「海獣ゲスラ。地球で20世紀の末に現れたものとみて間違いない」
画面には、全身が黒い毛で覆われたトカゲのような怪獣が映し出されていた。肥えた体格を支える前足には尖った爪と水かきが付き、変異前は水辺に生息する爬虫類であったことが推察できる。腕と背中には、黄色い外縁に青いラインの鋭いヒレ。ヒレの骨子となる突き立った棘はノコギリのよう。小さな黒目は遠くを見ているようでもあり、こちらを凝視しているようにも見えた。
「……いや、20世紀当時の個体に比べれば、だいぶ小ぶりか」
小ぶり、なのか?
殻島は当惑の視線を向ける。画面端に移る木と比較するかぎり、ゲスラの全長は20メートル近くある。生物として規格外の大きさだ。
それに20世紀末ということは、ウルトラマンが倒したものと同種。それがこの星に、夜蛍を出てすぐ場所にいる。そう考えただけで息が詰まるほど恐ろしかった。
状況をすでに理解していた羽村はゆっくりと殻島に向き直る
「君にはこの怪獣を討伐してもらうつもりなんだ」
「何……言ってんだよあんた」
緊張で水分を失った喉から、やっとの思いで声を出した。
「こんなの、俺の手に負える相手じゃねえ!」
「拒否すると?」
「当たり前だ!今すぐ強力な部隊を向かわせないと、最悪この街にも――」
「では、君が戦わざるをえなくなる情報を教えてあげよう」
羽村の返答は予想だにしないものだった。
「君は今部隊を向かわせろと言ったが、実は既にある部隊が交戦している」
羽村によれば、市外に調査に出たS4の一部隊が偶然ゲスラの襲撃を受け、今も交戦中だという。
「じゃあ結局俺が出る必要は」
「その部隊だがね、既に壊滅状態だ。
心臓が大きく跳ねた。同時に羽村の魂胆を完全に理解する。
殻島が以前羽村から受けた極秘の任務。それは『行方不明になった隊員を救援する』というものだった。
そして現状、ゲスラとの戦いもそれに共通するものがある。苦戦する部隊への『救援』。
以前の任務を承諾した、いや、断れなかった殻島が、今回の窮地を見て見ぬ振りができるか。ゲスラによって被害を受けた隊員たちを見殺しにできるか。
おそらく羽村には確信があったのだろう。殻島は見殺しにできない。無力な他者の存在を餌として垂らせば、殻島は食いつくと。
胸に宿った責任感は、いいように利用されていた。
殻島はうつむく。
「他の……部隊を……」
「間に合わない。事情を知っている君が一番早く駆けつけられる」
羽村が歩み寄る。決断をしろと足音で圧をかける。
これは俺の仕事じゃない。殻島はそう己に言い聞かせた。
これは俺のやるべきことじゃない。他の者に任せるべき任務だ。自分じゃ手に負えない。
怖い。
死にたくない。
逃げる理由を無数に列挙しても、なぜか安堵できなかった。
――彼らは助けを要してる。
こんな言葉一つのせいで、いくらでもあるはずの逃げる理由に手を伸ばせない。自分が感じている責任感の何と疎ましく、厄介なことか。
「……れが、……ます」
「聞こえないね。前を向いてはっきりと言いたまえ」
「…………俺が行きます」
――心配かけさせるような真似しないでくれよ。
父の言葉を、不意に思い出した。
――――――――――
装備を整えた殻島はレラトーニの調査地、それもゲスラが確認された地点の近くに転移させられた。前回とは違い、武器は長剣(ブレード)を背負っていた。日本でいう太刀、西洋でいうロングソードに近いそれは、刃渡り1メートル50センチを超える。
「殻島隊員。至急ここから北西に――」
殻島はオペレーターの支持を受け、すぐに駆け出した。不安を感じると同時に、引っかかる部分がある。
「羽村はなぜ俺に依頼した……!?」
当初、下水の秘密を抱える共犯者を増やさないため、既知の殻島を呼んだと思った。その上で下水によって変異した怪獣の討伐を頼んだのだと。
しかし、相手は巨大怪獣のゲスラだった。以前のグモンガなどとは比較にならない強力な怪獣であり、素人の殻島は「討伐して帰還する」よりも「返り討ちに遭って死ぬ」可能性の方が高いだろう。
(口封じってことか)
隊員を運んだ以前の任務で下水放出の秘密を知ったため、ゲスラに殺してもらって後顧の憂いを絶つ、という目論見なら理解できそうだ。
が、ここで疑問が生じる。
ゲスラはどうするのか、ということだ。
殻島が死ねば汚水の不正を告発する人間はいなくなる。だが、その場合ゲスラは倒されず残っているのだ。
20メートル級の怪獣である以上、通常の調査地とは別の場所にいるからといってスルーはできない。何らかの手段で討伐しなければならないはずだが。
(どういうことなんだよ。羽村は俺がゲスラを倒すのを期待してるのか……?いや、かなり厳しいし、「開放しなきゃ言いふらす」とまで言った俺を生かして帰すとは思えねえ……くそォ!)
思惑は不明。わかっていることは、自分にゲスラの討伐など不可能ということだ。ならせめて、襲撃を受けた部隊の構成員を転移座標区域まで運び、安全を確保することしかできない。
とはいえ、救援に向かうということはゲスラに接近するということ。殺されるかもしれない恐怖が、走った事による息の乱れと相まって今にも吐きそうだった。
必死の思いで斜面を駆け上る。上がった先は開けており、やはり一部は突出した岩で囲われていた。
『ここを下った先に隊員がいます。至急向かってください』
オペレーターから指示が下った。
「いよいよか」
心臓が痛い。息もまったく整わない。こんな状態ではまともに武器も振るえないだろう。
「いや、戦う必要はねえんだ。ひとまず一人ずつ抱えて、転移できる場所まで運ぶ」
意を決して一歩踏み出そうとしたその時だった。
「その場で待機を。近い位置に隊員の反応があります」
作戦室でドライバーの反応を読み取ったオペレーターが言う。
「生きてますか!?」
殻島は反射的に尋ねた。
「生命反応、確認できます。低速ですが、殻島隊員の方に近づいて……」
そこから先は聞くまでもなかった。殻島の視線の先、開けた土地から下る道を、よろよろと一人の男性隊員が上がってくるのが目視できる。
満身創痍一歩手前といった具合だ。右肩を手で抑えており、ヘルメットは脱げてしまったのか、乱れた頭髪が揺れている。
そして、土で汚れたその顔に殻島は見覚えがあった。
「
視線の先の人物は、殻島も何度か窓口で対応した隊員の一人、関だった。
堪らず駆け出す。彼の足取りは弱々しく、一歩踏みしめるごとに膝が笑っている。向こうも殻島に気付き、安堵と困惑が入り混じった表情のまま前のめりに倒れる。
「大丈夫ですか!?」
倒れ込む関の体重を殻島が支える。その時視界に入った彼の背中に言葉を失った。
大きな切り傷が2本背中に走っている。巨大な爪で切り裂かれたとおぼしきその傷口は、いずれも背面アーマーを割って出血を伴っている。アーマーは軽いが、どう考えてもやわな素材ではない。それが紙のようにバックリと切り裂かれて関の肉体にまでダメージを及ぼしていた。
「あれ……殻さん……なんでこんなとこいるんすか」
「そんなこといいから!とりあえず横に……あぁ背中怪我してるから横になっちゃだめか」
あたふたとする殻島に「大丈夫ですよ」と関は声をかけ、その場に座り込んで近くの茂みに背を預けた。
「見た目ほど傷は深くない。出血も思ったより少ないし……大丈夫っすよ」
「何言ってるんですか。すぐにエスケープできる地点まで運びます。帰ってすぐに手当を」
「大丈夫です。それより……」
殻島は関の身体を抱えようとする。が、関は手を翳してそれを拒んだ。
「隊長と
「ですけど、あなただけでも」
食い下がる殻島だが、拒否の意思は変わらず肩を強く押される。背に傷を負い、手に力を込めるだけでも強い痛みを感じているに違いない。にもかかわらず、それは強い力だった。
「あなたが、なんでここにいるのかもわからないっすし、迷惑は承知の上っす。でも……」
酷い顔色だ。
「あの二人を、助けてくれませんか」
酷い顔色に違いないのに、言葉ははっきりしている。
「お願いします」
関が頭を下げる。彼の頭が上がる前に、殻島は走り出していた。
――――――――――
脳内が痛みで埋め尽くされていた。右ふくらはぎから押し寄せる激痛は、等しく短い間隔で襲い来る。それでも、思考に残ったわずかな生存本能が働き、目の前の巨大怪獣から逃げるために懸命に左足を動かす。
神林ハルは、ぎょろぎょろと眼を動かすトカゲ型の怪獣、ゲスラから眼を逸らしたい気持ちを抑え、その動向を観察していた。視界は広そうだが、奇跡的に後ろ足付近にいるハルには気付いていない。
(だめだ……立てない)
彼女のふくらはぎのあたりは、ゲスラが飛ばした針らしきものを受け、深く抉れていた。どういうわけか受けた傷以上の痛みを感じ、攻撃を受けて時間が経っているのに血も止まらない。何か毒が作用しているのだろうか。
(関は上手く逃げられたかな……
今朝、ミッションに向かう直前になって、オペレーターから目的地の変更が言い渡された。転送の後言われたとおりに進むと、見たことのない地形。そして、巨大怪獣の急襲。
レラトーニで巨大怪獣はほとんど見ることがないはずだが、そのほとんどない一例に自分たちは当てはまってしまった。雪町と関と、3人で磨きをかけた戦闘のフォーメーションも崩され、ちりぢりになっている。
仲間の心配。痛み。恐怖。頭がそれらで支配され、叫びたい衝動に駆られる。むしろ、未だ気が触れないでいる自分が意外ですらあった。
心は既に限界だ。あらゆる感情をない交ぜにした涙が頬を伝う。その感覚に自分自身も気付けていないほどに。
じりじりと、巨体から距離を取る。しかしその最中、ゲスラの点のような瞳孔が向けられた気がした。
「ひっ」
声を上げてしまったことで、ゲスラは完全にハルを認知する。身体の向きを変え、正面からハルを見下ろした。
だめだ。殺される。それを悟ると、浮かんでしまいそうな脱力感が押し寄せてきた。
ゲスラが右前足を大きく振り上げる。
「お母さん、お父さん……」
最期の瞬間にハルが想ったのは、ありふれた人間の絆。肉親の顔だ。
「お正月くらいは、帰省しとくんだったな」
上から、水かきを広げた大きな手が降ってくる。眼を閉じた瞬間だった。自分の身体が、下から誰かに掬い上げられたのは。
――――――――――
全速力で斜面を下った。その先に見えたのは、何かを叩き潰さんと前足を振り上げるゲスラ。そしてその下にいるハルだった。
疲労で痺れる足に鞭を打った。
今走れるなら千切れてもいいと思った。
滑り込むようにハルに駆け寄り、背中と膝裏を抱えて地面を蹴る。直後に背後でゲスラが手を振り下ろし、ズドン、という音が響いた。
「危なかった……」
攻撃から間一髪でハルを逃がすことができた。
「か、殻島?」
抱え上げられたハルは驚き、目を瞬く。
「あんた、なんでここにいるの?」
関と同様のことを聞かれるが、答えている余裕はない。
〈ゴエエエエエエエエエエ!!〉
ゲスラの威嚇。ヤツはこちらを狙っている。加えて今いる場所は遮蔽物がない。隠れなければ、潰されるのが先延ばしになるだけだ。
あたりを見回し、前方に空間の抜け道があることに気付く。大きな岩が並び立つ間の、まさに小径。あそこならゲスラの巨体は入らない。
殻島が走る。その強靱な脚は、スーツの性能を限界まで引き出した。ハルを抱えた状態でありながら、その一歩一歩はバネで弾んでいるかのごとく進む。
だが、ゲスラはそれを追った。20メートルの体躯だ。人間とどちらが早いかなど比ぶべくもない。確実に殻島の背に近づいていく。
「ふッッ!」
殻島は踏み出した右脚で前方に大きく跳ぶ。即席の走り幅跳びがゲスラとの距離を大きく引き離し、そのまま道に滑り込む。
ゲスラはスピードを殺すことができず、岩と岩の隙間に真っ直ぐ顔を突っ込んだ。鼻面のあたりで引っかかり、頭が完全に入りきらない。この道の奥にいれば食われることはない。
ひとまずだが、安全を確保してみせた。
「し、死ぬ……」
殻島はハルを下ろすと、四つん這いになってぜいぜいと息をついた。汗がぼたぼたと草を濡らす。S4のスーツは耐暑構造が施されていると聞いていたが、目の前にその売り文句を考えた宣伝担当がいたらおそらく手が出る。
「う……」
ハルの呻き声で顔を上げる。そこで、担ぎ上げた時は気付かなかった彼女の怪我を知る。
「足が」
破れたレギンスの部分が濃く染まっている。出血なのか。だとしたらかなりの量だ。痛みは計り知れない。
「待ってろ」
殻島は腰のホルダーから一本のボトルを外す。手の平に収まるほどの大きさのそれは、『ヒールキット』と呼ばれる薬液だ。S4隊員の標準装備として全員が必ず持つ、いわば傷薬。
レラトーニで採取される薬草の成分から生み出されたそれは、消毒、抗菌、鎮痛、止血などの効能を合わせ持ち、応急処置にはうってつけだ。
ハルのホルダーも見たが、ボトルが潰れてしまっていたため自身のヒールキットを使った。蓋を外し、患部に振りかける。緑色の液体が、血の赤と混じりあった。
「ぐうううう……!」
ハルが悲鳴を上げる。激痛を想像して寒気がしたが、放置するわけにはいかない。ボトルを空にすると、殻島はジャケットを脱ぎ、袖を太もも部分にきつく縛り付けた。
「痛いよな。もう済んだから安心しろ」
知識の限りだが一通りの処置を終えた殻島はハルに語りかける。
「アンタ本当、なんで、ここにいるのさ……」
「あぁ……まぁ色々あって」
少なくとも短時間で語れるほどの『色々』でないことは確かだ。ハルもそれを察したのか、それ以上の追及はない。
〈ヴゥウウウウウウ……ゴオオオオオオ……〉
振り向くと、ゲスラが狭い隙間に顔を滑り込ませようと首をよじっている。下水の垂れ流しにより変異したためか、不快な匂いをまき散らす。
人間を警戒しているのか、二人に相当執着している。少しでも足を出せば、即座に噛みちぎられるであろう。
「関さんは途中で会った。怪我してたけど、何とか大丈夫そうだったよ。隊長さん……雪町さんはどうした?」
「わからない。部隊の中で一番の実力者はあの人だから、やられてはいないと思うけど」
「とにかく俺らの手に負える相手じゃないな」
殻島は左手にまかれた腕時計型の
「作戦室、応答願います。作戦室」
だが、いくら呼んでもインカムが声を通すことはなかった。それどころか、殻島のドライバーは電源すら入らない。
「ハル、お前ので試してみてくれ」
「いや、アタイのはだめ」
投げやりなハルの発言に違和感を覚える。最初から通じないことがわかっているかのような言い方だ。
「何も応答がなかったの。戦ってる最中も何度も要請した。応援と『サポートメカ』を呼んでくれって。でも、一切応えがなかった」
通常、任務には必ずオペレーターが付き、各隊員と周囲の状況を事細かに把握するよう努めるはずだ。なぜそれが何の音沙汰も寄越さないのか。
殻島には一つ疑念があった。
「……なあハル、今日ここら一帯は、今までの任務で一度でも訪れたことがあったか?」
「いや、ないよ。元々はいつもと同じ場所に転送されたけど、急遽変更になったって言われて、そこからいつもの3倍くらい歩かされたの」
ゲスラが出現したこの場所は、当然下水が放出された位置に近い。隠蔽するため、S4隊員が向かわない場所だったはずだ。
しかし、今日はハル達の部隊を向かわせた。ハル達がゲスラの襲撃を受けたのは偶然ではなく、意図的であった可能性が浮上する。
「お前がさっき言った、『サポートメカ』ってのは?」
「対怪獣の戦闘機のことよ。県中央の
戦闘機の出撃には多額のコストが伴う。それに加え、メカの攻撃は融通が利かない。レ
ラトーニには既に多くの人類が住んでいるのに、上空から爆撃を加えるというのは、例え市外地に向けてであってもリスキーだ。小型怪獣の討伐にいちいち大仰に巨大兵器を駆り出すのは、出撃費用とも見合わない。
だからサポートメカの利用は限定的なのだ。強力な怪獣による度重なる撤退、重傷者・行方不明者が出たなどの要件がなければサポートメカの出動はない。逆に、ゲスラのような怪獣が突如現れ、それによりS4の一部隊がなすすべなく全滅したとすれば、
「羽村の野郎、最初から部隊が全滅するのを見越して出撃させやがったな!」
ハルの部隊が壊滅し、事態を重く見たS4が戦闘機でゲスラを討伐。雪町、ハル、関の死亡は戦闘機出撃のダシに使われる。その上、ゲスラの存在を知った3名が死ねば、下水による突然変異を推察されることもない。羽村の協力者には学者である井塚もいるのだ。討伐後にゲスラの検死などがあっても、上手く切り抜けるのではないか。
「つーか何だよそれ……。隊員が死にかけねえと本部は動いてくれないのかよ」
「いや、普通は隊員の戦闘状況を常時チェックして、作戦室がサポートメカを要請してくれるよ。それこそ、部隊から死人が出る前にね。……もっとも、その作戦室の面々がアタイ達の死を望んでるっていうなら、本末転倒だけど」
作戦室に常駐するオペレーターならび指揮官は、調査に出る隊員の命を左右する責任重大な職務である。調査地の近くにいる怪獣の把握、サポートメカや離脱の判断などはすべて彼らが行うためだ。S4の活動は、彼らの信頼に寄るところが大きい。今回の場合、そこが根腐れを起こしているのだ。
そして、羽村が始末したい人物はもう一人いる。それは既に汚水の秘密を握った自分だと殻島は悟った。
今日作戦室に呼んだ時点で、自身を戦いに向かわせる予定だった。そこで殻島とハルの部隊が死ねば、不正を知る者及び不正に勘付くかもしれない者が全て消えるのだから。交渉など、もとより無意味だった。
悔しさもあるが、それ以上に無力感がじとりとまとわりついた。
ゲスラは、まだこちらを見ている。