「こ、の……!」
「唯、伏せて!」
アネモスを剥がそうと苦戦する浦菱に、篠山が指図する。
浦菱は腰を曲げ、体をかがめる。篠山から隠れていたアネモスの体がそこで露わになった。
「そのまま」
篠山はライフルを放つ。連続の発砲は外れが多かったが、それでもアネモスには何カ所も穴が空き、背中から離れた。
「ふん!!」
野笠も片手で力任せにハンマーを振り、くっついたアネモスを打ち落としていた。
これで一見落着。そうなれば、どれだけよかったか。
流砂は止まらない。体が徐々に吸い込まれていく。
「た、隊長!篠山さん!」
助けを求めるも、2人だって同じ状況だ。為す術が無い。
しかし、ここにきて篠山が一言「大丈夫」と口にした。
「唯、野笠、下で会おや」
かろうじて冷静さを保っている声だった。
先ほど、篠山は「この下を知っている」と言っていた。流砂によって運ばれる先を知っているのだ。篠山の様子からして、「下」に何か危険があるとは考えづらい。むしろ大人しく流されれば、その先で合流できるということか。
篠山は既に胸のあたりまで砂が侵食している。
「はは、もう動けない……。2人とも、途中で息吸わないようにね」
篠山は大きく息を吸い込む。頬を膨らました彼女の顔が、砂に沈んでいった。
――――――――――――――――――――
「え…………」
殻島はモニターを見つめている。3人の視点とも、ずるずると砂に引きずり込まれる映像が流れていた。
「や……ばくないですか」
視線をリクに向ける。リクもまた、モニターの映像を見ていた。
「いや、大丈夫だよ」
少し思案し、やがてそう返した。
「この流砂は洞窟に繋がっている。埋もれて窒息って事態にはならないし、ちゃんと開拓されたルートだから出る道もあるはずだ」
リクの言葉に確信を感じ、殻島は胸を撫で下ろす。
「び、びっくりした」
「想定外ではあるんだけどね。多分野笠と篠山は経験あるし、浦菱ちゃんもパニクるようなタマじゃない」
リクは再び背筋を伸ばした。
「いずれにせよ、作戦が俺達にかかってることは変わらない。気を引き締めて行こう」
「はい!」
殻島も、前のモニターに映るフィールドマップに注意を向けた。
――――――――――――――――――――
長く、重い砂の感覚が途切れた。ふわりと体が楽になり、またすぐにどすんと背中を打ち付ける。
「う……」
どうなったんだっけ。
あの後、篠山に倣って息を吸い、流砂に備えた。全身を砂に飲まれ、徐々に下に落ちていって、それから。
周囲は薄暗い、大きな洞窟のようだった。浦菱は、「下」に来たのだとわかった。自分は流砂によって運ばれた砂が溜まる場所に寝転んでいる。腹には、さらさらと砂がとめどなく降り積もっていた。ここにいては、また砂で蓋をされて動けなくなってしまう。
「唯」
名を呼ぶ声。
「篠山さ――」
「静かにしろ……!」
今度は野笠の声だった。先に降りていたのか。
砂の山から這い出て、声のするに向かう
砂山をぐるりと回ると、すぐに2人を見つける。2人とも、砂山と岩で挟まれた空間に体育座りで待っていた。
なぜそんなに縮こまっているのか、とは思わなかった。理由は単純。
――寒い。
先ほどとは正反対の感覚が浦菱を襲っていた。
モシリスは確かに暑い。ただしそれは、昼の外という場所で限られる。モシリスには洞窟が多いが、その中は大抵、外部と打って変わって凍えるような寒さなのだ。
水が存在しているから、氷点下にはなっていない。しかし、持ち前のS4スーツでは暖に乏しく、動きが鈍くなる。
野笠が唇を噛んでいた。
「まずいことになったな……」
「ええ、地下に行くのは想定外でした」
「いや、そうじゃない」
そうじゃない?
野笠の発言に浦菱は眉を寄せた。
「どういう意味です?」
「……
野笠の声は、なぜかずっと小さかった。
「いいか。音を立てず、ゆっくりと反対側に回っていけ。そうすればわかる」
野笠の指示に従い、浦菱は巨大な砂山に背を這わせながら回っていった。反対側につくまでもなく、恐ろしい現実を目の当たりにした。
洞窟と言うよりも地下空間と表すべきだろうか。天井は数十メートルも上で、地面の端には太古からの歴史を思わせる
その地表はおびただしい数のアネモスで埋め尽くされていた。大なり小なり無数の個体がひしめきあい、イソギンチャクの表面を眺めているようだった。
洞窟内でも目視できるのは、そこかしこの岩の隙間から外部の陽の光が刺しているためだ。
(うっわ)
悲鳴を我慢し、忍び足で野笠の元に戻る。
「まずいだろ」
「まずいです」
アネモスの数は何十匹といた。3人でどうにかできるだろうかという目算は劣勢に傾く。
「浦菱」
野笠が片膝立ちになり顔を上げた。
「この地下空間には、いくつかの穴が空いているだろ」
「はい」
「アネモスの群れの奥に、一際大きい光が漏れているところがある。あそこから外に出られるんだ」
確かにあった。数人ほどは通れそうな、ぼっかりと空いた穴。斜面にはなっているが、地面から上れる傾斜と高さだ。そこまでたどり着ければ、這い上がることができる。
「あそこに行けば、帰れますね」
「ああ。アネモスが移動するのを待とう。ヤツらは群れるが、大規模な巣は持たない。待っていればじきに掃けていくはずだ」
野笠が力強く頷く。文字通り光明が差したと同時に、ぶるっと身震いした。
やはり寒い。外で汗をかいたから余計にだ。
「隊長、アンチコールドを飲みましょう。長期戦になるかも」
「だな」
野笠は提案を受け入れた。『アンチコールド』とはアンチヒートの逆の薬。寒冷気候に体を適応させるための薬液だ。極寒の惑星や、ここのように局所的に寒い場所で用いられる。
野笠と浦菱はベルトから容器を取り出す。が、篠山は体育座りのまま動かなかった。
「……どうした篠山?」
野笠が訊く。篠山はただ自嘲的に笑った。
「いや、何でも……ないわ」
どこか様子がおかしい。
「篠山さん、まさか」
篠山が笑い混じりの息を吐く。ふわりと、白いもやができた。
「私、アンチコールド忘れてもうた」
浦菱が凍りつく。縋る思いで野笠を見た。
「隊長、今何本あります!?」
「……1本だけだ。すまん……」
絶句した。篠山はこの地で、寒さを防ぐ術を持ち合わせていないのだ。浦菱もアンチコールドは1本しか持っていない。そもそも、今日は地下空間に出る予定がなかったのだから予備として持っていただけだ。
「はは、しくじりや」
「篠山さん、私のを半分飲んでください」
「あかんよ。アンチコールドとかのアイテムは、成人一人分の目安で作られてる。2人で割って飲んでも、効果は半分以下にしかならん」
「でも――」
「飲みなさい」
薄暗い中、篠山の怖い顔が浮かんだ。
「野笠もや。この状況で、これ以上動けない奴出すんは致命的やから。なに、すぐ死ぬわけやないし」
浦菱は一瞬迷い、しかし野笠と顔を見合わせて一気にあおった。無力感の味が喉を流れていく。
これからどうしよう。アネモスがいなくなるまで篠山の体力は保つか。保たないのなら、アネモスの群れを強行突破という作戦も考えらえる。が、そうであれば彼女の体が動くうちの方がいい。それでもかなり危険な賭けだ。
同じことを考えているのか、篠山は鍾乳石を見上げた。
「2人とも、ほんまごめん。ひとまず、作戦室に相談かな」
――――――――――
「――了解。すぐに案を提示する」
リクは一旦通話を切る。同時に聞いた殻島が、沈痛な表情でこちらを見ていた。
「リクさん」
「今度は、本当にやばいね」
食いしばった歯から、何とか絞り出す。殻島が愕然としているのが、見なくてもわかった。
どうすればいい。リクはしきりにこめかみを指で叩いた。
調査の部隊からヘルプがかかった際の対応は大きく分けて2つ。
1つめは、訓練中や非番で出られる隊員を募るというもの。これは市外地で想定外の強敵怪獣と遭遇した時の手段だ。早急に対処すべき対象があり、そのために動ける人員を向かわせる。したがって、派遣される隊員の質は保証されるものの、その選出までは時間がかかる。篠山は何分保つかわからない。他2人も30分もすればアンチコールドの効果は切れる。
(この対応は使えねえな……)
2つめ、オペレーターが現地に赴くというもの。今回のパターンで言えば、アンチコールドを届けに向かえばいい。オペレーターも立場上はS4なのだ。最低限の訓練は受けている。したがって1人が作戦室に残り、1人が現地でサポートに入るという形だ。が、不幸にも今日いるのは自分と局員の殻島だけだ。作戦行動補佐にあたる者も特例として派遣させることができるが、初日の殻島が行くには荷が重い。
自分が行こう、とは最初に思ったが、それでは殻島がオペレーターの役割を全て果たさなくてはならなくなる。やはり荷が重すぎる。
(くそ、小型怪獣の討伐だと甘く見た)
腹を決めた。リクはモニターを操作し始める。
隣から殻島に「どうしますか?」と尋ねられた。
「他の作戦室から空いている手を募る。訓練部にもね。オペレーターでも隊員でもいい。すぐに向かわせる」
「……行ってくれる人が、今すぐ見つかる保証は……?」
痛いところを突かれた。
「正直、ないね。でも現状これしか――」
「俺が行くのはダメなんですか」
耳を疑った。今の発言は本当に殻島がしたのか。
「……マジに言ってる?」
「リクさんが出てしまって、俺が一人残されるよりはいいと思います。俺はオペレーターのオの字もわかりませんから。作補に入っていれば、例外的に隊員のサポートに向かえると習いました」
「市外地は怪獣がいるんだよ。それに、野笠達の場所には標的のアネモスがうじゃうじゃいる。君が知っているどの環境よりも危険だよ」
「その危険な環境で、皆さんはずっと戦っているんですよね」
言葉に窮した。殻島は既に立ち上がっている。
「時間の余裕がない状況なのは俺でもわかります。たしかに市外地は危険ですけど、いや、危険だからこそ俺達がいると信じてるんで」
言って、殻島は椅子を押しのけて走って行ってしまった。
「待って!」
初めて、彼に大きな声を上げた。振り向くと、既に殻島はこちらを見ている。
「……まず武器庫、それからゲートルーム行って。今の時間はカネゴンが受け付けてるから、適した装備をあつらえてくれるよ。事情もちゃんと説明して。言えば面倒な手続きはパスしてアンチコールドをもらえる」
殻島は一度礼をして、すぐ扉の向こうに消えた。
――――――――――――――――――――
「……はぁ!?殻島を向かわせる!?」
「浦菱しーっ!アネモスに気づかれるから!」
野笠の叱咤に、浦菱は慌てて口を押さえる。しかし、湧いた困惑は押さえつけても小さくならない。
自分たちの救援に、あろうことか、作戦行動補佐初日の殻島をあてがうというのだ。思わず正気ですかと声を荒げるところだった。
「アネモスに存在を気取られないよう、俺達と同様この流砂を降りてくるそうだ」
野笠が付け加える。自分たちが目指す脱出経路の穴はアネモスに気づかれやすい位置にあるため、そこから降りてくることはしないのだろう。
「殻島は新人でしょう!?あいつ、もし迷いでもしたら承知しない……!」
握りこぶしを作る浦菱を、野笠がたしなめる。
「リクのサポートがあればここまですぐだろう。それを見越してリクも殻島を派遣させたはずだ。信じよう」
信じるも何も、ほぼ初対面なのだ。援護に来てくれるのはありがたいが、本当に大丈夫かという不安が勝つ。
篠山を見た。体力の消費を抑えるため、目を瞑って体を小さく丸めている。だがやはり寒いのか、二の腕をずっとさすっていた。
「今、何分くらい経ちました?」
「18分ってとこだ」
野笠がMITTドライバーを確認した。無情に過ぎる1分1秒がこれほど憎いことはない。
「あーもう!早く――」
その時、どさりと背中の方で音がした。
「はあッ、は……ゲホッ……こ、ここか?」
息切れと咳き込む声がする。まさか――。
野笠が振り返った。
「こっちだッ」
大きい動作で手を招く。それを見て、男が一人砂山を滑り降りてきた。
「お、遅く、なりました……!」
肩息で俯く男は、紛れもなく殻島だった。砂にまみれたS4のスーツに、アーマーを装着している。リクの通話が10分程前。その時には既に転送していたとして、見ず知らずの市外地を走ってここまで10分とは。
「驚いた。早いくらいだぜ」
野笠のフォローに、殻島は「急いだので」と途切れ途切れに返す。
「それより、アンチコールド持ってるのよね!?」
浦菱が詰め寄ると、殻島は右腰の黒いポーチを開けた。中には、赤い液体の入った容器がぎっしりと詰まっている。
「10本、持ってきました」
殻島はその内の1本を取り出し、篠山に手渡す。
受け取った篠山は、ゆっくりとした動作で中身を飲み込んだ。
「……大丈夫ですか?」
今度は篠山に詰め寄る。篠山はほうとため息をつき、ずっと閉じていた瞼を上げた。
「生き返る~……って、この状況じゃ洒落んならんわな」
いたずらっぽい笑みが向けられる。全身から力が抜けていくのを感じた。
「よかったあぁ~……!」
殻島も同時に言っていた。それから思い出したように顔を上げ、またアンチコールドを取り出す。
「これ、野笠さんと浦菱さんにも」
自分も最後の1本だったことを思い出し、ありがたく受け取る。
口に含むと、酒と穀物酢を合わせたような味がした。まずい。いつも通りだ。
「殻島」
空の容器を握りしめ、殻島を見た。彼自身もアンチコールドを飲んでいる。
「とりあえず、ありがとね」
野笠と篠山も口々に同意した。
「君がいてくれて本当によかった」
「凍え死ぬところだったわ。ありがとう」
感謝の雨を受ける殻島は照れくさそうだったが、一言「間に合って良かったです」とだけ口にした。謙遜はなく、ただただ安堵しているように見えた。
しかし、寒さを無効化できただけで、状況は変わらない。反対側では、おびただしい数のアネモスがうごめいているのだ。
「なかなか数が減らんな……」
野笠が苦い顔をした。殻島が持ってきた本数は10本。緊急といえど、局員の特例出動ではこの数が限界だろう。4人ではここから2時間もいられない。それまでにアネモスが掃けてくれるかどうか。
「打って出ましょう」
浦菱が切り出した。野笠が素早く顔をこちらに向ける。
「何言ってるんだ」
「アネモスがいなくなる可能性にかけるのは危険です。応援を待つのも心許ない。無理矢理にでもアネモスを倒して、抜け穴からの脱出を試みましょう」
「だが、殻島くんもいるんだぞ」
眉間に深いしわをつくっている。
「俺達だけならいい。だが、彼を危険に晒すわけには」
「野笠さん」
言葉を遮ったのは、意外にも当人の殻島だった。
「俺なら大丈夫です。もともと危険を覚悟の上でここに来ました」
「だが――」
「俺がいるとチームワークを乱しかねませんよね。でしたら指示をください。その通りに動きます」
「そうじゃなくて」
構わず、殻島はホルスターからハンドガンを取りだした。武器庫で支給されたものだろう。
「使い方はわかります」
「わかりますって……何で」
「あ、いや、その……たまたま、知る機会がありまして」
よくわからないことをごにょごにょと言っているが、懸念材料の本人が承諾してくれるのなら問題はないはずだ。
「やりましょう、隊長」
「……本当にいいのか」
野笠が最終確認を殻島に向ける。
「ええ」
殻島はハンドガンを掲げた。
「そのつもりで来ました」
その自信はどこから来るんだよ、と思った。が、口には出さないでおいた。