「・・・・今回の事、本当にありがとう。貴方のおかげだわ。」
「・・・・・。」
ここはメジロ家の屋敷の一角にある書斎。歴々の当主が収集してきた膨大の書物の中に埋もれ、私は定常通り本を読んでいた。
窓からはしとしとと雨が降っている音が聞こえる。
私は読書をしている時は快晴よりも雨の日の方が好きだ。
窓を叩く雨の音は知らず知らず私の心を落ち着かせてくれる。曇天が空を覆い、薄暗くなる室内も乙なものだと思う。
私がこのお屋敷に滞在してそこそこ経つのだが、いまだに書斎に収められている本の2割も読めていない。
常時速読スキルを使ってこれなのだ。
まあ一日中読んでいるわけではなく、いまだにメジロの幼女達から甘いものをせがまれたり、謹慎が明けたウマ娘達がご飯を作ってくれと屋敷に来たりするのだが。
だから彼女たちがそれぞれ用事があって私1人の時間になる午前10時頃は落ち着いて本を読める貴重な時間なのだ。
私はいつも通り7時には起床し、諸々の支度を整えてその貴重な時間を満喫していた。
そんなときの事だった。
音もなく書斎に入ってきて、私の隣の椅子に腰を下ろした当主さんは唐突に私に感謝を告げた。
まあ、理由はもちろん分かっている。
私がきび団子をあげたメジロアルダンさんのことだろう。
一昨日に行われたレースの事を思い出す。
あの時私はアルダンさんに言われた通りゴールから少し離れた位置で彼女を待っていた。
美術館でそのことをお願いされた時は驚いたが、彼女の並々ならぬ熱意を無下にすることは流石に失礼だと思ったので了承した。
ちなみに指切りをしたのは前世の弟が原因だったりする。
幼い頃、弟が誕生日の時に私がプレゼントした本の中に指切りをしている場面があったのだ。
それの何が弟の琴線に触れたのかは分からないが、それから約束事があるたびに指切りをさせられた。弟の中では指切りをした約束は絶対なのだ。その影響かは知らないが、当時の父と母も、そして私も。大事な約束があるときは指切りでその思いを伝えるようにしている。
そして今回。
アルダンさんは約束を違わず先頭でゴールを駆け抜けた。
レースの折り返し、1200mを過ぎてからの彼女は凄かった。誰もがそんな走りではすぐにバテると思っていたのに・・・。そこからさらに加速して一瞬で先頭に立ち、最後には大差をつけて1着を取った。
会場の人は当然その神がかり的な走りに驚いていたが、それよりも私が驚いたことがある。
残り100mを過ぎてから、一瞬私と目が合った彼女の後ろで、少しぼやけて見えた人影が彼女の背中を優しく押していた。
誰もそのことに触れていなかったから、気付いたのは私だけなのだろうか。
まあ悪いものではないだろう、そんな感じはしなかった。
それよりも、大変なのはそこからだ。
約束通り私の前に一番に来たアルダンさんは、そこから感極まったのか私に抱き着いてきた。彼女は泣きながらありがとうと言っていて、それからしばらくそのままだった。
まあそのことについてはいいのだ。生まれつき病弱な身体で、それでも今日まで諦めず、必死にしてきた努力が最高の形で報われた。誰だって感動してしまうだろう。
でも如何せん場所とタイミングがいけなかった。
驚異的な走りで観客を魅了した彼女は当然、その日一番の注目を浴びていた。さらにはゴールをした直後というのもある。
会場全体の視線がある中で私に抱き着いた姿は当然、絶叫と共に各所に報じられた。
私達の周りを取り囲み始めるカメラマンは次第に距離も近くなって・・・そこから周囲を警戒していた黒服さん達が乱入して撃退・・・・かと思われたが目の前に絶好のスクープがあると知っている報道陣は諦めずに応戦し、最後にはメジロ家の警備員の方々も参戦。会場は一瞬にして修羅場と化した。
それだけでも大変なのに、そこから観客席側にいた制服姿のウマ娘達がなぜかアルダンさんに向けて殺意の籠った眼差しとともに突撃してきた。
どうやらレースにガチな一部のウマ娘達の間では『喪女の誓い』同盟という派閥が存在するらしく、彼女達曰く「レースに全力な私たちには男にかまけている時間なんてないからっ!!!・・・はぁっ?!ちょっと今嫉妬乙って言ったやつ前に出てきなさいよ!!!ぶっ〇してやる!!!」らしいのだが。
最終的に黒服さん&警備員さんVS報道陣とアルダンさんVS大勢のウマ娘という構図で会場は騒ぎに包まれた。
・・・え?アルダンさんが危ないって?
そんな心配は杞憂であると言っておこう。
ガラスの脚を克服&異性との抱擁という一大イベントを遂げた彼女は文字通り覚醒し、その身に鬼神を宿していた。
全身から青いオーラを湧き出し、迫りくるウマ娘達をばったばったとなぎ倒す彼女はまさに武の化身と評するにふさわしい姿だった。
途中からなぜか戦いに加わったメジロ家のウマ娘達や同じレースに出場していたウマ娘達すらもはや覚醒した彼女の敵ではなく、数舜の後に地面に伏していた。
唯一冷静だったのは私といつの間にか隣で怯えていたサクラチヨノオーさんで、彼女は終始あわあわしながら目の前の惨状を見つめていた。
それから数分して、一足早く勝利した黒服さん達はそのまま私を連れメジロ家の屋敷へ届けてくれた。
無事にメジロ家へと着いた私はそのまま屋敷に引きこもり、本を読んでいたというわけである。
レースが明けて翌日はメジロ家の屋敷の周りに大勢の報道陣が詰めかけていたが、屋敷にいた当主さんは全然動じることはなく、「・・・少し出てくるわ。」とだけ言い残し言葉通り10分足らずで屋敷に帰ってきた。それから報道陣は嘘のようにぱったりと来なくなったので流石だと思った。
まあ、その分東京のトレセン学園には今も大勢の報道陣が押しかけているとのことなのだが・・・。
・・・と、回想に浸っていた私の横で当主さんは静かに話を続けた。
「・・・あの時、あのレースでアルダンが見せた走り。あれは"領域"とは違う・・・・もっと先のステージで開花するものよ。私も実際に見たのは初めてだった。」
「・・・・。」
領域が何なのかは分からないが、あの時のアルダンさんが明らかに神がかっていたことは分かる。
「・・・・・・Eclipse first, the rest nowhere」
唐突に何かを小声で囁いた当主さん。
「私達ウマ娘が共通して持つ"可能性"。どれだけ才能があるウマ娘だろうと、逆に走ることに才能のないウマ娘だろうと・・・・・今回アルダンが見せてくれたのはその一つの答え。・・・たどり着いたのがメジロのウマ娘であったこと、私は本当に誇らしく思います。」
「・・・・・・。」
「・・・随分と昔の言い伝えですが、実際にそれを体現した人物を私はアルダンの他に2人しか知りません。」
言葉を止めた彼女はそれから何かを考えているみたいで、少しの間沈黙が続いた。
ちらっと窓を見るといまだ雨は降り続いている。今日はもう止みそうにないな。
私が気にせず本を読み進めていると、やがて考えはまとまったみたいだった。
「・・・今日の夜、私の執務室に来てください。貴方に大事な話がありますので。」
そう言い残して当主さんは去っていった。
「・・・・?」
なんの事だろうと気にはなったが、どうせすぐに分かるか・・・・。
バタンっ!!!
「おべんきょーが終わりました!!!!スイーツを作ってくださいましっ!!!!」
「わたしはアップルパイがいいですわっ!!!!」
「ホットケーキ!!!!」
「・・・モンブラン」
「ショートケーキ!」
「貴方達はもっと遠慮するべきですわっ!!!!・・・・まあそれはそうとして、もし作ってくださるのならわたくしはホットプリンがいいと思います!ご存じですか?プリンというのは元々蒸して作られたことが起源で・・・。」
「・・・ちょっと待ってほしい。今は昼食の時間のはずだ、ここは私に任せてもらえないだろうか。」
「私は美味しいものなら何でも嬉しいです!!!!」
「ライスはごはんがあると嬉しいかな・・・。それと、ちょっと君にお話しがあるんだけど・・・。」
「ふふ、皆さんはしたないですよ♪私の彼が困っているじゃないですか・・・。」
「あ、アルダンさん・・・殺気が漏れてますっ・・・・あわあわ」
「・・・・。」
気付いたらもうそんな時間だったのか。
お昼の時間になって鬱陶し気にたたきつけられたドアを物悲しく観察する。
・・・幼女組は仕方がないとしても学生組は流石に自重してほしい。
謹慎が明けた彼女達はそれまでの鬱憤を晴らすかのように連日学園の昼食時になると度々メジロ家の屋敷に突撃してくる(もちろん夜も来るよ!)。
学園側からは当然注意をされているみたいだが、肝心の生徒会が彼女達に手土産で渡したごはんに陥落されてしまっているらしく、期待は薄いだろう。なんなら彼女達も参戦する雰囲気すらある。
ご飯を作ること自体は嫌いではない。
頻度が問題なのだ。何とか説得できないだろうかと考えてはいるのだが、難しいかな。
そんなことを思いながらキッチンへと向かう私は、その後腹いせにレベル4のお好み焼きとホットケーキを作って地獄みたいな雰囲気を演出した後、眠気を感じたので夜まで寝てしまった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「・・・・・来ましたね。」
その日の夜、直前まで眠ってしまっていた私は、何とかぼやける頭を覚醒させて言われた通り当主さんの執務室まで来ていた。
「・・・・。」
こんなに改まってする話とは何なのだろうか。
ひょっとして私にご飯を作ってと頼むのが恥ずかしくてわざわざ呼んだのだろうか・・・。
「・・・今回貴方を読んだのは他でもありません、お願いがあるのです。」
やはりそうか・・・ホットケーキかな。
「貴方が現在こちらに滞在しているのは、うちの書斎が大きく関係していると聞いております。」
・・・違った。
「貴方が本に懸ける情熱には、並々ならぬものがあるとか。」
当たり前だ。小説と衣食住どちらを取るかと言われたら小説を取る。
「貴方が屋敷の書斎にある書物を全て読むのにどれほどの時間を必要とするのかは分かりません。」
「・・・・・・。」
・・・今の感覚だとあと2か月くらいは必要になるのかな?すべてといっても私が読みたいのは小説であって医療本とかじゃないし。・・・・というかこれはいったいなんの話なんだ。
「・・・いずれにせよ、それらすべてを読み終わったとき、貴方はここを出ていくのでしょう?」
「・・・・。」
無言で頷く。
当たり前だ、私の故郷は小暮町。家族や驚愕君だっている。
「・・・私からのお願いとは、そのことなのです。」
・・・・・どのこと?
「・・・・どうでしょう、貴方・・・このままうちに来ませんか?」
「・・・・?」
「・・・・つまり・・・このままメジロ家で暮らしませんか、ということです。貴方が望むのなら、これから世界中にある小説を集めてみせますが。」
冗談を言っている雰囲気ではない。
「いきなりの事で困惑するのも分かります。・・・まして貴方は未だ中学生の男の子。今日のことをあなたがばらせばメジロ家なんて簡単につぶせますよ。・・・けれど」
「・・・・・。」
「・・・・けれど、それを押してお願いせずにはいられないの。・・・これは私の我儘。私が勝手に決めたことよ。」
「・・・・・。」
「・・・いきなり返事なんて聞かないわ。幸い貴方はこのまましばらくは滞在するようだし、でも、いずれ答えを聞かせて頂戴。・・・それがどんな返答だろうと私は否定しない。」
「・・・。」
「・・・・今日はごめんなさい。もうお部屋に戻っても大丈夫ですよ。」
そのまま、私はろくに返事もせずに客間に戻ってきた。
私の頭の中には彼女の言ったことが繰り返し流されている。
『世界中にある小説を集めてみせますが』
え、世界中の?
『世界中にある小説を集めてみせますが』
読み放題?
『世界中にある小説を集めてみせますが』
いやいやいや・・・・故郷にいる両親のことはどうするのだ、驚愕君だって首を長くして私を待っている。
『世界中の・・・』
小暮トレセン学園のみんなが、鷹の目さんが待っている。
『世界中・・・』
それでも、自分の中で明確な答えが出ないまま・・・・。
頭の中では繰り返しその言葉がリピートされて・・・。
「・・・・・・」
いつの間にか、私は眠りについていたのだった。
『当主さんからの誘いを受けますか?』
はい
いいえ
というわけでルートを分岐させました。
小暮町のことをあまりにも放置させ過ぎたので、そちらはノーマルエンドとして結末を書きたいと思います。