家出少女の禪院さん 作:人の心
それは、古い記憶。
私が4歳で、「親の足を引っ張りたくない」なんて一丁前の自意識に目覚めて、そんな所を扇さんに気に入られていた。
呪力操作と『落花の情』を、体術や剣術と共に叩き込まれていた、あの頃。
『その男』は禪院家にやってくると、私に「一番偉いやつを呼んで来い」と命令した。
当主だのなんだのを知る由もない私は扇さんの事だと勘違いして、一直線に道場に向かったのを覚えている。
「扇さん。お客さんです」
「……誰だ?客など呼んだ覚えはない、追い出して構わないぞ」
「それが、甚壱さんの弟君らしいので。私もどうしたものかと……」
私が言ったその言葉に、道場の空気が『落花の情』を発動させたときのように張り詰める。
思わず後退りした私の後ろ、ドアを押して開けた
「……困ります。ドアで待っててくれないんですか?」
「はー、マジかよ。4歳にもなってお使いすらできねえのかお前。……まぁ、4歳だからか。じゃ、今のなし」
「甚爾……!何をしにここに来た……!?」
扇さんの額に、汗が浮かぶ。
反対に向き合った甚爾、と呼ばれた男は涼しい顔を浮かべながら、こちらを見下ろしている。
4歳の私にも、分かった。
目の前の男は圧倒的に強くて、それは『呪力が全くないこと』に起因しているのだと。
反対の天与呪縛を持つ私だからこそ、それはよく分かった。
──まるで幽霊。
呪力を感じないからこそ、彼の強そうな雰囲気は『純粋な強さ』に起因するものだとわかる。
それでも呪力を感じないから、私は若干の混乱状態にあって。
「呪具だよ。京都で仕事があったから、挨拶がてら寄ってやったんだ。呪具の一本くらいタダでくれねえか?ちょうど切らしててな」
「誰が……!」
「構築術式、『游雲』!!」
扇さんが怒るより先に、私は動いていた。
実在する特級呪具である『游雲』という、最も使い慣れた武器の構築。
その構築を見た甚爾さんが、大きな傷のある口を曲げて、凶器みたいな目を大きく見開いた瞬間の恐怖は今でも覚えている。
「止せ、『落花の情』はその男に通じん!」
「ら……『落花の──むぐっ!」
「おい、マジか。特級呪具?……噂に聞いてた2人めの構築術式使い、そんな呪力量持ってやがるのか!」
躯倶留隊の面々が騒ぎ立てる中、恐怖で武器を構築した私。
『フィジカルギフテッド』の特異性と恐ろしさを知っている扇さんが私を静止しようとする中で、伏黒甚爾だけがただ冷静に私の奥襟を掴んで、何やら考えていた。
今なら、わかる。
……彼は私の『呪具を生み出す力』に目をつけていて、ゆくゆくは『どこにでも持ち運べる武器庫』のようにしていたのだと。
「おい、小銭と呪具をせびりに来ただけだったが……目的が変わった。直毘人だ、あいつを呼べ!そんで、コイツを俺に売れ!……いや、よこせ!」
「貴様……突然何を言い出す!?」
「手切れ金だよ、俺と縁が切れるなら安いもんだろ!何よりコイツの力は……俺が一番使いこなせる!」
それからは、実に早かった。
直毘人さんがほぼ二つ返事で快諾し、甚爾さんはついでのように自分の息子を売る話をして、『相伝だったら屋敷の全てを譲る』という約束をした事も。
私が要介護の母親を連れて行くことを条件にしたら、甚爾さんは渋々それを承知してくれたことも。
格納呪霊の口の中に閉じ込められ、母と一緒に窒息しそうになりながら待って、目が覚めたら
たまに特級呪具を作っていたら、1ヶ月に1万円も小遣いをくれたことも。
麻雀の相手くらいできるようになれ、なんて言って計算のやり方を教えてくれたことも。
ある日、鼻歌を歌いながら帰ってきた甚爾さんがお菓子を貰ってきて、3人でチョコレートを食べた事も。
甚爾さんが呪詛師を騙して呪具を高値で売りつけていたことも、そのおかげで莫大な収入があったのに
なぜか、たまに爆弾や拳銃の設計図なんかを読ませてきて、私が失敗すると渋い顔をしながら理科の勉強を始めようとしてきたことも。
私の覚えが悪かったから、諦めて日本刀やナイフの構築に専念させてきたことも。
五条さんが「お前の父親は死んだ」と言うのに対して「実の父ならわかんないよ」とジョークをかましたら、彼が妙にバツの悪そうな顔をした事も。
『落花の情』と多少の武器術ができる、と話したら五条先生がフリーの呪術師になる事を勧めてきて、それに従ったら自分の力で1日に3万稼げたことも。
高専に売った游雲のレプリカは5千万もしたことも。
甚爾さんが死んで数年、すっかり景品交換所のチョコレートの味を忘れてしまった事も。
私は、全部鮮明に覚えている。
◆
「……って感じだね。恵の父さんは割と、いい人だったと思うよ」
「何も……何もいい人じゃねえだろ。騙して格安で呪具作らせて小銭稼ぎして、その金はギャンブルで使い込んで!お前に遺産の一つも残さなかったんだろ、アイツは!」
しみじみと語る私に、伏黒くんの怒鳴り声が返ってくる。
気持ちはわかる。私だって、もう少し金があったら、と思ったことは1度や2度じゃない。
1日に1回は思ってた。……だから、五条先生に
「……俺だって、売られた。津美紀もついでみたいに人生めちゃくちゃにされるところだった!」
「そうだね、アイツはクズだった。……恩人だけど、それは変わらない」
舌打ちをする恵くんを見ると、確かに悪い人だったな、なんて納得ができてしまうから不思議だ。
娘に背を向けて私ばかりに入れ込んだ扇さんも、私の内職で毎日パチンコに行ってた甚爾さんも……なんなら思いつきで私を振り回して伊地知さん始め補助監督の皆さんに迷惑をかける五条先生も、どっちかと言えばそうだ。五条さんは比較的マイルドだけど。
私の人生は、そういう人たちの庇護下で成り立っていたもので。
──けど、だから彼らの全てを肯定できるかと言われると、それも違うわけで。
「でも、そうだね。うちにあの人の位牌と遺影あるけど、割ってく?『游雲』構築するよ?」
「は?……いや、割らねーよ。俺としては、死んだならもうどうでもいい。……けど、死んでたんだな」
「あんま言いたくないけど、茜のそういうところが夜蛾センに嫌われるんだと思うよ。お仏壇は大切にね……っと、野薔薇がちゃんとやってのけたみたいだ」
ずっと建物の方を見ていた五条さんが指差す方を見れば、全身を棘に貫かれた呪霊が残穢になって消えて行くのが見えた。
私は知っている、都会の呪霊は『人質』くらい簡単に取ることも。
時間がかかったのはそういう事なのだろうな、と納得していると、任務の帰りとは思えないほど軽い足取りで二人が出てきた。
「お疲れサマンサー!頑張った二人と普段から頑張ってる二人にご褒美!どっか飯食いに連れてってあげるよ!」
「よっしゃあ!じゃあ中華行こうぜ!」
「バカね、東京なら寿司よ!回らないの!」
やいのやいの、と言い出す三人と、結局それに加わった恵くん。
その日は結局のところ悠仁くんの希望で回転寿司に寄り、私が帰った後もしばらく宴は続いたらしい。
私に手を振るその笑顔を、私は今でも思い出すことがある。
──私が弱いせいで死んだ、君の笑顔を。
一体誰が死ぬんでしょうね(すっとぼけ)