清隆くんの呼びかけに、クラスの全員が静まり返る。
明日の投票についての話。誰もがそのことについて考え、そして決めていたことだと思う。
堀北さんに票を集める。それでクラスのほとんどの生徒は同意した。そんな中で、今まで沈黙していた清隆くんが動いた。戦々恐々としているのは、山内くん。
「は、話ってなんだよ綾小路。明日の投票についてって。お前、この間からかったからって俺に票を集める気じゃないだろうな!?」
「誰に投票すべきかの話し合いという点に関しては、その通りだな」
「綾小路くん、それはっ」
「平田。おまえの気持ちはよく分かる。しかし、おまえが残りの900万を集められなかった以上、もう誰かが退学するのは確定事項だ。なら、極力クラスへのダメージを減らす必要がある」
「誰が退学しても、同じように痛いよ」
「そんな訳はない。たとえば、この試験でオレが退学するとしたらどうだ。自分で言うことではないかもしれないが、この一年オレはかなりクラスに貢献してきた。各人の投票に任せ、オレが退学したとして、Aクラスに追いつけるか?」
極めて傲慢な物言いだ。だけど、清隆くんには反論を許さないだけの実績がある。
「……ズルい言い方だよ、それは。君ほどの生徒が、退学になんてなるわけないじゃないか……」
「たとえとしてオレの話をしたが、これはクラス全体に言えることだ。能力のある者、ない者。おまえのようにクラスを纏め上げる者、逆に足を引っ張る者もいる。誰を退学させるのが最もダメージが少ないのか。それを考えないことには、この試験を突破することはできない」
平田くんは、力無く椅子に座り込む。それは清隆くんの方針への、消極的な肯定だった。
平田くんを退がらせた清隆くんは、教壇に立ち皆を見回す。
「まず、皆に聞いておきたい。このクラスの大半の生徒は、堀北に票を入れようと思っているんじゃないか?」
何人かの生徒が、図星を突かれたように清隆くんの方を見るか、気まずそうに目を逸らす。
その様子は平田くんにも伝わっていたようで、大きなショックを受けているようだった。
投票先として選ばれた堀北さん当人は……ぎゅっと組んだ腕を掴んでいる。悲しいのか、悔しいのか。それとも別の感情なのか。
「答えなくていいし、責めているわけじゃない。むしろ、入学当初の堀北の態度を考えれば、ある意味で当然の結果と言える」
「ええ。それについては粛々と受け止めるわ」
「なら、堀北で良いんじゃねーの?」
堀北さんの次は自分がターゲットになると思っている山内くんは、かなり必死だ。
「いや、違うな。堀北にも問題はあるが、今退学すべき生徒ではない」
「なんでだよ! やっぱり勉強できるからなのか!?」
「それもある。が、一番の理由は、退学にすべき生徒が他にいるからだ」
「……な、なんだよそれ」
教室内のざわめきが大きくなる。皆、動揺していた。それはそうだと思う。誰も好きで退学者を出したいわけじゃない。学校側の試験だから、仕方なく批判票を入れる先を考えているだけだ。
それが、『退学すべき』とまで言われる生徒が存在するとなれば、今までの根底が覆る。それも、指摘するのは今までクラスを押し上げてきた清隆くんの言葉だ。信憑性は十分にある。
けど、反論する生徒はいる。彼女は立ち上がり、清隆くんに呼びかける。
「待って、綾小路くん。退学すべき生徒なんて、このクラスには誰もいないよ」
櫛田さんだ。彼女は平田くんと同じような意見でもって、清隆くんに対面する。
「そいつがクラスに意図的に不利益をもたらす存在だったとしてもか?」
「……そんな人、いるはずないよ。酷いよ綾小路くん、クラスの仲間を疑うなんて」
上手いなあ。クラスの仲間、って言い方だと、清隆くんがクラス全体に疑いを持ってるかのような印象を与えることができる。
でも、清隆くんはそう甘くない。
「違うな。オレが言ってるのはクラスの裏切り者のことだけだ。そいつはこのクラス内投票が始まる前から、あるクラスメイトを退学させようと画策してきた」
「本当にそんな人いるの? 綾小路くんの妄想じゃない?」
「ああ。そいつの名前は……」
「待って! ……綾小路くん、本当にいいの? そんな名指しするような真似して間違えてたら、綾小路くんの信用はなくなるも同然だよ?」
櫛田さんは必死に止めようとする。でも、それで止まる相手じゃないことは分かっているはずだ。
最後の悪あがき、って感じかな。
「残念ながら大丈夫だ。櫛田、心配してくれてありがとうな」
「……やめようよ、綾小路くん。そんな人いないよ…………」
櫛田さんは、今までに見たことないほど動揺している。顔は真っ青で、脂汗を滲ませている。
「く、櫛田ちゃん?」
「顔色悪いよ、大丈夫?」
「う、うん……大丈夫。なんか、綾小路くんが怖いと思っちゃって」
櫛田さんはあくまで、清隆くんに発言をさせたくないらしい。それはそうだよね。自分の命綱を握られている状態なんだから。
でも、もうこの段階まで来てしまった。彼女にはどうすることもできない。
「それはそうだろうな。自分でも分かっているんだから。……裏切り者はおまえだろ、櫛田」
教室がしんと静まり返る。
ほとんどの生徒が、予想もしなかった名前。それが清隆くんの口から飛び出した事実を、受け止められないでいる。
「あ、綾小路。今なんて……?」
「裏切り者は櫛田桔梗だと言った」
改めて清隆くんが告げると、クラス内は紛糾した。
「あり得ないよ!」
「で、でも綾小路くんの言うことだよ? 今まで間違ったことなんて……」
「いやいや、たまには綾小路くんの言うことだって間違うことくらいあるでしょ」
「櫛田さんがクラスメイトを退学させようとしてた、なんて信じられないよ」
「そうだぜ、さすがに今回はなんかの間違いじゃないのか?」
「なあ、綾小路はどうして櫛田がクラスに不利益をもたらすと思うんだ?」
櫛田さんの表の顔しか知らない皆は、どうしても清隆くんの言葉を信じきれない。そんな中で、三宅くんは冷静に理由を問う。
「そうだな……理由はいくつかあるが、一番は身勝手な理由で堀北を退学させようと動いていたことだな」
清隆くんの言葉に、ざわめきが大きくなる。
「皆も覚えがあるんじゃないか? 今回、櫛田から堀北に投票しようと呼びかけを受けていた者も多いはずだ」
「そ、それは……」
さきほど、堀北さんに票を入れると推定された生徒たちは、反論できずにいる。その理由は、覚えがあるからに他ならない。
「しかし……櫛田が堀北を退学させたい理由なんてないんじゃないか? 堀北は確かに櫛田と壁を作っていた。だが、綾小路以外には誰にだってそうだったはずだ。それに、最近はその傾向もなくなってきた」
幸村くんも、単純に疑問だというように聞いてくる。彼は櫛田さんをそこまで信用しているわけじゃなさそうだけど、理由を知りたいと、そういうことなんだろうね。
それについては、私も清隆くんから聞いた。櫛田さんに対し、録音で脅して聞き出したってことだったけど……
「堀北。おまえと櫛田には共通点があったな?」
「……彼女と同じ中学出身、ということなら、その通りね」
「ああ。櫛田は中学時代の事件を知っているかもしれない堀北のことを排除したいと思っていた」
「中学時代の、事件……?」
誰かが呟いた。
その瞬間、大声が教室内に響き渡る。
「やめて!!!!!」
「く、櫛田ちゃん?」
絶叫、と言っていい声を張り上げて、櫛田さんがぶるぶると体を震わせる。
恐怖からじゃない。これは、怒りだ。内心でマグマのように煮えたぎる怒りを抱えながら、それでもまだ体裁を保つ櫛田さん。
「やめてよ、綾小路くん。人の過去を掘り返すなんて、趣味が悪いよ」
「そ……そうだぜ綾小路! いくらなんでも、それはやりすぎだ!」
話を逸らしてきた。けど、別に過去を掘り返す気なんて、清隆くんにはない。
「別に、おまえの過去のことを無理にバラそうなんて思っちゃいない。が、おまえが堀北と同じ中学で、過去のことを知られたくないから退学させようとした。これは紛れもない事実だ」
「それは……ッ!」
「千秋にも呼びかけていたそうだな?」
「そうだね。堀北さんを退学にするよう皆に声をかけるように、話を持ちかけられたよ。そういえば、混合合宿の時も堀北さんと同じグループになろうとしてなかったっけ? 堀北さんは責任者だったし、妨害して退学させようとしてたんじゃないの?」
家電量販店で買ったボイスレコーダーを取り出すと、櫛田さんの顔色がさらに悪くなる。先日の呼びかけの際は、直前に電話がかかってきたから、端末による録音はないと思い込んだ……正確には思い込ませたけど、それは間違いだ。
加えて混合合宿での、責任者となった堀北さんと同じグループになろうとしていた姿を、多くの女子が見ている。
思い当たる節があった人がどんどんと増えてくる。櫛田さんが堀北さんを退学させようとしていたと、この段階で信じる人はまだいないかもしれない。でも、櫛田さんに少しも疑惑を持たない人も、またいない。
疑惑が生まれるだけでも十分。
「それに、他にも櫛田には被害にあっている生徒はいる。そうだろう、櫛田」
「……なんのことか分からないよ」
「千秋の噂を流したのもおまえだろ?」
「嘘っ!?」
「そんな、櫛田ちゃんが!?」
つい数日前の出来事だ。皆の記憶にも新しい、私への誹謗中傷。
それを行なったのが櫛田さんだという衝撃が、クラスを伝播していく。
「おおかた、オレにダメージを与えるために千秋の退学を狙った、ってことなんだろうな。オレ本人を直接どうこうする力はおまえにはない。今回の試験、堀北か千秋のどちらかが退学になればいいと動いていたわけだ。本命は堀北の方だろうが……」
「待てよ、綾小路! ほんとに櫛田ちゃんがそんなことしたのかよ!?」
池くんは、まだ信じたくないという様子で綾小路くんに反論する。
彼は篠原さんと良い雰囲気だと思ってたんだけど……いや、櫛田さんに未練があるというより、クラスメイトとしての発言ってことかな。
「掲示板に書き込まれた内容で、一番最初の内容は覚えているよな?」
「おまえの彼女がパパ活してたってやつだろぉ?」
山内くんの、この期に及んでその発言ができる勇気は称賛したい。自分に危険が及ばないと分かった途端にこれだ。
もしかして身を挺して櫛田さんを救おうとしているんじゃないか、そんな気さえしてくる。まあ、そんなわけないけどね。
もし次回似たような試験があったら、その時は彼に退学してもらいたいな。
「櫛田は以前、オレの前で千秋への誹謗中傷をしていたよな。あの子は中学時代、絶対にパパ活をやっていた、と」
「……言ってない」
「認めないか」
清隆くんは無言で、端末を操作する。録音が流れ始めると、櫛田さんの表情が変わった。
『「綾小路くんって何者?」
「何者、か。難しい問いだな。櫛田は聞かれたら答えられるか?」
「うん。私は優しく穏やかで、皆と仲良くなりたいと思っている可愛い女の子だよ?」
「綾小路くんは?」
「松下の彼氏。これじゃダメか?」
「あはは、ふざけてるの?」』
櫛田さんと、清隆くんの声。初めこそ櫛田さんの言葉はいつも通りの可愛らしいものだったけど、徐々に雲行きが怪しくなり始める。
「やめろ!!!」
櫛田さんは怒りを露わにして、清隆くんから端末を奪い取ろうとする。けど、それは叶わない。清隆くんは簡単に身をかわす。櫛田さんはなおも清隆くんに襲い掛かろうとするけど、見かねた小野寺さん、堀北さんで櫛田さんを拘束する。
「離してよ!! 離せ!!」
「く、櫛田さん。どうしちゃったの?」
「……今は、聞きましょう。録音の続きを」
『「彼氏、ね。松下さんの眼力も恐れ入るよ。誰も綾小路くんなんて見向きもしていない段階で、恋人になっちゃうんだから。知ってる? あの子の好みのタイプ、スペックの高い男なんだって。絶対中学の時パパ活してたでしょ」
「そうなのか? 松下からは聞いたことがないな」
「あはは、それ騙されてるよー。綾小路くんには分からないだろうけど、絶対あの子脂ぎったオッサンに端金で股開いてるよ。あーこわ、ビッチ怖いね。綾小路くん、そういうところは全く駄目なんだからしっかりしないと。もしかしてもうポイント毟り取られてた? かわいそー」』
……はあ。一度聞いた内容だけど、改めて聞かされると胃が痛い。
清隆くんは、一度再生を止める。
しん、と教室内は静まり返っていた。今まで誰にでも分け隔てなく、優しく接してきた櫛田さんの本性が垣間見えた結果だ。
櫛田さんは、堀北さんたちの手の中で項垂れる。
「千秋の噂の発端と、櫛田の主張は完全に一致している。過去の所業から見ても、櫛田が噂を流したものだと考えられる」
「い……いやいや! その前に話すべきところがあるだろ!?」
「何がだ?」
「く、櫛田さんなんだよね……? 今発言してたのは」
「だって、声も同じだし……」
「ああ、なんだそんなことか。別に、性格に裏表があることなんて珍しくもないだろう。誰かの前では善人で、誰かの前で悪人になるなんてのは普通のことだ。そこを責めるつもりは毛頭ない」
清隆くんは、責めるべきはそこじゃないと皆を諭す。たしかに、私だって裏表のある人間だ。いや、私だけじゃない。誰だって、本音と建前は使い分けるものだ。
皆もそう言われてしまえば、黙るしかない。
「だが、掲示板に千秋に対しての誹謗中傷を書き込んだのは許せないな。堀北の退学を目論んでいた件といい、平気でクラスを裏切る人間を放置しておくわけにはいかない」
「……なんでだよ!! おとなしくしてたら何もしないって言ったじゃん!!!」
もはや自白に等しい叫び。呆然とする堀北さんたちの拘束を抜け出し、櫛田さんは清隆くんの襟元を掴む。
「ああ、言ったな。だがおまえはコソコソ裏で動き続け、都度こちらから牽制するはめになった。それに、今回は堀北と千秋を狙った。堀北は元々ターゲットだったが、千秋が退学すればオレへの仕返しになるとでも考えたんだろうが、狙う相手を間違えたな」
「……あ、あー。もうダメだね。おしまいか……」
ふらふらと、力なく櫛田さんは教室から去っていく。
けど、その瞳にはまだ生気が残っていた。批判票が櫛田さんに集中するのは避けられない。でも、だからといって他の批判票が堀北さんや山内くん、私に全く入らないわけじゃない。
まだ、退学という事態は避けられる。そう思っているのかもしれない。
けれど、清隆くんはそんなに甘くはない。