避難していた記者陣とグレビレズムのデモ参加者は、ネロンガを遠巻きに眺め、既に討伐されていると理解しようやく平静を取り戻した。
多くの者たちはは我先にバスへ乗り込もうと必死だが、一部取材を継続しようとする精力的なメディア関係者もみられた。S4隊員はそんな彼らに対応し、安全確認の点呼を行ってもらうよう呼びかける。
ネロンガはすでに死亡しているが、ここは調査地。当初の防衛配置もネロンガの復活により崩れた今、安全の確保は厳重に行われなければならない。そこで、『転送キット』の出番だ。件のネロンガを捕らえた特殊装置でもある。
転送キットは怪獣の冷却のみでなく、他にもさまざまな機能を設定することができる。今周囲に展開させているのは『ガードフィールド』と呼ばれる、一定時間物理・光線などの攻撃を防ぐドーム状のバリアだ。
安全が確保され、記者と、渋々ではあるがデモ参加者も従ってくれている。皆が転送キットを中心に展開した青い障壁の内部に入っていく。
「佐納さん、一通りは終わりましたけど……」
一方、一般とは別に展開されたガードフィールドでは、怪我をした佐納の応急処置が行われている。治療を受け持ったのは浦菱だ。軽傷のため、ここでは一調査隊員でもできる簡易的な措置にとどめ、帰投後にS4の医療部で集中的に見てももらう予定だ。
「痛みとかは、大丈夫ですか」
「ええ、全然。火傷は流石にしましたが、電撃の……こう、外側、余波?しか当たってないので」
佐納は大事ないと言っているが、包帯が巻かれた腕は痛々しい。すでにヒールキットで処置してあるから痛みはなさそうだが、跡が残れば目立つ。他にも怪我はいくつかあった。
怪獣の電撃を食らった直後で普通に会話ができているあたり、さすがはS4の技術が詰まった防護スーツだと感嘆はする。が、痛みまで無効化できるわけでは決してない。
「もうあんな無茶はしないでくださいよ。いくら助けるためだからって」
「す、すみません。でも私は本当に大丈夫で……でもアームは壊れちゃったなぁ。装備課の人に怒られちゃうかなぁ」
「……もし怒られたら、『じゃあもっと頑丈な武器作れ』って私が言ってあげます」
佐納が驚いた表情でこちらを見た。
「佐納さんのおかげで人が助かったんです。デモの人だけじゃない、S4の人も佐納さんのかけ声で回避行動が取れたんだと思いますよ。褒められこそすれ、怒られるような行動じゃないです。どこを切り取っても」
彼女の開いた口がもごもごと揺れ始める。
「くすぐったいです……そんなに褒められると」
「もっと堂々としてくださいよ」
先ほどの驚いた表情。あの様子は、佐納が「身を挺して人を救うこと」を、そこまで賞賛に値するとは思っていないことを示している。言うなれば、S4として当たり前のこと。
先日食堂で語った、S4の人を守るという義務について、やはり彼女は当然のことと思っている。その上で、彼女自身はその義務を果たすために、ためらいなく動ける人間なのだと浦菱は理解した。言うは易し、行うは難しとよく言うが、佐納は自分の発言にも、浦菱が揚げ足取りのように解釈した「当然の義務」にも
佐納は隊員の中で、S4の本旨に非常に実直に従っている者といえる。手本を見せられた気がした。
「すみません……」
その時、誰かの声がした。振り向くと、青白く半透明のバリアの向こう側に白い防護服を着た人物が立っていた。フードとマスクは外しており、男であるとわかる。
「あの、先ほど助けていただいた者なんですが」
「えっ」
浦菱は少したじろいたが、佐納が「どうぞ」と入ってこれるようにバリアを一瞬解除する。
入ってきた男は若かった。高校生くらいに見える。男性にしては長く垂れ下がった髪の下、眼鏡の向こうにある瞳が不安そうに揺れる。
「ありがとう、ございました。あなた達がいなければ、僕は今頃どうなってたか」
「S4としてやるべきことをしたまでですよ」
佐納はやはりあっけらかんと答える。その姿勢に少年はさらに頭を下げ、佐納は気にするなと言う。ループが生じていた。
それにしても、と浦菱は少年が来た方向、人が
「すみません。僕だけで。本来なら全員でS4の方々にお礼を言うべきなんですけど」
どきりとする。少年の謝罪は心を見透かされたようなタイミングだった。
「い、いや、そんなこと思ってないけど……。とにかく、無事で何より」
「ありがとうございます。その、正直僕もS4の人ってちょっと怖いイメージがあるんですけど、お礼はしなきゃと思って」
「まあ、あなたたちの考え方とは真逆ってくらい違うもんね。仕方ないよ」
かたや平和維持のために進んで怪獣を抹殺する機関。かたや殺される怪獣を哀れみ保護を訴える団体。実のところ、浦菱も当の団体員と会話をしたのは初めてだ。
「実は僕、今回のデモに参加するのも直前まで迷っていて」
「それはまた、なんで?」
「……僕が大事だと思うものがたくさんあるからです」
少年の目が、いっそう自信なさげに下を向いた。
「僕はずっと、怪獣が可哀想だと思っていました。もともと住んでいた場所を人間に追い立てられて、殺されてしまって、中にはネロンガみたいに捕獲されるものもいて……」
「そりゃ……私も哀れに思わないわけじゃない」
「でも、よく考えたら人間だってそうしなきゃ生きていけないですもんね」
眉が上がった。怪獣を慈しむこの少年も、同時に人間が怪獣を殺す必要性について考えている。
「板挟み、なんて言ったら大げさですけど、でもそうなんだろうな。怪獣を殺してほしくない。でも誰かが殺してくれなきゃ僕たちは生きていけない。今日は、その『殺してくれる誰か』と面と向かって会う時間でした」
少年はこちらを見て、「あなたたちのことです」と言った。
「S4の方と会ってしまったら、あなた達が怪獣を殺している姿を見てしまったら、僕が思う『怪獣が可哀想』という気持ちが理想論だと一刀両断されてしまうような気がして」
少年は心のどこかで、自分の気持ちが世間から見て甘い理想論だと認めてしまうのを恐れているのか。
(コスモシズムの中にも、こんな風に考えてる人がいたんだ。もっと強行的っていうか、極端な人たちを想像していたけれど)
思惟を巡らせる浦菱の前で、少年は目元のあたりを手で覆った。
「僕の怪獣を大切にしたい思いと、怪獣を殺さなきゃいけない現実的な必要性。どっちも大事なんです。曲げられないんです。これを両立させようとするともう……何が正しいのかわからなくて。辿り着く結論はいつも同じなんです」
顔から手を離す。その手は震えていた。
「もしかしたら、人類が外惑星に進出したこと自体過ちなんじゃないかって」
「なんてこと」
浦菱は少年を睨み付けた。睨み付けてしまった。
少年の迷いはわかる。彼はかつて、浦菱自身が陥った苦悩、事故と周囲の理解の違いに悩んでいたからだ。浦菱は身内にS4隊員がいることでその職務の危険性を理解していた。しかし周囲のほとんどはその意識が希薄。その差に煩悶した。
だから理解はできるのだ。だが、少年の思想の結論は、今自分が従事しているS4の職務それ自体の意義を失わせてしまうものだった。感情論よりも、S4隊員として黙っていてはだめだと思った。
「そんなこと言ったら、人間はここまで存続できないでしょ!外惑星進出が始まった時代は、地球本土が怪獣の被害を受けていた時代と大きな隔絶はないんだよ。モシリスやイメルやレラトーニの資源を活用しなければ、人類は滅んでた可能性だってある。それでもよかったの」
「い、いいわけないでしょう!だから悩みだって言ってるじゃないですか。あくまでこれは、理想と現実を並行したらって仮定の上です。どっちも満たせるとも、満たしたいとも思ってない!」
「とにかく、さっきみたいなこと言われたらS4隊員として黙っていられな――」
「私は」
言い合いに口を入れたのは、それまで静かだった佐納だ。
「私は彼の考え、否定できないです」
「佐納さん、でもそれじゃ」
「否定ができないってだけです。賛同はできません。でも」
佐納は少年の方に目を向けた。
「あなたが悩み抜いて決めたということは、十分すぎるほど理解できました。私、こう見えて迷ったり、辛かったりした時はずっと、一人で悶々と考えてしまう質たちでして」
恥ずかしげに頬を掻いて続ける。
「そうして出した結論って、すごく大事なものだと思うんです。少なくとも自分だけは、その結論の質を証明できる。あの時の私が苦悩の果てに出した答えだ、って。それが理解されなくても、その答えを実行しようとして痛かったり辛い思いをしたりしても」
佐納は一度、息を吸った。
「その痛みと苦しみを背負わせたのも、やっぱり自分だから」
迷いに寄り添う、しかし同時に重い諦観が宿る声だった。黙って聞いていた少年の目が、少し開かれる。
「で、でも、そんなネガティブな意味だけじゃないと思いますよ!迷いって、ほとんどはその時点ではどれだけ考えても正しいかどうかわからないじゃないですか。だったら、その瞬間を懸命に、うんうん悩んでみることが自分を一番大切にしてる行いだと思うんですよ。気も紛れますし」
いや、悩んでいるからこそ気が紛れないんじゃないか?そう指摘しようとしたが、佐納はふたたび少年を見据えた。
「君は答えに迷っているかもしれません。今だと、怪獣を守るべきか殺すべきか、ってとこですかね」
少年は「極端に言えば、そうです」と俯きがちに答えた。
「その答えは君にしか出せないし、どっちを選んでもきっと誰かには否定されます。でも、答えを出すこと自体を恐れないでほしい。出した後に後悔をしないでほしい。私が言いたいのはこういうことですし、その仮定に口を挟むのはフェアじゃないので否定も肯定もしない、という立場ですね」
少年は少し疑問符が浮いているようだったが、丁寧に頭を下げ「ありがとうございます」と述べた。
「ただし!見過ごせない場面はありますからね。S4隊員の前で『外惑星に出たことが過ちだ』なんて言われちゃ、こっちも黙っていられませんから。言う場所は考えるように」
「は、はあ」
「浦菱さんも!頭ごなしに否定しない」
「いや、今見過ごせない場面はあるって言ったばかりじゃないですか!」
「あっそっか……。い、いやでも、なんでも否定から入るのはよくないです!です!」
急に説得力に影が差したな。
なんだか肩の力が抜ける。横目で少年を見ると、不自然に口元が震えていた。
「……別に、笑ってもいいんだよ」
「ありがとうございました」
少年は頭を下げると、バスへ戻って言ってしまった。そういえば、名前や素性など何も聞いていないが、まあいい。
「じゃあ、私たちも戻りましょうか」
佐納が展開しているバリアを閉じ、転送キットを回収する。
「それにしても、若い人とお話しするのは楽しいですね!」
「年寄りみたいなこと言わないでくださいよ」
「あの子からしたら十分お年寄りですよ。私が26歳なので、あの子が高校生だとしたら10歳近く上ですから。えっ、私高校の時から10年も経ってるんですか!?」
「聞かないでくださいよ」
浦菱は笑った。佐納もつられて顔をほころばせた。明るい、先ほどまで苦悩について話していた人物とは思えない表情。
だが。
――その痛みと苦しみを背負わせたのも、やっぱり自分だから。
先ほどの言葉は、彼女の人生と関わりがあるように思えた。そうでなくては帯びない重さがあった。
佐納も何かに迷い悩んでいたのだ。そして自分なりの答えを模索し、答えを出し、それが自己決定であることを根拠に今を生きている。
自分と同じように悩んでいるんだ、と浦菱は思い、しかし直後に省察した。
(いや、違う。私はヒントを与えてもらった)
全く同じではない。浦菱には
「佐納さん、ずっと敬語じゃないですか」
浦菱の言葉に彼女はきょとんとする。
「タメ口にしてくださいよ」
「えぇ?でも、その、慣れないですし」
「敬語の方が慣れませんよ。私は年下なんですから」
彼女のことを、もっと知りたいと思った。
「な、なら浦菱さんも敬語じゃなくていいです!」
「いやなんでですか!年違うって言ったでしょう。それに階級だって」
「私、以前の部隊は他2人が年上の男性で。こう、お友達みたいな感じで気安く話せる人が欲しかったんです。……だめですか?」
そんなおそるおそる聞かないでほしい。浦菱はふっと笑いながら息をついた。
「敬語」
「へ?」
「まだ敬語残ってるじゃん」
「あっごめんなさ……ごめんね、かな。あははやっぱ慣れないや」
「いいよ。帰ろっか」
これから慣れていこう。
その言葉は少し気恥ずかしくて、胸の内にとどめた。