彼女が目を覚ますと、いつもの見慣れた天井がそこにはあった。
――来る日も来る日も、私は死ぬまでこの天井を見続けることになるんだ――
そう彼女は思い続け、暗い気持ちで見ていた病室の天井だ。
しかし、この日の彼女は違う。
窓から差し込む陽の光のように、彼女の心は明るかった。
「あったかい」
彼女にとって、今日は人生で尤も大事な日となるだろう。この先の人生を大きく左右する出来事が、今日は待っているのだ。
病室に看護師が現れ、いつものように検温と脈拍を測りに来た。同時に足の部分に麻酔が染みこませてあるテープを貼っていく。点滴のチューブを入れる前に、少しでも痛みを和らげる為の処置だ。
朝食は無い。
数時間後には手術台に登らねばならないのだ。
空腹感はあるが、我慢できないほどでもなかった。
その僅かな空腹感を忘れる為に、彼女は再び眠る事にした。
――コンコン――
病室のドアがノックされたのは、まさに彼女が目を閉じた時だった。
「はい?」
やや重たい目を空け彼女が返事をすると、そっとドアが開いてひとりの男が入って来た。
「おはよう……気分はどうかい?」
男は大きな花束を抱えている。そして穏やかな口調でそう言うと、花束をベッドの脇にあるテーブルの上へと置いた。
「気分は良いですよ、キースさ、違った、
「あはは。二人だけのときはキースと呼んで貰ってもいいんだけどね」
「でも折角だし、名前で……呼びたいんです」
「そ、そっか。うん、まぁボクも名前で呼ばれるほうが、嬉しい……よ。うん」
二人は互いに笑うと、それから暫く沈黙が続いた。
先に沈黙を破ったのは彼女のほうだ。
「そういえば、今日は昴君と美奈ちゃんのデートの日では?」
彼女は明るくそう言った。どこか楽しそうな、それでいて悪戯っぽく笑う。
「ボクはまだ認めない」
「もう、まだそんな事言って。いいじゃないですか、歳も近いし同じ趣味も持ってるし……昴君は真面目で良い子ですよ?」
憮然とするキースを優しく窘める。それでもキースはまだブツブツと言っていた。
「自分は異性と会っているのに、従兄妹が異性とデートするのは許せないって、どんだけ我侭なんですか」
「そ、それは! ボクにとって君は大切な人だから」
キースの言葉を聞いた彼女の頬が赤く染まる。赤く染まりながらも彼女は口を開いた。
「昴君も同じ思いを美奈ちゃんに抱いているんです。いつまでもお父さんごっこしてないで、正義さんも自立してください!」
「そういう君は、お母さんごっこをしているようだ」
「ふふふふ」
そういって再び笑顔になる二人。
それから暫くの間、他愛の無い会話を続けた。
ゲーム内での事。いくつか仕様変更が行われた事。ふじこ現象の事。
そして、仲間達の事。
時間はあっという間に過ぎていった。
看護師がやってきて、彼女の足から点滴のチューブを差し込んでいく。麻酔テープのお陰か痛みはそれほど感じなかったようで、顔を歪める事は無かった。
「ご両親が来てますよ?」
そう言って看護師は部屋を出て行った。
「じゃ、ボクは外で待ってるよ」
「待って、正義さん」
キースが気遣って退室しようとしたが、その腕を彼女は強く握り締めた。
「ご両親だって君の事が心配なんだ。そろそろ変わってあげなきゃ……」
「もう少しだけ。あと一分だけ……傍に居て」
キースの腕を掴む彼女の手は、小さく小刻みに震えていた。
「怖いのかい?」
キースの問いに彼女は首を振って答えた。しかし、それは虚勢にも近い返事だった。
それが解っているからこそ、キースはそっと彼女を抱き寄せた。
「大丈夫。ボクは手術室の前でずっと待ってるよ」
頷く彼女。
「大丈夫。君はラスボスを倒した勇者なんだよ」
彼女は小さく笑った。
「大丈夫。みんな……ゲームの世界で待ってるよ」
彼女はもう一度頷いた。
顔を上げた彼女の瞳に、小さな涙の粒が溜まっていた。その粒をキースは拭うと、今度は彼女の頭にポンっと手を置いてこう言った。
「いっておいで、
彼女は答えた。
「いってきます。正義さん」
キースが部屋を出ると、外で待っていた命の両親と何事か話した後、入れ替わりで彼女の両親が病室へと入ってきた。
両親が目にしたのは、手術への恐怖など微塵も感じさせない、明るい日差しに照らされた、それに負けないくらい明るく輝く娘の姿だった。
数ヵ月後。都会でもようやく初雪を観測した日。
昴は震える手を擦りながらパコソンの電源を居れ、そのまま『ワールド・オブ・フォーチュン』のクライアントを立ち上げる。
キャラクターをいつもの「昴」に合わせ、決定した。
ログインすると同時に、既にログインしていたギルドメンバーのボイスチャットが届く。
「いよ! とうとう雪だぜー」
「あー、降った降った。寒いったらありゃしないよ」
まっさきに声を掛けてきたのはいっくんだ。お互い同じ東京に住んでいる事もあり、天候に関しては似たような感想を言い合う。
「なーに言ってるでござる。たかが小雪程度で」
そういってブツブツ言うモンジは、北海道出身だった。
「そのうち皆でオフ会とかしたいね~」
「参加した~い、けど福岡に住んでるから東京でのオフとか絶対無理っちゃ~」
『アーディン:北陸だ。育児中だ。よって却下』
「ちょ。アーディンさんマジでお母さんなんっすか?」
『アーディン:マジだ。何も問題ない』
そうこうしている間に、次々とログインメンバーが増え全員揃う。
「あの、昴くん」
「どうしたキース?」
「ちょっと加入させたい人がいるんだけど」
そういってキースは昴をパール・ウエストに来るようお願いをした。その様子を勘ぐったアーディンがすぐに全員をPTに招待し、「聖堂帰還」でパール・ウエストへと飛んだ。
キースを見つけた昴は、彼の横にリーフィンの少女が立っているのを見つける。
金髪の長い髪は緩いウェーブが掛かっており、大きな瞳は紅色に輝いている。
それが誰であるか、昴にはすぐに解った。
アーディンにも、餡コロにも……全員が一目で誰だと解った。
だからこそ、相手のリーフィンがチャットを打つよりも早く、全員が一斉に打ち込んだ。
『昴:おかえりなさい、命さん』
『アーディン:っぷ。やっと来たか』
『餡コロ:おかえりなさ~い』
『いっくん:っよ!』
『カミーラ:あらぁ。また同じ外見なのねぇ。とにかくおかえりぃ』
『クリフト:おかえり』
『桃太:おかえりなさい、命さん』
『ニャモ:おっかえり~』
『モンジ:ご帰宅、ご苦労でござった』
『月:おっか~。レベル1の命ちゃんだw』
『茉依:あの、命です。漢字が違うけど、めいって呼びます』
『・キース・:あぁーあ。名乗る前からバレてるしw』
お読み頂きありがとうございます。
「WoF」はこれにて完結となります。
書くことの練習のために書き始めた作品でしたが、結構お気に入りのキャラたちでした。いつか違う形で彼らをまた書ければなぁと思います。