修学旅行も終わり、私たちはまたクラス同士の戦いに身を投じていく。……っていうのは多少大袈裟な表現かもしれない。ともかく、いつも通りの日常に戻ってきた私たちは、ここ数日は平穏に過ごしていた。
いや、この寒さは平穏ではないかもしれない。吐く息も白く、とても生脚を晒していられない。
「千秋、寒いだろ。ほら」
隣を歩く清隆くんが、近くの自販機でココアを買ってくれた。手に持つと、熱がじんわりと両手に広がっていき、寒さが少し和らいだ。
「ありがと。ほら、清隆くんにも暖かさお裾分け」
ぎゅ、とココアごと清隆くんの手を握る。彼の手はびっくりするくらい冷たくて、思わず顔を見上げてしまう。
「手、冷たい」
「悪い」
「清隆くんの方が暖めないとだ」
「今日はこのまま手を繋いで行こう」
「おまえら、朝っぱらからイチャイチャしてんなよ?」
おっと、ここは通学路。これだけ目立てば知り合いからも話しかけられるか。
南雲会長が半目でこちらに注意する。別に、風紀を乱すってほどのことはしてないんだけどな。
「おはようございます、南雲会長。申し訳ないですが止めるつもりはビタ一文ありません」
「はいはい、分かった分かった。それはいいが綾小路、今日の放課後、生徒会室に来いよ。強制だ」
「……分かりました」
清隆くんは、南雲会長の無理強いにも動じず了承した。それが本命の用事だったのか、南雲会長は朝比奈先輩たちクラスメイトの方へ戻っていく。
「今回は南雲会長の気まぐれ? それとも清隆くんがまた何かやらかした?」
「オレがしょっちゅう何かやらかしてるみたいな言い方は心外だ。が、今回はオレが原因かもな」
やっぱりやらかしてた。
まあ、清隆くんは暗躍大好きだから仕方ないか。今回も南雲会長に何か仕掛けているんだろう。
そんな一幕がありながら教室に辿り着く。
HRが始まると、茶柱先生からは新たな特別試験について通達された。
曰く、『協力型総合筆記試験』。
ルールは以下の通り。
・AクラスとBクラス、CクラスとDクラスでの直接対決
・勝ったクラスは負けたクラスからクラスポイント50を受け取る
・クラス全員で100問のテストを1つ解く
・あらかじめ決めておいた順番で1名ずつ試験用の教室に入室し問題を解く。制限時間は入退室を含めて1人10分。制限時間を過ぎた場合失格となり点数は得られない
・解答者の次の順番の生徒は試験用の教室の前、それ以外の生徒は別室で待機
・1人の生徒につき最低2問、最大5問問題を解かなければならない。
・生徒が解答した問題は正否に関係なく他の生徒が訂正することはできない
・問題の解答に関するヒントや答えを書き残す、あるいは口頭で伝えるなどの行為は違反
・違反行為が発覚した場合、強制的に試験を打ち切り0点とする
また、制限時間の残りの合計によってもボーナスポイントがある。
1時間以上残した場合は10点、30分なら5点、10分なら2点がテストの点数に加算される。
最も重要なポイントが、全ての問題が難易度に関係なく12月1日時点の解答者のOAAの学力の数値によって点数が決まる点だ。
学力とポイントの相関は、
A=1点
B=2点
C=3点
D=4点
E=5点
となる。
学力に劣るクラスもやり方次第で逆転が可能となるルール。これを見る限り、下位のクラスにかなり有利な試験に思える。学力の高くない生徒が多い方が、得られる得点が多い。仮に両クラスで満点を取った場合、こちらの点数が上になる。
ただ、今回の試験では特段なにか策を講じるようなことはできないように思える。精々、龍園くんが1年の初め頃に行っていたように勉強会の妨害を行うくらいかな。
堀北さんたちは早速集まって作戦会議を始めていたので、私と清隆くんもそこに合流する。
「今回は採れる手は少ないわね。相手クラスへの妨害は以ての外。自クラスでも制限が課されている」
「純粋な学力勝負だったら分が悪いけど、今回のルールなら私たちが有利だね」
「ええ。学力の評価が低い生徒たちも、勉強を頑張ってきている。ある程度の難度の問題でも解けるはずよ」
問題の難度については恐らく今までの学力系の試験より高めに設定されているだろうけど、概ね堀北さんに同意見だ。
「今回の特別試験では特段絡め手を使うつもりはないわ。当日の解答者の順番を工夫するのと、勉強会の頻度を増やすくらい。正攻法で勝ちましょう」
堀北さんの言葉に、高円寺くんを除く全員が了承した。
◆
南雲会長に呼び出された清隆くんは、生徒会室に足を運んでいた。なんで私も付いてきているのかといえば、清隆くんに頼まれたからだ。『千秋を連れてきてはいけないとは言われてない』とのこと。屁理屈じゃん。
実際、生徒会室に2人で入った時は『なんでおまえが?』と言わんばかりの視線を受けた。私も分かりません……
「今回おまえを呼び出したのは、賭けに負けた約束の履行を見届けさせるためだ」
「賭けに負けた……体育祭のですか?」
「いや、それよりも前の無人島サバイバルの方さ」
そういえば、清隆くんは無人島サバイバルで南雲会長より順位が上なら、叶う範囲でなんでも要求していいと言われていたんだっけ。一体何を要求したんだろう。
「それって……」
「失礼します……あれ。綾小路くんに、松下さん?」
話している途中で、一之瀬さん、堀北さんがやってくる。私たちがいると思っていなかったようで、少し驚いた様子だ。
「その2人とはちょっと話があって来てもらっただけで、今回おまえたちを呼び出したのとは別件だ」
「私たちを呼び出した理由はなんですか?」
「もうひとり呼んでいるから、そいつが来たら教えるさ」
そのもうひとりが誰なのだろう。問う前に世間話が始まってしまったので、大人しくその人物の登場を待つことにする。
一之瀬さんたちの来室から約5分、彼は現れた。
「……ちっ」
私と清隆くんを見るなり、龍園くんは舌打ちした。
そのまま挨拶もせず南雲会長を睨み付ける。
「俺を呼び出して何の用だ、南雲」
「挨拶くらいはちゃんとしろよ、龍園。……まあ、何度言っても直らねえし言うだけ無駄か。と、今までなら言っていただろうが、今後はそうもいかない」
「あ?」
「なにせ生徒会長になるかもしれないんだからな」
龍園くんはそれを聞いた瞬間、眉を顰め……そして笑った。
「クク、そういうことかよ」
「南雲会長。それはもしかして……」
「ああ。ここにいる俺以外の生徒会役員、つまり帆波と鈴音、龍園の3人で生徒会長選挙を行うことに決めた」
「……私は反対です」
南雲会長の発言に食ってかかったのは、口に上った生徒会長候補のひとり、堀北さんだ。
真面目な彼女のことだ、言いたいことは想像が付く。
「昨年は選挙はなかったはずですよね」
「ああ、俺が堀北会長に指名されたからな。本来なら現生徒会長、つまり俺が次の生徒会長を決める。指名した相手が承諾さえすれば生徒会長で決まりだ。もちろん周囲も納得するだけの結果を残したヤツ以外に指名することはない」
つまり、前生徒会長である堀北さんのお兄さんは南雲会長を指名したんだ。彼は南雲会長をかなり警戒していた印象だったけど、それだけ南雲会長が周囲より抜きん出て優秀だったのかな。
「だが、おまえたち2年生の代で俺から指名するほど突出したヤツはいないと判断した。1年にもな。だからこそおまえたちには選挙で決着を付けてもらおうと思っている。それの何に反対だって言うんだ?」
「一之瀬さんが選ばれたのは順当だし、私を選んでいただいたのは光栄だと思います。しかし、龍園くんが選ばれたのは何故ですか。彼が生徒会長だなんて、学校が崩壊します」
「はは、酷い言われようだな龍園。まあ、鈴音の言うことも分からんではないが、俺が決めたことだ。おまえが降りるというならそれは構わないが、龍園を降ろす権利はおまえにはない」
南雲会長は龍園くんの生徒会長選挙への出馬を決定付けているようだ。龍園くんが南雲会長に気に入られているから……とは思えない。
もしかして、私たち、というか清隆くんが呼び出された理由ってこれ?
堀北さんは南雲会長に諌められると、失礼しましたと一言だけ言って着座する。
「ってわけだ、鈴音。おまえの意見なんざどうでもいい。生徒会長になるのは俺だ」
「あなたが生徒会長に? 冗談もここまで来ると笑えないわね」
「クク、俺が壇上で挨拶しているのを見るおまえのザマが楽しみだ。用件はそれだけか、南雲?」
「いや、あと一つだけ補足がある。今回の選挙、俺は誰にも肩入れはしない。俺の傘下のクラス……平たく言えば3年C、Dクラスの生徒に関しちゃ、自由に投票させるつもりだ。俺と交渉を纏めた時点で全校生徒の5分の1の票を取れるとあっちゃ、俺への媚び売り大会になっちまうからな」
全校生徒の総数は、3年生が124人、2年生が157人、1年生が159人。3年がダントツで少ない上に、南雲会長のAクラスは無傷の40人、桐山先輩のクラスは34人と多くの生徒が残っているのに対し、CクラスとDクラスはそれぞれ26、24人しかいない。
全生徒の51%の票を得れば勝てる勝負で、20%の票を持っていける手段があるのはかなり大きい。今回、南雲会長はそれを良しとしないということだ。選挙には極力ノータッチで行くつもりの様子だね。
ただし、クラスリーダーとして3年Aクラスの生徒たちの投票をコントロールするつもりではいるみたいだ。南雲会長を懐柔できれば、40票を得られる。
「終業式前日に投票、開票まで行っちまう予定だ。端末を利用して電子での投票となるから、時間指定して投票させればそう時間もかからないからな。おまえたちとしちゃ特別試験と日程が重なっている部分も多いだろうが、今回の試験は特別な準備の要らないタイプの試験になっているはずだ」
なるほど、生徒会選挙と期間が重なるから、準備の要らない試験になるように南雲会長から根回しがあったのかな。
そういうことなら、選挙に集中した方がいいのかもしれない。今回の特別試験でできることは少ないし。
「投票しなかったヤツにはペナルティを与える。一人につき、クラスポイントマイナス50ってところか」
「なかなか重いペナルティですね」
「それだけこの椅子は重いってことさ。全校生徒が投票することは決まっている。最も多くの票を集めたヤツが生徒会長となる、シンプルなルールだ。投票までの期間の選挙運動は好きにしな。街頭演説でもポスター貼りでもな」
この学校の選挙において、ポスター貼りや街頭演説が意味を成すとは思えないけどね。
南雲会長が示した選挙のルールは、要約すると
・終業式前日のホームルーム中、全校生徒440人の学生証端末に投票用の連絡が届く
・各生徒はホームルーム中に投票を行う。投票は匿名で行われ、候補者の氏名、顔写真の載った画面をタップし、確認画面に同意することで投票が行われる
・投票しなかった場合、その生徒の所属するクラスにはクラスポイントマイナス50の処罰が下される。また、投票しなかった生徒の匿名は担保されず、名前を公開される
・他の候補者より多くの票を得た候補者が生徒会長となる。
「……分かりました。早速準備に取り掛かります」
堀北さんは立ち上がり、私たちの方を横目で見る。手伝え、ってことだよね。
私たちが退室するのと同時に、龍園くんと一之瀬さんも同じように出てくる。
「忠告しとくぜ。生徒会長になるのは俺だ。時間を無駄にしたくなけりゃとっとと降りるんだな」
「あなたが降りた方が話が早いと思うけれど。あなたの人望で生徒会長になるなんて、無謀もいいところね」
「人望が今回の選挙で役に立つかよ。分かってんだろ?」
普通の選挙では許されないけど、絶対票をポイントで買う行為が横行するはずだ。ひとクラス幾ら払えば投票権を買えるだろうか。適当に1票10000ポイントと考えても、40票で40万ポイント。実際は競売になるだろうから、もっと高額となるだろう。
生徒会長になるためだけにそんなにポイントを消費していては、今後のクラス間闘争にも支障がでかねない。
「あの、いいかな」
「一之瀬さん、どうしたの?」
「今回の選挙、プライベートポイントで票を買うのはナシにしない?」
一之瀬さんは主に龍園くんの方を見ながら、そう提案した。
正々堂々の勝負を好む一之瀬さんらしい提案と言えるかもしれない。けど、龍園くんがそれを認めるとは到底思えない。
「各クラスの票を買うとなると、値段の吊り上げは絶対に起きるはず。青天井になったら、最悪クラス貯金だって底を突くでしょ。なら、初めから票を買わないってお互い約束した方がクラスのためなんじゃないかな」
私と同じ危惧を一之瀬さんも抱いていたようだ。彼女はクラスメイトの退学を恐れているし、よりプライベートポイントを使用することに抵抗があるのかもしれない。
ただ、一つ問題があるとすれば。
「おいおい、大胆になったな一之瀬。てめえに都合の良い勝負条件を押し付けてくるとはな」
そう、この条件で言えば一之瀬さんが圧倒的に有利だということ。
南雲会長の下で、堀北さんや龍園くんよりも1年長く勤めている彼女は、3年生からの覚えも良いだろう。それに、1年生とは入学直後に交流会も開いている。
元々容姿も端麗で、その上誰にでも分け隔てなく優しい完璧超人。無愛想な龍園くんや堀北さんに、実質人気投票のような形式で負ける要素がまるでない。
堀北さんも龍園くんも、とても認めるとは思えない。
「……残念だけど、自ら不利になる提案は飲めないわ。龍園くんはどう?」
「同意見だ。が、条件次第じゃ認めてやってもいい」
堀北さんは驚きに目を見開く。
龍園くんが妥協するとは考えていなかったのだろう。私も全く同じだ。
「条件、か。怖いなあ、龍園くんの条件」
「そう身構えるなよ。俺からの条件は一つだ。1-Dと1-Bの投票権だけは俺に買わせろ」
「認められないわね」
即座に堀北さんが拒否する。それはそうだ。
「龍園くん、それは無茶じゃない? 龍園くんのクラスも合わせて最初から120票スタートだなんて。いくら龍園くんに人望がないからってさ」
「部外者は黙ってろよ、松下。大体なんでてめえらがあの場にいたんだ」
「南雲に呼ばれてな。いつものやつだ」
清隆くんはいつも南雲会長に勝負を吹っ掛けられているから、そう言って誤魔化し始めた。龍園くんはフンとつまらなそうに鼻を鳴らすと、改めて一之瀬さん、堀北さんの方へ向き直る。
「松下さんの意見は的を得ているわ。あなたの条件はお話にならない」
「なら金で票の奪い合いとするか。それならそれで当初の予定通りだ、全く問題はねえ」
「なら、こういう折衷案は? 堀北さんと龍園くんがそれぞれ、1クラス分40票の投票権を買う。その後はプライベートポイントでの票の購入はナシ。どうかな」
一之瀬さんはなおも引き下がらない。まあ、当然といえば当然か。信用の勝負になれば一之瀬さんが最強だ。1クラス分の投票券をそれぞれの候補に譲ったとしても、勝利する自信があるのだろう。
ただ、この条件変更が二人にどう映るか。
堀北さんには単純に有利となるけど、たった1クラスの優位で一之瀬さんに勝てるかどうか。
龍園くんは自分が提示した条件から不利なものに変更されている。ただでさえ勝ち目の薄い勝負だし、この提案を蹴る可能性は十分にある。
……と思ったんだけど。
「なら条件追加だ。投票権は1クラス分で構わねえが、鈴音は1-D、俺は1-Bに指定させてもらう。これが飲めるなら俺はその条件で構わねえぜ」
クラスの指定。その意図は恐らく、他の候補者に投票しそうなクラスの投票権をあらかじめ確保しておくのことだね。
1-Bはクラスリーダーの八神くんが清隆くんと懇意で、堀北さんに投票する可能性が高い。1-Dの宝泉くんは清隆くん、龍園くんを敵視しているため、一之瀬さんに入れる可能性が最も高い。これらのクラスの投票先を自分の都合の良いように変更し、一之瀬さんから実質40票を削るつもりだ。
ただ、堀北さんも40票を得られることになるのは苦肉の策ってことだろうか。龍園くんと堀北さんがまともな選挙をすれば、堀北さんの方が有利だと思うけど……
「1-D? 宝泉くん相手に金額の交渉はしたくないわね。足下を見られるのは確実だし。1-Cなら妥協してもいい」
「おいおい、一之瀬の票を減らす気はないのか?」
「ならあなたが宝泉くんと交渉したら? まあ、無理でしょうけど」
宝泉くんと龍園くんの仲の悪さは、先日の体育祭、MMAの会場で知れ渡っている。まともに交渉ができるとは思えない。
「ちっ。まあいいさ、1-Cは脱落者が出て1人少ないからな。その1票に泣かされないよう、精々気を付けるんだな」
「お生憎様、元から私たちのクラスは1名少ないから誤差よ。ではプライベートポイントでの票の購入は、それぞれ指定されたクラスの一回きりで決まりね。契約書も作っておきましょう」
堀北さんは一之瀬さんの提案に同意した。
これが吉と出るか、凶と出るか。