「……では」
野笠が、肩を寄せ合う隊員達を見回した。
「3分後に作戦を行う。皆、作戦は頭に入ってるか」
「オッケー、さして難しい内容はない」
アンチコールドを服用したことで調子を取り戻した篠山が言う。
殻島は、静かに息を吐いた。
大丈夫。この人達と一緒にいれば大丈夫だ。アネモスの包囲網を突破し、帰還することができる。
己にそう言い聞かせ、はいと言おうとしたときだった。
「殻島、殻島」
隣の浦菱がスーツの袖を引っ張る。
「せっかくだし、アネモスの生態について教えてあげるよ」
浦菱は人差し指を真っ直ぐ立てた。
「せ、生態?」
「そ。まず、あいつの長い胴体……というか、体全部が胴体なわけだけど、あれは食べたものの消化吸収に特化してる」
ひとまずは、即席で始まった彼女の授業に耳を傾けるほかなかった。
「特化してるっていうのは、アネモスの消化過程は全てにおいて、溶解と吸収を並行して行うの。人間で言えば、胃と腸の両方の機能がある感じ」
「つまり?」
「あいつに噛み付かれたら、溶かされながら飲み込まれるっている恐ろしい体験をすることになるわよ」
スーツの下で鳥肌が疼いていた。この地下空間で感じた寒さとは別種の、うぞうぞと這い寄る不快な悪寒。
「ちょこっと噛まれたくらいじゃなんともないけど、何匹も同時に手足に吸い付かれて、身動きが取れなくなって……」
まるで怪談専門の漫談家だ。抑揚を付けた浦菱の語り口と、俯きがちで暗い色を帯びた顔に、言いようのないおどろおどろしさを感じる。
「生きたまま、苦痛の中、徐々に徐々にあんたの体はアネモスに――」
「浦菱……!」
野笠がいい加減にしろと言いたげな顔を作った。
「なんでわざわざ怖がらせるようなことを」
「殻島が怖がらせて萎縮するタマじゃないのは、ここまで来られた時点でわかるじゃないですか」
浦菱は落ち着いた口調に戻っていた。
「むしろちょっとビビらせるぐらいが、かえってやる気出すんじゃないかと思って、発破掛けたんですよ」
「だからって――」
納得を示さない野笠に、殻島は「大丈夫です」と笑みを向けた。
「たしかに、やる気は出ますから。どうもね、浦菱さん」
一度、両手で強く頬を張った。遅れてくるじわりとした痛みが、目に力を漲らせる。
「めちゃくちゃ死にたくなくなった」
「ならよかった」
一瞬だけ、引き結んでいた彼女の口角が緩んだ気がした。
4人は2人ずつに分かれた。野笠・篠山の『先輩チーム』と殻島・浦菱の『後輩チーム』が、待機していた砂の山から、地下空間の内壁に沿ってそれぞれ反対方向に進んでいく。無論、足音も声も潜めていた。
「まずは静かに動く」
先ほどそう野笠が説明したとき、殻島は浮かんだ疑問を口にした。
「そもそも、あの出られそうな穴の場所まで、音を立てずに行くことはできないんですか?」
「まずは」と彼が言うからには、最終的にアネモスに勘付かれることを想定しているのだろう。だが、息を殺し、忍び足で進んでいけば、勘付かれないこともできるのではないか。殻島はそう思った。
が、「それは厳しい」と篠山が否定した。
「アネモスには目がない分、匂いと感覚で周囲を認識してる。人間がどれほど静かに動いたとしても、あの穴まで全く気づかれずに、ということは不可能に近いで」
野笠が小さく頷く。
「とはいえ、最初からでかい音を立てると一気に襲いかかってくる。気づかれるまでなるべく静かに、できるだけ穴へ進むんだ。ここの地下空間はアネモスだらけだから、俺達が進むのは端部分。壁や岸づたいに歩いて行く」
それが最初の行動だった。先輩2名は地下水が流れる岸の方を、後輩2名は壁をつたってじりじりと歩みを進めていく。
殻島達が落ちた洞窟は天井が高く、ほぼ正円のホールのような空間だった。そして、4人が目指す脱出を図る穴と落下した砂山の位置はちょうど円周上、そして正反対だ。上から落っこちた砂山の位置が時計の6時なら、穴は12時にあたる。野笠・篠山はこの『6』から『9』、殻島・浦菱は『3』と、各々逆の方向に向かう形になっている。
自身の進行方向を見ながら、先輩チームの進行も確認する。2人とも腰をかがめ、一歩一歩を慎重に繰り出している。が、それでもアネモスの様子は最初と少しずつ違っていた。何匹か、持ち上がった体の先端が2人の方向に向いている。やはり存在を察知され始めているのだ。そしてそれは、自分たちも同じこと。ないはずのアネモスの視線が、獲物を捕捉する意思が向けられているのを感じる。
だが、順調だ。これでいい。
その時、ズドン、と重量がぶつかり合う音がした。反対方向の野笠が、地面にハンマーを打ち付けたのだ。そして篠山もライフルを構え、混乱するアネモスに銃弾を浴びせ始める。発砲音が地下空間に反響した。
(来た……!)
先ほどの静かな行動とは打って変わって、一気に音を出す。これが2段階目。可能な限り隠密に徹し、これ以上はどうやってもバレるというギリギリのラインで大きな音を立て、アネモスに存在をアピールする。目論見通り、多くのアネモスが獲物の存在を認識し、2人に接近し始めた。
そしてそれは、こちらも同じだ。
殻島は右手のハンドガンを構え、銃弾を連射。近くにいたアネモスが蜂の巣にされると同時に、周囲の個体が複数、殻島の存在を確信した。
這い寄る巨大な尺取り虫は、生理的な嫌悪感を抱かせる。加えて、アネモス特有の鋭利な牙はひどく強烈に映った。
「っらあああ!」
無我夢中で引き金を引いても、数匹は弾幕を逃れこちらへとにじり寄ってくる。数匹が飛びかかる姿勢を見せたため、殻島は目を閉じそうになる。が、その個体が全て、一瞬のうちに血を吹いていた。
「しっかりして」
棘のある声が横から響いた。浦菱だ。彼女がボードで前方を横切った瞬間に、攻撃を加えたのだ。
「……悪いッ」
マガジンを替え、また放つ。射線は先ほどよりブレが少なくなっていた。
「よいしょォ!」
向こうでは野笠が気合いと共に数匹を吹き飛ばし、篠山は黙したまま冷徹に銃撃を継続する。群がるアネモスは全て、強風に晒されたかのようにその身を投げ出す。やはり野笠と篠山は捌き方が上手い。
だがここから、チームごとの動きが異なるのだ。『先輩チーム』はそのまま前へ、先ほどの時計で言えば『9』のあたりで音を立てたため、ここから10、11とアネモスを撃波しながら進んでいく。そして12,脱出の穴に到着となるわけだ。
だが殻島達は違う。現在殻島・浦菱は『4』のあたりにいるが、このまま少し粘る。迎撃に周り、先輩チームが穴に辿り着くあたりで逆方向に向かうのだ。すなわち、後輩2人は最初の砂山、『6』まで戻り、その位置を越えてさらに進む。先輩2人と同じルートを通って出口まで向かおう、という作戦だ。
理由としては、アネモスを『12』、イコール脱出の穴に集中させないためだ。それぞれのチームが最短のルート、円周の半分ずつ進むパターンだと、4人全員が同時に穴に到達するものの、ほぼ全てのアネモスがそこに集中する。早い分、犠牲が出る可能性も高い。そこで、後輩2人が可能なだけアネモスを引きつけてから遠回りをすることになった。
連射を続けているため、殻島の手には痺れが溜まっていく。もう既に3度弾倉を替えた。本数にまだ余裕はあるが、弾薬は命綱にも等しい。減っていくにつれ不安は積もっていく。
「そろそろ!もう逃げてもいいんじゃねえかな!?」
「まだ!!」
浦菱に退避の許可を乞うが、返答は厳しい。比較的遠い位置にいるアネモスを殻島が、射撃をくぐり抜け、近距離まで来た個体を浦菱がボードで対処する。が、その防衛陣も少しずつ押し込まれている。どう足掻いても多勢に無勢なのだ。限界は最初から見えている。
後輩チームが危険な役回りに思えるが、この作戦で肝要なのは先輩チームの役回りだ。後輩2人が来るまでに、出口に集中するアネモスを退け続け、安全を確保する必要がある。したがって戦闘経験の豊富な野笠と篠山が受け持ったのだ。
近くの2匹を一気に切り裂き、左手に躍り出た浦菱が、ちらりと出口に目をやった。そこでは野笠と篠山が、出口の斜面に足を掛け迎撃している。
「今ッ!殻島後ろ乗って!」
指示した浦菱が、すぐに目の前までボードを乗りつけた。
「乗れ、ってどうやって」
「私の後ろ!あんたの足は固定できないから腰に掴まって!」
殻島はボードに足を乗せ、浦菱の背にがっしりしがみつく。高速バイクに2人乗りする時のように体を密着させた。が、これで本当に進むのか。
「浦菱さん、これ動かせんの!?」
「試す。できなかったらあんた1人で食われて」
殻島は横を向いた。アネモスもこちらを向いていた。
「うわ……!」
その縮めた体が飛びかかる直前の姿勢だということは、作戦室で見ていてわかった。
「マッッジで頼む!動いて!」
「うるさい、どうせ頼むなら『動かして』って頼みなさいよ!」
「そっちのさじ加減なの!?」
「私が思えば絶対できる!言っとくけど私――」
突如、体が引っ張られる。電車の急発進を思い出す唐突な進行だが、浦菱の体に掴まっていたことによりボードごと進んでいく。
ボードは砂山を越し、先ほど野笠と篠山がいた小さい崖をすれすれで通過していく。体が少し内側に傾くほどの進路なのに、倒れ込む不安はなかった。
「――結構優秀なの」
途中何匹のアネモスが飛びかかったが、全てが遅れをとっていた。それらを切り抜け、密集状態の出口に倒れ込むように突っ込む。
「隊長、お待たせしました」
「おう!」
もはや片手でハンマーを振るっていた野笠が殊勝な顔を見せた。
「しっかし凄い数、キリないわぁ」
篠山も射撃を続けたまま反応した。2人とも無事なようだが、アネモスの攻撃網は止まる気配がない。
小型怪獣でごちゃごちゃの空間だった。混戦の中で殻島は、浦菱がその場でボードを回転させたのを見る。これも体重移動が巧いゆえだろうか、噴出口が一部のみ作動し、その場に留まったまま回っているのだ。スケボーのパフォーマンスを見ているようで、しかしそれによりアネモスが切り裂かれていくのを見るに威力は相当らしい。
やがて静止したかと思うと、目を回した様子もなく野笠に向き直った。
「隊長、篠山さん、今のうちに上がってください」
「だが――」
「私もショックマインを使ってからすぐ行きます」
野笠ははっとした表情になった。話している2人に飛びかかるアネモスを、殻島と篠山が撃ち落とす。
浦菱は続けた。
「あれを使えば一網打尽です。アネモスが斜面を登ってくる可能性も潰せる」
「その手があったな。……任せてもいいか?」
「もちろん」
力強く頷いた浦菱を見て、野笠はアネモスの密集地に斬り込む。そして、今までにないほど大きくハンマーを振るい、可能な限りの個体数を吹き飛ばした。
「篠山、殻島、撤退だ!あとは浦菱に任せる」
その言葉に、篠山は「了解」と即座に身を翻した。
殻島もそれに従い、浦菱の奥、穴の斜面に足を掛けた。砂で多少滑るが、今履いているブーツなら難なく登れそうだ。
急ぐ最中、ふと浦菱を一瞥する。
「さっき話してた『ショックマイン』って?」
「時限式のエネルギー爆弾。私が使ってる
浦菱は足の固定を外し、ボードのステップ部分にあるスイッチのようなものを押し込んでいた。必然、視線は下に向いている。無防備な状態の彼女に、一際高い頭上から1体のアネモスが突っ込んできていた。
「ゆい――」
遅れて篠山が気づいたが、銃を構えるまで反応できてはいない。全員、野笠の一撃で周囲のアネモスが吹き飛ばされたと確信していた。少なくとも、ボードを操作する間は襲われないと疑っていなかった。
先んじて気づいた殻島も、銃は構えられなかった。
構えても意味がなかった。先ほどの混戦で弾を撃ち尽くしており、既に今は空だ。
牙が降ってくる。浦菱が食われる。
食われる。
体は自然と前に出ていた。
「殻島!?」
その場にいた誰もが唖然とするような行動をとっていた。飛びかかるアネモス、その裂けんばかりに開かれた口に向かって、左拳を思い切り突き出した。
ずぶり、と腕が深く入った。腕に牙が突き立てられる痛みが走る。が、同時に拳の先が、喉の開かれていない部分にめり込んだ感覚があった。
――ギュゴオッオォ!
アネモスは即座に殻島の手を離すと、苦しげな音を出した。唾液か消化液か、口から透明な液体をまき散らしながら地面で体をくねらせる。人間で言えば、喉に指を突っ込んだのと同じ拒否反応だろう。
「つッ……!浦菱、準備は!」
左腕を押さえながら、肩口を覗き込む。浦菱は目線を寄越した。
「完了、撤退しよう」
ボードを地面から離し、亀の甲羅のように背負う。地面にはアタッチメントが切り離されている。
これがボードに搭載された爆弾、ショックマイン。厚みはパネルのようであり、砂や草むらに隠せば人間でもすぐには見つけられない。地雷のように使うのか。
ショックマインを避け、2人で斜面を駆け上がる。当然何匹ものアネモスが身をよじり、獲物を逃すまいと一箇所に集中する。アネモスの群体がうごめく小山を形成したときだった。
脳を揺らす轟音が、後方で生じた。
――ショックマインが起動したのか。
一瞬だけ振り返ると、先ほどまでのおぞましい群れが、残骸ともいうべき姿に様変わりしていた。爆発の近くにいた個体の体は炸裂、あるいは両断され、内臓を晒している。その奥には、衝撃波で飛ばされた何匹かが痙攣していた。
ふと、今登っている斜面の天井部分から、小岩がパラパラと降っているのに殻島は気づいた。
「……これ、衝撃で崩落したりとか」
「そこまで強力じゃない」
浦菱の返答には、無事に切り抜けられた安堵が滲んでいる気がした。
「でも、巨大怪獣にも大きなダメージを与えられる技なんだ。少なくとも、私たちを襲う意思は完全に削いだ」
彼女はちらりちらりとこちらを窺いつつ、高い位置に足を掛ける。
「ほら」
呆然とする殻島に、手が差し伸べられた。
「帰るよ」
殻島が手を握ると、驚くほど強く引っ張られる。それに引き摺られてしまわぬように、慌てて一歩を踏み出した。