「ねえ、松下さん。ちょっと時間いい?」
珍しいことに、櫛田さんから声をかけられる。
「良いよ。カフェでも行く?」
「うーん、ちょっと話しづらいことだからさ」
櫛田さんは、人気のない海辺のベンチを提案した。ちょっと遠いけど仕方ない。私たちは歩きながらそこに向かう。
「松下さん、気を付けないとだよ? 綾小路くんの彼女ってことで、すっごい嫉妬されてるんだから。今日の噂のこともあるし」
「あはは。もう慣れたよ。さすがにこの学校で靴に画鋲入れられたりはしないけど」
「監視カメラもあるし、そういう行為は下手したら退学だからね。それにしても、綾小路くんが凄い人だって、いつから気付いてたの?」
「色んな人から聞かれるなあ、それ。5月のプールの時にはね」
「見る目あるね。私は入学当初、綾小路くんが凄い人だなんて全然気が付かなかったよ。いや、松下さん以外誰も気付いてなかったんじゃないかな」
「かもね。入学当初は清隆くんも手を抜いてたから」
当たり障りのない会話をしながら、目的の場所に辿り着く。
さて、と櫛田さんはこれから話すことに対して改めて気を入れ直した様子。
さあ、話をしようというタイミングで、私の端末に電話が入る。
「ちょっとごめんね」
「うん、良いよ。誰から?」
「清隆くんだね。……もしもし?」
櫛田さんの眉がぴくりと動いた。
いつもの他愛のない話を少しだけしてから、電話を終える。
「ごめんごめん。お待たせ。それで、なんの話をしようとしてたの?」
「……これから話したいのは、クラス内投票についてのことなんだよね」
「まあ、このタイミングで連れ出されたってことは、そういうことだよね。何か考えがあるの?」
「私にも考えはあるよ? でも松下さんって、クラスの実質的なリーダー、綾小路くんの彼女じゃない? 彼の考えも聞いておきたいかなって」
「ああ……綾小路くんも、平田くんの様子からまだ方針を決めかねてるみたいだよ。最初は堀北さんに賛成だったらしいけど」
「……それってさ、腹立たしくない?」
私はどういうこと? と視線で続きを促す。
「堀北さん、松下さんって彼女がいるのに、綾小路くんに甘え過ぎだと思うんだよね。何かあれば綾小路くんに頼りっぱなし。それに、体育祭やペーパーシャッフルでも平気で綾小路くんに無茶振りしたらしいね?」
「そうだね。清隆くんはデキる人だから、頼りたくなる気持ちは分かるよ」
「松下さんはそれで良いの? 堀北さんに嫉妬とかしない?」
「全くしない、って言ったら嘘になるかな。でも、堀北さんはクラスのために一生懸命にやってると思うよ」
部分的に、櫛田さんの誘導に乗る。100パーセント欲しかった答えではないだろうけど、昨日発表された特別試験のことを思えば、櫛田さんとしても満足したはず。
けど、ここで下手に尻尾を出したりはしないかもしれない。私も、ある程度櫛田さんの方に歩み寄る必要がある。
「とはいえ、清隆くんに期待されているのが不愉快って部分はたしかにあるね。今回の試験が、嫌いな人に投票するって方向になったら投票してたかも……なんてね」
そう口にすると、待ってましたと言わんばかりに、櫛田さんも控えめに同調する。
「……私もね、正直堀北さんの態度はどうかと思ってたんだ。周囲のできない人に対してすごく厳しいし、入学当初は綾小路くん以外誰も寄せ付けてなかったもん」
懐かしい。清隆くんの特徴が、堀北さんと唯一話せる男子としか覚えられてなかった頃だ。
「今回も、堀北さんは能力の低い人を退学させようとしてる。やっぱり、堀北さんの根本は何も変わってないんじゃないかと思うんだ」
私は正直、その意見に賛成なんだけどね。
「クラスに不和をもたらす人は……本当はこんなこと、言いたくないけど。もし、クラスの誰か1人を本当に退学させなきゃいけないなら、堀北さんみたいな人じゃないかな」
「……櫛田さんの言いたいことは分かったよ。堀北さんは確かに、ちょっと気に食わないかな」
「なら、堀北さんへの投票を松下さんからも呼びかけてもらってもいいかな?」
私はこくりと頷いた。
櫛田さんは堀北さんを敵対視する人が新しく現れて嬉しいらしい。しかもそれが、クラスでもかなりの有力者である清隆くんの彼女であり、女子のヒエラルキートップである恵と親友である私だということもあって、いつも以上に饒舌だ。
恵と私を取り込めば、女子の票のほとんどは堀北さんに入るはず。彼女を退学にする算段がついたと喜んでいるんだろうね。
「櫛田さんの方はもう根回しは済んでるの?」
「やだなあ、根回しなんて人聞きが悪いよ。でも、同じような話はもうクラスの多くの人にしてあるかな」
「残りの票は誰に入れるの?」
「うーん。そうだね……考えてなかったなあ。ほんとは誰にも入れたくないんだけど、クラスの和を乱す人……高円寺くんと須藤くんかな?」
堀北さんの方針とは真正面から対立する投票先だ。2人とも、櫛田さんの言う通り和を乱す存在ではあるけど、能力は高い。須藤くんは、まだ発展途上って感じだけど。
「そっか。まあ、メインはそこじゃないだろうから、あまり気にしないでおこっかな」
「あはは。松下さんは残り誰に入れるの?」
「秘密」
「ええーっ。こっちは教えてあげたのに」
ぷく、と頬を膨らませて怒るポーズをする櫛田さん。さっきの話をした後にやられても、全く可愛くない。
そんな形で櫛田さんとの密会を終えた。
◆
平田くんの意思に反して、やっぱり票のコントロールは行われている。
当たり前だよね。退学者を決めるのに、全て他人に任せて身を委ねるなんて真似ができる人はそうはいない。それこそ平田くんくらいのものじゃないかな。
グループ同士で賞賛票を入れ合うのはもちろん、批判票は票が集まりそうな山内くん、池くんあたりと、櫛田さんと私から呼びかけのあった堀北さんへのものも多い。
現時点では、堀北さんが一番多く批判票を集めていて、次に山内くん、池くんって感じかな。
さて、数日後の土曜日に控えた投票日には、これがどうなるかな……と考えながら教室のドアを開ける。すると、顔を真っ赤にして眉根を寄せた篠原さんが詰め寄ってくる。
「松下さん、これどういうこと?」
ずい、と顔に当たりそうなほど近くに端末を突きつけられる。見てみると、掲示板に新しい噂が書き込まれていた。
『松下千秋は入学当初、実力を隠して彼氏と一緒に周囲を見下していた』
『松下千秋は篠原さつきのルックスを馬鹿にしている』
……今度の噂は厄介だ、とすぐに気を引き締める。
なにせ、一部真実が混ざっているんだから。
まず、私が実力を隠していたこと。これは本当。クラスカーストのバランス維持のため、私はわざと学力、身体能力を低く演じていた。
周囲を見下すつもりはないけど、私の元の性格的にも、周囲への評価は辛口になりがちだ。見下されていると感じる人もいるかもしれない。
そして、より厄介なのは篠原さんへの侮辱の方だ。
何ヶ月か前の話だけど、池くんと篠原さんが良い雰囲気になっているのを受けて、でもまあ、お似合いだよね? とグループの寧々、恵が笑った。私も内心では同意だったけど、その場には「やめなよー」なんて全然心の篭っていない言葉を発する櫛田さんもいたから、否定しないくらいには止めていたんだけど……
まあ、内心では完全に同意していたし、止めなかった時点で同罪だ。
一部真実ではあるけど、認めたらマズい類いのことだ。なので、私は全否定する。
「いやいや、嘘だよこんなの。私が篠原さんを馬鹿にしてる? そんな訳ないじゃん」
「ふーん、そう。でも、なら一個目はどうなの? 松下さん、テストとかいつも余裕そうにしてるじゃん。それに綾小路くんと早々に付き合ってるし。実力隠して、周り見下してないってホントに言える?」
怒り心頭な篠原さんは、どうしても私を悪者にしたいみたいだ。
今はまだ恵や寧々、麻耶も登校してきてないみたいだし、助け舟はない。寧ろ周囲は、私への疑念の方が強いとまで感じる。
それに、清隆くんの彼女である私が失脚するようなら、後釜を狙えると考えている子がいてもおかしくはない。
厄介だなあ……
「私はたしかに実力を隠してたけど、それが周りを見下すってことにはならないんじゃない? 私も清隆くんも、無意味に目立ちたくなかっただけだよ」
「そうやって清隆くん清隆くんって、彼氏自慢のつもり? やめてくれない?」
……ちょっとまずいなあ。これは。
「そんなつもりじゃなかったんだけど、不快にさせたならごめんね。でも、ここに書いてあることは全部根も葉もない噂だよ」
「…………はあ。まあいいけど」
篠原さんはまだあまり納得できていない様子だけど、私を解放した。
速攻で恵と寧々にメッセージを打つ。口裏を合わせておかないといけないからね。
その後、他にも色々と噂を流され続けて、私の評判は下降している。逐一噂を否定するのも面倒になってくるくらいだ。
厄介なのは、たまに真実が混ざっていること。気が抜けないんだよね、それやられると。
ただ、グループの友達と清隆くんは、一貫して全て噂だと一蹴してくれるから助かっている。
「ほんと、誰なの。千秋がそんなことするわけないのにさ」
「変な噂流す人、許せないんだけど」
「ほんと、千秋ちゃんが可哀想だよ」
3人は口々に私のことを庇ってくれる。ありがたいことだ。
恵によれば、噂を信じたのか、あるいは便乗したのか定かではないけど、私に批判票を集めようという動きがあるみたい。
今批判票が集まっている対象としては、堀北さん、山内くん、私、その他成績下位者&高円寺くんと、そんな感じになってるらしい。
……堀北さん、だいぶ成長したとは思うけど、人望ないなあ……
「堀北さんには悪いけど、いよいよ千秋が1位になりそうってなったら、私は堀北さんに入れるよ。あの子あんまり好きじゃないし」
「私も……」
「実は私も」
まあ、恵とは入学当初は散々対立してたもんね、堀北さんは。とはいえ、わざわざ能力の高い堀北さんを切る意味はない。
切るならもっと別の、クラスの害となる人が良い。
「皆ありがとう。でも大丈夫だよ。私のことは心配しないで」
「でもさ……」
「いや、強がりとかじゃないよ。私の彼氏が誰か知ってるでしょ?」
「あー。確かに、綾小路くんならなんとかしてくれそうかも」
「スパダリだよねぇ……」
全員、納得してくれた。
私は清隆くんのことを信じているから、クラス内投票に対して不安はない。もちろん、彼氏に頼りっぱなしなのは良くないから、自分でもなんとかしようとは思うけど……今回に関しては、私が下手に動くと清隆くんの邪魔になるかもしれない。
狙われているのは私だから。
……清隆くんの足を引っ張りたくはないけど、助けてもらえるのはやっぱり嬉しいものだね。
◆
投票前日。掲示板には根も葉もない噂が流され続けた。ただ、今までと違うのは、私以外の生徒の噂も流れていること。
篠原さんが中学時代売春をしていたとか、三宅くんが昔タバコとパチンコにドップリはまってたとか。
堀北さんはお兄さんのことが異性として好きで、無理やり一線を越えようとしたせいで実家を追い出され、初めはDクラスに落とされたとか。
清隆くんが実はアメリカの秘密組織から派遣されてきたエージェントだとか、平田くんがヤクザと知り合いで、学校内で大麻の栽培をしているなんて荒唐無稽な噂まである。
「くだらねー噂ばっかりだよなあ」
「誰かが他人に批判票集めるために嘘ばっか流してんじゃねーの?」
そんな声が各所から聞こえてくる。
そう思うのも仕方ないような時期と内容だ。
けど、噂を流された側としては、それが根も葉もないものだったとしても、たまったものじゃない。噂の渦中にいる生徒たちは、一部を除いて皆ピリピリしている。
「誰があんな噂を流したのよ……絶対許さない」
篠原さんが、腹の底から湧き出るような恨み節を口にする。彼女も散々、山内くんから煽られていたからね。山内くんを責める気はもはやないらしい。投票して存在ごと消す気満々だね。
「こんな状態で試験当日を迎えて大丈夫かな」
いよいよ、明日が投票日だと言うのに、と誰かが呟いた。それに応えたわけじゃないだろうけど、立ち上がり、クラス全体に彼は呼びかける。
「皆、すまない。オレの話を聞いてほしい。明日の投票についてだ」