「死ぬかと思った!マジで海の藻屑になるところだったよ!」
「ホント、生きてて良かった……」
戦闘後、荒れる海から命からがら生還した彩花を暁は火葬祈祷で温めてやっていた。反転術式の性質を持つ蒼炎は、人間に対しては焼くどころか癒しを与える。円鹿では回復し切らなかった傷も元通りにした上で、冷たい海に沈んで冷えた身体にも体温が戻ってくる。
雨風を避けるために逃げ込んだ室内で、2人はドッと吹き出た疲労と共に座り込んだ。反転術式のおかげで見た目には無傷でいられているが、呪力はしばらく全快はしないだろう消費をした。特級相当呪霊との戦いはそれ程過酷なものであったのだ。体力も相当に消耗しているせいで、これ以上は自発的に動く気力も無い。
「でも終わったからには大手柄だよ!総監部からの報奨金は大量間違いなし!わたしは特別一級術師に飛び級できるかもね!」
「そういや、まだ二級だったっけ」
呪術高専に所属していない呪術師には、特別○級という形で階級が定められる。これはその階級に相当する力を持つと認定された証であり、決して格上になるという訳ではない。
一級術師は色々と例外的な要素のある特級を除けば最高の階級のため、これに認定されれば彩花にもかなりの箔が付くようになる。まだ9歳という事を考えれば、その未来は男尊女卑の強い呪術界に於いても明るいものとなるかも知れない。
「一級になったら何が変わるの?」
「高専から来る依頼が難度の高いものになる。その代わり色んな事に融通効くようになるよ。新入りに指導を付けたり、二級以下の術師を一級に推薦する事もできるようになるし、集団で任務をこなす時はリーダーとして率いる事も求められるね」
「責任が増すだけか。高専の所属じゃないから給料も出ないし、出世するだけ損じゃない?」
「そんな事は無い!実績を挙げて変えが効かない存在になる程価値が上がるんだから!そしたら恋愛とか……色々とプライベートなところも、自由になるんだよ!」
「ああ……本土の方であるってヤツね。確か母方の実家に狙われてるんだっけ」
彩花の母は禪院家の出身である。その縁で相伝の術式を持って生まれた彩花は、数少ない相伝持ちが嫁入り先から出た事を知った禪院家が、自分を囲うために家に色々している事を知っている。
ただでさえ呪術師の数が少なく、都から離れているせいで応援もし辛い沖縄で、そんな下らない真似をされている暇なんて存在しない。だから彩花は求めている。しょうもない嫌がらせを繰り返す禪院家を黙らせるだけの実績と地位を。そのためならどんな危険な任務だって受けるし、どんな呪具でも作ってみせるだろう。
「どんな嫌がらせされてんの?」
「術師の派遣を妨害されたり、お父さんに注文した呪具を直接納品しに来させたり、そこで終わっても返さずにぐちぐちねちねち嫌味を……あの家には何度か挨拶に行ってるけど、その度に本土の連中なんてクソだって思わされるよ。禪院家と仲悪いって事を嗅ぎつけた加茂や五条も近付いてくるし……」
「お金持ちも楽じゃないんだねぇ」
「暁が来てからはだいぶ助かってるよ。術師としても職人としても、暁が良い感じにわたしの痒いとこ掻いてくれるからね」
彩花の十種影法術は、元は禪院家の取扱説明書にもあるような普通の使い方をしていた。いくらか式神の調伏を済ませたところで、このままでは足りないと使い方を模索するようになり、影をメインとする事を決めシフトした辺りで暁と出会った。
特級呪物の受肉体にして、本体だけを見ても並の一級では歯が立たないような野生の怪物。それと切磋琢磨していく中で、神纏のような拡張術式や多くの呪具が生まれたのだ。彩花にとって暁の存在は、まさに降って湧いた幸運であった。
「わたしだけじゃないよ。沖縄の呪術に関わる人間みんな、暁が来てくれてからとってもとっても助かってるって言ってる。正繰だってわたしだけじゃあ多分祓えなかった。五条悟が来るまで沖縄のあらゆる所が破壊されてたと思う」
「……」
「暁にとっては、呪術は望んだ力ではないんだと思うけど……それでも言うよ。その力を復讐のためではなく、平和のために使ってくれてありがとう」
「……何か、照れ臭いね」
色々と話している内に、総作が車で直接二人を迎えに来てくれた。なけなしの体力を振り絞って後部座席に乗り込み、彩花の方は堰を切ったように一瞬で眠りに落ちる。淑女には似つかわしくない大いびきを掻きながら爆睡するその姿に、隣に座る暁はこれはねーわと顔を引き攣らせた。
ラジオの音を大きくして貰い、いびきを意識から追い出して暁は考え事に耽る。正繰との戦いは火葬祈祷をもっと上手く使えていれば、ここまで苦戦する事も無く勝てていたはずだった。領域展開も通常の領域を使えたなら、地上に降ろすまでもなくそのまま展開できていた。神業と呼ばれるような高度な領域であっても、やはり使い方が変わればその長所短所も変わってしまう。
──併用、早くできるようにならないとな……
霜天ノ式の影響下でも龍涎を振るえたように、火葬祈祷も使えるようにならなければ。併用を領域に頼るのではなく、順転だけで使えるようにするためにも呪力操作をもっと鍛える必要がある。冷気が炎を弱め炎が冷気を焼いてしまう現状は、なるべく早く変えてやりたい。
領域同時展開、極小の術式解放、目指すべき場所を考えれば亀の歩みだが進歩はしている。己の中に在る理想を越えていくためにも、これからも多くの経験と力が暁には必要になる。
「……暁、家でお前にという客が待っている」
「僕に?」
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「よお、久しぶり」
「……」
何でお前がここにいる。そう喉まで出かかったのを阻止した己の口を褒めてやりたいと、目の前の白髪の男を見て暁はそう思った。
車の中で総作から聞かされた、自分を訪ねて来ているという客の存在。活動の際は彩花がメインという事にして貰っているため、わざわざ暁の所に来る奴は相当な物好きか……あるいは、暁が受肉体である事を知っている訳知り。
今回は五条悟……後者であった。
「俺が君の死刑執行役になってる事はまぁ、周知の事実だと思うけど。今回は別に君を処刑しに来た訳じゃないから力抜いて良いよ」
「なら、何のご用で?」
「これさ」
「これは……千年氷?こんなに沢山……」
五条がびちゃびちゃの風呂敷から取り出したのは特級呪物・千年氷。暁の中に在る銀千里の力を呼び覚ますために必要な60個の内、五条は五条家が保有していた6個を持って来たのだ。
「ちなみに、今は何個入ってる?」
「……4」
「じゃあ合わせて10個、6分の1か。だいぶ戻ってくる事になるね」
「もしかして、これを僕に渡すつもり?いったい何のためにアンタがそんな事を」
五条からその辺りの説明を聞く。
まず、今回五条が暁を訪ねて来たのはある呪霊の祓除依頼を彼女にするためである。五条は緋鏡暁もとい特級呪詛師銀千里の処刑人となって以降、その役目を果たす事なく二年を無為に過ごした。そのため上層部からは行動を急かされており、しかし動向をしっかり把握していた五条としては、別に今すぐ処刑する必要を感じていない。やる気の無い事柄をいつまでも突かれるのも面倒なので、五条は『上層部も納得する動かない理由を作ろう!』と一つ工夫を凝らす事を決めたのだ。
「それが、僕から君への依頼。高専に利益を与え恩を売って、上の連中に『殺すよりも生かした方が得だ』とそう思わせる。この二年君の動きはちゃんと監視してきたけど、秩序に悖るような行動は見受けられなかった。僕としてはこのまま生き続けて平和の維持に一役買って貰いたいんだよね」
「成る程。それで他には?顔にまだまだ理由はありますって書いてあるよ」
「分かってるじゃん。確かに理由はもう一つ……千年氷を放置しておく事の危険だよ」
「千年氷の危険?」
千年氷は60個ある欠片、その全てが特級呪物に認定される超絶危険物である。そこに在るだけで呪いを引き寄せ、強化してしまう上に元になった人間が受肉復活するリスクもある呪物。受肉のリスクに関しては暁に受肉し、その上で銀千里が消えた事で無くなったが。それがきっかけで他のリスクは更に強化されてしまっているのだ。
銀千里の復活により、各地に散らばっている千年氷は活性化を始めた。五条家保管分などのように呪術師に管理されている分は良いが、問題はそれ以外のまだ野に放たれている分である。活性化により更に多くの呪いを放つようになった千年氷は、当然大量の呪いを呼び寄せるようになる。呪霊に取り込まれている分などは霜天ノ式の発現もあり得る。被害が大きくなる前に、一刻も早く回収する必要があるのである。
「封印して保管しておくのも良いけど、それじゃ結局は問題の先延ばしだ。僕としては集めた千年氷は有るべきところへ返すべきと思ってる」
「……随分と、信用してくれてるんだね」
「これまでの君を見てきた結果さ。それに個人的に感謝もしてるしね」
「……?まぁいいや、それじゃあこの千年氷6つと死刑の回避が報酬って訳だね」
「いや?それは前金。一応僕でも手こずるだろう相手だからさ、パワーアップはしておきなよ」
「……そりゃあ、どうも」
つまりこれを受け取った時点で、暁は五条の提案に乗ったという事になる。現代最強が自分ですら手こずると言う程の相手、確実に面倒だという事だけはよく分かるが……千年氷の回収は暁にとっても望むところであるし、いつされるかも分からない死刑執行に警戒せずとも良くなるのもありがたい。
この提案を受けない理由は無い。強いて言うなら五条悟という男を信用できない事だが……呪術師としての彼ならそこまでアレでもないだろうと、暁は千年氷を受け取り吸収して見せた。
「契約成立……って事で良いのかな?」
「受けない理由が無いからね。前金を貰った分はしっかり働かせてもらうよ」
「頼もしいね。そういや彩花は?今日はあいつにも用があるんだけど」
「彩花ならもう寝たよ。用があるならまた今度来た時にしな」
現在時刻は午前5時。正繰との戦闘から帰還してそのまま五条と会っているので、できる事なら暁もさっさと布団に入りたいと思っている。
彩花にも用があるのなら、最初からそれを言ってくれれば良かったのに。それだったらあいつだけ寝かせるなんてしなかったのだが。自分の部屋で呑気に寝息を立てているであろう彩花へ、眠気から来る苛立ちが沸々と湧いてくる。
「寝てるなら今度でいいや。どうせまたここには来る事になるはずだからね」
「伝言があるなら伝えとくけど」
「大丈夫大丈夫。僕の教え子に彩花と同じ十種影法術使いがいるから、そいつの参考になってくれないかって頼もうとしてたんだ。本人にはまた今度来る時に会って伝えるさ。それじゃあ僕は忙しいからこの辺で帰るとするよ。依頼の内容はそこの紙に全部書いてあるから、誰か同行させるならしっかり共有しといてくれ」
「はいよ。お疲れさん」
沖縄での用事を終え、五条はそのまま東京へ帰っていった。
──忙しいんだねぇ。
現代最強の術師というのは、どこでも引っ張りだこなのだろう。東西南北国内海外縦横無尽の生活を想像してみたが、暁には青息吐息で駆け回る姿しか思い浮かばなかった。あまり人格的に良い話は聞かない男であるが、不平不満がありながらもしっかり真面目に仕事をしているとは、少しだけ尊敬できるようになった気がする。
紙に書かれた内容に軽く目を通し、自分の部屋に戻ってベッドに飛び込む。文字が多過ぎて眠気に侵された頭に内容が全く入ってこなかったので、休んでから改めて確認する事にしたのだ。柔らかい毛布を被るとすぐに意識が沈み、暁はそのまま昼まで深い眠りに落ちるのだった。
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「よし……行こうか、彩花」
「いや出掛ける準備はしたけどさ、わたしまだどこに行くかも聞いてないんだけど?」
現在時刻は16時頃。正午を過ぎてから起きた暁は目を醒ましてすぐ紙を読み直し、その依頼内容を頭に入れた。そしてすぐに彩花にも仕事がある事を伝え準備を終わらせ、これから飛行機で出発するというところであった。
「お仕事って言ってもさ、フェリーに乗るだなんてどこに行こうって訳なのさ?」
「西表島。森の奥深くに封印されている呪霊の祓除が今回の目標だよ」
西表島の大部分を占める森林、その奥深くにはかつて多くの呪術師が挑みそして敗れた強大な呪霊が眠っているのだという。
多くの呪術師が手を尽くした上で、それでも封印するまでしかできなかった特級呪霊。100年以上の歳月が経過した事で、その封印が弱まり呪霊の影響が外に出始めてくるようになった。本来なら五条悟が出るべき案件だが、生憎五条という男の忙しさでは辺境まですぐに足を運ぶのは難しい。そこで自分の代わりとして暁を使おうとしたという訳だ。
「西表島なら、そのまま行けばよかったのに」
「優先順位があるんでしょ。それに最強でも届かない場所の尻拭いなんて、呪術界に売れる恩としてはバカデカいじゃない」
「確かに……そういうのも見越して、ワザとこの案件を残したのかな?」
「かもね。さっさと行こう、フェリーは遅れても容赦なく出発しちゃうよ」
こうして西表島に向かった二人。この場所である出会いがあるのだが……まだ二人とも、そんな事を知る由は無い。
【五条悟】
処刑対象の特級呪詛師『銀千里』と、東江家の養子『東江暁』が同一人物という事は把握しているが、上層部にはこれを伝えていない。暁と彩花のどちらも、将来的には自分の仲間に加えられないかなと画策している。