「術式反転──『赫』」
「……ッ!?冷気が消された……!」
無限の発散が、周囲に満ちる熱を奪う冷気を消し飛ばしていく。先程まではこの冷気に阻まれて発動すらままならなかったが、『無限』の不可侵の内で術式を起動する事で干渉を回避したのだ。
数少ないアドバンテージを消され、焦りながらも暁は五条に立ち向かう。
「術式を付与しない領域で、僕の術式を中和して攻撃を通せるようにしているのか。意外と単純なタネだったけど、やっぱ脅威だわ」
「クソ……当たらない……!」
不可侵を破るタネは意外と単純だったが、それは領域展開が可能である事を意味する。五条はまだ未習得の技術──呪術戦の極致『領域展開』。欠片の一部程度しか力が戻っていなくても、それができるとは凄まじい呪力量と言う他無い。
実のところ、千年氷の欠片一つ程度では暁のような戦い方をするには呪力が到底足りない。彼女自身に豊富な呪力があるからこそ、広範囲の術式開放や展延、反転術式を使えるのだ。暁の人格を銀千里の物と勘違いしている五条には知る由も無い事だが。
術式順転──『銀世界』
「何度やっても無駄だ──『赫』」
「やっぱダメか、くそ……」
銀世界の展開は赫で防がれ、蒼で常に攻撃できる範囲を保たれ、展延で不可侵のバリアを突破できてもただ殴るだけでは意味が無い。攻撃が軽い上に反転で無かった事にされてしまうのだから、攻撃するなら術式の併用は必須である。
霜天ノ式は警戒されているが、もう片方の術式の警戒が薄れているという事は無いだろう。最初から炎の術式と睨んで来ているのだ、いつ使ってくるか気を張っていても不思議じゃない。それに暁の炎は人に対しては一手間掛ける必要がある、少し特殊な性質を持つ。銀千里の記憶から使い方を知れる霜天ノ式と違い使い慣れない自分の術式は、暁にとってあまり信頼の置けないものであった。
──同時に使えれば楽だったのに!
炎と氷、両方を同じだけ使いこなす事ができたならこんな無様は晒さなかったはずだが。経験の浅さが致命的であった。
「術式順転──『蒼』」
展開される七つの『蒼』が、暁を中心に囲うように周り出す。それぞれが同じだけの引力を発揮する事で身動きを封じられ万事休す。これでチェックメイトだと、五条は己の勝利を確信し最後の『赫』を呪力をいっぱいに込めて放った。
術式順転『蒼』
術式反転『赫』
二つの技が交わる時に生まれる仮想の質量は、その行く先全てを破壊せしめる。その名を──
──無下限呪術 虚式『茈』
最大出力の質量が、蒼に絡め取られ動けない暁を圧し潰す。更に蒼を追加で展開する事で『茈』を圧縮し、周囲への被害の拡散を防止。茈の破壊力を暁だけにぶつける。
暁は歯噛みした。『銀世界』や『領域展延』ではとても防ぎ切れない高出力に、抵抗する事を一瞬でも諦めてしまった自分への悔しさが溢れる。相手が強いからと言って、諦めて負けを認めればそれは暁を生かした全ての敗北だ。
呪術界を良く知る者なら、五条悟に負ける事は恥でも何でもないと言うだろう。それでも暁は……暁だけは五条悟を言い訳にしてはならない。
不可侵対策に張り続けていた展延を解き、暁は己の術式を解放する。あらゆる呪いを焼き滅ぼす蒼炎は反転術式のような性質を持つため、人間相手には寧ろ癒しになってしまう。対人での運用には術式反転が必須のため使ってこなかったが、目下の脅威は『茈』の方。人間を相手に使わないなら術式反転は要らない──出し惜しむ必要は無い。
「術式、解放──」
それと同時に『茈』が着弾する。光と爆煙で蒼の中の様子は見えないが、虚式はかの『天与の暴君』すら屠ってみせた五条最強の技。万全の状態ならばともかく、消耗した今の銀千里にこれを防げる道理は無い……そう高を括っていたのだが。
「ハッ……マジかよ。どんだけしぶてぇんだ」
「……僕は、死ぬ訳にはいかない」
蒼炎の解放は間に合っていた。『茈』を焼き威力を減衰させた上で防御に呪力を回し、すんでのところで耐え抜いたのだ。
それでもダメージは重く、特にモロに当てられた右半身は所々欠損してしまっていた。反転術式で手だけは治したが、それ以外の部分まで治せるだけの呪力はもう無い。暁は最後の手段──領域展開に打って出る決意を固めた。
ここまで領域を展開しなかったのは、五条も領域展開が使える場合、押し合いに負けてしまう可能性がとても高いと感じたからだ。二つの領域が押し合う時、軍配はより出力の高い方・より洗練された領域を展開した方に上がる。
呪力量では僅かに暁が上だが、身体能力や呪力効率など、それ以外の全てで明確に劣っている以上は同じ技を使えば負けるのは明白。それでもこれ以上取れる手段が無いのなら、やらねばならない。消耗がどうとか負担がどうとか、今はそんな事を気にしている場合ではない。
全てを出し切れ。例え通じなくとも。
「何でそこまで足掻けるんだよ……平安時代に十分長生きしたはずだろ?」
「約束、したんだ……頑張って生きてみるって」
「約束……?」
「領域展開──」
領域展開──『零下空真諦』
領域展開──『入滅灼拓』
「嘘だろ……領域の二重展開だと!?」
今までできなかった事を、暁はこの土壇場でより難しい形で成功させてみせた。『零下空真諦』『入滅灼拓』二つの術式の併用を領域展開という最も困難な方法で行う、そしてそれは難易度に見合うだけの成果をしっかりと齎してくれた。
まずは『入滅灼拓』、呪いを焼き尽くす蒼炎が五条の不可侵を破壊し無防備な状態を作り出す。炎に対し『赫』で抵抗を試みる五条であったが、呪力を焼かれ必要分を捻出できない。
炎が反転術式の性質を持っているなら、人間に対しては領域でも効かないはず……そう考えた五条であったが、『入滅灼拓』に付与されたのは呪いを焼く通常の蒼炎だけではない。術式反転──生者に対する特攻を持った炎もまた付与されている。これを不可侵の無い今必中で受けてはならない、『簡易領域』で身を守ろうとする五条であったが──それが対策として不足という事に気付くのに、そう時間は掛からなかった。
「あちらを立てれば、か……!」
簡易領域で『入滅灼拓』に対処しても、『零下空真諦』までは手が回らない。領域内で強化された冷気に瞬く間に熱を奪われていき、身体に低体温を示す霜が降りる。呪力で体温を強化するか簡易領域をこちらに回せれば抗えるが、そうしたら今度は蒼炎に対応できなくなってしまう。五条は殆ど詰みの盤面の上に立たされてしまったのだ。
対抗手段は考えてはいる。だがそれをやるには五条悟という術師の更なる成長が不可欠。防御を固めてひたすら耐えているこの時間も、急激に呪力を奪われ続けている中そう長くは続かない。暁がそうしてみせたように、五条もこの土壇場でぶっつけの領域展開を成功させる覚悟を決めた。
手本は目の前で見せて貰った。後はそれを自分の物として噛み砕くだけだ。
「やってやるよ、領域展か……!?」
五条が手印を形作ったその瞬間、二つの領域が消失し元の公園の景色が返ってきた。
「五条さん、ご無事ですか!?」
「いきなり帳が破壊されて……!あの呪詛師は仕留める事ができたんですよね!?」
暁の残穢が薄く、公園の外に出るように繋がっているのを見つける。五条が領域への対処に手間取っている隙に、帳を破壊してまんまと逃げていったという事だろう。
「ハハハ!負けた負けた、マジでやられた!」
完全に出し抜かれてしまった。いっそ清々しい程の失敗に、声を上げて笑う五条。一頻り笑って心を落ち着かせると、そのまま東京へ帰還する事を皆に告げるのだった。
「やるじゃんか……
■■■■■■■■■■□□□□□
「……取り逃して、しまいましたね」
「流石にアレは僕も初めてだったからな。領域展開を二つ一編にやるとか聞いた事もねぇ」
その日の夜、五条達は帰りの飛行機に乗って東京へ帰還していた。
呪詛師『緋鏡暁』は取り逃した。最後の足掻きとして放たれた、二つの術式による領域の同時展開という荒技。流石の五条でも防御を固めて耐える以外取れる方法が無く、帳を破壊された上でまんまと逃げ仰られてしまったのだ。
──しかも、あの領域……
「でも、外で待機していた我々にも奴が逃げるところは見えませんでした。あんな荒技を使ったくらいですし自爆した可能性もあるのでは?」
「……生きてるだろ。僕を相手にあんだけしぶとく食い下がるような奴が、命を捨てるなんて真似をするとは思えないしね」
「五条さんが殺せなかった受肉体となると、確実に特級認定はされるでしょうね」
「だろうね。僕が死刑執行人として改めてあの子を殺すよう命じられると思うけど……僕はしばらくはあの子には介入しないでおくよ」
五条の発言に周りが驚く。受肉体を放置する事を堂々と宣言するなど何を考えているのか、傍若無人は相変わらずだが流石にこれは無い。
受肉体という事は即ち、昔のより呪いが幅を利かせ倫理道徳も全く違う人間であるという事。そんな者を現代に生かしておいては、かつての時代の価値観を持ち出して好き勝手に生きられてしまう。現代の秩序を守るためにも、絶対に生かしてはならない危険な存在なのに……いったい五条は何故そんな事を言い出したのか。
「戦ってる内に分かった。アレは銀千里じゃなくて器になった子の方なんだって。昔の呪術師にしては戦い方が探り探りって感じだったし、無下限呪術は奴の生きてた時代から存在する術式……なのに何の反応も無かった。たまに居る何らかの原因で呪術に目醒めるタイプ……受肉をキッカケに覚醒した新参術師だったんだろう」
「確かに……五条悟か無下限、受肉体か以前から活動していた術師なら、最低でもどちらかは知っているはずですものね」
彼らは知らぬ事だが、実は銀千里は五条家をはじめとする御三家との関わりは皆無であった。そのため無下限の情報は無く暁は手探りで五条と戦う事になっていたのだが……全ては終わった事だ。
「それに、今回の事件を起こした犯人は別に居てそいつは既に緋鏡暁に殺されてる。銀千里も呑まれてるのか完全に馴染んだのか、呪力は一人分しか見えてこなかったし……僕らがアイツに手を出す理由は無くなってるんだよ。上層部はそんなの言い訳だって取り合わないだろうけど」
「しかし、やはり放置は危険です」
「呪術に目醒めたばかりなら、年齢的にもまだ取り返しのつく範囲内だ。まんまと逃げられた事だししばらくは様子見、もしも今後人の道を外れるような事になるなら……その時こそは責任持って僕が奴を処刑するさ」
「……分かりました」
飛行機は進む。
果たして暁の今後はどうなるのか……それは彼女の行動に掛かっている。
──頼むから、変な真似はしてくれるなよ。
若人から未来を奪いたくはないが、それでも必要なら五条は躊躇いなくそうするだろう。
来るかもしれない未来を幻視する目を閉じて、五条はしばらく眠りにつくのだった。
■■■■■■■■■■□□□□□
「ハアッ……逃げられた、か……」
五条に領域展開ができなかったおかげで、命からがら逃げる事ができた。今は戦場となった公園から遠く離れた路地裏で息を整えている。
土壇場で成し得た術式の同時使用に加え、領域の二重展開という無茶をして呪力はカラカラ。しばらくは呪術の行使はできないだろう。しかしそれだけの事をする価値は確かにあった。五条悟に狙われて生きて帰れる呪詛師など、あの『天与の暴君』すら叶わなかった一大事である。
「もっと……強く、ならなきゃ……!」
普通の呪詛師なら喜ぶべき事だが、暁にとっては己の力不足を痛感しただけの戦いである。
もしも、五条の最初の不意打ちの時点で術式を使われていたら?対話のために戦いを中断せずそのまま続けていたら?領域展開に失敗ないし、どちらか一つでも発動できていなかったら?今回生きて逃げ延びる事ができたのは、五条の気紛れと偶然が重なったからだ。もしもどこかに歯車の掛け違えがあったなら、そこで暁の命運は尽きていただろう。
呪力が回復したら、まずは反転術式で身体を治し千年氷の回収に向かおう。暁の身体に取り込まれた千年氷は、全体の60分の1……取り込む量を増やす事で全盛期の銀千里の力が得られるはず。
暁の呪力量も含めて、40個も取り込めば記憶の中の銀千里と同じくらいになれる計算だ。同じ呪物同士惹かれ合うのか、在処は何となく程度であるが感じられる。この気配を頼りに動いていけば回収は難しくないだろう。
「僕の術式も、慣れていかないと……」
銀千里の遺した記憶のおかげで、『霜天ノ式』は使い方を学べるため使用に不自由は無い。しかし自分の術式は記憶にも使い手がおらず、何となく浮かぶ使い方から手探りする必要がある。
ノウハウを転用すれば、それなりに扱えばするだろうが……少なくとも『霜天ノ式』と同じ位には使えるようにしておきたい。強力な術師が一生掛けて練り上げた完成度に近付くのは大変だが、できたならあの白い呪術師にだって負けないはずだ。
「こんな所に居た。君があの五条悟から逃げ仰せたっていう呪詛師の子だよね?」
「……今度は誰だい、まったく」
ようやく一息吐けたと思ったら、またしても戦わなければならないらしい。聞こえてきたおそらく自分と同じ位の幼い声に、暁はなけなしの呪力を振り絞り警戒を強める。
「そんな警戒しないでよ。ていうかそのコンディションじゃ戦うのは無理でしょ、わたしも戦いに来た訳じゃないから一旦落ち着こ?」
「……何の用かにもよるんだけど?」
闇夜に紛れて見え辛いが、そこに居たのは暁と同じ位の背丈の女の子。臨戦態勢を取る暁に対して少しも気負う様子はなく、あっけらかんとした口調でその用を伝えた。
「わたしは
「……お仕事!?」
【零下空真諦】【入滅灼拓】
暁の領域。本来なら零下空真諦は銀千里の領域のため、暁が使うならどちらの術式を使っても入滅灼拓になる。しかし暁は銀千里から生得領域ごと受け継いだため、イメージがしやすいこともあり使い分けをしている。
【五条悟】
任務失敗した最強。戦っている相手が銀千里ではなく暁だという事に気付いた。領域展開は肩透かしを食らって不発に終わったが、恐らく次に試した時にはできている。