その日の晩、有栖川夏葉はデスクに向かい、講義のレポートを作成していた。
「ふぅ、こんなものかしら」
おおよそ十分な出来の文章をワープロソフトに打ち終えた夏葉は、パソコンを閉じようとして、あることを思い出した。
同じ事務所、283プロダクションに所属するアイドルの大崎甜花が、ちょうど今日、ゲーム実況のライブ配信を行なっていたのだった。
夏葉自身は付き合い程度でしかゲームを遊ぶことはないが、一般的にゲームは多くの人が遊ぶものだ。最近はゲーム実況やeスポーツも盛り上がっていると聞く。
世の中のアイドルが行う活動は多岐に渡る。自分に関わりの薄いフィールドの芸能活動を知ることも、夏葉の目指すトップアイドルには必要なことだと、夏葉は考えている。
夏葉の知る大崎甜花は、自分とは真逆の方向性を往くアイドル、と言って良いだろう。インドア趣味で、ゲームやインターネットの知識に詳しい。ゲームやアニメは夏葉にとって、性格や趣向の差異で触れていないだけであって、特段忌避するものでもない。むしろ、そうした文化に疎いことを自覚し、引け目に感じる部分があった。
夏葉が所属するアイドルグループ、放課後クライマックスガールズは、若い女性や子供にも人気があるグループではあるものの、やはりファンの大半はいわゆるアイドルオタクと呼ばれるような趣味の男性が多い。
そうしたオタク趣味の男性は、やはりアニメやゲームも好んでいることが多い。甜花の趣味は、男性ファンと共通しているように思える。その点に関して、自分には無い魅力だと、夏葉は常々感じていた。
ファンからの共感を得たり、同じ趣味を共有するというのは、ファンを楽しませるうえで重要なことだ。アイドルの趣味をファンに押しつけるだけでなく、ファンの好みを理解し、アイドル活動に取り入れる。トップアイドルに至るうえで、欠かせないことだとさえ、夏葉は思っていた。
そのため、大崎甜花のライブ配信は、夏葉にとって興味深いものだった。夏葉自身、トレーニングの様子や、普段の食事を事務所の動画チャンネルに載せることはあったが、ゲームをプレイする様子を録画する、いわゆるゲーム実況は、未だ未経験だった。
夏葉は甜花のゲーム実況を参考に、自分も実況プレイを行ってみてはどうかと思い至った。
「甜花の動画は、たしかてーにんぐるーむ、だったわね」
夏葉は検索エンジンに「てーにんぐるーむ」と打ち込む。すると、甜花の実況動画がリスト表示される。格闘ゲームから、レースゲーム、パズルゲームと、色々なジャンルのゲームをプレイしているようだ。どれも再生回数は万を超えていて、サムネイルには甜花のゲームスキルの上手さや、その回の見どころを拾い上げた文句がわかりやすく見出しづけられている。
夏葉はその中から、今日の配信アーカイブを再生しようとして、ふと、その関連動画に目を向けた。
「【あの人気アイドルが問題発言】……?」
それは、大崎甜花が配信している様子をサムネイルにした、数分の短い動画だった。
甜花が問題発言だなんて、まさか。しかも、この動画の再生回数は数万回を超えている。
もしや、甜花がゲーム中に何か迂闊なこと、例えば対戦相手への罵詈雑言、をつい口走ってしまって、炎上しているのではないか。
夏葉はそんなことを危惧し、青ざめた。あらぬ想像が夏葉の頭によぎる。283プロの仲間がインターネットで炎上し、誹謗中傷に遭っているかもしれない。甜花がもし失言を負い目に感じ、誹謗中傷を真に受けてしまったら。彼女は恐らく傷ついてしまうだろう。
とにかく、この問題発言を切り抜いた動画の真偽を確かめないことには、事態が掴めない。悪質な発言の切り取りであれば、事務所を通して削除申請をすることもできるだろう。夏葉は問題の動画を再生してみることにした。
その動画は、人気格闘ゲームを甜花がプレイしている様子を切り抜いたものだった。
『にへへ……お相手も中々、やりますねぇ……!』
一見、何の問題もない内容だ。しかし、動画は甜花の『やりますねぇ』という部分を何度も繰り返し再生し、徐々にリピートの間隔を狭めていく。そして、唐突に画面が切り替わり、浅黒い肌色の男性が、薄着でソファーに腰掛けながら、
『やりますねぇ!』
と前のめりに発言するところで、動画は終了した。
「キャッ!」
夏葉は思いがけない動画の内容に、つい驚いて声を上げてしまった。
ホラー系には弱い夏葉である。深呼吸して、気を落ち着けてから、再び動画の内容に思考を及ばせる。
よく分からない動画だった。
甜花は何も変なことを言っていないし、この動画は甜花の発言を揶揄するというより、ただのびっくり動画のようなものなのだろうか。
何はともあれ、甜花が炎上するような事態にはなっていないようだ。夏葉はひとまず安心した。だが、一方で疑問が湧いてくる。
「この男性は一体何者なのかしら。野獣……先輩?」
コメント欄を眺めると、動画の最後に登場した男を、皆は「野獣」「野獣先輩」「田所」と呼称しているようだ。甜花が彼と同じセリフを口にしたことを茶化しているらしい。
この動画の他にも、甜花の発言と、野獣先輩の発言を結びつける関連動画が存在した。
【あの人気アイドルが再び問題発言!?】
『それなら甜花も、待ち戦法でいく。いいよ、こいよ……』
『いいよ!来いよ!』
【完全に淫夢厨であることを開き直った人気アイドル】
『この前、プロデューサーさんに、アルストロメリアのみんなと、美味いラーメン屋の屋台、連れてってもらった……! そう、夜中腹減る、にへへ……罪の味』
『夜中腹減んないすか? この辺にぃ、美味いラーメン屋の屋台、来てるらしいっすよ』
「なんなの、これは」
動画の様子を見るかぎり、甜花はこの野獣先輩という人物の発言を、明らかに模倣しているようだった。動画から得られた僅かな野獣先輩の情報から察するに、恐らく彼は映像作品の役柄か何かなのだろう。甜花はこの、野獣先輩が登場する作品が好きで、セリフを真似しているということだろうか。
甜花が好きな作品ならば、夏葉も知っておいたほうが、知識の幅が広がるだろう。
あまり魅力的な作品には見えないが、夏葉はそう考え、「野獣先輩」と検索した。そうして出てきた検索結果に、夏葉は戦慄した。
『野獣先輩とは、ゲイビデオ「真夏の夜の淫夢」第四章「昏睡レイプ!野獣と化した先輩」の登場人物である。』
「ゲイビデオ……? レイプ……?」
その内容は、およそ未成年のアイドルが触れていいものとは思えなかった。というか、甜花は17歳なので、完全にアウトである。
夏葉は、LGBTQといった性的マイノリティに対して、特段偏見を持っているつもりはなかったし、そうしないように心掛けてさえいた。しかし、野獣先輩の容姿や登場作品の画像に、夏葉は不快感を隠しきれなかった。
「甜花は、こんなものが好きなの……? 腐女子というのも、違うわよね……」
同じグループの園田智代子と杜野凛世は、ボーイズラブ、いわゆるBLについて興味があるようだった。そうした趣味の人間を腐女子、と蔑称まじりに言うようだが、この清潔感の無いゲイポルノ男優に智代子と凛世が黄色い声を上げはしないだろう。
「淫夢……? そういう文化があるの……?」
夏葉は全然理解を得ないながらも、検索結果を読み続け、「淫夢」という通称の文化があることを朧げながら把握した。
「なるほど……この野球選手の不祥事から発展して、出演ビデオそのものを面白おかしく茶化している、ということかしら」
しばらくネットサーフィンを続け、夏葉はおおよそ淫夢についての概要を知った。
性的マイノリティを嘲り、ビデオを無許可でインターネットに違法アップロードする。なんというアンダーグラウンドで醜悪な文化だろうか。
夏葉は、仲間である甜花がこんな加害性の強い文化を好んでいるとは到底思えなかった。しかし、甜花のライブ配信での発言は、確かに野獣先輩などを意識しているようだったし、コメントでもそれが当たり前のように受け取られていた。
仲間として、過ちは見過ごせない。
ゲイセクシャルの方を笑いものにするような、令和の価値観にそぐわない文化に、未成年が染められている。
インターネットの悪い影響を受けてしまった甜花を、正しい道へ導かなければならないと、夏葉は真剣に決意した。
翌日、夏葉が事務所で他のアイドルとお茶を飲みながら待っていると、授業を終えた甜花が甘奈と一緒にやってきた。
「みんな、おはよーございます!」
「おはよう、ございます……ふああ、昨日徹夜でゲームしてたから、まだ、眠い……」
「おはよう、甜花。早速だけど、大事な話があるの。二人きりになったほうが良いと思うのだけど、少し時間を取って貰えるかしら?」
「? レッスンまで、まだ時間あるから、大丈夫、だけど……」
「夏葉ちゃん、どうかしたの? 私も一緒に聞いていいかな? 甜花ちゃんにとって大事な話なら、甘奈にとっても大事だもん!」
夏葉は、甜花を他の仲間の前で吊し上げるようなことはしたくなかった。特に双子の妹の前で、ゲイポルノに傾倒しているなんて、叱られるのは気まずいだろう。
だが、甘奈は甜花から離れなかった。レッスンまで時間があるとはいえ、無理に引き剥がして一対一で説教しては、話が長引くかもしれないし、余計に心配をかけてしまうかもしれない。
夏葉は婉曲表現を心がけて、それとなく甜花を宥める方針で話を切り出した。
「その、貴女のライブ配信での発言なのだけれど、『やりますねぇ』……とか」
「「「!」」」
「やりますねー、がどうかしたの? それって、何か意味があるの?」
甜花の他に、事務所にいた三峰結華と黛冬優子が、何故か肩を強張らせた。
「甘奈。甜花は、あまり教育に良くない作品のセリフを真似しているみたいなの。道徳や法に照らし合わせても、認められない趣味よ。公の場でアイドルがする言動として、いや、人として認められない言動だわ」
「甜花は、その……」
「ちょっと、夏葉ちゃん! なんで『やりますねー』がそんなに酷い言葉なの? 普通の言葉だよ! そんなの、言葉狩りだよ!」
夏葉は大人として、率直な意見を口にした。ただし、ゲイポルノというセンシティブな前提は伏せて。
甜花には夏葉が何を言いたいのか伝わっているようで、目を泳がせている。一方で、甘奈は何が何だかという表情で、甜花を庇おうと前に出る。
三峰と冬優子は何故か冷や汗を流している。
「私は甜花に人を傷つけるような言葉を使ってほしくないの。そういう意図が無かったとしても、言ってはいけないこともあるのよ」
「甜花は、ただ面白いと思って、視聴者さんも盛り上がってくれるから、それで……」
甜花は、自分の行いがそこまで深刻なことだと理解していなかったようである。
「何の話かよく分からないけど、ふゆも、いけない言葉は真似しちゃいけないと思うなぁ〜?」
「そ、そうだよねふゆゆ! 三峰もよく分かんないんだけど、確かにアイドルとして語録はまずいんじゃないかなぁ!?」
冬優子が口火を切り、三峰も追従して夏葉に加勢した。二人とも、どこか表情筋がぎこちない様子だ。夏葉は二人の様子に首を傾げつつ、甜花に向き直った。
「甜花の気持ちも分かるわ。でもね、もし甜花のそうした発言を本人やマイノリティの方が聞いたら、傷ついてしまうかもしれない。アイドルとして、それは正しいことなのかしら? それに、言葉は言霊よ。貴女にマイノリティの方を嘲る意図が無くても、口にしているうちに、思想が偏ってしまうかもしれないわ。私は283の仲間にそんなことを思ってほしくないの」
「て、甜花そんなつもりじゃ……」
夏葉は淡々と、甜花に言い聞かせるように、目を合わせながら話す。
甜花は目に涙を浮かべながら、もじもじと気まずそうにしていたが、やがてゆっくりと頷いた。
「ごめんなさい……有栖川さん。甜花、間違ってた……もう淫夢語録は、使いません……」
「甜花! 分かってくれたのね、ありがとう。貴女はただ、悪いお手本を真似てしまっただけなのよね。大丈夫、これからの行動でいくらでもやり直せるわ」
夏葉は甜花をそっと抱き寄せた。甜花は顔を伏せ、反省しているようだった。
甘奈は、どうやら姉に非があったようだと気づき、甜花にどう声を掛けるべきかおろおろしている。
「一件落着ね。甜花に限らず、一社会人として、私たちも言葉遣いには気をつけましょう」
事務所での一件の後、夏葉は打ち合わせやスケジュール確認などの用事を終え、ジムに寄ってトレーニングを済ませてから帰宅した。
「ふぅ……今日も良い汗を流したわね」
今夜の夏葉はやるべき課題も、アイドルの仕事も無い。いつもならすぐに眠気が訪れるはずだが、今日は妙に目が冴えた。
甜花とあんな話をしたからだろうか。日頃なんとなく利用しているSNSで、自分が炎上に繋がる言動をしていないか、怖くなってきたのである。
甜花は意図して淫夢のセリフを真似ていたが、もしかしたら、自分も気づかぬうちにそうしたセリフを口にしてしまっていて、ネットで取り上げられているかもしれない。
「知らないことには、回避しようもないわよね……」
夏葉は、淫夢のセリフを調べることにした。甜花に注意した以上、万が一にでも自分が同じ轍を踏んでは示しがつかない。
夏葉はスマートフォンで「淫夢 セリフ」と検索した。
「淫夢語録というのね。そういえば、甜花もそう呼んでいたわね」
夏葉は有名な淫夢語録が一覧でまとめられているWebページに辿り着き、一つ一つに目を通し始める。
淫夢語録は、夏葉の想像より遥かに多くの量があり、その中には今までインターネットでは普通の言い回しなのかと思っていた言葉もあった。
「『ありがとナス』『かしこまり』って、ただのひょうきんな若者言葉かと思っていたけど、淫夢語録だったのね。使わないように気をつけないと」
他にも、これまでに夏葉がツイスタで見かけたことのある、ファンからのリプライにあった言い回しも散見された。なるほど、『はぇ〜すっごいおっきい』や『この辺がセクシー』など、変な語感だと思っていたが、まさかこのような文脈のスラングだったとは。
アイドルへ普通に淫夢語録を投げかけるような感覚のファンもいるのかと、夏葉は理解から程遠い存在に頭が痛くなった。
「甜花も面白いとは言っていたし……淫夢って、そんなに面白いのかしら」
ある野球選手が出演していたとはいえ、元々は男性の同性愛者が興奮を覚えるために製作されたビデオだ。とても、腹を抱えて笑ったり、セリフを真似したくなるような要素があるとは思えない。
そういえば子供の頃は、同級生の男子が「うんこ」などといった下品な単語で笑っていたが、その延長線上だろうか。確かに男性の同性愛は、そうした下ネタの一環として扱われることもある。最近はほとんど見ないが、昔のドラマなんかでは、同性愛者のキャラクターがコメディリリーフとして登場していたような記憶がある。
だが、甜花は女子高校生だ。とてもその程度のことで笑うような年齢ではないだろう。夏葉が同じ歳の頃を思い出す。勉強や将来のことを考えるばかりで、「うんこ」で笑っている場合ではなかった。きっと甜花もその筈だ。まさか、今更「うんこ」レベルの下ネタ感覚で笑っているわけではあるまい。
「一体、何が甜花をあんな風に……」
怖いもの見たさに似た動機だろうか。夏葉は気がつくと、動画サイトで「淫夢」と検索し、人気順で一番上にある動画を再生していた。
動画の内容は、流行りの曲に合わせて、半裸や全裸の、清潔感の無い男性たちが、台本を棒読みしたり、快感や苦痛に悶える様を、テンポよく切り貼りしたものだった。
『イキスギィ!イキスギィ!イキスギィ!イキスギィ!やりますねぇ!やりますねぇ!』
「ふふっ、……………っ!」
あまりにくだらない動画の勢いに呑まれて、夏葉はつい笑ってしまった。そのことに後から気づき、夏葉は口を手で塞ぐ。
おかしい。そんな筈は。夏葉は自分がこんなことで笑うとは思っていなかった。同性愛者を笑うつもりなんて微塵も無かった。棒読みの演技も、素人ならこんなものだろうと思ったし、夏葉自身も芸能活動を始めて、演技を本格的に習うまでは、ゲイポルノ男優と大差ない演技の出来だったかもしれない。
しかし事実、夏葉は淫夢動画を見て笑いを漏らしてしまった。そこに差別的な感情は無く、ただ「こんなに真剣に、なんてくだらない動画を作っているの」という呆れに似た笑いではあったのだが。
「もっと、もっと見てみないと、甜花の気持ちも分からないわよね」
夏葉が次に再生したのは、おかっぱ頭の筋肉質な男優を、髪型が似ているというだけのアニメキャラクターになぞらえて、曲に合わせて踊らせる動画だった。
「ふ、ふふ……髪型だけじゃない……!」
それは夏葉も子供の頃に観たことのあるアニメだったが、髪型ぐらいしか合っていない男性を肉体派と称してキャラクターの名前で呼ぶのは、無理があるように思える。それが滑稽で、夏葉はまたも思わず笑ってしまった。
それから夏葉はいくつもの動画を閲覧した。
淫夢語録を使わないようにするため。
甜花の気持ちを理解するため。
語録を使ったファンのリプライを読解するため。
いけない動画を見ているという罪悪感を覆うための言い訳が増えていくたび、夏葉は次の動画、また次の動画と再生していく。
ゲイポルノの音声が流れる部屋で、アイドル有栖川夏葉は長い夜を過ごした。
それから一ヶ月ほどが経った。連日の仕事を終えた夏葉は、家に帰るなり、パソコンを起動し、ヘッドホンを装着した。
「ふふ、今日はどの動画を観ようかしら」
夏葉がブラウザで開いたのは、ニコニコ動画だ。夏葉は「例のアレ」カテゴリのランキングを物色し、ひとつの動画を再生する。
「最近はAI拓也も下火になったわね」
AI拓也は最近の夏葉のお気に入りだった。主人公である拓也の滑稽なキャラクターと、AIが生成する突飛な筋書きが、日頃勉学と芸能活動で疲労を溜めている夏葉を馬鹿らしさで癒してくれる。
「糞土方MADはコンスタントに良作が投稿されて安定感があるわ」
夏葉はグラスに酒を注ぎながら、パソコンの画面に映るうんこのイラストを見て笑いを堪える。
ほんの少し前までの夏葉は、自分がこんな下品で差別的な内容で毎晩笑うとは思いもしなかった。しかし、淫夢動画を見ていると、普段自分が抑制している幼さや意地の悪さが解放されるような、倫理観や自制心のたがが外れるような、不思議な満足感があった。いつしか、淫夢動画を見るのが癖になっていた。
淫夢動画を漁るうちに、編集技術や動画のクオリティに素直に感嘆するような作品にも出会った。夏葉は、「インターネットの掃き溜めながら、淫夢も捨てたものでないな」と思うようになっていた。
元々、夏葉は知的好奇心の強い性格である。一度淫夢コンテンツへの抵抗感というハードルを乗り越えてしまえば、ハマるのはあっという間だったのだろう。
「……あら?」
夏葉は「例のアレ」ランキングの中ごろに、自分の姿がサムネイルになった動画を発見した。タイトルは【あの人気アイドルが問題発言!?】である。
夏葉は吸い込まれるようにその動画を再生した。首筋に妙な寒気が伝った。
動画の内容は、夏葉が先日出演したテレビ番組の切り抜きだった。MCの大物芸人にコメントを振られた際の一幕だ。
『夏葉ちゃんは、どう? こういうのやりたくなる?』
『やりま、やりたくなりますね!』
夏葉は一気に顔を青くした。無意識のうちに、淫夢語録を口走りそうになっていたのだ。甜花にあれだけ言っておきながら、自分もいつの間にか思考回路が淫夢に染まってしまっていたのだ。理性で言い直したようだが、夏葉は自分がこう言い直したことさえ覚えていなかった。
動画に寄せられているコメントも散々なものであった。
『確 信 犯』『淫夢知ってそう』『大崎姉が言わなくなった途端これか…』『これもう逆に淫夢営業だろ』『終わりだよこの事務所』『ホモガキアイドル』
「違う、違うの、そんなつもりじゃ……」
夏葉は頭を抱え、デスクに突っ伏した。
淫夢語録を真似しようなんてつもりは無かった。むしろ最初は、言わないようにするために、淫夢語録を勉強しようとしたのだ。そのうちに夏葉自身淫夢コンテンツにハマってしまったが、家の中だけのつもりだった。外では十分自制できていると思っていたのだ。
それが、実際は気づかないうちに甜花と同じ過ちを繰り返しそうになっていたのだ。
ショックに打ち震える主人に、飼い犬のカトレアがそっと寄り添う。最近は毎晩楽しそうに笑っていた主人が気分が悪そうにしているので、カトレアは心配してくれているのだろう。
「クゥーン……」
「ふふっ」
カトレアの鳴き声に、夏葉は思わず笑った。
その瞬間、夏葉の頭には、あの浅黒い肌の男が哀しげに佇む姿が浮かんでいた。
夏葉は、自分の思考が既に不可逆に変化していることに気づき、笑いながら涙をこぼした。