【完結】都合のいい女ぶってる美少女たち、実は湿度高めで愛が重かった。   作:黒い床

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10章#40 魔女は眠らない

「美緒と月瀬、どっちも大切だから選べなかったんだよ」

 

 缶から出したいちご味のサクマドロップスみたいに、甘やかな声だった。

 なにそれ、と思う。

 意味が分からなかった。ノイズみたいにがなり立てる心臓が全身に血を送り込む。あの子の代わりにギターをかき鳴らすように私は言い返した。

 

「そんなの信じられない! 大切だから選べなかったなんて……あるわけないよ!」

「どうしてそう思うんだ?」

「だって…だって……兄さんは私のことしか見てくれなかったじゃん! 来香の手紙を読んだなら分かるでしょ!?」

「何が?」

 

 それはッ、と兄さんの腕にしがみつく。

 

「来香じゃなくて私が消えるべきだったってこと。来香を奪ってのうのうと生きてる私が生きてていいわけないってこと、だよ…っ」

 

 頭がもうぐちゃぐちゃだ。

 ぜぇぜぇと肩で息をする。ぽたぽたと畳に涙が零れていた。吐き捨てた言葉はどこまでも私への罰となって、心臓に刻まれる。

 

 消えるべきは自分だった、と。

 もう何十、何百と考えたか分からない。

 

「兄さんは優しいから! 一緒にいたら、幸せな気持ちになっちゃうから! だから余計に苦しかったんじゃん! その優しさを来香に向けてくれないからッ! それなのに今更どっちも大切だなんて言われたって、信じられるわけないっ!」

 

 兄さんのことを嫌いになれたらよかった。そうしたら、兄さんから貰う優しさにいちいち喜ばずに済んだのに。

 だけど私はどこまでも兄さんが好きだから。

 ふとした優しさに救われた気がして、心が甘く蕩けて、その度に苦しくなった。

 

 ――愛憎

 

 愛おしさの憎々しさは裏表。

 幸せの分だけ不幸せになる。

 

 零れる涙を拭って顔を上げる。

 兄さんは、

 

「ったく、めんどくさい女だなお前らは……!」

 

 とまるでヒーローみたいに言った。

 

「頑固にも程があるだろ! 妹だからとか初恋の相手だからとか、めっちゃ汚しちゃったからとか色々気を遣ってたけど! もう堪忍袋の緒が切れた。そっちがそのつもりなら、この際なにもかもぶちまけてやるよ」

「へ?」

「だいたいな、まず俺の話をちゃんと聞け! 俺はどっちも大切だって言ったんだぞ? 選べないって言ったんだぞ? どうして『消えるべきは美緒』みたいな話を理解できると思った!? んな話、一ミリも理解できないに決まってんだろ!」

 

 だん、と兄さんが私を押し倒す。

 覆いかぶさってくる兄さんの顔は、かなり怒っていた。

 

「つか、表に出てるのが美緒なら美緒に話しかけるに決まってんだろ! そこで来香に話しかける方がおかしいだろっ? 試し方がシビアすぎて全っ然成り立ってないわ!」

「なっ……なにそれ! そんなの、分かってよ! 私に兄さんでしょ!」

「お前の兄はどこにでもいる凡人なんだよ! 分かるはずねぇだろちょっとは冷静に考えろ!」

 

 ていうか、と兄さんが一呼吸置いてから言う。

 

「本当は俺の気持ちが月瀬に向くことはないって思ってるんじゃないか?」

「っ、そんなわけ――」

「そんなわけないなら、どうして俺が来香を大切に思ってるって気持ちを信じようとしないんだ? てか、一度試しただけで決めつけるなんて普通に考えて早計すぎるだろ。もっと分かりやすく試すなり、月瀬の話をして俺の本心を探るなり、やり方はあったはずだ」

 

 兄さんの手が私の胸に伸びる。

 指がなぞるのは手術跡。兄さんは、まるでその奥の心臓へ言葉を投げつけるように言った。

 

「美緒だけじゃない。きっと、月瀬もそう思ってたんだろ。だから美緒に自分の想いを託したんだ。美緒越しなら自分の恋も叶えられる可能性があるはずだ、って」

「――っ」

 

 どくん、と鼓動が跳ねる。

 ()が私だけを見ているわけじゃないのだと、今更のように気付く。

 

「もう一度入れ替わるつもりだったんだろ。美緒として、自分たちの恋を叶えた後で」

 

 ああ、とまるで他人事のように思った。

 あの三人に救われたあなたは――そこまで届いちゃうんだね。どれだけ嘘を見破られても、そこにだけは触れられないと思っていたのに。

 

「そうだよ。だってしょうがないじゃん。()()くん、あたしのことなんか見てくれないんだから」

 

 

 ◇

 

 SIDE:友斗

 

 彼女の心は迷宮みたいに入り組んでいて、まるで、誰にも見られたくない大切なものを画しているみたいだった。

 その中をずっと俺は、彷徨っていた。

 彼女が俺に向ける感情の正体が分からなかったのだ。

 

 初めは単なる愛だと思った。

 だけど、憎悪も混ざっているのだと気付いた。

 ――じゃあ単なる愛憎?

 それもまた、違っていた。いや正しくはあるのだろう。けれど、解釈の仕方が致命的に間違っていたんだ。

 

 だって彼女は二人だから。

 美緒の心に裏表があるように、月瀬の心にも裏表はあって。

 愛にも憎にも違う色がついているのだから、四色が混ざり合う彼女の気持ちを単純に捉えることなんかできない。

 

「そうだよ。だってしょうがないじゃん。()()くん、あたしのことなんか見てくれないんだから」

 

 悪辣な負け惜しみみたいに、彼女が言った。

 俺を見上げながら、自嘲と八つ当たりのちょうど真ん中みたいな色で続ける。

 

「ずっと傍にいたのに、幼馴染にすらなれなかったんだよ。まるで最近ようやく友達になれた、みたいな感じの距離でさ。友斗くんは分かる? あたしがミスターコンの特別パフォーマンスの相手に選ばれたとき、どんな気持ちだったか」

「…………」

「切なかった。あの三人には言えない嘘の愛の言葉をあたしには囁けちゃうんだ、って。

 惨めだった。長くは持たない命だろうからって必死に言い聞かせた。傍にいられればいい、って」

 

 一呼吸置いてから、彼女は続ける。

 

「あの舞台で友斗くんに愛を囁かれてさ! どんな気持ちだったか、分かるッ!?」

 

 分からないよね、と間髪入れずに二の句が継がれる。

 

「悔しいくらい、嬉しかった! だって幼馴染として扱われたんだよッ? まるで本当にあたしに向けてるみたいな台本でさっ! 心がふわふわして、満たされた! だけど、だけどっ――その何倍も『ああ、これは嘘なんだ』って思っちゃったんだよ!」

 

 彼女の涙は、正しく俺の罪だった。

 俺は月瀬来香という女の子に甘えすぎていたのだと思う。いつの間にか仲良くなって、友達でいてくれて、自然に距離を縮めていけたから。彼女の勇気に満ちた一歩一歩が俺の分まで代わりに距離を縮めてくれていたことに、気付いてなかった。

 

「本当はあたしのままを好きになってほしかったけど、それは無理だって分かっちゃったから…っ! それでも諦めきれないなら、美緒に託すしかないじゃん!」

 

 俺はこんなにも、彼女たちを傷つけてしまった。

 あの夏、三人を傷つけたのと同じように――この冬、二人を傷つけた。

 いつもそうだ。

 俺は結局、大切な人ばかりを傷つける。その傷を癒そうとしたところで、ヒーローなんかになれるはずはなくて。

 

 だから、ヒーローではなく百瀬友斗として伝えようと思った。

 

「美緒も月瀬も、何一つ分かってないんだな。って、まぁ伝えようとしてなかった俺が悪いんだけどさ」

「……何が言いたいの?」

「今年の夏。俺がどうして前に進めたか、分かるか?」

 

 月瀬は、或いは、美緒は。

 怪訝な様子で答える。

 

「あの三人でしょ。あと、霧崎先輩?」

「それもある。でももう一つ、今でも支えてもらってるものがある」

「……どういう、こと?」

「手紙だよ。今年の夏、俺は初めて美緒が心臓移植してたって知ったんだ。それで……祖母ちゃんちに届けてもらってたサンクスレターを、全部読んだ」

「――ぇ」

 

 いつか、時雨さんに聞かれたことがある。

 

『どうしてキミは、そんな風に前を向けるの? あの頃を取り戻したいって思わないの? 取り戻せないことに絶望しないの?』

 

 俺はあのとき、答えたのだ。

 手紙のおかげだ、と。

 

「二人はなんにも分かってない。俺が…俺が……っ! 月瀬の手紙に、どれだけ救われたか! 勝手にヴィランぶるなよ。あの日からずっと、月瀬は俺のヒーローなんだから」

「……っ」

「月瀬の手紙がなかったら、俺は前を向けなかった。今周りにいる人たちと向き合おう、って。そんな当たり前のこともしようとしなかったんだ。だから……今の俺があるのは、月瀬が一生懸命に生きてくれたおかげでもあるんだよ」

 

 どうか、彼女の心に届きますようにと祈って。

 俺は彼女を抱き寄せた。

 

「月瀬のこと、忘れててごめん。一緒にいてくれたのに、気付けなくてごめん」

 

 幼稚園の頃から月瀬は傍にいてくれた。

 なのに気付かなくて、美緒に寄りかかって。

 そして――美緒がいなくなったとき、自分を守るために月瀬との時間ごと昔の記憶を閉じ込めてしまったのだと思う。

 

「これまでの時間を後付けで思い出して、『本当は好きだった』なんて都合がいいことは言いたくない。そんなの月瀬が生きた時間への冒涜だって思うから」

「…………」

「だけど俺は、あの手紙を書いてくれた月瀬のことが大好きだ」

「っ!?」

 

 ありったけの想いを口にする。

 腕の中で彼女が身動ぎした。なるべく優しく、けれど、決して離すまいと抱擁の力を強める。

 

「今日新しい手紙を読んだとき、どうしたらいいか分からなかったんだ。月瀬を呼び戻したら美緒と会えなくなるかもしれない、って思ったから」

 

 俺の鼓動(想い)を伝えるように、そっと言う。

 

「選ばなきゃいけないのかもしれない。だけど、選べるわけがない。今でも俺は美緒が好きだし、月瀬のことも好きだって思う。どちらかとしか生きていけないなんて、そんなの嫌なんだ」

 

 曖昧な状態で彼女と繋がれば、美緒と月瀬のどちらかがいなくなってしまうような気がした。だから、彼女と一線を越えることだけはできなかった。

 

「でも、やっと届いた」

「――え?」

「百瀬美緒と月瀬来香の激情に触れた。だからもう、選べないだとか、分からないだとか、うだうだ悩んだりしない。俺は俺なりに答えを出すよ」

 

 美緒は祈った。

 月瀬は望んだ。

 だけどそれ以前に、二人は互いを想い合った。

 

 彼女たちがお互いを大切に思う気持ちは、絶対に嘘なんかじゃない。

 美緒は自分が消えるべきだと考えて。

 月瀬は美緒の隣にいてくれと残して。

 ――じゃあ、俺は?

 

「俺は、二人とずっと一緒にいたい。だから一人になってくれよ」

「『……は?』」

 

 その声は、まるでダブっているように聞こえた。

 

「『何言ってるの? 全然意味分かんないよ』」

「そのまんまだよ。どっちかが消えるなんて嫌だけど、二人が出たり引っ込んだりするのも嫌だ。わがままだって言われるだろうけど、俺は二人とずっといたい。どっちかとしかいられない時間なんて嫌だからな」

「『は、はあ?』」

「そこで俺は考えたわけだ。二人が一人になれば、二人とずっと一緒にいられる。しかも美緒と月瀬が混ざり合った、最強の女の子の誕生だ」

 

 自分でも何を言ってるんだろう、って思う。

 だけど、しょうがないじゃないか。

 

 ――ぐちゃぐちゃにしてやりたい。

 

 そんな彼女たちの激情を奇麗だと思ってしまったのだから。

 

「『無茶苦茶なことを言ってるって自覚、ある?』」

「もちろん。でも、二人だって気付いてるんだろ? 二重人格(それ)をそのままにしておくわけにはいかない。だから相手のために、自分が消えようとしてる」

「『――っ』」

 

 二重人格、もとい解離性同一症はれっきとした病気だ。

 今は二人の人格が共存しているだけだからいい。だが、今後どうなるかは分からない。まったく別の人格が生まれてしまうかもしれないし、ふとした拍子にどちらかが消えてしまうことだってありうる。

 彼女たちの奇跡は、あまりにも危ういバランスで保たれているのだ。

 

「でも本当は、どっちかが消える必要なんかない。()は月瀬で美緒だ。どっちも正解で、どっちも君なんだよ」

 

 彼女は二人だ。

 だけど、一人でもある。

 だから彼女の心は複雑に入り組んでおり、それでいて、単純な一本道でもある。

 

「あーだこーだと理屈をこねくり回してたけど、君の答えは単純だろ?

 あの三人に負けたくない、って。

 自分が先だったのにふざけるな、って。

 だから、何もかもひっくり返してやる、って」

 

 頭の奥で鋭いギターの音が鳴る。

 体の芯が噛みつかれた痛みを思い出す。

 それらに込められていたのは優しさでも憎々しさでもなく、独占欲という名の激情だった。

 

「だったらいっそ、君が全部塗り替えてしまえばいい。その気持ちで、俺やあの三人の物語も全部、君色に染めればいい。俺はそうやって一生懸命に生きる君に救われたんだから」

 

 って、好き勝手に言うのはこれが俺の物語だからだ。

 別に俺の言う通りにしてほしいわけじゃない。俺の選択が彼女たちのこれからを決めることなんて出来はしないのだから。

 ただそれでも、

 

「っし、すっきりした!」

「『へ?』」

「俺は言いたいこと、全部言った。わけ分かんないくらいにこんがらがってたから、馬鹿みたいに長くなったけどさ。それでも、全部吐き出した。だから後は君の好きにすればいい。結局、君の物語なんだからさ」

 

 言いたいことを言えて満足した。

 だからこれでいい。俺はただ、自分の物語を全うしただけだ。

 

「っと、いつまでもこんな恰好でいたら風邪引くよな。とりあえずシャワー浴びてこいよ。俺は君の後でいいからさ」

「『…………』」

「俺は先に着替えるかなぁ。……ん? 君はいつまでそうしてるんだ? 流石に色々と目に毒だし、美少女だって自覚をしてほしいんだが」

 

 下着姿で布団に寝転んだままの彼女に言う。

 実際、彼女の恰好はやばい。さっきまでは勢いで誤魔化せてたけど、改めて見ると色んな所が汚れててエロいし。てか、下着姿ってだけでもやばいからな。

 ようやく起き上がったかと思うと、彼女はふるふると肩を震わせていた。

 

「『君』『君』ってうるさい! 君じゃないから、来香だから! 一方的に好き勝手言って満足して終わるとか、ほんっっとありえないから! ()()()なんなの? 惚れた弱みを利用するクズ男なの?」

「い、いや、クズになってるつもりはないけど」

「じゃあ無自覚クズ! 一番タチ悪い奴! 何が許せないって、そんな兄さんの言葉に喜んでる()()()のちょろさが許せない~! ねぇどうして何をやってもあたしの中で兄さんの行動がプラス評価になっちゃうわけ!? 初恋補正!? ていうか、さっきまでのシリアス展開どこいった!?」

 

 あーもう、と青空みたいに澄み切った苛立ちをこちらにぶつけてくる。

 

「難しいこと考えるの、もう疲れたし! てか、二人分の人格を処理してると脳が疲れるんだよねー! 兄さんたちにテストの成績で勝てないのもそのせいだから!」

「お、おう……?」

「だから、一人になったあたしは今までよりもずーっと凄いよ。言っとくけど、兄さん程度じゃ手も足も出ないからね」

 

 言って、彼女は立ち上がる。

 はうりと長い髪が広がり、きゅいっと勝気に目尻が下がった。

 ほとんど一糸纏わぬ姿で、すっぴんのままの彼女が笑う。

 

「あたしと私――最強無敵の月瀬来香がこのラブコメをぶっ壊してあげる♪」

 

 あんまりの変わりように、俺は思わず吹き出してしまった。

 月瀬らしくも美緒らしくもない、今の彼女らしい言葉。

 きっとそれこそが今の彼女にとっての核だったのだろう。だけど色んな屈託によって覆い隠されて、誰にも見えなくなってしまっていた。

 

 剥き出しの彼女は笑っちゃうくらいに素敵で、見惚れそうになる。

 やがて訪れる明け方が、彼は誰(かはたれ)、と彼女に問うている気がした。

 

「やってみろよ、来香。俺も負けないからな」

「にしし。兄さんに勝てるかな~?」

 

 運命を切り裂くように、その少女は屈託なく笑う。

 彼女の名前は月瀬来香。

 俺の妹で、幼馴染で、初恋の人で、ヒーローで。

 そして、

 

 ――俺、百瀬友斗の想い人だ。

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