬を寄せて、唇を尖らせる。
私に巻き付くレド様の両腕に力が入り、それに応えるように私もレド様の腕を抱え込む。
レド様が私の頭にそっと口づけた。
「リゼ…、今夜はこのまま、俺の部屋で共に」
レド様がそこまで言いかけたとき────
「そこまでです、ルガレド様」
「それ以上は駄目ですよ、ルガレド様」
ジグとレナスが現れた。
レナスが私に視線を向け、告げる。
「リゼラ様───後片付けが済んで、寝床の準備が整ったようですよ。明日は早くに発つ予定ですし、そろそろ戻られてはいかがですか?」
そうですね───と私が口にするより先に、レド様が異議を唱えた。
「今日くらいは大目に見てくれてもいいんじゃないか?」
「リゼラ様の優しさに付け込もうなんて男らしくないですよ、ルガレド様」
「一人で寝るのがそんなにお寂しいのでしたら、カデアを呼んで差し上げましょうか?」
レナスとジグに言い返されて、拗ねた表情を浮かべるレド様の瞳には、もう陰りは見当たらない。
すっかりいつもの調子でじゃれあう三人に、それでも放そうとしないレド様の腕の中で、私は笑みを零した。
「ふふ…、皆の許へ戻りましょう、レド様」
レド様は名残惜し気な眼差しで私を見てから、表情を緩めて頷いた。
「そうだな…。戻るとするか────仲間たちの許へ」