【完結】都合のいい女ぶってる美少女たち、実は湿度高めで愛が重かった。   作:黒い床

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2章#29 崩壊の音色

 開会式の時刻が近づく現在。

 本部の準備も完了し、俺は念のため一度校舎に戻っていた。基本的には昼休憩までずっと本部に滞在しなくちゃいけないわけだし、お手洗いはしっかり済ませておかなければならない。

 

 ちなみに、このことを入江妹にも注意したら、『お気遣いありがとうございます』と『セクハラです』の両方を言われた。後者の方が口調が強かったのは言うに及ばず。

 

 そんなこんなでトイレを済ませ、校庭へ戻ろうとしていたときだった。

 人気(ひとけ)の少ない廊下の曲がり角。

 突如現れた誰かが、俺のことをぐいっと引っ張った。

 

「うおっ――だ、誰だ?」

「やっと見つけた……っ」

 

 ゼェゼェと息をするその誰かさんは、ドシーンと壁に手をついた。

 誰かさんと壁に俺が挟まれた状態。

 少女漫画で言うところの壁ドン的なシチュエーションに陥っていることに遅ればせながら気付けたのは、目の前の相手の吐息の甘やかさを意識したからだった。

 

「えっと……」

 

 混乱している頭を無理くり動かし、現状を冷静に把握しようと努める。

 

 目の前にいるのは学ランを纏った生徒だ。

 髪は長いとも短いとも言いにくい微妙な長さ。やや長髪の男子が運動のために束ねた、といった感じのヘアスタイルだ。

 それなのにその姿は驚くほど様になっている。

 

 二又の猫妖怪を彷彿させるような赤いハチマキが頭に巻かれていた。

 雫のような可愛い系とも、入江妹のような真面目な感じとも違う、やたらと気合の入った巻き方だ。

 

「もうっ、兄さん……探したんだよ」

「……まさか美緒か?」

「そうに決まってるでしょ。見て分からないとか言われたら、一週間は拗ねるからね」

「冗談だよ」

 

 実際、一目見て美緒だと分かった。と同時に、合点もいったのだ。ここ最近美緒が時雨さんに呼ばれていたのは、この採寸のためだったのだろう。

 例年、応援団の副団長は二年生がやることになっている。学ランは団長だけの衣装ではないらしい。

 

 俺が肩を竦めて答えると、まったくもう、と不服そうに漏らす。

 

「本当に失敗した。こんなことしたくなかったのに」

 

 不服そうにぶつぶつと呟く美緒。

 

「副応援団長、自分で立候補したわけじゃなかったのか」

「当たり前じゃん。恥ずかしいし、応援団とか苦手だし……」

 

 時雨姉さんのせいだよ、と美緒が口を尖らせた。

 

「色々時雨姉さんに言われてさ。救護班が仕事少なめなのは事実だし……兄さんとか雫が頑張ってるのを見たら、なかなか断りにくくて」

「そっか」

 

 恥じらう美緒だけれども、その瞳はビー玉みたいにカラカラと俺を映している。

 期待されていることを分からないほど、馬鹿でも鈍感でもないつもりだ。俺はふっと笑い、美緒の頭に手を伸ばす。

 

「似合ってるよ。普段と印象は違うけど……めちゃくちゃ見惚れた」

「ん、うん……ありがと」

 

 ハチマキがズレてはいけないから、そっと撫でるだけに留めて手を離した。

 んっ、と名残惜しそうに美緒が声を漏らす。

 指先で耳たぶをつまむと、美緒は気を取り直すように尋ねてきた。

 

「聞き忘れてたんだけど……兄さん、こういうのは嫌じゃない?」

「言っただろ。似合ってると思うぞ」

「それはっ、嬉しいけど。そういうことじゃなくてさ」

 

 美緒と綾辻が曖昧になり、彼女は不安げな様子で続ける。

 

「私らしくない、とは思わない? ちゃんと私は美緒(わたし)をできてる?」

 

 綾辻は美緒のことを詳しく知らない。だから、綾辻は心配してくれたらしい。

 正直に言うならば。

 綾辻とかつての美緒には乖離がある。そもそも、美緒は持久走の選手になるような子ではなかった。運動は苦手で、障害物競走とか借り物競争とか、無難な競技に出場していたはずだ。

 

 それに、美緒が副団長を引き受けていたかと言えば、それも分からない。恥ずかしがってやらなかったかもしれないし、頑張って全力を尽くしていたかもしれない。

 結局のところ、俺には美緒の未来(いま)を想像することしかできないのだ。知っているのは所詮かつての、しかも記憶の果てで美化された美緒だけ。

 

 だから俺は。

 

「ちゃんとできてるよ。美緒は美緒だ。らしくないなんて、気にしなくていい」

 

 縋れる美緒に縋るだけ。

 本当は分かっているのだ。誰も美緒にはなれない。綾辻は綾辻澪でしかなく、雫は綾辻雫でしかなく、そして彼女も……。

 誰も美緒にはなれない。

 だから、美緒を重ねるのだ。縋って、依存して、美緒だと思い込む。

 

 俺には美緒が必要だから。

 俺には――。

 

「なあ……美緒。聞いてほしいんだ、雫とのこと」

「っ…あの子との、こと?」

「ああ」

 

 美緒がおずおずと俺を見つめる。

 その瞳に綾辻を見つけそうになった俺は、自分の言葉で、彼女の姿を塗り潰した。

 

「付き合わないことにした」

「…………え?」

「俺の彼女は美緒だけだ」

 

 あの勉強会の日から、何度も検算してきた。そうして出た答えがこれだ。俺は雫を、間違いに巻き込まない。

 正しくないのは、悪いことをするのは、俺と美緒だけで充分だ。

 

 ぱちぱちと瞼を瞬かせる美緒だったけれど、微かに開いた口の隙間から、そっか、と声が漏れ聞こえてきた。

 一瞬俯いたかと思うと、美緒はくいっと廊下のフローリングから踵を上げた。

 

 美緒の顔が目の鼻の先に近づいてくる。

 キスしてしまいそうな距離だ。

 そう考えているときにはもう、唇を奪われていた。

 

「んちゅ、ん…兄さん……大好き」

「っ、み、美緒!?」

「ダメだよ、兄さん。大きな声を出したら誰かが来ちゃうかもしれないでしょ?」

「いや、そうじゃなくても……学校だぞ」

 

 この時間、ここを通る生徒はほとんどいないだろう。

 でも通行禁止でもないのだ。もしも誰かに見られたらまずいはずで……。

 

「大丈夫だよ。ほら、私は今こんな格好だし。パッと見じゃ誰と誰がキスしてるかなんて分からないと思う」

「そう、か?」

「うん。私、別人になりすますのは得意だから」

 

 ホワイトノイズが体育祭で流れるBGMみたいに耳の奥で鳴っていた。どこか酩酊したようにとろけた目のまま、もう一回、と美緒がねだる。

 

 断れるわけがなかった。

 断るつもりがなかった。

 断る意味などなかった。

 

「んっ、好き…大好きだよ……」

「俺もだよ、美緒。今日は頑張ろうな」

「うん、頑張る。一等賞とるから」

 

 キスをする。浅めのキスだ。舌は絡めず、唇だけを触れ合わせる。でもフレンチキスだって、何度もすれば癖になる。遠くから聞こえるアナウンス。更に興奮して、俺は背伸びをしている美緒を抱き寄せた。

 

 シャンプーと、それから仄かな汗の匂い。

 キスをやめた俺は、代わりに美緒の髪に顔を埋める。

 

「ちょ、兄さん……!?」

 

 美緒の静止を聞かず、すぅぅ、と思い切り匂いを吸い込んだ。

 クラクラする。

 クラクラクラクラする。

 どうでもいい。美緒以外全部、どうだっていいから――

 

 ――ぶるるるっ

 

 刹那、ポケットの中に入れていたスマホが振動した。

 バイブレーションで我に返る。慌てて美緒から離れ、一言断ってからスマホを確認する。

 

【大河:モモ先輩、どこにいるんですか? もうすぐ開会式が始まりますよ】

 

 入江妹からのRINEだった。

 そのメッセージは文字列でしかないはずなのに、入江妹の真っ直ぐな叱責の声を伴っているように感じる。

 

 そうやって××は、俺を引き留めてくれるんだな。

 無意識のうちに笑っているだろうと自覚しながら、息を整えた。どうでもいい、なんて言っていられない。

 俺には責任がある。可愛がっている後輩もいる。信頼してくれる従姉もいる。どうでもいいと一蹴できるわけ、ないのだ。

 

「悪い。俺、そろそろ行かないといけないみたいだ」

「あ、う、うん……私もかな。時雨姉さんの期待を裏切るのも嫌だし、行くよ」

「だな」

 

 どこかぎこちない美緒の返事を受け取り、俺は彼女とバラバラにその場を去る。

 燦々と晴れた空を見上げて、頭が冷えるのに時間がかかりそうだな、と苦笑した。

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