一方、
パラパラと音がする。穴の空いた外壁と、穴を開けた腕から、破片が落ちる音だった。
指とも触手ともつかない、細長いものが束ねられている異形の手。鋭利な先端は薄青で、根元の部分には赤いラインが走っている。紛れもなくメトロン星人の腕だ。肘から先が変態した顔色の悪い男は、澱んだ目で
興己が尻もちの状態からがばりと立ち上がる。
「ど、どうしよう知景さん」
「ああ? んなもん、決まってんだろ」
情けないほど震える足が、それでも頼りだ。今はただ一目散に。脱兎の如く。
「逃げろッ!」
ふたり揃って、男に背を向けて走り出す。足跡はすぐに追ってきた。路地はすぐに突き当たりだ。右に道が伸びるだけで分岐はない。当然男も追ってくる。
90度道を折れると同時に後ろを一瞥する。興己は曲がる寸前、昔ながらの木でできたA型看板をひっつかみ、投げつける。バキ、と音がした。男の腕に砕かれたのだろう。
「足止めにもならない……!」
「おい、止まんな!」
興己の襟元を掴んで引く。視線を前に戻すと、路地を塞ぐように人影が立っていた。30を少し超えたあたりの、丸眼鏡をかけた髪の長い女。
「そこのあんた! 危ね――」
「危ないのはあなたたちの方で
そう言って、女は左手を真っ直ぐこちらに伸ばす。手にしているものを見て、知景の思考が一瞬止まる。
「伏せてください」
女の指示より早く、襟首を掴んだ興己と一緒に身をかがめた。同時に目線を背後に向ける。追ってきた男――に擬態しているメトロン星人はぴたりと足を止め、腰が折れんばかりに体を反らせた。
男の胸の上を、黒く細いものが一瞬で通過する。速すぎて色と形しか捉えられないが、知景の頭はそれが何だったのか直感していた。
矢だ。目の前に現れた眼鏡の女は、左手に大きな弓を携えていた。弓道で用いられる和弓より、アーチェリーの洋弓が近い。一瞬だが持ち手や照準器など、複雑なアタッチメントが見て取れた。だがそれ以上に印象的だったのは、競技では見られない弓と腕を固定するものものしい装具。そして反り返りと逆方向に伸びる、触手のようなおぞましい意匠だった。
間違いなくS4の、怪獣の素材を用いた武器だ。
上体を起こした男に向かって、二、三と矢が飛ぶ。一本目よりさらに速度が増した追撃を、メトロン男はゆらりと躱す。それでもこちらに接近することは叶わず、人形よりも人形らしい無表情に初めて感情が宿る。舌打ちを噛み潰すような、悔恨の顔。
メトロン男の足下に、おぼろげな光が広がる。光が輪になってメトロン男を囲い込んだ直後、眩さが体を包み込む。知景の瞬きの刹那で、男は路地裏から姿を消していた。
「ああッ!」
矢を放った女がメトロン男のいた場所に駆け寄りあたりを見回す。改めて男が消えた事実を理解したのか、深く肩を落とした。
「やってしまった……とっておくべきでした……」
とっておく、とはどういう意味だろう。知景は女になんと声をかけるべきか迷った。命を助けてもらったのだから、礼を言うべきだろう。だが女の行動は不自然そのものだった。なぜこんな路地裏にいたのか。なぜ得物の弓矢を手にしていたのか。なぜメトロンの姿に驚いていなかったのか。
出で立ちからしてたまたま通りがかったということはあり得ない。それに武器を持っていただけではなく、メトロン男に対して即座に攻撃を仕掛けた。まるで知景たちを追ってくると事前に察知していたように。
気味悪さと嫌悪感が心の中で波を打った。
「ありがとうございました」
女を睨む知景とは裏腹に、興己は真摯に頭を下げた。彼とて知景と同じ思考でいるはずだ。人を疑う性分ではないが、それ以前に馬鹿ではない。疑念を抱いた上で、礼を言わねばならないという道理が先行している。
女は姿勢を挙げて、目線だけをこちらに寄越した。
「そちらの女性は?」
「……え?」
「何か私に言うべきことは御座いませんか」
「あっ。ありがとう、ございました」
「結構。そしてお二方。他にも言うべきことがあると思うのですが」
女はこちらを向いた。幼児の拳ほどはありそうな大きい丸眼鏡の中で、じろりと目が尖る。
彼女がS4であり、何らかの密命で知景たちに付いて回っていたということは、ここまでの動向を知っているといことだろう。すなわち。
「……訓練を黙って抜け出して申し訳ありませんでした」
知景と興己の揃った謝罪に、「よろしい」と心情的には全くよろしくなさそうな返答が帰って来る。
「では、行きましょうか」
「ちっ。
「いえ? お二方には
はァ? と返すのは流石に無礼なので飲み込んだ。なぜ訓練を受ける灰濱ではなく、先ほど出向いた甫村まで戻るのだろうか。
いや、冷静に考えれば大人しく訓練に戻りましょうという話なわけがない。知景と興己を尾行していたということは、ふたりがメトロンに狙われていることも予測していたはず。ならば2日前の夜、知景たちがメトロンに短時間
「申し遅れました。私は
名乗った女は自分の胸に手を当てる。
「おふたりともご同行を。長官がお呼びで御座います」
数時間前に出たS4甫村基地のゲートを入り、真姫の後に続いて進む。入って左、通信管理部や作戦補佐部など、オペレーターと事務方の隊員が詰める1階のフロアを通り抜ける最中、知景は周囲を見渡していた。
浦菱は、佐納はいないだろうか。できたばかりの知り合いを探し求める。
(……いねえよな。アタシたちより先に基地を出てたんだから)
外の気温と比べれば天国と表現していい基地内の冷房も、心地よく感じられなかった。ここに来るまでに間、先導する真姫は知景たちを監視も拘束しなかったが、弓矢を手にしているS4隊員から逃げようとは思えない。何より彼女が名乗った肩書き、「統括長官秘書」。
外惑星における統括長官とはすなわち、惑星におけるS4の職務における最高責任者である。警察や自衛隊と同様に上意下達の色が強いS4において、その肩書きにどれほどの重みがあるか、訓練生の知景でも容易に理解できる。真姫はその秘書、直接繋がりがある人物に、動向を見張られていた。
バレていたとみていい。2日前のアーストロン出現という異常事態、その裏でふたりのS4訓練隊員がどこに行っていたのか。
真姫の役職を示唆するもう一つの要素は、手にしていた武器だ。S4の武器に「弓矢」などという原始的なものは存在しない。
「なぜ弓を使っているんですか」
真姫に連れられて歩く道中で興己が尋ねた。純粋に気になったのか、沈黙に耐えかねたのかはわからない。
「私が個人的に、研究部に依頼しました」
真姫は短く答えて終わらせた。
特注で作らせた武器。おそらくはそれを既存の武器に無理矢理当てはめて使っているのだろう。書類上は「ライフル」あたりになっているはずだ。こういう無理が通るのも、彼女の立場の高さゆえだろう。それとも、役職とは別に、研究部が依頼に応える価値があると判断したのか。
例えば、彼女が特錬隊員であったなら。
エレベーターに乗って3階へ。降りてからは基地局舎の西側、奥へと進んでいく。立ち止まった最奥の部屋は、最早誰のためのものか明白だった。
「失礼いたします」
一礼して入室すると、やはり広い。入って右手にローテーブル、挟む形でソファが対座する。奥のデスク場に複数の空間ディスプレイが浮かんでいる。「おう!」と半透明な画面の向こう側から太い声が響いた。
ふたりは真姫と並んでデスク前に立つ。ぷつぷつとディスプレイが順に閉じられ、声の主が露わになった。
「ただいま戻りました、
「ご苦労だったわな」
背もたれに上体を預けた男が片手を挙げた。見たことがある顔だ。知景は今と同様アペヌイで最初の訓練がスタートしたため、入隊式もこの星で行われた。そこで話していたのが目の前の男だ。アペヌイ統括長官、五穀
「そしてどうもコンニチワ、問題児ふたり」
目線が知景と興己を行き来した。何と答えていいかわからず、黙って礼を返した。
歳は50代半ば。後退した生え際の下で光る目は、必要以上に目力が強い。頬と目の下がたるんでいるが、あまり老けを感じないのは体格ゆえだろう。筋肉だるまに近い上半身はS4の制服もキツそうだ。背もたれはかなり後ろに倒れている。
「もう察してるとは思うが、真姫にお前らの動向を探ってもらってた。まあ気を悪くするな」
「……はい」
「いつからかわかるか」
「昨日、ですかね」
「なぜそう思う」
あくまでこちらに言わせる気だろう。そして五穀に、ソファでお茶でも飲みながら話すという考えはないらしい。
「2日前、灰濱市にアーストロンが出た後に、行方をくらませたから」
「その通り」
「どうしてそのことがわかったんですか。アタシらは夜の間に寮に戻った。寮と基地に、消えてたことはバレてない」
「出現場所付近にはS4の迎撃用砲台があったろ。そこの監視カメラに映ってた。一目散に逃げるお前らがな」
五穀は笑い混じりに語る。
「それと、また別のカメラにはもう一人映ってたな。アーストロンを討伐し、お前らと会話を交わしていた奴が」
知景は息を飲む。
「迎撃施設に詰めてた隊員は、アーストロンが誰かに倒されたとわかって外に出たんだ。そこで見た。死骸の上で人影を3人。そいつらはその後消えたんだと」
「あの時、見られてたんすね」
「長官」
真姫が一歩前に出た。
「先ほど簡単にご報告いたしましたが、彼女らは甫村市内で男性……おそらくは地球人に擬態したメトロン星人に襲われそうになっていました」
「みてえだな。嬉しい発見だ」
発見? 目を光らせる五穀を見て違和感を覚えた。
「待ってください。長官は、はなっからアタシたちとメトロン星人との繋がりを疑ってたんじゃないですか」
「なぜ疑う? お前らは市内に怪獣が出たタイミングでその場に居合わせて、そこから数時間消えてただけだろう。アーストロン出現に関連性があると思って真姫に追わせていただけだ」
「でも結果的に、このふたりと何らかのつながりがあるのは間違いなさそうで御座いますね」
真姫の言葉に、「だな」と五穀は拳を手の平に打ち付けた。
「デカい魚が釣れた気分だぜ」
「……もしかして、上機嫌ですか?」
困惑が頂点に達したらしい興己が、首を傾げながら訊いた。
「オウ、上機嫌だ。コツコツ積み上げた労力が、思いがけない天の采配で実を結ぼうとしてる。こういうのが一番気分がいい。やっとこさテンパイまでもってきたんだ」
「はあ……」
「そうだな、お前らには教えておいてやる。俺の目的は、メトロン星人の化けの皮を剥ぐことだ」
耳を疑った。化けの皮という単語は、メトロン星人への疑惑が伺える。それもかなり直接的に。
五穀は知っているのか。メトロンが地球側に黙って殻島
「俺には疑惑が、いや、確信がある。一昨年の夏に起きたアペヌイ大怪災。あの発端は、メトロン星人にあるはずだ」
「…………あ?」
何を言ってる。思考がブレーキを踏んだ。
殻島のことではない。もっと大規模で、突拍子もない予想。馬鹿げてる。何を根拠に。
「根拠はあるぞ。まず一つ目、アペヌイ大怪災当時、怪獣が火乃粉市に侵攻したルートには、何か作為を感じた」
「作為?」
「怪獣の群れは南から進んできた。火乃粉市は南部が調査地に面してるからこれに違和感はない。だがその後、怪獣どもは東西に広がるようにして地表を踏み荒らした。群れの層は薄いが、幅広く展開する形だった」
「S4としては、対応が難しくなりますよね」
興己が確認の口調で尋ねた。
「避難と迎撃を並行して行うにあたって、カバーしなければいけない範囲が広がってしまうと」
「そう。クソほど厄介だった。加えて毒ガス怪獣もわんさかいやがった。怪獣が放つ毒ガスは土地に残留してその後の復興も難しくする」
「それが作為的だと?」
「俺以上にアペヌイの被害状況を分析している奴はいない」
うっすらと浮かんでいた笑みが消えた。
「でも、怪獣侵攻に何者かの思惑があったとして、メトロン星人とは限らないですよね」
「それに答えるのが二つ目の根拠だ。侵攻後に発見された隊員の遺体のうち、ほんの数体だが奇妙な傷が残っているものがあった。心臓を一突き、ぶっといが先端は鋭利な何かで刺されて死んだ遺体だ」
たしかに、メトロン星人の腕で刺されたらそんな傷は残るかもしれない。だがそんな直接的な手を使うだろうか。地球にウルトラマンがいた時代、メトロン星人はタバコに「赤い結晶体」を仕込んで流通させ、人間の中に眠る攻撃性を呼び起こした。毒物を使えば外傷は残らないだろう。
冷静な思考に、実体験が反論する。ついさっき、自分はメトロンに殺されそうになったではないか。コンクリの壁すら貫く、あの鋭い腕で。
「加えて決定的なのは、去年からアペヌイ上空に滞留する飛行円盤です」
真姫が3つ目を提示した。
「メトロンは地球を援助する目的で円盤を留めていると主張していますが、私たちはこの星の土地に狙いを付けているようにしか見えません」
「そもそもあの円盤がメトロンのものだと明らかにしたのは俺だ。俺が接触しなきゃ、奴らだんまりのままアペヌイの上でじっとしてただろうな」
五穀の働きは記憶に残っている。飛行円盤が確認された当初から、コンタクトを取る必要性を説いてきた。そして半ば強引に接触を試み、メトロン星人のものだということが判明した。
防衛援助という理由は、五穀の突撃を受けてこしらえた建前。奴らの狙いはアペヌイ。一昨年の大怪災を経てもしぶとく居座る地球人を、今度は完全に排除する。
「で、4つ目。これは正直弱いが、最近匿名のメールが届くようになった。『メトロン星人はアペヌイを狙っている。気をつけろ』。そんな内容がぽつぽつとな」
「暇人のイタズラじゃ」
「メールは俺の職務用アドレスに届く。どんな思惑かはしらないが、少なくともS4隊員が送ってきてることはたしかだ」
だとしたら大問題だ。メールの内容が嘘にせよ、真実にせよ。
「それで、メトロン星人を疑ってるってことですね。既に円盤を撃墜する手はずも進めてるんすか?」
「まさかまさか」
五穀は両手をひらひらと舞わせた。
「メトロンさんに直接聞かないことにはな。『アペヌイ大怪災を起こしたのはあなたたちですか』って」
「はいそうです、なんて言わないと思うんですが」
「それ以前に話を聞いてもらえないんだこれが。何しろ向こうは空の上。コミュニケーションを遮断する気になればいくらでもできる。だから、必要なんだ。メトロン星人にとって、対話に至るだけの理由が」
五穀が体を前に倒し、デスクで指を組んだ。尚もこちらを眺める。「まさか」と興己が反応した。
「僕たちがその理由だと?」
「ご名答」
五穀は嬉しそうに口角を上げ、人差し指を伸ばした。指の先が、知景と興己に交互に向く。
「お前らふたりは、メトロン星人に襲われたっていう実績がある。そして襲われた理由は、2日前の失踪と関係してるんだろ? 話せよ、ゆっくり聞いてやる」
それが、この執務室に招かれた理由か。
メトロン星人に向ける疑惑はあれど、そのどれもが確定的でない。確かめるにはメトロン星人との直接対話まで持ち込む必要があった。対話の流れの中で、五穀は見極めるつもりなのだ。アペヌイの空に留まる真の理由。2年前の災害は、果たして引き起こされたものなのか。
知景と興己が被害に遭ったという事実はダシに使える。地球人に擬態したメトロンに襲われたという事実は、向こうも無視できないだろう。同時に、男を取り逃がしたときに真姫が口にした言葉の意味もわかった。
とっておけば。
あれは、「
「どうして、メトロン星人に執着するんですか?」
訓練隊員2名に直接問いただすような真似をせず、あえて一度尾行を挟んで。その2名が襲撃に遭ったという事実をあげつらって、真実を追究して。
知景には、なぜそこまでという思いがあった。まるでアーストロンの件は二の次だ。
だが、疑問を直接ぶつけたことを後悔した。五穀の顔から、また笑みが失せている。
「アペヌイ大怪災では、342人死んだ。うち、S4隊員は54人」
死者全体に占める内訳として、あまりに大きい。おそらく、市民を守って殉職した隊員が少なくない。避難させるため。討伐するため。そのままの意味で、盾になって死んだ。
「隊員になって3年未満の者が4人。あと5年以内に定年を迎えるはずだった者が2人いた」
目は知景を見ているが、映っている景色は違うように思う。2年前に上がった火の手。あるいは瓦礫。
怪獣。
「S4はそういう仕事だ。怪獣がある日共鳴したように同じ場所に侵攻する。自然災害ほどじゃないが予測は困難で、もしその時が来たら死んでもおかしくない場所に駆り出される」
頭の片隅で、未来の父親のことを思い出した。アペヌイ大怪災で手柄を挙げたが、怪獣の毒ガスにより昏倒。別の隊員に助け出されて一命を取り留めた。彼が死者に計上されなかった保証はない。
「だから、この侵攻が意図的に起こされたものであった場合、俺は納得ができないだろう。だから、納得するためにあらゆることをする」
――メトロンの化けの皮を剥ぐことだ。
五穀の発言が、報道機関やSNSに取り沙汰されればどれだけ問題になるかわからない。メトロン星人は地球に多大な技術を寄与し、友好関係を築いてくれている数少ない異星人だ。牙を剥くような発言など、よりにもよってS4から出ていいはずがない。
それでも五穀は探っていた。訝しんでいた。S4という組織の、外惑星統括長官という立場で、許される考えではないと知った上で今、ふっかける準備が整い始めている。
あらゆることをする。こんな発言が出来てしまうのは生粋の勝負師しかいない。職業倫理を超えた衝動が燃えている。
皆殺しという単語が頭に浮かんだ。血の気の多さを感じるのは、五穀の風格からだけではない。
記憶の中では、五穀だけではなかっただろうか。A4外惑星統括長官という職と、特錬隊員のトップ10。この2つを兼任している人物は。