異空間から帰ってからの数日は、蒼乃にとっても意外なくらい平穏な日々だった。
桃神が最初の変身時に起こした桃色ビッグバンは自称妖精の言う通り誰も気にしていないようだったし、この街に怪物が出現した事実に気づいたものはいなかった。
結局蒼乃はその事実を親にも先生にも伝えることはなかった。
言っても信じてもらえるとは思えないし、信じてもらえたらそれはそれで面倒だと思ったのだ。
何となく大人の問題にしたくない。
それがどういうことなのか。
言葉にできなくて、胸の奥でつっかえて取れなくなっている。
そんな蒼乃の心情を知ってか知らずか、相変わらず学校では桃神が距離をつめてくる。
他の子たちよりも、一段も二段も明るい、あまりにも屈託のない笑顔で。
今日も今日とてアホ毛にくるまれながら蒼乃は考えるのだ。
「あんな怪物と戦うことが、この子にとっての日常なのだろう」と。
蒼乃と桃神が出会ってから初めての週末。
河川敷へと少女は向かっていた。
●
「蒼乃さん!! おはよー!! 私達の新しい本拠地へようこそ!!」
蒼乃の姿を見るなりアホ毛をぶんぶん揺らす少女。
休日でもセーラー服の少女の
「こ、これは……?」
「魔法のテントだよ!! 私と妖精さんは今、ここに住んでいるんだよ!!」
今までどこに住んでいるのか不思議だったがテント生活とは。
お風呂はどうしているか聞くと「魔法少女は魔法の力で体をキレイにしてるから必要ないんだよ!! 本当だよ!!」と熱弁された。
強調されると逆に嘘くさいのだが、あんまり深くツッコむのは止めておこう。
「嗅がないでね!!」と桃神と念押ししていることだし……。
そんなやり取りをしているとテントからもぞもぞと銀髪ピチピチスーツのナイスバディ……もとい自称妖精が顔を出す。
……酷く顔色が悪そうなんだけど。
「おはよー蒼乃さん。うぷ……」
「酒くさっ!! どうしたんですか!?」
「どうしたもこうしたもないわよー!! 大枚はたいて買ったカフェは潰れたし……あそこの異空間自体がモンスターに発見されてしばらく使えないのよ!! おかげでこんなテント生活を余儀なくされちゃったし……!!」
「これが飲まずにやってられるかー!!」と缶をカシュッと一息。
ビールは二十歳になってから。
……どうやら二十年は生きている妖精らしい。
こんな大人にはなりたくないなあ、と漠然と思う。
大人というか妖精だけど。
「そもそも転校する際の手続きはどうしたの?」とは聞かないことにした。
妖精なんだから人の記憶をいじったりできてしまうのかもしれない。
「そう考えると今こうしていっしょにいるのも結構怖いかも……」
「ええーー!? 大丈夫だよ蒼乃さん!! 妖精さんは魔法少女の頼れる味方!! いろいろサポートしてくれるんだよ!!」
「……」
蒼乃が一息を入れる。
そう、魔法少女を手助けする存在は既にいるのだ。
「今日はその……大事なことを伝えに来ました」
「大事なコト……!!」
「そ、そんなに目を輝かせないで……!! 」
桃色の瞳をキラキラに輝かせる様は、もはや単色の発光源。
いろんな意味で直視できずに蒼乃は思わず目を逸らした。
そして言った。
「私……やっぱりあなた達とは戦えません!! ごめんなさい!!」
「なるほど!! それは確かに大事な……え? ええ……? ええええ……!?」
曇っていく笑顔は最終的に劇画調の渋い顔となった。
「ええええええぇぇぇぇええええぇぇぇぇーーーー!! 蒼乃さんが……!! 私達といっしょにモンスターと戦わないーーーー!?」
河川敷に大声が響く。
相当、恥ずかしい。
魔法少女の声がでかいの、必殺技とかを叫ぶからだろうか。
●
魔法少女がやってきたこの街……某県某市は決して都会ではない。
住人が街の魅力を聞かれても「うちの市? 何にもねえよ」とヘラヘラ答える程度には何もない街である。
娯楽に乏しく、そのせいか街のいたるところには落書きがあるし、少なくとも若者が都会へ流出していくのも止む無しだ。
では、田舎なのか?
それは言い過ぎだろう。
某県某市の市民たちは他の片田舎といっしょにされると急に機嫌が悪くなる。
自分達は隣県の田舎よりも隣の隣くらいの大都市と同じグループ。
そんな他県には理解できない謎のプライドを持っていた。
中都市。
それこそがこの街にふさわしい称号だ。
そして、駅前のショッピングモールはこの街において最高の娯楽のひとつだ。
他に遊ぶところがない……などと失礼なことを言ってはいけない。
少女が二人、歩いていたのはそんな微妙……もとい絶妙な大きさの街だった。
●
「蒼乃さん!! 見て見て!! 何か良い感じのお店があるよ!!」
「酷くあいまい。あれ、ただの100円ショップでしょ……。見たことないの?」
「うーん、あるようなないような……!! 魔法少女の変身アイテムとか置いてあるかなあ~」
「置いてあったら怖いよ……」
そんな他愛もない会話をしながら、二人で歩く。
吐いた息が白くなる程度には寒い日だ。
楽しそうにきょろきょろする桃神を横目で見ながら蒼乃は考える。
(これでいんだよね……)
河川敷でのやり取り。
魔法少女への協力を断ることを宣言したわけだが、意外なくらいあっさりと桃神は引き下がった。
「蒼乃さんの気持ちが第一だから」と。
(アホ毛がうなだれていたあたり本心ではないかもしれないが)
妖精としては「桃神がこの時空に来てから初めて出会った人間に協力を断られた」という事実が残ってしまうから反対らしい。
「私は一般人だから……」「誰だって最初は一般人!!」「でも特別になる人って何やかんや才能があるじゃないですか」「そんなことないわ!! 大切なのは……その精神性!! 心の強さよ!!」「それがないって言ってるんだけど……」
壮絶な
それが「最後に桃神と蒼乃でショッピングを楽しむ」というものだった。
楽しい思い出を作れば、それは魔法少女の
いいのかよ。
(桃神さんは喜んでるみたいだけど……)
桃色の髪を持つ少女は高い建物(ただのデパート)を見ていたく喜んでいた。
……桃神にとって、自分は特別な人間ではない。
替えが効く、一人の人間にすぎない。
だからこれっきりでお別れになっても、しょうがないことなのだ。
少しだけ目頭が熱くなる気がした。
吹いた風がやたらひんやりと感じたのは、気のせいではないかもしれない。
「くしゅん……!!」
「蒼乃さん、大丈夫!?」
「くしゃみくらいで
本当にただそれだけ。
と、言う間もなく桃神がまんまるな目を開いた。
何かを閃いた、らしい。
「ようし、それなら……!!」ズモモモモ
「え、アホ毛が首に巻き付いてくる!? 怖っ!!」
「即席のマフラーだよ!! 私にも巻き付けて……と!! ……えへへ。何だか仲良しさんだね、私達!!」
二人でぴったりとくっ付いて歩く。
首に巻き付いているのがアホ毛でなければロマンスあふれるシチュエーションだったであろう。
「もう……行こっか」
「うん!!」
すぐ隣で桃神の息遣いが聞こえてくる。
ここに来て気づいたが、桃神の体はだいぶ
「……」
もう少しだけ今の時間が続いてほしい。
何となくそう思った。
●
寒空のもと、二人の少女が歩く。
桃神が街への思い入れを深めるという目的もあったから蒼乃は先導役ということになるのだが、特に大変なことはなかった。
傍らの少女は何でもない中都市の街並みひとつで喜んだからだ。
植え込みひとつで「何の木かなあ~」などとニコニコする横で、蒼乃は考える。
やっぱり自分がいなくても大丈夫なのだろう、と。
その内、二人は公園のベンチに腰掛けた。
辺りには誰もいないようだった。
「今日はたくさん歩いたね~」
「うん……」
「蒼乃さんは? どこが一番楽しかった?」
「……。わからない」
「そっかあ。どこも楽しかったもんね!!」
その眩しい笑顔に、思わず目をそらしてしまう。
街の風景なんて見ていなかった。
お店に何が置いてあるかなんて覚えていない。
蒼乃の心を満たしていたのは、純粋無垢な隣の少女への罪悪感に似た感情だけだ。
「ねえ、蒼乃さん。もちろん、蒼乃さんが良ければなんだけど……」
「ごめん!!」
蒼乃が首に巻き付いているアホ毛をほどく。
桃神が何を言いたいのか、わかってしまったから。
「もうこれからは私と関わらないで……」
「え……? それってどういうこと……?」
「言葉通り。桃神さんが本当に魔法少女ってのはわかった。私と同い年でよくわからない怪物と戦っているの、すごいと思う。でも――」
だからこそ、だ。
「私なんかじゃ役に立てないよ!! たぶん、もっと桃神さんの助けになるような子がいるから、その子と頑張ってほしい……。私も……応援してるから」
「……。私は、蒼乃さんと――」
「私は魔法少女の絵をビリビリに引き裂いた女なんだよ!!」
風が吹く。
桃神のアホ毛は無造作にたなびいた。
誰もいない公園に静けさが増す。
蒼乃はいつしか見た夢を思い出していた。
いや、正確には夢ではない。
あれは過去の出来事だ。
幼稚園のころの二人の少女。
泣いている子と、絵を差し出した子。
そして、思い出した。
どちらか自分であったのかを。
「私は泣いてて……それを慰めるために
「……」
青色のクレヨンで書かれていたそれは、自分の名前と引っ掛けたのだろう。
それを引き裂いた。
自分を慰めるために描いてくれた絵を。
「自分でもどうしてそんなことをしたのかわからないよ……。でも、きっと私は魔法少女が嫌いだったんだよ……」
そうでもなければ説明がつかない。
「小さな子供は残酷だ」なんて言われてるのを、蒼乃も知っている。
だから、あの日の酷い行いは、自分の根幹であるとも思えたのだ。
純粋であるから故、心のままに行動した結果なのだ。
他者の気持ちを平気で踏みにじる。
それが蒼乃実里という人間なのだ。
そして、魔法少女が想いの力で戦うというのなら――。
「私が横にいたら桃神さんに迷惑がかかると思う……!! だって私、魔法少女のこと……信じてないから!!」
蒼乃は駆け出した。
話を遮った時と同じだ。
桃神が何を言うのかが怖くて、それで逃げ出した。
街を駆けながら湧き上がるのは得体もしれない情動だけ。
何もない。
ここには何もない。
だったらいっそ、全て壊れてしまえば――。
いつの間にか辺りは暗くなっていた。
そんなに時間は経っていないはずなのに。
気付く。
空が一面の黒い雲に覆われていることに。
街の人間たちがかすかにどよめく。
スマートホンを取り出して、撮影を始めた。
蒼乃だけは震えていた。
どんな光でも吸い込んでしまいそうな黒に見覚えがあったから。
「あれ全部が……」
どうして未知の怪物が、害獣か建物程度の大きさである必要があるのか。
街を覆いつくす黒い雲。
これら全てがモンスターなのだとわかってしまった。
「桃神さん……!!」
少女が公園に向かって駆ける。
桃神司を止めるために。
どう考えても戦うのが無駄だと、そう思ったから。