「お姉ちゃん、……お姉ちゃん! ほら、起きてお姉ちゃん!」
「ん、……んん〜?」
「んん〜? じゃなくて、早く起きて!」
聞き慣れた目覚ましで目を開けると、途端に朝ご飯のいい香りが鼻から流れ込んできた。いい朝。とてもいい朝だ。
「新しく担当予定の子の選抜レース、9時からなんでしょ? 30分前」
「…………ヤバい!!」
こんな忙しい朝でもカレンは私のことを優先してくれる。先に作ってくれた私の分を、急いで口に詰め込む。逆にカレンは今日の収録の時間が遅いらしく、ゆっくり自分の分を作って私の向かいに座った。私のご飯を作るためだけに早起きしてくれたのだろう。頭が上がらない。
「もー……一人暮らししてた時はどうやって生きてたの」
「あはは……」
掃除洗濯料理と、だいたいはついサボりがちだったし、いざ奮起して作業を始めてもつい適当なところで妥協してしまう。トレーナーの仕事は忙しく、それにかまけていた結果、ついにはトレセン学園を卒業して女優の道を歩み始めたカレンに面倒を見られる形になってしまった。表向きはルームシェアだが、実態はカレンに養われているに等しい。収入の面でも、今をときめく実力派女優として、数々のドラマや映画に引っ張りだこなカレンには到底及ばない。結果だけ見れば私はカレンをここまでの女にした素晴らしいトレーナーなのだが、実情はどうだか。
「カレン、お姉ちゃんの面倒ずっと見るのはヤだよ? いくらお世話になったトレーナーって言ってもさ。カレンが甘やかしてるのもあるかもしれないけど」
「……はい、おっしゃる通りでございます」
「あんまりお姉ちゃんが依存しちゃうようなら、カ・レ・シ……作っちゃおっかなぁ」
「えっっ」
思わずがたんっ、とテーブルに手をついて立ち上がってしまった。その拍子に膝をぶつけ、じわじわ嫌な痛みがやってくる。
「いったあ……」
「慌てすぎ、お姉ちゃん」
「えっ、あ、その……えっ?」
「何か言葉を言ってよ」
「いや……カレンってそういう人いるんだ。いやそうだよね、そりゃそうか……」
「冗談だよ、お姉ちゃん。今はいないから」
「今『は』?」
「鋭いな……でもずぅっとこんな生活してたら、お姉ちゃんダメになっちゃうよ? 毎日撮影とか収録とかあるのに、家のことまで全部カレンがやってるだなんて、世間の誰も思ってないよ?」
「うぅ……」
カレンが担当トレーナーだった私とルームシェアしていることは、一度週刊誌か何かにすっぱ抜かれて大っぴらになっている。同じ女性どうしだから事なきを得たものの。
「……ま、でもいいんだけどね」
「え?」
「お姉ちゃんがカレンなしじゃ生きてけないくらいがちょうどいいかも? だって、ずーっと一緒にいられるでしょ?」
「いやでも、それは……」
「カレンのためにならないって? うーん、それはそうかも」
正直なところ、カレンと一緒にいられるならその方がいい。もう一人暮らしに戻れる気は正直しないし、残念ながら私にお相手はいない。トレーナーをやっているとウマ娘にはよくモテても、普通の男性には遠慮されてしまう。担当を抱えれば抱えるほど出張が増え、仕事も忙しくなり、スケジュールが全く合わないからだ。トレーナーどうしでくっつくことはままあるが、見ている感じあまりプライベートの時間を確保できているわけではなさそうだった。
「女優みたいなスポットライトを浴びる仕事って、印象が大事でしょ? だからカレンすっごく助かってるんだ〜」
「元トレーナーと一緒に暮らしてるんだもんね」
「そう、それでカレンがお姉ちゃんのお相手を射止めてあげるの。どう?」
「えっ」
急展開なうえに、頭の中でちょっと考えていたことと似ていたので戸惑ってしまった。時々カレンはこういうことをしてくるから困る。
「大丈夫、カレンの目は確かなんだから」
「いや、そういう問題じゃなく……」
「いつか、結婚式にも呼んでね?」
「あの、結婚とかそういうのはまだ……」
いっそのこと結婚とか考えないで、カレンとずっと同居でもいいんだけどなと思うのだが、それはカレンが許してくれなさそうだった。そしてそうこうしているうちに、時間がどんどん迫っていた。
「や、やばっ!」
「もうお姉ちゃん! はい!」
慌ててご飯を口に詰め込んで、カレンと一緒に外に出る。こちらに両腕を差し出してきてキョトンとしていると、ぷりぷりと怒ったカレンが追い打ちをかけてきた。
「お姉ちゃんの足じゃ間に合わないから、カレンが運んであげる! 行くよ!」
ウマ娘は人間と同じような容姿をしていながら、本気で走れば時速60kmにも達するという。そんな子たちが普通に歩道を走っていたら大事故になるので、全国各地のトレセン学園周辺の道路ではウマ娘専用レーンが設けられているほか、一般道路でも自動車と同じ車道を走るよう定めている自治体も多い。車に乗っていても加速感がすごいのに、生身の体でそれを感じて大丈夫か、などと考えているうちに、カレンにひょいとお姫様抱っこをされて運ばれる。
「あああぁぁぁ~~~!!」
現役を離れて何年も経つが、さすがは元トップクラスのスプリンター。トップスピードに乗るまでがめちゃくちゃ早い。これが本当に時速60kmぽっちかと疑ってしまうほどの猛スピードでウマ娘専用レーンを走り抜け、気がつけばぞろぞろと多くのウマ娘たちが登校する校門前でひょい、と降ろされた。と、なれば。
「ねえあの芦毛のひと」
「Currenじゃない?」
「ほんとだCurrenじゃん」
「え、あの抱えてた人は?」
「うちのトレーナーでしょ」
「Currenがお姫様抱っこされてた!」
「されてたんじゃなくてしてたくない?」
「すごい!」
テレビや映画に出づっぱりなウマ娘女優が目の前に現れれば、生徒たちが群がるのは当然。私をはねのけるようにして、たちまち生徒たちが囲いを作ってしまった。私が呆気に取られていると、生徒会の子まで出てきて私に事情を聞いてきた。知名度のあるカレンを、何の理由もなくわざわざ私がトレセン学園に連れてきたというのは筋が通らないので、正直に話すほかなかった。
「はあ……分かりました、こちらで対応しますので、あなたは先に行ってください」
「いいの?」
「仕方ないですよ、ここまで来たら解散とは言えないですし……」
「お姉ちゃん!」
ますます人が集まってくるさなか、カレンが私のことを呼んだ。さっと場が静まり、一斉に注目がこちらに集まった。
「担当の子の勇姿、ちゃんと見届けてあげてよ?」
「……はい!」
思わずかしこまった返事をしてしまったあと、私はトレーナー室へと急ぐ。やがて後から来た子たちが色紙やら何やらと持ってくるようになり、カレンはその対応に追われ始めた。トレーナー室まではそう遠くないはずなのに、何度もカレン見たさに校門へ急ぐ子たちとすれ違った。
「……さてっ」
今日も朝が始まる。新しい"カワイイ"を見届けるための朝が。