よう実 √松下   作:レイトントン

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最終話

 真っ白な世界。

 

 服も、机も、椅子も、全てが純白に染められている。

 そんな中でオレは、目の前の少年……ホワイトルーム5期生()()()()、拓也の攻撃を片手で捌いている。

 

「くっ……そ! 清隆ァァァァ!!」

「気合いを入れるのは良いが、力みすぎだ」

 

 背後に回り込み、腕を締め上げる。

 

「ぐうっ!」

「ハイそこまで!」

 

 同じくホワイトルーム5期生()()()()で赤い髪の女、一夏の号令で、オレは手を離し距離を取る。が、それだけで拓也が止まるはずもない。すぐに振り返り、追撃を入れてくる。

 が、受けてやる義理もないのでかわし、返しの右拳が拓也の顎に入った。

 拓也の脳が揺れ、気絶する。

 

「おっと」

 

 崩れ落ちる拓也を支え、床に寝かせてやる。

 

「懲りないねー、拓也も」

「暇さえあれば襲ってくるな、コイツ。もうだいぶ慣れたが」

「本当隙がないよね、清隆様は。さすがホワイトルームの最高傑作だよ」

 

 清隆様は気持ち悪いからやめてくれ、とは何度も言ったが、一夏はやめようとしない。

 

 オレがホワイトルームに戻ってきてから、オレには3つの役割が任せられた。

 ひとつは、以前ホワイトルームにいた時と同様に、最高難度のβカリキュラムを行なっている。データの収集が目的らしい。高度育成高等学校に入学するまではいつも行っていたことなので、全く問題はない。

 

 もうひとつは、被験体でありながら研究者の補佐を行っている。鈴懸、石田、宗谷、田淵といったホワイトルームの研究者とも話すようになった。

 

 そして最後に、オレより後の世代の教師、教官役のようなこと。

 一夏や拓也、他にも下の世代のホワイトルーム生たちに様々な技能、知識を吸収させている。

 

 特に大変なのは、拓也のようにオレに敵意を持っている者ばかりだと言う点だ。

 なんでも、競争意識を高めるためにオレが叩き出したスコアを下の世代のほぼ全員に公開し、綾小路清隆のようになれ、と教育していたらしい。

 それは、恨まれるだろうなと話を聞いて思った。

 

 逆に、一夏のようにオレを崇拝する者たちも僅かながらいる。こちらは能力的に優れていない者が多く、そのほとんどが脱落してしまったらしい。一夏は例外的に極めて優秀だが、それでも拓也には劣る。

 

 オレを除けば、現ホワイトルーム生で一番優秀なのは拓也かもしれない。

 それでも、オレの相手にはならない。

 

 憎悪のホワイトルーム生は、憎悪の対象と対面することにより更にその憎しみを蓄え、崇拝のホワイトルーム生はよりオレに傾倒していく。

 疲れるな。

 

「お疲れですか、清隆様?」

「いや、大丈夫だ。一夏はどうする。何か指導してほしいことはあるか?」

「うーん……性教育とか? 実技で」

 

 一夏はオレに抱きつき、胸を押し当ててくる。

 離れろ。

 

「百年早い」

「百年経ったらあたしお婆ちゃんだよっ。熟女ってレベルじゃないよ?」

「つまり教える気はないってことだ」

「いけずぅ」

 

 オレは一夏と拓也を置いて、関係者用出入り口を通り武道場から出る。

 オレ以外のホワイトルーム生は、この出入り口を使用できない。研究者や教官といった立場の人間が利用するものだからだ。

 

「おお、清隆。また拓也と一夏か?」

「鈴懸さん。ええ、まあ。いつものことです」

「お前も大変だな。まあ、元はと言えば下の世代に清隆のスコアを目指せと教え込んだ私たちのせいなんだが……」

 

 あっはっは、と無責任に笑う鈴懸。この男、殴っても許されるのではなかろうか。

 

「お前の提案でクラス分けをしてから、ぐんと成績が伸びたやつもいる。お前も危ないんじゃないか?」

 

 ホワイトルームのシステムは、オレが戻ってから少しだけ変わった。

 高育は特殊な学校だったが、普段の授業やクラスを分けての学習は、ホワイトルームにはなかったことで、興味深い内容だった。

 オレは鈴懸たち研究者に、ホワイトルームも高育のように能力別でクラス分けを行い、上位クラスにはより難易度の高いカリキュラムを施し、本来脱落する者は下位のクラスに落ちるよう提案した。

 後から聞いた話だが、これは学習塾などでよく取り入れられる制度らしい。

 鈴懸たちは教育者の不足からはじめ難色を示したが、オレが教師役として申し分ない活躍を示すと、提案に乗った。

 

 A〜Cのクラス分けが行われたことで、脱落してもホワイトルームを去る者は減った。

 オレの同期だった雪も、こういったシステムがあればホワイトルームを去ることはなかったのかもしれない。

 

「少なくとも、ホワイトルーム生にオレが負けることは天地がひっくり返ってもありえませんから、心配には及びませんよ」

「言うじゃないか。でも実際、その通りだな。はっきり言ってお前は異常だ。ホワイトルームの成果なのか、元から才能があったのか。その判別すら俺たちにはついていない」

「どちらの要因もあると思いますがね」

「お前のレベルを量産しろ、ってのが篤臣氏の要求だが、無茶を言ってくれる」

 

 鈴懸は肩を竦める。

 彼はよくオレに話しかけてくる。高育に入学するまでは、不気味そうにオレを見るだけだったが、ここに戻ってきてからの彼は積極的にオレに関わることが増えた。

 それだけじゃない。鈴懸を含むホワイトルーム4人の研究者たちは、オレに対して強い興味を寄せている。

 面談が数時間に及ぶこともしばしばだ。

 何か心境の変化でもあったのか。いや、変わったのはオレか。

 

「すみません、オレも少し疲れたので自室に戻ります」

「ん? おお、引き留めて悪いな。ゆっくり休めよ」

 

 鈴懸と別れ、オレは自室に戻る。

 何もない部屋。千秋が色付けてくれたものは何もない、無色の部屋だ。

 

 染みの一つもないベッドに倒れ込む。

 清潔なシーツの匂いがする。

 

 ホワイトルームでの生活は、悪いものじゃない。そもそも、オレは生まれてからずっとここで暮らしてきた。

 あの1年が異常だったんだ。

 

 だというのに、あの鮮烈な日々が、頭から離れない。

 

 オレの心は、この部屋のように白かった。

 それを色付けたのが、1年間の学校生活だ。

 そして、その中心にいたのは……

 

「……後悔しているのか? オレは」

 

 かつて船上試験で櫛田に言われたことを思い出す。

『……後悔させてやる。絶対、絶対に!!』

 それを聞いてオレは、心の底から後悔することなどあるのか、疑問に思ったものだ。

 なるほど、これが後悔か。

 誰も彼もが、したくないと思うのがよく分かる。

 

 千秋に会いたい。

 今すぐこんな施設から抜け出して、学校に戻り、千秋を抱き締めたい。

 そんな衝動に駆られる。

 

 が、そんなことをしたところで、状況が変わるわけではない。あの男は千秋を狙うだろう。その周りだって同じことだ。

 

 

 ……いっそ、あの男を消すか?

 

 

 ヤツは用心深い性格だが、ホワイトルームでは無防備だ。ホワイトルームの存在を知る人間を増やしたくないので、ボディガードを連れていない。それができるのは、ヤツを慕うホワイトルーム生という肉盾に囲まれているからだ。

 

 だが、オレにとってホワイトルーム生など敵ではない。

 所詮βカリキュラムもろくにこなせない連中だ。

 あの学校の生徒たちのように、オレにない経験を持っているわけでもない。ホワイトルーム生の全ての行動は、チェスの駒の動きのように読める。

 

 頭の中が急速に冷えていくのが分かる。

 簡単だ。少し強く首を絞めるだけでいい。

 

 もし、あの男が今ホワイトルームにいるのなら、今すぐにでも。

 ベッドから立ち上がったところで——

 

『清隆くん』

 

 千秋の顔が浮かぶ。

 動きが止まり、やがてオレはベッドに座り直した。

 

 あの男を……いや、他の誰でもこの手にかけてしまえば、オレの中の千秋は笑いかけてくれなくなる。

 そんな予感がした。

 

 

 ホワイトルーム内での行動範囲は広がった。

 研究者たちや教官連中が通行するエリアにも入れるようになった。だが、閉塞感は消えない。

 一度あの広い世界を体験した後では、この箱庭がいかに狭いかよく分かる。

 

 オレを含め、拓也や一夏、その他のホワイトルーム生は極めて高い能力を持っている。一般的な高校生と比べれば破格の能力値だろう。

 だが、オレに言わせればそれだけだ。

 

 カリキュラム、食事、衣服、といった環境は全て同じ。

 ホワイトルーム生には可能性がない。あるのはただ高い能力だけだ。

 

 オレからしてみれば、能力では比べるまでもない池や山内、佐倉の方が興味深い存在だった。

 彼らには夢があった。希望があった。未来があった。

 

 龍園や坂柳、堀北といった生徒たちは、大きな可能性をその内に秘めていた。

 彼らの成長を見守り、時に助け、時に立ち塞がる。そんな生活も楽しかっただろうな。

 

 そして、そんなオレの隣には千秋がいる。

 彼女が笑いかける。

 そんなあり得たかもしれない日々を想像すると、胸の辺りが重くなる。

 

 ……千秋に会いたいという衝動は、日増しに大きくなっている。

 

「清隆様、大丈夫? 元気ないんじゃない?」

 

 一夏にそう話しかけられる。

 Aクラスは次はプールでのカリキュラムだったはずだが、まだ移動していなかったのか。

 

「大丈夫だ。次はプールだろう。一夏も早く行った方がいい」

「まだ開始までだいぶ時間はあるし、大丈夫だよ。それより、やっぱり清隆様、元気ないように見えるな」

「医務室に行くか? 目を診てもらえ」

「心配には及ばないよ。一夏ちゃんアイは全てを見通すのだ」

 

 一夏と拓也は、元々オレが渋った時のために、一つ下の学年の生徒として送り込むはずだったらしい。

 そのため、学校生活に馴染めるよう普通の学生としての教育を、ホワイトルームの稼働が停止している間に受けていたらしいが……

 この変なキャラ付けもその時受けたのだろうか。

 

 だが、他のホワイトルーム生に比べればかなり人間味を感じる。

 

「——清隆様。私が慰めてあげようか?」

 

 ぺろ、と一夏がその髪のように赤い舌を出す。

 蠱惑的な表情でオレを見る。

 よく見れば、彼女は下着を付けていないようだった。次がプールだからか。

 

「やめろ」

「言ったでしょ? 私、清隆様から受けたいなあ」

 

 一夏はオレにしなだれかかり、耳元で囁く。

 

「性教育」

 

 オレは一夏を振り解く。

 

「きゃん」

「一夏、いい加減にしないと怒るぞ」

「あはっ。見てみたいかも、清隆様が怒るところ」

「じゃあ怒らないからもう行け」

「はぁーい」

 

 じゃあねー、とぶんぶん手を振りながら一夏はプールに向かった。

 こういった一夏からのアプローチは初めてではない。何度も何度も、よくも飽きないものだ。

 

 ……千秋はどうしてるだろう。

 さすがに、もうオレのことなんて忘れて、新しい彼氏と今も頑張っているだろう。

 だとしても、オレは千秋以外の女とどうこうなるつもりはない。

 

 それでも近い将来、あの男はオレの遺伝子を残そうと、手近な女を宛てがうだろう。

 せめてそれまでは、オレは千秋のことだけを覚えていたい。

 

 カリキュラムをこなし、拓也に襲撃され、一夏に誘惑され、ホワイトルーム生を鍛え、鈴懸たちと話し、夜は何もせず眠る。そんな日々が続く。

 無機質な日々だ。新しい発見はなく、自分の記憶を掘り起こすだけの毎日。それが、ホワイトルーム再稼働までの期間を含め、2年ほど続いた。

 

 それだけ長い時間を過ごせば、高育での時間もいずれ忘れられる……そう思っていたが、間違いだった。

 

 オレの脳は、常にあの彩り溢れた日々を鮮明に思い出させる。

 自分の頭の出来が良いことを恨むことになるとはな。本当に、人生何があるか分からないものだ。

 

「清隆。お前に会わせたい人がいる」

 

 カリキュラムを終えたあと、鈴懸からそんなことを言われる。

 いよいよ、オレも種馬になる時が来たのだろうか。

 足が重いが、ここで抵抗することに意味はない。おとなしく鈴懸についていく。

 

「今日からホワイトルームに職員が一人増える。特例措置らしい。お前が補佐をしてやれ」

 

 オレにあてがわれた女ではなかったらしい。

 ……ホッとしたんだろうか、オレは。

 

「入れ」

 

 彼は入室するつもりはないらしく、腕を組んで扉を顎で指す。鈴懸に促され、部屋に入る。

 その瞬間。

 

 

 

 白い部屋が、彩られた。

 

 

 

 

「清隆くん」

 

 

 

 

 

 聞きたかった声が。

 見たかった顔が。

 会いたかった相手が、目の前にいた。

 記憶よりも髪が伸びている、少しだけ大人びた千秋が、瞳を潤ませている。

 

「千秋……」

「清隆くん!!」

 

 抱きつかれる。

 夢や幻じゃない。間違いなく、千秋はここにいる。

 

「会いたかった! ずっと会いたかったよ!!」

 

 千秋はぽろぽろと涙を流している。

 記憶よりもほんの少しだけ背が高い。でも、間違いない。オレが誰よりも求めた存在だ。

 オレも、彼女を抱き締める。

 

「オレも……会いたかった。千秋に」

 

 絞り出した言葉は、間違いなくオレの本心だった。

 

「どうしてここに、千秋が?」

「……褒めてほしいな。私たち、清隆くんがいなくても頑張ったんだよ」

 

 千秋は黒い筒を渡してくる。

『卒業証書 高度育成高等学校 Aクラス』

 ……まさか。

 

「Aクラスで卒業した、特権か?」

 

 高育に入学した皆がAクラスを求める理由。

 Aクラスで卒業すれば、進学や就職を学校が斡旋し、100%希望した進路に就かせるという特権だ。

 

 だが、おかしい。いくら高育が政府直轄の教育機関といえど、不可能はある。

 たとえば、医師免許も持ってない学生を医師にすることはできないだろう。

 ましてや、ホワイトルームは外界から隔離、隠匿された施設。就職先として認められるはずがない。

 

 ……いや、待て。

 

「坂柳理事長、か」

「……やっぱり、清隆くんは凄いね」

 

 千秋は語り始めた。

 彼女が高度育成高等学校を卒業する、少し前の話を。

 

 

 

 卒業を間近に控えた冬。

 直近の試験でBクラスに落ちはしたものの、坂柳さんのAクラスの僅か後ろでクラスポイントは競っている。

 最後の試験、勝利すれば逆転する——私たちの、Aクラスでの卒業が決まる。

 

 最後の最後までAクラス争いが縺れた、私たちの学年。事前に、Aで卒業できた時のため、希望する進路のヒアリングが行われていた。

 

「松下。お前はAクラスで卒業したら進学希望だったな」

「茶柱先生、本当にごめんなさい。アレ、嘘だったんです」

「なに?」

 

 深々と頭を下げる。茶柱先生は大きく目を見開いていた。

 

「松下、親御さんとも話し合ったはずだろう。勉強も頑張ってきた。お前の学力、能力ならどこでもやっていけるとは思うが……急に進路を変える理由はなんだ」

「綾小路清隆くん」

 

 ぴく、と茶柱先生の眉が動く。

 

「清隆くんのこと、追いかけたいんです」

 

 真っ直ぐに、先生の目を見て、私は素直な気持ちを伝えた。

 茶柱先生はその視線を真っ向から受け止めて……大きくため息を吐いた。

 

「忘れられないんだな」

「はい。清隆くんが自主退学したあの時から、片時も忘れたことはありません」

「お前はもっとドライなやつだと思っていたよ、松下」

「私も……そう思います。こんなに誰かに執着するなんて、思ってなかった。でも、彼といる時間は楽しくて、心地良くて……私、清隆くんと本当の恋人になりたいって。そう思ったんです」

「2年も経ったら、綾小路にだって新しい彼女ができているかもしれないぞ」

「その時は……略奪愛ですかね」

 

 茶柱先生は目を丸くする。

 やがて彼女は、小さく笑った。

 

「ずっと、ただ一人のことだけを愛するか……おすすめしないぞ、その生き方は。お前が思っているより、人生は残酷だ」

 

 茶柱先生にも、覚えがあるんだろうか。

 

「そうかもしれません。でも、もう決めたことですから」

「そうか。それで、希望する就職先はどこだ。総合商社か? それとも金融機関や保険会社か」

「……ホワイトルーム、です」

「ホワイト、ルーム? 聞いたことのない企業だな。どこの業界の企業だ?」

「わ……」

「わ?」

「分かりません」

 

 私がそう言った時の茶柱先生の顔は、すごく面白かった。

 

 

 茶柱先生に理事長なら知っている、と伝えると、彼女は少し考えてからしばらく待て、と私に伝えて、教室から出た。

 

 少しして、腑に落ちないといった顔で茶柱先生は戻ってくる。

 

「どういうことだ。ホワイトルームとやらに就職したい学生がいる、と伝えたら、理事長が時間を作ると言ってきた」

「それで、いつなんですか?」

「この後、すぐに会いたいとのことだ。理事長室に行け」

 

 私は茶柱先生に促され、この学校の理事長の部屋を訪ねた。

 教室とは全く違う、厳かな雰囲気の漂う部屋。

 

「来たね、松下千秋さん。どうぞ掛けてください」

 

 そう声をかけてくれたのは、白髪に眼鏡をかけた、優しそうな男性。この学校の理事長だ。

 坂柳さんのお父さんらしいけど、雰囲気はまるで違う。正直、似てないな。

 この物腰柔らかな人の娘が、あの苛烈な性格の女の子だなんて、ちょっと信じられない。

 

「失礼します」

 

 柔らかいソファに腰掛ける。

 

「聞いたよ。業界も業種も分からない、名前しか知らない企業に就職したいそうだね」

 

 棘のある言い方だ。そこは少し娘さんっぽい。

 

「はい。ホワイトルーム、という企業なのですが」

「松下さん。ホワイトルームは企業じゃないよ」

 

 ……どう口を割らせるか考えていたというのに、あっさり吐いた。

 

「やっぱり、関係者だったんですね」

「いつ気付いたんだい?」

「娘さんの口から聞いたんですよ、ホワイトルームって単語は。それを聞いた清隆くんは動揺していました。彼の過去に関わる言葉だっていうのは、すぐピンと来ました」

「なるほど、有栖が……」

「2年前有栖さんは、清隆くんのことを幼馴染のようなもの、会うのは約8年振りだとも言っていました。有栖さんは当時まだ7歳くらいのはず。清隆くんがホワイトルームという場所にいたのなら、親御さんと一緒に訪ねたと考えるのが自然ですよね」

「うん、その通りだね」

 

 理事長さんは優しい笑みを崩さないままだ。

 

「けど、清隆くんはホワイトルームにいるとは限らないんじゃないかい?」

「……かもしれませんね。でも、清隆くんは別れ際、『もう会うこともない』そう言いました。検索しても、一切情報が出てこないホワイトルーム……可能性はあると思っています」

「そうか。君の覚悟は分かった」

「なら、ホワイトルームに……」

「しかし、ホワイトルームは企業じゃない。就職先として認めることはできないかな」

 

 ……やっぱり、そうなるか。

 想定していないわけじゃなかった。いくらこの学校の権力でも、無理なことはあると分かってはいた。

 でも、ここから理事長さんを説き伏せるプランはない。ホワイトルームについて、情報が足らなすぎる。

 だから私には、頭を下げるしか方法がない。

 

「お願いします。どうしても清隆くんに会いたいんです」

「……気持ちはよく分かるよ。だけど、君の希望はこの学校で叶えられる範囲を逸脱している」

「お願い、します……」

「……済まないが、答えは同じだ」

 

 やっとここまで来たのに。

 次に勝てばAクラスで卒業できるのに。

 ここで認められなければ、清隆くんに会うことは、きっともうない。

 考えろ。目の前のこの人を納得させるだけの理由を。

 ……一か八か、理事長の不手際を突いてみるしかないかな。

 

 私が考えを巡らせていると……理事長の部屋の扉が開いた。

 

「失礼します、お父様、松下さん」

 

 杖をついた、坂柳さんだ。

 

()()()()。今は面談中だよ?」

「ええ、分かっていますよ、理事長。しかし、私も同じ用件でしたので、まとめてお話しする方がお手を煩わせないと判断しました」

「同じ、用件?」

「ええ」

 

 私が溢した言葉に、坂柳さんは笑顔で応じる。

 

「——私も、Aクラスで卒業した時にはホワイトルームへの就職を希望します」

「なっ、有栖!?」

 

 理事長は仰天し、理事長としての態度が崩れ父親の顔を覗かせる。

 思わず坂柳さんを見る。彼女は不敵な笑みを湛えたまま、私を見ている。

 

「私も綾小路くんと会いたいと思いまして。それに……モチベーションの高い相手に勝った方が面白いですから」

「……坂柳さん」

「待ちなさい、二人とも。僕はまだ……」

「お父様。綾小路くんが自主退学したのは、そもそもお父様が迂闊にも停職させられ、月城という人間を学内に入れたのが原因では?」

「うっ」

 

 さすがは娘。私が突こうと思いつつ、心象が悪化して交渉が流れたら、と思うと言えなかった弱点を、平気で突いていく。

 

「綾小路篤臣氏に対しては、財界人とパイプを繋ぎ恩を売ってあるそうですね? ならば、学生の一人くらい放り込むのは可能なのではないでしょうか。なにしろホワイトルームは極秘の施設。人手はいつも不足しているでしょうから」

「……ふう。分かったよ、有栖。松下さんも。認めよう。君たちのどちらかがAクラスで卒業すれば、ホワイトルームに職員として捩じ込もう」

 

 折れた。

 理事長が、折れてくれた。ということは……Aクラスで卒業できれば。

 

「決まりですね。松下さん、勝った方が綾小路くんに会える——シンプルで良いでしょう?」

「うん。……ありがとう、坂柳さん」

「礼には及びませんよ。私も、綾小路くんへのリベンジを心待ちにしているのですから。では、次は最後の特別試験で会いましょう。あなたたちを全力で迎え撃ちます」

 

 そうして迎えた、最後の特別試験。

 リーダーとしての才能を開花させた堀北さん。クラスを一つに纏めた平田くん。坂柳さんへのリベンジに燃える葛城くん。3年間、大きく成長したクラスメイトたち。そして清隆くんに会うため、絶対に負けられない私は、坂柳さんに挑み……勝利した。

 

 

「……せっかくAクラスで卒業したのに、オレに会うためだけにその権利を使ったのか?」

「そうだよ」

 

 私にはそれしかなかった。

 どんな企業であろうと、大学であろうと、清隆くんがそこにいないのなら意味はない。

 

「なんでわざわざ、おまえを振ったオレのために?」

「ちゃんと気付いたよ、清隆くんのメッセージ。あの時、清隆くん言ったよね。『オレたちの恋人契約(かんけい)は終わりだ』ってさ」

 

 私たちの恋人契約を終わらせる条件は、どちらかが誰かを本気で好きになること。

 清隆くんの方から契約を終わらせたってことは……本気になってくれた、そういうことだ。

 

「巻き込まないために突き放したつもりでいたが……千秋に嫌われたくなかったのかもな。我ながら中途半端な対応だ」

「でも、そのお陰でまた会えた」

「オレが本当に学校生活に飽きただけだったら、どうするつもりだったんだ」

「その時は……私を好きになってもらうために頑張るだけだよ。何度でもね」

 

 私が何気なくそう伝える。

 すると清隆くんは一瞬、きょとんとした顔を作り、そして、

 

 

 笑った。

 

 

 あの、いつも無表情の清隆くんが。

 

「こんな場所までついてくるなんてな。優秀で冷静に見えて、意外とバカだな、千秋は」

「バカは清隆くんだよ。私があのくらいで清隆くんを諦めると思ったの? どこまでも追いかけて、追いついてみせるから」

「……オレの負けだ。ありがとう、千秋」

 

 清隆くんが私にキスをしようと迫る。

 思わず私も身を乗り出そうとするけど……今はまだ、違う。

 

「ちょっと待って。清隆くん、今、私たちは恋人契約が切れた状態でしょ? 恋人でもない人に気軽にキスするのは、どうかと思うな」

「なるほど。なら、どうしようか」

「私たちの1年は、仮の恋人契約だった。だから、1からやり直そうよ、()()()()()

 

 私の意図を察したようで、清隆くんは頷いた。

 彼は私の両肩を掴む。清隆くんは、私の目を真っ直ぐに見つめる。

 

 

 

 

 

「好きだ松下。付き合ってほしい」

 

「……はい!」

 

 

 

 

 私たちの前には、今後きっとたくさんの障害が立ち塞がることになると思う。

 それでも、清隆くんとなら乗り越えて、一緒に歩いていける。

 

 私たちは白い部屋の中で、再び歩き出した。

 今度のこの関係には、きっと終わりはない。













これで「よう実 √松下」は完結となります。

約1ヶ月半、お付き合いいただきありがとうございました。
お気に入り登録、感想、評価、ここすき、しおり、誤字報告等々、読者の皆様の支援は執筆する上で非常に励みになりました。重ねて感謝を。
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