「殻島さん」
有孔板の天井を見つめていると、看護師に話しかけられた。
夜蛍市にもっとも近いレラトーニの日本自治体、黒葉市の病院。その3階のベッドに殻島は身を沈めている。レッドキングとの戦いからは、4日が経っていた。
「右手の包帯変えますね」
「あー、すみません」
彼女は慣れた手つきで右手首から中指と薬指を固定する医療用テーピングを外していく。ただの包帯に見えるが、レラトーニの薬草にみられた有効成分から検査を重ね、傷の回復や鎮痛に効能をもつ万能の固定具らしい。実際、巻いた初日の夜も痛みに悩まされることなく眠ることができた。
巻かれている部分は他にもある。胸回りと手足の関節部、頭にもだ。レッドキング戦を制した代償は軽いものではなかった。今の殻島は誰が見ても満身創痍の評価を下すだろう。
入院2週間、全治1ヶ月半。それが診断結果だった。
「包帯取れた後に手洗うと、垢すごいですよ~」
「うえぇ」
昨日もそう言って脅された。ぐるぐる巻きの状態から脱せるまであと3日、固定具を外すにはそれ以上かかるのだ。その暁に目の当たりにする不潔な右手のことは、あまり想像したくない。
「あ、あとさっきどなたかお見舞いに来てましたよ」
看護師は出際に明るく言うと、別の病室へと向かった。
「お見舞い……誰だろ」
扉の方向を見るため軽く首を起こす。近づいてくる足音がしたが扉の前で止まり、やがて開かれた。
「……関さん!雪町さんも!」
見舞いに来たのは、ゲスラとの戦いに巻き込まれたS4隊員、関と雪町だった。
二人はドアから首を覗かせて病室内を窺っていたが、左手の殻島の声に気付くとすぐに歩み寄ってきた。
「殻さん、お久しぶり、ってほどでもないですかね?」
「お見舞いに伺いました」
関が手に提げていた見舞いの品らしき袋を傍らに置いた。
「具合はどうですかって聞こうとしたんですが……まあ良いわけないっすよね」
同情する関に対し、殻島は笑って返した。
「いや、そうでもないです。退院まではちょっとかかるけど、痛みは抑えられてますし。結構快適ですよ」
必要以上に心配されるのも申し訳ないため、殻島は率直な感想を言った。が、関の不安げな表情は覆せない。
「でも、そこそこ重傷じゃないですか。どこをどう怪我したんすか?」
「えーと、右手の指が骨折とひび、肋骨もひび、頭にちっちゃい切り傷があって……鼻は折れてはいないんだっけ」
「うわ~……」
身体の惨状に、関は引いていた。言葉には出さないが、雪町も似たような表情になっている。
「本当に、ご無事で安心しました」
「そうですよ。マジでびっくりしたんですから、レッドキング倒したのがたまたま居合わせた防衛局の職員で、しかもそれが殻さんだって聞いたときは」
二人の反応に、殻島は「あー」と言葉を濁す。
「それはその、たまたまというか……俺自身びっくりしてる部分はあるんですけど」
「『たまたま』で何でレッドキングぶっ殺せるんですか。俺達に言ってないだけで、本当はめちゃくちゃ凄い人だったりします?アスリートだったとか。それとも元ヤン?」
関の雑な推理に思わず吹き出す。
「ないですよ、そんなこと」
「いえ、もしかしたらその……高校時代にとても喧嘩が強くて、学校を支配してたとか」
「雪町さんまで~。悪ノリやめてくださいって」
「今度から裏番って呼んでいいすか?」
「裏なら『裏番』って呼んじゃだめでしょ」
「ぷっ」
三人の間に哄笑が弾ける。
「あ、怪我つながりですけど、ハルって具合大丈夫そうですか」
殻島は、雪町部隊の中で唯一ここにいない隊員について尋ねた。神林ハルはたしか、二人よりも重傷だったはずだが。
「ええ。順調に回復してますよ」
雪町が答えた。
「まだリハビリ中なので、お見舞いにはご一緒できなかったんですが、毎日元気ですよ」
「そっか……よかったです」
連絡先は交換しているため、軽いやりとりから経過が順調であることはわかっていたが、実際の様子を見ている人から話を聞くとやはり安心する。
「あ、そうそう。この見舞いの品も神林のセレクトで――」
関が持ってきた袋の方に視線を移したとき、先ほどと同じ看護師が「殻島さん」と呼びに来た。
「また新しいお客様がみえてますよ」
「またですか?」
「ええ。大勢」
「大勢!?」
まったく見当がつかなかった。この星で知り合いと呼べる間柄は職場の数名と、雪町部隊の面子くらいのものだ。まして大人数、余計に得体が知れない。
「お見舞いじゃなさそうでしたけどね」
看護師はさらに謎を深める一言を付け加えて去って行った。
「今の俺の状態でお見舞い以外……?」
「あ、多分アレじゃないですか、取材」
関の言葉に思わず「えっ」と声を漏らす。
「取材ですか?俺に?」
「そりゃそうですよ。たまたま居合わせた防衛局員が怪獣を倒したなんて、大スクープ間違いなしです」
その言葉に、雪町も得心したように頷く。
「たしかにありえる話です。昨日はどなたもいらっしゃらなかったんですか?」
「いや、まったく――」
言い終わる前に、扉から何人ものスーツを着た男がなだれ込んできた。皆口々に自己紹介を述べているが、頭に入ってこない。ただ、誰も彼もテレビ局をはじめとしたマスメディア関係者であることはわかった。
「こちらの病室に、現れた巨大怪獣を討伐された方がいらっしゃるとうかがったのですが――」
病院の者か、防衛局関係者が教えたのだろう。『殻島勇玖』という人間が怪獣討伐の功労者であり、この病室にいる、ということを。
殻島からすればいい迷惑だ。激戦を経て、まだ骨が軋んでいるような状態で受け答えをするというのも気が進まないが、取材を拒否したい主な理由は他にあった。
それは、怪獣と戦ったことを地球にいる父や叔父夫婦に知られたくないということだった。
レッドキングの襲撃は、正直言って大ニュースだ。被害こそ大きくなかったものの、街に巨大怪獣が侵攻する事態というのはそうそう起こるものではない。それに関連するニュースはたいてい全国放送になる。
そしてその脅威を、大怪我を負いながらも退けたのが殻島勇玖だと喧伝されれば、確実に父達の耳に入るのだ。引っ越す前、父は自分に「心配かけさせないでくれ」と言った。付け加えたようでいながら、それが心から伝えたかった想いであるとわかっている。自身に関するニュースで病床の父を不安にさせたくない。そんなタマではないようにも思うが、やはり嫌だ。
(あと、自意識過剰かもだけど普通に恥ずいし)
無論、今後も局員として働くつもりでいる。だが今回の事例は、職場でちょっと注目されるという程度ではないだろう。目立ちすぎるのは避けたい。
したがって、なんとかインタビュー等は断りたいのだ。
が。
「アポも取らずに申し訳ございません何しろ緊急事態でしたので本日はお話を伺いたく――」
「偶然怪獣を討伐されたそうですがなんともヒーローのようなご活躍で――」
「S4隊員に転向されるご予定はおありでしょうか――」
スーツの男達は丁寧な口調ながら立て板に水で斬り込んでくる。流石といったところか。先ほどまで会話していた関と雪町を押しのける勢いだ。
「ちょッ、俺、取材とかはその――」
拒絶しようとするが、雰囲気に圧倒され言葉が出ない。
そうだ。こういう類いを断るのは苦手だった。
言葉を聞き流しながら逃げ場を探す。せめて何かきっかけがあれば。
ちらちらと視線を泳がすと、こちらに殺到するマスコミ関係者の中で、ただ一人、真っ直ぐ手を挙げている者がいた。他の関係者に埋もれて顔は見えない。ひらひらと振られるその手はやや小さく、細い。女性の手だ。
途端に、その手と今の状況、そして過去の記憶が結びついた。
「あ、あの!」
殻島が急に声を張ったことで、押し寄せていたマスコミ関係者達が一歩退く。
「
はっきりと言い放った。それを受けた関係者陣に驚きが、そして一社を除いてやんわりと断られたことに対する嫌そうな顔が伝わっていった。
不意に関が立ち上がった。
「ほらァ、当人がこう言ってるんですから、はやく出てってくださいよ!」
手を払い、関係者に出て行くように促した。「入院中の方に詰め寄るのはいかがなものでしょうね」と雪町も付け加える。
第三者にまで言われては従わざるをえず、一人を残した全員がすごすごと病室を後にした。
ほっとした殻島は「二人とも、ありがとうございます」と心から感謝を述べた。
「いえ、にしても、残った京和テレビの人って……」
関と雪町は視線を移す。ややウェーブがかったミドルヘアの女性が一人、その場に残っていた。先ほど病室にいた男達と比べると若い。殻島とそう変わらないくらいだ。
「殻島、おひさー。っていっても、飲み会以来だからひと月しか開いてないか」
「いてくれて助かったけど……。まさかお前がここに来るとはな、
唯一許した京和テレビの取材者。それは、殻島の大学の同期だった。
「改めて、京和テレビ報道部新人の家南
家南はベッドの傍らに置かれた椅子に座した。同期だと言うことを関と雪町に話すと、「積もる話もあるだろうから」としばらく席を外してくれた。
「いや~、なんか大変なことになったねぇ」
家南は肘掛けに頬杖を突き、面白そうに言った。
病室には2人しかいないため、業務的な丁寧さは既にない。が、殻島としてもそうしてくれた方がありがたかった。
「大変っていやあそっちこそ、来るまで時間かかったろ」
「まあね。でも、ちょうどレラトーニ行きの便はあったし。それにこんな大スクープみすみす逃したくはないからさ」
家南はジャーナリズム精神を秘めた薄い笑みを寄越した。
「最初に伝わった情報はね、レラトーニの夜蛍市に怪獣が攻め込んで、その場にいた若い防衛局員がそれを倒したって内容。『夜蛍』、『若い防衛局員』っていう2つの情報でピンと来たのよね」
殻島が夜蛍市勤務であることを家南は知っていたため、その類推は納得だ。
「で、上司に打診したの。この怪獣を倒したっていう職員、もしかしたら私の友人かもしれないです。仮に違っても、その友人は夜蛍で働いてるので詳しい話が聞けると思います、っていう風にね」
なるほど、と殻島は思った。家南はまだ入社して1ヶ月。研修も終わっていなさそうなタイミングだが、取材源と親密な関係にあるという理由でこの場に駆り出されたのなら頷ける。
家南は椅子にもたれ、指を組んで伸ばした。
「いやぁ~、あんたがドンピシャでその隊員だったとはね。もし独占記事なんて書けたら上司の覚えがよくなっちゃうな~」
「お前な……死線を潜った同期のつてで食う飯は美味いか?」
「飯と言えば、もし取材がうまくいったら上司がお寿司奢ってくれるって。銀座の名店」
「食当たり起こせ」
家南は誹りをあしらい、持っていたバッグから電子タブレットを取り出した。
「そんなわけで、殻島を取材させてもらいたいんだけどさ。さっきの雰囲気だと、あんまりインタビューとかして欲しくない感じかな」
その言葉に殻島は驚いた。先ほどのマスコミ関係者との応対で、殻島の真意がうっすらと見抜かれていたのだから。
「でも、お前も仕事上そういうわけにはいかないだろ」
「いや、私はあんたを尊重する」
タブレットを起動しつつ、こちらを見た。
「私はあんたの意思に反することはしないよ、絶対」
わずかに逡巡した後、殻島は承諾した。
家南はわざわざ地球から外惑星まで出張ってくれた。にもかかわらず、可能な限り自分の意思に沿うよう配慮をしてくれている。その心意気が温かく、なるべく応えたいと思ったためだ。
「ただ一つ、条件を付けさせてくれ。名前とか顔写真とか、俺だとわかっちまいそうな情報はなるべく出さずに公表して欲しいんだ」
「あら、そんなことでよければお安いご用。じゃあ口頭で話を聞く形式にするわね」
「ありがとうな」
「こちらこそ」
家南は姿勢を正す。録音と共に「それじゃあまずは――」と質問が始まった。
「――こんなところかな」
タブレットに打ち込む家南の手が止まる。
約30分のインタビューが終わり、殻島はふうと息をついた。
「終わりでいいのか?記事にするには若干短いようにも感じるけど」
「いーや、十分。あんたもその身体で長時間受け答えするのはきついでしょ」
会話の節々できちんと身を労ってくれるのがありがたい。
「他のテレビ局は、多分あんたの上司とかに話を聞きに行ってると思う。名前を公表して欲しくないなら、防衛局の上層部にちゃんとその旨を伝えときなよ」
家南は広げていた道具を手早くバッグにしまうと立ち上がった。
「もう帰るのか」
「思い出話に花を咲かせたいとこだけど、生憎仕事なんでね。早いけどこの辺で失礼するわ」
じゃあね、と手を振る家南に殻島も返す。
彼女の足が扉へ向かう。久しぶりの再会とは言え一ヶ月。未練があるような、そうでもないような心情のまま手を振っていた。
その時、ぴたりと家南の足が止まった。
「殻島。次地球帰ってくるのっていつ?」
背を向けたまま、唐突に問いかけてきた。
脳内で帰れそうなタイミングを探す。盆か、正月だろうか。
「いつって……いつだろうな。お盆か、年末?年末は確実に帰るわ」
「じゃあさ、そん時はちゃんと連絡してよ。それで、北戸も呼んでさ、また3人で、集まろうよ」
同じ身体の向きで言う。言葉がところどころ詰まっていた。
はたと気付く。家南の拳が握られ小刻みに震えていることに。
途端に胸が締め付けられる思いがした。彼女は本当に心配していたのだ。怪獣と戦い、大怪我を負った自分のことを。かつて多くの時間を過ごした当たり前の集いが、もう二度となくなってしまうのではないかと。
もしかしたら、わざわざレラトーニに来てくれたのは取材のためではなく、単に安否を確認するためだったのではないか。思い上がりかもしれないが、そう感じてしまうほど彼女の痛心は伝わってきた。
家南も、北戸も、本当にウマが合う友人だったと思う。
共に過ごしていると、時間が短く感じた。
共に過ごす時間を、何より長く望んだ間柄だった。
また3人で。家南のその言葉が、自分の中で強い思いになって膨らんでいる。
「……ああ、わかったよ。ちゃんと帰ってきたら連絡する。また飯食いに行こう」
「約束ね。それまで、あんま無茶しないで」
「もうしねーよこんなこと」
苦笑交じりに返すと、家南が振り返った。取材者としてではない、家南夕果の笑顔を今日初めて見た気がした。
左手だけで頭を支え、天井を見つめる。
北戸にも連絡しなきゃな。そう思っていたとき、関と雪町が病室に戻ってきた。
「お二人ともすみません。お見舞いなのに出てってもらっちゃって」
「い、いえ……」
二人は揃って答えた。表情が硬い。声も、姿勢もだ。先ほど話していたときとは打って変わっている。
何かに緊張しているのか。
「あの、何か――」
訊きかけた時、1人の男が病室に入ってきた。その瞬間、関と雪町が一糸乱れぬ動きで敬礼をした。
その仕草に瞠目すると共に、入ってきた男が2人の上司、それもかなり上の位の人間だと察せられる。
男は椅子を引き、雪町からやや離れた位置、殻島の足下やや右手に置いて座した。オレンジのジャケットを身につけておりS4隊員であることはわかる。が、見慣れぬ人物だ。年齢は40代か。浅黒く焼けた肌にはしわが走るが、荒れてはいない。頭には、ちょうど船長制帽のようにキャップが黒いマドロスハットを被っている。
「初めまして。レラトーニ防衛総務長官の
よく通る、威厳ある声で挨拶をされた。
殻島も「初めまして」と返しつつ、頭の中でS4の階級図を描く。もっとも、谷神と名乗った人物がどこに位置するかはすぐにわかった。レラトーニおけるS4調査隊員、オペレーター、その他事務員。その体系の最も上に位置するのが、外惑星防衛総務統括官。つまるところ、谷神はレラトーニで任務に当たるS4所属者の中で、一番偉いのだ。
それを意識した途端、背筋を伸ばさずにはいられなかった。関と雪町の反応も納得だ。彼らが社員なら、谷神は社長か取締役か。いずれにせよ、普段口をきける相手ではない。
そんな殻島の心中を見抜いたように、谷神は手を翳した。
「そんなにかしこまらなくても大丈夫だ。すまない、まだ傷も癒えていないのに」
続けて谷神は、関と雪町に敬礼を解くように言った。2人は、やはり揃って、瞬時に手を下ろす。
谷神はハットを脱ぎ、膝の上に置いた。黒い短髪が露わになる。
「君がレッドキングを討伐してくれた、殻島勇玖君だね」
「は、はい」
「そうか――」
唐突に、谷神が頭を下げた。
「ありがとう」
「…………え?」
面食らう殻島たちを意に介さず、綺麗なお辞儀を殻島に向けたままでいる。
「ちょ、ちょっと。頭上げてください!どうしたんですかいきなり」
谷神は長い礼を解いた。
「君のおかげで、多くの市民の命が助かっている。統括官として、きちんと礼を述べておかなくてはならないと思っていたんだ」
口調は硬いものの、真摯な感謝の念が感じられる。謙遜するのがかえって失礼に感じられ、「いえ」と曖昧な返事で茶を濁した。
「今日伺ったのは、感謝ともう一つ、君に提案があったんだ」
谷神が真っ直ぐ前を見て言った。わざわざ防衛総務長官が一介の防衛局員に何を提案することがあるのかと、殻島は首を傾げる。
「俺に、ですか」
「ああ」
神妙な面持ちに、さらに身が引き締まる。
心の奥底にまで訴えかけてくるような視線を維持し、谷神は口を開いた。
「殻島くん、S4に入るつもりはないか?」