【Fate/La Festa】 フェイト/ラ・フェスタ   作:鉄槻緋色/竜胆藍

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幕間
サンクスギビング・デイ!


 

 顔を炙る熱気に、ドン・キホーテは思わず仰け反った。

 

「ぬお⁉︎ 」

 

 見れば、周囲を炎に取り囲まれていた。

 

「旦那様! これは⁉︎ 」

 

 素早く背中合わせに立ったサンチョが困惑に呻くが、ドン・キホーテにもまるで訳が分からない。

 敵城の中枢に乗り込んで、姫にそっくりな敵マスターを見つけて仰天した。

 仰天している内に、姫そっくりな敵マスターの少女の姿が消えた。

 続いて敵サーヴァントが霊体化して凄まじいスピードで立ち去った。

 呆気に取られていると、姫の姿も消えてしまった。

 そして突然の閃光に視野を焼かれ、気がつくとこの状況。

 頭脳労働担当のサンチョが困惑するような異常事態に、ドン・キホーテの何をか言わんや。

 

「ともあれ姫だ! 姫を探してお守りせねば!」

 

 叫び、ドン・キホーテはマスターと繋がる魔力パスを探った。

 

「旦那様⁉︎ マスターがいません⁉︎ 」

 

 サンチョと同時に同じ答えに行きつき、愕然とした。

 魔力パスは霊的要素であり、物理的三次元的距離がどれほど遠く離れていても察知できるもの。見失う事など有り得ない。

 ──マスターが即死したのでも無ければ。

 

「ええい! 例え聖杯を持ち出そうとも、我らが姫を瞬時に拉致して亡き者にするなど叶うものか! これは魔術による隠蔽に違いない!」

「はい!」

 

 何より、自分たちがこうして現界を維持できている事が、マスターが生存している何よりの証拠。

 ドン・キホーテの気焔に、サンチョも同意の声を上げる。

 

「それにしても、誰がいきなり火を撒いたのか! とにかく一度、外に出るぞ! サンチョ!」

「旦那様⁉︎ 」

 

 大槍を振るって炎を振り払うが、サンチョがまた困惑の声を上げた。

 

「ここ……外です! どうして⁉︎ 今まで壊れた城の広間にいたのに……⁉︎ 」

 

 サンチョらしからぬ不条理の声に、ドン・キホーテは再び大槍を振るって炎を振り払った。

 身長差のせいで、ドン・キホーテからでは炎の向こう側が見えない。

 

「んな──⁉︎ 」

 

 その振り払った炎の先に現れた光景に、ドン・キホーテが喫驚に固まった。

 そこは──見知らぬ町だった。

 見知らぬ町が、家並みがひとつ残らず打ち砕かれ、燃え盛っていたのだ。

 建築様式や残存するアスファルト、欠けた道路標識などから、姫が暮らす時代の、同じ国の町だと分かる。

 ──ところが、ドン・キホーテもサンチョも、召喚されてからこの三日間、姫の自宅とアインツベルンの森への往復くらいしか外出をしていないため、ここが同じ町なのか、姫の自宅からどの辺なのかも分からない。

 

「むうう! 何という事だ! これでは姫を守ること叶わぬではないか!」

「旦那様! あれを!」

 

 サンチョが指し示した方角を振り向く。

 遠く、山の斜面を切り拓いて作られた町の、黒煙渦巻く上空に、虚空に穿たれた穴とでも言うべき丸い(ほら)から、まるで溶岩めいた汚泥がだくだくと溢れていたのだ。

 その汚泥は山の斜面を流れ落ち、ドン・キホーテらがいる麓へと広がり、後方の昏い海へとだくだくと注ぎ込んでいた。

 周囲の炎は、その汚泥に触れた建造物に触れた端から炎上しているものだった。

 

「旦那様。ここは恐らく、マスターの暮らす町です。地形が酷似しています」

「だとして、これは何事か! 我らは今の先刻まで魔術師の城にいたではないか! これは幻か⁉︎ 」

 

 サンチョが無言でドン・キホーテのヒゲをひと摘み引き抜いた。

 

「痛い⁉︎ 」

「夢ではございません旦那様!」

「自分の髪とかでやってくれる⁉︎ 」

 

 若干涙目でドン・キホーテが訴える。

 だが、確かに痛痒で晴れなければ夢でも幻惑でも無い。

 

「事実から数えましょう旦那様。──私どもは無事。私どもは、手段は不明ですが、マスターの暮らす町中へと転移されました。マスターの所在は不明ですが、御身は健在」

 

 サンチョが、真剣な面差しで指折り列挙してゆく。

 

「アインツベルン城にいた敵陣営が姿を消した後に、何者かが町を焼いた。この大惨事を引き起こした者は、まだアインツベルン城にいた敵陣営の仕業とは断定できません! ついてこれてますか? 旦那様」

「構わん! 続けろ!」

 

 両のこめかみに指先を当てて集中するも、若干平衡の危うさを感じてはいたが、ドン・キホーテは話を促した。

 

「……町を焼いた手段は、あの山の上のあの魔術で間違い無いでしょう。そして、マスターの御身に合体したサーヴァントの使命からして、高い確率で、マスターはあの汚泥の源泉の元へと向かうでしょう。──旦那様、私どもも、急ぎあの汚泥の源泉の元を目指すべきかと存じます!」

「んんー、サンチョや! 姫はなぜ令呪でワシらを呼ばぬ? さすがに謎のサーヴァントの加護を受けてるとは言え、姫の御身ひとつでどうにかなる事態ではないと、そのくらいは見れば分かると思うんだが」

 

 苦手な頭脳労働を自らに強いて、サンチョに問う。

 

「はい。マスターは既に、令呪を一画切っておられます。もしかしたら、元凶に相対した時に呼ぶ算段かもしれません。──ご無事であれば、ですが……」

「ええい! ワシらがいる内は姫は無事に決まっておるわ! 姫の居場所が掴めん訳は分からんが、お前の言う通り、唯一の目印であるあの空の穴の元に向かうのが良かろうな! ならばいざ行かん! サンチョよ!」

「はい! 旦那様!」

 

 言って、そろって山地の方角へと駆け出した。

 身長差に基づくストライドから、サンチョが先行する形になるが、そのサンチョがその身を輝かせると、僅かに浮上した。

 その輝きがドン・キホーテの股下に滑り込むと、その輝きは形を揺らめかせて、大きく膨らみ、やがて紅茶色の体毛に包まれた美しい駿馬となった。

 美しい駿馬が、その背にドン・キホーテを跨る形で乗せて駆ける。

 

「さあ急げ! 我が愛馬、ロシナンテよ! ハイヨー!」

 

 サンチョは、サーヴァント・ドン・キホーテの同行他者であるのと同時に、人格ある宝具とでも言うべき存在。

 それはドン・キホーテの物語における主人公の従者であり、愛馬であり、ありとあらゆる周辺人物の集合体。

 故に、ドン・キホーテは何の疑問も齟齬も無く、それをサンチョと呼ぶし、愛馬ロシナンテと呼ぶ。

 そうして高速巡航形態となったサーヴァント・ドン・キホーテは町中を焼く炎を躱して、山の汚泥の源泉へと疾く駆けていった。

 

 

────◆

 

 あっと思った時には、視界が白く焼かれ、ディートリヒは唐突に足場を失い落下した。

 

「なんッッ⁉︎ 」

 

 臓腑が浮き上がるような嫌な底冷えを感じるや否や、大量の水に飛び込み耳をゴボゴボと言う音が覆った。

 

──なん、だと⁉︎

 

 ディートリヒは慌てて水上に上がろうともがく。

 だが夜間の水中は視野が暗く、渦巻く浮遊感に、どちらが上か判然としない。

 

──クソが! トラップか⁉︎

──マスター!

 

 混乱に呻くディートリヒの脳裏にアンの声が閃き、そのもがく両手を女の手がそれぞれ掴んだ。

 

「──ぶはっ⁉︎ 」

 

 ようやく水面から顔を出したディートリヒが、空気を貪る。

 口に入った水が、塩辛い。

 

「ゲホっ⁉︎ ──なっ、うっ、海⁉︎ 」

 

 そこは、星月の明かりしか見えない、広大な水面(みなも)の只中だった。

 今まで壊れたアインツベルン城跡地にいたはずなのに。

 

「なんだ⁉︎ なにがどうなってる⁉︎ 」

「落ち着いてくださいましマスター」

 

 ディートリヒの胴を抱きかかえて浮くアンが言った。

 

「マスターの魔術にかかれば、とりあえず身に危険はなくてよ?」

 

 そうだ。

 突発的な出来事で泡を食ったが、まだ魔術は継続している。

 どんな状況にあろうと、命の危険は無い。

 

「──どこだここは⁉︎ アインツベルンの森に、こんなでけえ池なんかあったか⁉︎ 」

「マスター! あれ!」

 

 同じように水に浮かんで波に揺れているメアリーが、一方を指差した。

 

「山が燃えてる!」

「んな──⁉︎ 」

 

 それはまるで、この世の終焉のような地獄の光景だった。

 遠く地上の山岳地帯上空に、まるで風景を抉ったかのような丸い洞が空き、そこから汚泥がだくだくと溢れ出て、斜面の町を焼きながら流れ落ち、平野部を燃やしてこの()へと流れ込んでいたのだ。

 立ち昇る黒煙に、町を燃やす炎が照り返して地上も空も赤黒い。

 その炎の陰になり揺れるガントリークレーンが見えた。──あれは、卯波港なのか──?

 その都市──卯波市のほぼ全域が壊滅状態となっていた。

 

「──な、なんだってんだよ……⁉︎ 」

 

 「瞬間移動」と「大規模な災害」と、有り得ない事が立て続けに起こっている。

 あの時、ワンボックスカーが突っ込んでいったアインツベルン城の残存部位を覗き込んだ、ちょうどその時に閃光をぶつけられ、この海に転移させられた。

 「瞬間移動」など、魔術では叶えられない高度な事象である。──それこそ遥か高みの階梯にあると言う「魔法」でなければ成せない(わざ)だ。

 それをまさか、あのアインツベルンの白痴の小娘が成したとでも言うのか⁉︎

 そして、地方都市を丸ごと灰塵に帰せしめる、あの燃える汚泥を撒く大魔術。相当な期間と十全な準備を施してようやく何とかなりそうな規模の魔術だと、ディートリヒは分析した。

 ──この聖杯戦争中に、そんな暇人がいただろうか?

 未だ会敵していないキャスターならば、サーヴァントによっては、もしかしたら、頑張ればなんとか可能かもしれない。多分。

 それほどの規模の、異常だ。

 だが、それをやる意味が不明だ。魔術師の存在意義──神秘の秘匿に悖る行為である。

 

「くそっ! こんな遠くに跳ばしやがって! とにかく(おか)に上がるぞ!」

 

 ディートリヒの号令に、三者が波を掻いて町を目指した。

 ──結局、体力差を考慮して、仰向けに浮かべたディートリヒを、アンとメアリーが凄まじい泳速で引っ張る方式で、三人はやがて波止場に辿り着いた。

 

 なるほど。ディートリヒの魔術は確かに効果を継続していた。

 如何なる手段にしても、海に出るしか無かっただろう。

 町中が炎に巻かれていたのだから。

 

 

────◆

 

 ──かつて、お城の窓から遠くの夜空で大きく弾ける火花を見た事があった。煌めく色とりどりの火花を散らす鑑賞物。それを「花火」だと知った。とても綺麗だと思った。

 お城の中庭で、魔術であの景色を再現してみた。

 そうしたら、お爺さまが大層な剣幕でお怒りになり、その魔術を禁止されてしまった。

 身の回りの者も全員入れ替えられてしまった。──尤も、彼らの顔などいちいち覚えてはいないけれど。

 でも、今なら花火の魔術を上げ放題だ!

 

「そおれ!」

 

 飛び切りの笑顔に、純白のドレスに炎の赤を照り返すウルティが、辺りで燃え盛る瓦礫や汚泥に、魔術を次々と放り込む。

 それらはやがて独特の笛の音を立てて炎の中から垂直に飛び上がり、遥か上空で大爆発を起こした。煌びやかな色を撒き散らして。

 

「あはははは! 綺麗ー!」

 

 ウルティは嬌声を上げてはしゃぎ、また次々と花火の魔術を周囲にばら撒いた。

 それら魔術が、続々と飛び上がっては爆発して、色とりどりの煌めきを撒き散らす。

 

「さあセイバー! 踊りましょう! なんて素敵!」

 

 差し出した白魚の如き手先を、セイバーが一礼してから(うやうや)しく取り上げ、ウルティの矮躯を導いて流麗な舞踏を歩み出す。

 

「あはは! あはははは!」

 

 その間も、ステップの切れ目に遅滞無く花火の魔術をあちこちに撒き散らしてからセイバーの腕の中に戻る。

 ──なお、花火の魔術の媒介とされた、元は民家だった瓦礫は、その発射の衝撃でさらに壊滅的に破壊された。

 

 

 そんな地獄の悪魔の舞踏会に、進み出てくる者がいた。

 シルクハットを頭に乗せた、エプロンドレスの少女だった。

 

「なんて綺麗な舞踏会。──お姫様。どうか私と一曲、踊ってくださいませんか?」

「──あら?」

 

 身を翻したところでダンスを中断したウルティは、はにかんでスカートの両端を軽く摘んで会釈した。

 

「素敵なお客さま! 是非、一緒に踊ってくださいな!」

 

 ウルティが差し出した掌に、シルクハットの少女もスカートの両端を摘んで応え、手を伸ばして進み出た。

 セイバーは後退して、離れた場所で控えている。

 

「私のような、卑賤の身に余る光栄を下さり感謝致します、お姫様。──『故国に愛を、(ラ・レーヴ・)溺れるような夢を(アンソレイエ)』」

 

 ウルティの矮躯の、腹から背中へとバヨネットの切先が貫いた。

 

 

────◆

 

 燃え盛る民家を種火に花火の魔術を打ち上げて踊るアインツベルン城にいた二人の、狂った舞踏会を、目撃したドン・キホーテとロシナンテたるサンチョは、結局無視して走り去った。

 なぜ姫と同じ顔なのかはさて置き、あの陣営の元に姫がいないとなれば、まずは当初の目的を最優先すべきと判断した為だ。

 ──正直、胸中ではあの惨状を踏みにじる外道な振る舞いに、怒りが煮えたぎっていた。見かけたその場で成敗したい思いに駆られた。

 だが、ドン・キホーテはそこまで己を見失ってはいない。

 確かに、当世に伝わる「ドン・キホーテの物語」では、向こう見ずの猪騎士として描かれているが、このサーヴァントのドン・キホーテは、それら派生の物語を俯瞰して、反省して、現実を見つめ直した我流騎士と言う存在。

 故に、己の為すべきを誤らない。

 この町の惨状の元凶であるアインツベルン──サンチョはまだ断定できないと言うが──に対しては、後で落とし前をきっちり付けさせると胸に誓い、ドン・キホーテは姫を探し求めて山道を突き進んでいった。

 山の手の町は、道路が全て燃える汚泥の流れに塞がれてしまっていたため、ドン・キホーテはロシナンテの強靭な脚力で、瓦礫の屋根から屋根へと飛び移って進行していた。

 やがて緑深い山地の中腹の、汚泥を吐き出す虚空の洞を見上げる地点に差し掛かったところで、ドン・キホーテとサンチョは、それを発見した。

 

「──姫……?」

──いえ、旦那様。あれはマスターではありません。

 

 山の中腹の、開けた場所で、瀑布の如き汚泥を見送る、ひとりの少女の姿があった。

 だがその少女は、顔は梨花に酷似していたが、栗色だった髪は漆黒で長く、表情は虚ろ。

 そして何より、魔力パスが通じていない。

 

 

────◆

 

「亡くした奥様と、娘御さんのこと。諦めきれなんだか」

「はい」

 

 向かいに座る竜胆寺オーナーの言葉に、市ヶ谷は頷いた。

 六畳間の座敷で。

 二人の座布団の間で、ふたつの湯呑みが湯気も立てずに置いてある。

 

「──コレが顕れてしまっては、つまりは本心からそう思っていると言う事でしょう」

「無視すればよかろうが。聖堂教会の監督役に言えば、適切に引き剥がして処理してくれよう」

 

 市ヶ谷の、左手の甲に浮かび上がる赤い痣──令呪を見合って言う。

 

「もっとも、先刻承知の事だろうがな」

「はい。──僕は、聖杯戦争に参戦しようと思います」

 

 竜胆寺オーナーは、目を伏せ、深い深い溜め息を吐いた。

 

「──馬鹿者が」

 

(──いや、まったく──)

「sたーッ⁉︎ マスター! しっかり⁉︎ 」

 

 朧げな意識に聞き馴染んだ肉声が聞こえ、市ヶ谷が覚醒した。

 

(──手足の感覚、ある。今は横に倒れて──)

 

 セルフチェックをしていて、己の身に起こった大事を思い出す。

 

(──そうだ、右腕が……)

「マスター! 目を開けて! しっかりしてください! マスター!」

「……状況は?」

「ッ、マスター!」

 

 市ヶ谷の上体を起こしてその背を支えていた由井正雪が、安堵に気色を浮かべるが、マスターの質問に気づいてすぐに厳格な戦闘態勢の顔になる。

 

「直近に敵はありません。ひとまず安心してください」

 

 痛む首をゆっくりと巡らせて、周囲の景色を眺める。

 場所は変わっていないようだ。

 

「マスターの負傷ですが──気をしっかり持ってください。私が戻ってきた時には、切断された右腕が、どこにも見当たりませんでした。緊急を要したので、傷口を魔術で塞ぎ、痛痒緩和の魔術をマスターに施しました」

 

 言われ、右腕に遣った左手が空を切った感触に、市ヶ谷は半笑いのような呼気を吐いた。

 

「……ははっ。命があっただけ、めっけもんか。……竜胆寺オーナーと、あの皆さんは?」

 

 彼らに甘えるつもりも無いし、制限時間を超過したのも市ヶ谷のミスだ。──とは言え、彼らが重傷の人間を放置しておくのも妙だと思った。

 

「……それが──」

 

 珍しく、由井正雪が言い淀んだ。

 すなわち、由井正雪をして判断に困る状態だと言う事。

 市ヶ谷は、己の頭脳がだんだん明晰に覚醒してきている事を自覚した。

 右腕以外の全身を使って、器用にバランスを取ると、由井正雪の手から離れ、膝をついて立ち上がった。

 だが喪った右腕の重量分バランス感覚を欠き、一歩たたらを踏んで立ち直した。

 そして、その目に映った光景に息を呑んだ。

 

「──な る ほ ど 」

 

 何か合点がいった訳では無い。口から漏れた四文字に意味は無い。

 だが、確かに由井正雪が表現に困る光景が、そこに広がっていた。

 麓の町が、燃えていた。

 見下ろす渓谷の中空に穿たれた洞から、汚泥がだくだくと溢れて卯波の町を焼いている。

 見渡す限りが一面火の海となっていた。

 だが、ここまでをとりあえず強引にさて置いても、奇妙な事がある。

 近くを見回しても、竜胆寺オーナーと、対魔術セクションの僧侶達がいない。──と言うよりも、行くべき場所が見当たらない。

 一番近い鍾乳洞の観光案内所であるお堂が、土台を残して木っ端微塵に吹き飛んでいたのだ。

 飛散したと思しき瓦礫が、あの中空の洞から反対方向に並んでいる事から、恐らくアレが発生した際の衝撃波に吹き飛ばされたのだろう。

 だが、竜胆寺オーナーと対魔術セクションの僧侶達は、あの程度の衝撃で挫けるような生半な人種では無い。

 裾野の救助だかに向かったのだとしても、市ヶ谷を放置する意味が分からない。

 そして、先の由井正雪の言葉──

 

「──「私が戻ってきた時」……って言うのは、どういう事?」

 

 つまり、記憶の最後、竜胆寺オーナーらが閃光を伴う術式を放った直後から、由井正雪が一時離れていた、と言う事になる。

 それは何故なのか。

 

「私の身に起きた事を、順に御説明します。あの時の、竜胆寺住職が行った魔術は、「強制退去」の魔術でした。任意の対象を、敷地外に強制的に退去させる魔術です」

 

 由井正雪の説明に、ひとつ疑問を感じて市ヶ谷は首を傾げた。

 

「……あとでまとめて聞こう。続けて」

「はい。私は、気がつくと、この敷地の外縁にいました。恐らく、霊的存在を強制的に弾く術式だったのでしょう。跳ばされる瞬間、魔力パスが動いていなかったので、マスターは同じ地点に残っている、つまり「強制退去」の対象に、マスターは入っていなかった、と言う事になります」

 

 サーヴァントにも関わらず、一度息継ぎした由井正雪に、市ヶ谷は頷いて先を促した。

 

「そして、奇妙な事に、私を強制退去しておきながら、敷地への再突入が可能でした。つまり、私がマスターから引き離されてから戻ってくるまで、一分もかかっていません。マスターの御身が無事なのに、切断された右腕が付近に見当たらないのは、妙です。あと、竜胆寺住職と、共にいた方々の姿が、この短時間で消えた事も」

「──なるほど」

 

 今度はちゃんと、情報を分析した上での得心の言葉だ。

 

「じゃあ質問。敵マスターの姿は見かけた?」

「いいえ」

 

 市ヶ谷の問いに、由井正雪が即答した。

 

「だよねえ。僕らが言うのも何だけど、瞬間移動は高難度の"魔法"の域だ。だから恐らく、先の「強制退去」の魔術は、対象を物理的に敷地外へ吹き飛ばしているはずだ。そして霊体化したサーヴァントには慣性は働かない。──敵サーヴァントはともかく、敵マスターはブラックアウトを起こして意識不明の上、方角によっては岩壁で血の花になる恐れもある──まあそんな事態はあの敵サーヴァントが許さないだろうけどね」

 

 いつものように両手を上に向けて肩をすくめようとして、それが不可能な事に気付いて収まりが悪くなる。

 だが、市ヶ谷の妙な仕草の意図が分からない由井正雪は、ただ真顔で話の続きを待っている。

 

「……つくづくユイちゃんは、面白いひとだねえ」

「……マスターの腕の喪失を前に、とても冷静ではいられません……!」

「ごめんごめん悪かった」

「私は別に、気を悪くしていませんが……?」

 

 両手を拝み打ちにして平謝りしようとして、左手を空振って、そしてかつてと同じ事を言う由井正雪に、市ヶ谷はしゃっくりのような音を立てて笑った。

 

「っは。……いや、ごめんよ。ユイちゃんはそのままでいてくれ。そうすると、僕も気が楽になるんだ」

「マスターがそう言うのであれば、なるべく励みます」

 

 更なる素ボケを重ねられて、市ヶ谷は腹を押さえて笑いを必死に堪えた。

 

「……っ! ダメだ、これ以上は泥沼だ! ……あー。いい感じで(ほぐ)れてきたし、これからの実際的な話をしよう」

「はい」

 

 市ヶ谷が居住まいを正して、改めて周囲を見回した。

 

「確かに、こうしてここでお喋りしていても、邪魔者が来ない。一分足らずで竜胆寺の皆さんがどこに行ったのかは分からない。でも、彼らもプロだから、その行方はさて置こう。そして、直近のトラブルとしては、あの町を焼く謎の災害魔術か」

 

 山の斜面を見下ろして、渓谷の中空に浮かぶ洞を眺め遣る。

 

「──これは、令呪を伴わない命令だけど、あの町の人々の救助は考えないように。それは地元の消防の仕事だし、ユイちゃんひとりが霊体化して急行しても、もう遅い」

「……はい」

 

 思った通り、無辜の市民の被害に気を揉んでいたらしき由井正雪が頷いた。

 

「ユイちゃんは、あの泥を吐いてる空中の洞の付近を偵察してきて。他のサーヴァントの気配や、危険を感じたら即離脱すること。──僕は、もう少しこの辺で切れた腕を探してみるよ」

「承知しました」

 

 

────◆

 

 アインツベルン城跡の壊れた広間から、突然自宅の居間に場所が変わった梨花は、自分と同じく喫驚した様子の父親と向かい合って、目を白黒させていた。

 だが、今の梨花の頭脳には、ルーラーのサーヴァントが聖杯より与えられた現代世界の基礎知識が備わっている。

 ──つまり、この一年間で自分の肉体に施されていた処置が、「腎不全のための透析」とは異なる事を知っている。

 だから梨花は、父親から素早く飛び退いて身構えた。

 無意識の動作だが、それはルーラーのサーヴァント個人が持つ徒手格闘技術の構えだ。

 

「──お、お父さん! 今まで、透析って言って、本当は私に何をしたの⁉︎ 」

 

 すなわち、「腎不全のための透析」と偽って自分の身体に行われた処置は、いったい何だったのか。

 それは梨花の人生の時間の浪費であり、事と次第によっては父親と言えど蹴りのひとつやふたつでは許せない行為である。

 

「魔術刻印の継承のための下準備と、現在進行中の研究の試行の為の、梨花の魔術回路の強化措置だよ」

「──え──?」

 

 父親は、いつもの澄まし顔で、夕食の献立でも誦んじる調子で答えた。

 梨花も思わず「あ、そうなんだ」と態勢を解いて答える所だった。

 

「決してお前を害するものでは無いし、次のうなみ祭りまでには完了して、もとの生活に戻れる予定だった」

「……」

 

 梨花が呆気に取られているうちに、父親はすらすらと淀みなくその顛末を語り終えた。

 

「次はお父さんの質問に答えてくれるかな。梨花。今日は何曜日だ?」

「え? ……日曜、び……」

「ふむ」

 

 父親は、梨花の好きなおかずでも聞いたかのように、ごく普通に相槌を打った。

 

「それじゃあもうひとつ。今、梨花の中にはサーヴァントがいるね?」

「ええっ⁉︎ 」

 

 更に思いがけない問いに、梨花は混乱した。

 ここしばらく出かけていた父が、何故それを知っているのか。

 

「どっ⁉︎ ど、どどどうして⁉︎ 」

「我ながら、素直な娘を持った事は親として喜ぶべき事なんだけどねえ。つくづく外道な事で、悲しい事なんだろう」

 

 ふっ、と。父親は呆気なく梨花に歩み寄り、ぽん、と頭を撫でた。

 サーヴァントの能力で警戒していたにも関わらず、梨花は反応できなかった。──余りにも父親の動作が自然過ぎて。

 

「あ──」

「なんなら、そのパワーでブン殴られても仕方の無い事だし、そうされてもお父さん文句はぜんぜん言わないけど、できたら、お父さんのお願いを、いっこだけ、聞くだけ聞いてもらえないかなあ」

 

 僅かに屈んで、愛おしげな微笑みを浮かべて優しく言う父親。

 ──それは、途轍も無く異常な事で、現在進行形で梨花の知る日常世界をめちゃくちゃに壊しているのに。

 梨花には、父の話を拒む事ができなかった。

 

「……なに……?」

 

 なぜなら、梨花の身体に流れる、父親から受け継いだ魔術回路が、それがもたらす魔術的感覚が、その顛末を察知していたから。

 

「近い未来に、この卯波市は壊滅する。お父さんもできる限りの事はするから、ねえ梨花。この世界を、救ってくれないかなあ」

 

 様々な情報の奔流が、いろいろな感情の濁流が、胸中で荒れ狂って、涙となって溢れてくる。

 何故だろう。魔術師としての理屈が、父親としての愛情が、その土地で暮らす民としての隣人への互助思想が、ぜんぶ分かる。(わか)ってしまう。

 

「──わ、わtっt」

 

 顔が涙でぐちゃぐちゃだ。

 でも梨花は、是と応えたい。

 戦慄(わなな)く唇に、力を込めて言い直す。

 

「……わたしに、できるかなあ?」

「もちろん。梨花は一年間、頑張ってこれたじゃないか。きっとできるよ。それに」

 

 慈しむように頭を撫でる掌が、確かにそれは温かい。

 

「それに、お母さんが待ってる」

 

 

──第十三話 サンクスギビング・デイ! ──

 

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