平安時代、京の都で一匹の野良猫が死に呪霊と化した。
元より民家から食べ物を盗んだり、鼠の死骸を道のあちこちにばら撒いたり、すれ違う人間を誰彼構わず引っ掻いたりと、あまり良く受け入れられているような存在ではなかったこの畜生。死んでまで人様に迷惑をかけるつもりかと、呪霊化した事が分かってすぐに呪術師が祓除に派遣される。
「シャーッ!!」
「何だコイツ、何故こんなにも強い……!?」
しかしこの猫が中々強い。並程度の呪術師では歯が立たず、より強力な術師を用意しようとするとその間に強くなりまた祓えなくなってしまう。次第にその強さも被害の規模も膨れ上がっていき、困り果てた当時の呪術界は、それ以外の被害に目を瞑ってでもこの猫を祓う事を優先する事を決めた。
この時点で既に、猫は特級呪霊の中でも上から数えた方が早い程の実力となっていたが。呪術師達は数の差で猫を追い込み、しぶとく逃げ続けるそれを遂に追い詰めた。
「ニャー!」
「海に飛び込んだだと……!?」
追い詰められた猫は、一か八かだったのか海へと飛び込みそのまま潮の流れに呑まれて消えた。呪霊に溺れ死ぬなどという概念は無いだろうが、海はその存在そのものが恐れられているせいか呪力を纏うスポットがある。そう言った場所に巻き込まれてしまえば流石の呪霊でも死ぬだろう。
しかし生きて陸に上がってしまえば、今度はそこで力の限り暴れ回るのだろう。もしもそうなったら余程強力な術師でもいない限りは、抵抗すらできずに滅ぼされてしまう。京の術師達は祓い切れなかった力不足を呪いながら、猫が海の呪力に呑まれて消える事を天に祈った。
「フゴーッ!」
「ひいぃ、化け猫じゃあ!」
祈りは届かず、猫は打ち上げられた西表島で島民相手にまたしても暴虐を繰り広げた。呪霊を視認できない者は何も分からないまま殺され、できる者は化け猫の恐怖に怯えながら死んでいった。
船が壊され田畑が荒らされ、生活が蹂躙されていく中でようやく派遣された本島の術師によって、猫の被害はようやく終息する事となる。それでも力不足で祓除はできず、力と身動きを封じ込めて森の奥深くに封印するだけに留まった。いつかまた復活し暴れ出すだろう……そんな島民の恐怖が、今まさに現代で実現されようとしていた。
特級呪霊『
これは五条悟だけでなく、呪術界が持ち越した千年の因縁の尻拭いでもある。
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「やって来ました、西表島」
「本島と比べるとやっぱり田舎だね」
西表島は人口約2400人の小さな島。沖縄本島と比べればやはり田舎、県道だけでは島内を回り切る事はできず、同じ島内でありながら船でなければ行けないような場所もある。
暁も彩花も来るのは初めて。観光目的なら天然記念物に心躍らせる事もできただろうが、生憎今回は仕事で来ている。残念ながら田舎故の不便だけを味わう事になるだろう。観光を楽しむのはまたいつかの機会にお預けだ。
「行き先はどこへって?」
「今回祓う予定の呪霊……『又旅』の封印を管理している家があるそうだから、まずはそこを訪ねてみようかな。住所も書いてある」
という訳で、まずは又旅の封印を高専に任されている『湊家』に向かう事にする。住所は五条から貰った紙に明記されていたし、探すべき場所も少ないのですぐに見つける事ができた。
東江家程ではないが、豪邸と呼んで差し支えない大きな家の前までやって来る。掲げられた表札にしっかり『湊』と名前が入っているのを確認し、暁はインターホンを鳴らす。呪術師と自己紹介すればすぐ受け入れられると書いてあったが、果たして本当に受け入れられるのだろうか。
「はい、どちら様で?」
「呪術師の東江暁と申します。五条悟の紹介で来たのですが……」
「同じく、東江彩花です」
「ああ、五条様の……どうぞお上がりください」
扉を開けてくれたのは、腰がほぼ90度に曲がったいかにも老婆という見た目の女性。暁達が五条の紹介で来た事を伝えると、話はちゃんと通っているようで家の中に案内してくれた。二人を見るその視線に失望のような色が混じっていたのには、今はまだ触れないでおく事にする。
客間に通された二人は、座布団に座るよう促され素直にそれに従う。あまり柔らかくも厚くもない座布団に座ると、もう一人今度は暁達と同じ位の少女がお茶を持ってやって来た。
「遠路はるばる、お疲れ様!家主の娘の『
「ありがとう……うん、美味しい」
「あっつい船旅に、冷たいお茶が沁みるねぇ」
「それは良かった!おかわりが欲しくなったら入れて来るから呼んでね!」
そう言って、環那は元気良くキッチンの方へ走って消えていった。老婆の方は「まったく、あの子は初対面の人に馴れ馴れしい……」とぼやいていたが暁は好ましい性格だと思っている。
環那の事はさておき、『湊セツ』を名乗った老婆は暁達の向いに座り本題に入る。又度の封印されている場所やその術式の事、そしてどのような経緯で封印に至ったのか、そして何かしら祓除に当たって望む事は無いかなど。五条から『現地の協力者の要望にはなるべく応えるように』と指定も出されているので勝手にやる訳にはいかないのだ。
「これが島の地図ですが、又旅は地図のこの地点に封印されています。これが写真です」
「……薙刀が刺さってる」
「何だろう、錆びてるけど見覚えがあるような」
「『
──『空断』!?
封印の基点となっている薙刀状の呪具、その名を聞いて暁はすぐに心当たりを思い浮かべた。
記憶の中の銀千里が、晩年隠居した時に他者に託すまで愛用していた呪具である。その名の通りの術式を持つらしいが、使っているシーンを見ても何をしているのかは暁にはよく分からなかった。斬る事に術式が掛かっているのだろうが……
「セツさん、祓除の暁にはこの薙刀を僕に譲って貰えないでしょうか」
「構いませんが……使い物になるでしょうか?」
空断の事は一旦置いておいて、又旅の持つ術式について説明を受ける。
又旅の術式は『黒侵操術』と呼ばれるもの。黒に溶け込み・支配し・操るというシンプルながらも強力な術式である。この術式効果を主に人や物の影に入り込んでの隠密奇襲に使い、自分を襲う術師を返り討ちにしながら力を蓄え特級に至ったのだ。
封印を解いてすぐ戦闘に移るとして、そうなれば森の中で戦う事になる。木々が日を遮る森の中は必然的に影が多くなる又旅有利の空間、対策無しでは厳しい展開を強いられるだろう。
しかしそういった戦法は術式ありき。暁の術式はどちらも呪力そのものに干渉し、術式の発動さえも許さない。正繰の時のように『銀世界』を防げるような技もなければ、海上のように『火葬祈祷』をおいそれと使えない環境でもない。さほど苦戦はしないだろうと考えていた暁であったが……セツの発言でその想定はひっくり返る。
「成る程……暁様の術式では、森林に大きな被害が出てしまう可能性がありますね。この西表島の自然は天然記念物の宝庫、それを燃やし凍らせるなどは以ての外でございます。術式の行使は自然に影響の出ない程度にしていただきたい」
「は……?」
「もちろん、そうなれば実力を出せないという事は承知しております。不安だというのであれば彩花様にお任せしたいと思います」
「いや、わたしは念の為で着いて来ただけなんですけど……?」
正繰戦からの強行軍で、呪力が回復し切っていない中での連戦になる今回の依頼。相性的にどうにかなりそうだと思ったのも束の間、術式を実質使用不能になる縛りを付けられてしまった。
呪術師の闘い方が、基本的に生得術式ありきである事を理解した上でのこの暴挙。予備役のつもりでいたのに巻き込まれた彩花も、同じく回復し切っていないためとても狼狽えている。それに黒に入り込み操る黒侵操術と、影を扱う十種影法術の相性はハッキリいって最悪である。仮に彩花が戦った場合は影を利用され簡単にやられてしまうだろう。
──五条悟から貰った千年氷も、まだ馴染み切ってないから自分で使えないのに……!
五条家の千年氷を取り込んだ事で、呪力の最大値は増えた感覚はあるのだが。一気に複数を取り込んだせいかまだ暁に馴染んでおらず、使えるようにはなっていない。
せめてあと2〜3日待って、千年氷をしっかりものにしてから来るべきだったか。さっさと終わらせて死刑を逃れようと助平心を出したのを、暁は歯を軋ませながら後悔した。
「はぁ……五条様の代役という事で、少しは期待していたのですがねぇ。誰も理由を付けて来なければやっと来たのも言い訳ばかりで、しかも死刑回避のために仕方なくだなんて。嫌が応にも呪術界の衰退を実感してしまうというものです」
「はぁ!?」
「それがモノを頼む態度ですか!?」
「ええ。頼むからにはそれができる人物が来る事を期待するものです。ならばその期待を外されてしまえば、失望するのも当然でしょう?」
あんまりな物言いに食ってかかるが、セツは持論を曲げようとは断固としてしない。真面目に仕事をしに来てこんな事を言われて、どうしてやる気を出せると言うのか。要望など全部無視してさっさと領域で終わらせる事も考えたが……暁がそれを口に出す前に、セツに食ってかかったのは環那だった。
「ばぁば、私達がいつまでもできてない又旅の祓除をしてくれるって人に何て事言うの!まずは来てくれてありがとうでしょ!?」
「か、環那ちゃん?」
「確かに、ウチは本土からは離れた土地だし離島だから何度も後回しにされてきたけどさ!だからってようやく来てくれた術師さんに当たるのは全然違うでしょ!?これ以上ばぁばに任せてやる気を下げさせるなんてさせません!封印への案内は私がやるからね!さぁ二人とも着いて来て!」
「ま、待ちなさい……!封印を解いたら非術師のあなたにあの場所は危険過ぎ……!」
裏で話を聞いていた環那が乱入し、二人を引っ張って封印の在処まで連れて行く。セツの制止も聞く耳持たず歩き去る姿に、暁も彩花も何も言えずただただ着いて行く事しかできなかった。
そうして歩く事数十分。森の奥までやって来た暁は見せられた写真と同じ光景を目にする。大量に積み重ねられた石と描かれた呪印、そして頂点に刺さる特級呪具『空断』。長い年月を経た影響かな中の呪力が漏れ出している。空断を抜く事で封印は解除できるのだが、この作業は縛りにより湊の一族にしかできないようになっているとの事。
「……このまま燃やせないのかな」
「無理じゃない?こういう封印って『身動き取れず外に危害を加えられない代わりに、外から自分に危害を加える事もできない』みたいな、互いに不可侵になる縛りで成り立ってるからね。封印を解かない事には火葬祈祷でもダメだと思うよ」
「やっぱり、ちゃんと戦うしかないか」
「それじゃあ外すよ!私は薙刀を取ったらすぐ離れるから、よろしく頼むね暁ちゃん!」
封印を解除した後は、非術師故に戦えない環那と相性の悪い彩花は離れて見守る事になる。環那が空断に手を掛けようとしたその時──
「闇より出でて闇より黒く その穢れを禊ぎ祓え」
──帳が、下ろされた。
「帳……ッ!?いったい誰が」
「何……?わっ、地面が……ッ!」
突如として降ろされた帳に閉じ込められ、更に大地が大きく揺れ封印に綻びが生じる。石が崩れて刺さっていた空断が抜け、漏れ出ていた呪力が一気にその出力を上昇させる。
一迅の黒影が飛び出す。猫特有のしなやかな体躯に鋼鉄を思わせる鋭利な爪、十本の尻尾の先からは呪力が蒼い炎となって灯っている。全長4mはあろうかというその呪霊は、人間のように下卑た笑みを浮かべながら暁の前に降り立った。
「又旅でございます。又旅でございます」
「二人とも、ギリギリまで離れて……彩花、環那をしっかり守っていてくれよ」
「う、うん……!」
「暁、これ!如意棒!」
名を名乗りながら振り下ろす爪を、暁は腕に呪力を集中して受け止める。単純な膂力の差に加えて呪力量も段違い……簡単に力負けしそうになるのを横へ受け流す事で防いだ。
環那を庇いつつ退がる彩花から呪具『
「鈍臭い攻撃。鈍臭い攻撃」
「速い……ッ!けど」
懐に飛び込み頭部を狙って振る……しかし又旅は一跳びで大きく下がり間合いから抜ける。その速度には驚いた暁であったが、煽るばかりで反撃に移らないのなら追撃ができる。
一級呪具『如意棒』は、呪力を込める事で伸び縮みさせられる鉄の棒である。その事を当然知らない又旅は、攻撃を避けられた暁を煽っていたところに手痛い一撃を浴びる事となった。避けられた一撃の反動を利用してぐるりと一回転、如意棒を伸ばしながら首元にフルスイングをぶつけ、吹き飛んだ又旅は帳に叩き付けられる。
「痛いでございます。痛いでございます」
「棒読みだね」
──硬いな。
弱点近くに攻撃を当てたが、リアクション的にさして効いているようには見えない。反転の性質を持つが故に、『火葬祈祷』は順転ですらかなりの呪力を必要とする。それだけの消費をした上でこの程度の成果では使う意味は薄い。
もう一つ『霜天ノ式』も試したいところだが、環境を壊さない程度の出力だと、蒼炎以上に結果を期待できなくなる。火葬祈祷との出力差の都合で結局そう変わらない程度の消費になるからだ。普通に戦いつつどうしようも無い時に、最終手段の領域展開で無理矢理終わらせる。森の大部分を焼くか凍らせてしまうことになるので、そうなる前に通常の呪力操作だけで又旅を祓う必要がある。
「神纏──『玉犬』」
「お……ありがとう、彩花」
彩花もただ見ているだけではない。神纏で如意棒を強化し最低限はサポートする。趣旨的にはできるだけ暁一人でやる方が良いのだろうが、これ位のサポートはいいだろう。
制限があるのなら、その中でできる事をやっていくしかない。暁は如意棒の先を又旅に向け改めて戦闘態勢に入った。
「年貢の納め時だ、猫畜生」
「殺すのです。殺すのです」
【湊環那】
西表島在住の術師一族の娘。
本人は呪いの視認もできない一般人であり、呪霊相手には何もできないが、呪詛師なら並程度の奴では瞬殺される程強い。ただしその強さを発揮するには一つ条件があるのだが。
双子の妹がいる。
【湊セツ】
湊家当主の母。
環那の祖母。
又旅の封印が緩み始めてから、何度も高専に祓除の要請をしていたが、それを後回しにされ続けていたストレスで暁達に強く当たっていた。本人の実力は衰えもあり三級程度。