ゲスラは頭を振るって吼える。血気の昂ぶりは離れていても感じるほど。
後手に回っては倒せない。本能的にそう感じた。
殻島は腰を落とし、足に力を溜める。バネを上から押さえつけるイメージだった。先ほどはハルを抱えていても、通常の身体ではあり得ないほどの飛距離でジャンプすることができた。意識すればあのように、あれ以上に跳ぶことができるはずだ。そう反芻し、上腿に力を漲らせていく。
「はあ!」
ゲスラが突進しようとしたその時、殻島は前方に強くジャンプした。
「……あァああ!?」
殻島の足よりはるか下にゲスラがいた。一回のジャンプで、殻島はゲスラの頭の高さを越えた10メートル以上の跳躍を果たしていた。
S4スーツ。かつての地球防衛機構である科学特捜隊の制服を模したそれは、傍から見ればオレンジ色のスーツとスラックスだ。が、その効用は通常のそれと全く異なる。
怪獣や異星人と戦う際、少しでも生存率を高めるための工夫がふんだんに盛り込まれている。繊維とアーマーは丈夫で防具としての役目を果たし、それでいて動きやすく。気候に幅広く対応し、着脱もしやすい。当初人間の性能を限界まで引き出すことを目的として作られたそれは、技術進歩と外惑星の資源を伴って「人間の限界を超えた活動を可能にする」ことが目的となっている。日進月歩する装備開発の粋を集めたそのスーツは、殻島の能力に存分に応えた。
「ッおおおオオオオラァ!」
頭の後ろまで掲げたブレードを力任せに振り下ろす。大きな弧を描いたブレードは、落下の勢いも加わって力強い斬撃を生んだ。
が、手に伝わるのは痺れ。耳が拾うのは硬質な音。ゲスラは殻島のブレードを、右腕側面から突出するヒレで受け止めていた。
ゲスラが腕を振るうとブレードごと弾き飛ばされる。なんとか両の足で着地したものの、速度を殺しきれず二度後転してようやく止まった。
「
ヒレに打ち付けた時の感触はまるで金属のようだった。ゲスラの身体が湿っていなければ火花も散っていただろう。
次の手を考える殻島を前に、ゲスラは新たな行動を起こす。地面を向いて首を左右に振り、それに合わせて体全体も揺すっている。
何だ、と殻島が思った時には、ゲスラが口を開けていた。その奥から放たれる黄土色の塊が一直線に飛んでくる。
悲鳴を飲み込み左に回避。黄土色の塊はびしゃっ、という音を立てて地面に広がる。体内から吐き出した何らかの液体だということがわかった。
「くっっっさ!!」
着弾地点から拡散するあまりの悪臭に、殻島は慌ててそこから距離を取った。だが、ゲスラはその行動を先読みし、殻島の一歩先に液体を吐く。横目でゲスラを捉えながらギリギリで回避に徹する。
「くせえ!危ねえ!何だコレ胃酸?」
下水を思い起こさせる不快感に加え、目を突くような
「あれ食らったら死ぬかな。……死ぬよな」
小休止とばかりに攻撃が止む。殻島は一度呼吸を整えた。
「もう一回、さっきの」
再び腰を沈め、地を駆けるように蹴る。先ほどと同じ、ジャンプからの一撃。だが今度は少し異なる。
高くではなく、前にジャンプ。ゲスラの顔まで最短距離を沿う跳躍で瞬時に距離を詰め、頭を叩き切る。狙い通り瞬く間にゲスラの顔が近づき、右からの横薙ぎを見舞った。
が、防がれる。今度も右手、そしてヒレではなく爪で剣を弾いた。
土埃を上げて着地する殻島は、ゲスラの反応に唾を飲む。
(この怪獣、攻撃を読んでやがった)
ヒレではなく爪で弾かれたのは、ゲスラにとって防御ではなく攻撃を行ったからか。最初のジャンプ斬りを経て、目の前の人間は飛んでから斬ってくる生き物だと学び、それを払い落とそうと2度目で腕を振った。
なら3回目は、キャッチされるか空中で引き裂かれるかの二択だ。
攻めあぐねる殻島に考える隙を与えず、胃液を飛ばしてくる。
(遠くからの一撃は見切られる。なら――)
近づくしかない。弾丸のように飛んでくる胃液の合間を縫って距離を詰めた。進行方向にゲスラが胃液を吐くよりも早く足を前に運ぶ。
接近し、ゲスラの影が足下まで来たところで、殻島はまた跳んだ。
近づいてからのジャンプは予測できなかったのか、ゲスラは目で獲物を追うだけ。殻島はゲスラの頭を越え、背を越え、後ろ足のさらに先で着地する。狙いは、後ろに回ること。
前方にいては、口から吐く水で牽制され、攻撃も察知される。横に回ろうとしても逃がしはしないだろう。ならば無理矢理にでも背後を取るしかない。
(ここで、尻尾をぶった斬――)
殻島は振り向きざまに斬りかかろうとし、ゲスラの尻尾を見て止まる。尻尾が上に反り返っている。先端部にまで力を張っているのか、わなわなと震えていた。
何を考えている。何を狙っている。
刹那で思索を伸ばした殻島が、ある記憶を引き出す。以前夜のレラトーニ市外へ出たとき。洞窟の中で見つけた隊員の遺体。その身体に刺さっていた針のようなもの。
殻島は防御に転じ、すぐさま剣の背を盾のようにする。ほぼ同時にゲスラの尻尾がしなるほどの勢いで地面に打ち付けられた。その瞬間、尾の根元から先端にかけて生えた
やはり死亡していた隊員は、ゲスラに殺されていたのだ。が、一瞬見えた棘の長さは、首に突き立てられていたものよりはるかに太く長い。当時はまだ変異途上だったのだろう。
さらに、弾かれて地面に落ちた棘からは、どす黒い液体がしみ出していた。
「何だよコレ、毒か?まさか、ハルもこれを食らって足が……」
一回の被弾で動けなくなる。動けなくなれば死に直結する。それを実感し総毛立つ殻島に、今度は腕が振り下ろされた。
「くっ!」
バックステップで避ける。回避は常に余裕がない。一瞬の判断と見切りに、肉体を追いつかせる。スーツの補助があっても、体力はすぐに削れていく。
やがて正面を向くゲスラはぴたりと顎を地面に付け、様子を窺うような姿勢を取った。
突っ込んでくるか、と思ったが、突進で詰めるほど距離は離れていない。疲労で朦朧とする頭に衝撃が叩きつけられた。
「がっ!?」
一瞬何が起きたかわからなかった。遠くにあったゲスラの顔面が一瞬で目の前に移動、そのまま身を打ち付けられ吹き飛ばされたのだと遅れて理解する。
「突進……じゃなかった……!」
ゲスラは、要は匍匐前進をしたのだ。片腕で地を擦るようにして前に移動。だが、後ろ足の押し出しと濡れた身体の潤滑作用で、その動きは突進以上の威力となった。
ゲスラは隙を見せた獲物に余裕を感じたようだ。ふらふらと立ち上がる殻島を腕ではたく。ゲスラにとっては、猫がボールを手で転がすような動作。自らよりはるかに小さい生き物を弄んでいる感覚かもしれない。
が、殻島にとってその手は自分の背丈ほどもあるのだ。防御してもあっけなく転がされる。
「が、ぐあ、い゙ッ」
膝を、背を、何度も地面に付かされ、泥に塗れた。
ふらつきながらも立ち上がると、ゲスラは先ほどと全く同じ体勢を作っていた。
(やばい、来る――)
再び前傾でスライディングのような移動。それをもろに食らった殻島は大きく、大きく後ろに弾かれた。
――――――――――
「殻島ッ!」
ハルは悲壮な叫びを上げた。体当たりを食らった殻島は、身体を地面に打ち付けながら吹っ飛ばされた。成人男性の体躯でも、ゲスラの前ではまるでおもちゃだ。
距離が大きく離れたゲスラは体勢を低くした。顎を地面ギリギリに、まるで犬の「伏せ」のような姿勢だ。
突進がくる。
一度戦っていたから、次の挙動を読むことができた。
殻島に目をやる。彼はまだ立ち上がっていない。
「殻島立って!突進が来る!」
聞こえているのかいないのか、殻島は片足を踏みしめる。が、すぐに上体が崩れ、なんとか手で支えている状況だ。動かねばならないと頭ではわかっているのだろうが、身体がついていっていない。
「そんな……!」
自分に何かできれば。その思いで一杯だった。だが足の痛みはやむことなく、吐き気さえ覚える始末。声を上げて挑発しようにも、ゲスラの注意は完全に殻島に向けられてしまっている。
そしてそれ以上に、安堵してしまった。殻島に「俺が行くよ」と言われたとき、堅持した覚悟が緩んでしまった。もしかしたら生きて帰れるかも。そう思ってしまった。
だが、代わりに殻島はゲスラと戦い、死に瀕している。それも、自分が果たすべき使命を殻島に背負わせてしまったことが原因で。
それは嫌だ。絶対にいやだ。
「立ってよ!ねえ!」
力の限り叫ぶ。ゲスラは既に発進していた。
「死なないで――」
叫びかけた瞬間だった。驚いたことに、地面で悶えていた殻島が、すくっと立ち上がったのだ。よろめく様子はない。たたらを踏んでもいない。それまで地面に倒れていたのが嘘のように、両足でしっかりと立っていた。
(いや違う。実際に嘘だったんだ)
ダメージを食らって動けなくなったとゲスラに印象づけ、突進を誘発。猪突猛進してきたところを狙う。
戦術としてはそれだけのシンプルなもの。だが、一方的に攻撃を食らい続け、抵抗できなくなったとゲスラにと思わせた。さらに吹き飛ばされ、立つことすらままならない姿を見て、ゲスラは胃液や毒針の遠距離攻撃手段を使う必要性は感じなかったのだろう。突進で直接ねじ伏せに来た。それを誘導したのは殻島だ。
そして、相手は巨大怪獣という圧倒的体格差、絶対的劣勢でそのことに頭を働かせられる人間が何人いるだろうか。少なくとも自分はできなかった。関も雪町もだ。
だまし討ちなど綺麗な戦い方ではない。それこそ、大昔に怪獣と戦った光の巨人『ウルトラマン』であればそんな戦術は用いないだろう。
だが対照的だからこそハルは惹かれた。弱者たる人類が貪欲に、泥臭く抗う。時に大胆に、時に狡猾に、怪獣の討伐その一点のために。
完成された「人間の戦い方」をありありと見せられた気がした。
「……すごー」
ハルがぽつりと呟いてすぐ、ゲスラの左前足のヒレが流血を伴って宙を舞った。
――――――――――
突っ込んできた。それを察知して、殻島は即座に立ち上がる。吹き飛ばされた後に立ち上がらなかったのは半分真実、だが半分演技だ。体当たりを避けることは叶わなかったものの、受け身を取ってうまく衝撃を緩和することができた。
正面からは、ゲスラが大口を開けて接近している。
「右、左、右……」
交互に繰り出される前足を捉えながら、ブレードを下にし、身体で隠すよう後ろに構える。
戦え。倒せ。もうここまできたのなら迷うな、恐れるな。迷いと恐れをかき消す言葉は彼が、湖田がくれたのだから。
ゲスラと衝突まで、あと2呼吸。
「こっちか!」
突進を食らわぬよう急角度で身体を右方に。それと同時に地面に付いたゲスラの左前足に向け剣を運ぶ。地を這う刃は、ゲスラの前足とヒレの接合部に食い込んだ。
「ッッらぁ!!」
「グエアアアァ!!」
予想外の反撃――そしておそらく激痛に――ゲスラは悶える。
ヒレは硬くて刃が通らない。ならば前足から「剥がす」に近い軌道で斬る。その作戦が成った瞬間だった。
(よし!)
初めてしっかり攻撃が通った。それも片方の前足はほぼほぼ使い物にならななっている。大きな成果だ。
この隙を逃さない。そう息巻いて身体を反転させる。が、ゲスラはすでにこちらを向き、無傷の右前足を大きく振り上げていた。
小さく弱いながらも健気に向かってくる人間。ひ弱だと思っていた存在に一杯食わされた。その事実ごと叩き潰すかの如き勢いで振り落とす。それは先ほどの遊戯じみた攻撃とはあまりにも違っていた。
「まずい――」
避けられないと瞬時に判断。辛うじて、覆い被さる手をブレードで防いだ。
「ぐっ……!」
ゲスラは防がれてもなお足に力を込め続け、殻島を叩き潰そうとする。柄を握っていない右手でブレードの横面を支えるが、持続的な圧をかけられ膝が折れ始める。
「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!」
叫ぶような声は気合いよりも悲鳴に近い。脳内に圧死の二文字が浮かび始めた時、突如かけられていた力が弱まった。ゲスラは叫びを上げたかと思うと、だらりと殻島から見て左側に倒れ込んだのだ。
理由は明白。ゲスラの左の腹に、太い光線が撃ち込まれていたからだ。まばゆい煌めきは、今にもゲスラの腹を突き破らんとしていた。
光線はS4が管理する武器の一つ、
「誰ッ……だ!?いや、一人しかいねえ……!」
ハルも関もバズーカは持っていなかった。ならば、この地において攻撃の主は残った者。
「
右手に顔を向けると、部隊の隊長である雪町がいた。細い人間の胴ほどもあろうかという大幅のバズーカを肩に担いでいる。頭から出血しているのが確認できるが、意識ははっきりしているようだ。
「殻島さん、今です!」
雪町が放ったレーザー光線は非常に強力だが、代償としてバズーカ内にため込んだエネルギーを全て使い果たす。冷却期間を経なければ再使用はできないのだ。すなわち、隙が生じたゲスラを倒せるのは、殻島ただ一人だ。
急いで倒れたゲスラの左側面に回る。超高温の光線を浴びた皮膚の部分は焼け焦げ、ただれている。
その部分に、まるでやり投げのような豪快な動作でブレードを突き立てた。所作も定石も知らない。ただ自身が思う最も力が入るやり方をしてみせた。それが伝わったのか、ブレードの刃は半分ほどまでゲスラの腹に食い込んだ。
突き刺さった状態のまま、柄を両手で握りしめる。そして奥の方、後ろ足がある方向に刃を押していく。千載一遇の隙、このまま強引にでも横腹を裂く。
「うおおおお……!」
ブレードがなかなか動かない。光線でダメージが入っているとはいえ、怪獣の皮膚は分厚く硬い。腕の筋肉は既に限界まで張っている。足はパンパンで痛み以外の感覚は失せた。
それでも刃を押し込む。さらに一歩、二歩と前に歩み始めた。
〈グゲォオオオオオオオッ……!〉
力尽くで刺し傷を広げていく。
まだだ。もっと深く。もっと先まで。
からだの奥底からそう叫ぶ声が聞こえた気がした。そのさらに深い場所、根底に位置する願いは一つ。
怪獣を、討伐せよ。
「ああああああああああああああああ!!」
ブレードを思い切り右に振り抜くと、刃がゲスラの皮膚から外れた。
斬るというよりも引き裂くに近い斬撃。しかし、その攻撃はゲスラの体表を越え、内臓にまで傷をつけた。
一歩、二歩、とよろけた殻島の背後、粗く開いた傷口から血が噴き出す。辺り一面を浸すほどの赤い濁流は、ゲスラの肉体を維持していた大部分に思われるほどだ。
ゲスラは数秒痙攣したかと思うと、ずしゃりと顎を地面につけた。自らの血に埋もれて倒れ伏し、目を見開いたままぴくりともしない。
「…………殻島、さん……?」
雪町に声をかけられた。返事ができず、黙って彼女の方を向く。
「殻島さんですよね」
「…………え?あっ、はい」
一言交わしたことで、現実に引き戻された気がした。
腕の力が緩み、ブレードを地面に落とす。それでも、握りしめていた指は固まり、いまだに伸ばせない。
「お、俺、生きてますよね」
「は、はい……」
雪町もまた、これが現実なのか困惑しているように見える。決してここにいるはずのない男が、巨大怪獣を討伐してしまったのだ。その反応も当然である。
殻島は腕をだらりと下げ、上を見上げた。倒れないことのみに注力し、それ以外は完全に脱力する。
「よかった」
ただ一言、そう呟いた。
そして姿勢を正し、雪町を見て瞠目する。彼女は手の甲で鼻を押さえ、目を潤ませていた。今にも泣き出しそうだ。
「だ、大丈夫ですか?怪我したとこ、痛みます?」
「いえ……。ただ、ただ、生きててよかったなあ、と……」
うつむくと同時に目のあたりを擦ると、すぐに顔を上げる。そして左手のドライバーを操作し、現在時刻を確認した。
「10時34分。殻島臨時調査隊員、出現した巨大怪獣の討伐、完了」
任務完了時に述べる口上が、戦いの終わりを告げた。