木から木へと飛び移る。
高速で移動するこの様は中々目立つかと思いきや、森の中は木が鬱蒼と生い茂っており、意外と気付かれない。そもそも、樹上を見上げて歩く生徒がいないからな。
しかし、音でどうしても違和感は覚えるらしい。生徒たちの、なんだ!? 猿か!? という困惑の叫びが背後から響く。
恐怖を与えるようで申し訳ないな。
熊や猪などの野生生物が無人島に存在するかどうかについて、教師陣は試験内容に影響するとして回答を拒否していた。この広大な無人島を管理し切るのは難しいだろう。猿がいてもおかしくはない。
野生の猿は危険だ。もし森で出会したら、目線を合わせず、落ち着いてゆっくりその場を去ることが大切だ。猿だけに。
「……寒いな」
「そう? 寧ろ暑いくらいだと思うよ?」
課題の開催地点に辿り着き、一息吐きながら呟いた言葉を後ろの天沢に拾われる。
さすがにこの程度は楽に着いてくるか。すぐに突き放しすぎると無理をして怪我をするかもしれないと抑え気味に移動してきたが、不要な心配だったな。
さて、辿り着いた先の課題は『100メートル走』。1位の報酬はポイントのみか。集まったメンツを見るに勝てそうではあったが……
オレの姿を認めた3年生が、慌てて参加申請をする様子が見られた。
南雲支配下の3年生による、課題参加枠の独占だ。
課題には参加人数に上限がある。同学年で集まり参加枠を埋め、他の生徒たちに得点を許さない狙いだ。
最後の枠がギリギリまで空いていたのは、南雲を参加させるため。しかし、オレに参加されてはその思惑も水の泡だ。だから、予備人員によって慌てて参加を締め切らせた。
課題への参加は出来なかったが、これでいい。結果として南雲が課題で得るはずだった点数を打ち消すことができた。
同じような策は2年生連合も使っている。3年は桐山率いるBクラスを支配できていないことから、数的有利はこちらにある。
また、南雲に対抗する存在として、オレや高円寺、鬼龍院といった単独故の高い機動性で課題を荒らしまくる存在もいる。現時点では、こちらに分があると考えていいだろう。
とはいえ、南雲もそれは分かっているはず。
「坂柳。F7の100メートル走だが、男子の方は3年に独占された。女子は1年の天沢が参加している。恐らく1位はあいつだろう」
『分かりました。次のエリア指定までは時間があるので、次はF8の課題を目指してください』
「F8……歴史クイズか。了解した」
テストではなく、クイズ。ということは、よりマニアックな知識や、引っ掛け問題への対応が求められるものと考えられる。
「せんぱーい! あたしの活躍見ててねー!」
トランシーバーでの通信を終えたころ、課題に参加したらしい天沢からそんな声が掛けられる。
この100メートル走のような身体能力を求められる課題の中には、男女で参加枠が分かれているものもある。女子枠はまだ天沢が参加する余地があったようだな。
さて、天沢が課題に参加している間に移動するか。
……というオレの考えを読んでいたのか、ぶっちぎりで1位を獲得した天沢はその勢いのままオレの方へ走ってくる。
「だーめ。逃がさないよ、先輩」
「走ったあとだ、少し休んだ方が良いんじゃないか?」
「あはは、全然本気出してないから大丈夫だよ。綾小路先輩なら分かってるでしょ?」
たしかに、天沢の実力から考えれば手を抜いても勝てる相手だったかもな。だが、休んだ方が良いと思ったのは、これから徐々にスピードを上げていくつもりだからだ。
天沢の力はある程度把握しているが、まだ完全とは言い難い。どの程度で音をあげるかで、今後の策の立て方も変わってくる。
「分かった。なら次だ。F8に向かおう」
「りょーかーい」
続いてF8に到着。歴史クイズは、今度は1年生たちが集まって課題の参加枠を埋めようとしていた。
学年対抗の様相を呈してきたな。
「天沢、行ってくるといい」
「良いの? 先輩が入りたければ譲るよ? 残りはあと一枠みたいだし」
「オレは今回無理にポイントを稼ぐ必要はないからな。天沢もクラスに協力する姿勢を見せた方が馴染みやすいだろ」
「別に、クラスに協力なんてする必要ないと思うけどな。正直、あそこに比べたらレベル低い人ばっかりだし」
「能力だけ見れば、そうかもな。だが、ここには白だけじゃない。さまざまな色がある。オレにとっては、白いだけのあの場所より、この学校の方がよほど面白い」
「それはまあ、同感かな」
意外にも、天沢はオレに同意を示した。ホワイトルームでカリキュラムに追われていた子どもたちとは、まるで違った価値観を彼女は持っている。
オレに対する憎悪に囚われないわけだ。
「なら、今の時間が貴重なものだってことは分かっているだろ。せっかくあの場所から出られたんだ、学校生活を楽しめ。クラスメイトと仲良くするのはその一歩だと思えばいい」
「ふふ、似合わないこと言うね、先輩」
「いいからさっさと行け」
「はぁーい」
天沢は1年生の群れに紛れていく。
オレはホワイトルームから抜け出して、この学校でさまざまなモノを得た。それを天沢にも与えてやりたいと思うのも多分その一つで、これが老婆心ってやつなのかもしれない。
しばらく、歴史クイズで回答していく天沢を眺める。ただ、今回は彼女の独走とはいかなかった。
「では次の問題です。『朕は国家なり』の言葉でも知られる『た——」
ピンポン、と回答ボタンが押された音が鳴り響く。押したのは、天沢と同じく1-Aである石上京だ。
長髪を後頭部で結んだ、鋭い目付きながら美形の男子生徒。OAAでもかなりの学力を有している男だ。
石上のOAA数値は
学力 A (95)
身体能力 D-(25)
機転思考力 B+(77)
社会貢献性 D (31)
総合力 B-(61)
1年生の中でも優秀な生徒だと言える。Aのリーダーでもあり、身体能力こそ低いが周囲に頼られている存在だということだ。
彼は澱みなく問題の解答を口にする。
「ルイ14世」
「正解です」
石上が天沢をおいてトップに躍り出ている。知識だけではない。問題文の途中で早押しし、解答を予測して答えている。クイズに精通した答え方だ。能力が高くとも、ホワイトルーム生では太刀打ちできないだろう。問題文を全て聞けば天沢が答えられない問題などないだろうが、天沢が答える前に石上が押さえつけている。
クイズの競技性まではホワイトルームでは教えられてはいないからな。天沢も石上の回答方法を見て学習し、徐々に盛り返してきてはいたが、追いつくことは叶わなかった。
結局、1位は石上のグループとなった。
「負けちゃったか。クイズってこう言うところが厄介だよね。でも次やったら勝ってみせるよ」
「天沢も、俺のやり方を見てすぐに対応したようだったな。正解は全て分かっていたようだし、OAA通りの力を持っているようだ。普段からその実力を発揮してくれるとありがたいんだがな」
「テストではちゃんと点数取ってるからいいじゃん」
「この学校で最も重要なのは特別試験だと俺は考えている。他クラスの生徒も侮れないし、天沢が協力してくれればよりAクラスの維持に近づく」
「んー、そうだな……」
天沢はちらりとこちらを見て、悪戯を思いついたように小悪魔的な笑みを浮かべた。嫌な予感しかしない。
「綾小路先輩と勝負して勝ったら考えてあげてもいいかな」
案の定、天沢は面倒なことを石上に提案していた。問題は、石上も満更ではなさそうなこと。
「2年最強の男を盾にするとはな……天沢は一筋縄ではいかないようだ。しかし、俺としてもおまえとも対戦してみたかった。綾小路」
石上の視線が、見物していた俺の方に向く。
「クイズ形式ではおまえに勝てなかっただろうな」
「それも、たった今クイズの答え方を学習するまでの話だ。違うか?」
「……もう課題は終わった。もし別の課題でぶつかることがあれば、勝負の機会はあるかもしれないが」
「そうだな、取っておくとしよう。綾小路先生の息子の実力をこの目で確かめる機会は」
石上は不敵に笑うと、グループの仲間と連れ立って次の指定エリアに向かい始めた。
さて、オレも次のエリアに向かうとするか。
「次の指定エリアは……I7か」
厄介なエリアが指定されたものだ。
前の指定エリア、F7からは2マスより離れていることから、これが1日1回起こるというランダム指定であることが分かる。
大幅に離れた地点でなかったのは幸いだが、I7地点は現在地であるF8からだと最短距離を移動するには山を越えなければならない。それ以外のルートだと、かなり大回りになるだろう。時間内に到着できるか怪しいような距離だ。おそらく、オレと同じテーブルの生徒の多くはスルーを行うことだろう。
逆にいえば、着順報酬を得るチャンスでもある。
オレも無理をしてポイントを手に入れる必要のある立場ではないが……南雲との勝負もある。ここは山越えを行うとするか。
そうすると、オレも移動に多少は本腰を入れる必要がある。天沢は邪魔だ。
「天沢。オレは指定エリアを最短距離で目指す。ここで別れるぞ」
「えー。あたしも行くつもりなんだけど?」
「足を引っ張られても困る」
「……着いてこれるなら構わないが、怪我をしてもオレは助けない。リタイアしたくなければ大人しく別行動しておけ」
「あたしがあの程度の山を越えられないと思ってる?」
「ホワイトルーム生なら、あのくらいは余裕だろうな。だが、オレに着いてこようとすれば無理をすることになる。悪いことは言わないからやめておけ」
「……ちぇーっ。分かった、分かりました。またね、先輩」
天沢は大人しくオレの言うことに従った。自分よりもオレの意見が優れているということがよく分かっている。
オレは天沢を置いてI7へ向かう。険峻な山が行手を阻んではいるが、足手纏いのいない単独であればなんら問題はない。
この試験では服装規定は学校指定のジャージを使うことくらいしかない。あらかじめ、靴はトレッキングシューズを着用している。試験用のアイテムも山登りに堪えるだけのものを用意してある。山を越えるのに、問題は起こらなかった。
◆
I7には問題なく到着した。同じような位置にいた同テーブルの生徒たちは、やはりまだ1人もI7に到着してはいなかった。着順報酬の11点を獲得する。これでオレは53点。
加えて、山を挟んでこちら側にいる生徒は極めて少ない。課題……特に『競争』の課題は漁り放題だ。あれは参加枠が埋まるのを待つ必要のない課題だからな。
余裕を持って競争の課題を目指していたのだが……
「おや? 綾小路ボーイじゃないか。奇遇だねぇ」
手に入れた水のペットボトルを開け、贅沢に水を被る上裸の高円寺がそこにはいた。
「高円寺もこちら側の指定エリアだったのか?」
「ふふふ、山登りも中々面白いものだったよ。君も楽しめたんじゃないか?」
どうやら高円寺もオレと同じように山越えを果たしていたらしい。
「まあな。それにしても、さすがだな高円寺は。水をそんな風に使ってるやつは他に見なかった」
「大したことじゃない。汗塗れなのは不愉快だからね。それに、ティーチャーたちの元にいち早く辿り着けば、水などいくらでも手に入る。文字通り浴びるほどにねぇ」
オレも先生から水を受け取りながら、高円寺の様子を確認する。リュックサックは大きく膨らんでおり、十分な物資を確保しているのが伺える。
「どうだ? 単独で1位は獲れそうか?」
「君たちが裏でこそこそと動き回っているのは知っているとも。それでも、私にとっては障害とはなり得ない」
「そうか……高円寺は今、何点得ているんだ?」
「気になるかい? 君は今回の試験、本格的には参戦していないものと思っていたがね」
……恐れ入るな。
今回の試験、高円寺とはろくに接触していない。加え、単独で動く彼にはオレの動向を把握する手段はなかったはず。
オレの様子を見た上での、恐るべき動物的直感。そう考える他ないだろう。
「しかし、教えてほしいというならそれに応えてあげよう。現在は……64点だ」
「そうか。オレは71ポイントだ」
嘘だ。
高円寺を揺さぶるため。また、現時点とはいえ自分を上回る成績を収める者に対するリアクションを見るためのもの。しかし、高円寺はあっさりとオレの嘘を看破する。
「君はポーカーフェイスの極みのような男だが、それが私に通じるとは思わないことだ。レディの嘘なら許すが、私を不愉快にさせたくなければ下手な揺さぶりは控えることだねぇ」
では失礼するよ、と高円寺は去年の無人島試験のように、樹上に跳び上がり姿を消した。
凄まじい男だ。同時に興味深い。
が、今は高円寺のことは良い。オレは高円寺とは逆方向の課題へ向かう。まだあいつの妨害をする必要はない。それは南雲の役目だ。
プライドの高い南雲は、自分たちのグループが1位になると疑っていない。支配下クラスの便乗カードは全て自分のグループを指定させているはず。
当然、1位を目指すグループは邪魔となる。単独で得点を重ね続けている高円寺を狙うのも時間の問題だ。
オレが高円寺を抑えるのは、南雲が機能しなくなった時でいい。
その後も課題で稼ぎ続ける。しかし、2時間も経つ頃には山の反対側にも生徒たちの姿が増え始める。
「あ、清隆くん!」
近くに課題もなく、次の指定エリア更新がそろそろであるため一息ついていたところ、偶然に……本当に偶然に、千秋たちと出会う。
別に遠目で千秋の姿を見つけていたから、移動先と思われる川辺で休憩していたわけではない。
「千秋。軽井沢に森も」
「お疲れー、綾小路くん」
「お疲れ様」
三人はオレの近くで腰を下ろすと、川の水にタオルを浸し首に巻くなどして、この暑さで火照った体を冷ましていく。
「三人とも、試験は順調か?」
「まあ、ぼちぼちかな。清隆くんは?」
「そうだな……1年の天沢や石上と会ったり、さっきは高円寺に会ったりした。高円寺は既に64点を獲得しているらしい」
「ええっ!? そんなに!?」
「やばいね、高円寺くん」
「本気で単独1位もあり得るかもな」
三人にそれぞれ、課題で得た物資を渡すと大層喜ばれた。
「水も食料もこんなに……良いの、綾小路くん?」
「構わない。余っているからな」
「さっすが。……じゃ、あたしたちは向こうで休んでるからさ。2人ともごゆっくり」
軽井沢が気を利かせて、森と一緒に離れた木陰に移動する。ナイスだ。
「千秋、直接会うのはおととい以来だな」
「うん。今まで毎日会ってたからね。たった1日空いただけとはいえ、変な感じだった」
「それは寂しかった、ってことじゃないか?」
「そうかもね。でも、私がそう思ってると考えたってことは、清隆くんもそうだったんじゃない?」
……これは、してやられたな。変な感じ、なんて妙な言い回しをしたのはわざとか。
「まあな」
「ふふっ。昨日の夜にトランシーバーで話した時、理由を付けて会おうとしてくれたからね。嬉しかったよ」
「そこまでバレてたか」
「バレバレだよ。清隆くんも完璧じゃないってこと」
つんつん、と頬を人差し指で突かれる。落ち度を指摘されたというのに、悪い気はしない。
しかし、バレていたなら隠す意味もないな。
「試験中も定期的に会いに行っていいか?」
「……も、もちろんだよ。清隆くんなら、試験に支障がない程度に私に会いに来るのも簡単だよね?」
「ああ。そこは任せてくれ。課題で得た土産も持って行こう」
「それなら、楽しみにしておこうかな」
千秋はよーし、と伸びをすると、ジャージの裾を捲り、靴と靴下を脱ぎ始めた。
「日差しもキツくて暑いことだし、川に入ろうよ。足下が冷たくて気持ちいいよ」
「なるほど。悪くないな」
「あーあ。水着借りてれば披露できたのにな」
「そうか……それは惜しいことをしたな。オレが水や食糧を確保すると強調すれば、水着を見れたかもしれないのか」
後悔先に立たず、というやつか。
……思えば、もしかして今オレは人生で初めて後悔をしたのかもしれない。
去年の夏、今は亡き櫛田に後悔させてやる、と言われた時はオレが後悔することはあるのかと思ったものだが、まさか千秋の水着が見れないことが初めての後悔になるとは……
人生というのは分からないものだ。