【Fate/La Festa】 フェイト/ラ・フェスタ   作:鉄槻緋色/竜胆藍

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第十八話 それはハンドキスのサイン

 

「なんだねなんだね皐、話とは」

 

 (こう)に袖を引かれるまま着いてきたカエサルが、ぼやくように訴えた。

 大童でごった返す卯波警察署の対策本部とされた部屋から赤い袖を引き、人通りの少ない廊下でようやく皐が足を止めた。

 

「って言うか、(がい)さんもう目的を見失ってるでしょ」

「いやはや、こんなに賑やかな軍議場はゲルマニア出征以来であるな! いや時系列は我ながら曖昧であるが」

「なにやり遂げた顔してんのさ!」

 

 爽やかな笑顔で額の汗を拭うカエサルの、引っ張ってきた片腕を投げ捨てる。

 

「これだよコレ!」

 

 口角泡を飛ばす勢いの皐が、一枚の紙を振って突きつけた。

 

「む? それがどうかしたかね」

 

 それは、カエサルが警察署長に指示して運輸局から取り寄せた登録事項等証明書──自動車のナンバーから割り出した、その所有者の個人情報を記した用紙である。

 その自動車とは、昨夜のアインツベルン城跡地に残されていたワンボックスカーのものだった。

 昨夜の作戦の後、戦場跡地に乗り捨てられていた謎のワンボックスカーを発見した皐が、ドアが施錠されていて移動させられなかったため、持ち主を探る為にナンバーを控えていたものだ。

 

「これの持ち主の所に調査に行こうって言ってたじゃんか!」

「それなら、とっくに警察官(カラビニエリ)に命じて向かわせているとも!」

 

 皐はあんぐりと口を開け、呆れと喫驚と絶望が混じった顔で見返した。

 

「な⁉︎ なんでそんな、魔術師でもないのに、お巡りさんなんかに行かせて逆襲されたらどうすんのさ⁉︎ 」

「……何に襲われると言うのだ?」

「えっ?」

「えっ?」

 

 きょとんとした顔でふたりが見合い、しばし間の抜けた静寂が舞い降りる。

 

「……いや、あの場にあったんだから、どこかの陣営のマスターの持ち物だから、その敵の拠点を割り出す手掛かりなんだよ……?」

「む? 自動車なんぞ、我々はいつもそこらのものを取っ替え引っ替え乗っていたではないか。元の持ち主がマスターだとは断定できまい?」

「えっ?」

「えっ?」

 

 またしばし、間の抜けた静寂が舞い降りる。

 

「……いや、僕らが使ってるセダンは、凱さんの権力で手配した公用車だから好きに使っていいんであって、普通は、一般では持ち主と乗り主は同じものだよ?」

「そうは言っても、例えば敵の敵の旗を吊るした戦車を敵地に放り込んで混乱を誘うのは戦の常套手段なれば、どうせあのクルマも持ち主偽装を装った卑劣なマスターの盗難車に違い無く、そんなに優先重視される事項では」

「城壁に突っ込んで無傷で済む一般車があってたまるかあーーーーッッ!」

 

 とうとう皐が、人生これまでで最大の絶叫を吐いた。

 

「どうした皐⁉︎ 何をそんなに猛っている⁉︎ 」

「確かにこの町はヤクザが多いけど! わざわざアインツベルンの森に突貫してくる自動車なんて奇特なモノ作ってるのは絶対に百パー魔術師で! あそこにあった時点で持ち主が即マスターなのは確定なんだよ!」

「むう。皐がそこまで強く主張するのを見るのは初めてであるな」

「……昨日と一昨日の僕の怒りは眼中にも無かったの……?」

 

 きょとんと目を丸くした顔で感心するばかりのカエサルの前で、皐はヘナヘナと脱力して沈没していった。

 

「……とにかく、この証明書の住所はほぼ確定で敵マスターの拠点だから、迂闊にお巡りさん向かわせたら危険だって」

「それならば、その心配はいらない! その前にアーチャーのマスターに同じ情報を流しておいたからな! もし逆襲されるとしたら、どうせ事を急いて先んじた向こうの手勢のみである!」

「……いつの間に……」

 

 それを聞いた皐が、とうとう膝の力も抜かして廊下に座り込んでしまった。

 

「何しろ今朝になって突然のアーチャー陣営の一斉蜂起が起こったからな! 謎のサムライ集団も然り! 故に皐に伝える事をすっかり失念してしまっていたのだ!」

 

 先に言えよと思うと同時に、今朝からの急展開では確かにその暇が無かった事も理解できる。

 ──とは言え、である。

 

「……そっか……いくら聖杯からの知識があっても、常識まで完全に同じになるとも限らないか……」

 

 歴史上の人物との認識のすれ違いの根本を垣間見た皐が、反省の溜め息を吐いて、ふと、その手の書類を捲って見た。

 

「………………あれ? 「辻松」……?」

 

 

────◆

 

「──ご無沙汰してます。……辻松(つじまつ)友里(ゆうり)さん」

 

 眠たげな苦笑顔で、ごく普通の挨拶のように呼びかけた市ヶ谷の声に、その黒髪の女性──辻松友里が振り向いた。

 この暗黒の災害魔術に見舞われている状況にそぐわない、明るい微笑みを浮かべて。

 ──その肩越しの向こう、平野部の町からなぜか色とりどりの花火が上がったが、意味不明だったので今は無視する。

 そして辻松友里が、微笑みを浮かべた顔を残して上半身がお辞儀し、さらに分裂した顔が左右に小首を傾げて同時に喋り出した。

 

「gwlcvlsqthyivnwdすね市ヶ谷さん」

 

 バラバラな発声が、流暢な呼びかけに収束する。

 それはまるでCGで映像を重ね合わせたかのような光景だった。

 だが市ヶ谷の卓越した視聴覚は、それを「一箇所に重なった、四人の辻松友里が、同時に身動きして喋った」ものだと見切った。 

 

「あら。こんにちわ、市ヶ谷さん」

「お久しぶりですね。市ヶ谷さん」

「ご無沙汰してます。市ヶ谷さん」

「こんな所で奇遇ですね市ヶ谷さん」

 

 故に、同時に発声された前半の台詞を、四者の発言を脳裏で分解して再構築できる。

 ──だが、なんだ?この現象は。

 由井正雪とはまた異なる種類の分身の魔術を、わざわざ披露してまでやる事が、ただの挨拶だと?

 市ヶ谷はその辻松友里の奇行を訝しんだ。

 

「ああでも」

 

 ぱた、と両掌を合わせた辻松友里の、続く言動に市ヶ谷は今度こそ絶句した。

 その姿が、先の数倍の数に分身した。

 

「fjbblk」

「kぱxlb」

「nyqdむ」

「fryrkq」

 

 そしてそれぞれの辻松友里が全く異なる発言を繰り出したのだ。

 ショッピングモール等で行き交う人々の発言を全て同時に聞き取り、必要な情報のみを抜き出す技能を持つ市ヶ谷をして、それは異常な光景だった。

 朗らかな笑顔だけが共通しているが、立ち位置のみが軸を打たれたように同一箇所で、無数の辻松友里が全方位を振り向いたのだ。近頃のSF映画か、テレビゲームのバグでも目撃したような気分だ。

 それら無数の辻松友里が、身振りを交えて同時に何かを喋った。ほぼひと言を。

 だが、市ヶ谷にはそれらが何を言ったのか、聞き分けられなかった。

 ──辛うじてそれが全て日本語だと言う事は分かった。

 何が聞き分けを困難にしたのか……そうだ、唐突に「文面の途中から」喋り出した辻松友里が数多くいた。それだけはどうにか理解できた。

 ──しかし、相変わらず「なぜそんな不可思議現象を起こすのか」のその理由、唐突に現れた辻松友里のその行動原理がまったく読めない。

 やがてこちらを──いや市ヶ谷の後方──由井正雪らをこちらの肩越しに眺め遣った辻松友里が、そちらを指さしてにっこりと微笑んだ。

 

「Дща」

 

 今度の辻松友里の無数に重なった発声は、もっと短く、もっと膨大な数だった。

 それはもう、どれも音節が短か過ぎて、言葉かどうかすら分からない。

 だが、市ヶ谷の勘が、長年培った経験と感覚が閃き、導き出したその底冷えのする悪寒に気付き、辛うじて身体が反応した。

 ──その市ヶ谷の勘は、辻松友里がこんな事を言っていると導き出した。

 

『材料がこんなにいっぱいあるじゃない!』

 

 そして、聞こえた発声の中に、日本語以外の発音が混じっていた事にも気付いた。

 それは、つまり──

 

「令呪を以て命ずる! キャスター!」

 

 市ヶ谷は咄嗟に傍らの由井正雪の片手を掴み、絶叫した。

 

「敵の魔術に完全に抵抗しろ!」

「ますっ⁉︎ 」

 

 こちらを指さす笑顔の辻松友里が、眩く輝きを放つ──景色自体が白んでゆく──いや、視野の光量自体が──これは、竜胆寺オーナーが現れたあの時の──⁉︎

 足場は確かなのに、風が逆巻く──いや、まるで自由落下するかのような全方位からの加速感──

 刹那の判断の交錯の末、市ヶ谷の長い長い戦歴をして形容できる何ものも無い不可思議な現象が、不可思議な力の奔流が市ヶ谷の意識を、精神を圧倒的な光量で圧し流してゆく──

 

 

────◆

 

 あっと思った時には視界が白く焼かれ、ディートリヒは唐突に足場を失い落下した。

 

「なんッッ⁉︎ 」

 

 臓腑が浮き上がるような嫌な底冷えを感じるや否や、大量の水に飛び込み耳をゴボゴボと言う音が覆った。

 

──またかよォッッ⁉︎

 

 ディートリヒは慌てて水上に上がろうと両手足で水を掻いた。

 

──マスター!

 

 混乱に呻くディートリヒの脳裏にアンの声が閃き、そのもがく両手を女の手がそれぞれ掴んだ。

 

「──ぶはっ⁉︎ 」

 

 ようやく水面から顔を出したディートリヒが、空気を貪る。

 口に入った水が、塩辛い。

 

「ゲホっ⁉︎ ──なっ、うっ、海⁉︎ 」

 

 やがて突き出た水上で水を吐き、空気を貪るディートリヒは慌てて周囲を見回した。

 

「知ってるぞ! ニホンのコメディで言う「テンドン」って奴だな!」

「マスター! 気をしっかり持ってくださいまし!」

 

 ディートリヒの胴を抱きかかえて浮くアンが言った。

 

「マスターの魔術にかかれば、とりあえず身に危険はなくてよ?」

「重ねボケありがとよ! ──岸まではどんくらいだ」

「ええっとねーさっきと同じくらい」

 

 空と海が青い。

 隣で波間に浮かぶメアリーが指さす港町を、無事なガントリークレーンの群れを見遣る。

 まるで訳が分からない。

 ディートリヒらは、あの燃え盛る卯波市()()()()卯波市の沖合いに再び跳ばされた──そう考えるしかない。

 時間の変化の理由もまるで見当がつかないが。

 

 

「サムライさんよ! 話があるんなら、聞くぜ!」

「ああ。では聞いてもらおう」

 

 炎に囲まれた係留桟橋で。

 中性的な、日本人離れした容貌の、綺麗な白髪をポニーテールに括ったサムライが語り出した途端。

 その場にいた無数のそのサムライが、分身達が一斉に輝きに身を変じ、不意に目を焼かれて喫驚した時には足場が消えていたのだった。

 

 

「なんだってんだ⁉︎ さっきまでいた燃えた町は、固有結界か何かだってのか⁉︎ あのサムライのハナシってのは転移魔術の事か⁉︎ 」

「まあまあ。魔術にいちばん詳しいマスターにはそこら辺考えて貰うとしてさ、とりあえずさっきの要領でマスターを岸まで運ぼうよアン」

「分かりましたわ」

「おう俺の扱いがぞんざいな気がするぜ」

「気のせいだよー」

 

 そして仰向けに浮かべたディートリヒの両手を引き、サーヴァントふたりが物凄い速さで泳いで曳航してゆく。

 

──マスター。町に大火事の影響はありませんけれど、港の様子がおかしいですわ。

──あ? どんなだ。

 

 泳ぐアンが、未だ遠い港をアーチャーの眼力で見たその異常に気付いた。

 

──もし今が森の作戦の翌日なら、(おか)はもう労働の日でしょう? 荷揚げ屋の動きがありませんし、腕がカラフルなならず者がうろついていますわ。

──……なんだそりゃ。 つくづく、フラゥゾマーの魔術が危険から引き離してくれたようだな。

 

 脳裏に閃く情報に、ディートリヒをして半眼で呻かざるを得ない。

 

(そう言や、無断欠勤になっちまうんじゃねえか? コレ)

 

 ふと、詮無いことを思い付く。

 せっかく馴染んだ仕事場ではあるが、令呪を授かった以上は遅かれ早かれ別れることになる場所だ。

 

(建午(けんご)さんの荷受けができなくなるのは、ちっと寂しくはあるが……)

──そう言えばマスター。先ほどサムライに囲まれていた時も山の方の暫定セイバーを観察していたのですけれど。

「……あぁ?」

 

 ぼんやりとした物思いに耽っていたディートリヒが、間抜けな声で返事する。

 

──シルクハットを被った女が、暫定セイバーの心臓部を背中から突き刺しましてよ。

──は⁉︎ 致命傷か⁉︎

「っげほッ⁉︎ 」

 

 喫驚のあまり、身を竦めたディートリヒが一瞬顔まで沈んで水を飲み込んでしまう。

 

──暫定セイバーの消滅を見る前に転移されたから、その後どうなったかまでは、わかりませんけれど。

──やり口からして、アサシンのサーヴァントか。

 

 ディートリヒが呻く。

 ウルティ殺害から山の中腹まで、随分と距離があるはずだが、サーヴァントが単独で霊体化して急行したならば普通に敢行可能だろう。

 

(……これでアインツベルン陣営は脱落か……)

 

 ウルティに思う所はあったが、魔術の闘争においては詮無きこと。

 ……分かってはいるのだが……

 

(……じゃあ、山の上にいたっつう黒髪のそっくりさんとやらは何者だ?)

「ねえ〜アン〜。なんか陸がさっきより遠くない?」

 

 ディートリヒの思索に、当のメアリーの呑気な声が割り込んだ。

 

「確かに先ほどからあまり近づいてないような……いえ、これは……潮の流れに巻かれてますわ!」

「なんだとお⁉︎ 」

 

 

────◆

 

──やれ! シャルロット!

「『故国に愛を、(ラ・レーヴ・)溺れるような夢を(アンソレイエ)』!」

 

 山の中腹、空中に空いた謎の洞の傍らの空き地にラウラとシャルロットはやって来た。

 ラウラは抱き上げられていたシャルロットの腕から抜け出ると、そこで膝をついて俯いている偉丈夫のサーヴァントの背中に向けて指をさした。

 とことこと小走りで駆け寄ったシャルロットが、真名解放して自らの宝具を展開する。

 そのバヨネットは迷わず過たず、偉丈夫の背中からその急所、心臓にしてサーヴァントの要たる霊核を刺し貫いた。

 

──向こうに大勢のサムライのサーヴァントがいますよ⁉︎

 

 その位置まで接近して、シャルロットはようやくこの巨体の向こう側にある大勢のサーヴァントの気配に気が付いた。

 

──港の方に行くっつったのに⁉︎

 

 突然の意外な情報にラウラが泡を食うが、別働隊という事なら矛盾は無い。

 偉丈夫のサーヴァントの背中からバヨネットを引き抜いたシャルロットが後退してラウラの前に立ちはだかる。

 角度的に、この巨体の向こう側にいる連中は見えないが──

 

──どっちみち、宝具を展開したシャルロットに攻撃は届かない! このままズラかるよ!

『──これが──』

 

 突然聴こえてきた男の異様な声に、振り返りかけたラウラとシャルロットの身動きが止まった。

 見れば、偉丈夫のサーヴァントが、ほの黒いオーラを纏っていつの間にかこちらを向いて立っていた。

 

(死んでない⁉︎ そんなバカな⁉︎ )

 

 ラウラがその異常に目を剥いた。

 

──有り得ない⁉︎ 確かに急所を貫いた! シャルロットの宝具にミスは無い!

『──これが、貴様の、試練。──不意の急襲──』

「シャルロット、逃げ──」

 

 濡れ髪の下の穏やかな、精悍な顔が告げるのも聞かず、ラウラの指示に従ったシャルロットがラウラの矮躯を横抱きに抱き上げた。

 

「ラウラっ⁉︎ これ──⁉︎ 」

 

 喫驚に呻いたシャルロットの声音にラウラが目線を落とすと、あろう事か、何故かあのサムライに繋いでもらった左足が光り出していた。

 

「──んな、なんだよこれ⁉︎ 」

「ラウラっ⁉︎ 」

 

 それは見覚えのある白光。

 熱は感じない。

 全ての色を含むが故の白き輝きが目を焼き、視界を埋め尽くした。

 

 

────◆

 

 (まぶた)を焼く光量の変化に対して、きつく瞑っていた目をそっと開くと、景色が一変していた。

 いつの間にか片膝を落としていた市ヶ谷が、左手の感触を確認してそちらを向くと、同様に座り込んで困惑した様子の由井正雪がいた。

 だが、その後方にいた百五十にも増殖した由井正雪たちが、ひとりも居なくなっていたのだ。

 

「──こいつは、また……」

 

 思わず市ヶ谷をして口の端を引き攣らせて呻く。

 原理は不明だが、あの時に辻松友里が展開した魔術は、霊脈から増殖したサーヴァント百五十体を魔力源に再変換した上で、転移魔術を行使したのだ。

 その魔力変換に、この市ヶ谷のピアスを着けた由井正雪が元々含まれていたかどうかは分からない。だが、あの時の令呪は危機に対するコストとしては妥当だろう。

 辺りは、鍾乳洞窟の入り口がある岩壁の前の広場。

 初夏の昼前の爽やかな日差しと青空。

 周囲には、こちらの世界の時間にして昨夜の戦闘の痕跡と、荒れた魔法陣の跡。

 そして、ここまで無視しておいて申し訳ないが、竜胆寺の魔術セクションの僧侶が三人、錫杖をこちらに突き付けて取り囲んでいた。

 

「……ども。 昨夜ぶり、でしょうか?」

 

 薄ら笑いを浮かべて、屈んだままの市ヶ谷が、彼らの誰にとも無く僅かに会釈した。

 

 

「アインツベルンの魔術師の転移魔術と誤干渉を起こしたのであろうな」

 

 あれから、別の施設の和室に移動して、再会した竜胆寺オーナーが言った。

 

「昨晩のあの時、あの小娘めがここの霊脈に干渉してやろうとした事よ。それと、我らの強制退去の魔術が絡んだものと見ている」

「アインツベルンの魔術師は、あちらの世界に行こうとしていたと?」

「そんなモンは知らん」

 

 市ヶ谷の疑問に、竜胆寺オーナーは蝿でも払うように片手を振った。

 

「お主の身に起きた異常について、推察できるのは、これくらいよ」

「そうですか」

(……だが、あの世界の(かなめ)にいたのは、十中八九、辻松友里さんだ)

 

 表情に出さぬまま、市ヶ谷は呻いた。

 ──やはり、辻松夫妻がアインツベルン陣営に与していたのか。よく似たアインツベルンの魔術師の少女と言い、確かめなければならない。

 

「失礼します。お持ちしました」

 

 やがてそこに僧侶がひとり、大きなクーラーボックスを持ち運んできた。

 畳の上に丁寧に起き、お辞儀をして退出してゆく。

 

「一応、保存しておいた。何かと不便だろう?」

 

 おもむろに言った竜胆寺オーナーの意図に見当が付かぬまま、クーラーボックスのロックを解除している様子を眺めていると、青い樹脂製のケースの中から取り出されたのは、なんとビニール袋に密閉されて冷凍された、市ヶ谷の切り落とされた右腕だった。

 

「どれ。繋げて進ぜよう」

「──いや、しかし、肩入れはしないと──?」

 

 思いも寄らなかった竜胆寺オーナーの気遣いに、市ヶ谷は酷く困惑した。

 例え個人的に懇意にはしていても、それはそれとして、それぞれに立場のある身の上だ。

 その線を超えて甘えられる事態と身分では、無い。

 それに、市ヶ谷自身はとうに自分の右腕の事は諦めていた。

 

「何を言う。ここは竜胆寺とは関係のない場所で、わしは友人の治療をするだけだ。何も、問題は、無い」

 

 区切るように言って、竜胆寺オーナーが精悍な顔に存外似合う茶目っ気たっぷりの愛嬌のあるウインクをした。

 

「それは──」

 

 市ヶ谷は、久しく感じる親しいひとの思いに胸が熱くなった。

 税関業務を委託しているディートリヒなど、この町での生活で出会った人もいる。

 それに引き換え、自分と来たら──

 

「どうか、断ってくれるなよ。お主はともかく、ご近所さんがたまげるだろう」

「そうですね。でも──」

 

 伏せていた目を再び上げた市ヶ谷は、竜胆寺オーナーに、その手に抱える自分の右腕に左手を差し出した。

 

「──他所の陣営から、どう見られるか分からない以上、最低限の線引きは必要です。こちらで繋ぎますので、それをください。 僕には、頼りになる魔術師がいますので」

 

 言って、市ヶ谷は僅かに由井正雪に目線を遣る。

 隣で正座している由井正雪は、二心の無い澄まし顔でそれを見返していた。

 そのふたりを眺め遣った竜胆寺オーナーは、薄く息を吐くと、クーラーボックスに詰め直した右腕を市ヶ谷に手渡した。

 

 

────◆

 

 由井正雪の、マスター捜索に協力する一時的同盟を組んだ梨花たちは、山の入り口に置いていたワンボックスカーに戻るべく移動を開始した。

 来た山道を戻るにあたり、サンチョが頑なに主張したため、ロシナンテに変身したその背にドン・キホーテと梨花を乗せて移動した。

 由井正雪は、霊体化で随行すると言う。

 

──サーヴァントとして最低限の警戒心です。どうか、マスターとして汲んでくださいませ。

──うん。わかった。

 

 梨花は素直に頷いた。

 

 

「「クラス・プリテンダー」……?」

「むむ? サンチョとの繋がりに、いっこ壁を感じるような……?」

「……と、申されましても、私自身にも、何の事だかさっぱり……」

 

 梨花がマスターとして契約するサーヴァントの、突然の変化に、三者三様に喫驚し戸惑っていた。

 だが、単独でランサーとなったドン・キホーテも、「ドン・キホーテの同行他者」という要素では無くなり単一のサーヴァントとなったサンチョも、これまでと同様に梨花との契約もパスも維持しているし、変わらず梨花の味方である事に違いは無い。

 サーヴァントの「クラス」自体に正悪など無いし、突如現れた「プリテンダー」なる言葉も、「ランサークラスが槍を持つ」が如く、「ドン・キホーテの隣に立つ者として様々な役目を行使する」ものだと言えば、ただサンチョの役割に名札が付いたようなものでしかない。

 ──これ以上の考察はこの場の誰にも──梨花にも追求できないため、ドン・キホーテとサンチョのクラス変更の謎については一旦お預けとなった。

 

 

 そしてワンボックスカーに辿り着いたところで、由井正雪が地図を求めた。

 

「大抵の車には置いてあると聞いています」

「あった!」

 

 梨花がダッシュボードから取り出した、卯波市を含む県内地図を受け取った由井正雪が、ページを捲って確認すると、ある地点を指さした。

 

「私は霊体化して随行します。まずは、この地点に向かってください」

「そこが、目的地なのですか?」

 

 サンチョが問うと、由井正雪は(かぶり)を振り。

 

「あなた方が善良な気質である事は承知しているが、同盟の都合上、こちらも情報の全てを一度に開示する訳にはいかない。どうか事情を汲んで貰いたい」

「承知しました」

 

 「別に気にせんでよかろう」とか言いかけたドン・キホーテのつま先を踏みつけて封殺したサンチョが、貼り付けた仮面のような笑顔で応えた。

 そうして一同は、この山地の道路をワンボックスカーで移動していた。

 由井正雪が指定した地点の付近にあるコンビニで、唯一の生身である梨花の為の休憩を取り、やがて由井正雪が地図上に指定した次の地点へとワンボックスカーで走る。

 それを繰り返すこと数度。

 次の地点にはまだ半分も進行していない、付近に何も無い場所で、走るワンボックスカーの進路の数十メートル先の路上で、由井正雪が実体化して現れた。

 両腕を広げて、制止を求めている。

 

「……ちゃんと止まってあげてね?」

「ももも勿論ですとも⁉︎ 」

 

 梨花のお願いに、何故か運転席のサンチョが酷く狼狽して応えた。

 それを、助手席のドン・キホーテが、胡乱な半眼で見つめていた。

 やがて由井正雪が立つ手前の地点でハザードランプを点灯させ、ワンボックスカーは道路脇の路肩に静かに停止した。

 

「どうかしましたか?」

 

 サンチョらと一緒に降りてきた梨花が、歩み寄って問うた。

 由井正雪は相変わらず表情に乏しい澄まし顔だが、梨花には何か苦悩しているように見受けられた。

 

「……それが……」

 

 僅かに言い淀んだ由井正雪が、やがて口を開いた。

 

「私のマスターが、こちらの世界に復帰されたようだ」

 

 

 そして由井正雪が、最後の目的地だと示したのは、卯波市内の観光名所として有名な「竜胆寺」であった。

 ただし、「竜胆寺」の真の姿とは、「魔術協会」と「聖堂教会」に並ぶ強力な魔術組織であり、聖杯戦争参加者は基本的に立ち寄ってはならない場所である事、故に接近するのは、その手前までである事のレクチャーを受け、梨花らは、由井正雪に続いてその巨大な門が見渡せる場所までやって来た。

 人気の無い林に囲まれた土の道。

 観光用の正門前ならば、お土産などの売店が並び、非常に賑やかなのだろうが、先の由井正雪のレクチャー通り、今の梨花たちは日陰に遠慮すべき身の上だ。

 

「あれ?」

「──むっ⁉︎ 」

 

 その時、梨花に続いてドン・キホーテとサンチョが一方を見つめて気配を固くした。

 

「姫も気付かれましたか」

「どういう事でしょうか? キャスター」

「何がだ?」

 

 ところが、由井正雪はきょとんとサンチョを見返した。

 

空惚(そらとぼ)ける気ですか⁉︎ ここに接近してくるあのサーヴァントの気配は何者なのです⁉︎ 」

 

 柳眉を逆立ててサンチョがきつく詰問するが、問われた由井正雪は怪訝に小首を傾げるのみだ。

 

「そちらこそ、からかっておいでか? 貴公ら以外のサーヴァントの気配など、どこにもないぞ」

「──っ⁉︎ 」

 

 由井正雪の真剣な面立ちを見た梨花は、底冷えのする恐怖を抑えて、片足で地面の砂利を大きく蹴った。

 ルーラーが持っていた占術「米粒占い」は、顆粒であれば何でも代用できる。

 その飛び散った砂利の配置を読み取った梨花は、困惑に眉を顰めた。

 

「……危険、だけど、死なない……、未知に出会えるチャンスだけど……」

「危ないと分かっているなら非常事態ですっ! 旦那様! 撤退しましょう!」

 

 梨花の前に出たサンチョが、挟む位置に立つドン・キホーテに向けて言った。

 

「ッぬああしかしッ⁉︎ 姫の道行きを邪魔立てするのは騎士として〜⁉︎ 」

「そのヒメサマのイノチがアブナイっつってんだろうがこのダラズッッ!」

「ヒネスっ⁉︎ 」

 

 見目麗しい姿のサンチョの口からかけ離れた激しい罵倒が迸り、ドン・キホーテが跳ねるほど竦み上がった。

 その頭上で剣戟が弾けた。

 ドン・キホーテの黄金の槍の穂先が、梨花の真上に降ってきた刀を受け止めたのだ。

 

「はッ!」

 

 瞬時に身を翻したサンチョの脚線美が閃き、ドン・キホーテの槍の胴を蹴り上げて、その刀の持ち主を打ち返した。

 

「なっ⁉︎ 」

 

 その蹴り上げられた槍の穂先から跳ね返っていったのは、浅葱色の羽織りを纏う、中性的な容貌のサムライだった。

 

「なにっ⁉︎ 」

「私⁉︎ 」

 

 着地した羽織り姿の由井正雪と、ゴシックめいた和装のこちらの由井正雪が互いに気付いて喫驚する。

 

 ──それら交錯する幾つもの目線の間を、投擲形態の黒鍵が貫いていった。

 

 

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