須藤くんが暴力沙汰を起こした。そんな話を茶柱先生から伝えられたのが、ポイント振込予定日である7月1日の翌日。
7月1日は、ある事情でポイントの振り込みが遅れている、と通達され、クラスメイトたちは口々に不満を漏らしていた。ここ数ヶ月、追加のポイントなしで生活していた私たちDクラスにとって、僅かであってもポイントは喉から手が出るほどほしいもの。
ついに0ポイントから抜け出し、87というクラスポイントを手にした私たちは、8700ポイントを振り込まれる予定だったんだけど……
須藤くんがCクラスの生徒と起こしたいざこざによって、保留となってしまっている。
「また須藤くん? 足引っ張り過ぎじゃない?」
「中間テストの時退学しておけばよかったのに」
そんな陰口が叩かれているのが、薄らと聞こえてくる。気持ちは分かる。
だけど、須藤くんは自らの無罪を主張していた。Cクラス側が3人がかりで襲いかかってきた。それを返り討ちにしたと。
対して、Cクラスの生徒は、須藤くんに呼び出され、一方的に殴られた、と主張しているらしい。
矛盾している。それはつまり、どちらかが嘘を付いている、ということだ。
このクラスとしては、須藤くんの言が真ならありがたい。けど、須藤くんの普段の素行を鑑みると、気に入らないことがあったから、Cクラスの生徒を呼び出して殴った。そんなことをしでかさないとは、口が裂けても言えない。
……とはいえ、なんとかしないと、今月も0ポイント生活を続けなければならなくなってしまう。それは避けたい。たとえ須藤くんの言葉が嘘だったとしても、Cクラスの主張を捩じ伏せる必要がある。
私は、頼れる彼氏くんに視線を送る。彼はいつも通り、気怠げな瞳で頷いた。
……そんな中。
「君は退学しておいた方が良かったんじゃないかな? レッドヘアーくん。君の存在は美しくない。むしろ、醜いといっていい」
クラスの中でも1番の奇人、高円寺六助くんが、お気に入りの手鏡で髪を整えながら、そう呟いた。
須藤くんの方を見ているわけじゃない。けど、明らかにそれは須藤くんに向けられたものだった。
「なんだと? もう一度言ってみろよ、高円寺」
須藤くんは、椅子を倒すほど荒々しく立ち上がる。
一触即発。そんな雰囲気の中、声を上げたのは平田くんだった。
「須藤くん、落ち着いて。高円寺くんも、須藤くんを責めるのはやめるんだ」
「残念ながら、私は自らの意見を曲げるつもりはないよ」
「上等だ。ぶっ飛ばしてやるから表に出ろよ」
平田くんでも、2人を止めることはできない。クラスでも大柄で筋肉質な2人の険悪な雰囲気に、周囲は萎縮してしまっている。
しかし、そこにもう1人、この諍いを止めようと立ち上がる生徒がいた。
「須藤、平田の言う通りだ。ちょっと落ち着け」
綾小路くんが、須藤くんの肩に手を置いた。
「先に煽ってきたのはアイツだろうが!」
「そうだな。だが、あんな安い挑発に乗るのは、須藤にも罪悪感があるからじゃないか?」
「なに?」
須藤くんは、綾小路くんの方に向き直る。
ひとまず、高円寺くんから意識を逸らさせることには成功した。さすが、私の彼氏くんだ。
「どういう意味だよ」
「簡単なことだ。今回、みすみすCクラスの連中の罠にかかり、騒動に巻き込まれた。確かに、お前は被害者なのかもしれない。だが、自分が迂闊じゃなかったと言い切れるか?」
「それは……でも、仕掛けてきたのはあいつらだ」
「そうかもな。だが、お前がもっと注意深ければ、容易に避けられたトラブルだ。お前もそれを自覚しているから、高円寺の安い挑発に乗ってしまったんだろう」
思い当たる節があったのか、須藤くんは気まずそうに綾小路くんから目を逸らす。
だけど、綾小路くんは言葉の追撃を緩めない。
「今回の暴力沙汰も、高円寺の挑発に乗ったのも、結局は同じことが原因だ。普段の素行の悪さ。そして怒りに身を任せ、後のことを考えない。それらが招いた事態だ。須藤、もっと自分の感情をコントロールしろ。怒りに囚われて簡単に目の前が見えなくなるようじゃ、バスケットでもそれはお前の弱点になるぞ」
「……っ、わーった、悪かったよ。平田、それに皆も、悪い。俺がウカツだった」
自分自身が大切にしているバスケットを引き合いに出されたからか。それとも、綾小路くんの言葉が単純に響いたのか。どちらかは分からないけど、須藤くんは自分の非を認め、頭を下げた。
彼は今確かに、一歩成長した。
「俺から喧嘩を吹っかけたりなんて、マジでやってねえ。けど、Cクラスの連中の挑発に乗ったのは、俺が馬鹿だったからだ。すまねえ。出来たら、助けて欲しい。頼む」
「もちろんだよ、須藤くん! 皆も、須藤くんの冤罪を晴らすために、協力してほしい!」
平田くんからの呼びかけに、クラスメイトたちは各々、賛同の声を上げる。もちろん、須藤くんのことをまだよく思ってない人は多いはず。それでもクラスの大半が協力的な姿勢に傾いたのは、やっぱり須藤くん自身の誠実な言葉が大きかったんだと思う。
まだ、実際に改善が見られたわけじゃない。
ゲイン効果。いわゆる不良が雨に降られた犬を拾うと良い人に見えるというような、普段とのギャップにより、良い面が心に残りやすくなっているに過ぎない。
それでも、須藤くんがこれから、今の反省通り成長してくれれば、大きな戦力になるだろう。
……綾小路くんの期待通りに。
須藤くんが「喧嘩の現場に人の気配がした気がする」と発言したことにより、その場は事件の目撃者探しに注力する、ということで解散となった。私は早速、綾小路くんの元に駆け寄る。
「お疲れ様。大変だったね、須藤くんのフォロー。これで少しは行動を改めてくれるかな?」
「そうなれば万々歳だが、まあほどほどに期待しておく。……それは置いておくとして、早速事件の手がかりを探しに行くとするか」
「目星は付いてるの?」
「いいや。だが、皆は目撃者を探してくれているみたいだし、オレは別の方向から攻めてみようと思う」
「っていうと?」
「一度現場を見に行ってみる。当時どんな状況だったのか知りたいしな」
「同意見ね。私も同行していいかしら。……お邪魔じゃなければだけど」
話に割り込んできたのは、綾小路くんの隣の席で聞き耳を立てていたらしい堀北さんだった。
過去問の件以降、綾小路くんの実力を認め始めているみたいで、前にも増して彼と話している姿を見かける気がする。
カップルに同行したい、なんて言い出すあたり、彼女も綾小路くんと同様にコミュニケーションに難がある。けど、今くらいは構わないか。デートはいつでもできるし、優先すべきは須藤くんの疑いを晴らすこと。
私は大人なのだ。
「私は構わないよ。綾小路くんは?」
「オレもだ。じゃあ、特別棟に向かうとしよう」
私、綾小路くん、堀北さんという並びで歩く。堀北さんとは、ほとんど話したことがない。クラスで堀北さんとまともに会話をするのは綾小路くんだけで、それ以外の人を見下している節があったからだ。
だけど、彼女の能力自体は相当に高い。勉強はクラスに留まらず、学年でもトップクラス。容姿端麗で、水泳や普段の体育の授業を見る限りでは運動能力も高水準。
私も自分の能力には自信がある方だけど、個人の能力ではとても敵わない。コミュニケーション能力を含めたら五分五分、って言えたらいいなーと思うくらいだ。
Aクラスに上がりたいというモチベーションも強く持っているみたいだし、どこか親近感と、それゆえの嫌悪感……までは言い過ぎだけど、もやっとした感情もないことはない。
多分、向こうは向こうで、私にはもやっとした何かを抱えているだろうとは思うけどね。
「堀北さん、ちゃんと話すの初めてだよね? 私の名前分かる?」
「松下千秋さん。さすがに何ヶ月も同じ教室に居れば、名前くらいは覚えるわ」
やっぱり刺々しい。友達ができないのも納得だ。
ほぼ初対面……というのはおかしいけど、ほぼ初めて会話する人間にこの態度。綾小路くんもちょっと引いてるように見える。
「さすがだね。私の方も、堀北さんのことはちゃんと覚えているよ。綾小路くんがよくお世話になってるからね」
「別に世話にはなってない。むしろこき使われて困ってる」
「こんなこと言ってるけど、堀北さんは綾小路くんの数少ない友達の1人だからさ。遠慮なく使っちゃってよ」
「こら。勝手に彼氏を安売りするな」
「カップル仲が良さそうでなによりだわ。そうね、松下さんの言葉に甘えることにする。綾小路くんは、Aクラスに上がるために必要な人材だと、最近思い始めてきたの。さっきの須藤くんへの叱責。私も同じことを感じていたわ」
あの場面で上手く須藤くんを宥め、なおかつ彼の欠点を指摘した。それでいて彼に逆上されることなく場を納めた綾小路くんの手腕を、堀北さんも認めざるを得ないみたい。
「まあ、誰もが思ってただろ。指摘するには丁度いい時期だと思っただけだ。周りの不満も溜まっていたしな」
「須藤くんが冷静さを失っていた、あのタイミングが丁度いい? 大物ね」
「綾小路くんは須藤くんを止められる自信があったってこと?」
私は、少し前の堀北生徒会長を止めた綾小路くんの動きを思い出していた。多分、堀北さんも同様じゃないだろうか。
「いや、そういうわけじゃない。オレなんかじゃ須藤に吹っ飛ばされて終わりだ」
堀北さんがじとっとした目で綾小路くんを睨む。そりゃ、あの場面を見ていた彼女からしたらどの口で言ってるんだ、って感じだよね。
綾小路くんは、私があの場にいたのを堀北さんに悟られないように惚けているだけだ。
「だが、言葉で止める算段はついていた。須藤は高円寺の煽りでキレたが、アレはきっかけに過ぎない。須藤が溜めていたフラストレーション、その大半は自分を責める周囲の態度からくるものだったはずだ」
確かに須藤くんは、自分は悪くない、相手が仕掛けてきたんだ。ずっとそう主張していた。
ただしクラス内のほとんどの生徒はそれを信じていなかったし、小声ではあるけど目の前で陰口を叩くような生徒もいた。自分に向けた悪意が渦巻いているのが、須藤くんにはひしひしと感じられたはずだ。
「だから、オレは須藤の主張『仕掛けてきたのはCクラスだった』ということは全面的に肯定し、前提条件として扱った。その時点で須藤にはオレのことが、他の生徒よりも自分の話をちゃんと聞いてくれる生徒だと映ったはずだ。平田も須藤のことは信じていたみたいだがな」
「平田くんのこと苦手そうだもんね、須藤くんは」
「だが、須藤も自分のしたことには負い目があったようだったから、そこを突いた。ポイントが振り込まれないのは須藤自身嫌だったろうし、向こうから襲ってきたとはいえ殴ったのは事実みたいだからな」
結果、須藤くんも自分の非を認めるに至ったわけだ。
堀北さんも納得したみたいで、それからしばらくは言葉を発することはなかった。
やがて、事件現場である特別棟に辿り着く。
放課後は生徒の立ち入りもほとんどないから、クーラーが切られているので、7月に入った今は非常に蒸し暑い。綾小路くんがいなければ胸元をはだけてパタパタ仰ぎたいくらいだ。
……彼氏だし、別にやってもいいかな?
「悪いな、2人とも。こんなところに付き合わせて」
「別に問題ないよ」
私も堀北さんも、自分から付いてきたわけだしね。
「須藤の話によると、呼び出されたのは2階の廊下……あの辺りか」
須藤くんに聞いた話を元に、現場の様子を探る。
殺人現場ってわけじゃないから、血痕みたいな分かりやすい手掛かりは残ってはなさそうだ。殴られて血は出ても、精々鼻血が何滴か垂れた程度だろうし。
窓ガラスとかが割れた様子もない。床を眺めていると、短い赤い髪の毛を見つけた。誰のかは分かりきってるから、触れる気にはなれなかった。ちょいちょい、と綾小路くんを呼び寄せる。
「須藤がここにいたことは間違いないみたいだな」
その後も素人目線で調査を続けるけど、手掛かりになりそうなものは見つからない。せいぜい、目撃者が当時いただろう隠れやすい場所を幾つかピックアップできた程度だ。
「特別棟にも監視カメラがあればな」
「教室に付いてるやつね。そう上手くはいかないかあ」
「……」
私と綾小路くんの益体もないやり取り。しかし、堀北さんはハッとした表情で何かを考え込んでいる。
「……なに、堀北さんに何かヒントでもあげたの?」
「さあ、どうだろうな」
綾小路くんはそんな風に惚けてみせる。
なんか、彼女の私より堀北さんのことを信頼してない?
まあ、本当の彼女ではないんだけどさ……もうちょっとこう、あるでしょ?
なんて不満顔を露わにしてみる。けど、綾小路くんは私と全然別の方向を向いていた。
「……あれは……佐倉か?」
「え?」
綾小路くんの視線の先に、クラスメイトがいたらしい。私もそちらを向いてみたけど、それらしい人影はなかった。
「逃げた」
「佐倉さんも事件現場を見にきた……わけじゃないよねえ」
佐倉さんはそんなタイプには見えない。
いつもおとなしめで、声も小さく猫背な子だ。顔はよく見ると凄く可愛いし、胸もとんでもなく大きいのに、自分に自信がない。一体どんな環境で過ごしてきたんだろう。ちょっと闇を感じる。
「佐倉さんがいたの?」
堀北さんが、この話題に食いついてきた。堀北さんと佐倉さんが仲がいい、なんて話は聞いたこともないし、まずあり得ないと思う。それくらい性格に差がある。彼女について、何か思うことがあるのだろうか。
「ああ。こっちを見るなり逃げたみたいだけどな」
「そう……やっぱり」
堀北さんは、何かを確信したように一人納得する。
私と綾小路くんの視線に気付いたのか、彼女は少し迷って、自分の考えを口にした。
「恐らくだけど、目撃者は佐倉さんよ」
「根拠は?」
思わずそう聞いてしまう。少し強い口調だったかもしれない。
堀北さんは気にせず話を続ける。
「事件の目撃者を探す前に、櫛田さんからクラスメイト全員に呼びかけがあったわよね。目撃者がいたら名乗り出てほしいと。その時、佐倉さんだけが目を伏せていた」
佐倉さんが目を伏せていた?
全然気が付かなかった。
もちろん、堀北さんは1番後ろの席、私は前の方の席という席順によるものもあると思う。けどあの一瞬で、クラスメイトたちの様子をそこまで事細かく把握することが、私にできただろうか?
「それに、彼女の性格上、事件現場に近づくことなんて本来ならしないはず。自分が目撃者なのに、その性格から名乗り出ることができなかった。その罪悪感に押し潰されそうで、何ができるわけでもないのに事件現場に戻ってきてしまった。そんなところじゃないかしら」
堀北さんの推論を聞いて、どこか腑に落ちている自分がいることに気付いた。
そして同時に、自覚する。
私は、堀北さんに嫉妬していると。