よう実 √松下   作:レイトントン

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第36話

 王さんが中国語テストを落としたのは、堀北も予想していなかったことだろう。

 が、ここまでの戦略に間違いはなかった。ここで自信を失わなければいいが。

 

 続いて選ばれたのは、坂柳クラスより提出された『現代文テスト』。

 当然、幸村をはじめとした、クラスでも優秀な生徒たちを当てる。ただ、堀北はここで千秋というカードを切ることはしなかった。

 良い判断だ。

 

 幸村たちは健闘したが、やはりAクラスには届かず、2対3で現在坂柳たちにリードを許している。

 

 そして、次に選ばれたのは……『フラッシュ暗算』。

 堀北は迷いなく千秋と、そして高円寺を選択する。

 かねてから、高円寺は最も高得点だった生徒のいるクラスが勝者となる種目で使うべきだと、堀北の意見は聞いていた。

 なので、元々弓道か中国語テスト、もしくはフラッシュ暗算に起用する予定だった。

 中国語テストで温存した判断が活きるか否か。

 

 対して、Aクラスが選んだ生徒は、田宮という生徒ともう一人。

 

 坂柳だ。

 

「嘘、ここで坂柳さんが……!?」

 

 軽井沢が口を押さえて驚いている。

 坂柳は恐らく、ポイントで最終種目に選んでいるであろうチェスに出場するはずだと、千秋は読んでおり、それを何人かに周知していた。

 それはきっと正しい。が、ポイントで買える権利はそれだけではなかったということだ。

 

「プライベートポイントだな」

「……! 参加回数を増やす権利を買ったんだね」

 

 オレと平田の予想を聞いたクラスメイトたちに、動揺が走る。

 本来、各生徒は1人1回までしか種目に参加できない。2回目以上の参加は、クラス全員が1度は種目に参加する必要がある。

 ……が、2周目に到達する前に、もう一度種目に参加する権利をプライベートポイントで購入したのだろう。

 

「最後の2種目まで温存していたのは、恐らく1度しか購入できないか、莫大な金額がかかるかのどちらかだろう。最終種目の選択権を買ったと仮定すると、前者だろうな」

 

 いくらAクラスといっても、湯水のごとく資金が出てくるわけではない。1000万もの大金を支払った後なら、なおさら少しでも出費は減らしたいはずだが、念には念を、ということか。

 この試験への坂柳の本気度が窺える。

 

「しかし、まずいな」

 

 フラッシュ暗算のような種目は、坂柳の独壇場と言っていい。普通の生徒では太刀打ちできない。

 千秋の能力も相当に高いが、この条件下での真っ向勝負に勝ち目はない。司令塔、堀北の関与があったとしても結果は変わらない。

 詰みか。

 今後のことを考えながらモニターを眺め、種目の開始を見届ける。

 

 しかし、1問目が終了した直後、オレにも予想できなかったことが起きた。

 

『ふふ。フラッシュ暗算とは、なかなか面白い遊びだねえ』

「こ、高円寺のヤツが正解してやがる!」

 

 高円寺が、ここに来て協力的な姿勢を見せた。

 ……なるほど。

 幸か不幸か。少なくとも、詰みは免れたらしい。

 

 続く2問目。全員、難なく回答していく。

 まだ余裕そうだったが、ここから難易度が上昇してくる。

 

 3、4問目は2桁6口。

 5問目は3桁6口5秒、6問目は3桁8口5秒。

 クラス内から悲鳴が上がる。

 

「こ、こんなの解けないよ!」

 

 成績下位の生徒たちは愕然としている様子。上位の生徒たちも冷や汗をかいている様子だ。

 モニター越しに見る千秋も頭を抱えて必死に計算している。頑張れ、千秋。

 田宮も同様に頭を捻っているが、ちょっと諦め気味に見えるな。

 一方で高円寺と坂柳は、余裕綽々と言った様子。よどみない動きでペンを走らせている。

 

 高円寺、坂柳、そして千秋の回答はここまで全て正解。田宮は5、6問目を落としている。

 そのまま、7、8、9問目と続く。

 坂柳と高円寺は変わらず余裕の態度を貫いているが、千秋と田宮はもう限界の様子だ。

 それもそうだろう。9問目は3桁15口2.5秒。上の方の段位レベルだ。

 

 そして最後の問題、10問目が表示される。

 3桁15口1.6秒。もはや誰も何も言えず、ぽかんと口を開けて見送るしかできない。

 ……オレと、モニター越しに座る2人を除いて。

 

「……綾小路。今の答え、分かったか?」

 

 幸村が遠慮がちに聞いてくる。

 

「ああ。7619だな」

「うっそ、あんなの分かっちゃうんだ」

「テキトー言ってんじゃねえの?」

 

 山内がそんな茶々を入れてくるが、それはこれから発表される結果を見れば分かることだ。

 ちなみに坂柳、高円寺は当然のようにペンを動かしている。さすがだな。

 

 そして同時に堀北が司令塔の関与を発動させる。Aの司令塔は行使していない。どうやら、坂柳があらかじめある程度の指示は出しておき、それに従わせているだけのようだな。それほど能力のある生徒ではないらしい。

 

 結果が発表される。

 坂柳、高円寺は共に全問正解。高円寺がここまで動くのは想定外だった。

 

 同率1位はいるが、引き分けはない。つまり、勝敗は中国語テストと同じく、他の生徒の出来で決定する。

 Aクラス田宮の正解は4問目まで。

 千秋の正解は6問目、そして司令塔の関与で堀北が8問目を正解している。

 

『勝者、Bクラス』

 

 歓声が沸く。

 これで3対3のまま、最終戦へもつれ込んだ。

 戻ってくる千秋、高円寺を出迎える。

 

「千秋、よく頑張った」

「でも、悔しいよ。もうちょっとやれると思ったんだけど……堀北さんは8問目まで解いてたみたいだし」

「それは仕方ない。今まで千秋が伸ばしてきたのは、もっと別の能力だ。むしろよくあそこまで解いた、偉いぞ」

 

 頭を撫でてやると、千秋は嬉しそうに目を細める。

 一方、もう一人の勝利の立役者はクラスメイトたちに囲まれていた。

 

「高円寺、おまえやっぱやれば出来るじゃねえか! これからはもっと本気出せよな!」

「ふう。君たちのために解いたわけじゃないんだがねえ」

 

 須藤が肩を組もうとするが、するっとかわされる。

 少しだけムッとする須藤だったが、今の高円寺は一躍ヒーローだ。水を差すことはせず、このヤロー、と苦笑しながら悪態をつくに留まる。

 しかし今、気になることを言ったな。

 

「なら、誰のために解いたんだ?」

「誰のためでもないさ。単なる気まぐれだよ。強いて言うなら私自身のため、といったところだねぇ」

 

 果たして本当だろうか。

 気まぐれと言われてしまえばそれまでではあるが、本当に気まぐれなら、高円寺の性格上、最難関の1問だけ解いてあとは放置しそうなものだ。

 わざわざペンを走らせ全問正解したのは、何かしらの意図を感じる。

 

 オレは泣き止み、高円寺に感謝を述べる王さんに目を遣る。

 

『続いて、最後の種目を発表します。第7種目は……チェス』

 

 高円寺についての考察は後回しか。

 やはり最後の種目はチェス。読み通り、坂柳が選択権を購入していたらしい。

 堀北は迷うことなくオレを投入する。

 

 立ち上がると、クラスの生徒たちからの激励の声が全身を打ちつける。

 

「よっしゃ、ファイトだ綾小路!」

「綾小路くんなら勝てるよ!」

「お前に勝てるやつは、ちょっと思い浮かばない」

「あ、綾小路くん……頑張ってください!」

 

「清隆くん」

 

 千秋が片手をあげる。

 オレも同じく片手を上げ、それを叩いた。

 

「行ってくる」

 

 声援を背に受けながら、オレは退室し、指定された教室に向かう。

 フラッシュ暗算の教室をそのまま利用するようだ。坂柳に無駄な移動をさせない配慮だろう。

 既に彼女は椅子に座り、チェス盤の前で目を閉じ、瞑想していた。

 

「……この時を待ち望んでいました、綾小路くん」

「まさか、本当に特別試験でチェスをすることになるとはな」

「ふふ、運命の悪戯というやつでしょうか。やはり、私とあなたは戦う運命にある。そういうことです」

「悪いが、オレは冗談で口にすることはあっても、運命なんてものは信じていない」

「あら、つれないですね」

 

 さして残念でもなさそうに、坂柳は微笑する。

 運命、か。なんとなくだが、嫌な言葉だ。いやでもこの学校を去った後のオレを想起してしまう。

 

「……オレはこのクラスをAに上げる」

「らしくない発言です。自分が最後に勝っていればいい。あなたはそういう人間なのでは?」

「昔はそうだったかもな。だが、オレはこの1年、色々なことを体験し、学んだ。それまでのオレと同じだとは思わない方がいい」

 

 着座し、坂柳に対面する。

 フラッシュ暗算の結果や、今日までAクラスを導いてきたことから鑑みても、彼女は手を抜いてやれる相手ではない。

 

 対局が始まる。

 オレが白、坂柳が黒だ。

 静かな教室に、コト、と駒を置く音だけが響く。

 まだ序盤だけあり、坂柳も長考することなく返していく。

 

「……ふふ。8年前、あなたのチェスを見て衝撃を受けたことを思い出します。あなたの影響で、私はチェスを始めたんですよ」

 

 坂柳の揺さぶり。さすがに音声が乗っている状態でホワイトルームのことを口にはしないだろうが、オレの過去を知っていると周囲へ露骨にアピールしている。

 

「なら、おまえも知っているだろ。オレもチェスは得意だ。挑んだのは失敗だったな」

「とんでもない。この上ない正解ですとも。これだけ心躍る勝負ができることなどありませんから」

 

 駒の交換を行いながら、互いに着々と戦略を走らせる。

 

「ふふ。私のことを『女王』と呼ぶ生徒もいるらしいですが……奇遇なことに、私の1番好きな駒もクイーンなんです」

 

 そう言うと、坂柳はチェス最強の駒であるクイーンを進軍させる。

 坂柳の戦略は、この最強のクイーンを十全に活かすこと。他の駒でサポートし、クイーンフォーク……クイーンで2つの駒を狙い撃ちにするのが狙いだろう。

 

「私がクイーンなら、あなたはキングでしょうか」

「キングか……」

「不満ですか?」

 

 不満はない。自分をチェスの駒に喩えるなんてのは遊びでしかない。

 

「オレにキングは似合わない。精々ナイトだろ」

「謙遜は度が過ぎると、単なる嫌味ですよ?」

「……まあ、チェスの駒なら、オレはポーンになりたいがな」

 

 恐らく多くの生徒は頭に疑問符を浮かべていることだろう。

 だが、オレの意図を汲み取った坂柳は、少しばかり複雑な表情をする。

 

 オレは坂柳のクイーンの動きを封じるために布陣する。クイーンは強力だが、それ故に別の駒と交換になると確実に駒損となる。

 

「……さすがですね。これでは、クイーンは思うように動けません。では、マイナーピースにも活躍してもらうとしましょうか」

 

 そう言うと、坂柳はマイナーピース……ナイトとビショップを多用し始める。

 オレも対抗し、盤上では激しい攻防が繰り広げられる。

 

 堀北も、相手の司令塔も関与を使用することはない。レベルが違う、と余計な手を出せないでいる。

 

「……ふっ、ふふふ。ナイトでのディフレクションですか。やはりあなたはキングですよ。あなたさえ残っていれば勝てる、そう思っての戦術です」

「一般的な戦術だろう」

 

 ディフレクション、あるいはデコイとは駒を犠牲にして相手の駒の動きを誘導し、自らの望む盤面に誘導する戦術。サクリファイス……犠牲や生贄とも呼ばれる。

 だが、オレの思想に関わらず、チェスでは一般的な戦術だ。坂柳にここまで言われる筋合いはない。

 

 オレは坂柳の話術に嵌ることなく、果敢に残ったナイトで攻める。

 

「自らをナイトと称するのであれば、ここまで無謀な攻めはできませんよ。いい加減認めてはどうです?」

「どうだろうな。まだナイトは取られていない。そうだろ」

 

 ナイトを取れば、他の駒が効く絶妙な位置に置いている。おかげで坂柳は手が出せないでいた。

 だが、それも長くは続かない。チェスにおいて、他と比べてナイトの価値は高くない。

 オレのナイトは、クイーンによって蹂躙された。

 

 が、ようやくクイーンも隙を見せた。

 オレは苛烈に攻めたて、クイーンを追い詰める。そして、ビショップと交換でクイーンを仕留めることに成功した。

 ……が、ここまでは坂柳も計算の内。

 

「お見事です。クイーンは取られてしまいましたね」

 

 彼女はオレの陣地までポーンを進める。

 

「さきほどあなたは言いましたね。チェスの駒ならポーンになりたい、と。こういうことでしょう?」

 

 ポーンは一番奥まで進めば、好きな駒にプロモーション……昇格することができる。

 何にでもなれる。それがポーンだ。

 

 昇格先は当然、最も強力なクイーンが選ばれる。オレはついさっき取ったばかりの黒のクイーンを坂柳に手渡した。

 プロモーションは、あえて防がなかった。数手クイーンを止められるだけで十分。

 

 オレはついに坂柳をチェックメイトに追い詰めるため、駒を展開する。

 

「……」

 

 坂柳も口数が減ってきた。自らが劣勢に立っているのを理解していることだろう。

 だが、坂柳はオレの想像を超えて優秀だった。

 

 クイーンを自陣に戻し、全方位に睨みを利かせる。それだけではない。途中で展開したビショップが、ここにきて絶好の位置にいる。

 形勢が、坂柳有利に傾く。

 

「……これです。私が求めていた、全身全霊の戦い。間違いなく、私の人生で最高のモノとなっている」

 

 坂柳に逆転する手を探す。その間にも、持ち時間がじりじりと減っていく。

 

 オレは自らのクイーンを手に取り……そこで、止まった。

 考える。

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