船上試験、グループ1度目の話し合いの直後。
綾小路くんと軽井沢さんの兎グループの話し合いも終わった、ということで私たちは情報共有のため合流することになった。
クルージングが始まってから、すっかりお決まりのポジションとなったデッキのテラステーブルで綾小路くんたちを待つ。ドリンクまで無料なのはホントありがたい。
「悪い、待たせたな松下」
「ううん。全然……」
大丈夫、と続けようとして、止まる。
綾小路くんと、軽井沢さん。2人の距離が近い。物理的にもそうだし、軽井沢さん側は心理的にも近いように思える。心を許している感じ、というか。
「軽井沢。例の件については追って連絡する。一応、平田にも相談しておくといい」
「うん、分かった。ありがとうね、綾小路くん。松下さんも、じゃあね」
軽井沢さんは小走りで去っていく。
さて、少し聞きたいことができてしまった。
「綾小路くん?」
「誤解だ」
何が悪かったのか、彼自身分かっているらしい。まあ、綾小路くんのことだから何かしら理由はあるんだと思う。まず弁明を聞こうかな。
綾小路くんの話では、軽井沢さんとCクラスの女子の間で揉め事があり、その仲裁をしたとのこと。
軽井沢さんを守ってくれたのは、褒めてあげたい。
「でも、あの距離感は近過ぎ」
対抗して私も綾小路くんにくっつく。
「悪い。俺も友人同士の距離感じゃないんじゃないかとは思っていたんだが、俺の常識が間違っているのかもしれないと思ったんだ。それに、軽井沢を拒絶したら松下との仲も気まずくなるんじゃないかと憂慮した」
「綾小路くんは簡単に靡く人じゃないと思うからいいけど、気を付けてね? 軽井沢さんがそうとは言わないけど、私がいるのに綾小路くんを狙っている人だっているんだから」
綾小路くんの人気は急上昇している。
元々、過去問を入手して配布した5月以降から、クラス内では人気が高かった。私がいるのにだ。
それがビーチバレーでの一件、無人島試験でのリーダーとしての活躍もあって、他クラスの女子も綾小路くんに注目している。
平田くんと双璧を成す人気ぶり。定期的にデートを行い牽制しているけど、心配の種は尽きない。
「ああ……なるほど」
「なるほど?」
どこか納得したような綾小路くんの言葉に、即反応する。
なにがなるほどなのかな?
「いや、さっき話した軽井沢と揉めたCクラスの真鍋なんだが……俺に対しては少し好意的だったと思ってな。バレーに誘われそうにもなったし、自意識過剰かもしれないが、そういうことだったのかと」
「絶対そう。ダメだよ、誘われたら断ってね」
「ああ。それはいいんだが、真鍋が好意的なのを利用して、後日会う約束してその場を収めてしまった」
軽井沢さんが諸藤さんという女子を突き飛ばしたのか確認するのに写真を撮ろうとした。それを止めて、綾小路くんが真鍋さんたちと一緒に諸藤さんに会いに行くことを提案したら、真鍋さんを宥められたということらしい。
いやそんなのめっちゃ狙ってるじゃん。
「ダメでーす。と言いたいところだけど、もう約束しちゃったんだよね。ならしょうがないかな。でも、私も絶対連れて行ってね」
「分かった。松下を連れて行かないとは言ってないからな」
真鍋さんはガッカリするかもしれないけど。
それにしても、ついに綾小路くんが自覚するレベルでアプローチをかけてくる子が出てきた。やばいなあ、恋人契約とかしている場合じゃない。本当の恋人にならないと、綾小路くんが取られちゃうよ。
……こっちから言い出さないと進展しないのは分かってる。分かってるけど、関係を進めようとして、今の恋人契約すら失われるのが怖い。
綾小路くんに本当に好きな人ができない、なんて保証もないのに。
「松下」
内心でちょっと落ち込んでいると、綾小路くんが声をかけてくる。
「なに? 綾小路くん」
「やっぱり真鍋の件は断ることにする」
「えっ。どうしたの?」
「彼女がいるのに他の女の子と会う約束をするのは、不誠実なんじゃないかと思っただけだ」
「いやいや。大丈夫だよ、そんなの。もう約束してるんでしょ? それを断る方が不誠実なんじゃない?」
「真鍋との要件は軽井沢がトラブルの相手なのか確かめに行くことだ。当の軽井沢が認めている以上、オレが行く意味もない」
……綾小路くんは多分、私が内心落ち込んでいるのを察したんだと思う。そんなに分かりやすく顔に出していたつもりはないけど、綾小路くんの洞察力なら気が付いてもおかしくはない。
それで、その原因が真鍋さんを誘った自分にあると思って、約束をキャンセルしてくれたのかも。
「なんだ?」
「ううん、なんでもない。私の彼氏は最高ですよと思ってただけです」
「なぜ敬語なんだ。しかし、褒められて悪い気はしないな。この後の交渉、頑張れよ」
「うん、ありがとう」
◆
私と堀北さんは、ある生徒を呼び出していた。
「……本当に、相手は彼でいいの?」
「うん。綾小路くんのおすすめだし、私も組むならそっちだと思ったんだよね。ほら、クラスの支配力とかを考慮するとさ」
伊吹さんや山田くん、他のクラスメイト全員も駒だと言い切った啖呵を、私は忘れていない。
「はあ……後悔しても知らないわよ」
彼と相性の悪い堀北さんは、気が進まない様子だ。彼女には悪いけど、もう決めたことだから。
しかし、待てど暮らせど相手は来ない。
既に待ち合わせから10分以上経過していた。
「帰るわ」
「待って待って。ほら、あれだよ。宮本武蔵が巌流島で佐々木小次郎を待たせたやつ」
「焦らして事を有利に進めるため、ってことね……やってくれるわね」
呆れたように堀北さんは頭を振る。
徹底してるね、本当に。
彼が姿を現したのは、待ち合わせの時間から約30分後のことだった。
「よお、鈴音、松下」
「遅刻よ」
「固いことを言うなよ。俺たちの仲だろ」
そんな仲になった覚えはないけど……
「こんばんは、龍園くん」
「なんだ。綾小路に飽きて俺に乗り換えようってのか、松下?」
「それはないから安心していいよ」
さすが、人を苛立たせるポイントを、実によく分かってる。
落ち着け、龍園くんのペースになったら一気に不利になる。
「綾小路くんと龍園くんじゃ、ちょっと比較にならないかな。ごめんね?」
「はっ。俺もお前みたいなタイプは御免だな。女は普通が一番なんだよ」
それは……なんというか、意外な好みのタイプだね。結構ガチっぽいし。過去に何があったんだろう。
まあ、それはいいや。
「お前たちから俺を呼び出すとはな。珍しいこともあったもんだ。敗北宣言なら受け入れてやっても……」
「共闘しない? 私たち」
龍園くんに話させていたら、いつまでもこっちが主導権を握れない。面倒な煽りを遮って、端的に要求を伝える。
「……ほう?」
今日初めて、龍園くんは興味深そうな目を向けてきた。
彼は椅子を引き、どかっと勢いよく座る。さすがにテーブルに足を放り出したりはしないけど、乱暴な座り方だ。
「クク、一之瀬じゃなく俺に話を持ってくるとはな。あの仲良しごっこクラスは共闘のお仲間に入れてやらなくていいのか?」
「Bクラスも、結局倒さなきゃならないクラスだからね。それに取り分減らしたくないし」
「はっ、欲深いやつは嫌いじゃねえ。続けろよ」
「私たちがまずしなきゃいけないのは、Aクラスの独走を止めること。少なくとも、今回Aクラスには結果3によって、自クラスの優待者3人分……マイナス150クラスポイントは受けて欲しいんだよね」
「クク、涼しい顔してエゲツないことを言いやがる。ま、葛城のやつが凋落する様を見るのも悪くねえがな」
「けど、話し合いで優待者を探すのは、特にA相手だと難しそうなんだよね。話し合い放棄してるし」
「そこで優待者の法則性か?」
……やっぱり。
龍園くんは頭が良いし、洞察力にも優れている。けど、いくらなんでも話の流れがスムーズすぎる。
私は確信する。龍園くんも同じ考えを持っていたということを。だからこそ、この交渉は成立する見込みがある。
「龍園くんのことだから、クラスの優待者はもう把握してるんでしょ? けど、そこに法則性を見出すにはデータが足りない。なら、クラス3人分の優待者情報をお互い交換しよう。そうすれば双方、優待者の法則を見つけ出して、すぐにでも告発ができる」
「情報が足りなきゃ他所のクラスから集めりゃいい。なるほど、道理だな。だが、ただじゃあやれねえなあ」
来た。龍園くんが大人しく優待者情報の交換だけで済ませようとしないとは思っていた。
堀北さんが龍園くんを睨み付ける。
「こっちも3人分の優待者情報は渡す。それで対等よ」
「こっちは交渉を受けてやってる側だぜ。優待者の情報だけじゃねえ。クラスポイントはくれてやるが、オマケでついてくる50万は全てこっちに渡しな」
「論外ね。行きましょう松下さん。やはり組むべきじゃなかったのよ」
堀北さんは立ち上がり、私にも退席を促す。うん、この条件を飲む必要はまるでない。そもそも対等な取引で、この要求は馬鹿げている。つまりこれは単なる煽りだ。
私は堀北さんの袖を引っ張り、交渉の席に引き戻した。
「それはさすがに飲めないかな。龍園くんはプライベートポイントがほしいんだね?」
「金は幾らあっても足りるってことはねえからな」
「そうだね。Aクラスから貰ってる分があったとしても、追加で得られるならそれに越したことはないよね」
龍園くんの眉が僅かに上がる。
「クク、そこまで分かってるとはな。綾小路の入れ知恵か?」
「無人島でAとCでなんらかの取引はあった、ってところまでは。後はアドリブかな」
「恐れ入ったぜ。綾小路ほどじゃあないが、お前も猫を被ってやがったみたいだな。しかし、あの赤毛の単細胞と同じグループとは、よほど手を抜いていたらしい」
「……色々あったんだよ」
こほん、と咳払いして嫌な話題を終わらせる。
「で、条件だけど」
「今のは吹っかけてみただけだ。条件は2つ。お前たちDクラスが優待者を告発するグループは俺が決める。ああ、12のグループ中1グループしか告発させねえなんてセコイ真似はしねえから安心しな。半々にしておいてやる」
「……もちろん、自分のクラスが優待者のグループは、対象から外れるんだよね?」
「ああ。自分のクラスの優待者を告発したところで、無効となって試験が続行するだけだからな。CとDは互いに優待者を告発し合う形になる、そこは保証してやるよ。クラスポイントは得られねえがプライベートポイントは増える。それに他クラスに持っていかれるよりはマシだろうからな」
私は、息を呑んだ。ここまで、なんとか龍園くんに食らいついてきたけど、この条件の意図が読めなかったからだ。
お互いのクラスが6グループずつ告発を行うのであれば、この条件にデメリットは、正直そこまで感じない。今回の試験、告発者に対しての匿名性は担保されている。要望すれば、入金用に仮アカウントまで作ってくれる徹底ぶりだ。たとえば私たちのクラスがAクラスの全優待者を告発したからといって、Aクラスから報復を受けるといった心配はない。
龍園くん、Cクラス側もそれは同じはず。
「もう1つは?」
「優待者の告発のタイミングも俺が指示する。お前らが告発するクラスも、その時指定する」
「それは……たとえば告発が試験終了ギリギリになったりもするってこと?」
「俺がそう指示したなら、それに従ってもらうぜ」
「読めたわ。試験終了直前に告発の指示を出すことで、私たちが告発する前にタイムオーバーさせ、自分たちだけがポイントを攫う。そういうことでしょう」
堀北さんの鋭い指摘。そうだ。告発するクラスの指定ならともかく、時間の指定ならその危険性がある。
しかし、龍園くんは面倒そうに頭を掻くだけ。
「はっ、綾小路の金魚の糞でもさすがにその程度は気付くか。なら、告発のタイムリミット30分前までで指定してやるよ。いくらお前らが無能でも、30分ありゃあ優待者の名前を書いてメールするくらいはできるだろ?」
「あなたたちCクラスは早々に告発を済ませるのでしょう? 私たちにだけデメリットを押し付けるつもりなら……」
「ちっ、細けえヤツだ。なら、Cクラス側の告発はDクラスの告発が全て終わった後でも構わねえ」
ますます分からない。龍園くんはなんでもないことのように、条件を付け加えた。
タイムオーバーを狙っていたわけじゃなかった……いや、無人島の時のことを考えると、通れば御の字、通らなくても別の策がある。そういうことだったんだろうね。
普通に考えれば、時間をかけるのはリスクでしかない。優待者が確定したなら、さっさと告発しなければ、他のクラスの生徒たちが告発を行う可能性だって増えていく。
龍園くんの意図を考える。ここで安易に交渉を結んでは、Dクラスに甚大な被害が出かねない。
告発を待たせる理由は? 裏切って全ての優待者をCクラスが告発するつもり?
それなら、法則性を見つけた瞬間にやればいいだけのこと。それに、裏切ることができないように契約書も作るつもりでいる。そんなことは龍園くんだって分かっているはず。
何かが根底から間違っている? 私と龍園くんでは見ているものが違う?
私は自分の中でなにか固定観念に囚われているのではないか。そんな風にすら思えてくる。
「第1の条件も、私たちが飲む理由はない。けど、交渉成立のためならそこは妥協してもいいと私は思っている。でも第2の条件は私たち、いえあなたたちにとっても不利にしかならないわ。ふざけているならこの交渉は決裂ね」
「そうかよ。中々楽しい交渉だと思ったが、そりゃ残念だ。松下、お前も同意見なわけだな?」
「それは……」
迷う。最悪、この交渉が決裂しても、話をBクラスに持っていけばいい話だ。
でも、それをしてしまえば、まず間違いなく龍園くんはAクラスに共闘を持ちかける。そうなれば、Aを狙い撃ち、ポイントを獲得する戦略は水泡に帰す。
どうする。堀北さんの言う通り、交渉は諦めた方がいいんだろうか。
そんなことを考える中、私の端末に1件のメッセージが届く。
こっそりそれを開き、画面を確認する。差出人は……綾小路くんだった。