家出少女の禪院さん 作:人の心
秤金次は、強い。
五条先生から聞いてはいたものの、それでも私は度肝を抜かれてしまった。
「強い……!」
無数にいたゴキブリが、秤先輩の振るう拳で次々に
元々、ゴキブリの一体一体は非常に弱い生き物である。
リーチ演出の『交通系ICカードリーチ』が流れる頃には、ゴキブリの群れはほぼ全滅していた。
──領域効果のみならず、体術だけでも、強い。
五条先生は『基礎でゴリ押しできる術師』が最強だと言っていたが、彼はまさにそれだろう。
それに術式効果を上手く組み合わせているのだから、無敵の強さも必然か。
その猛威を前に、黒沐死は掌印を結びながら距離を取る事を選んだ。
「
式神の召喚を実行したのは、確かに悪い考えではない。
ゴキブリを攻撃に回しても秤先輩の呪力と憂憂さんの簡易領域に阻まれるというのだから、最低限の抵抗ができる『式神』を最低限戦力になる『数』として召喚しようとしたのは、正しい選択だ。
しかし、正しい選択が常にいい結果を結ぶとは限らない。
詠唱を終えて顕現した式神二匹は、無慈悲な『黒い弾丸』によって完全に破壊されてしまったのだから。
風を切って迫ってくる圧倒的な威力は、
──烏の命と引き換えに、特級呪霊にも致命傷を与える一撃。
呪術師なら誰もが噂で知る、絶大な威力の一撃。
「私のために死んでおくれ。『
その凄まじい勢いに、ゴキブリ型呪霊が一瞬だけ目を瞑った。
その一瞬のチャンスに、私は急いで黒沐死との距離を詰める。
私の背中の『千手』は、夏油傑との戦いで構築した義手をベースに新たなる進化をしている。
間接と内部を柔らかい金と液体金属、その他数種類の金属を混ぜた特殊な半液状の金属にすることで間接部分の摩耗を最小限に。
いくつかの固体金属と金をベースにした腕を作ることで、間接部との馴染みやすさと壊れにくさを高めた『追加の四肢』としての役割を持たせる。
同じ素材を一部流用することで修復も簡単になり、それ故に大量の呪力を込めることができる。
──込めた呪力の量は、即ち威力となる。
「ぶっ飛べ!
黒閃を狙って出せる呪術師はいない。
それでも、これだけ大量の腕で打ち込んだパンチは
「……ヴァ……!!」
「逃さないよ。『
ガードをすり抜けて何発も殴られ、その場から飛び立とうとしたゴキブリの背に綺羅羅先輩が触れる。
刻んだ刻印は、『★Imai』。
殴られた上に呪印を刻まれた呪霊は、慌てて飛び退きながら私と綺羅羅先輩に向かって『
「ハッハー!綺羅羅の刻印を刻まれたお前は……えっと、なんに引き寄せられるんだ?」
「中学留年の金ちゃんに代わって解説すると、私の術式は
「何ガ……!?」
『落花の情』の呪力膜に触れる寸前、黒沐死の放った卵がUターンして真っ黒い腕に突き刺さる。
驚く私に、綺羅羅先輩は微笑んだ。
「だから今は
「鉄ノ……味ガ……!!」
己の放った
その後ろ、電車の走り去った駅のホームで、女性の可愛らしい声が響く。
『終電……なくなっちゃったね』
困ったような笑顔が弾けた、その刹那。
──大音量の『あちらをタてれば』が、領域全体を揺らす。
そして、実際にこの歌自体が『祝詞』や『楽』としての役割を持つのだろう。秤金次の肉体から、『異常なまでの呪力』と『反転術式』が発せられ、
「大当たり……『ボーナスラウンド』!」
「……君、詳しいね。本当に高一?」
冥冥さんの呆れたような声を横に、上機嫌の秤先輩を見る。
悪そうな顔を笑みの形に歪めながら、彼は人差し指をクイ、と曲げて合図をしていた。
それが何の合図なのかは、二人にしかわからない。
けど、きっとそれだけで十分なのだ。多分。
「金ちゃん。いくよ!」
「おうよ!」
二人だけの合図。綺羅羅先輩の華奢な指が、触れる。
秤先輩の背中に刻まれたマークは『★Imai』であった。
「……あっ!」
「へへっ、茜ちゃんは気づいたか。さすが金ちゃんと同じタイプ!」
それで、ようやく私は二人の意図を理解する。
同じマークは引き寄せられ、離れられなくなると言っていた。
つまり、無敵状態の秤先輩と同じマークを付けられたら?
……自分がされたら、なんて想像もしたくない。
けど、そのコンボ技はいっそ寒気がするほど合理的な術式の使い方だ。
「……私、私ハ!ガギッ、ギギギ……!」
「後輩と恋人の前なんだ。カッコつけてもいいよなぁ!」
慌てて羽を動かしながらもがく呪霊が、秤先輩の方に抗えずに引き寄せられていく。
『無敵状態』の秤先輩相手に、『引き寄せ合う』綺羅羅先輩の術式で縛り付けられる。
その距離ではもちろん『必中』となり、秤先輩の一撃は『必殺』となる。
──『必中必殺』を体現した、下手な領域より恐ろしいコンビネーション。
「うおりゃあああ!」
「……ァ……ッ!!」
ドロップキックが炸裂すると同時、黒い火花が迸る。
──『黒閃』。
ガードのために挟んだ刀を粉々にし、さらに秤先輩は追撃する。
叩きつけるのは、その大きな拳骨。
多くの黒閃を経験した私は、その時点でわかっていた。
秤先輩は、次も黒閃を出す。
彼の手に迸る閃光は、まさに
誰もが、その勝利を確信する。
「イケるぜ……黒閃!」
「……!……ッ……!」
再び、黒い火花が炸裂する。
その甲殻は砕け、ついに脆い中身が溢れ出た。
黒沐死の手が、苦し紛れに彼の足を掴む。
すると卵が一つ、秤先輩の足を通して体内に侵入した。
「……私ハ……マダ!!」
「お生憎様だが、そりゃあ悪手だ」
──秤先輩の反転術式は、体内に生じた傷まで一瞬で修復する。
入り込んだ寄生卵は『正の呪力』を前にあえなく分解され、ものの数秒で残穢となって消える。
特級呪霊『黒沐死』は、苦虫を噛み潰したような顔で、この世を呪うような呻き声を立てながら、ついに祓除された。
まさに、それは『虫の呪霊』に相応しい最期だと言えるだろう。
「お疲れ様、金ちゃん。……茜ちゃんも凄かったよ!」
「ありがとうございます。私が五体満足なのは、綺羅羅さんのサポートあってのことですから」
笑顔で手を握ってくれた綺羅羅先輩とおしゃべりしていると、ポケットに入っていたスマホの通知音が鳴る。
発信先は『伊地知さん』。
何かあったのか、と思って電話を取ると、真っ先に聞こえてきたのは荒い呼吸だった。
補助監督は現場で走らされることは多々あるから珍しくないものの、伊地知さんは補助監督には珍しいタイプで、体力自慢のタフガイだ。
──十中八九、心因性のもの。過呼吸だ。私が何があった?
と少し身構えていると、呼吸によるノイズの間から、信じられない言葉が響いた。
『禪院茜さん。……虎杖悠仁くんが、亡くなりました。私の責任です』
それを聞いた私は、一瞬彼が言っている事の内容を理解できなかった。
あまり『五条悟』以外の術師と協力してこなかったから、初めて経験した『仲間の死』。
彼のことは、噂には知っている。
けれど、友達にはなれなかった。
だから深くは知らない。みんな知ってることだけ。
ラーメンが好き。寿司も好き。運動神経がいい。
お爺さんを介護している。……いや、仙台から離れたので、たぶんお爺さんは亡くなった。
パチンコ屋で出くわした事が一回だけあって、その時はひどく慌てていた。
理数系はあまり得意じゃない。正義感が強い。
──違う、そうじゃない。彼が死んだ?なぜ?いつ?
私は落ち着かないまま、それでも何かやらなきゃならない気がして、震える唇を強引に動かした。
「……今から、伺います。五条先生に伝えてください」
『わ……わかりました。連絡は入れておきます』
その日、私は同級生の『死』を受け入れるために、霊安室に向かい。
──血の気のない彼の頬に触れた後、そのまま何も言わずに帰宅した。
◆
少年院で『特級呪霊』の受胎が観測。
それに対して、高専は三名の一年生を派遣する。
結果、生徒一名死亡。
また、その翌日。
──他の任務に行っていた一年生一名が、休学届を提出する。
忙しくなるのでしばらく投稿頻度下がります