珍しく、本当に珍しく、私は清隆くんより早く起きた。
同じベッドで彼の腕の中で寝るのは何回目だろう。しかし、今日だけはいつもと違う。
いつもは、目を覚ますと清隆くんの「おはよう」の声が聞こえた。彼は私が眠った後に眠り、私よりも早く起きる。
そして、腕の中の私が起きるまで待っていてくれる。2人一緒にベッドから出て服を着て、顔を洗い歯を磨き、朝食を摂る。それが一緒に寝た朝のルーティンだ。
けど、今日は違う。清隆くんからの声は聞こえず、すやすやと眠りに落ちたままだ。
清隆くんの寝顔は、初めて見る。
長い睫毛。高く通った鼻筋。血色の良い唇。それらはいつも見ているものだけど、こうしてまじまじと見ると、清隆くんの顔はやはり整っている。
入学当初のイケメンランキングでは5位だったけど、当時の暗い雰囲気が足を引っ張った結果であって、実際は清隆くんが1番だ……なんて思うのは、彼女の贔屓目が入り過ぎかな。
愛おしさが抑えきれなくて、私は清隆くんの頬にキスした。これで起きても、起きなくても、どっちに転んでも構わない。
「ん……おはよう、千秋」
「おはよう、清隆くん」
結果は前者。そうだろうとは予測していたけどね。
「悪い、寝てた」
「ううん。こっちこそ、ごめんね起こして」
「いや、丁度良い時間だ。朝は何にする?」
「うーん……トーストとコーヒーでいいんじゃない」
「だな」
朝のルーティンをこなし、朝食を摂る。
今日はAクラスの選んだ10種目が発表される。またその練習をしよう、と清隆くんに誘われている日でもある。
ただ、坂柳さんは十中八九……どころかほぼ確実にチェスは選んでくるだろう、と清隆くんは予測している。
坂柳さんと以前話した時に、チェスのような完全情報ゲームで戦いたいと言われた、と清隆くんは語った。
だとすれば、坂柳さんがチェスを選んでくる可能性は、私から見ても相当高いように思う。彼女、プライドめちゃくちゃ高そうだし。
……坂柳さんといえば、初めて会った時に気になることを言っていたのを思い出す。
『ホワイトルーム』
その言葉を聞いて、清隆くんに動揺が走ったのをよく覚えている。彼のことを詮索するつもりはない。けど、どうしても気にはなるから、ホワイトルームという単語をネットや図書館で調べてみたりはした。
けれど、結果は何も出てこない。ルーム、というくらいだから、どこか特定の場所を指している言葉だと思うけど広大なインターネットにも情報がないのは、おかしい。
坂柳さんとの特別な合言葉か何かなのか、もしくは……
……やめよう。これ以上は考えても仕方ない。
清隆くんが話してくれる気になるのを待つしかない。
朝食を食べ終え、私たちは支度を整える。
カップルとはいえ、同じ時間に部屋から出ては怪しまれるから、私は清隆くんよりかなり早い時間に部屋を出て、自室に戻る。
スクールバッグを取り、改めて清隆くんと合流するために外に出た。
清隆くんは寮の前で、何人かのクラスメイトと話していた。
「やっぱりAクラスと勝負するの、不安があるかも……」
「確かに、確実に勝てる保証はない。だが勝ち目もないわけじゃない。平田も復活したし、総合力ではAクラスにも負けないとオレは思っている」
「でも、私たちが足を引っ張っちゃうかもしれないし」
「皆、努力しているのはよく知ってる。井の頭たちも、勉強会にはよく参加しているよな。今回芽が出るかは分からないが、今後必ずクラスの力になる」
特別試験への不安の声を受けていたみたいだ。
清隆くんは、優しくクラスメイトたちを諭している。邪魔しちゃ悪いかも、なんて考えていると、こちらに気付いた清隆くんは手を挙げた。
「おはよ、皆」
「おはよう、松下さん」
「おはよう」
このまま皆で登校……という流れになるかと思われたけど、意外にも清隆くんが皆を先に行くように促し、私と2人きりでの登校となった。
「人気者だね」
「ここ数日は平田の代わりに相談を受けていた。その延長ってだけだ」
「どんなきっかけであれ、クラスメイトと仲が良いのはいいことだよね」
清隆くんは浮気する人じゃないと思うし、嫉妬はあるけど放っておくことにしよう。
教室に着き、席に着く。しばらく周囲の生徒と話していると、茶柱先生が教室の扉を開け、SHRが始まった。
内容はもちろん、特別試験について。Aクラスから提出された10種目は、
『チェス』
『フラッシュ暗算』
『囲碁』
『現代文テスト』
『社会テスト』
『ビーチバレー』
『数学テスト』
『英語テスト』
『大縄跳び』
『ドッジボール』
このようになった。
清隆くんの読み通り、チェスは本命のはず。全体的に頭を使う種目が多く、まさにAクラスらしい王道の種目だ。
こちらのように誰か1人の点数を競い合う、という種目はフラッシュ暗算くらいで、それ以外のテストは合計点を競い合うものとなっている。
平均的に優秀な生徒の多いAクラス相手に、テスト系の種目では分が悪いかな。
あと、気になるのはビーチバレー。こっちには夏休み前に噂になった私と清隆くんのペアがいる。言ってしまえばAにとって不利な種目だ。それをわざわざ採用するのは、単なる揺さぶりで、警戒したこちらがビーチバレーを外すことを期待してのことなのか。それとも実はビーチバレーの達人がいて、油断させたところを刺すつもりなのか。
ビーチバレー以外に運動系の種目は、大縄跳びとドッジボール。どちらも必要人数が20人、18人と多く、これらを駆使された場合、2回目の参加を余儀なくされる生徒も出てくるかもしれない。
また、その2種目だけでなく、テスト4種目は必要人数が多く、勉強のできる生徒の多いAクラスがかなり有利となる種目のようだった。
いくら清隆くんや堀北さんが優れているといっても、テストで1人の獲得できる点数には上限がある。
参加者の合計点を競うテスト種目は、人数が多ければ多いほどこちらが不利になる。
「これは……運次第ではかなり厳しいかもね」
「……茶柱先生、質問があります」
スッ、と堀北さんが手を挙げる。
「なんだ?」
「実施される種目はランダムに選ばれるとのことでしたが……プライベートポイントで、その選択権を購入することはできるのでしょうか」
……!
なるほど、ポイントで種目の選択権が買えれば、かなり有利になる。こちらの勝ちが確定している種目を選択すればいい。
ちょっと思い付かなかったな……やっぱり堀北さんの能力は高いと、改めて実感する。
「また、私の予想ですが7種目中の3種目は、それぞれのクラスの提出した種目から選択されるのではないでしょうか。学校は試験の平等性を重んじているようですから」
「ふむ……面白い質問だ。まずはお前の予想に関してだが、それについては答えられない。お前も、答えが返ってくることに期待してはいないようだがな」
茶柱先生は、どこか嬉しそうだ。生徒の成長を喜ぶのとともに、このクラスがAに上がれるかもしれないと、強い期待を寄せているように思える。
「そして選択権についてだが、これも購入可能だ。だが、これは相当に高額な権利となる。購入できるのは1種目のみ。特別試験開始当日までに申請が必要で、価格は1000万ポイントだ」
「い、1000万!?」
あまりに高額なポイントに、クラスメイトの皆はたまらず叫び声をあげた。1000万ポイント……途方もない高額だね。いくら勝ったら100……いや、130か。それだけのクラスポイントがもらえるとはいえ、1000万ポイントはさすがに手が出ない。
負けた時のリスクが大き過ぎるし、なにより当日までに購入申請が必要だということは、負け越しが決まった状態ならほぼ無意味な権利となってしまう。
「さすがに、1000万は手が出ないわね……ありがとうございます、先生」
「構わん。他に聞きたいことがある者はいるか? ……いないようだな。この場では聞きづらいようなら、後で職員室に来るといい」
茶柱先生が立ち去ったあと、次の授業が始まるまでの短い時間で、作戦会議が始まる。
あの種目はこう対策しよう。数学なら誰々が得意だ。そんな意見が飛び交う。
そんな中で、清隆くんは沈黙を貫いていた。
◆
放課後。オレはある男を呼び出していた。
「俺を呼び出すとはな。この時期の呼び出しだ、用件は学年末特別試験のことだな?」
「話が早くて助かる……と言いたいところだが、それでは50点だ葛城」
「……それだけではない、ということか。聞かせてもらおう」
葛城はオレの言葉の続きを促す。が、ひとまずは葛城の的中させた特別試験の話からだ。
「もちろん、特別試験の話も不正解というわけじゃない。坂柳の選ぶ5種目について、おまえの予想を聞かせてもらいたい」
「ふっ、坂柳が他の誰にも本命の5種目を伝えていないことも察しが付いているようだな。さすがだ、綾小路」
葛城は俺をそう言って褒めそやす。が、かつて船上試験前に会った時のような覇気は感じられない。
やはりリーダーを降ろされたこと、そして戸塚弥彦という自らを慕う男を、クラス内投票で退学させられたことで、随分と気落ちしているようだ。
「返答は?」
「そう焦るな。……クラスを裏切るには相応の見返りが欲しいところだな」
見返り、という俗っぽい言葉遣いはわざとだろう。義理堅いこの男のことだ、自らを納得させるだけの理由がなければ、クラスを裏切るような真似はできないという姿勢。
坂柳への怒りはあるだろうが、同時にクラスメイトへの義理もある。特に、元葛城派の生徒には。
この男も、難しい立場にいる。
「見返りか。おまえは何を望む? ポイントか? Aクラスのリーダーの地位か?」
だからオレは、この質問をぶつけた。
この男が本当に求めているもの。それがなんなのか、オレには想像が付いている。それはオレが挙げたような即物的なものではない。
「……どちらも、まさにかつて俺が求めていた。無論、それらは喉から手が出るほど欲しいものだ。が、今の俺には、より強く渇望していることがある」
葛城は自らの腕を強く握り、鋭い視線でオレを射抜く。
「弥彦の無念を晴らすこと。……坂柳の敗北だ」
「クラス内投票で退学した生徒、か」
「ああ。坂柳はクラス内投票が始まった時点では、俺を退学させると宣言していた。が、俺の心を折るため、騙し討ちのような形で弥彦を退学させた……到底許せる行いではない」
「なら、おまえはどうする。オレたちに協力してくれるのか?」
「俺の予想でよければ聞かせてやろう。それで坂柳が倒せるのであれば、俺の義心など安いものだ」
葛城は語った。やはりチェスと、テスト種目が本命の可能性が高い。英語、数学はほぼ間違いなく本命。フラッシュ暗算と現代文も確率は高く、大縄跳びやドッジボールといった体力系の種目はフェイクだということ。
「ビーチバレーは?」
「橋本と神室は得意なようだが……はっきり言ってお前と松下に敵うレベルの生徒はいない。牽制目的と見ていい」
「なるほどな。情報感謝する」
「分かっているとは思うが、ここでのことは他言無用だ」
そう言って、葛城は立ち去ろうとする。が、ピタリとその動きを止めた。
「……待て。綾小路、お前は言ったな。特別試験の件だけでは50点だと。つまり、ここまでの話はあくまで半分、ということか?」
オレは静かに頷いた。
「葛城、おまえは言ったな。クラスを裏切るには相応の見返りが必要だと」
「確かに、何を用意しているかまでは聞いていなかったな。今の俺の目的は、坂柳の敗北、それのみだが、お前はそれを見抜いていたようだったからな……」
「オレの報酬はそれだ。いや、正確には……おまえの手で坂柳を倒す機会だ」
葛城が目を見開く。予想もしていなかったことに直面し、大きく動揺している。
「葛城。堀北のクラスに来い」
「なん、だと……」
「悪い話じゃないだろう。ウチは今Bクラス。それも、おまえの与えた情報で次の試験で勝利すれば、Aに逆転する立場だ」
入学当初はDクラスだったが、最も成長著しいクラスだ。坂柳のクラスのように派閥争いもない上、櫛田を欠いた今、戦力を必要としている。坂柳に対抗するには、一番適切なクラスだと言える。
「しかし……いや、その通りではあるが……資金はどうするつもりだ。クラス間の移動には2000万ものプライベートポイントが必要となる。クラスで話し合いは済んでいるのか?」
「問題ない。クラスメイトに説明はしていないが、資金は捻出できる」
「馬鹿な……と、言いたくはあるが、おまえがこのような交渉の場で、無茶なハッタリをする男にも思えん。本当、なんだな」
葛城は顎に手を当てて考える。しかし、それはあくまでポーズだ。資金の心配なんてし始めた時点で、彼の考えはもう定まっている。
しかし、現状オレは、葛城に話すべきことを明かしていない。これでは坂柳と同じだし、アンフェアだ。
「葛城。移籍を考える前に、1つだけ伝えておきたいことがある。さっきおまえが言ったように、他言無用だ。これを聞いても意思が変わらないようなら、学年末試験終了後、2年に上がる前にはおまえに堀北クラスに移籍してもらう」
「む……俺が移籍を前提に考えているような言い草だな。まあ良いだろう。伝えておきたいこととやらを聞こう」
オレは、葛城に語った。
資金の出所。そして、これから堀北クラスに移籍するにあたり、葛城にとってデメリットとなることを。
彼は更なる驚きに目を見張り、考え込む。
「……俄には信じがたいことだが……むう……」
「おまえにこれを隠して移籍させるのは、フェアじゃないと思ったから話した。信じられないようなら、提案を蹴ってくれていい」
「いや、俺はお前を買っている。意味のないことはしない男だ。……分かった。その話を聞いた上で、移籍の話を受けよう。腑に落ちた部分もあることだしな」
「交渉成立だな。おまえが坂柳を倒すこと、期待している」
「簡単ではないだろうな。だが……俺の手で坂柳を倒す機会を与えてくれたこと。感謝するぞ、綾小路」
こうして堀北クラスは、葛城という心強い味方を手に入れた。