ペーパーシャッフルも終わって、平穏な日々が続いている。
Aクラスを目の前にして、私たち堀北Bクラスは落ち着きなくソワソワしている人が多かったけど、坂柳Aクラスの人たちはもっと露骨だ。
廊下では避けられるし、カフェでは恨みがましい視線を感じる。なにやら橋本くんや神室さんが動き回ってもいるみたいだし、Aクラスが私たちを強く警戒しているのが分かる。
けど、今は特に特別試験があるわけでもない。気にせず、普通に過ごしていればいいよね。
今日は私はグループの女子と放課後のショッピングだ。クラスポイントを大きく得られたおかげで、懐には多少の余裕がある。1学期の頃は気軽に買い物なんて考えられなかったから、ほんとありがたい。
ちなみに、清隆くんは三宅くんや須藤くんに連れられて部活の見学に行っている。仲の良い友達ができたみたいで何よりだね。
恵も、平田くんがサッカー部で暇だったらしい。清隆くんはサッカー部の見学には行かないのかな。
「2人ともいいなー、イケメンで頼れる彼氏がいてさあ」
「私も彼氏欲しいー! もうすぐクリスマスなのにぃー!」
寧々と麻耶からそんな言葉をかけられる。ちょっと前まで2人とも佐藤さん、森さん呼びだったけど、恵を下の名前で呼んでいるのに他2人を呼ばないのもおかしな話なので、こう呼ぶことにした。
「だから言ったでしょ、清隆くんは優良物件だってさ」
「いや、今はほんとにそう思うけど、綾小路くん入学直後は手ぇ抜きまくってたじゃん! むしろ千秋ちゃんよく気付いたよね!?」
麻耶は褒め半分、妬み半分のような感じで聞いてくる。まあ、私も気付いたのは偶然だったからね。ほんと、運が良かったよ。
「それはほんとにそう。入学当初から大人気だった平田くんを速攻でゲットした恵ちゃんも凄いけど、千秋ちゃんの嗅覚凄すぎ」
「私、スペック高い男の人が好きだからさ。清隆くんにはビビッときたんだよね」
清隆くんと堀北元生徒会長のやり取りを説明すると、堀北元生徒会長に変な醜聞が出かねないからそれについては黙っておく。
いや、醜聞といっても堀北さんに暴力を振るおうとしたのは事実なんだけど……堀北さんはお兄さんを尊敬しているみたいだから、私からとやかく言うことじゃないかな。
「千秋はどこで綾小路くんの実力に気付いたの?」
「初めにうん? と思ったのは、プールの授業かな。堀北さんと話してたから様子を眺めてたんだけど、体がすっごい引き締まってたんだよね。もしかして格闘技とかやってたのかも? ってさ」
これも嘘。私は当時、清隆くんの能力には欠片も気付いてなかった。小野寺さんから聞いた話を流用しているだけ。でも、他人の視線を一々全部把握している人なんていないし、バレる要素はない。
「そんな時から!? すっご……私ももうちょっとよく周りを観察しとこ」
「どこに良い人が転がってるか分かんないもんね。あーでも、もううちのクラスにはいないかな……」
「三宅くんとかは? ちょっと無愛想だけど、運動もできるし頭も悪くないじゃん」
「あー、でもちょっと目付きが怖いかな。元ヤンっぽい感じ?」
わいわいと姦しいガールズトークに花を咲かす。
やっぱりこういう話をしている時はめちゃくちゃ楽しいよね。周りに気を付けながらしなきゃだけど。
「他のクラスの人は?」
「この学校だとちょっとハードル高いよね〜。でも、私たちもBに上がったし、チャンスは増えてるかもね」
Dクラスの生徒を不良品と蔑む人もいるからね。
「他クラスより上級生はどう? 付き合える期間が短いのが悲しいけど、クラス間の競争とか考えなくていいし」
「上級生かあ、堀北元生徒会長とか、南雲先輩とかカッコいいよね」
その辺は結構ハードル高そうだけどね。
そんな話をしながら、服や雑貨なんかを見て回る。放課後のケヤキモールはいつも混雑しているけど、クリスマスシーズンの今はイルミネーションだったりの装飾もされていて、なんだか新鮮だ。
「千秋はもちろん、クリスマスは綾小路くんと過ごすんでしょ?」
「うん。恵も平田くんと一緒じゃないの?」
「まあね」
「いいなー。多分みんな思ってるよ、平田くんや綾小路くんと付き合いたかったってさ」
「……そう考えると、千秋ちゃんと恵ちゃんは気を付けないとかもね」
寧々がそんなことを口にする。ああ、それね……
「なになに、どういうこと?」
「他の女子が綾小路くんや平田くんをフリーにするために、千秋ちゃんや恵ちゃんを退学させようとしてきたりするかも、ってこと」
「ええっ。いやでも、うわー怖ッ!」
「あり得なくはないよねぇ……」
恋や嫉妬といった感情は、何を引き起こすか分からないもの。ほんと厄介だよね。
まあ、邪魔な相手を消すのに退学させる、というのは合理的ではあるのかもしれない。
「ま、私はそう簡単に退学する気はないかな。何かあっても、彼氏が守ってくれるしね」
「信頼してるねー、綾小路くんのこと」
羨ましそうな摩耶にピースで返す私。
そんな中、私の端末が鳴った。着信元は……清隆くん。
珍しい。清隆くんの方から、メッセージじゃなく電話だなんて。
嫌な予感がした私は、皆に断りを入れてすぐに電話に出た。
◆
「須藤」
「おうよ」
ヒュッ、と須藤から鋭いパスが届く。オレはそれを受け取った瞬間、一歩踏み込んで大きくジャンプする。リングに直接ボールを叩き込んだ。
「うおっ、ダンク!?」
「お前、体験に来た素人だろ? やべえな……」
「いえ、ドリブルや通常のジャンプシュートがまだ上手くできないので、ゴール下から直接叩き込めるダンクの方が成功率が高いだけです。ジャンプ力にはまあまあ自信があるので」
「十分化け物だよ。もうバスケ部入れよ、1年。お前ならレギュラー狙えるって」
「ちょ、ぜってー入んなよ綾小路。俺だってレギュラー狙ってんだからな」
「小宮ぁ、こいつが入ったらお前の代は安泰だろうが。須藤もいんだしよ。チームメイト同士仲良くしとけ?」
「まだ入るって決めたわけじゃないんですが……」
先輩からは執拗にバスケ部に入るように誘われている。緩かった弓道部とは違い、熱血系だな。向こうの先輩方はもう少し穏やかで、「気が向いたら入りなよ〜」という感じだった。
しかし、小宮も中々肝が据わっているな。オレが龍園や山田を退けたことを知っているだろうに。いや、もしかして知らされてないのか?
ペーパーシャッフルの交渉で行った屋上から出る時は「龍園さんたちはどうしたんだよ?」「交渉は終わったから帰る」と一言会話をした程度だったが。
「……すみません、キリ良いんで今日はこれで失礼します。須藤、小宮もまたな」
「おう」
「またな、綾小路」
「じゃーな。バスケ部には入んなよ」
小宮は先輩の拳骨を食らっていた。この学校は外界と隔離されているし、部活でのパワハラや体罰が発生しやすいのかもしれない。
……と思っていたが今日見た限りであれを食らっていたのは小宮の一回だけなので、愛あるツッコミなのかもな。
オレはシャワーを浴びて制服に着替える。このまま寮に戻るか、その辺をぶらぶらするか……
「綾小路、探したぞ」
そう考えていた折、少し息を切らした様子の茶柱先生が声をかけてきた。
珍しいこともあったものだ。茶柱先生から声をかけられたのもそうだが、彼女が息を切らしているのは初めて見た。
常に冷静、気怠げ、鋭い目付きの彼女は、今はどこか落ち着きがないように見える。
「着いて来い。話がある」
「話って……オレ、何かやらかしましたか?」
「いや、そうではない。……お前の父親がこの学校に来ている」
茶柱先生の端的な言葉に、オレは顔を顰める。別に心は揺れ動いていないが、嫌がってますよというアピールのためだ。
「不安に思う気持ちも分かる。私も担任として、理事長からお前の事情は少しは聞いているからな。私の立場でどこまでやれるかは分からないが、最大限便宜を図るつもりだ」
「……失礼ですが、先生らしくないセリフですね。職責的にも、性格的にも」
そうツッコミを入れると、ちょっと睨まれてしまう。生徒の立場に理解のある良い先生、って感じではないな。
おおかた、クラスの成績が先生の査定に響くってところか。クラスを今の順位に押し上げた立役者に消えられると困るという訳だ。
嫌なものだな、大人というのは。
「嫌なら放っておく」
「いえ、心強いです」
心にもないことだが、一応そう言っておく。
茶柱先生に連れられるまま、辿り着いたのは応接室だった。扉を開けると、ソファに座り向かい合う2人の男が目に入る。滲み出る汗をハンカチで拭く、この学校の校長。年齢は60代くらいか。そして、対面するのはオレの父親だ。
「校長先生。綾小路清隆くんを連れてきました」
「で、では綾小路先生。私はこれで。後は2人で、ごゆっくりお話しください」
校長、茶柱先生が応接室を去る。その際茶柱先生は、
「何かあれば呼べ」
と短く告げた。会釈して返すと、扉が閉まる。
「用件はなんだ?」
「父親に向かってその口ぶりか」
「あんたでもジョークは言えるのか。めちゃくちゃ面白かったよ。じゃあな」
「ここに退学届がある。今すぐサインしろ」
オレの父親、綾小路篤臣は端的に用件を告げると、応接室のテーブルに退学届を置いた。
オレが拒否すると、執事だった松尾に罰を与えただの、そのせいで焼身自殺をしただのといった話をされる。脅しているつもりだろうか。
だが、オレは退学届を書くつもりはない。
退学しろ。する気はない。そうした押し問答がしばらく続いたが、途中で応接室にやってきた坂柳理事長……坂柳有栖の父の援護により、篤臣は引き下がることとなる。無論、諦めたわけではないが、理事長たる坂柳父の土俵で、自らの意思を無理やり通すことが難しいと判断しただけのことだろう。
捨て台詞のように、学校のルールに基づきオレが退学するなら問題は生じないはずだ、と吐き捨て、あの男は応接室から去っていった。
オレも、坂柳理事長に礼を言い、応接室を去る。
オレはやはり、あの男が嫌いらしい。理由は幾らでも思い浮かぶ。
応接室を出た後、待ち構えていた茶柱先生から、大丈夫か、力になれることがあれば言え、と表面上の優しい言葉を受け取る。が、全く響かない。茶柱先生は自分の利益のために言っているだけだと言うのは分かっている。
足早にその場を去った。
校舎から出たオレは端末を開き、電話帳を開く。
『もしもし、清隆くん? 清隆くんから電話なんて珍しいね。どうしたの?』
「千秋、今から会えないか?」
『……何かあった?』
「なんとなく会いたくなっただけだ」
『分かった、すぐ行くね。今どこ?』
「いや。歩かせるのは悪いしこっちから……」
『いいからいいから。寮にいるの?』
「まだ学校だ。でも、これから帰ろうと思う。寮のオレの部屋でいいか?」
『うん。私もすぐ行くね』
寮の自室に帰ると、千秋はすぐにやってきた。少し息を切らしている。わざわざ走ってきてくれたんだろうか。だとしたら申し訳ない。
「ごめんね、待った?」
「いや、オレもついさっき帰ってきた。疲れてるみたいだしお茶を淹れる」
「大丈夫。それより、座ろ?」
千秋とオレは、ベッドに腰掛ける。
「何かあったの?」
「別に。ふと顔を見たくなっただけだ」
「清隆くん、こういう隠し事はなしだよ。清隆くんに何か負担があるなら、私はそれをなくしてあげたい」
さすがにそのくらいはバレてしまうか。オレはおとなしく、今日あの男が学校を訪ねてきたことを話した。そして、退学するように勧めてきたことも。
「今すぐ家の仕事を手伝わせたいらしい」
「……それで、清隆くんはどう答えたの?」
「拒否した。この3年間は、オレも普通の学生として生活したいと思っていたからな。邪魔されたくはない」
「そっか……」
数秒の沈黙。やがて千秋は、オレの方を向き、両手を広げ、オレを抱きしめた。
「千秋?」
「清隆くん、辛かったよね。お父さんからそんな風に扱われてさ」
オレの頭を胸に埋めるようにして抱きしめる千秋。彼女は優しくオレの頭を撫でる。その眦には、光るものが滲んでいた。
「別に、辛くはない。あの男のことなんて、オレにとってはどうでもいい」
「でも、お父さんと話したあと、私に会いたいって思ってくれたんだよね。きっと、何かしら思うところがあったんだよ。自分で気付いてないだけで」
「そう……なのか」
自分では分からないが、たしかに千秋に連絡をしたことにも理由はない。ただ会いたくなった、それだけだ。
オレは千秋を抱きしめ返す。
「ありがとう、千秋」
「ううん。私はいつも、清隆くんに助けてもらってるから。力になりたいんだ」
「千秋はいつも力になってくれている」
「嬉しい」
暫し抱きしめあったあと、千秋を解放する。まだ瞳が少し潤んでおり、オレと抱き合っていたからか、頬が少し赤く火照っている。
やがてオレの視線は千秋の口元に吸い寄せられた。体育祭の思い出が蘇る。
顔を近づけると、千秋も察したのか、唇を差し出してくる。口付けを交わす。
柔らかい感触。これも良いものだが、今回はこれで終わりたくはなかった。
「…………!」
千秋はオレの行動に一瞬驚いたようだが、何も言わない。
長い口付けを終える。
「清隆くん……」
「千秋」
真っ直ぐに見つめ合う。指を絡める。名前を呼び合う。それだけで、オレたちの意思は通じ合っていた。
◆
「おはよう」
「おはよう、清隆くん」
翌朝。
オレの腕の中で、千秋が微笑んだ。