楽しかった夏休みも終わりを迎える。
豪華客船が港に到着し、そこからバスでの長い移動を終えたころ、大抵の生徒たちは疲労困憊の様子で、バスからはすやすやと寝息がそこら中から聞こえてきていた。
豪華客船では自由行動とはいえ、オレたちも遊び盛りの高校生。体を休めるという選択肢よりも長期休暇を優雅に満喫する選択肢が上回ったようだ。
隣に座る洋介も眠ってしまっている。恐らく、今バスで起きているのはオレだけだろう。
「眠れないのか、綾小路」
生徒たちの様子を見て回っていたらしい茶柱先生から、小声で話しかけられる。
「体力的には問題ありませんので、寮に帰ってから眠ることにします。バスから見える景色は、この学校では中々見る機会もありませんから。眠ることはいつでもできますからね」
「バスからの景色、か。確かに、おまえたちは卒業まで好きにバスに乗ることもできないからな。楽しめる時に楽しむのは正解だろう」
やはり、茶柱先生……学校側の人間といえど、オレの家庭環境をこと細かに把握しているわけではないようだ。あの男のことくらいは知っているようだったが、ホワイトルームについて知っているのは坂柳の父親くらいのものと考えて良さそうだな。
「それにしても、いつでも寝れるとは羨ましい発言だな。若者の特権だろう。大人になるとそうもいかなくなる」
「茶柱先生だってお若いじゃないですか」
「はは、世辞が上手いな。だがおまえたちとは一回り程度は離れている。私がこの学校の生徒だったのも、もう10年ほども前の話か」
懐かしむように、視線を遠くにやる茶柱先生。その横顔には、どこか哀愁を漂わせている。
「先生はこの学校のOGだったんですね」
「言っていなかったか? まあ、おまえたちと違い、そう出来は良くなかったがな。Aクラスで卒業する資格を得ることができなかった」
「だからですか? オレたちがAクラスに上がるのを望んでいたのは」
「……何もかもお見通しか」
茶柱先生は自嘲する。
クラス競争に興味のなさそうな顔をして、その実、1年生の時、オレたちの成果に最も喜んでいたのはこの茶柱先生だったろう。
「今回クラス順位を落としはしたが、最早おまえたちが再浮上できない姿が思い浮かばんよ。もちろん、私も担任教師としてできる範疇で協力するつもりではいるがな」
「買い被りすぎではないですか? 負ける可能性なんていくらでもあります」
「そうかもしれん。今回のように勝てないことはあるだろう。だが、最後にAにいることが重要なんだ。それだけの力がおまえたちにはあると実感した」
茶柱先生は先ほどから、『おまえたち』と口にしている。オレだけを大きく見ていたように思っていたが、どういった心境の変化だろうか。
他の生徒たちもいる中でオレ一人を賞賛することが教師としては不適切なことはその通りだが、生徒たちは眠っており、また茶柱先生は教師としてそのような規範を守る水準に達しているようには思えない。
「オレたち全員に、ですか」
「ああ。無論、OAAにもあるように能力値に差があるのは認めよう。おまえたちの入学時、我々は不良品と称されるDクラスだった。そう考えれば、今のBクラスという立ち位置すら不相応に思える生徒もいるかもしれない。だが、立場が人を作るという言葉もある。一度Aクラスに上がったことで、各々自覚が出てきた」
幸村なんかは、その筆頭かもしれない。それ以外でも、Aクラスに上がった時の達成感を思い出し、努力している生徒は多い。
「このクラスはAクラスに相応しい実力を備えつつある。私はそう思っている」
「1年生の5月には散々言われたのに、変な気分ですよ。さすがに不良品のクズは言い過ぎでは?」
「悪かったと思っているが、一部の生徒の意識は言われるだけのものだった。今とは比べるべくもない」
今だから笑って話せるが、当時はショックを受けた生徒も多かっただろう。茶柱先生もまだまだ未熟ということだ。
「おまえたちなら次の特別試験も必ず乗り越えられる。期待しているぞ」
「もう次の特別試験について、先生方には通達が来ているんですね。内容を教えてくださいよ」
「こら」
ペシ、と持っていた点呼用のリストを挟んだバインダーで頭を叩かれる。しかし、その表情は柔らかい。こんなじゃれあいは入学当初ではまず成立しなかったはずだ。
少しずつではあるが、茶柱先生も良い教師たろうと頑張っているのかもしれないな。
◆
夏休みが終わり、2学期初日のこと。
茶柱先生から2学期の過密なスケジュールを通達される。
去年とは異なるルールで開催される体育祭。また月城の置き土産か、高育で初となる文化祭の実施。その間には中間、期末試験もあるとのこと。
そして、茶柱先生より文化祭の概要が発表される。
・各クラスに文化祭の準備のみで使用できるプライベートポイントがひとり5000ポイント与えられる。(1年生は5500、3年生は4500ポイント)通常のプライベートポイントを準備に使用するのは禁止。
・生徒会奉仕などの社会貢献、部活動での活躍などにより追加資金が与えられる。
・全学年、最終売上で順位を競う。
1〜4位はクラスポイント+100
5〜8位はクラスポイント+50
9〜12位はクラスポイント変動なし
「文化祭か。初めての体験だ」
「中学と高校だと、予算も時間も段違いだと思うよ。開催側としては皆初めてみたいなものじゃないかな」
「先生、生徒は文化祭の客側として参加できないんですか」
「プレオープンが前日にある。生徒が客となるのはそこだけだな。本番は来賓から得たプライベートポイントのみ売上と認められる」
それは楽しみだ。千秋と回らせてもらうとしよう。他のクラスの様子も見れることだしな。
ホームルームの自由時間になると、堀北と洋介が教壇に立ち、クラスメイトたちに通達する。文化祭の出し物はプレゼンによって決めたい。企画書を持ってきてくれればそれを精査し、通った場合それなりの報酬が出る、と。
準備は自費でする、との事だったが、思いの外クラスメイトたちには熱量があった。
本堂が唐揚げ店の企画書を持っていくも、クオリティが低く弾かれる。しかし、本堂本人含めて誰もめげることはなく、1週間以上に渡り堀北に企画書を提出し続けた。
時にオレに企画書を見てもらいたい、と持ってくる生徒もいた。文化祭の出し物について詳しくはないが、利益の出なそうなものに関しては、堀北は認めないだろうと全て弾いた。しかし、肩を落としはしても納得している様子ではある。
楽しそうではあるが、クラスポイントを得られる機会。皆、勝ちに行きたいという思いは同じだった。
それはそれとして、自分の理想の出し物ができたら嬉しいと考えるのを否定する気にはなれない。好きなことをして勝てたら、それ以上のことはないだろう。
今日もクラスメイトたちの熱量に押される堀北を眺めていると、つんつん、と肩を突かれる。
「千秋?」
「清隆くん。今日、私たち堀北さんにアタックするから。清隆くんも来てよ」
「分かった」
千秋が、みーちゃんや前園、佐藤と組んで何かしているのは知っていた。だが、その詳細までを聞くことはしなかった。
ぜひサプライズの成果を見てみたいところだ。
佐藤に声を掛けられる堀北が、こちらを見る。千秋が手を振ると、堀北も控えめに手を振り返した。
「おまえたち、そんなに仲が良かったか?」
「夏休み中は一緒にお茶したりしてたよ。堀北さん丸くなったから、こっちから話しかけやすくなったんだよね。皆がこぞってプレゼンしに行けるのも、堀北さんの雰囲気が柔らかくなったからじゃないかな」
「そうか。リーダーとして喜ばしい成長だな」
堀北がぎろり、と睨んでくる。この距離で聞こえていたわけじゃあるまいし、オレが何かしら揶揄うようなことを言ったのを感じ取ったのだろう。勘が冴え渡っているようだ。
というか、オレに対しては丸くなってないんじゃないのか、これ。
「じゃ、30分後に堀北さんと一緒に特別棟の空き教室に来てね」
「特別棟の空き教室か……」
千秋は3人を連れて、教室を出て行った。一方でオレも堀北と合流する。
「実演形式でのプレゼンということみたい。松下さんもいるし、期待できるわね。綾小路くんは松下さんから話を聞いているの?」
「いいや、オレにも秘密で進めていた。オレも楽しみにしている」
「そう。彼氏を驚かせようというのだから、良いものが見れそうね」
堀北と話しながら、指定された特別棟へ向かう。空き教室の扉の前には前園が立っており、周囲の見張りを行っていた。本格的だな。堀北の期待もどんどん高まっているように見える。
「ここからは実践形式で体験してみて欲しいんだよね。あ、良かったら綾小路くんが扉開けてよ」
「ん? ああ、分かった」
前園からそんな提案を受け、断る理由もないのでその通りにする。
ガラ、と特別教室の扉を開けると、カラフルな内装が目に飛び込んでくる。そして、
「いらっしゃいませ〜、メイド喫茶Maimaiでーす!」
チャイナ服のみーちゃん、そしてメイド服の佐藤と千秋が出迎えてくれた。
千秋のメイド服に目が行く。長いスカートの黒いワンピースの上から純白のエプロンを重ねており、手には白手袋、頭にはカチューシャを着用している。
「ど、どうかな?」
少し照れているのか、僅かに頬を紅潮させている千秋がおずおずと聞いてくる。
うむ。
「採用」
親指を立てると、ペシ、と後ろから堀北に頭を叩かれた。
「……思わずツッコんでしまったけれど、たしかにクオリティは相当に高そうね。経費はどんなものかしら」
「ええと……こうなっています。諸々を企画書にまとめているので、確認してください」
みーちゃんがクリアファイルに入れてあった企画書を取り出し、堀北に渡している。それを読み込む堀北をよそに、オレは改めて千秋のメイド姿を見せてもらっていた。
「よく似合っている。綺麗だぞ、千秋」
「う、うん。ありがと」
褒められて興が乗ったのか、千秋はその場でくるりと回ってお辞儀して見せる。完璧な仕草だ。拍手を送ってやる。
「……うん。今まで見た企画書の中でも飛び抜けた完成度ね。第一候補とさせてもらいたいわ。このまま準備を続けてもらって構わないかしら。もちろん、経費が削減できそうならそうして頂戴」
堀北も太鼓判を押す出来栄えだったようだ。まあ、これ以上のものを作れる生徒も、ウチのクラスにそうはいないだろうからな。洋介は今回サポートに回るつもりのようだし、高円寺が自ら企画書を作ってくる姿を想像できない。
あいつは卒業してすぐに企画書を受け取る側の立場になるだろうしな。
堀北と一緒に廊下に出る。
「あら、松下さんのメイド服をもっと味わっておかなくていいの?」
「それも大切だが、堀北の指揮の方向性が気になってな。あっさり決めて良かったのか?」
「ええ。あのクオリティの企画書を持って来れる人は多分いないと思うし、複数出店も認められているわ。工夫で予算を抑えてくれているようだし、新たな候補が出るようなら2店目として出店すればいいだけよ。それに、かなり勝算のある案だと思ったから」
それは確かにその通りだな。
他クラスが同じくメイド喫茶を被せてきたとしても、クオリティで捩じ伏せればいい。千秋を筆頭に、それだけの人材がウチのクラスにはいる。
「ついでに、松下さんの彼氏のあなたにはメイド喫茶のサポートに回ってもらうとしようかしら。まさか、彼女のために働くことができないなんて言わないわよね?」
「もちろんだ。追加の従業員の人選に教育、宣伝広告に予算管理等、マネジメントは全面的に任せてもらおう」
「あなたがそんなに協力的だと気持ち悪いわね……」
「おいコラ」
「冗談よ。よろしくお願いするわ」
こうしてオレはメイド喫茶のマネジメントを任されることとなった。既に形になっている上、千秋のことを信頼しているとのことで、堀北は他の出し物に集中したいらしい。
しかし、あいつも口が上手くなったものだな。オレが千秋を引き合いに出されては拒否できないということをしっかり理解できている。
そんなことを考えながら歩いていると、つい先ほども見かけた人影に目が行く。彼女はオレに気付くとこちらに歩み寄ってきた。
「……綾小路。佐藤たちのプレゼンを受けていたのか?」
「茶柱先生。はい、堀北も乗り気でした。オレも費用や人材の管理を任されることになりましたよ」
「それはまた、面白いことを任されたものだ」
「まあ、千秋がメイドになるということなら、オレがやらないわけにはいきませんからね」
「ふふ、彼氏は大変だな。頑張れよ、メイド喫茶の店長さん」
面白い称号を手に入れてしまった。
しかし利益を出すための計算はともかく、肝心のメイド喫茶について、オレには全く知見がない。ここは詳しそうな生徒に相談してみるとするか。
博士や池が良いだろうな。
オレは早速教室に戻り、2人を探す。ちょうど良いことに、山内も含めて3人だけが教室に残っていた。あまりベラベラと秘密を話す訳にはいかないからな。
「3人とも、少しいいか?」
「お、綾小路。なんだよ、今更俺の『山内ハーレム王国』を出し物として認める気になったのか?」
なんだそれは……企画書を見せられた覚えもない。というか、名前からして採用される可能性は0パーセントなので安心してほしい。
「いや、出し物の方向性はある程度定まってきた。メイド喫茶なんだが、オレには知識がないからおまえたちに話を聞いてみたいと……うお」
オレがメイド喫茶と口にした瞬間、3人は立ち上がりオレの周りに集まりだした。凄まじいスピードだ。オレも反応が一瞬遅れた。
「めめめ、メイド喫茶! その手があったでござるな!」
「やっぱりおまえはサイコーだぜ綾小路!」
「寛治、おまえ篠原はいいのかよ」
「さつきにも着てもらうに決まってんだろ!? いや、それはそれとしてメイド服の女の子は見たいじゃんか!」
やけにテンションが高い。やはり、こうしたオタク文化の知識を持っていると食い付きが違うようだ。
「それで、さっきも言ったがオレだけでは知識に限界がある。メイド喫茶について教えてもらいたい。頼めるか?」
オレがそう聞いてみると、3人はふっ、と急にカッコいい声で息を吐いた。
「一人で抱え込んでいたでござるか? ……馬鹿だな、拙者がいるよ」
「博士……」
「ったく、おまえはそう言うヤツだよな。でもよ……ヒトリニサセネーヨ」
「池……」
「相変わらずしょうがねーな、おまえは。だけど安心しな。俺が来た」
「山内……」
こうして、今までで一番頼りにならなそうな3人組が味方に付いた。
「いやー、綾小路殿もメイド喫茶の知識はさすがに無かったでござるか。良いでしょう、我々が教示して差し上げるでござるよ。まずメイドには幾つか種類がありまして、特に最高なのが……」
「ヴィクトリアンメイドでござる」
「フレンチメイドだよな!」
「バニーメイドってもんがあんだよ!」
3人の口から飛び出したのは、全く違う名前だった。オレは聞き分けることができたが、普通なら音が重なって何がなんだか分からないところだ。
『あ゛?』
3人はもの凄い形相で睨み合う。
……結局、3人の間でどれが最強のメイドなのか激論が交わされた結果、仲違い。オレもメイドについての知見を得られなかった。
仕方ない、個人的に勉強してから、もっともオタク文化に理解が深そうな博士に改めて話を聞きに行くとするか……