よう実 √松下   作:レイトントン

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第32話

 櫛田さんのいない私たちの教室は、3月8日、1年度最後の特別試験発表日を迎えていた。

 初めての退学者。その動揺も収まらないままでの特別試験。皆もどこか普段より緊張している様子だ。

 今まで、退学という二文字を恐れ、勉強や特別試験への対策を十全に行なってきた。けれど、まだどこかで退学なんて冗談なんじゃないか、ドッキリなんじゃないかという思いがなかったわけではない。

 けど、現実は違った。退学した櫛田さんの席はもうない。彼女がいた痕跡は、私たちの心の中にしか残っていない。

 

 ……勝てるのかな。こんな状態で。

 いや、坂柳さんのクラスだって、条件は同じはず。落ち着け……落ち着け。そう言い聞かせながら、私は茶柱先生の告げる特別試験の内容に、あらためて耳を傾けた。

 

 1年度最後の特別試験は『選抜種目試験』。

 クラス対抗で行われる試験で、その組み合わせは今日発表される。

 まず、各クラスで得意な10の種目を提出する。種目は、マイナーすぎないものならなんでもいい。学力試験でも、陸上競技でも、じゃんけんでも。とにかく勝てそうなものを選ぶ。

 それを試験当日には各クラス5種目まで絞る。さらに学校側から、両クラス5種目ずつ、合計10種目からランダムに7種目が選出される。

 その7種目を競い合う。1種目勝つごとに30クラスポイントを相手から奪い、勝利した種目が多いクラスには学校から100クラスポイントが与えられる。

 

 現在ウチは770クラスポイント、Aクラスは869クラスポイント。つまり、Aクラスと当たり勝利すれば、私たちはAクラスへの昇格が確定する。

 

「……ついに、Aクラスへ昇格する挑戦権を得られた、といったところかしら」

 

 堀北さんも気合いは十分みたいだ。

 けど、他の皆はそうもいかない。私はクラスのまとめ役の平田くんの方を見る。

 彼はまだ、クラス内投票で櫛田さんが退学してしまった事実に打ちのめされている。クラスの和を重んじ、それを守ってきた彼だからこそ、今回のような試験は堪えたに違いない。

 

 平田くんが気落ちするということは、クラス全体の士気が落ちるということ。

 表面上は平静を保っているものの、その精神状態が危ういことは、誰の目から見ても明らかだ。

 

 茶柱先生から、追加の説明が入る。『司令塔』についてだ。

 競技に直接参加はできないものの、司令塔の関与という形で競技に影響を与えることができる。

 関与方法は競技決定時に設定するようで、たとえば英語のテストを競技としたなら、一問を司令塔が解いてもよい、といった形になるみたいだ。

 関与の程度が大きすぎると学校からボツを食らったりもするみたいだけど、ここぞという時の切り札になりそうだね。

 

 ただ、もし敗北した場合司令塔は退学になる。ここは、プロテクトポイントを持ち、適切な判断もできそうな堀北さんが適任かな。

 

 その後、基本的には1人1回しか種目には参加できないだとかの細かいルールが説明され、SHRは終わった。

 早速、クラスでの話し合いが始まる……はずだったけど、動き出しが遅い。平田くんの動きが鈍いからだ。

 

「……皆、聞いてほしい。今回の試験における司令塔は、私がやる。プロテクトポイントももらって退学のリスクもないことだしね。反論のある人や他に立候補する人はいるかしら?」

 

 堀北さんが立ち上がり、そう主張する。誰からも反論は上がらない。司令塔をやるのに、現状で堀北さん以上の適任はいないだろう。

 

「じゃあ、続けて種目の絞り込みを行いましょう。……と、その前に、須藤くん。教室の前を見張っていてもらっていいかしら」

「ああ、構わねえけど……もしかして、外で誰か聞き耳を立ててやがるのか!?」

「その可能性を排除するためよ。あなたの得意分野は分かりきっているから、今更聞く必要もないものね」

 

 堀北さんの言葉に嬉しそうに笑った須藤くんは、忠犬かつ番犬のようにクラスの前に立った。

 

「さて、種目だけど、皆にはこれだけは誰にも負けない、というような自信のある競技を考えてほしいの。そういった競技のない生徒は、無理に発案する必要はないわ」

「なんでもいいの? カラオケとか、早食いとか」

「ええ。でも、何か実績があればより優先して採用されると思ってもらっていいわ。たとえば、ピアノで賞を獲ったことがあるとか」

 

 堀北さんはそう言うけど、ここは元Dクラスだ。何かに打ち込んでいた生徒は、そう多くない。パッと出てこない案は、あまり採用したくないというのが本音かな。

 何人かの生徒、三宅くんや外村くん、小野寺さんなんかは、メモに記載した内容を素早く提出しにくる。部活をやっている生徒は、今回のような試験では強い。

 

 私も、小中学生の時は色々と習い事をしていた。それを提出してもいいけど、絶対勝てる自信はない。高校まで続けている人間には勝てないだろうし。

 

 迷った末、私は『ビーチバレー』と記入して堀北さんに渡した。清隆くんとペアなら負ける気はしない。

 まあ、清隆くんならビーチバレーに限らず、勝てるんだろうけどね。

 

「……ごめん、僕には、自分が勝てる競技なんて思い付かないよ」

 

 そう言って席を立ったのは、平田くんだ。彼は手早く帰り支度を整えると、足早に教室を去っていった。

 皆が平田くんの背中を心配そうに見ている。それだけの信頼を、彼は積み重ねてきた。

 

「綾小路くん……平田くん、どうにか元気付けてあげられないかな?」

 

 みーちゃんがそんなことを清隆くんに聞いてくる。平田くんとクラスで一番仲の良い男子は、清隆くんだ。平田くんはクラスのバランスを常に考えていた。そんな彼にとって、唯一頼れるのが清隆くんだったからだ。

 

「……悪いが、今回オレは何もできない」

「でも、平田くんと一番仲が良いの、綾小路くんだと思うの」

「オレもそう思う。が、今回の件、発端はオレだ。櫛田の行いを摘発し、クラスの皆に彼女を退学させるよう呼びかけた。平田にとっては容認しがたいことのはずだ。オレはそれを理解した上で実行した」

「でも、あれは仕方なかったと思う……綾小路くんのせいじゃないよ」

「ありがとう。でも、今のオレに平田に声をかける権利はない。友人であることを利用して、平田の望まないことを行っておきながら糾弾を避けたオレには」

 

 そう言って、清隆くんは口を閉ざした。みーちゃんもそれ以上は追求できなかったのか、しょんぼりと肩を落として自分の席に戻った。

 

「……ねえ、千秋。放課後ちょっと付き合ってくれない?」

 

 そんな中、前の席の恵から声を掛けられる。随分と改まった様子だったので、私は一も二もなく頷いた。

 

 

「それで、私を誘った理由は?」

「えーっとさ。千秋、綾小路くんとはもうしたわけでしょ?」

「なに、そういう話がしたくて呼び出したの?」

 

 特別試験の前で忙しい時に……

 そんな不満を顔に出すと、恵は違う違うと手を振って否定する。

 そして周囲を窺い、誰もいないことを確認してから私に耳打ちする。

 

「実はあたし、まだ洋介くんとキスもしてないの」

「マジ?」

 

 思わずそんな声が出た。

 いや、だって。私たちだって相当進展遅かったと思ってるけど、恵と平田くんは入学して間もない頃から付き合ってる、私たち以上のご長寿カップルだ。

 それがまだキスもしてない? どれだけピュアな恋愛を……いや。

 私は、今の自分の立場を思い出し、同時にその可能性に思い至る。

 だけど、それを口に出したら恵にもこう思われるかもしれない。

 

『まさかあなたたちも偽装カップルなのか』

 

 ……まあ、私と清隆くんの関係において、正直形骸化している部分はあると思うけど。

 キスや下の名前呼びまでが長かったのは、その辺が起因している。

 

「まあ、色々あってさ。多分洋介くんは、あたしをちゃんと恋愛対象として見てないわけよ」

「もしかして、恵もそうなの?」

「……そうだね。正直、あたしも恋愛感情で平田くんと付き合っていたわけじゃないからさ」

 

 ……やっぱり、そういうことだったんだね。

 

「千秋だから言うんだけどさ。あたし、昔は色々厄介ごとに巻き込まれやすかったんだよね。だから自衛のために、洋介くんに彼氏になってもらってたの。クラスを引っ張る立場の洋介くんの彼女なら、立場も強いからね」

「平田くんなら、クラスメイトを守るためにって受け入れそうな話だね……」

「ほんと、お人好しなんだから」

 

 恵は笑う。

 どこか嬉しそうだけど、やっぱり恋愛とは少し違うような、そんな顔だ。簡単には言葉にできないけど、一番近いものとしては……平田くんへの尊敬、かな?

 

「なるほど。そんな彼氏くんの現状を放って置けないわけだ」

「さっすが千秋、話が早い! 偽装彼女のあたしに何か言われても響かないかもしれないけどさ……自分だけ助けてもらっておいて、洋介くんが落ち込んでる時に手を差し伸べられないのは、なんか悔しいじゃん?」

 

 にっ、と眩しい笑顔で、恵はそう言った。

 

「それで、私は何をしたらいいの?」

「意気込みを伝える相手になってほしかったのと……あと、上手くやれるか不安だから、陰から見ててもらっていい? 千秋なら、あたしが失敗しても上手くフォローしてくれるでしょ?」

「そのくらいなら、お安いご用だよ」

 

 恵と一緒に、平田くんを探し回る。クラスの皆にメッセージを送ったところ、すぐに居場所は判明した。

 平田くんはベンチに腰掛け、項垂れていた。いつも明るかった彼の姿は、今や面影もない。

 

「洋介くん」

 

 恵は、そんな平田くんに躊躇わず話しかける。私はそれを、少し離れた物陰から見ている。

 二人の邪魔はできないからね。

 

「軽井沢さん……何か用かな」

「うん。隣ごめんね」

 

 恵は一声かけてから、平田くんの隣に座る。カップル同士、横に座ることは自然なはずなのに、やはりどこかよそよそしさがある。

 

「ごめん、軽井沢さん。こんな情けないところを見せて」

「情けない?」

「うん。……僕も分かっていたんだ。あの試験は、誰かが退学するしかなかった。でも、櫛田さんが退学して……僕はその現実を受け止めきれずにいる。もっと良い方法があったんじゃないか。南雲先輩からポイントを借りられていれば。……綾小路くんを説得できていれば。もっと、違う未来があったんじゃないかって……」

 

 それは……どうだろう。

 清隆くんの意思は固かった。彼を説得するのは相当難しかったんじゃないかと思う。

 

「駄目だな、僕は。この学校に入って少しは変われたと思ったけど、何も変わっちゃいない」

「……中学のこと、まだ後悔してるんだね。洋介くんは」

「当たり前じゃないか。僕がもっとやれていれば、彼のSOSをちゃんと受け止められれば、杉村くんはあんな真似をしなかった!」

 

 平田くんは悲鳴のような声をあげる。彼の心が壊れかかっているのが、私にも伝わってきた。

 平田くんは、どこか遠くを見ながら呟く。

 

「僕は、杉村くんが自殺未遂をした後も、他の人へのイジメをやめないクラスの皆を……暴力で支配した。トラブルを起こした人たちは、同じだけの苦痛を与えたんだ。結果、皆はまるで機械のように、決められた規律に沿って行動するだけの生徒になってしまった。……僕は、僕の間違いを正したかった。今度こそ、ちゃんとクラスを導けるようにって……」

「洋介くん」

「……僕は、どうしようもなく無力だ」

 

 再び、平田くんは項垂れる。

 

「中学時代の平田くんは、確かに失敗したのかもね」

「…………その通りだよ。やっぱり僕なんか——」

「でも、だからあたしは助けられた」

 

 はっ、と平田くんは恵の方を向く。

 

「その杉村くんの件が、あって良かったことだなんて絶対にない。でも、洋介くんがそこで悩みに悩んで、次は絶対同じことを起こさないって立ち上がれる人だったから。同じような人を助けようと努力してくれたから、あたしは今ここにいる」

「軽井沢、さん……」

「あたしの過去、話したよね。不安だったんだ、この学校に入ったばかりの時。髪も染めて、メイクもバッチリで……いや、今思うとちょっと気合い入り過ぎてたかな?」

 

 たしかに、入学したての頃の恵はちょっと化粧が厚かったかも。でも、今は慣れたもので、ナチュラルメイクと言っていい。

 彼女は当時、周囲の視線や態度を恐れていたのかもしれない。自分を守るための防壁としてのメイク。

 

「覚えてる? 入学したてに、洋介くんは皆に自己紹介しないかって提案したよね。凄い人だと思ったよ。知らない人だらけのはずなのに、物怖じせずにあんな風にクラスを纏めようとしたんだから」

「いや……あの時はただ、中学の時のようにならないよう必死だっただけだよ。自分の無力さから目を背けていただけだ」

「違うよ。目を背けたんじゃない。無力さを乗り越えようとしたんだよ」

 

 恵は、真っ直ぐに平田くんと向き合っている。その瞳には、嘘や偽りは一切ない。

 心から、平田くんを尊敬し、称賛しているのが分かる。

 

「櫛田さんが退学したのは、悲しいよ。そりゃ性格に裏表があったとか、クラスを裏切ってたとかあったけど……それでも1年近くも同じ教室で過ごしてきた、仲間だったんだから。でも、そこで折れるのは洋介くんらしくない。洋介くんが力不足だって言うなら、次に同じような試験があった時、退学者を出さないように頑張ろうよ。皆には洋介くんが必要だと思う」

「……でも、僕は、僕なんかが……」

「杉村くんのことも、櫛田さんのことも、後悔して、引きずって行ってよ。それで、もう2度と同じことは起こさないってつもりで、また皆を引っ張ってよ。洋介くんならそれができる。自分を無力だと思っていたあなたに助けられた、あたしが保証する」

 

 あたしなんかの保証で申し訳ないけどね、と照れくさそうに恵は笑った。

 彼女の言葉を聞いて、平田くんの瞳から、ぽろぽろと涙が溢れる様子が見えた。

 

 恵に頼まれたとはいえ、これ以上見守るのは不粋すぎるかな。私は踵を返してその場を立ち去る。

 その直前、聞こえてきた平田くんの声は、どこか憑き物が落ちたかのようだった。

 

「ありがとう、軽井沢さん」

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