【完結】都合のいい女ぶってる美少女たち、実は湿度高めで愛が重かった。 作:黒い床
電車の外は雨だらけで、車内にすら水たまりができてしまっていた。忘れていかれた傘が数本、人の少なくなった車両で寂しそうに佇んでいる。がたんごとん、ありきたりな音とアナウンスが鳴る。また一つ駅に着き、一人か二人だけ客が乗りこんできた。まるで算数の問題みたいだな、と思う。
時間は昼過ぎ。
土砂降りによって乱れたダイアを潜り抜けながら、俺たちはなんとか都心の外に出ていた。最初こそ通勤ラッシュに呑まれて大変だったが、ここからはそう大変ではないだろう。
あれから、俺たちはうちに一度着替えに帰った。全身が冷え切った美緒にシャワーを浴びさせ、その間に澪と連絡を取った。
【ゆーと:色々あって今日は俺と美緒、どっちも学校に行けない】
【ゆーと:上手く伝えといてくれないか?】
【ゆーと:美緒の方は如月に頼んでくれると……】
【MIO:私は都合がいい女じゃないんだけど?】
【ゆーと:すまん】
【MIO:ま、いいや。今度ご褒美を要求する】
【MIO:あの子のことよろしくね】
要求されるだろうご褒美にはやや心配になるものの、すぐ協力してくれる澪には感謝しきりだ。如月には俺が頼むべきだと分かっているが、今は昨日までのことを謝っている時間がない。
【ゆーと:あとすまん。ついでに、美緒に着替えを貸してほしいんだが】
【MIO:は?】
【MIO:着替えなきゃいけないことしたわけ? ぶっかけ?】
【ゆーと:アクセル全開すぎるだろちげぇよ!】
【ゆーと:下着まで雨で濡れたらしい。服は俺のを貸すにしても下着は無理だから】
【MIO:つまり私の下着を眺めてあの子に着せるものを選びたいと】
【ゆーと:悪意しかない解釈やめろ】
【ゆーと:なるべく見ないようにするって】
【MIO:別に見てもいいけど】
【MIO:ま、そういうことならスポブラ貸してあげて。多少はサイズの融通も利くし、私的にも癪じゃないしね】
【ゆーと:助かる】
……よく考えたら、すごいお願いをしてるよな、と居た堪れない気持ちになりつつ。
俺は澪からスポーツブラが入ってる場所を聞き、自前のトレーナーと共に美緒に着せた。
そんなこんなで家を出るまでに随分と時間がかかってしまったものだから、まだまだ母さんの実家までは時間がかかる。
隣を見遣ると、美緒がぼーっと窓の外を眺めていた。
きっと美緒は、母さんの実家に行きたいわけじゃないのだと思う。『どこか』と言っていた。学校ではない、『どこか』に行ければいいのだ。なるべく遠くの『どこか』。
その『どこか』には何があるんだろう?
母さんの実家に連れていくことは、正しいんだろうか?
もっと別の、彼女を連れていくべき場所があるんじゃないか、と悩む。ちゃんと生きようと思えば思うほど、答えを簡単には見つけられなかった。
「眠かったら寝てもいいんだぞ。俺が起こすし」
「そう言って、兄さんが寝ちゃうかもしれないでしょ? だからちゃんと起きてるよ」
「信用なさすぎじゃないか、俺」
「日頃の行いだね。兄さん、結構だらしない生活してるでしょ?」
「それは……してないとは言えないな」
「ほら。ダメだよ、兄さん。ちゃんとしないと」
ふふ、と口元に弧を描く美緒。説教じみたその口ぶりがどことなく大河に似ている気がした。ま、大河の場合は生活面じゃあんまり人のこと言えないだろっていう荒れっぷりだけどな。
「ちゃんと私が起きてるから。むしろ兄さんが寝てもいいよ?」
「連れていくって言っといて居眠りする王子様とか嫌すぎるだろ」
「私は好き」
「……っ」
「あ、ドキッとした?」
「…………」
「無反応は傷つくよ? 今の、結構勇気出して言ったんだけどなぁ」
「悪かったって」
上手く返せなかったのは、美緒を分かろうとしていたから。その心に触れたいのに、ざーざーと雨みたいなノイズが邪魔をする。
もどかしさを唾と一緒に飲み込み、電光掲示板に目を遣った。
「寝ないよ。昨日はぐっすり寝れたからな」
「そっか」
車窓には夜みたいな昼雨が広がっている。変わっていく街々の全てが雨に蓋されていて、どうにもこうにも、閉塞感で息が詰まりそうだった。
美緒が何も言わないと、俺も何も言わなくなる。
かさぶたを剥がしたような沈黙がヒリヒリと痛み、また、痒くもあった。
――俺はどうすればいいんだろう?
答えが分からないまま、俺は彼女の隣にいる。
澪を捜したときも、大河の家に押し掛けたときも、雫を介抱しに帰ったときも、時雨さんをドライブに誘ったときだって、自分がしたいことは分かっていた。それが届くかは分からなくとも、してあげたいことや伝えたいものは確かにあったから。
でも今の俺はまだ、答えが出せていない。
心の中には二つの気持ちがあって、その狭間で揺れている。
だから俺が今探しているのは静寂を埋める言葉じゃなくて、もっと別のもの。
俺が彼女にできることを探しているんだ。
ことん、と不意に肩に重みを感じる。
やっぱり寝たのかと見遣れば、ビー玉みたいな瞳がこちらを覗いていた。からんころんと転がるような甘やかな上目遣いに、思わずドキリとさせられる。
「……寝るのか?」
「寝ないけど、甘えたいなーって」
「……甘える、か」
「えへへ。ドキッとしたでしょ?」
「…………ちょっとだけな」
「ふぅ~ん。じゃあ、心臓に耳を当てて聞いてみるね!」
「なっ、やめろって」
「ふふー。照れてる照れてる♪」
と、無邪気に美緒が笑った。
蜜雫みたいな所作に息が止まりそうになる。雨とシャンプーの匂いが鼻孔をくすぐった。ゾクゾクっと甘いむず痒さがせりあがってくる。
「み、美緒……?」
「なーに?」
「……距離、近くないか」
「えー。くっつくの、ダメかなぁ? 私は兄さんとくっつきたいけど」
「ダメとかじゃないけど……」
けど、違うだろ。どう考えても、今の美緒は変だ。
そんな風に言いかけて、
――本当に?
と頭の奥から声がする。
俺の知らない美緒の一面を見せてくれているだけなら、それを『変だ』と断じていいはずがない。
今も昔も、俺は彼女のことを知らなくて。
じゃあどうすれば知ることができるんだろう。
知らないまま、選ぶことなんてできるはずがないのに――。
「えへへ。冗談だよ、冗談。ちょっと悪い子だったかな」
「……かもな」
「でも、こういうのも時々はいいでしょ?」
「時々は、そうかもな」
銀河鉄道が宇宙を駆けるように、列車がぐんぐん進んでいく。
降りるべき駅の名前だけは分かっているけれど、他は分からない。だからあと何駅で到着するのかも検討がつかなくて、時間からくり抜かれたように錯覚する。
この車両にはもう俺たちだけ。
生温い暖房のせいでゆっくりと力が抜ける。隣に感じる彼女の温もりがひたすらに心地よくて、俺はそっと目を瞑った。
◇
「君たち! 起きてくれないと困るよ!」
「っ!? あっ、え?」
「ああ、よかった。やっと起きた」
ぱっと目を開けると、そこには中年男性がいた。いや、この言い方はないな。恰好を見ればすぐに相手が駅員だと分かる。それで、俺は自分が寝てしまっていたことを理解した。
「まったく、何度も呼びかけたのに起きてくれないもんだから困ったよ」
「す、すみません」
申し訳なさすぎる。隣では美緒が、すぅ、すぅと寝息を立てていた。肩を揺さぶると、彼女はあどけない所作で目をこすった。
「ん、おはよう兄さん」
「おはよう。で、起きたばっかりごめんだけど、とりあえず降りるぞ。俺たち寝過ごしたっぽい」
「……え?」
美緒が心底驚いたような声を出す。
『ちゃんと私が起きてるから。むしろ兄さんが寝てもいいよ?』
『寝ないよ。昨日はぐっすり寝れたからな』
眠る前に二人で交わした会話を思い出す。あれだけ言っておいて、二人して居眠りするとか。やばすぎるだろ――って、言ってる場合じゃなかった!
「すみません、すぐ降ります。っていうか、あの。ここってなんて駅ですか?」
と聞けば、駅員さんが駅名を教えてくれる。
ひとまず電車から降り、俺は駅名をナビアプリに打ち込んだ。時間的にはまだ夕方だ。今から急げば、東京にはなんとか帰れるはず――
「――でも今日はもう、電車止まっちゃってるよ。見ての通りの大雨でねぇ。明日の朝までは動かないって」
「え?」
「君たち、学生さんだろう? 泊まる当てとかあるのかい?」
「「…………」」
当てなどあるわけがない。何せ途中下車を忘れて寝過ごしちゃったせいで、祖母ちゃんの家とも違う方向の場所に行き着いてしまっているのだ。聞いたこともない土地だし、完全に途方に暮れている。
そうして現実を直視して、まだまだ雨が降りやむ様子がないことに気付く。これは粘ったところで明日まで帰れないだろう。むしろ明日になったら電車が動くことを祈らないといけないくらいだ。
「しょうがないなぁ。私の兄貴がやってる宿がある。ちょっと電話してみようか?」
「「……お願いします」」
帰れないなら、せめて寝床を確保するしかない。俺だけなら無理やり野宿してもいいが、美緒がそんなことをして体を壊したら最悪だ。
そんなこんなで。
俺たちは見知らぬ土地で一晩を過ごすことになってしまった。