「馬鹿な」
呟いたのは誰だっただろうか。
だが、この体育館にいるほとんどの人間が同じ気持ちだったことだろう。容易に信じられることではない。あの一之瀬帆波が、生徒会長の座を得たその直後に辞任を表明した。
そして次代の生徒会長に指名したのが、よりにもよって龍園翔だったのだから。
「そうか……! 生徒会長は、次の生徒会長を指名できる!」
やられた、と千秋は悔しそうに呟く。
千秋もオレに連れられ、南雲に呼び出された生徒会室で確かに聞いている。
『例年なら現生徒会長、つまりは俺が次の生徒会長を指名する』
一之瀬が生徒会長となった以上、その肩書きの持つ権利として、次の生徒会長を指名することができる。
一之瀬となんらかの契約を交わし、次の生徒会長に指名させる。龍園の狙いは、初めからこれだった。
「帆波。おまえ、自分が何を言っているのか分かっているんだろうな」
一之瀬の発言に待ったをかけるのは、今や先代……いや、先々代生徒会長となった南雲だった。その顔には明らかに不満が覗いている。
「はい。私は生徒会長に相応しくないのではないか、とは常々考えていました。それこそ、選挙中も。そして出した結論がこれです」
「おまえの行為は、おまえに投票した全員の信頼を裏切ることと同義だ」
おまえが信頼がどうとか言えた立場じゃないだろ、と南雲の混合合宿などでの振る舞いを思い出しながら内心でツッコむ。
だが、一之瀬に投票した生徒の多くは同じ考えを抱いているのかもしれない。
「おいおい、一之瀬を責めるのはお門違いってもんだぜ」
ここで、ついに一之瀬に次の生徒会長として指名された……いや、指名させた男、龍園が口を挟む。
「責めるなら俺を、ということか? 随分と優しくなったじゃないか龍園。俺の下で働いていた成果か? 鼻が高いぜ」
「冗談はよせよ。俺に優しさなんてもんがあると思ってんのか? 一之瀬に投票した奴らがこいつを責めるのは逆恨みってもんだ。考えてもみろ。てめえらの多くは一之瀬帆波に投票したが、その実ほとんどの生徒はプライベートポイントなり別の条件なりで投票する契約を結んでいたに過ぎない」
龍園の言うことは事実だ。
これまでの選挙戦で、プライベートポイント等による交渉で、票の奪い合いが起きていた。
堀北も龍園も、各学年、各クラスに赴き交渉を行っていたのは記憶に新しい。
「金や物で自分の投票権を売った。それはつまり、おまえらは金さえ積まれれば誰が生徒会長になろうが構わない……そう宣言してるに等しい。おまえらの投票権を買った俺たちが、それをどう扱おうがとやかく言われる筋合いはねえんだよ」
龍園の言葉に、不満気に一之瀬を睨んでいた生徒の多くが目線を下げた。
「待てよ。確かに生徒会長は次の生徒会長を指名する権利がある。だが、条件がないわけじゃない。『他の生徒にも認められるだけの実績が必要』そうも俺は言ったはずだ」
南雲の反論に対して、龍園は一瞬、俺の方を見て眉を顰める。が、すぐに気を取り直し、南雲に対して嘲るように笑った。
「おいおい、てめえがそれを言うのかよ、先先代生徒会長サマよぉ。忘れたとは言わせねえぜ。俺は生徒会選挙の候補者に選ばれてるだろうが。まさか生徒会長に相応しくないと思っている人物を遊びで候補者に祭り上げた、とでも言うつもりか? そんな話が通ると思うのか?」
「くっ……!」
南雲は忌々しげにオレの方を睨み付ける。いや、おまえも結構ノリノリだっただろ。責任転嫁はやめてくれ。
南雲が龍園を生徒会長選挙に出馬させた時点で、生徒会長になる資格がない、なんてことは少なくとも南雲の口から言うことはできない。
「俺が生徒会長になるのが不満か? だが手遅れだ。俺はこの学校のルールに則ってこの地位を手に入れた。正当な方法でな」
龍園が壇上でマイクを手に取り、体育館に集まった生徒たち、あるいは教師たちにも呼びかける。
「卑怯だの卑劣だの、言いたければ好きにしろ。だがルールに則っている以上、覆す方法はねえ。抜け道に気付かなかったてめえらが間抜けだったって話だ」
気付かなかった方が悪いというのは、オレも同意する。
ルールを侵しているならともかく、今回の龍園の策はなんら違反していない。次の生徒会長の任命は、紛れもなく生徒会長の持つ権利。
交渉も『自分への投票』を要求するのではなく、『投票権を龍園に譲渡する』ことを要求していた。そして集めた票を一之瀬に投じることで、堀北の計算を狂わせた。
一之瀬も、自ら立候補したわけではなく南雲の指名の下、迷いながらも選挙に参加した。そしてそんな中で考えた結果、自分が生徒会長には不適格だと考えたから後継を指名した。そう主張したとしても責めることはできない。悩んでいる役員を候補に指名した南雲に責任があると主張することもできるだろう。
唯一懸念すべきはリコールだが、この学校にそのルールが存在するのかどうかは甚だ疑問だ。南雲が生徒会長を続けられていることから鑑みるに。
それに、龍園もリコールの条件にかかるような真似はしないだろう。署名が条件なら事前に潰すなり、態度が要件ならその部分のみ改めるなりするはずだ。
生徒会長となった今、龍園を降ろす術はない。やるならその前段階で止めるしかなかった。
龍園を退学させるという手もあるにはあるが、ヤツは今プロテクトポイントを手に入れている。容易ではないだろう。
「……安心しな。生徒会長になったからといって、暴政を敷いたりはしない。南雲のOAAや実力主義も俺は否定しねえよ。俺が生徒会長になったのは、目的を果たす手段に過ぎない」
龍園とオレの目が合う。これで挑戦権は得たわけだ、とでも言いたげな瞳。オレはそれに頷きで答える。
本来なら坂柳を倒すところまで行って欲しかったが、こうしたショートカットもまた面白い。
「信用できるかよ、てめえの言葉なんざ」
声を上げたのは、1-Dの首魁、宝泉だ。元々龍園とは水と油。龍園の独壇場とあっては面白く思わないのは当然か。
「クク、ならどうする?」
「てめえが生徒会長だろうがなんだろうが知ったことじゃねえ。役職が付いてようが所詮一生徒だろ。学年を跨いだ特別試験でてめえを潰してやるから覚悟しとけや」
「はっ、いいじゃねえか宝泉。そうさ、宝泉でなくとも構わねえ。俺が気に入らねえなら潰しに来い。逆に這いつくばらせて俺の配下に加えてやるよ」
「てめえ、イカれたのか? 全校生徒を敵に回すような真似してよ」
「おまえ如きのスケールで俺を測るんじゃねえ。もう計画は始まってんだよ」
宝泉の乱入すらイベントの一つであるかのように、龍園は自らが王であることを演出する。
いつの間にか、壇上にあがった生徒たちも、そして龍園の眼下に広がる生徒たちも。皆、龍園から目が離せないでいる。
良くも悪くも、それだけの注目度を持った存在として。龍園は今この瞬間、この学校の生徒会長として君臨していた。
「改めて言うが、俺が生徒会長になったのはルールに則った上でのことだ。もしそれで騙されたと感じるのであれば、てめえらの理解が不完全だったってわけだ。クク、痛い目をみたくなければ、他人事と思わずきっちりルールを把握することだ」
大抵の人間は、ルールを端から端まで完璧に理解していることなどない。龍園の言葉は極論だ。基本的には、ルールに則ってようがいまいが、騙す奴が悪い。
が、自己防衛のためにルールへの理解を深めておくことが重要だというのは、一つの真理だと言えるだろう。
「目が覚めたか、雑魚ども。少なくともこの学校じゃ、自分が抜け道を見落としましたで助けてもらえることはねえぜ。当然、俺の作っていく体制でも同じことだ。おまえらは既に放り込まれているのさ。
ようこそ、実力至上主義の世界に」
龍園は慇懃無礼に胸に手を当て、いかなる相手も歓迎する意を示す。
龍園が生徒会長になる、というのをイメージした時はどうなることかと思ったが、こうして見ると、ある意味この学校に似合った良い会長なのではないだろうか。
ただ、未だ龍園を会長と受け入れ難いのか、体育館はしんと静まり返る。
静寂を破ったのは、壇上より響く小さな拍手の音。
そちらを見ると、もう一人の候補者……堀北が、龍園を真っ直ぐ見つめて拍手を送っていた。
敗者が新たな生徒会長の誕生を受け入れている。その様は受け取り方はどうあれ、生徒たちの心にしかと受け止められた。やがて拍手は伝播していく。割れるような、とはいかずとも、それなりの数の拍手でもって、龍園の生徒会長就任は讃えられた。
「……認めざるを得ないか。良いだろう、龍園、帆波。だが生徒会長になった以上は、きっちり役目を果たしてもらうぜ。帆波のように『やっぱり辞めます』はナシだ」
「クク、お手柔らかに頼むぜ、先先代サマよ」
「悪いが加減しないぜ。おまえの嫌いな事務仕事も含め、きっちり引き継ぎを終わらせるからな。帆波もだ。口頭で辞めるといっても、必要な書類が幾つもある。おまえら冬休みは返上だと思えよ」
南雲も、ちょっとした意趣返しのつもりか、そんなことを口にした。