直近では34~35話から怪獣の話が始まります。ご興味ありましたらそちらだけでもよろしくお願いします。
炒飯を食べようと大皿に手を伸ばすと、「ストップ」と浦菱から制止がかかる。
「何だよ」
「私ちょっとトイレ行くけど、その炒飯食べたいから取らないで」
いつから卓上の飯は予約制になったんだという言葉を飲み込み、「はいはい」と返事をした。
「何よその適当な返事は。頭ちゃんと回ってる?」
「回ってるよ」
「あんま飲み過ぎないでよね。担いで帰るのはごめんだから」
「大丈夫だって。ちゃんとペースわきまえてるから」
「あと杏仁豆腐も残しといて――」
「早く行けよトイレなんだろ」
店の奥へと消える寸前、浦菱は野笠らにも「炒飯残しといてくださいよ!」と声を投げていた。
「上司に向かって言いたい放題じゃないですか」
そう漏らすと対面の野笠はまたも笑った。顔は少し赤く、飲み物もウーロン茶に変わっている。
「まあ、俺達は浦菱に世話になりっぱなしだからな。生意気くらい許してやるさ」
「そうなんですか?」
殻島は残っていた炒め物をさらいつつ水を向ける。
「あんま部隊内じゃ話さないが、浦菱の隊員ランクは俺達の中で一番高い」
「隊員ランクってたしか……特錬隊員の指標になるやつですよね」
ランクとは、個人の階級とは別に存在するS4独自の格付け指標である。評価基準となるのは討伐した怪獣、達成したミッションなど。それのダメージ推定、アシストなどを細かに割り出したポイントが個々隊員に付与され、ランクの変動が生じる。平たく言えば、隊員の任務遂行能力、より簡素に表すなら戦闘能力のみを基準としたランキングだ。
とはいえ、実際の給与や階級と結びつく点はほとんどない。総勢6万人、事務・清掃専門やオペレーターを除けば4万人弱のS4隊員のうち、300位以上のみに付与される『特別錬成隊員』の称号を得るもの以外は職務に影響がないため、ランクを気にする者・しない者に分かれる。
「浦菱って何位なんです?」
「たしか……この前900位代に入ったと話していたような」
「は!?」
味覚が失せる。想像していたより何倍も高順位だ。
「え、高っ!強すぎませんか」
「まあ、若い隊員ほどポイントにボーナスが入るからなぁ」
答えたのは篠山。彼女の顔色はいつもと全く変わっていない。4人の中で誰よりも飲んでいたが、大したうわばみだ。
「S4は年取るほどオペレーターに転職したり業務専門になったりで、調査地任務をやらなくなる傾向あるんや。そんな状況やと、隊員の中でも特に若い人材が大事になってくる。せやから若ければ若いほど、任務成功時の掛けは大きい」
「知らなかった。でも、それじゃあ中年のS4隊員がどんどん離れていきませんか?上位勢も新人だらけになったり」
「と、思うやん?でも意外とバランス取れるんよ。ボーナスの新人vs.経験の中壮年、みたいな。ただほとんどの中年はもうランク気にせんくなるで。ランク制度自体、若者隊員に対する特錬への夢のチケット手続き的な側面が大きい。任務意欲向上、プラス新人隊員の呼び込みとか」
篠山はここからご本題、とでもいうように紹興酒で喉を潤す。
「でもそれにしたって、唯は有能やで。万人規模のランキングやから順位の変動はガンガン起きる。大抵の新人は経験豊富な隊員に抜かれて下位に落っこちるんやが、唯はランクを上げてる」
篠山の評に、横の野笠も頷く。たしかに、作戦室で見ていても動きはいいし、アネモスの任務でも助けられた。
「すげー、としか言えないから面白くないなぁ」
「嫉妬?」
「嫉妬っす」
「仲ええな」
篠山は依然にやにやとしている。
「まあ、悪くはないですよ」
向こうはどう思ってるか知りませんが、と付け足すと「あれは好意の裏返しやで」と適当をのたまう。何というか、まだ諦めていない感じがする。
「篠山」
野笠はやめなさいという声音を作った。この席でもきちんとたしなめるあたりやはり隊長。しかし野笠はグラスを傾けた後、思い出したかのようにふふっと笑った。
「でも、たしかにいいコンビだとは思うぞ、お前達」
不意を衝かれた。何であんたまで篠山陣営に行ってしまうんだ。
その不満が表情に出ていたのか、「いや違うぞ」とかぶりを振る。
「仲睦まじいって言いたいわけじゃなくてな」
「あ~わかるで野笠。最近の唯を見てるとなんかほっとするのよな」
意味が理解できず、双方の顔を見渡した。篠山は先ほどまでのからかうような笑みが、微かだが憂いを帯びた。
「唯に何をしてあげられてるのかなって、ずっと考えててな」
「……え?」
ぽつりと呟いた声は、話し声で満ちる店内で逆に際立った。
「ほら、唯にとってはS4に入隊して初めての部隊が私らだからさ。ただ単に仕事仲間としてだけやなく、気を張らずに接してほしいって思ってコミュニケーションを取ってた」
「実際、浦菱は屈託なく接してくれたし、信頼もしてくれていると思う。だが、その態度は気遣いからくるんじゃないかってどこか不安でな」
意外だった。野笠部隊は世代関係なく砕けた様子で喋っていたため、そんな悩みとは無縁だと思っていた。S4の部隊というのは外惑星での任務を共に行う。時に危険が伴うからこそ、信頼関係も強固になっていくものだ。それでも、後輩という存在であるとそう楽天的にはいかないものか。
「歳の差もあるしね。私は7歳、野笠は」
「12歳差だ」
入隊初年度の隊員は当然、比較的ベテランの隊員がいる部隊に入れられる。当然ある程度の年齢差は生じてくる。
「まあどの仕事にも上司部下ってのはあって、年が違うなんて普通やけど。でも三人一組で外惑星での任務をするってなると、どうしたって気になってまう。どこか気持ち的に無理させてんじゃないかって」
そこから先は言わなかったが、殻島にはわかった。その気遣いが、どちらかの命を奪う結果になるのではないか。部隊のメンバーとは文字通り命を預け合う仲になる。怪獣が生息する調査地で任務を果たすために背中を預ける。危ういと思った時には抵抗なく助けを求められる仲でなくてはならないし、手を差し伸べられる仲でなくてはならない。そこに生じる小さな躊躇いや戸惑いは、時として命にを脅かす事態を招く。
――野笠部隊に限ってそんなことにはなりえないだろうに。
いつもの会話を聞いていれば、そこではつらつとしている浦菱を見ていればそう断言できる。それでも言葉にはできなかった。2人は1年以上、その苦悩に向き合い続けてきたのだ。ぽっと出の自分が何を言える。言って、それが真実だったとして、何を楽にしてやれる。
「――ところが殻島、君が来てくれた」
野笠が唐突に矛先を自分に向けた。
「お、俺ですか」
「ああ。君は浦菱にとっていい刺激になってると思う」
その言葉に、篠山もこくこくと頷いた。
「殻島はさ、唯と歳が近いやんか。でも任務とか怪獣についてはまだまだ素人だから、唯が先輩みたいな立場になることもある。これまで私らみたいに、年齢的にも経験的にも上の人に囲まれてたさかい、大きな変化なんだと思うんや」
「弟が生まれてお姉ちゃんになった子ども、みたいな感じかもな」
野笠はなるほど子持ちらしいたとえをする。
「殻島が来たことは多分だが、浦菱の中で責任感と安心感に繋がってる。俺たちへの信頼とか気遣いとかとうまいことバランスが取れてるように感じたから、ほっとするって話だ」
自分の属性が上手いこと野笠部隊とハマった。
と、先輩2人は解釈してくれているようだ。が、殻島からすればどうしても買いかぶりだと思った。いつ見てもこの野笠部隊は仲がよかったから、すでに完成されたパズルだったのだが。
いや、あくまで2人から見ればの話か。どんな人間関係が最適か、などわからない。というより、存在しないのだ。あったとすればそれは個人の捉え方であり、その捉え方で野笠と篠山は評価してくれていた。
「だからさ、殻島」
篠山はグラスから手を離した。
「唯のこと、ちょっとでいいから支えてやってや」
次いで、野笠も箸を置く。
「俺からも頼む。生意気で不器用なところはあるけどッ……」
急に言葉に詰まっていた。まさかと思って振り返る。
浦菱がこちらを向いていた。じろりとした目線が、順序よく3人を辿る。
「…………どっから聞いてた?」
「そんなには。生意気で不器用な、のところ」
「悪態だけ拾いやがった」
浦菱が隣にどかっと座り頬杖を突く。
「それで?私のどこが生意気で不器用だと、野笠隊長殿?」
「いや、その」
たじろぐ野笠に意地悪な笑みを向け続けている。少なくとも生意気に関しては現在進行形だろ。
どこが気を遣ってるように見えるんですか。思わずこみ上がってきた笑いは、「殻島さん、何がおかしくて?」という浦菱の声ですぐに消えた。
階段を上っていた。野笠・篠山と別れた後、酔い覚ましに少し歩こうと浦菱に言われた。この先の景色がいいと言われ、先行する彼女を追う形になっている。
ジャケットを羽織っても少し寒かった。時間は夜だ。もちろん、仕事終わりだから当然夜なのだが、生活時間だけでなく惑星モシリスの自転という意味でも、日は落ちていた。モシリスは地球の24時間よりも1日が長いから、朝日が差すのは生活時間で明日の13時頃か。
踏み出したところで段差が途切れる。頂上か。地表に隆起した大岩に沿って階段が設置されていたため、今はその上に立っている形だ。
見渡すとたしかにきれいな景色だった。空には雲がなく、星が静かなきらめきを置いている。昼の燦然と光を放つ恒星と熱とは裏腹に、冷たく澄んだ空気の中、絵本の挿絵のような安らかさと落ち着きがあった。
「酔いは覚めてる?」
隣に立った浦菱は、薄手のパーカーを着込んでいた。
「ああ、大丈夫だよ」
「ならいい。話したいことがあったから」
酔っていないことを確認したのは、やはり湖田関連の話だからだった。
「まだ話してなかったよね、私がどうして湖田先輩を探すことに拘ってるのか」
そういえば、と眉が上がった。同時に自分も湖田との関係性を話していないことを思い出す。
「ていうか、俺も話してねえな」
「お互い様だったわね。たしかにあんたのも聞いときたいけど」
ちらりとこちらを窺う顔はどこか意を決したように見えたため、あまり他の人には言っていないことなのだろうかと思った。先攻を譲ると、浦菱はすうっと静かに息を吸う。
「私、もともとS4隊員になりたくなかったの」
一言、そう言った。殻島は驚き、しかし驚きを悟られぬよう声は出さなかった。
あまりに意外だ。そんな素振りを少しも見せていない。アネモスと対峙したときも、作戦室で見ていたときも、浦菱の動きは優秀だった。殻島はそこに、職務に対する適性とやる気を感じていたのだが。
――気ぃ遣ってるんじゃないかってね。
篠山の苦悩が思い起こされた。そんなのは杞憂だと思っていたが。
もし、浦菱がS4として任務に従事したくない思いを、先輩2人に悟られていたとしたら――。
「おーい」
ぽんと肩を叩かれた。
「勘違いしないでよ。もともと、って言ったでしょ。なりたくなかったのって高校生くらいまでの話よ」
「そ、そうすか」
「今はやる気満々だから安心して」
それを聞いて、殻島は少しほっとした。
「でも何でだ?高校生くらいまでって」
「その時、湖田先輩と会った。あの人に会ったことが、私がこの仕事をしてるきっかけでもあるから」
もともと避けていた仕事を、心機一転志すようになる。そこに湖田が関わっており、同時に浦菱にとって特異点なのか。
「私の家ね、S4一家だったの」
浦菱は続ける。
「一家?」
「お父さんもお母さんも、S4隊員だった。まあお母さんはもう退役して今は事務専門だけど。あとは、お姉ちゃんも今オペレーターやってて」
「それでお前も去年から隊員か。たしかに一家だな」
「でしょ」
浦菱はポケットに手を突っ込み、顔を上げた。横から見る彼女の眼は、空に浮かぶ星をどれともなくぼんやりと眺めているように見えた。
――――――――――
高校2年生の時。5つ上の姉の内定が決まった。S4の後方支援、オペレーター要員だ。浦菱家はもともと惑星ワッカで暮らしていたが、姉は都内の大学に進み、4年生時に試験を受けて現役で合格したことになる。この現役合格というのが珍しかった。オペレーター試験は通常の教養・専門試験に加え、外惑星の環境や怪獣に関する知識が多く問われる難関試験だ。合格する者の多くはS4からの転向であり、学生の一発合格は極めて優秀な者にしか成し得ない。
「浦菱ぃ、すげえなお前の姉ちゃん。オペレーターの試験受かったんだって?」
「すっごく難しいって聞いたよ。お姉さん凄いね!」
浦菱の出身は惑星ワッカ。しかし当時、高校入学を機に地球の日本へ引っ越し、首都圏内に一人暮らししながら高校に通っていた。姉の内定が決まったことをポロっと漏らした翌日から、同級生の何人かからそうもてはやされた。身内の進展を喜んでくれている中、浦菱だけが素直に喜べていなかった。
理由は一つ。浦菱は、姉にS4になってほしくなかったからだ。
この思いは、父と母が隊員職をやっていたことに端を発する。小さい頃、父が任務時に怪我を負ったことがあった。巨大怪獣と戦った際、攻撃を受けてしまったと。そこまで大きい怪我ではなく、1週間ほどで退院していた。
「お父さんならこのくらいの怪我、へっちゃらだ」
娘2人にそう語ったのは、父親としての強さ、S4としての強さ、両方を示したかったのかもしれない。だが、少なくとも下の子どもはそれを受容できなかった。
S4は怪獣と戦う仕事。危険な仕事。そう感じた。『そういうもの』だと割り切れるほど成熟してもいなかった。
だから自分はなりたくなかったし、これから仕事を選ぶ姉にはS4関連の仕事には就いてほしくなかった。地球で高校生活を送りたいと両親に打診したのも、S4として両親が働いていると認識するのを避けたいからだったかもしれない。
なのに。
姉はS4に入る。オペレーターだから前線に立たないとはいえ、いざという時は外惑星に住む人々を守らなくてはいけない立場だ。他人より危険な位置にいることは変わりない。危ないとわかってその職務に従事することが浦菱には理解できない。そんなことは、他の誰かに任せておけばいいのに。
それにもかかわらず、同級生は褒め称えた。君の姉は凄い、憧れる、おめでとう。
その言葉は他意なく姉を賞賛していたからこそ、浦菱の神経を逆撫でした。自分と他人の乖離が辛かった。
「ありがとう」とか「それほどでもないよ」とかの言葉を笑って返した気がする。授業が始まる直前だというのに、席を立って教室を出た。皆の意識がもしかしたら今度は自分に向くんじゃないか。「お前もS4を目指すのか」と聞かれるんじゃないか、なんてことを恐れていたのかもしれない。
人がいない、それでいて広い場所に行きたかった。足は、屋上へ続く階段にかかっていた。
扉の先に人はいない。授業前ここに来る人なんていない。そのはずだったのに。
屋上の植木鉢に、水をやっている生徒がいた。背の高い男子生徒。
湖田永晴との、出会いだった。