課題④はすぐに終わった。内容としては2学期期末試験において、難易度上昇かペナルティの増加、報酬の減少となっていたが、ペナルティの増加で同意となった。
赤点を取らなければペナルティは受けないからな。着実に実力を付けてきているクラスメイトたちにとっても、もっともリスクの少ない選択だ。
そして、第5の課題を迎える。
課題⑤ クラスメイトが1人退学になる代わりに、クラスポイント100を得る
選択肢 賛成 反対
千秋と堀北が異なる選択肢に投票し、初回での満場一致を避けていることには察しがついている。オレもやるなら同じことをしようと考えていたからだ。
ただし、優秀な2人であればこの課題は議論に入ることがリスクとなることを把握している。臨機応変にこの課題をすぐに終わらせるよう、本来賛成に投票する手筈の1人も反対に投票するだろう。
それで堀北クラスの満場一致は完成だ。
意外でもない。高円寺も、ここで賛成に投票しようものなら票を集められることは分かっているからな。
ここでオレが賛成に票を投じて、皆の考えに一石を投じる必要もない。全員ではないだろうが、それなりの数のクラスメイトはきちんと100という大きなクラスポイントと残す生徒のことを秤にかけた上で判断しているはずだ。
もちろん、クラスポイント100と見合わない生徒もいる。しかし、クラスメイトを切るということはクラスの団結にヒビを入れ、また単純に人手が減るということにもなる。
クラスポイントで上から2番目の位置にいる今、そして2年の半ばという今。クラスメイトを切ってまでポイントを取りに行く理由はない。
第1回投票結果
賛成 0票
反対 39票
波乱はない。
洋介が大きく息を吐く音が聞こえる。
「無事に満場一致となった。これでおまえたちには50のクラスポイントが付与される。本日はこれで解散だ」
クラスから歓声があがる。
「楽勝だったな!」
「へへ、時間余ったな。ケヤキモール行こうぜ」
そんなクラスメイトたちの声を聞きながら、オレはいち早く教室から出た。同じ考えを持っていたらしい堀北が追従する。
「他クラスの様子は、やはり気になるわよね」
オレは堀北の言う通り、他クラスの様子を窺うために廊下に出た。無論教室に入ったり覗くようなことはできないが、試験が続いているかどうかくらいは遠目からでも確認できるからな。
見たところ、坂柳クラスは試験を既に終えており、龍園と一之瀬のクラスはまだ教室に残っているようだ。
「龍園くんのクラスは、誰かを切って100クラスポイントを得ていてもおかしくない。坂柳さんのクラスだって、私たちを突き放すために誰かを犠牲にする可能性だってある」
と言いつつも、その可能性は低いと堀北は思っているようだ。その表情からは、誰かが退学するなど欠片も考えているようには見えない。
普通に考えれば、単純に駒を一つ減らすような真似をこの時期にする必要はないからな。クラスポイント100は大きいが、まだ学年末試験含め、大きくクラスポイントが動く機会が卒業までには最低でも3度はある。
これが卒業直前であるなら、また話は変わってきただろうが。
「一之瀬のクラスは?」
「それはあり得ないでしょう。一之瀬さんは善性の塊のような人よ。彼女が意図的にクラスメイトを退学させるなんて、私にはまるで想像ができない」
「一之瀬自身はそうだろうな」
「……クラスメイトが一之瀬さんに反逆でもするというの?」
それこそ起こり得ないわ、と堀北は少し心外だとばかりに口にする。生徒会を通して一之瀬との交流が増えたこともあり、彼女の肩を持つような発言が目立つ。
「だが、はっきり言って今の一之瀬クラスの体制ではAに上がる目は万に一つもない。今の守っているだけの戦略で上を目指そうなんて甘い話だ」
「なら、クラスメイトを退学させるだろうと? そんなことをすれば一之瀬さんのクラスは崩壊するわ」
「ああ。一之瀬の個性を考えても、クラスメイトを切るのはあり得ない。統率力を失えば、あのクラスに恐れるところは何一つないからな。しかし、今回の試験でその考え方に一石を投じることができるかもしれない。いや、そのくらいはできなければ一之瀬クラスは敵じゃない」
「ふふ、さすがは綾小路くん。私と似通った意見を持っているようですね」
突如声をかけられ、驚いた堀北は勢いよく振り返る。オレもゆっくりと背後を向くと、杖を突いた坂柳と、側近として彼女をサポートする神室の2人が近付いてくる。
「そちらも試験が終了したようだな」
「ええ。あなたの想像通りの結果かと思いますよ」
坂柳はオレにボイスレコーダーを渡してくる。オレはそれを受け取り、胸ポケットにしまう。神室の顔が強張った。
「そうか、良かったのか?」
「不要な存在を100ものクラスポイントに変えることができました。彼はそれなりに優秀でしたが、代わりなど幾らでもいますから」
堀北が呆気に取られる。あまりにも自然体で話題に上ったため、一瞬理解が追いつかなかったようだ。
坂柳のクラスに100クラスポイントが追加される。それはつまり、坂柳クラスから1名の退学者が出たということに他ならない。
堀北が動揺しているのを極力坂柳に悟らせたくなかったので、オレの体を盾にして堀北の表情を隠そうと試みる。
「あら? 堀北さんはクラスメイトを切る決断ができなかったようですね。そんな調子で、綾小路くんの足を引っ張らずにクラスを運営できるのですか?」
が、坂柳には無駄な行為だったらしい。彼女はその眼力で、堀北の動揺を見抜いた。
「あなたこそ、ただでさえ人手不足のAクラスから更なる退学者を出して余裕のつもりかしら。いつまでその地位が持つものか見ものね。すぐに引き摺り下ろしてあげる」
しかし、堀北も成長している。動揺しながらもすぐに冷静さを取り戻し、坂柳の煽りに応戦し始めた。
「これは異なことを仰るのですね。クラスポイントに更なる差が付いたことを理解していらっしゃらないのですか?」
「あなたこそお忘れかしら。去年私たちは0ポイントからあなたたちを追い抜いた。今更200やそこらのポイント差で怯むと思っているの?」
「ふふ、ジョークがお上手ですね。私たち、ではなく綾小路くんが、でしょう?」
「彼もクラスメイトの一人よ。彼の力は私たちの力でもある。クラスメイトを軽々に切るあなたには分からないかもしれないわね」
「これが綾小路くんのセリフなら一考に値しますが……貴女が言うと、それは強者にすり寄る弱者の考え方に過ぎません。誇りのない唾棄すべき思考回路です」
「この学校がクラスごとの戦いを推奨する意味を考えたことがないのかしら」
坂柳との能力にまだ差はあるが、舌戦は大したものだ。堀北は一歩も譲る様子はない。
度胸が付いた。まだ未熟ではあるが、堀北はその実力を少しづつ花開かせている。
「見解の相違ですね。まあ、あなたか私、どちらが正しいのかはその内に分かることです」
「楽しみにしておくわ」
一旦煽り合いは終わりか。オレは逸れた話題を軌道修正し、元に戻す。
「龍園のクラスも特別試験が終わったようだ。去っていくクラスメイトの表情からして退学者は出なかったらしい」
「なるほど。一之瀬さんのクラスが最も試験終了に時間がかかるとは。中でどのような話し合いが行われているか、非常に興味があります」
「オレとしては、坂柳がどうあいつを切ったのか。そちらも聞いてみたくはあるな」
一之瀬のクラスは、どうせ退学者が出ることはない。ただ、そこに至るまでの過程で、生徒たちの意識を改善できるのかどうか。できずとも、そのための種を植え付けることができるのかといった話だ。
「興味を持ってくださって嬉しいですよ。では、お話しいたしましょう」
坂柳は語り始めた。Aクラスの支配者が、どのように配下を切ったのかを。
◆
第5の課題、その内容がモニターに映し出されると、坂柳クラスの生徒たちは軽い動揺に襲われた。しかし、今は初回の投票。議論すること、声をあげることはできない。
本来であれば、課題が発表された後、坂柳が床を杖で叩いた回数の選択肢に投票するよう、あらかじめ指示を出されていた。例えば上から2番目の選択肢の場合は、コンコンと2回叩くことになっている。これにより、今までの試験はストレートに満場一致を決めてきた。
しかし、今回はそれがない。あなたたちの自由意思を見せてくださいという坂柳の意図を察し、生徒たちは各々好きなように投票し始める。
結果、ほとんどの生徒が反対に票を入れた。
第1回投票結果
賛成 2票
反対 37票
「ふふ。皆さんはお優しいですね」
坂柳の小さな口から紡がれる、鈴を転がすような声。その美しい見た目といい、超人染みた頭脳といい。坂柳のカリスマ性は、Aクラスの生徒たちの意識を否応なく自らに向けさせる。
「クラスメイトを切ればさらに100クラスポイント追加。ええ、ええ。普通に考えれば避けるべき選択肢です。ですが、だからこそ選ぶ価値があります」
坂柳は席に座ったままだ。彼女には先天性の疾患がある。普段は杖を突いて歩いているほど体が弱い。故に、教室中を歩き回り、身振り手振りで生徒たちを煽動する、そんな真似はできないし、するつもりもない。
だというのに、坂柳のそれほど大きく張ったわけではない声は、不思議と教室中に響き、誰しもが聞き逃さないよう耳を傾ける。
「他のクラスはまず賛成を選べない。仲良しごっこしか取り柄のない一之瀬さんのクラスは言うに及ばず。綾小路くん、龍園くんのクラスも非のない人間を切ることはしない。まあ、私も理由もなく非のない誰かを切ることはしませんが」
「それなら、反対に満場一致でいいじゃない」
坂柳に反論するように声をあげたのは、彼女の側近でもある神室だ。坂柳に近い存在であることもあり、Aクラスで数少ない、リーダーに真正面から意見できる精神性を持った生徒。
「そりゃ、他クラスが動けない間に差を付けたいって気持ちも分かるわよ。でも、切る生徒がいないんじゃ選びようがない」
神室の言葉を受けて、欲しい言葉をくれたとばかりに坂柳は笑う。
「いますよ。切る生徒は」
「は? それって……」
「葛城くん。あなたも賛成に入れた1人ですね?」
ざわめきと共に、名前を呼ばれた葛城に視線が集中する。
「葛城……!? まさか!」
「あなたは私を強く憎んでいるはず。表面上は私に従いながらも、隙があれば下剋上を果たす気でいた……しかし、そんな機会は訪れることはありません。あなたでは私を倒すことはできない」
「……だとしたら、どうだと言うんだ」
「おや、否定しませんね? いえ、当然ですか。あなたが一番良く分かっていることですからね」
「俺を貶めるのが目的か?」
「そんな品のない真似をしたいわけではありません。私に勝てないと思っているあなたが賛成に票を投じた、その理由が何か探りたかったのです。……葛城くんはもう楽になりたいのでは?」
葛城は、自らの腕を握る力を強める。
図星を突かれたからだった。
「憎む私の下で、クラスに貢献し続ける。それに耐え難いと思ってしまったのでしょう? だからこそ、自らが犠牲になり100のクラスポイントを得る、という貢献をすることに魅力を感じた」
「……どうかな。単純におまえを陥れるため、試験失敗によるクラスポイントマイナス300を狙っただけかもしれんぞ」
「それでしたら、最初の課題から妨害し続ければいいじゃありませんか。今更になって妨害するのも遅いですし、なによりあなたの正義感から、それを行うことはないと確信しています」
どの口が、と葛城は歯を噛み締める。
戸塚弥彦が退学した後、すぐさま反旗を翻そうとした葛城に対して坂柳が告げたのは、葛城が逆らうようなら元葛城派の生徒を処断するという無慈悲な言葉だった。
弥彦を失ったことにより、葛城は元と言えども自分を信じて派閥に所属してくれた生徒たちを犠牲にすることはできなかった。
今だってそうだ。言外に、坂柳は『逆らえば元葛城派の生徒を生贄にする』と主張している。
もはや、葛城に選択肢はない。
「俺が退学すれば、全て丸く収まる。そう言いたいわけだな?」
葛城からの刺すような視線、投げかけられる言葉。坂柳はそれに対して、100点満点の回答です、とばかりに溢れんばかりの笑みを返す。
端から見ればなんと可愛らしい笑顔だろうか。しかし、葛城は知っている。その皮を一度捲れば、自らにとって悪夢のような存在が顔を覗かせていると。
ぞわ、と背筋が粟立つ。
「俺はおまえから解放され、クラスには100もの追加ポイントが入る、か……良いだろう。元より、俺は退学する覚悟を固めていた。あのクラス内投票で」
本心だった。葛城は既に退学する覚悟を決めている。残っているのは坂柳への怒りと、クラスメイトたちへの心配のみ。
しかし、己が退学することでクラスが躍進するのであれば、元より死んでいた身。生贄となることはすんなりと受け入れることができた。
「では皆さん、次の投票は賛成に入れてください」
葛城の言葉を受け取り、なんでもないことかのように坂柳は宣告する。葛城が、クラスメイトが退学することについて、特にどうとも思っていない。
空恐ろしい。葛城は密かに戦慄する。改めて、坂柳有栖という少女の残酷さを肌で感じ取った。
……それが、まだ序の口だということも知らないで。
第2回投票結果
賛成 39票
反対 0票
「あとは10分後、全員が俺に投票する。それで試験は終了だな」
それは、確認ですらない。ある種反射的に葛城の口から出た、呟きに近い言葉だった。
しかし、それを耳聡く拾い上げた坂柳は、わざとらしくきょとんとした口調で、それを嘯いた。
「葛城くん。私が一度でも、あなたを退学させると言いましたか?」
その音が耳朶より脳へ運ばれ、言葉が示す意味を理解した瞬間、葛城は憤慨し立ち上がった。
「坂柳、貴様ァァァ!!!」
坂柳に掴みかからんとばかりの勢いの葛城を、彼女の最強のボディガードである鬼頭が止める。
「どけ、鬼頭!」
「それ以上の狼藉は許さんぞ、葛城」
「それはおまえも同じだ。葛城、鬼頭。両名は直ちに席に戻りなさい」
両名を諌めるのは、担任教師の真嶋だ。葛城、鬼頭ともに体格に優れ高校生としてはかなり強面の生徒だが、真嶋は少しも怯むことなく言い放つ。
学年主任として厳格に生徒たちを律する真嶋の言葉は、怒りに支配されつつあった葛城も、坂柳を守るため神経を尖らせていた鬼頭をも、席に戻らせた。
しかし、掴みかかることはできずとも、言葉を投げかけることはできる。
「説明してもらうぞ坂柳。貴様は一度ならず二度までも、俺を欺いたというのか」
「葛城くんも迂闊ですね。戸塚くんが退学したのと同じ手にまんまと引っ掛かるとは」
嘲るように坂柳が言う。確かに、不覚ではあったと葛城も内心では思う。だが、クラス内投票の時と決定的に違うのは、今や葛城は坂柳に飼い慣らされている状態。坂柳が騙し討ちのような真似をする理由はないはずだった。
だからこそ、真意を問いただす。
「くだらん挑発はもういい。一体何のつもりだと聞いている」
「ふふ、失礼しました。そうですね、何のつもりか……と問われれば、あなたを利用させていただいた。そう答えさせていただきましょう」
「なに……?」
「……坂柳有栖には、葛城康平とは異なる首を切りたい生徒がいる。しかし、ターゲットにそうと悟らせずに賛成で満場一致とするのは難しい。だからこそ、葛城康平をターゲットだと偽り賛成で満場一致させたと。そういうことですか?」
「素晴らしい理解力です、森下さん」
クラスメイトの優秀さが単純に嬉しいのか、坂柳が微笑む。対する森下は全くの無表情であり、その感情を窺い知ることはできない。
食えない人ですね、と坂柳は内心で森下を評価する。
「馬鹿な、一体誰を切るというんだ。俺以外に相応しい人間などいないだろう」
「先ほどの言葉の通りです。綾小路くんや龍園くんと同じで、理由なく非のない生徒を私は切らない。それに、葛城くん。私はあなたを騙して賛成による満場一致を果たしましたが、あなたが投票にあらがえばその生徒を退学にさせることはできません」
「無論、そんなことには気が付いている。ならばなぜこんなことをした、そう聞いているんだ」
「ええ。あなたは無辜なる生徒の退学には決して賛成しないでしょう。では、大きな罪を抱える生徒は? それも不運や能力不足によるものでなく、意図的な裏切り行為によるクラスの転落を目論むような輩ならばいかがですか?」
葛城だけでなく、そのやり取りを見ていた神室も、鬼頭も、他のAクラスの生徒たちも……坂柳のターゲットとなるその生徒も、全員が脳内で答えを出す。
切る。
この小さく苛烈な支配者が、裏切り者の存在を知り、それをこのような場で切らないはずがない。
「ねえ? ————橋本くん?」
橋本の隣にいた真田は、思わず横目で橋本を盗み見た。
ぽた、と垂れた音が聞こえてくるほど、大粒の汗をかいて明らかに動揺している。その目には焦点が合っておらず、自らの行く末を既に理解してしまっている者の表情だった。
自分に注目が集まっているのを理解し、小さく唾を呑み込むと、橋本は口を開いた。
「はは……そうだよな、姫さん。そんなヤツが居た日にゃ、あんたが容赦なんてするはずがない。お終いだよ、そいつは」
声を震わせながらも、ここまで取り繕うことができるのか。とはいえ、様子がおかしいのは誰の目からも明らかだ。
橋本は、坂柳を評価していた。
今でこそ彼は綾小路のクラスへの移籍を考えているが、入学当初から坂柳と龍園には目を付けていた。強大にして攻撃的な、他者を踏み躙ることに少しも躊躇のないリーダー。
勝ち上がるには必要な素養だと感じた。だからこそ葛城派を陥れ、坂柳をAクラスのリーダーとするよう動いた。
龍園にも唾を付けたのは、同じ素質を彼から感じたからだ。
自分の意思で下に付いたからこそ分かる。この場を整えられた時点で、坂柳は逃げ場を封じていると。
「ええ。お終いですよ、裏切り者の橋本くん」
「俺が裏切り者だって? 冗談キツいぜ姫さん」
「あなたはよくよくご存知でしょうが、私、つまらない冗談は嫌いなんです」
真嶋先生、と坂柳が担任に声をかける。
この満場一致特別試験に、生徒が通信機器の類を持ち込むことは禁止されている。しかし、坂柳は事前に真嶋へあるボイスレコーダーを預けていた。
合図をしたらそれを再生してほしい、と。
教師が電子機器を操作する分には、違反とはならない。真嶋が押したボイスレコーダーから、聞き覚えのある声が流れ始める。
『……だからよ、綾小路。俺がクラスを裏切れば、簡単に300もクラスポイントをマイナスにできる。加えて、クリア報酬の50ポイントも得られない。坂柳クラスはAから一気にDクラスまで転げ落ちるって寸法さ』
その音声は、橋本とBクラスの綾小路清隆との会話である、と優秀なAクラスの面々はすぐに理解した。
『それで? そんなことをしておまえに何の得がある』
『成功した暁には、俺をおまえのクラスに引き抜いてほしいんだよ。……な? 頼むぜ。坂柳を、Aクラスを引き摺り下ろしたとなれば、おまえのクラスへはかなりの貢献をしたと言えるだろ?』
『試験の内容を理解していないのか? 選択肢を縛るような契約を結べば即退学だ』
『分かっているさ、だから紙面に残したりはしない。俺にもかなりリスクのある行為だが、このくらいしねえと坂柳は欺けないからな。ただ、龍園みたいなヤツには俺だってこんな無茶なことはしないぜ? あいつはあっさり約束を反故にするだろうからな』
『オレだってそうするかもしれないぞ』
『そこは賭けだな。だが、おまえはそう言うことはしないタイプに思える』
「滑稽ですね。どうせ内心では、この試験の匿名性を考えれば、裏切ったとしてもバレることはない。失敗したらクラスポイント300はマイナスになるものの、まだ致命傷というわけではない……とでも思っているのでしょう。あるいは、龍園くんのクラスにでも亡命する気でいましたか?」
坂柳が、綾小路を信じると宣う橋本をそう評する。事実、綾小路が自分を引き入れなかったとしても、裏切った後でも何食わぬ顔で坂柳クラスに潜伏し続けるつもりでいた。また龍園との交渉が纏まるようであれば、これも坂柳の予想通りに泥舟と化した坂柳クラスから抜け出し、龍園クラスに移籍する算段すら立てていた。
『なるほど。面白い提案だ』
『だろ?』
『だが、お断りだな』
『……一応、理由を聞いておいてもいいかい?』
『口約束でも契約は契約だ。下手に契約を結べば、おまえ諸共オレを退学にする、なんて手も打てるはずだ。おまえたちがオレを退学させるための罠でないと誰が保証する?』
『あー、それはそうだな。……なら、こういうのはどうだ? 俺が勝手に坂柳を見限り、裏切る。おまえはたまたま俺がそれをやったと知り、見込みがあるとクラスに引き入れる。どうだ?』
『それだって口約束と変わらない。……なぜこの試験にこだわる? おまえにとってもリスクは相当なものだろう』
『こっちだって、勝ち馬に乗るために必死なのさ。今回の試験、坂柳を裏切るだけで350クラスポイント分の働きができるんだぜ? おまえみたいに才能も実力もない俺には、数少ないチャンスなんだよ。おまえも何の功績もないやつをクラスに引き入れるつもりはないだろ?』
『そうか。だが悪いな、今回どんな働きをしたところで、おまえを引き入れるつもりはない。引き抜きをしてほしいなら別の機会に実力を示すんだな』
『……ま、しゃーないか。今回は諦めるしかないわな。じゃあな、綾小路。また会いにくるぜ。何かしら手土産を持ってな』
録音が終わる。クラスは静寂に包まれていた。だが、橋本には、自分に怒りと軽蔑の視線が向けられているのがまざまざと感じられた。
一体どうやって録音を?
綾小路には偶然を装って接触した。録音する隙などなかったはずだ。
神室や鬼頭といった坂柳の側近中の側近はもちろん、山村という坂柳の隠し札まで警戒していた。自分に気があるらしい元土肥を使い、山村を呼び出して動きを封じていた。
誰に、いつから尾けられていた?
いや、そんなことはどうでもいい。
どうすればこの場を切り抜けられるか……頭をフル回転させるが、橋本の頭脳でそれを弾き出すことはできない。
「橋本くん」
坂柳から名前を呼ばれる。それだけで橋本の肩はびくりと跳ねる。
「クラスを裏切ろうと画策しながら、それが失敗すれば元のクラスで何食わぬ顔をしてのうのうと日々を過ごす。面の皮の厚いことですね」
「だから、誤解だって……!」
「どうやらあなたは私が綾小路くんに遥かに劣る存在だと認識しているご様子。たしかに、綾小路くんは優秀な生徒です。ですが、完璧な存在であるかのような過剰な信用……盲信は、不愉快と言わざるを得ません」
「ま、待ってくれ姫さ……」
「呼び方は坂柳、ではなかったのですか?」
坂柳はにこりと笑う。それが本心からのものでないことは、誰の目にも明らかだ。
「う、お……か、葛城! おまえ言ったじゃないか、自分が退学すれば丸く収まるってよ! いいのか、また坂柳に騙されて他人を退学させちまって!」
元はと言えば、この尋問のような状況が始まったのは葛城が自らの退学を受け入れるためだったはずだ。そう主張するように葛城に話を振る橋本だったが、葛城の表情は渋い。
葛城は1年次の無人島試験で、橋本の裏切りにより痛い目を見ている。それに、葛城もAクラスに所属する生徒の一人。さきほどの醜い裏切りには思うところがある。もはやこの場において坂柳への憤怒は、橋本への失望に取ってかわりつつあった。
「無論、俺とて退学する覚悟はあった。そのつもりで賛成への満場一致を促したつもりだったが……一度は坂柳と同様にクラスを纏めようとした身としては、リーダーとしてのヤツの判断を否定することはできん。やり方はともかくな。それだけ、おまえの行動は目に余る」
「そ、そんな……」
「だが、坂柳。おまえさえ良ければ、橋本にチャンスをやってはくれないか?」
葛城の言葉を聞いて、橋本の目に光が戻る。
「これはこれは。自らが代わりに退学する、ということですか?」
葛城は躊躇うことなく頷いた。
坂柳は意外そうに僅かだけ瞠目する。ここまできて自己犠牲を貫けるとは。それも、憎んでいる自分を相手に下手に出て。少しだけ葛城くんを見誤っていたのかもしれませんね、と内心で葛城の評価を上方修正した。
「お人好しですね、葛城くんは」
「そんな良い物ではない。俺はただ、弥彦の分の贖罪がしたいだけだ。橋本も反省しているようだ。裏切りはもうしないだろう」
「そうだ……そうだよ。もう火遊びは懲り懲りだ。マジで反省している、二度とやらない。だから頼む、姫さん!」
坂柳は橋本の方を見ようともしない。もはや彼に興味を持たないからだ。坂柳の視線は葛城の険しい瞳に注がれていた。
「どうやらあなたのことを過小評価していたようですね、葛城くん。……ですが、私の意見は変わりません」
「……そうか」
橋本と坂柳。両者の心情に可能な限り寄り添った葛城の判断は、ここが限界だと見極める。坂柳は考えを変えるつもりはない。それが確信できた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 頼む、出来心だったというか……まだ実際に裏切ったわけでもないだろ!?」
「綾小路くんに拒否されたからやめただけでしょう? 所詮その程度の覚悟でしかなかったんですよ、あなたの蝙蝠のような振る舞いはね。……では、そろそろ投票です。真嶋先生、橋本くんを退学者に推薦します。皆さん、賛成に入れてくださいね」
「あ、ああああああああああ!!!」
橋本の絶叫と共に、投票が開始される。
地獄のような60秒を経て、スクリーンに投票結果が開示された。
第1回投票結果
橋本正義を退学にする
賛成 38票
反対 0票
坂柳と龍園。橋本から見て逼迫している実力の2人。その間を蝙蝠のように飛び回り、美味しいところをいただく……それが橋本の見出した生存戦略だった。
彼の前に、圧倒的な実力で全てを薙ぎ倒す、学校で最強の生徒……綾小路清隆が現れるまでは。
その男は圧倒的だった。身体能力も頭脳も、元生徒会長に気に入られるような人脈も。あらゆる点で最も優れた存在だと橋本は認識した。
だからこそ目が眩んだ。本来の彼であるなら、坂柳という地盤に足を付けた上で、龍園や綾小路といった対立候補に媚を売る。そうして機を見て移籍、ないし綾小路の引き抜きを果たせば良かった。
だが、綾小路が最強だと思い込んだ橋本は、彼の懐に入れさえすればもう後の心配はしなくて良い……そんな幻想に取り憑かれてしまった。
「う、うおおお……」
「橋本、退室だ」
嘆きを残して、橋本は真嶋に連れられ退室していく。
「さて、クラスの害となる存在は排除できました。加えて、クラスポイント100の追加……私のリストラの腕も中々のもの、と言えるかもしれませんね」
坂柳は楽しそうに笑う。
クラスメイトを処断した後とは思えない表情に、何人かの生徒は戦慄していた。
「ああ、無論皆さんのように、優秀で忠義心の厚い方々を切るつもりはありませんので、ご安心くださいね」
天使の微笑み。しかし、その裏には『裏切ったり、怠けるような者は容赦なく切る』といった意味が込められているのを、理解できないAクラスの面々ではなかった。
つまり、これは裏切り者はどうなるのかという見せしめだ。
「……坂柳」
「葛城くん。私を恨みますか?」
「ああ。今回の橋本の行動は、確かに罰されてしかるべきものだ。ヤツを陥れるための戦略に理解は示そう。しかし、そのやり方は断じて許されるべきではない。なぜ俺に相談しなかった?」
「相談して、情報が漏れるようなことがあれば策を弄した意味がありませんからね。それに、葛城くんの演技にも期待していませんでしたから」
「やはりおまえと俺は相容れない」
「それは残念です。あなたのことを好ましく思い始めてきたというのに。……まあ、どうぞご自由に。あなたに望むことは、大人しく残りの学生生活を適度に優秀に過ごしてもらうことだけです」
葛城は応じることなく、教室を出ていった。
こうしてAクラスの満場一致特別試験は幕を閉じた。
退学者が出たというのに、終了までの時間は堀北Bクラスと変わらず。坂柳の支配力が存分に発揮される場となった。