混合合宿が終わり、私たちは束の間の休息を楽しんでいた。
とはいえ、時期は2月。25日には学年末試験もあるし、勉強を怠ることはできない。けれど、私には彼氏兼優秀な家庭教師がいるので、そこの心配はしていない。
今日も部屋でお喋りしながら、勉強する。
「誰も赤点取らないといいね」
「ああ。赤点即退学なのは学年末試験でも同じだ。とはいえ、堀北と平田は相変わらず定期勉強会を開いているし、最近は幸村も勉強会に協力的だ。オレたちも教師役として度々参加しているし、問題ないだろうな」
「教師役ねー。それ自体は良いんだけど、清隆くんと平田くんが揃うと女子の参加率凄いことになるのがね」
「そう考えると、堀北が主催の1部に主に参加した方が良いだろうな……」
たとえ動機がそれでも、勉強したいという生徒を追い返すような真似はしたくないもんね。その後の勉強会参加率にも関わってくる。
「あ、清隆くん。ここなんだけど……」
難問が出てきたので、清隆くんに教えてもらおう。彼は私の隣に座り、問題文を確認する。肩が触れ合うくらいの距離。ふわ、と爽やかなシダーウッドの香りがする。
もう慣れたものとはいえ、これだけ近い距離で好きな人の横顔を見れるのは嬉しいものだ。
勉強を教えてもらう時の、この距離感。世の男女が家庭教師と良い仲になるというのも頷ける。
「千秋、聞いてるのか?」
「うん。ありがと、清隆くん」
いけないいけない。雑念が入ってる。
私はミネラルウォーターで喉を潤して、気を入れ直す。集中し直して、試験に向けた勉強を続けた。
「ふう。このくらいにしておこうかな」
「お疲れ」
清隆くんが新しいミネラルウォーターのボトルを持ってきてくれる。キャップを開けて喉に流し込む。大きく息を吐いて、疲れを吐き出した。
「清隆くん。はいコレ」
勉強も終わったし、良いタイミングだ。私はカバンに入れていた包みを渡す。
「チョコか。ありがとう」
「清隆くん、私がいるのにいっぱいチョコもらってたからありがたみがないかもだけどね」
そんなことない、と清隆くんが言ってくれるのは分かっているけど、あえて口にする。
「そんなことはない。ありがとう、千秋」
「いえいえ。どういたしまして。お返し期待しておくね?」
「期待に応えられるかは分からないが、やってみよう」
バレンタインを挟みながら、そんな調子で学年末試験への勉強は順調に進んだ。
◆
学年末試験を終え、結果発表がされたのは3月の頭。ポイントの振り込み日に、結果発表が行われた。
しかし、暗い表情をした生徒は誰もいない。それだけ勉強に取り組んできたってこと。
予想通り、茶柱先生から発表された成績では、最下位の池くんも含めて誰も赤点を取った人はいない。茶柱先生の話では3月8日に今年度最後の大きな特別試験があるようだけど、そこさえ乗り切ってしまえば退学者0で今年度を終えることができそうだ。
……そう思っていたのに。
翌3月2日、沈鬱な表情の茶柱先生から告げられたのは、追加で特別試験が行われる、ということだった。
特別試験の名称は『クラス内投票』。その内容は、理不尽極まるものだ。
クラスメイト40人の中から、批判に値する人を3人選び、投票する。また、学年全体から、賞賛に値する人を同じく3人選び、投票する。
そうして得た賞賛票の数がクラスで一番なら、『プロテクトポイント』という退学を一度無効にできる強力なポイントを得る。
一方、批判票をクラスで一番多く得てしまった場合……その生徒は、退学する。
同票になるように操作しても無駄だ。何度でも決戦投票が行われ、それが上手くいかなければ学校の定めたルールで雌雄を決する。
つまり、必ず誰か1人は退学者を出す試験。
……抜け道がないわけじゃない。退学を取り消すのに必要な2000万プライベートポイントが用意できれば、回避できる。
けど、それは不可能だ。
「綾小路くん。今クラス貯金は……」
「……久々のプライベートポイントを得た9月にはさすがにできなかったが、10月以降は毎月支給額から半額を、高円寺を除くクラスメイト全員からクラス貯金として徴収している。大体ひと月140万程度だと思ってくれ。それが5ヶ月分と、3月分は残り全額を徴収して仮に250万だとしても、合計額は大体950万。絶望的だな」
「そんな……」
平田くんが、現在のクラスの財政状況を聞いて絶望的な表情を浮かべる。クラスメイトのために身を粉にしてきた平田くんにとって、誰か1人を退学にしなければならないというのは私たち以上に辛いことなのかもしれない。
まあ、平田くん自身が切られる可能性は万に一つもないから、そういった面での負担は軽いのかもしれないけど……
「いや、皆の貯金がまだあるはずだ。すまないが、全員端末を出してくれ」
「ええ!? おい綾小路、何かあってもクラス貯金から金を出すから、それ以上は徴収しないって話だったじゃねえか! 話が違えぞ!」
山内くんがそう言って反論する。たしかに、クラス貯金のために徴収を始めたときはそう説明した。でも今は緊急事態だ。誰かが退学するかどうか、仲間が欠けるかどうかの瀬戸際。そのくらいは理解してほしいんだけど……
幸いと言っていいのか、山内くんと高円寺くん以外の生徒は、皆同意してくれた。その山内くんも、周囲からの白い目に耐えきれず渋々端末を出す。
けど、やっぱり普段の生活を3万ポイント程度で過ごすのは、4月に10万ポイントを経験した人からすると難しかったみたい。
貯金していないという人が大半で、クラスの現時点での全財産をかき集めても200万弱。クラス貯金と合わせても1150万。2000万には到底届かない。
「ダメか」
「いや、まだだよ。まだ先輩にポイントを借りられれば……」
「それは厳しいんじゃないかな。先輩たちもこれから年度最後の特別試験が控えている。この試験が行われるのは1年生だけだといっても、貸している余裕はないと思うよ」
「やってみないと分からないよ。南雲先輩なら、もしかすれば……」
「そっか……平田くんがそう言うなら、任せるよ」
とんでもない暴利で借入させられなければいいけど……南雲会長は清隆くんに目を付けている。同じクラスの平田くんに負担を押し付け、間接的に清隆くんへの妨害を企てようとしても不思議はない。
「俺もなるべく先輩に当たってみる。が、駄目だった時のことは考えておくべきだろうな」
「それは……!」
「平田くん。綾小路くんの言う通りだわ。はっきり言って、残り900万ポイントを先輩から借りられる可能性は薄いと思う。最悪の事態を想定しておくべきよ」
「けど……このクラスの誰を退学させるかなんて、僕たちが決めていいわけがない!」
「なら、完全に各個人の投票に任せると?」
「……それも嫌だけど、どうしても退学者を出さざるを得ないというのなら、それが最も自然な形だと僕は思う」
「それは愚かな選択だわ。結局グループを組んで票の操作は行われる。あなたは——」
「そこまでだ堀北」
清隆くんはヒートアップしかけた堀北さんの肩を掴んで止める。個人的には、堀北さんの方が正しいことを言っていると思う。平田くんのこれは理想論というのもおこがましい、現実逃避としか思えない。
けど、平田くんはその優しさと人望でクラスを引っ張ってきた。清隆くんは実力でクラスを引き上げてきたけど、能力の低い人が多いこのクラスがここまで来れたのは、平田くんの功績が極めて大きい。
その平田くんの主張に真っ向から反対して、堀北さんに悪印象を持ってしまう生徒も少なくないはず。特に女子にはね。
「まだ試験内容が発表されて間もない。堀北も平田も、混乱しているはずだ。いや、オレもか。ある程度時間をおいてから話し合った方がいい」
清隆くんは混乱なんてしてないだろうけど、場を収めるためにそんなことを言う。
「そう……だね。ごめん、堀北さん」
「……いえ、こちらこそごめんなさい。冷静でなかったかもしれないわ」
2人がそんな言葉を交わして、その場は解散となった。
「清隆くん。今回の試験はどうするつもり?」
私はさっそく、清隆くんと腕を組み、教室から連れ出した。
「そうだな。少なくとも千秋が退学することはありえないから、そこを心配する必要はない」
「清隆くんの心配も、しなくていいんだよね?」
「ああ。もちろんだ」
「それなら良しっ」
一番の懸念はそこだ。ウチのクラスで最強と言っていい清隆くんを退学させるなんて、あり得ないとは分かっている。でも、清隆くんが言葉にすると、安心感が違うよね。
「まあ、妥当なやり方で行くなら学力、運動能力、コミュニケーション能力、その他の技能を合わせて考え、一番不要な生徒に票を集めるのが良いとは思うが」
「平田くん、認めてくれるかな」
「退学者は必ず出るから、問題はそこだな。平田は優秀だし良いやつだが、良いやつだからこそ今回のような試験には一番向いてない」
一見、完璧超人に見える人にも弱点はあるってことだね。清隆くんも、最近改善傾向にあるとはいえちょっと世間知らずなところはあるし。
「しかし、メリットもないわけじゃない。足を引っ張る生徒を切る良い機会でもある」
「わ、過激な発言だね。でも、私も同意見かな」
やっぱり、私と清隆くんは色んなところで気が合うみたいだ。
今回の試験では、強制的に退学者が出る都合上、クラスポイントのペナルティが発生しない。清隆くんの言う通り、良い機会ではある。
「誰を切るか、決めてるの?」
「ああ。千秋にも手伝ってもらうかもな」
是非もない。私は清隆くんの指示には、100パーセント従うと決めている。
◆
翌日、私が教室のドアを開けると、グループの3人が駆け寄ってきた。
「千秋ちゃん!」
「千秋、大丈夫!?」
「今日は休んだ方が……」
「なになに、どうしたの三人とも」
麻耶と恵、寧々が声をかけてくる。慌てているのもそうだけど、私のことを心配している様子だった。
「もしかしてまだ見てないの?」
「見てない、って何を?」
「ネットの掲示板……って、見てないなら見なくていいの!」
麻耶はやっぱり結構うっかり屋で、ぽろっと掲示板というワードを漏らしてしまう。けど、優しさと配慮は伝わってきた。
掲示板……なんだか嫌なワードだ。もしかして、何か嫌なことでも書き込まれていたとか?
その予想は当たっていたと、すぐに分かった。
「よう松下ぁ。お前中学の時パパ活してたってマジ?」
山内くんが下衆な笑いをしながら話しかけてくる。
パパ活、ね。はあ、くだらないことを考える人もいるものだ。私は努めて冷静に答える。
「パパ活? してないしてない」
「ホントかぁ?」
「山内くん何言ってんの!」
「まじキモい。最低」
「いやでも、火のないところに煙は立たないって言うぜ?」
「別に山内くんに信じてもらう必要はないかな。友達は信じてくれてるし、あとは清隆くんが信じてくれれば、外野が何言っても関係ないよ」
「ちっ。つまんねーの」
煽りに全く乗ってこない私に興味が失せたのか、山内くんは退散していく。……行く先で須藤くんと池くんに拳骨を食らっていた。
手を上げて感謝を示すと、2人とも気にするなと言わんばかりに同じく手をあげる。ほんと、入学初期に比べて成長したよね。山内くんが相対的にかなりクズに見える。
「ホント山内くん最低だよね」
「絶対批判票1位にしてやる」
「まあまあ。私は気にしないからさ」
「千秋ちゃんは甘すぎ。ちゃんと報いを受けさせないと!」
3人は怒り心頭といった様子で、周囲を睨んでいる。もう絡んでくるなよ、といった感じの威圧だ。
これだけ3人が優しくしてくれると、安心感がある。
そんな折、教室の扉が開く。入ってきたのは、清隆くんだった。彼の姿を認めた途端、山内くんは嬉々として噂を吹聴しに回る。
「綾小路ぃ。お前の彼女ぉ、中学のころパパ活してたんだってさぁ!」
「おい春樹、お前良い加減にしろよ」
「言っていいことと悪いことがあるって分かんねえの?」
懲りない山内くんに、須藤くんと池くんは額に青筋を立てながら注意する。2人とも清隆くんへの好感度がかなり高いようで、なんだか頼もしく思える。
「な、なんだよ。そんな怒ることじゃねーだろ」
「いや怒るわ。ありえねーって」
「綾小路と松下がどんだけクラスに貢献してきたと思ってんだよ」
「なんだよお前ら! 普段クラスへの貢献? なんて考えてねー癖によ!」
「3人とも落ち着け。千秋はそんなことするやつじゃないってのはオレが一番良く知ってる。山内、噂に踊らされるのは良くないんじゃないか?」
「……へっ。強がってんじゃねーよ! ばーかばーか!」
小学生みたいな煽りを残して、山内くんは教室から走り去っていった。もう授業も始まるというのに、ほんと、しょうもない人だ。
「千秋。大丈夫か?」
「うん。ありがと清隆くん。私、清隆くんが信じてくれるって信じてたから」
人目も気にせずキスをして、仲の良さをアピールしておく。庇ってくれた人たちも気負った顔から、ホッとしたような呆れたような、そんな穏やかな表情に戻る。
「お前ら、朝から惚気んなよ。胸焼けするっての」
「悪いな。嫌な噂を払拭するためだ」
「とか言ってぇ、イチャつく大義名分にしてんじゃねーの?」
「おお。大義名分なんて良く知ってたな、池」
「馬鹿にすんなよなー! そんくらい勉強したっつーの」
さっきまでの険悪な空気はどこかに行って、平和な日常の一幕がそこにはあった。
……けれど、それだけでは、噂は終わらなかった。