【Fate/La Festa】 フェイト/ラ・フェスタ   作:鉄槻緋色/竜胆藍

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第九話 主と従者

 

 空の色が昏み始める、そんな頃合い。

 (こう)の運転するセダンが、昼下がりも大きく回った卯波(うなみ)市街の幹線道路を南下してゆく。

 助手席の(がい)さん──ガイウス・ユリウス・カエサルがスマートフォンを皐に返したところで、ふと虚空を見上げた。

 

「──ついてきているな」

「何がって、ああ」

 

 言葉の真意に遅れること僅か、凱さんの意図を皐は理解した。

 

「サーヴァント?」

「うむ」

 

 ──霊体化したサーヴァントが、こちらを追跡してきていると言うのだ。

 

「どこの陣営だろ。アインツベルン城にいた別陣営が追跡してきたのかな」

「それはおかしい。我らよりも探知能力に優れたクラスやサーヴァントはいるかもしれないが、森から離れてだいぶ経ってから私の探知圏内に接近する意味が無い。──ふむ」

 

 言いながら、カエサルは豊満な脂肪で窮屈そうにしながら手を伸ばし、ダッシュボードの中から白布を取り出した。

 

「どうするの?」

「挨拶がてらに交渉してみよう! 対アインツベルンのための同盟が欲しいからな!」

 

 

────◆

 

 霊体化して上空から目標のセダンを追跡していると、助手席側のウインドウがスライドして開き、中から伸びた赤い袖の腕が、摘んだ白布をひらひらさせて手放した。

 車道の風に煽られて舞い上がる白布。

 それを見て、アルティは地上に降りて、実体化して誰もいない歩道に着地した。

 昼下がりを大きく回っており、人出は少なく、歩道に人通りのないタイミング。相手はそれを図ったのだろう。

 アルティの十数メートル先に、舞い降りる白布を掴み取った、肥満体型の男が現れた。

 セダンはそのまま走り去っていってしまった。

 

「──ご機嫌麗しゅう! 美しいご婦人よ!」

 

 その肥満体型のサーヴァントが、優雅な動作で胸に片手を当てて、ほんの僅かに目を伏せ前屈するように身体を揺らした。

 ──恐らく、挨拶の一礼をしようとしたのだろう。お腹の脂肪のせいで、とてもお辞儀には程遠い、それは僅かに前後に揺れた程度の動作だったが。

 だが、痩せても枯れても──太っていてもサーヴァント。アルティに油断は無い。

 

「はじめまして。セイバーのサーヴァントとお見受けいたしますが?」

「いかにも」

 

 上等な赤い服を纏った肥満体型の、喉の辺りにシワが寄った。

 恐らく、鷹揚に頷いたつもりなのだろう。

 

(──マスターの仰る通りでしたか……)

 

 もちろん、相手が嘘をつく──こちらが知らぬのをいい事に、ただ頷いて見せただけ、と言う可能性もある。

 俊敏さには縁が無さそうな超肥満体型ではあるが、先ほどの実体化する際に虚空を漂う白布を掴み取ったのも、ただのパフォーマンスでは無いのかもしれない。

 

「そう言う貴様のクラスは答えてもらえるのかな?」

「あいにくと、お答えできません」

「ふぅむ。それは困った」

 

 にこやかに固辞したところで、赤い肥満体サーヴァントはわざとらしく顎に手を遣って唸った。

 

「こちらはクラスを明かしたと言うのに、これでは不公平だ。不公平なのは良くない。実に良く無いとは思わんかね」

「いえ。特には」

 

 言ってアルティは踵を返してとっとと霊体化して戻ろうとしたが、肥満体のサーヴァントは構わず喋り続けた。

 

「不公平なので、貴様には我らと同盟を組んでもらおう!」

「は⁉︎ 」

 

 想定外の発言に、迂闊にもアルティは喫驚の声を上げて振り返ってしまった。

 ──無視して霊体化して去る事は普通にできたはずなのになぜ──?

 

「貴様、戻ってマスターに伝えるが良い! 今宵、アインツベルン城にて、アインツベルンの魔術師とそのサーヴァントに、それ以外のサーヴァント全てで総攻撃を仕掛けるとな!」

「……かしこまりました」

 

 一応、本当に一応返答して、今度こそアルティは霊体化して立ち去った。

 

 

────◆

 

(……困った……)

 

 路肩に停めたワンボックスカーの中列シートの脇で、アーロン爺が腕組みして途方に暮れていた。

 謎の狂乱を見せてから泣き出してしまった隣の梨花(りんか)は、いまだにしゃくり上げ嗚咽している。

 

(こう言う時こそ、優しく姫の涙を拭うのが騎士の務め! ……なのだが……)

 

 相方は、梨花が示したセダンを追って車を出て行ってしまった。急を要する確認事項であるからと。

 

(我が最愛のドゥルシネーア姫に対し、ワシはその美貌と智慧を讃えこそすれ、個人的な人生相談などした事もないからして──っ⁉︎ )

 

 突如身体に重圧を感じるや、停まっていたワンボックスカーがひとりでにサイドブレーキを解除してシフトレバーを動かし、発進してしまった。

 

「──な、ななな⁉︎ 」

 

 相方が戻ってきていないのは気配で分かる。

 前の運転席には誰もいないにも関わらず、ハンドルもアクセルペダルも勝手に動いているのだ。

 

「当世の自動運転とは、こういうものだったかー⁉︎ 」

 

 絶叫しつつ、姫──マスターを車の暴走から守ろうと隣を振り向くと、梨花はいつの間にか、決意に満ちた眼差しで、前席の間から身を乗り出して進行方向を見つめていた。

 見れば、ワンボックスカーは車線を守り、車間距離をも適正にして走行している。

 そして、梨花にはこの異常を疑う様子が無い。

 

(──姫の意思で、これを動かしているのか⁉︎ )

 

 ワンボックスカーは、梨花の視線に応じて交差点でハンドルを回転させ、淀みなくスムーズにカーブしてゆく。

 やはり梨花の意思での行動と見て間違い無い。

 

(──しかし、いったい、なぜ突然に──)

「ごめんなさい、ドン・キホーテさん!」

 

 突然、梨花が前を向いたまま言った。

 

「どうしても、急いで確認しないといけないの! 説明は、あとでするから──!」

「なんと!」

──旦那様⁉︎ 何事ですか⁉︎

 

 そこに相方の思念が飛んできた。

 

──分からぬ! 姫が突然おひとが変わってしまったかのようになって、クルマが勝手に動いておる!

──ええ⁉︎

──どうやら姫の御意志で操縦しとるようだが、当世の魔術道具とかさっぱり分からん! 早よ戻ってこい、サンチョ!

──はい! 追いつきました!

 

 バンっと、ワンボックスカーの天井に叩く音が響いた。

 

──えっ⁉︎ なんで霊体化で通れないんです⁉︎

「上におるのか! サンチョ!」

「あ、ごめんなさいサンチョさん! 窓開けます」

 

 続く梨花の言葉で助手席側のパワーウインドウが降りてゆく。

 

「結界を一部解除しました! 助手席に乗ってください!」

 

 梨花が叫ぶと、車内の助手席にアルティ──サンチョが現れた。

 

「──マスター、これはいったい──」

「ごめんなさい、わたしもどう言ったらいいのか……。アインツベルンの森に着くまで、時間をください」

 

 やがて、アインツベルン所有の森林区域の前までやって来た。

 ワンボックスカーが、舗装から外れた砂利に寄せて停止する。

 

「──これは──」

 

 車外に降り立った梨花が、森の様相を見て呻いた。

 そこは濃密な魔力に包まれて、まるで異なる世界でも覗いているかのような光景となっていた。

 森の木立にそれと分かる異常や変形がある訳ではない。

 魔術の感覚で視える景色が、異様なのだ。

 木立の合間の奥を見ようとしても、昏く深くて見通せない。

 もしもひと度立ち入ろうものならば、恐らく見知らぬ土地に出るだろう。──そこが地上とも限らないし、地続きですらないかもしれない。

 ──『異界化』。魔術の世界ではそう呼ばれる、魔術結界の上位術式が、アインツベルンの森全域を覆っているようだった。

 そして、そんな梨花の後ろ姿を見つめるサーヴァントふたりにとっても、それは尋常ならざる光景であった。

 ──その梨花の姿から、サーヴァントの気配が発せられていたのだから。

 

 

 聖杯戦争とは、魔術師界隈の御三家による出来レースであり、歴史における数多の英雄を英霊として召喚して使役し、万能の願望器たる魔術礼装「聖杯」を賭けて魔術師同士が競い合う争いの形をした魔術儀式である。

 その参戦条件は構造上、特に御三家に有利になる仕組みであるが、闘争が儀式として成立するよう体裁としてのルールの機構が、「聖杯」には組み込まれている。

 真に出来レースであるならば、誰かの勝利が最初から定められるならば、最初から聖杯を造ればいい道理である。

 それができないが故の、煩雑な手順であり、未確定確率の余地であり、また規定に納めるルールである。

 一種の第三者機構として独立した魔術概念礼装「聖杯」であるが、聖杯戦争の運営にあたり、ひとの審判役を要すると判断した「聖杯」自身により、当時魔術協会と対立していた聖堂協会所属の人間からひとり、監督役を任命するとした。

 斯様に独自の判断でフェールセーフを施す事も可能な「聖杯」が、また独自に編み出した人間以外の安全装置があった。

 ──これは当の御三家の魔術師ですら知らない事項である。

 如何な聖杯──万能の願望器と言えど、その枠を超える未知数が存在する。または、世界崩壊が確定的に明らかな願いは、聖杯存続の矛盾にあたる。

 それらの埒外が予見された場合に、聖杯は、聖杯の判断で英霊に裁定の役割を与えて召喚する。

 それが聖杯戦争の裁定者、クラス・ルーラーのサーヴァントである。

 

「──って言う訳で、なんかわたしの中に、ルーラーって言うクラスのサーヴァントのひとが混じってきちゃって、わたしもワケ分かんなくなって……」

「……はあ……」

 

 アルティ──ドン・キホーテの従者と言われる者の名を冠した女性、サンチョが、困惑顔のまま曖昧な声を漏らした。

 隣のアーロン爺──真名をドン・キホーテと言う老爺は、事態が理解の範疇を超えたのか、どこか諦観の眼差しで中空を見上げていた。

 

「……では、今のマスターは、マスターのまま、では無い、のですか?」

 

 アルティ──サンチョの、言葉を選んだ問いに、梨花も頭を抱えたまま返答を捻り出す。

 

「ううーんと、わたしはわたしなんだけど、……うん、人格まで混ざってないと思う。なんか、そういうルーラーの能力だけ渡されて、そのサーヴァントのひとは、後はお願い、みたいなニュアンスを残してそれっきり何も分かんなくなって」

「ええと、お話しを整理させてください」

 

 わたわたと慌てた身振りを繰り返す梨花を掌で制して、サンチョが問いかけた。

 

「私の前にいる貴女は、辻松(つじまつ)梨花(りんか)さま。私どもランサーのサーヴァントのマスターであらせられます。──これは、魔力パスも繋がっておりますので、間違い無く確定事項です」

 

 サンチョは、しばしばドン・キホーテの方にも向きながら語り続ける。

 

「そして、原因は不明ですが、マスターの御身には同時にサーヴァントの気配が感じられます。これはサーヴァントの共通の能力ですので、マスターに何らかのサーヴァントが憑依か融合合体している、これも確かな事です。マスターも、私どもに、普通の人間とは異なる気配を感じますか?」

「うん。感じる。「あ、サーヴァントなんだ」って普通に思う」

 

 梨花が素直に頷いた。

 

「では、マスターは、私どもに敵対する理由は、ございますか?」

「えぇっ⁉︎ 」

 

 まさに思いがけない事を聞かされた顔で梨花が喫驚した。

 

「な、ないよ⁉︎ 戦うのは怖いし、助けて欲しいよ! なんで? どうして?」

「私どもサーヴァントは、召喚されて限界するにあたり、聖杯から、現代世界の基礎的な知識を授かります。聖杯戦争においてスムーズに生活に溶け込むためですね。そして、召喚主をマスターとして、戦うための私どもです。──自分たち以外のサーヴァントは、基本的に敵なのです。もちろん、訳も無く敵対するものではございません。私どもサーヴァントを使役して、ただひとつきりの聖杯を獲得する。それが聖杯戦争なのですから。──なのに、召喚主のいない、人間と融合するサーヴァントだなんて、聖杯からの情報にも無い事項なので、判断に困る事で、今のこの状態をどうしたものか……」

 

 片頬に手を当て、サンチョが心底困り果てたように溜め息を吐いた。

 

「ええ〜……わたしは、ふたりに助けて欲しいと思ってるし、手伝って欲しいと思ってるんだけど……」

 

 己の指先をつついて困惑混じりに言う梨花に、それまで呆けていたようなドン・キホーテがくわ、と目を見開いた。

 

「これ! サンチョ! マスターが困って、手伝いを欲しているではないか! なにを迷う事がある!」

「旦那様⁉︎ 」

 

 老爺が突然に発した気焔に、サンチョが飛び退くほどに喫驚した。

 

「姫が我らのマスターである事は間違いの無いところだと、お前が言ったのではないか、サンチョよ! そして何より、姫自らが、初めて我らに手伝いを求めたのだぞ!」

 

 そのドン・キホーテの言葉に、サンチョがはっと気付いて目を見開いた。

 ──そうだ。あれほど消極的で遠慮がちだった梨花が、初めて主体的に主張を申し出たのだ。

 

「ならばこのドン・キホーテ! 自慢の槍を、我が姫の為に振るう事に何の迷いも疑いも無い! なればサンチョ! 黙ってワシについて来るがいいわ!」

 

 口角泡を飛ばす勢いの老爺が、虚空から取り出した長槍を頭上で覚束ない手付きで振り回し、その柄尻を地面にどんと突き立てた。

 

「はい! 旦那様!」

 

 元気良く返事をしたサンチョには、もう躊躇いは一切無かった。

 

 

「ところで、どうして突然、真名呼びなんです?」

「ごめんなさい⁉︎ ルーラーの能力で視えちゃうからつい……⁉︎ 」

 

 サンチョの問いに、梨花が両手を合わせて平謝りした。

 ──これが真名看破のスキルですか……。

 

「──それはともかく、マスターのお手伝いして欲しい事とは、なんですか?」

 

 戦慄を胸に仕舞い込み、サンチョが尋ねた。

 

「うん、さっきも言ったけど、今この聖杯戦争に、セイバークラスのサーヴァントが二騎、いるの。それはおかしな事だから、それによる異常を納めたくて──あ、クルマで話そう? アインツベルンさんに聴こえるかもしんない」

 

 言ってワンボックスカーに戻った一同は、梨花が最初の時の中列席に乗ったため、再びサンチョが運転席に乗った。

 

「このクルマもお父さんの魔術道具なんだって。よく分からないんだけど」

「……少なくとも、霊体化したサーヴァントを通さないのはそこそこ以上の技量だと思うのですが……」

 

 この場に熟練の魔術師がひとりも居ないため、それ以上の追求は誰にもできなかった。

 

「で、普通の聖杯戦争だったら、七種類の役割を割り振られたサーヴァントが召喚されて、その役割は必ず一種ずつ。被りや欠けは、有り得ない事なんだって」

「それなのに、セイバークラスのサーヴァントが二騎いると」

「サンチョや。先ほど追跡したサーヴァントは、どうだったのだ?」

 

 頷いたサンチョに、ドン・キホーテが尋ねた。

 

「はい。当のサーヴァントと対面しましたが、当人はセイバークラスであることを肯定していました。もちろん詐称の可能性もありますが」

「して、姫。あの森の主である魔術師の元にも、セイバーのサーヴァントが居るのですな?」

「うん」

 

 梨花が頷いた。

 

「あの、マスター。そのルーラーの能力が非常に強力である事は分かるのですが、この場にいない、遠隔地のサーヴァントのクラスまで分かるのですか?」

「あっ、ううん。遠くにいるサーヴァント全員の居場所は分かるんだけど、どれが誰なのか、誰が何のクラスかまでは、分からないの。「セイバーが二人いる」っていう異常が分かったのは、これのおかげ」

 

 言って、梨花はデニムパンツのポケットから米粒を取り出した。

 

「正式名称は分からないけど、こういう粒をばら撒いて、その配置から情報を読み取る占いの技術を、ルーラーのサーヴァントが持っていたの。ルーラーとしての特有のスキルじゃなくて、本人個人の技術なの」

「ああ。それで、お台所からお米を持ち出したのですね」

 

 あれは、梨花の中の、ルーラーのサーヴァントの意思による行為だった。

 

「……そう言えばサンチョや。追跡したサーヴァントと対面したと言っとったが、よく無事に済んだのう」

「ああ、そうでした! マスターにご報告があるのです!」

 

 ドン・キホーテに言われたサンチョが居住まいを正した。

 

「なに?」

「一方のセイバーと目されるサーヴァントから、同盟を持ちかけられたました。アインツベルンのサーヴァントに対して、それ以外の全ての陣営で、総攻撃を仕掛けるのだと」

「なんと⁉︎ 」

 

 ドン・キホーテが喫驚して仰け反った。

 

「マスター。マスターの、と言うか、聖杯からルーラークラスのサーヴァントが遣わされた理由が、本来とは異なるクラス被りがもたらす儀式への異常を排除する事でしたら、これは絶好のチャンスではないでしょうか」

「……うん。そうだと思う。まだ、どっちのセイバーが異常なのか分からないけど、同じ場所にみんな集まってくれるなら、それもちゃんと確認できると思う」

「先刻のセイバーは、今夜に仕掛ける、と言っていましたが……」

 

 サンチョが、緊張を孕んだ声音で問う。

 

「うん。今夜にまた、ここに来てみようと思う。……手伝ってくれる?」

 

 それを言う梨花は、その様子は、いつもの、どこかおどおどした控え目の態度だったが。

 

「応! もちろんですとも! 姫!」

「ええ、ええ! 喜んでお手伝いいたしますマスター!」

 

 それでも、ふたりは飛び切りの笑顔で応えたのだった。

 

 

────◆

 

 かつて、ロンドンにある魔術の世界最高学府「時計塔」において、『ヴェーザー』とあだ名された魔術師がいた。

 時計塔第八学部「天体科」の魔術師であり、家は当代で七代目となるそこそこ長い歴史を持つ名門であるが、とりわけ研究とフィールドワークに没頭するタイプの変人として名を馳せた。

 属性に「水」を持ち、研究内容とその多くの成果は決して派手なものでは無かったが、時計塔においてはその立場を盤石なものにして存在していた。

 影が薄い訳では無かったが、とにかく彼は、そつがない。

 ミスや事件・事故などとは全くの無縁で、多くの魔術と理論を発明して天体科魔術の発展に貢献していた、堅実な組織運営において、無くてはならない魔術師だった。

 すなわち、魔術と言う大地に文明を開く大河(ヴェーザー)の如き、縁の下の意味で、無くてはならない魔術師。

 ところがある日、その『ヴェーザー』が辞表を置いて出奔した。

 民間企業ではあるまいし、他家に引き継ぐ業務などがあった訳では無いのだから、名門とは言え魔術師ひとりが居なくなったくらいで学府「時計塔」の組織運営に何ら影響などあるはずが無かった。

 ──にも関わらず、『ヴェーザー』が出奔した途端、時計塔内に不幸な事故が立て続けに起きた。

 些細な連絡の齟齬、廊下での衝突から、魔術実験の失敗、派閥の勢力の混乱、果ては貴重な魔術素材の全焼までおよそ事故と言う事故が起こりまくった。

 魔術師『ヴェーザー』ディートリヒ・フラゥゾマーの属性は「水」。魔術学科は天体科。

 フラゥゾマー一族が連綿と積み上げた魔術は天体魔術。

 決して派手では無いが、応用範囲が(ソラ)の如く広範で、他種の魔術でできる事の多くを天体魔術視点で再解釈し再現して見せる。

 そのフラゥゾマー家の魔術の奥義は、運勢すら支配する。

 

 

「アキレウス、だな」

 

 ディートリヒが断言した。

 アインツベルンの森から町に降る途中の、とある広大な工場。敷地の端にあるプレハブ小屋で、ディートリヒと、アンとメアリーは身を潜めていた。

 土曜日曜が休業日であるらしく、無人であるのを良いことに、ディートリヒの魔術で警備装置をすり抜けて侵入した。

 身を潜める、とは言っても、三人ともめいめい椅子に腰掛けて、非常にリラックスしている。

 ディートリヒの天体魔術で「ここには当面被害は無い」と判明しているからだ。

 

「あの蘇り。地中海あたりの人種の特徴を持ってて、不死身の英雄っつったら、アキレウスしかいねえ」

「ふーん」

「で、どうやって倒しますの?」

「いや、そのネイルを見ながら空返事すんのヤメろや」

 

 女がふたりとも、自分の指先を眺めて、ディートリヒの講釈にまったく興味が無い様子だった。

 

「だぁーってぇ⁉︎ 殺しても死なない、何回も起き上がってくる敵なんて、どうしろとおっしゃいますの⁉︎ 」

「真名がマスターの言う通りなら、なんか弱点とかないのー?」

 

 アンが悲鳴を上げて、メアリーが完全に投げやり気味に言った。

 

「アインツベルンのサーヴァントが本当にアキレウスなら、踵を射抜けば倒せるはずだ! 伝承でも踵を射抜かれて死んでいる。お前たちのコンビネーションなら、アンの側に踵を向けるのは造作も無いだろ!」

 

 拳を握って力説するが、何故かメアリーが、曰く味のある呆けた顔で見返してきた。

 

「……なんだよその顔は」

「いや、ボクすぐ近くで見てたんだけどさ。あの時デブいサーヴァントが、最後セイバーの踵を斬ってから首刎ねてたよ?」

 

 室内に、シン、と白々した空気が降りた。

 

「……まじ?」

「まじ。」

 

 再び、室内を沈鬱な沈黙が支配する。

 

「……じゃあアイツ誰だ?」

「知らないよ」

 

 ディートリヒの間の抜けた問いに、メアリーは頬を膨らませるのみ。

 とうとう飽きたのか、アンがリモコンを取り上げてそこのテレビを点けた。

 

「いやリラックスし過ぎだろ家か」

「とは言え、少々空気が悪いですわよ? マスター」

 

 見咎めたディートリヒに対しても、アンはあくまでも呑気に返した。

 難題に対する、気分転換と言いたいのだろう。

 何たる偶然か。「なるようになる」がフラゥゾマー家の家訓である。

 

「──確かにな。殺しても死なねえサーヴァント。じっくり腰を据えて行かねえとな」

『サーヴァントは夜の森へ! お茶の間の合言葉ですよ皆さん!』

 

 突然、画面に現れた午後のワイドショー番組の司会者が、訳のわからない、しかし聞き捨てならない言葉を吐いていた。

 

「は? なに言ってんだコイツ」

『サーヴァントは夜の森へ! いやーいい響きの言葉ですねえ凱さん!』

『うむ!』

 

 しかも、あろう事か、先刻アインツベルン城で遭遇した肥満体形のサーヴァント──カエサルがスタジオに並んで芸能人らと談笑していたのだ。

 

『まったくその通りである! 諸君にはどうか夜までこの言葉を繰り返し訴えてもらいたい! 世にも広めて貰いたい! 平和な世界の合言葉ですぞ!』

 

 慌ててチャンネルを確認する。

 表示されているチャンネルは、卯波市内の地方テレビ局のものだった。

 スタジオの出演者も、見えないが唱和する観覧席の客らの声も、まるで熱に浮かされたように同じ文言を繰り返し唱えていた。

 

「……な、なにやってんだアイツ……」

「なにこれ。なんでアイツの言うこと聞いてんのコイツら」

 

 ディートリヒが呆れのあまりに顎が開き、メアリーが半ば戦慄していた。

 

『さあ、諸君! 世界平和のために、今すぐ外へ駆け出て、大きな声で叫ぶのだ! サーヴァントは夜の森へ!』

 

 カエサルが拳を突き上げて檄を飛ばすと、あろう事か、番組の出演者たちが我先にと駆け出し画面から消えていってしまった。

 響いて聞こえる怒涛の足音からして、観覧席にいた客らも出ていってしまったのではないだろうかという勢い。

 そしてカエサルは悠々と歩いてフレームアウトしてゆくが、それきり画面が動かない。明らかな放送事故の出来事にも関わらず、対処されない、カメラが動かないと言う事は、現場のスタッフも全員出ていってしまったのだろう。

 やがて画像が切り替わり、「おそれいります、そのまましばらくお待ちください」という表示が映し出された。

 

「……マスター? この国のこの映像演出って、こういうもの?」

「……知らねえ。こんなん初めて見た」

 

 ディートリヒが顎の汗を拭って呻く。

 

「けど、アイツが何をしたかは見当がつく。アイツ、生前ローマでやってたみたいに、あの場にいた人間全員を煽動しやがった。オレたちもアインツベルン城で喰らっただろ。ああ言う精神汚染の類のスキルだ」

 

 それはサーヴァントの肉声が届く範囲にいる人間にのみ作用する。画面が切り替わったのは、別室にいたスタッフの操作だろう。

 ──精神汚染スキルが電波に乗らなくて本当に良かった──!

 

「でも、いったい何のためにこんな騒動を?」

「ああ」

 

 アンの疑問に、ディートリヒが答える。

 

「文言からして、他人には意味不明で、聖杯戦争の参加者にしか分からない符丁だ。あのデブ、どこにいるかもわからないサーヴァントに聞こえるように呼びかけて、今夜にもアインツベルンに総攻撃を仕掛けるように、他陣営に要請をかけてるんだ」

 

 かつての権謀術数の渦中を生き延び、ローマ帝国の皇帝にまで登り詰めた生粋の政治屋が、現代社会に適応すると、こんな手段まで躊躇無く打ってくる。

 その、魔術師の闘争や時計塔の内部政治とも異なる脅威に、ディートリヒは改めて深く戦慄していた。

 ……あの肥満体が、本当にカエサルならば、だが。

 

「……もしかしたらアイツ、この町の警察にも食い込んでんじゃねえか? それでアインツベルンのアレを探すのに警察官を動員させたのか」

「うわ! バハマ総督じゃん! タチの悪い敵じゃん!」

 

 メアリーが総毛立てて犬歯を剥いた。

 

「やっべオレ顔見られたじゃん! あのデブ真っ先に倒さねえと生活がヤベえ⁉︎」

「あらあら、精が出ますわねマスター?」

「うるせえよ⁉︎ ──あぁくっそ聖杯に関わってから碌な事が無え」

「……あら。マスター」

 

 悪態を吐いたディートリヒの向かいに腰掛けるアンの、長身で豊満な美女の、纏う雰囲気が冷気を帯びた。

 

「わたしの前で、ジョン・ラカムみたいなみっともない真似は、おやめくださいな?」

 

 うっそりとした微笑みには、冷酷さと、情念が入り混じった蠱惑的な色が滲んでいた。

 ──それは諦観の混じった殺気──ですら無い眼差し。

 違うのなら、要らなくなったなら、棄てると言う海賊の捨別意識に寄る、ゴミを見る目付き。

 

「……舐めるなよ水兵」

 

 故に、ディートリヒも「会社員」では無く、「魔術師」として、マスターとしてそれを睨め返す。

 

「オマエラの船長は、オレだ。宝は奪う。敵は殺す。邪魔者は片付ける。──それ以外は些事だ」

「結構ですわ! マスター!」

 

 アンの笑顔が、柔和に戻った。

 

「ああ、よかった! あんまりつまらない事を言うものではありませんわ!」

「あぁあぁ、悪かったよ」

 

 ディートリヒは金髪をかき上げてぼやいた。

 ──時計塔の追跡から隠れ潜む、極東の島国での会社員生活に、あまりにも長く身を置き過ぎて忘れていた。この感覚を。

 元より血塗られた、はぐれ魔術師の生業を。

 

「アインツベルンのマスターを殺す。あのイカレた小娘を殺してあのセイバーが止まらなかったら、本物のマスターを探し出して殺す。──今夜の総攻撃に乗じてやるぞ!」

「おっけー!」

「承知いたしましたわ! マスター!」

 

 




【真名 解放】

◆ランサー/ドン・キホーテ&サンチョ
・マスター:辻松 梨花
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