てだこ小学校消失事件から数日。警察は懸命な捜査を続けていたが、犯人の手掛かりも行方不明者の痕跡も見つからず、何の進展も無く無意味に時間を浪費する羽目になっていた。
学校は周囲を住宅に囲まれており、これほど大規模な事件が起きたなら近隣住民に気付かれないはずがないというのに。聞き込みを行なっても得られる情報は『普通だったはずなのに、気付いたら校舎が無くなっていた』という内容のものばかり。科学では説明できない何かがあると、そう言わざるを得ない余りにも不可解な事件である。
『確実に呪詛師による犯行でしょうね。ここからの捜査は我々にお任せください』
「よろしく頼みます、呪術師殿」
事件がオカルトの領分にあるなら、自分達ではどうする事もできない。沖縄県警は呪術界に捜査を依頼する事を決定した。
これにより、事件の規模を鑑みて特級術師を含む数名の呪術師が派遣される事となったが……その結果どうなるかはまだ分からない。
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「おなかすいた……」
物騒な世になったと世間が騒ぐ片隅で、唯一の生き残りである暁は空腹に苦しんでいた。
警察に保護して貰えれば良いのだろうが、現場から逃げた上にただ一人生き残ったとなれば、いくら子どもとは言え疑われるのは想像に難くない。暁は銀千里の記憶を継承した影響で、こういう事を考えられるくらいには頭が良くなっていた。昔の人なので勉強ができるようになった訳ではないのだが。
今は那覇市内を転々としながら、公園の水道などで飢えを凌ぐ日々を送っている。金が無いせいで満足に食事が摂れない、食べ盛りの子どもにはかなり辛い生活であった。
一度家に帰って、食べ物を取ってこようかとも考えたが……暁は親から鍵を貰っていない。帰ったところで鍵を壊さなければ中には入れないし、そんな事をすれば余計に追っ手が強まってしまう。流石にこの案は取れないと心の底に封じ込めた。
「頑張って生きるとは言ったけど……このままじゃ餓死一直線だよ……ん?」
ひもじい腹を抑えながら、当てもなく彷徨い歩く内にある光景を眼にする。見るからに体調悪そうなスーツの男性……その口から蒼白い煙のようなものが炊き上がっていた。どこからどう見ても異常事態だが周りの人なら気にする様子はない。気付いているなら何かしらアクションはするだろうし、つまりあの煙は人には見えていないという事だ。
人には見えない……即ち呪術的なもの。体調が悪くなっている理由はともかく、あの煙なら暁の力でどうにかできる。あわよくばお礼を……そんな打算を持ちながら暁は男に近付いて行った。
「お兄さん、苦しそうだけど大丈夫?」
「ん……?ああ、ここ数日何だか体調が良くならなくてね……動けはするから大丈夫だよ」
「ちょっとだけ、触らせて貰うね」
「え……ん?苦しくなくなった?」
平日に学校にも行かず外を出歩いている、どう見ても染めた髪の不良童女に対しても、男は疑問を呈する事なく質問に答えてくれた。体調不良の中でもこんな対応を取れるなら、この人はきっと元から優しい人なのだろう。少しでも負担を軽くしてやりたいと思える人で本当に良かった。
男の身体に触れて術式を起動する。蒼い炎が男の全身を巡り、肝臓に寄生しそこから全身に根を張っていた呪いだけを焼き尽くした。身体を蝕んでいたものが消え、体調が良くなった事に嬉しさと戸惑いが半々と言ったぎこちない笑顔になる。自分に解決できる問題で良かったと、喜ぶ男を見て暁も小さく微笑んで喜びを見せるのだった。
「お嬢ちゃんが何かしてくれたのかい?本当は病院に行くところだったんだけど、おかげでその必要は無くなったよ。何かお礼をさせてくれないか」
「それじゃあ、あれ奢って」
「あそこの弁当かい?お安いご用さ。何なら飲み物とサラダも一緒に付けよう」
「ありがとう。あと病院にはちゃんと行っといた方が良いよ」
近くの弁当屋で食べ物を買って貰い、ちゃんと病院には行くように助言して男と別れる。お礼という事で少し高めの弁当とオマケまで付いてきて、暁は久しぶりにマトモな食事にありつけた。
良い事をした後の飯は美味い。あっという間に弁当箱を空にした暁は、こうして呪われた人を助けてお礼を貰う生活をできるのではと考えた。小学生にまともな働き口など無いし、ましてや天涯孤独の身には尚更辛い。できる事をやってその対価を貰うとして何故バチが当たるというのだろう。
「同業者にも、会えるかも知れないしね」
そうした生活を続ければ、いつかは噂を嗅ぎつけた同業者にも当たるかも知れない。それが銀千里のような人間かは分からないが、もし仲間ができれば今よりはずっと生き易くなるはずだ。
衣・食に不自由しない生活を送る、同じ呪術師の仲間と出会う。当面の目標は決まった。後はこれを実現するべく動くだけ……思い立ったが吉日、暁はゴミをゴミ箱に捨て行動を開始した。
「さて、どうするかだけど……普通の人に呪いの事は知られちゃいけないんだったよね」
呪いは人の負の感情から発生する。平安時代から一般人に呪いを流布する事は禁忌とされており、これを破れば死罪とされていた。今まで暁が呪いなど知らなかった事から、現代までその禁忌は続いているという事が分かる。
秩序に仇為すつもりは無いが、良かれと思いやった事で禁を破る事はあり得る。早まった真似をして命を狙われるのは暁としても御免なので、なるべく慎重に行かなければならない。
「まぁ、呪いと知られなければ良い訳だ」
制限があってもやりようはある。銀千里の記憶から得られる呪術情報を取捨選択し、今の自分に合った方法を探していく。そうして見つけた方法の一つを早速実践してみる事にしたが……
「見つけた。お前が件の呪詛師だな」
「……ッ!?」
抗い切れない力に引かれ、白い肌と髪に黒尽くめの男に首を掴まれる。サングラスの先から覗く青い瞳に宿る害意を感じ抵抗を試みるが、余りにも力が強く抜け出せない。むしろ腕を解こうと踠く程に強く首を絞められていった。
特級術師『五条悟』
現代最強の術師による奇襲、それは6歳の童女に対処できるようなものではない。尚も抵抗を続ける暁であったが膂力の差は如何ともし難く、少しずつ意識が薄れていくのを感じた。
沖縄県警の要請により派遣された呪術師達。彼らの捜査によって校内に残った残穢が解析され、そして暁に辿り着いたのだ。隠蔽も何もしていなかったために、捜査はこれまでの足踏みが何だったのかと思う程すんなりと進んだ。派遣されたその日の内に暁の存在に辿り着く位には。
「うっ……ぐぅっ、いぃぃ……!」
「ガキがデカい建物消し飛ばした上、中の人もみんな殺すとかどんな術式してんだか。悪いけどこのまま締め殺させて貰うよ」
窒息の苦しみに喘ぐ中でも、今の言葉の意味は理解できた。この術師は小学校での事件を暁が引き起こしたものだと勘違いをしていると。
確かに遺体や建物を焼滅させたのも、真犯人を焼き殺したのも暁であるが……その勘違いは流石に看過できない。暁は一気に全身に呪力を巡らせ肉体を強化し、五条が出力の急上昇に驚いている隙にその腕を振り払った。勢い余って地面に身体を打ち付けてしまったが、さっきまで殺される寸前であったのだからこれ位は安いものだ。
「ゲホッ……!何すんだ、いきなり……!」
「……驚いた、こんな呪力を隠してたのか。これは本腰入れた方が良い感じかな?」
出力の高さに驚異を感じ取り、五条はサングラスを外し戦闘態勢を取った。増大する呪力に己が死の瀬戸際にいる事を悟った暁は、掛かる火の粉を払うべく自身も戦う事を決意する。
辺りを見回してみたが、既に帳が展開されており逃げ出す事は叶わない。帳の範囲は食事に使った公園一帯だろうか?『入滅灼拓』『零下空真諦』なら破壊する事は可能だろうが、果たしてそれをさせてくれる相手なのか。何にせよここを切り抜けられなければ全て終わりだ。
霜天ノ式──術式順転『
あらゆる熱を奪う冷気が広がり、公園中を極寒の空間に塗り替える。一瞬で世界を塗り替える出力にまず驚く五条であったが、それ以上に想定と違う効果である事に驚いた。
「氷の術式……?お前の術式は炎のはずだろ?」
「さぁ、どっちだろうね?」
小学校で確認された残穢などの情報から、この呪詛師の術式は熱や炎に関する物と分かっている。なのに目の前の術師が使ったのは氷の術式、得られた情報と実情が全く違う。
別人という可能性……これは残穢と呪詛師の呪力が一致しているためあり得ない。他に考えられるのは氷の術式を反転させて炎に変えたなどだが、それ以外を考える前に戦闘に集中しなければ。コイツは中途半端な対応では恐らくダメだ。心の中で敵の脅威度を上方修正し、五条は戦いに臨む。
「げふっ!」
「思った通り、フィジカルはクソザコだな!」
「こ……の、ぉ!」
「無駄だよ。君の攻撃は僕には届かない」
近接格闘で一気に仕留める。呪力である程度強化できるとは言え、暁の素の身体能力はせいぜい同年代の中では高いという程度。呪術師としての年季が違う五条に敵うはずも無い。何もさせて貰えず一方的に攻撃をされるだけとなる。
暁が少ない隙に反撃しようとしても、攻撃は見えない壁のような物に阻まれて届かない。『銀世界』の熱を奪う効果も効いている様子が無く、バリアのような物がある事は明らかだ。これをどうにかしなければお話にならないが、そのための方法が現状何も分からな──
──ある。アイツが、見せてくれてた!
暁は一つの可能性に思い至る。強力な術式への対応策ならば、羂索が『零下空真諦』に対してやっていたようにやればいいのだ。
銀千里の記憶を探り、同じような事をしていた術師の情報を手に入れてそれを実践する。領域にわざと術式を付与せず、相手の術式を流し込んで効果を中和する『領域展延』。あの外道と同じ事をするのはあまり愉快ではないが贅沢は言えない。
「何度やっても無駄──ッ!?」
「『領域展延』……やっとお返しできた」
薄く身体中に領域を纏い、猛攻を亀のようにひたすら凌ぎ反撃の時を伺う。そして一瞬空いた腹に向けてストレート一閃……バリアを過信しガードを怠った五条はモロに食らい、展延によって開けた隙間から入り込む冷気に多くの熱を奪われた。
すぐに引き剥がそうとするが、冷気に術式を起動するための呪力を奪われ素早く動けない。その隙を見逃さず暁は顎にアッパーカットをかまし、反撃を撃たれる前に離脱した。
──あの白いのの術式効果は、『バリア』『引き寄せ』『打ち出し』の三つが見えてる。細かく言えば違うんだろうけど、他にできる事があるとしてもこれらの応用……分かってればイケるはず!
五条悟の『無下限呪術』は、近づく程に対象が低速化し触れられなくなる『無限』、指向性を持たせたー1の無限という収束反応『蒼』、蒼とは反対に無限を発散させる『赫』、蒼と赫を組み合わせ発生する仮想の質量を押し出す『茈』で構成される。
この内『無限』は領域展延で対策可能、『蒼』と『赫』は冷気に呪力を奪われマトモに扱えず、見せていない『茈』も同様に使えないだろう。格闘戦での不利は変わらないが、天秤は僅かながら暁の方に傾いたと言える。
「お前、名前は?」
「……緋鏡暁」
「ガキの癖に中々やるじゃん。なぁ……お前は何であんな事をしでかしたんだ?」
「……学校の事なら、僕が殺したのは一人だけだ」
暁に少し興味が湧いたのか、五条は臨戦態勢を解除し彼女に話し掛ける。ここまで戦ってみて分かった事だが、暁には五条についての知識も無く普通の呪詛師のようなイカれ振りも見えない。まるでつい最近力に目醒めたばかりかのように、五条の眼には暁は普通の人間に見えていた。
犠牲者の数から即殺を命じられているが、もしかしたら殺さずに済む道もあるかも知れない。流石の五条であっても、年端も行かない子どもを殺す事は忍びないと思っていた。だから一旦戦うのを止めて見極めようとしているのだ。
「一人だけ?」
「そいつにみんな殺された……僕に千年氷とかいう呪物を受肉させるために」
「まて、千年氷だと……!?じゃあお前は」
「おかげでみんなの仇は討てたけど……ッ!?また不意打ちか!好きだなこういうの!」
五条としては非常に残念な事ながら、生かしてはおけない理由ができてしまった。
呪物の受肉体は、規定に基づけば人間ではなく呪いの一種として扱われる。そうなった者に取られる措置は問答無用の死刑であり、その上受肉したのが千年氷というのが更に良くない。
千年氷の元となった術師『銀千里』は、記録に名前と術式しか残っていない謎の多い人物である。それでも60に分割された呪物の一つ一つが特級認定される程の強力な術師であった事は分かる。未知の部分が多いのに、その強さだけはどうしても理解できてしまう恐怖。
それが現代に甦ったとあれば、その脅威は計り知れないものとなるだろう。全ての千年氷を取り込み完全復活でもされてしまったら……実際に暁と戦った五条はそれをより強く感じ取った。故にここで殺す必要ができてしまったのだ。
「『霜天ノ式』……だったんだな。まさかアンタと戦っていたなんて思わなかったよ。ここからは更にギアを上げさせて貰うぜ」
「……殺されてなんて、やらないから」
ここまで受けたダメージは、お互い既に反転術式で回復している。呪力効率と受けたダメージ量の関係で暁の方が消耗は重く、その影響は脳に負担として伸し掛かっている。
第二ラウンド……決着まではそう掛からない。
【五条悟】
ご存知現代最強。流石に呪詛師とは言え子どもを手に掛けるのは忍びないと思っていたが、受肉体という事で殺す理由ができてしまった。戦っているのが銀千里の人格と勘違いしている。
【その他の術師】
五条と一緒に沖縄に来た数人。帳を張る要員と万一五条が呪詛師を逃してしまった時、それを抑える要員が決着まで待機している。