本読んで、ご飯食べて   作:恵の鷹

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Episode of メジロアルダン

 

 

静謐な雰囲気が漂う美術館、ここは都内にある大きな総合病院から車で15分ほど離れた場所にある。

 

 

『親愛なるあなたへ』

 

 

今、私の目の前には木漏れ日の中、大きな大樹に背を預け、穏やかそうに微笑んでいる男性が見える。男性は40代から50代くらいの頃だろうか・・・

 

絵画越しであるのに、それでも彼が生来とても優しい人物であったことが伺える。

 

彼は昔、この男性が少ない世界ではかなり珍しい男性トレーナーだった方だ。

 

今でこそその数は徐々に増加しているとはいえ(それでも東京の学園でさえトレーナー全体の1割にも満たない)当時は貴重な男性への保護が充実してはおらず、大人であっても気軽に外出するような男性は少なかった。

 

もうずいぶん昔の絵画なのだが、それでもこの作品はこの美術館が開館して以来、常に一番大きなホールの中央に展示されている。

 

・・・この絵はさる有名なウマ娘の方が残した"遺作"である。

 

その方は絵画の男性トレーナーが初めて担当したウマ娘であり、当時体の弱かった彼女は彼の献身のおかげか大きなレースでは活躍できなかったものの、迎えた生涯最後のレースでは今でも残る記録的なレコードを刻んだ。

 

それがきっかけだったのだろうか。

 

その衝撃的な出来事にメディアは躍起になり、それまでも注目の大きかった男性トレーナーは私生活に踏み入られるまでにプライベートを浸食されてしまった。

 

最後は止む無くトレーナー業を引退するにまで追い込まれ、彼はひっそりと表舞台から姿を消したと言われている。

 

その時学園の理事長だった方はこの事件にかなり怒り、彼を特に害したメディアを声高に非難し倒産にまで追い込んだそうだ。またこれがきっかけで男性保護法の制定に大きな前進がみられたというのだからとても皮肉な話だと思う。

 

彼の所在が再び判明したのはそれから50年も後の事だった。それもすでに亡くなった後の事。

 

きっかけはあの担当ウマ娘だった方が死の間際にこの絵画を美術館の方に寄贈したことだった。生前の彼の意志だったらしい。

 

トレーナーを引退した彼はその後、担当ウマ娘の方から猛烈なアタックを受け、2人は必要最小限の知人に結婚を知らせるのみで穏やかに暮らしていたそうだ。

 

これはその時描いたもので、彼女はこのまま保管しておくつもりだったらしいのだが、彼はこれから男性トレーナーを志す人のためにも、自分の最後は幸せなものだったと伝えたいと言い残し・・・この世を去った。

 

実際に、この絵画に触発されてトレーナーの世界に踏み込んだ男性もいる。

 

それは男性だけにとどまらず、いまだ美術館にはこの絵画を見るためだけに国内国外問わず多くのウマ娘が来館している。

 

・・・私もその一人。

 

小さい頃におばあ様から連れてきてもらったことがきっかけだった。

 

その時の私はこのお話をおばあ様に聞いたとき、なぜか大泣きしてしまった。

 

彼が引退にまで追い込まれてしまったのが悲しかったのかもしれない、最後は穏やかな人生で良かったと安堵したのかもしれない。とにかく身体の内側から感情が溢れてしまって、自分でもどうして泣いているのか分からなかった。

 

ただ、その時隣にいた姉様が私の小さな手をぎゅっと握ってくれたことは覚えている。

 

 

それから・・・何か辛いことがあったり、気持ちが沈んでしまったときにはよくここに訪れている。

 

 

 

 

 

 

 

・・・いつの間にかホールには私一人。

 

・・・病院にて担当医師から言われたことを思い出す。

 

 

『非常に申し上げにくいのですが、やはり再発の可能性がここ最近極端に高くなっています。』

 

 

分かっていたことだった。

 

私は元来身体がとても弱く、レースにはとても出走できるような状態ではなかった。

 

一日をベッドの上で過ごすことだってしばしば・・・。

 

それでも同じように病弱だった姉様はその後急激に回復し史上初のトリプルティアラを達成、今では"メジロの至宝"と呼ばれるまでになっている。

 

憧れの姉様の後を追いたいと、私は無理を押し通し、"中央"へと入学。

 

無事に入学できたのも束の間、依然として不意に襲う身体の熱は私に自由を許さず、満足な練習を行えないままに"本格化"を迎えてしまった。

 

日に日に焦燥感が募る中、私の我儘を許してくれた母様や、病弱な私を自分の事のように心配してくれるルームメイトのチヨノオーさんの支えもあって私は少ない時間の中で最大限努力した。

 

選抜レースの際も自分に不利なダートであろうとチャンスがあるならばと迷わず挑戦した。

 

そのおかげか奇跡的に私と契約したいと仰ってくれるトレーナーさんにも巡り合えた。

 

心身のストレスが減ったからなのか、その後練習では順調にタイムも縮めることができた。・・・ここからだ、と思っていたのだ。

 

諦めなければいずれ、報われる日が来るのだと・・・。

 

けれど、あの日。

 

トレーナーさんと初めて挑んだ大舞台。

 

私はその日、今までにないほど体調が良く、トレーナーさんにも絶対に勝てると太鼓判を押されて意気揚々とレース場に足を踏み入れた。

 

観客の方々にも伝わっていたのだろうか、その日私は初出場で1番人気だった。

 

期待されて挑んたレース・・・姉様のように、私もメジロのウマ娘として誇りある姿を見せたい・・・。

 

 

『―――きたきたきたっ!!!!最終直線大外から1番人気メジロアルダンッ!!!!重心を低く保ち、まるで弾丸のようなスピードで先頭集団をごぼう抜きだー!!!!!!!』

 

 

あと少し・・・。

 

 

『これはもう決まりかっ?!・・・後続追い縋るが差は縮まらない!!!!!』

 

 

ゴールが見える。

 

 

『メジロのウマ娘はやはり強かったー!!!期待に違わず今っ!!メジロアルダンがゴー・・・・』

 

 

瞬間・・・私の脚がひび割れる幻影を見た。

 

 

『・・・・っと、これはどういうことだっ?!、、、メジロアルダン、急に失速・・・・ゴール直前で止まってしまった・・・。』

 

 

視界が真っ黒に染まり、身体が急激に熱を持ち始める。呼吸がうまくできない・・・周りからは誰かが必死に話しかけてくれるが、返事ができない。

 

身体を襲う猛烈な痛みと、先ほど見た幻影が脳裏に焼き付いて離れない。

 

震える身体からは、汗が止まらない。

 

あれは暗示だったのだろうか・・・これ以上は身体が持たないと・・・。

 

 

気付けば私は病室のベッドの上にいた。

 

側にはトレーナーさん、チヨノオーさん、ヤエノさん、姉様や母様。他にもたくさんの学友が私をお見舞いに来てくださった。

 

あの時、私の身体はかなり危ない状態だったらしい。

 

今までにない速度での走りは知らず知らず身体に極度の負担を強いていたみたいで、あのまま速度を出し続けていたら今頃は寝たきりの状態であってもおかしくなかったと・・・。

 

トレーナーさんは泣きながら私に謝っていて、私はそんなつもりは全くないのに・・・それでも彼女は謝罪を止めてくれなかった。

 

・・・母様からもこれ以上レースに出るのは止めてほしいと言われてしまった。

 

私の前で泣きながら、必死に懇願している母様を見て、私ももう我儘を通すわけにはいかなかった。

 

 

・・・・それから数カ月、リハビリの甲斐もあって無事に退院し学園に戻ってくることができた。それまでの周囲の励ましもあって、心身もかなり回復したと思う。

 

今はまだ未練がましく学園に在籍しているが、近く退学することも考えていた。

 

レースの世界で活躍できなくとも、何気ない日常の中にもたくさんの幸せは溢れている。

 

最近だって近くのお寿司屋さんで私よりも年下の男の子がお寿司を握っていた。

 

彼の握るお寿司は美食に慣れていたはずの私にも驚くほどの美味しさで感動してしまった。

 

・・・あの時、私の周りには姉様以外にも幼い頃から共にメジロのウマ娘として育ってきた皆の姿があった。そんな彼女たちを見て、私は少し先の未来を思い描く。

 

これから穏やかに年を取っていって、、彼女たちと笑い合って・・・そんな暖かい未来。

 

きっと素晴らしいもののはずだ。

 

・・・・・けれど。

 

・・・それでも、未練はなかなか消えてくれない。

 

 

 

・・・目を開ける。

 

辺りは暗闇に包まれている。

 

現在私たちは不慮の事故(←容疑者)で謹慎中の身だ。そもそも練習の必要のない私には関係ないのだが・・・。隣には先ほどまで随分と落ち込んだ表情でいたチヨノオーさんが安らかな寝顔をしている。

 

随分と長い夢を見てしまったようだ。

 

夢なんて、いつ以来に見るのだろう。

 

「・・・・・。」

 

・・・そろそろ、決断の時かもしれない。

 

いつまでも未練があるままこの学園に残ってはいられない。

 

最後に皆とお寿司を食べるという素敵な思い出もできた。元々寝たきりだった私には、最高の終わり方ではないだろうか。

 

「・・・未練、なんて。」

 

残していいはずがない。

 

あれだけ家族を心配させて、友人を、トレーナーさんを悲しませて・・・。

 

これ以上の我儘は皆を不幸にするだけだ。

 

いい加減に決断しなければ。

 

「・・・・・・・・・・・・・ですが。」

 

もう一度、隣で小さな寝息を立てているチヨノオーさんを見る。

 

一度でいいから、彼女と同じレースで走ってみたかった、互いに競い合いたかった・・・。

 

もう叶うことのないだろう、泡沫夢幻な私の願い。

 

・・・・いつの間にか頬を涙が伝っている。

 

 

 

「・・・ですが・・・もう少し、あと少しだけ、、、夢の中にいたいです。」

 

 

 

それで終わりにしますから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

「あのっ!このご本読んで下さいませんかっ?!」

 

「あっちにでっかい本があったよ!!!」

 

「私またホットケーキが食べたいですっ!!!」

 

「クレープ!!!」

 

「・・・モンブラン」

 

「私フルーツパフェがいい!!」

 

「はしたないですわよ貴方たち!メジロのウマ娘はもっと淑女らしく・・・・」

 

「えー、でもマックイーンさんのお部屋にたっくさんえっちな本があったよ!!!」

 

「だからなんでばれてますのっ?!!」

 

「メイドのおねーさんがね!マックイーンさんはむっつりだって言ってたよ!!・・・むっつりってなに?」

 

「なにをしてますのうちのメイドはっ?!!!!!」

 

 

ガヤガヤガヤ・・・・

 

 

「・・・・・。」

 

 

メジロ家に滞在して3日目。

 

早くも私の読書時間は泡沫のように儚く消え去っていった・・・。

 

あの時作ったホットケーキがいけなかった。

 

恐らくこの地球上で一番の甘味に出会ってしまったメジロ家の幼女達+マックイーンさんは、それから屋敷に来るたびに私の下へ突撃し、服を引っ張って甘いものを催促してきた。

 

私もはじめのうちはかわいいものだなと思いながら気軽に作ってあげていたのだが、流石に頻度が多いし、作らないと言ってもカルガモの雛のように私の後ろをトコトコついてくるのでお手上げだった。

 

しかも彼女たちは子供の特権をフルに利用して私が滞在している客間には当たり前のようにいるし、今日なんか朝起きたら布団のなかで一緒に寝ていたし、お風呂に入っているときは流石に使用人の皆さんが止めてくれていたみたいだが・・・浴槽の扉の外側からは激しい戦闘音が響いていた。果ては私がトイレに行くときも付いてきて、外に追い出そうとしても一歩も引かなかった(最後にはばあやさんに手伝ってもらった)・・・。

 

・・・・・というか、マックイーンさんは毎回当たり前のようにここに来てるけど謹慎中のはずでは、、、

 

「その点は問題ないですわ!謹慎といってもその実1週間の練習禁止が主なものですし、なにより学園の敷地内を気軽に出歩くくらいは普通に黙認されていますわ!」

 

いや、ここは敷地ではないのだけど。

 

「それはっ・・・・・。っおほん、貴方が気にすることではないですわっ!重要なのは貴方の作るスイーツがめちゃくちゃ美味しいということだけ!それだけでわたくしがここにいるのに十分な理由ですわっ!」

 

「・・・。」

 

・・・私は先ほどから後ろで無線機を耳に当てている使用人さんを見る。

 

「・・・お嬢さま、先ほどお嬢様のお部屋にて影武者のサトノダイヤモンドさんが拘束されたようです。密告者はトウカイテイオーさんとのこと。早急に学園に出頭しろと生徒会の方から・・・。」

 

「はあぁぁぁぁっ?!!テイオーさん裏切りましたわねっ!!!!せっかくわたくし秘蔵のスイーツを渡したというのに・・・・」

 

ガシッ・・・

 

「ちょっと貴方たちっ??!!!離しなさい!!!」

 

「・・・すみません、バレてしまった以上庇い立てすることは無理がありますので。」

 

「諦めて下さいお嬢様。」

 

「ドンマイですお嬢様。」

 

「い゛や゛でずわ゛ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」

 

「・・・・。」

 

前回同様泣き叫びながら使用人さんたちに引きずられていくマックイーンさんを見送る。

 

 

これでしばらくは学園に監視されるだろうし、ひとまず彼女は大丈夫そうだな。

 

後は幼女達だけなのだが・・・。

 

 

「・・・あの、わたくしが走るところを見てほしいですっ!!」

 

 

突然、1人後ろの方でもじもじしていた黒髪の幼女が声高にそう言った。

 

「・・・。」

 

なんで急に走るなんて・・・あぁ、あれだろうか。走るのが速い子がモテる理論はこの世界でも有効ということなのだろうか。

 

だがこの流れはいいかもしれない。

 

外で走ればその後疲れて眠ってしまうはず。その間に読書ができるな。

 

そうと決まれば話は早い。

 

外のレース場で模擬戦をしよう。

 

そう伝えると黒髪の子はめちゃくちゃ笑顔になって私の手を引っ張ってきた。

 

他の子たちは若干不満げだったが、みんな走ること自体は嫌いではないので最後は納得してくれた。

 

 

 

「じゃあみててねー!!!!」

 

「おにーさん、私を応援しててねっ!!」

 

「・・・・頑張る。」

 

「ですわっ!」

 

 

というわけで場所は変わって子供用のレース場。

 

メジロ家が所有しているだけあって芝はふかふか、完璧に手入れされているみたいだ。

 

幼女達はすでにスタート地点で賑わっている。

 

私はそんな彼女たちを少し離れたところから見ていたのだが・・・

 

 

「貴方が噂の少年ですね。初めまして、メジロ家当主の―――です。」

 

「・・・・・。」

 

 

ぼーっとレースを観戦していた私の隣に座って、おばあさんはそう言って自己紹介を始めた。

 

帽子を被っていて耳は見えないが、腰を下ろしている芝生の所から尻尾が見える。

 

髪は若干紫がかった白髪、帽子の陰から私を見つめる目はとても力強い。流石メジロ家当主というべきか、私と同じように芝生に座っているだけなのに、なぜか緊張感がある。

 

少し呆けていた私は遅れて自己紹介を済ませて、そのまま話しかけられるかと思ったがお互いにしばらく無言のまま幼女たちのレースを見ていた。

 

今日は快晴。風も心地いいくらいに吹いていて、レースをするには最高の舞台だろう。

 

目の前では私にレースを見てほしいと言っていた黒髪の子が明らかに1人抜きんでて走っている。

 

さすが、自分から言うだけあってとても速い。このままいけば余裕で1着だろう。

 

レースが後半に差し掛かったところで横の当主さんが口を開いた。

 

「・・・今回のこと、ラモーヌが無理を言ったみたいでごめんなさい。」

 

あぁ、そのことか。

 

それなら全然気にしていない。むしろ今となっては逆に感謝しているくらいだ。

 

「そうですか。・・・あの子はどこか唯我独尊というか・・・何もかも1人で決めてしまうきらいがあるので。」

 

あまりにも同意だったのでとりあえず激しく首を縦に振った。

 

「・・・ところで、貴方に会えたら是非聞いてみたいことがあったのです。」

 

「・・・・・。」

 

急な話題転換、、ではなくこれが本題だったらしい。

 

明かに周りの空気が変わった。

 

「貴方は料理を作るのがとてもお上手だということは存じております。メジロの子達にはとても美味しいお寿司を握っていただいたみたいで・・・。」

 

なんだろう、私にも作れということだろうか。

 

「・・・貴方に関する情報には、もう一つ、私の興味を強く引く内容がありました。」

 

あぁー・・・・・。

 

「小野寺桜さん。現在トレセン学園に勤務している彼女ですが、つい最近まで体調を崩されていました。・・・貴方はすでにご存じの事と思いますが、癌だったみたいです。」

 

当然知っている。治したの私だし。というか桜さんメジロ家の当主さんにも認知されていたんだな。

 

「中央のトレセン学園に勤務しているトレーナーなら基本的に全て把握しています。それが優秀な人ならなおさら。その点でいえば私ははじめから彼女に注目していましたよ。」

 

まあその年の首席だったみたいだしな。名門なら放っておかないだろう。

 

「ええ、そんな彼女が勤務早々に重篤な病にかかってしまったことは非常に残念な出来事でした。それさえなければ折を見てメジロの子達を見てもらいたいと考えていたので。」

 

・・・でもあの人ウララさんガチ勢だから難しいだろうな。

 

「・・・状況が変わったのは最近の事です。なぜか彼女は寛解していて、その後後遺症もなく今では元気に仕事をされています。」

 

それも知っている。私のスマホには頻繁にウララさんの写真が送られてきている。・・・あれ、仕事してるのか?

 

「・・・まことに勝手ながら彼女に直接訪ねてみました。ですが本人は奇跡的に回復したというだけで、それは担当の医師も同様のようでした。皆口をそろえて奇跡だったと仰います。・・・・実際、誰が見てもそれは奇跡に映るのでしょう。少ない情報だけなら私もそう判断したと思います・・・・貴方を知るまでは。」

 

これまずいのでは・・・。

 

「荒唐無稽なお話だと思います。・・・私も未だに憶測でのお話しかできません。ですが、貴方のことを詳しく調べると、もう一つ興味深いお話を聞くことができました。」

 

あばばばばばばばばばば・・・・・・。

 

「アドマイヤベガ。菊花賞を最後にレースを引退したはずのウマ娘・・・彼女もつい最近レースへの復帰を宣言されていました。・・・・・そのことも、貴方は存じていますよね。」

 

アヤベさん・・・そういえば昨日同性から告白されたと連絡があった。普通に無視した。

 

「彼女達はいずれも、その直前で貴方と関りがあったと報告を受けています。・・・今時貴方のようなお若い男の子はとても目立ちますので。」

 

・・・どうしようか、憶測と言っているが彼女は多分確信しているのだろう。

 

「間違っていたらごめんなさい。本当だとしたら答えにくいことだとも思います。・・・その上で、どうしても尋ねずにはいられないのです。・・・・・貴方はひょっとして」

 

 

――その時、後ろから耳をつんざくような悲鳴が上がった。

 

 

「っなにを?・・・・・・っっ!!!」

 

「・・・・・・。」

 

当主さんと同じタイミングで後ろに控えていた使用人さんが凝視していた方向を見た。

 

そういえばさっきからやかましかったレース場が嘘のように静かだ。

 

そう思って目を向けた方向には、先ほどまで先頭を走っていた黒髪の子が地面に倒れていた。

 

周りの子達はその光景を呆然と見ている。

 

・・・接触ではない、レースの途中でこけたのか、それとも・・・。

 

考えるのは後にして、私はポケットに常備している特製きび団子を取り出しながら彼女の下へと急ぐ。

 

当主さんも付いてきた、ていうか追い越された。速いなっ!老人だろうがウマ娘ということか。

 

私が着いた頃にはすでに当主さんが黒髪の子を抱えていて、帽子を被っていても分かるくらいに顔を青くしていた。

 

「・・・・いけません、身体が酷く発熱している。」

 

この黒髪の子は生まれつき身体に熱を持ちやすい体質だったみたいだ。運動量を抑えていればここまで発熱することもなかったはずなのだが・・・。

 

・・・なるほど、カッコつけたかったんだな。

 

当主さんは使用人さんに的確に指示を出している。メジロ家には専属の主治医がいるらしいが、ここまで連れてくるのには時間がかかりすぎる。

 

今ここにいるのは黒髪の子と当主さん、そして私。

 

周りの子供達は離れているように言われて今は遠巻きに見つめている。

 

・・・ちょっと目撃者が多いが、やるしかないか。

 

それに、離れるように言っていた当主さんは私には何も言わなかった。

 

言葉にはしなくとも、言外に彼女が私に本音を隠していることは伝わってくる。言ってもいいのかどうか迷っているのだろう。

 

だがそんな心配は杞憂だ。

 

当主さんは使用人に指示を出したということで、一時的にこの場の目撃者を減らしてくれた。子供達だけなら何とか誤魔化せるだろう。

 

だからそんな不安げな顔で私を見ないでほしい。助けるから。

 

私は手に持ったきび団子を女の子の口に押し込んだ。

 

ぐったりしていたみたいだが、そんなの関係ない。あり得ないくらいうまいきび団子は気を失っていても本能的に身体が求めるので簡単に咀嚼してくれる。

 

 

 

・・・そして喉を鳴らしてから数秒後、女の子はぱっちりと目を覚ました。

 

彼女は自分を抱きかかえている当主さんを不思議そうに見つめて、次いで周りの様子を見てさらに首をかしげていた。

 

それでもすぐに立ち上がり、その様子を見て駆け寄ってきた他の子たちからすぐに包囲されてしまった。

 

女の子たちが姦しく騒いでいる横で、当主さんは驚きに目を見開いている。

 

「・・・・・・貴方は」

 

私が何らかの手段で回復させたということは分かっていたみたいだが、流石にきび団子を食わせて即回復なんておとぎ話みたいな光景は想像していなかったらしい。

 

まあそうだろう。

 

意味わかんないよね。でも疑問は神様にぶつけてほしい。

 

 

しばらく呆然としていた彼女はその後、真剣な顔で私に告げた。

 

「・・・・先ほどの光景、私は死んでも誰にも口外しません。貴方の事もこれ以上詮索することは止めます。」

 

まあ結局すごいのは神様だからね。

 

「その上で、貴方に会えたらお願いしたいことがありました。今日伺ったのもそのためです。」

 

・・・そういうことか。

 

彼女は先ほどの出来事から善人であると確信をもって言えるし、応えるのもやぶさかではない。

 

「・・・・アルダンを。・・・あの子を、助けてあげてほしいのです。誰よりもレースを愛しているはずなのに、それでも・・・必死に気持ちを押し込めている彼女を。私は、もうあの子に1人で泣いてほしくない。」

 

・・・アルダンさん、ラモーヌさんが溺愛している彼女か。ラモーヌさんは桜さんと同様に頻繁にアルダンさんの写真を送ってくるからブロックしていた。

 

「・・・お願い。1度でもいいの、1着でゴールを駆ける彼女を見たい。」

 

「・・・・・。」

 

・・・治ったからといって、1着を取れるかどうかまでは保証できないんだが。

 

そんなことを思っている私に気付いたのか、それでも当主さんは笑って言った。

 

 

「勝つわよ、私の孫だもの。・・・それに」

 

 

「・・・・。」

 

 

・・・そう言う当主さんの姿が一瞬とても若く見えた。トレセン学園の制服を着ている。背は高く、風に揺れる彼女のきれいな藤色の髪は輝いていて―――

 

 

「それに、綺麗な男の子が助けてくれるんだもの。女なら・・・燃えないはずがないでしょう?」

 

 

少しだけ、ドキッとしてしまった。・・・不覚。

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

それからの私の行動は早かった。

 

早ければ早いほどいいということで、その日の夕方、学園の授業が終わった時間帯にアルダンさんがいる寮に突撃することにした。

 

私はその日読んだ小説の影響でスパイみたいに誰にもバレずに突入したいと話したのだが、当主さんはいい笑顔でサムズアップしてくれた。周囲の警戒は当然黒服さん達が請け負うのだが、メジロ家からも協力して護衛してくれるとのことだ。

 

時間になるまでは幼女達にいつも通りホットケーキを作ってあげた。

 

黒髪の子はすっかり元気になったみたいで、1着を取れなかったことを気にしていたが問題ないだろう。

 

生きてさえいればいつだってチャンスはあるのだ。彼女の活躍は気長に待つことにしよう。

 

 

PM 17:00

 

うん、そろそろだな。

 

時間になったので寮へと向かう。

 

私の頭の中にはすでに格好いいスパイのイメージが出来ている。

 

道中、無駄に地面を匍匐前進したり、何もない路地に入ったり、道端でぐるぐる転がったりして、何とか寮の近くへと潜入できた。

 

家屋の屋根を移動できなかったのは不満だが、黒服さん達含め護衛の方々に必死に止められたのでまた今度内緒でしてみたいと思う。

 

寮を視界に収めたまま、私は屋敷を出る際に当主さんからもらったあんぱんと牛乳で栄養を補給する。

 

聞いた話だとアルダンさんは美浦寮の106号室にいるらしい。

 

寮の周辺にウマ娘の学生がいなくなったのを確認して、私は足早に目的地へと向かう。

 

 

「ふへへへっ、ここで待っていればかわいいウマ娘ちゃんたちのご尊顔が拝見できるはず・・・・って、え?!あなたは誰ですかっ??!!!なんで男の子がっ・・・・・・あ、いや、私は・・・・ゴハッ!!!」

 

≡≡ズシャ〜ア≡≡≡≡ ⊂⌒~⊃。Д。)⊃。。。

 

 

私が寮の周りに植えられている木の中を匍匐前進で進んでいるとき、なぜか同じように地面に伏して大きなカメラを持っていたウマ娘の子に見つかってしまった。

 

頭に大きなリボンを付けた桃色の髪の女の子は、私と目が合い当たり前に動転していたが異変に気付いた黒服さんに速攻でやられていた。

 

私は横で( ˘ω˘ )スヤァ…している女の子を尻目に目的の部屋を確認した。

 

「・・・・・。」

 

窓はすでにカーテンに閉ざされているが多分あそこで問題ないだろう。

 

 

私はパンパンになったポケットから道中拾っておいた小石を窓に投擲した。

 

弱々しい投擲で投げられた小石は見事に窓に命中し、確かに中の住人へと音を届けた。

 

カーテンが開かれる。

 

姿を現したのはアルダンさんではなく、あれは・・・・チヨノオーさんか。

 

チヨノオーさんは窓を開けて辺りをキョロキョロ見回していたが、やがて地面に伏している私と隣で寝ているウマ娘の子に気付いた。

 

「っえ?!!・・・・・え、え、・・・・・・っえ??!!!!!!」

 

ものすごく動揺した彼女を不審に思ったのか、ようやく目的のアルダンさんが現れた。

 

「どうしたのですかチヨノオーさん?・・・・・・・って、あら、貴方は・・・。」

 

私に気付いて驚いていた彼女は、その後危ないからと私を窓から部屋に招いてくれた。

 

あと私の隣で寝ていた子もチヨノオーさんが回収して彼女のベッドに寝かせてくれた。

 

 

「「「・・・・・。」」」

 

 

どうやってチヨノオーさんに気付かれずにきび団子を食べさそうかと考えていた私にしびれを切らしたのか、アルダンさんから切り出してくれた。

 

「・・・あの、貴方はどうしてここに?・・・ああ、いえ、その前にお寿司屋さんでのことは本当に申し訳ありませんでした。私としたことが男性を無理矢理襲うなんてこと・・・。」

 

「あのっあの・・・・・わ、私もすみませんでした!!」

 

勘違いしているアルダンさんに続いて、なぜか関係ないはずのチヨノオーさんも謝ってきた。

 

・・・違うのだが。

 

まあ深く考えるのは止めよう。思えば今更チヨノオーさん1人に見られるくらいどうってことはないな。

 

私はポケットからきび団子を取り出して彼女に向ける。

 

「っえ・・・・私に・・ですか?」

 

頷く。

 

「・・・・あの、、先ほどおばあ様から連絡がありました。"不思議なことが起きても信じてみて下さい、貴方に奇跡が起きるから"と。・・・・・・貴方は、私を助けてくれるのですか?」

 

再度頷く。

 

「・・・・私、もう諦めていたんですよ?」

 

彼女は一瞬隣のチヨノオーさんの事を見る。

 

少しの間沈黙していた彼女は、話を続ける。

 

「・・・・たくさん悩んで、たくさん泣いて。・・・その上で、やっと自分の気持ちに折り合いをつけたところだったんです。・・・・・もう・・・学園から去るべきだって。」

 

「っえ?!・・・嘘ですよねアルダンさん!・・・・私そんなこと・・・・」

 

「・・・・ごめんなさい。・・・伝えようと思っていても、なかなか言い出せませんでした。ダメですね、私。結局未練を引きずってばかりで・・・。」

 

「・・・・・・。」

 

「・・・・でも、貴方は私にチャンスをくれるのですね。・・・なんとなく、本当になんとなくですが、不思議と貴方の事を信じられます。」

 

「・・・・。」

 

「・・・・人生というのは本当に、何が起きるか分からないですね。自分の運命に悲観して、諦めずに努力して、やっとつかめたと思ったチャンスを棒に振って・・・・・それでも・・・最後の最後に、貴方と出会った。」

 

 

たくさんため込んでいたのだろう。

 

弱音を吐くのが苦手な人なのかもしれない。

 

まだきび団子を食べていないのに、それでも安心した表情のアルダンさんはそれからゆっくりときび団子を口に含んだ。

 

食べた直後は下を向いて、何かを堪えるような仕草を見せた彼女だったが、しばらく見守っていると落ち着いた。

 

それから彼女は憑き物のとれたような表情で私に言った。

 

 

「・・・驚きも、感動も、感謝も、そして・・・愛情も。貴方に伝えたいことがたくさんできました。・・・いくつもの感情が、胸の内からとめどなく溢れてきます。」

 

 

「・・・・・・。」

 

 

「・・・・・・ですが、それを伝える前にどうしても行きたい場所があるのです。・・・・お願いです、これから一緒に寮を抜け出しませんか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

『ガラスの脚』

 

 

 

人並外れた速度でレースを行う私達。

 

 

故障の多いウマ娘の中でも、私は生まれたときからハンデを負っていた。

 

 

熱を持ちやすい身体。

 

 

他の子と違い、少し体を動かしただけで動けなくなる。

 

 

脚は脆くなり、身体の許容を超える速度を出した時、再起不能なまでに粉々に砕けてしまう。

 

 

幼い頃の私は生まれながらに満足に走れない自分の身体を呪った。

 

 

なんで私なんだって、ベッドの上で声を押し殺して泣いた。

 

 

それでも、人前で弱音を吐くことは絶対にしなかった。

 

 

それだけは嫌だった。

 

 

常日頃から私の事を心配してくれる母様。回復してからも毎日欠かさずお見舞いに来てくれた姉様。私が幼い頃からメジロ家に仕えている使用人のみんな。マックイーン、ドーベル、パーマー、ブライト、ライアンも。みんなみんな、私の大切な人たち。

 

 

私が弱いところをみせたら、今以上にみんなが悲しんでしまうから。

 

 

だからいつだって気丈に、前を向いていた。

 

 

「・・・・・・。」

 

 

私は隣に立つ彼を横目で見る。

 

 

ここは美術館の中。

 

 

閉館時間ぎりぎりで入館した私達を、それでも職員の皆様は優しく迎え入れてくれた。

 

 

『親愛なるあなたへ』

 

 

どうしても彼と一緒に見たかった。

 

 

ここは私がたくさん悲しんで、苦しんで、そのたびに励ましてもらった特別な場所。

 

 

叶うのならば、今日だけでなく・・・明日も、明後日も、何年先も、こうして2人でここに来たい。

 

 

ここに初めてきた時はなぜか泣いてしまったこと。その時、姉様が手をつないでくれたこと。

 

 

たくさん話したい。たくさん伝えたい。

 

 

・・・・・でも、その前に。

 

 

私はここで、彼にお願いをしにきた。

 

 

ここでないとだめな気がしたから。

 

 

彼を見る。

 

 

そんな私の視線に気づいたのか。彼も私を見つめ返してくれる。

 

 

彼は・・・私の恩人。

 

 

私の、特別になった人。

 

 

だから。

 

 

 

「私が次に出走するレース、今からだと間に合わないかもしれません。・・・それでも、絶対に、絶対に出ますので。お願いします。ゴールの先で私を待っていてください。先頭でゴールを駆け抜けて、一番に貴方に会いに行きます。」

 

 

 

私が思い切って言った言葉に少しの間逡巡していた彼は、それから私に小指を出してきた。

 

 

相変わらず顔は無表情なのに、ちゃんと私の気持ちに応えてくれた。

 

 

ああ、嬉しいな。

 

 

・・・醜くても、意地汚くても、ここまで諦めずにいたことが・・・報われたようで。

 

 

彼と小指を結ぶ。

 

 

貴方がくれた、正真正銘。最後のチャンス。

 

 

「約束します。今度はもう絶対に。」

 

 

レースにも、私が何度も絶望してきた運命にだって。

 

 

私はもう、絶対に負けません。

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

『さあ雲一つない見事な快晴の中、今回出場する選手が続々と姿を現してきました!』

 

 

 

「・・・そろそろ出番ね、アルダン。調子はどう・・・なんて聞くまでもないわね。私から言うことなんて特にないわ。前回のレースの事なんて気にしないで、貴方の思うままに走ってきなさい。」

 

「・・・・はい。本当に・・・・ありがとうございます。」

 

 

 

『今回注目の選手は当然この子っ!1番人気サクラチヨノオー!!!直近のレースでも見事に1着でゴールをしており、今一番頭角を現しているウマ娘です!!マイル、中距離では掲示板入りがほとんどで、彼女の末脚には期待が集まります!!』

 

 

 

「・・・・あの時のこと、私はもう謝らないから。トレーナーとして言うべき言葉は、ああじゃなかったのにね。でも今は・・・・・いってらっしゃい、アルダン。」

 

「・・・いってきます、トレーナーさん。」

 

 

 

『ですがっ!今回観客の皆様が最も注目しているのはやはりこのウマ娘ではないでしょうか?!!!・・・現れました!!!あの衝撃のレースからまさかの復活!!!もはや誰もが再びレースで走る彼女を見ることは叶わないだろうと思っていました!!!しかしっ!!!!まさに奇跡、私達は今奇跡を目の当たりにしています!!急遽参戦が決まった彼女、メジロアルダンが登場しました!!!堂々の2番人気です!!!学園では同室のサクラチヨノオーともライバル同士!!因縁の対決に会場の熱気はすでに最高潮です!!!!』

 

 

 

ゲートが見える。

 

 

もう二度と戻ってくることのないと思っていた場所に、私は再び立っている。

 

 

観客席からの熱気も、レースに出場するライバルたちからの肌を刺すような視線も、今はすべてが愛おしい。

 

 

そうだ、私はそんなレースが大好きなんだ。

 

 

ゲートへと足を進める私の前に、大切なルームメイトがいる。

 

 

「アルダンさんっ!私嬉しいです、こうしてあなたと一緒のレースで走れること!・・・今でもまだ夢じゃないのかなってくらい・・・・それでも、勝つのは私です!私の全部出し切って・・・あなたに勝ちます、アルダンさん!」

 

 

「はい、もちろんです。・・・やっと、やっと"ここ"で貴方に会えました。今ここに立っているウマ娘全員が同じ気持ちを抱いていることと思います。その上で、私からも貴方に宣言します。」

 

 

ずっとこうして話がしたかった。

 

 

皆、私を見る目は心配の色が強いから。

 

 

でも、今は違う。

 

 

何度も夢想した。

 

 

何度も何度も、夢の中で貴方に伝えた。

 

 

 

 

 

『「レースに勝つのは私です。」』

 

 

 

 

 

夢の先で・・・1人のウマ娘として、貴方にこうして言葉を紡げる幸福に感謝を。精一杯の感謝を込めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、レースが始まる―――

 

 

 

 

 

 

 

 

『さあ、全てのウマ娘達がゲートに入場しました!!!誰もが待ち望んだレース!この中の誰が勝っても、誰が負けても、私達の胸に強く刻まれることになるでしょう!!!』

 

 

 

「・・・・ふぅ。」

 

 

 

ゲートの中で、息を吐く。

 

 

 

適度な緊張状態の中で、思考はかつてないほどクリアだ。身体は羽のように軽い。

 

 

 

今、自分が最高に絶好調だと分かる。

 

 

 

こんなレースは人生で二度とできないだろう。

 

 

 

頭の中に浮かぶのは母様の事、姉様の事、メジロ家のみんな・・・そして、彼。

 

 

 

ゴールの先、約束の場所にいる貴方へ。

 

 

 

『スタートですっ!!!!!!』

 

 

 

一番に会いに行きます。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

大勢の観客に見守られながら始まったレース。

 

 

私は全体の後方、後ろから4番手で先頭を俯瞰する。

 

 

私の少し前方にはチヨノオーさんが、彼女の背中からは人一倍強い思いが伝わってくる。

 

 

彼女も今が最高潮なのだと分かる。

 

 

今までの私では、絶対に勝てない。

 

 

周りの子もその熱気に当てられて、全体のスピードがだいぶ速くなっている。

 

 

私はどこで仕掛けようか。

 

 

トレーナーさんからは好きなタイミングでいいと言われている。

 

 

身体がかつてないほど絶好調なせいで、逆に仕掛けどころに迷ってしまう。

 

 

800mを過ぎた。

 

 

まだ早い。

 

 

けれど、驚くことに、ここまできても私の息は全然切れていない。

 

 

・・・・・ひょっとして、今の私って"あそこ"から。

 

 

一瞬、自分の中でありえないことを想像してしまう。

 

 

1000mを過ぎた。

 

 

依然として私に疲れはない。

 

 

周りを確認すると息の上がっている子が多い。

 

 

それが普通のはずだ、ペースは今までにないほど早い。実況席でも心配の声が上がっている。

 

 

例外なのは私と・・・・やはりチヨノオーさんだ。

 

 

彼女の表情にはまだ余裕がある。

 

 

このまま迷っていては彼女に追いつけない気がする。

 

 

このままでは。

 

 

「・・・やはり、やってみるべきでしょうか。」

 

 

出来なかったら笑いものになるだろう。

 

 

せっかくの舞台、彼がくれたチャンスを台無しにしてしまう。そんな大博打。

 

 

でも、やってみたい。

 

 

可能性が、あるのなら。

 

 

試してみたい。

 

 

・・・のに。

 

 

 

 

 

『大丈夫、出来るよ。』

 

 

 

 

 

「・・・・・・・っえ」

 

 

 

誰かの声が聞こえる。

 

 

 

『今の貴方なら絶対に出来る。私が保障する。』

 

 

 

不思議と親近感を覚えるその声に、抑えていた気持ちが溢れる。

 

 

 

「・・・・でも、私は。」

 

 

 

この期に及んで、いまだに私は。

 

 

 

「・・・本当は、怖いのです。・・・・身体は絶好調だって分かっているのに、あの時の・・・足が壊れる光景がフラッシュバックして。・・・・・・また・・・動けなくなるんじゃないかって。」

 

 

 

そうだ、身体は大丈夫だって分かっているはずなのに。・・・全力を出すことが、どうしようもなく怖い。

 

 

 

『・・・・・・・・。』

 

 

 

「・・・やっと、なのに。・・・・ようやく、私の番なのに。」

 

 

 

『・・・貴方は、本当に私に似てるのね。』

 

 

 

「・・・・っえ?」

 

 

 

『私もそうだったから。"彼"から大丈夫だって言われていたのに、全力を出して足が壊れることばかり気にして、結果中途半端な記録だけ残って・・・。そうして、後になって死ぬほど後悔するの。どうしてあの時って・・・』

 

 

「・・・・・・。」

 

 

『・・・だからね後輩、大先輩の私からアドバイス。・・・余計な事ごちゃごちゃ考えんな!彼がゴールで待ってるんでしょう?!だったら早く行ってあげなさいよ!!!途中で貴方が転ぼうが、動けなくなろうが、全力の思いはきっと届くから!!!』

 

 

 

「・・・・・貴方は。」

 

 

 

『私達ウマ娘は"思いを紡いで走る"のよ!遥か遠い昔からずっと。・・・だから、今日は私の番。それでいつかは貴方の番なの。分かったらとっとと行きなさい!』

 

 

 

「・・・・・・ありがとうございます、先輩。」

 

 

 

 

 

いつの間にか迷いは消えていた。

 

 

もう何も怖くない。

 

 

本当はもっと彼女と話していたかった。

 

 

彼女には聞きたいこと、伝えたいことが山ほどあるから。

 

 

・・・けれど、まずは勝たなければ。

 

 

勝って証明しよう。

 

 

今からが、私の、メジロアルダンの正真正銘の全力。

 

 

残り"1200m"。

 

 

 

「姉様だけじゃありません。・・・"メジロの至宝"お見せします。」

 

 

 

瞬間、私の世界から音が消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

音が消えた世界の中で、私は姿勢を低くする。

 

 

隣で走っていた子がぎょっとした顔で私を見ていたが、気にせず突き進む。

 

 

『っおおっと!!!コースの折り返し、1200mを通過した直後!!!!後方からメジロアルダン!!!!メジロアルダンがとんでもないスピードで飛び出してきましたっ?!!!』

 

 

まだです・・・まだいけます。

 

 

『メジロアルダンがかかったか?!!まだ1200mを残しているというのに、ぐんぐんとスピードを出していく!!!ありえない速度です!!!!あっという間に1400mを通過!!!かかったラップタイムはっ・・・・・っえ、これ・・・・』

 

 

 

「・・・・っっそでしょ?!!!!!!」

 

 

 

「そんな速度で持つわけっ・・・」

 

 

 

超高速でレースを駆ける私の後ろで、ある人は驚愕し、またある人は私の暴走だと思い込む。

 

 

・・・それでも。

 

 

「・・っ?!行かせませんよアルダンさんっ!!!!!!」

 

 

「・・いい加減にしろオメーらっ!!!!私を無視すんなっ!!!!!」

 

 

「・・・化け物しかいないし。はぁ。」

 

 

 

チヨノオーさんはじめ、数人、私がこの速度のまま最後まで走り抜けると直感で理解したみたいだ。

 

 

 

彼女達もスパートをかける。

 

 

 

『先頭メジロアルダンがあっという間に2000mを通過!!!!!依然としてスピードは衰えず!!!!サクラチヨノオーはじめ後続も次々とスパートをかけるがっ!!!

 

 

 

ですが、もう"遅い"ですよ。

 

 

 

『最終直線!!!!先頭はメジロアルダン!!!メジロアルダンだっ!!!!・・・これはもう認めるしかないでしょうっ!!!彼女はかかっていない!!本気で、1200m地点からゴールまでっ!!!!本気で駆け抜けるつもりです!!!!』

 

 

 

残り100m。

 

 

 

「・・・見えました。」

 

 

 

ゴールの先。彼がいる。

 

 

 

『そのまま後続と大きく差をつけて!!!!・・・やりました!!今度こそ!!今度こそ1着でゴールイン!!!!メジロアルダン!!!驚異的な走りで他を圧倒!!!"メジロの至宝"ここにあり!!!!!」

 

 

 

約束したから。

 

 

 

『・・・・メジロアルダンそのまま足を緩めながらも止まりません?!・・・その先にはっ、、、っ??!!!!え、男の子?!!!なんでっ??!!!!』

 

 

 

 

彼が寮を訪ねてくれた日。

 

 

身体が治ったと気づいた私は、それでも、その場では泣かなかった。

 

 

人前で泣いたのは、あの美術館に行った日が最初で最後。

 

 

それ以降は、どんなに辛くても泣くのは1人でいるときだけ。

 

 

次に泣くのは、ここだと決めていた。

 

 

 

 

 

「・・・私、勝ちましたよ。・・・・約束、ちゃんと守りました。」

 

 

 

「・・・・・。」

 

 

 

表情の乏しい彼は、静かに私の話を聞いている。

 

 

 

「私、諦めなくて良かったです。今日まで頑張ってきて、レースを好きになって・・・貴方に出会えて。」

 

 

 

華奢な彼を抱きしめる。

 

 

 

一瞬びっくりしたみたいだけど、それでも私を受け止めてくれた。

 

 

 

きっと彼女も昔、こんな気持ちだったのだろう。

 

 

 

人生最後のレースで、最高の舞台で・・・・全力を出して駆け抜けた先に、彼がいる。

 

 

 

涙が頬を伝う。

 

 

 

一度溢れた涙はそのまま止まることなく流れ続ける。

 

 

 

でも、今日はもう我慢しない。

 

 

 

この涙は、違うから。

 

 

 

今なら分かる。

 

 

 

あの時、美術館で私は・・・嬉しかったから泣いたのだ。絵画の男性トレーナーが幸せで、本当に良かったと、心の底から安堵して泣いたのだ。

 

 

 

だって、そうでしょう。

 

 

 

私が人前で見せるのは、嬉しいときに出る涙。

 

 

 

嬉しくて、嬉しくて、思わず溢れる・・・・見ている人が幸せになる涙だから。

 

 

 

母様にも、姉様にも、チヨノオーさんにも、私を見ている、私の大切な人たち皆に届いてほしい。

 

 

 

・・・もちろん、腕の中にいる彼にも。

 

 

 

 

 

「ありがとうございます。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『親愛なるあなたへ』

 

 

「1着 メジロアルダン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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